銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第57話:二〇万隻のノンストップ・リミテッド・エクスプレス 798年1月27日~3月5日 アムリッツァ星域~惑星マリーエンフェルト~ニヴルヘイム総管区~ミズガルズ総管区

 宇宙暦七九八年一月二七日、自由惑星同盟の帝国領遠征軍がイゼルローン要塞を出発した。三〇〇〇万の大軍は第一一艦隊を先頭にアムリッツァ星系を目指す。

 

 ホーランド少将のD分艦隊が全速で突進していった。一定の陣形を取らず、柔軟に形状を変えながら進んでいく様子はまるでアメーバのようだ。ビームとミサイルが回廊出口から押し寄せてきたが、そのほとんどを回避する。

 

 D分艦隊の無秩序な陣形から秩序だった砲火が放たれる。回廊出口に大きな穴が空いた。敵の砲火はまったく当たらないのに、味方の砲火は百発百中だ。

 

「敵との距離、六光秒(一八〇万キロメートル)まで縮まりました!」

 

 オペレーターが中距離戦の間合いに入ったことを伝えた。俺は右手をさっと振り下ろす。

 

「パターンBからパターンFへ切り替えろ! このまま押し込め!」

 

 全艦の戦術コンピュータが機動パターンを切り替えた。第三六機動部隊はすり抜ける機動からかわす機動へと変化する。

 

 敵の中距離レーザー砲が光幕を作った。これまでよりずっと密度の高い砲撃が襲いかかってきたが、そのほとんどが宇宙の闇へと吸い込まれた。第三六機動部隊とD分艦隊は無人の野を行くように回廊を駆け抜ける。

 

 あっという間に敵との距離が一光秒(三〇万キロメートル)まで狭まった。この先は接近戦の間合いである。

 

「これより接近戦に移る!」

 

 俺は直率部隊を連れて切り込んだ。第三六駆逐艦戦隊と第三六巡航艦戦隊がその後に続く。第三六母艦戦隊所属の母艦からは、単座式戦闘艇「スパルタニアン」が次々と飛び立つ。第三六戦艦戦隊は後方から援護射撃に徹する。

 

 帝国軍は第三六機動部隊の速度に対応できなかった。軍艦は次々に実弾兵器の餌食となり、単座式戦闘艇「ワルキューレ」は発進する前に母艦ごと破壊された。

 

 ホーランド少将は残りの二個機動部隊を突入させる。回廊出口の敵は完全に壊滅した。そこに第一一艦隊本隊、第一三艦隊、第五艦隊が雪崩れ込む。戦闘開始から二時間もしないうちに同盟軍第一統合軍集団はアムリッツァ星系突入を果たした。

 

 第四地上軍と第七地上軍が展開を始めたところで、一つの知らせが入ってきた。メルカッツ上級大将率いるニヴルヘイム右翼軍集団が、アムリッツァから三〇〇〇光秒(九億キロメートル)の距離まで迫っているという。

 

「さすがはメルカッツ。予想以上に動きが早い」

 

 同盟軍は色めきだった。どんなに早くとも半日先だろうと思われたからだ。しかし、混乱する者は一人もいない。すぐに迎撃体制を整えた

 

 一月二七日二〇時、同盟軍第一統合軍集団と帝国軍ニヴルヘイム右翼軍集団は、アムリッツァ星系第六惑星宙域で対峙した。

 

 同盟軍の総兵力は四万六〇〇〇隻。ルグランジュ中将の第一一艦隊を中央、ヤン中将の第一三艦隊を右翼、ウランフ中将の第五艦隊を左翼に配した。第一五独立分艦隊及び四個独立機動部隊が予備となる。ただし、ウランフ中将は全体指揮に専念するため、第五艦隊を副司令官メネセス少将に委ねた。

 

 帝国軍の総兵力は三万八〇〇〇隻。フォーゲル大将の第三猟騎兵艦隊を中央、メルカッツ上級大将の第一竜騎兵艦隊を右翼、ラーゲンブルク大将の第二胸甲騎兵艦隊を左翼に配した。後衛には若干数の予備戦力が控える。

 

 

 

 

 

 両軍は砲撃を交わし合いながら前進する。同盟軍は今後のために帝国正規軍を削っておきたい。帝国軍は各個撃破以外に数的に優勢な同盟軍を阻止する術がない。双方が接近戦を望んだのだ。

 

 距離が四光秒(一二〇万キロメートル)まで詰まった時、ラーゲンブルク艦隊の一部がわずかに突出した。戦っている間に興奮して前に出過ぎてしまうことは珍しくない。武勲に目のない帝国軍人ならばなおさらだろう。良くあるミスが相手によっては致命傷となる。第一三艦隊のヤン中将は集中砲火を浴びせ、敵の突出部に効果的な打撃を与えた。

 

「一気に敵左翼を叩くぞ!」

 

 ウランフ中将は積極攻勢に出た。第一三艦隊がラーゲンブルク艦隊の右側面へと回り込もうとする。第一一艦隊は陣形を右上がりの斜線状に変化させ、第一三艦隊の孤立化を防ぐ。第五艦隊はメルカッツ艦隊とフォーゲル艦隊を牽制した。

 

 ラーゲンブルク艦隊は左翼を伸ばし、第一三艦隊の包囲機動を阻止しようとした。フォーゲル艦隊は第一一艦隊と第一三艦隊の分断を図る。メルカッツ艦隊は第五艦隊と交戦中だ。

 

 わずかの差で帝国軍の延翼行動が同盟軍の包囲機動に先んじた。ところが、これこそがヤン中将の狙いだったのだ。

 

 第一三艦隊は突撃を開始し、横に薄く広がっていたラーゲンブルク艦隊を突き破り、左右に分断した。そして、足を止めることなくラーゲンブルク艦隊左翼の後方へと回りこみ、背後から猛攻を加える。芸術的なまでの艦隊運動であった。

 

「中央突破・背面展開がここまで鮮やかに成功するなんてねえ」

 

 副参謀長イレーシュ中佐が呆然とスクリーンを眺める。

 

「寄せ集めとは思えない動きですね……」

 

 作戦部長ラオ少佐がぼそりと呟く。

 

「首脳部が優秀なんだよ。ヤン中将とムライ少将の存在が特に大きい」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐は、胸元のパンくずを払いながら論評する。有名な司令官ヤン中将と地味な副司令官ムライ少将の双方に注目するあたり、目の付けどころが違う。

 

「次は俺たちの番だな」

 

 俺は幕僚に語りかけた。全員が無言で頷く。正面からフォーゲル艦隊が迫っていた。第一一艦隊が後退したら、第一三艦隊は敵中に孤立してしまう。負けることのできない戦いだ。

 

 第一一艦隊は戦力を二分した。司令官ルグランジュ中将率いる左翼集団が敵主力を拘束し、副司令官ストークス少将率いる右翼集団が側面から打撃を加える。

 

 右翼集団の先頭に立つのはD分艦隊だ。敵の砲火が左翼集団に集中している隙に、驚くべき速度で距離を詰めていった。

 

「全艦突撃!」

 

 俺が指示を下すと、第三六機動部隊は一直線に突入した。その後から司令官直轄部隊、第七〇機動部隊、第一六五機動部隊が突っ込み、敵の脇腹に大穴を開ける。

 

 速度と火力の暴風がフォーゲル艦隊を蹂躙した。軍艦は応戦する暇も与えられずに撃沈されていく。D分艦隊にとっては、敵の攻撃は外れるものであり、敵の防御は存在しないものだった。戦いとはこんなに簡単なものかと錯覚しかねないほどだ。

 

 帝国軍は崩壊しつつあった。左翼のラーゲンブルク艦隊は分断された上に背後から攻撃を受けており、中央のフォーゲル艦隊は内部から食い破られている。

 

 

 

 

 

 しかし、メルカッツ上級大将はこの程度で敗れるような提督ではない。決勝点を的確に見抜き、乏しい予備戦力を効率的に投入した。ラーゲンブルク艦隊とフォーゲル艦隊は大損害を被ったものの、どうにか戦線を維持することができた。

 

 開戦から半日が過ぎた。帝国軍はじりじりと後退し、二〇光秒(六〇〇万キロメートル)も押し込まれている。それでも崩れないのがメルカッツ提督の恐ろしいところだ。

 

「簡単には勝たせてくれないな」

 

 俺は傍らのチュン・ウー・チェン参謀長に声を掛けた。

 

「さすがは帝国軍が誇る宿将です。敵将が凡百の指揮官ならとっくに勝っているのですけどね」

「ローエングラム元帥のような破壊力はない。ヤン中将のような奇策は使わない。だけど、とにかくしぶとい。本当に面倒な敵だな」

 

 俺はスクリーンを見た。第五艦隊の別働隊が、メルカッツ艦隊とフォーゲル艦隊の間に割り込もうとして失敗したところだった。

 

 ウランフ中将とメルカッツ上級大将の力量は互角だった。ウランフ中将が迂回部隊を送ると、メルカッツ上級大将は翼を伸ばして食い止める。メルカッツ上級大将が縦深陣に引きずり込もうとすると、ウランフ中将は素早く兵を引く。名人戦を見ているようだ。

 

 二〇光秒の差は用兵の差ではなく配下の差であった。味方には名のある提督が何人もいるが、敵にはメルカッツ上級大将しかいない。敵は内戦を避けてきた部隊の寄せ集めで結束力に欠ける。同盟軍正規艦隊は帝国軍主力艦隊より練度が高い。指揮官の用兵が互角ならば、配下が劣る側が不利になるのが道理である。

 

 戦闘開始から二〇時間が過ぎた頃、第二統合軍集団配下の三個艦隊がアムリッツァ星系に到着した。メルカッツ上級大将は撤退を余儀なくされた。

 

 第一統合軍集団は第二統合軍集団とともに追撃を開始した。勢いに乗る六個艦隊と疲れきった三個艦隊。結果は明らかに思われたが、敵の指揮官はメルカッツ上級大将だ。大損害を与えたものの振り切られてしまった。

 

「やっと終わった」

 

 俺は司令官席に腰掛けた。そして、副官付カイエ伍長が持ってきたコーヒーとマフィンを口にする。

 

「手強い敵でした」

 

 ラオ作戦部長が首元のスカーフを緩める。

 

「その方が良いんじゃないですか」

 

 副官シェリル・コレット大尉が口を挟む。俺は微笑みながら問い返した。

 

「なぜそう思うんだい?」

「楽に勝ち過ぎたら油断しますから。メルカッツ提督と戦うつもりで他の敵と戦ったら、不覚を取ることもないかと」

「そういう考え方もあるか。君らしいな」

 

 俺はにっこり笑った。他の幕僚たちも笑う。

 

「我々は自分たちの強さを知り、同時に敵の強さを知りました。最高の勝利と言って良いのではないでしょうか」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長がきれいにまとめる。

 

「まったくだな」

 

 異論はまったく無かった。第三六機動部隊は強い。ホーランド少将の指揮を受ければ、素晴らしい戦いができる。しかし、自分が強いだけでは勝てない。この二つがこの戦いで得た最大の教訓だった。

 

 同盟軍は緒戦を勝利で飾った。しかし、浮かれている暇はない。これは長い長い戦いの緒戦にすぎないのだ。

 

 

 

 帝国領は九つの総管区に分かれる。総管区はオーディン神話の九つの世界と同じ名前を持つ。氷の国と同じ名前を持つニヴルヘイム総管区は、最も同盟国境に近く最も貧しい。

 

 一月二九日、同盟軍は第一段作戦「フィンブルの冬」を発動した。四週間以内にニヴルヘイム総管区の主要航路を抑えるのがこの作戦の狙いだ。

 

 ウランフ中将の第一統合軍集団とホーウッド中将の第三統合軍集団は、ミズガルズへの最短航路となるリューゲン航路を進んだ。ロヴェール中将の第二統合軍集団は、ヤヴァンハール航路へとが向かった。

 

 

 

 

 

 第三六機動部隊は第一統合軍集団の先頭を進んだ。出発から二日後の三一日、最初の有人星系マリーエンフェルトへと到達した。

 

「マリーエンフェルトの資料です」

 

 コレット大尉がすっとファイルを差し出す。練習してるのかと思いたくなるぐらいにきれいな手つきである。

 

「ありがとう」

 

 俺はマリーエンフェルトの資料に目を通した。恒星と同じ名前の惑星マリーエンフェルト以外には定住者はいない。総人口は約二〇〇万。銀河連邦時代にボーキサイトの採掘で栄えたが、帝国前期に鉱脈が枯渇した。

 

 遠征軍総司令部が作った『大規模地上戦の手引き』によると、鉱山は少し手を加えるだけで巨大地下要塞になるそうだ。イゼルローンが陥落した後、マリーエンフェルト駐留部隊は三〇個戦隊三〇〇〇隻と一四個装甲擲弾兵師団二〇万人まで増強された。装甲擲弾兵が巨大なマリーエンフェルト廃坑に立てこもり、艦艇が小天体群でゲリラ戦を展開したら厄介だ。

 

 ホーランド少将に指示を仰いだところ、「迂回せよ」と言われた。遠征軍全体の方針として、宇宙軍中心の高速機動集団は進軍に専念し、有人惑星の占領は地上軍中心の後方支援集団に任せることになっている。

 

「司令官閣下」

「副官か。どうした?」

「通信が入っております」

「誰からだ?」

「マリーエンフェルトからです。降伏を申し入れてきました」

「降伏?」

 

 俺は首を傾げた。コレット大尉の報告はいつも正確だ。ならば、俺の聞き間違えだろう。

 

「降伏です」

「三〇個戦隊と一四個師団がいるのにか?」

「通信を聞いたら事情も分かるかと」

「それもそうだ」

 

 一人で勝手に悪い想像を膨らませるのが俺の悪いところだ。コレット大尉が言うように、相手に聞いた方が早い。

 

 通信画面に現れた人物は、マリーエンフェルトの軍司令官でも知事でもなかった。「マリーエンフェルト解放戦線」なる組織の代表を名乗っていた。彼が言うには、自由の戦士がマリーエンフェルトを解放したのだそうだ。

 

 俺は返事を保留した。降伏したふりをして同盟軍を誘い込む作戦とも考えられる。上官を通して総司令部の判断を仰いだ。

 

「降伏は事実である。速やかにマリーエンフェルトに向かうように」

 

 総司令部からの返事はおそろしく簡潔だった。そういえば、アンドリューから聞いた話では、帝国の反体制派が遠征軍に呼応して立ち上がる手はずだ。総司令部はマリーエンフェルト解放戦線の蜂起をあらかじめ知っていたのかもしれない。

 

 マリーエンフェルトの宇宙港に降り立つと、群衆に取り囲まれた。帝国軍の軍服を着ている者もいれば、汚れた作業服を着ている者もいる。すさまじい熱気だ。

 

「マリーエンフェルトの皆さん! 私たちは解放軍です! 皆さんに自由と平等をもたらすためにやってきました! 今日から貴族も平民も奴隷もいなくなります! みんな同じ市民です! 皆さんは自分で領主を選ぶことができます! 一番情け深くて気前が良い人を領主にできる! それが民主主義です!」

 

 宣撫士官ラクスマン中尉は情熱のままに声を張り上げた。小さな顔は紅潮し、大きな目には感涙が浮かんでいる。弁論部仕込みの弁論術はどこかに吹き飛んでしまったかのようだ。

 

「共和主義ばんざい!」

「平等ばんざい!」

「自由惑星同盟ばんざい!」

 

 群衆は高々と銃を掲げて叫ぶ。同盟軍人は一緒に同じ叫びをあげた。小さな宇宙港に同盟語と帝国語の歓声が入り乱れる。

 

 やがて、群衆の中から一人の男性が進み出てきた。帝国地上軍の作業服を身にまとっており、軍人らしい規則的な歩調で歩く。

 

「私はマリーエンフェルト解放戦線議長のコンラート・マイスナーと申します。この惑星の住民代表です」

 

 マイスナー議長は流暢な同盟公用語で歓迎してくれた。

 

「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。小官は自由惑星同盟宇宙軍のエリヤ・フィリップス准将です。第三六機動部隊司令官を務めております」

 

 挨拶を交わしあった後、俺はマイスナー議長と一緒に車に乗り、マリーエンフェルト政庁へと向かった。

 

 マリーエンフェルトの街並みはおそろしく貧しかった。エル・ファシルの貧しさとは決定的に違う。文明自体が西暦時代まで退化したような雰囲気なのだ。宇宙船やハイテク兵器を使ってる人々がこんな街に住んでるなんて信じられない。

 

 沿道には群衆が詰めかけていた。驚くべきことに子どもや老婆まで銃を持っている。道端に停まっている装甲車両にはフェザーン製が少なくない。

 

「すごい装備ですね。あの装甲車はフェザーン治安部隊が使うフサリアでしょう?」

「支援者の方々から譲っていただきました」

 

 マイスナー議長はこともなげに答える。

 

「どうやって持ち込んだんですか?」

「すべて支援者の方々がやってくださいました」

「いい支援者をお持ちになりましたね」

 

 それ以上は何も言えなかった。帝国では武器の不法所持は政治犯罪だ。場合によっては死刑が適用される。そんな国で武器を女子供にまでばらまき、海外製の装甲車を持ち込めるのは、あの勢力以外には考えられない。

 

「我々には理想はありましたが、資金と武器がありませんでした。あの方々のおかげで立ち上がることができたのです」

 

 マイスナー議長の目には炎が宿っていた。それは同盟の共和主義者が一世紀以上前に失ったものだった。

 

 夢を見たのはマリーエンフェルトだけではない。ニヴルヘイム全域で反体制派が決起した。ある星系では民衆が領主を追放し、ある星系では軍隊が反体制派と体制派に分かれて戦い、ある星系では暴動鎮圧を命じられた軍隊が民衆側に寝返った。

 

 ニヴルヘイム総軍は同盟軍と反体制派に挟まれる形となった。しかも、すべての拠点に戦力を置いており、戦力が分散されている。

 

 同盟軍はほとんど抵抗を受けずに進軍した。リューゲン方面の第一統合軍集団と第三統合軍集団は、二日にはブレープベレーデ、五日にはイゼルローン回廊から五〇〇光年離れたリューゲンまで到達した。ヤヴァンハール方面の第二統合軍集団は五一〇光年の距離まで進んだ。一日で七〇光年も進んだことになる。敵地でこれほど早く進軍した例は他にない。

 

 マスコミが「ノンストップ・リミテッド・エクスプレス(無停止特急)」と名付けた快進撃の背景には、三つの要因があった。

 

 一つ目は反体制派の反乱。主要航路上の有人惑星が騒乱状態に陥ったことで、帝国軍の集結や再配置が困難になった。

 

 二つ目は敵の失策。帝国軍総司令官リッテンハイム元帥の死守命令により、戦力の分散を強いられた。機動戦力は貴族領を守るために使われた。ニヴルヘイム総軍が有する宇宙戦力一五万隻のうち、同盟軍迎撃に使えるのは五万隻に満たない有様だ。

 

 もっとも、敵の視点では失点といえないかもしれない。帝国は貴族の経済力と軍事力に依存している。政権を維持するには、貴族権益を擁護するポーズが必要だった。

 

 三つ目は同盟軍の優れた作戦だ。各統合軍集団は、宇宙軍中心の高速機動集団と地上軍中心の後方支援集団に分かれて戦った。高速機動集団は素早く前線を突破し、手薄な拠点だけを叩いて有力拠点を孤立させる。後方支援集団は孤立した有力拠点を制圧する。艦隊決戦ではなく電撃戦で勝敗を決しようと言うのだ。

 

 同盟軍の公式戦略「スペース・レギュレーション戦略」は、敵の分断と無力化を目指している。この戦略の基礎には、「宙域を完全支配する必要はない。必要な時に使用できる権利があれば十分だ」とするスペース・レギュレーション(宙域統制)概念がある。

 

 ダゴン会戦以来、同盟軍はトパロウル元帥の殲滅戦理論を戦略的基礎に置いてきた。長期戦では同盟軍は物量に勝る帝国軍に勝てないため、短期決戦で敵戦力を殲滅するべきだという理論だ。しかし、統合作戦本部長シトレ元帥は「殲滅戦理論は前世紀の全面戦争を前提としている。現代戦には合わない」と述べ、限定戦争に適合した理論を作った。それがスペース・レギュレーション概念であった。

 

 前の世界で読んだ『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』によると、天才ヤン・ウェンリーは全軍を高速機動集団と後方支援集団に分けたり、「宙域は必要な時だけ使えればいい」と言ったりしたそうだ。スペース・レギュレーション戦略と驚くほど似ている。エベンス代将の論文『宙域統制概念の展望』によると、ヤン中将のイゼルローン攻略作戦とシトレ元帥のドラゴニア奪還作戦は、スペース・レギュレーション概念の代表的な実践例だという。ヤン戦略はシトレ戦略の発展形なのかもしれない。

 

 開戦から一週間で同盟軍は五〇〇光年進んだ。解放区となったのは二一五星系。そのうち三二星系に定住者がおり、五〇〇〇万人から六〇〇〇万人の住民が住んでいる。前の世界の帝国領遠征軍が一か月で達成した数字と近いように思う。

 

 ニヴルヘイム総管区は一〇〇以上の有人星系と六億の人口を持つ。主要航路の半ばを制したにも関わらず、総人口の一割も抑えていない。手薄な拠点だけを狙い撃ちにしたせいだ。これらの事実から推測すると、帝国領遠征軍の戦略は前も今もそんなに変わらないらしい。焦土作戦の有無が明暗を分けた。

 

 二週間目に入っても、ノンストップ・リミテッド・エクスプレスの勢いは止まらない。三つの統合軍集団が進軍速度を競い合う。第一統合軍集団の第一一艦隊がイゼルローンから八一〇光年の地点に到達すると、第二統合軍集団の第八艦隊が八一五光年の地点を目指し、第三統合軍の第七艦隊も速度を上げると言った具合だ。

 

 迅速な進軍が帝国軍の戦意を打ち砕いた。兵士の脱走や反乱が相次いでいる。後方支援集団に包囲された部隊のほとんどは降伏を選んだ。

 

 メルカッツ上級大将の右翼軍集団とリンドラー上級大将の左翼軍集団は崩壊した。彼らの名声をもってしても抑えきれなかったのだ。しかし、宿将はさすがにしぶとい。本来の手勢と抗戦派部隊を率いて同盟軍を迎え撃った。

 

 第一統合軍集団司令官ウランフ中将と第三統合軍集団司令官ホーウッド中将は、二月七日から一四日までの一週間でメルカッツ艦隊と三度戦った。いずれも同盟軍の勝利に終わったが、二万隻に満たない戦力で五個艦隊と三連戦するのは尋常ではない。しかも、未だに一万隻以上の戦力を保持しているのだ。メルカッツ上級大将は負けを重ねることで畏怖された。

 

 ヤヴァンハール方面では、第二統合軍集団副司令官ルフェーブル中将とリンドラー艦隊が交戦した。リンドラー上級大将は三回戦って三回敗北した後に自決。戦力差を考慮すれば善戦したと言っていい。

 

 二月一六日、同盟軍はリューゲン航路とヤヴァンハール航路を完全に掌握した。フィンブルの冬は予定より一二日も早く完了したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 二月一七日、同盟軍は第二段作戦「ギャラルホルンの叫び」作戦を発動し、ミズガルズへと攻め込んだ。古代語で「中間の国」を意味するミズガルズは、ニヴルヘイムと帝国中枢宙域「アースガルズ」を結ぶ要衝であり、オーディン侵攻の足がかりとなる。

 

 第一統合軍集団と第三統合軍集団はヴィーレフェルト、第二統合軍集団はザウアーラントへと進撃した。

 

 

 

 

 

 帝国政府は報道管制を敷いた。しかし、隠せば隠すほど伝わるものだ。もはやゴールデンバウム朝は盤石ではないとの認識が広まり、食糧不足・物価高騰・失業などで溜まっていた不満に火がついた。二月下旬から三月上旬にかけて、六〇〇以上の有人星系で反政府暴動が発生し、その一割から二割が反体制派に掌握されたと見られる。帝国領の六割が騒乱状態に陥った。

 

 支配階級の中にも離反者が現れた。諸侯が帝国からの独立を宣言したり、軍司令官が任地で自立したりする事件が相次いだ。カストロプ公爵に至っては、「銀河連邦を復活させる」と言って近隣星系を侵略している。反体制派に協力する者や同盟軍に投降する者は数えきれない。

 

 この期に及んでも、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合とブラウンシュヴァイク派は和解できなかった。フェザーンのオーディン駐在弁務官ヘルツォークは、「エルウィン=ヨーゼフ帝とエリザベート帝を同格の共同皇帝とする」「官庁を分割して幹部職を倍増させることで、両陣営の高官が失職しないようにする」との妥協案を提示した。しかし、共同皇帝の役割分担などで折り合えなかったのだ。

 

 リヒテンラーデ=リッテンハイム連合は、総司令官リッテンハイム公爵率いる主力部隊をアースガルズ防衛、ローエングラム元帥の部隊をカストロプ公爵の討伐、リンダーホーフ元帥の部隊をミズガルズ防衛に差し向けた。

 

 リンダーホーフ元帥の率いる部隊は「ミズガルズ総軍」と称される。リヒテンラーデ=リッテンハイム連合軍八万隻とニヴルヘイム総軍の残存戦力四万隻からなる大軍だ。しかし、その半数以上が貴族の私兵艦隊だった。

 

 私兵艦隊は治安維持用の部隊である。数隻から数十隻単位での行動を基本としており、数百隻以上で行動する能力はない。艦艇は一世代前から二世代前の旧式艦、あるいは星系間航行能力を持たない小型艦艇だ。予算が不足しているため、訓練が行き届いていない。同盟の軍事専門家には、私兵軍を軍隊ではなく武装警察に分類する者もいる。寄り集まったところで同盟軍正規艦隊に対抗できる戦力ではない。

 

 正規軍の半数が召集された予備役だ。帝国軍は貴族を予備役将官にするために、予備役部隊を作りまくった。艦艇の質は私兵艦隊と似たり寄ったり。定数割れした二個戦隊で構成される「予備戦闘部隊」、一〇〇〇隻もいない「予備分艦隊」なんてのも珍しくない。大規模艦隊戦の経験者が多い点においては私兵艦隊に勝る。

 

 同盟軍は勝つべくして勝った。第一統合軍集団と第三統合軍集団は、リンダーホーフ元帥をジーゲンとアルプシュタットで撃破し、ノイマルクトで決定的勝利を収めた。第二統合軍集団はヴィレンシュタインで帝国兵五〇〇万人を捕虜とした。メルカッツ上級大将は孤軍奮闘したが、同盟軍の優勢を覆すには至らない。

 

 活躍しなかった部隊は一つもなかった。第一三艦隊司令官ヤン中将の奇略、第一〇艦隊副司令官モートン少将の防御、第八艦隊副司令官フルダイ少将の破壊力、第一一艦隊D分艦隊司令官ホーランド少将の突破力、第七艦隊A分艦隊司令官ヘプバーン少将の速度が特に素晴らしかった。

 

 もちろんルグランジュ中将の第一一艦隊も活躍した。攻勢においては果敢、守勢においては粘り強く、戦うたびに武勲をあげた。

 

 第一一艦隊の先鋒はホーランド少将のD分艦隊だ。砲撃をかいくぐって敵の艦列を突破する点において、D分艦隊の右に出る部隊はない。どの部隊よりも前にいるのにどの部隊よりも損害が少なかった。あまりに早すぎて敵の攻撃が当たらないのだ。前の世界ではラインハルトに酷評された芸術的艦隊運動は、この世界では大活躍した。

 

 D分艦隊を一本の槍とすると、穂先にあたるのが第三六機動部隊である。

 

「敵は浮き足立っているぞ! 全艦突撃!」

 

 俺の号令とともに旗艦アシャンティが突撃する。直属部隊のマリノ大佐やビューフォート大佐らが周囲を固め、四個戦隊が後に続く。その途端、敵艦は散り散りになって逃げ出す。

 

 すべてがうまくいっているように思えたが、その水面下では大きな問題が生じている。進撃が早すぎて補給が追いつかなくなった。

 

 後方主任参謀キャゼルヌ少将は余裕のある補給計画を立てた。フィンヴルの冬作戦が一週間早く完了しても対応できるはずだった。計画を一日ずらすだけでも想像を絶する手間がかかる。彼だからこそ一週間の余裕を作れた。それでも一〇日以上早まっては対応できない。

 

 帝国軍のゲリラ攻撃が補給難に拍車をかけた。後方警備には予備役部隊が充てられるが、進撃速度が早すぎて配備が間に合っていない。弱い帝国軍にとって補給部隊は格好の獲物だった。

 

 キャゼルヌ後方主任は「これ以上は補給に責任を持てない」と述べ、補給が充実するまで進撃を停止するよう求めた。

 

 これに反対したのが作戦参謀フォーク准将である。ラグナロック作戦の成否は速度にかかっており、多少のリスクを背負ってでも進撃を続けるべきだと主張した。

 

 後方参謀は「補給が可能かどうか」を基準に考えるため、慎重論に傾きやすい。作戦参謀は「作戦が実施できるかどうか」を基準に考えるため、積極論に傾きがちである。ありがちな構図が再現された。

 

 本国では泥沼化を懸念する声が出ている。トリューニヒト下院議長は、「泥沼化のパターンを忠実になぞっている」と述べた。レベロ財政委員長は「出兵が一日続けば一〇〇〇億ディナールが消える。戦果を材料に講和した方が良い」と提案する。反戦派五〇万人がハイネセン都心部で撤退要求のデモを行った。

 

 進軍停止の是非をめぐる首脳会議が開かれた。ロボス総司令官、グリーンヒル総参謀長、三名の総司令部主任参謀、一一名の総司令部参謀、八名の艦隊司令官、六名の地上軍司令官が一斉に回線を開いて話し合う。

 

 俺はアシャンティで待機した。マフィンが切れているため、シュークリームを食べる。周囲では部下たちがラグナロック作戦の今後について議論している。

 

 慎重論の中心はサンバーグ後方部長と後方畑出身のドールトン艦長。積極論の中心は、ラオ作戦部長と作戦参謀メッサースミス大尉。ここでも後方と作戦の対立構図があった。チュン・ウー・チェン参謀長はパンを食べるのに忙しく、イレーシュ副参謀長は腕立て伏せをしているため、議論には加わっていない。

 

 前の世界の記憶が俺の脳内によみがえる。七九六年秋、帝国領に侵攻した同盟軍は焦土作戦を食らい、一か月で全面敗北に追い込まれた。作戦の詳細は覚えてないが、あの時はニヴルヘイムの途中で止まったようだ。俺たちはアースガルズの手前まで来た。ここで焦土作戦を食らったら、とんでもないことになる。

 

「まずいぞ」

 

 俺は隣のベッカー情報部長にささやきかけた。

 

「マフィンが食べれないことがですか?」

「違う。敵の焦土作戦だ」

「まさか」

 

 元帝国軍人の情報部長はあっさりと否定する。

 

「根拠は?」

「門閥貴族はエゴイストです。自分と一族のことしか考えていません。国を守るために領地を犠牲にするなんて無理ですよ」

「これまでの戦いを見てると、そんな気もするけど……」

 

 同盟軍が連戦連勝できた理由の一つに貴族のエゴイズムがあった。敵が貴族領を放棄し、戦力を集中して戦っていたら、同盟軍はもう少し苦戦したかもしれない。

 

「焦土作戦を命じた瞬間に貴族が離反しますな。帝都でクーデターが起きるかもしれません。アースガルズには大貴族の領地がたくさんありますから」

「確かになあ」

「焦土作戦ができるとしたら、ニヴルヘイムでしょう。全国で最も貴族領の比率が低い宙域ですから」

「なるほど」

 

 俺は二つの意味で納得した。帝国軍がアースガルズで焦土作戦を実施できない理由、そして前の世界でラインハルトが焦土作戦を実施できた理由がわかったからだ。

 

「可能性がゼロではないというだけですがね。皇帝領に利権を持つ貴族はいますし、ニヴルヘイムの弱小貴族にも有力貴族の一門がいます。実際、押し切られたでしょう」

「無理と考えていいんだな」

 

 口ではそう言ったものの、内心では納得しがたい。敵には不可能を可能にする男、ラインハルト・フォン・ローエングラムがいる。何をしてくるのかわかったものではない。

 

 アンドリューの態度にも不安を覚える。ラグナロック作戦が決定した後、急に傲慢になったと噂される。ヤン中将と口論したり、指摘を受けると詭弁で逃げたり、十分な説明をせずに決定だけを押し付けたりするそうだ。ルグランジュ中将は「思い上がっているのではないか」と言うが、アンドリューはそういう奴ではない。俺の目には焦っているように見える。

 

 ラグナロック作戦の所要期間は三か月。三月末までにビフレスト要塞を攻略し、四月末までにオーディンを陥落させれば良い。これまでに帝国軍は一〇万隻以上の艦艇と一〇〇〇万人以上の地上戦闘要員を失った。数日待ったところで同盟軍の優位は揺るがない。フェザーンの調停は失敗に終わった。決着を急ぐ理由があるとしたら、三月末の上院選挙ではないだろうか。

 

 作戦が始まってから政権支持率が急上昇している。勝利もさることながら、同盟軍捕虜一〇〇万人や帝国人政治犯六〇万人が救い出されたのが大きい。選挙の前にオーディン攻略という大イベントを持ってくれば、さらに支持率が上がり、与党は圧勝するだろう。アンドリューは政治に長けたロボス総司令官の弟子だ。選挙を意識した上で戦略を立てる。あるいはロボス総司令官の意思を代弁しているだけなのかもしれない。

 

 会議の結果が全軍に通知された。遠征軍は予定通り進軍を続けるという。補給は現地調達に頼るそうだ。

 

 第一統合軍集団と第三統合軍集団はヴィーレフェルトで分かれた。第一統合軍集団は最短ルートのコーブルク航路を進み、第三統合軍集団はハイルブロン航路を進む。第二統合軍集団はヨトゥンヘイム総管区を経由してアースガルズを目指す。

 

 

 

 

 

 アースガルズでは予備役部隊一〇万隻の動員が始まった。ラインハルトはカストロプ公爵の反乱を三六時間で平定し、帰路に就いたという。すべての事象がアースガルズに収束していく。

 

 三月五日、第一統合軍集団はミズガルズとアースガルズの境界に到達した。目の前に立ち塞がるのはビフレスト要塞。北欧神話に登場する虹の橋の名を冠し、「虹の柱」と呼ばれる強力な主砲を有する。イゼルローン要塞より小さいが、ガイエスブルク要塞よりは大きい。帝都への道を守るにふさわしい威容だ。

 

 宇宙要塞そのものはさほど恐ろしくない。攻略戦術は西暦時代に確立されている。ラグナロック作戦が始まってから、同盟軍は九個の宇宙要塞を攻略した。イゼルローン要塞が難攻不落だったのは極端に狭い場所にあったせいだ。

 

 帝国では要塞を兵站基地として用いる。帝国宇宙軍は惑星沿いでの活動を想定した軍隊だ。地上基地からの兵站支援が欠かせないが、有人惑星にはテロや反乱の危険が付きまとう。その点、軍人しか住んでいない宇宙要塞は安全というわけだ。ある程度の自給自足能力を持っており、周囲の星系がことごとく反乱しても持ちこたえられる。民衆を仮想敵にしている軍隊ならではの発想といえよう。

 

 真に恐るべきは、要塞の兵站支援能力と駐留艦隊である。電撃戦を成功させるにはどちらも潰しておかないといけない。

 

 ビフレスト要塞は一万八〇〇〇隻の艦艇を収容できる。駐留兵力は艦艇五〇〇〇隻と装甲擲弾兵七万人。要塞司令官はミュンツァー伯爵、駐留艦隊司令官はバルドゥング侯爵。二人とも名臣の末裔で、断絶していた名跡を昨年末に再興したばかりだ。無視できない戦力であった。

 

 第一統合軍集団司令官ウランフ中将は、ビフレスト要塞の攻略を決意した。第五艦隊、第一一艦隊、第一三艦隊がビフレスト要塞を包囲する。最大の要塞攻防戦が始まろうとしていた。




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