銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第59話:歓喜の街 798年3月27日~4月10日 惑星オーディン~ハールバルズ市

 帝国首星オーディン陥落から一時間後の二七日九時、国防委員会はすべての軍人に国営放送を見るよう指示した。手の空いている者は大型テレビのある部屋に集まり、空いていない者は車載テレビや携帯端末を見る。

 

 第三六機動部隊旗艦「アシャンティ」の士官食堂では、士官数十人がテレビを食い入るように見つめていた。誰もがこれから始まる歴史的瞬間への期待感に胸を膨らませた。

 

 スクリーンに巨大な宮殿が映る。テロップには「新無憂宮東苑 勝利広場」と書かれている。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)は言わずと知れた銀河帝国皇帝の居城だ。

 

 新無憂宮は政務や接待の場となる東苑、皇帝一家が住む南苑、寵姫や女官が住む西苑、広大な狩猟場のある北苑の四つに分かれる。二二の大宮殿と五〇の小宮殿からなり、部屋の数は四〇万、敷地総面積は六六平方キロ、廊下の総延長は四〇〇キロに及ぶ。敷地内には宮廷人一五万人が住み、近衛兵六個旅団が駐屯し、総合病院、動物園、スタジアム、舞踏場、劇場、美術館、図書館などを有する。

 

 勝利広場の初代皇帝ルドルフ像を革命戦士数万人が引きずり倒した。全長一九九・四メートルの巨像が轟音とともに倒れた瞬間、食堂が歓声に包まれた。

 

「やったぞ!」

「ざまあみろ!」

「民主主義万歳!」

 

 すべての者が手を叩き合い、肩を抱き合い、体全体で喜びを表す。同盟人はルドルフに虐げられた人々の末裔だ。遺伝子レベルでルドルフへの憎悪がしみついているのである。

 

 革命戦士は倒れたルドルフ像に下品な悪口を浴びせ、棒でボコボコに殴り、足で蹴り回し、唾を吐きかけ、小便をかける。独裁者が侮辱されるたびに人々は盛り上がった。歓喜の涙を流す者すらいた。

 

「富を奪い返すぞ!」

 

 新無憂宮で復讐の宴が始まった。革命戦士は貴金属や宝石を懐にねじ込み、美術品や家具や電化製品を運び出し、床の高級絨毯を剥がす。価値の無いものは全て叩き壊された。

 

「これが革命です!」

 

 女性の従軍記者は興奮を隠そうとしない。その背後に黄金製の食器を両手いっぱいに抱えた革命戦士が映る。何よりも雄弁にゴールデンバウム朝の失墜を物語る光景であった。

 

 カメラが別の場所に切り替わり、貴族の邸宅が炎上する様子を映し出した。テロップには「帝都郊外 ペクニッツ子爵邸」と書かれている。

 

「ごらんください! 貴族が民衆から搾取した富の一部です!」

 

 中年の従軍記者がペクニッツ邸から持ちだされた象牙細工の山を指差す。その周囲では革命軍兵士が「革命万歳!」と叫ぶ。

 

 前の世界で得た知識によると、ペクニッツ子爵はゴールデンバウム朝最後の皇帝カザリン・ケートヘンの父親となった人物だ。ローエングラム朝では筆頭公爵として厚遇されたが、一度も公職に就かず、ひたすら趣味に没頭した。「皇室の姻戚」という肩書きだけの凡庸な貴族が、マスコミの手にかかると、ブラウンシュヴァイク公爵に匹敵する大権力者に見える。

 

 革命戦士は貴族や金持ちの邸宅、公共機関、特権企業、文化施設を襲撃し、略奪をほしいままにした。特権階級に奪われた富を自らの手で奪い返したのだ。

 

 街角に設置されたルドルフの銅像には、監視カメラが仕込まれており、権威の象徴であると同時に国民監視体制の象徴だった。これらの銅像はことごとく壊された。

 

 帝国では全ての世帯にルドルフと現皇帝の肖像画が配布される。これらの肖像画は皇帝の分身ということになっており、こまめに手入れをしなければならない。数か月に一度、社会秩序維持局が抜き打ちチェックを行い、少しでも汚れが見つかったら不敬罪になるのだ。これらの肖像画はすべて焼き捨てられた。

 

 革命戦士と同盟軍人が抱きしめ合って勝利を喜び合う姿、花束を持って同盟軍を歓迎する帝国人の姿は、食堂にいる者すべてを感動させた。

 

 同盟市民一三〇億人は勝利に酔いしれた。あらゆる党派にとってオーディン陥落は喜ぶべき勝利であった。主戦派は自由惑星同盟の一強時代がやってきたと喜び、反戦派は平和と軍縮の時代がやってきたと喜んだ。保守派は改革の必要がなくなったと喜び、改革派は本腰を入れて改革する好機だと喜んだ。富裕層は大減税に期待し、貧困層は福祉予算の増額に期待した。

 

 テレビ局は二四時間体制でオーディン攻略特番を組み、新聞や雑誌の紙面はオーディン攻略の記事一色となり、黄金時代の到来を祝う。

 

 人々が喜んでいる間、軍人はアースガルズを駆けまわった。オーディンに通じる八航路のうち、同盟軍の制圧下にあるのは三航路に過ぎない。第一一艦隊がヴァルハラを守り、第五艦隊と第一三艦隊がアルフヘイム方面航路の制圧、第七艦隊と第一〇艦隊がヴァナヘイム方面航路の制圧、第三艦隊と第八艦隊がヨトゥンヘイム方面航路の制圧、第九艦隊が分艦隊単位に分かれてその他の航路の制圧にあたる。

 

 同盟軍の行くところ、敵部隊は一つ残らず降伏した。遠方から降伏を申し入れる部隊もあった。外は同盟軍に攻められ、内では反体制派が蜂起し、援軍も見込めない。そんな状況ではどうしようもなかったのだ。帝都陥落から四八時間で、フレイヤ星系など一〇星系を除くアースガルズ全域が解放された。

 

 三月二九日の上院選挙では、与党の国民平和会議(NPC)と進歩党が改選議席の七割を獲得する圧勝を収めた。投票二日前のオーディン攻略が決め手となった。

 

 最も議席を伸ばしたのはNPC主流派だ。オッタヴィアーニ元最高評議会議長、ネドベド国防委員長、ウィンザー法秩序委員長などラグナロック作戦の推進者が属している。ロボス元帥との親密な関係は誰もが知るところだ。こうしたことから、どの党派よりも勝利の恩恵を受けた。

 

 最も議席を減らしたのはNPCトリューニヒト派だ。改選される上院議員一四名のうち、一一名が落選した。その中には派閥最高幹部のウォルター・アイランズ議員も含まれる。NPCからの公認が得られなかったこと、主戦派の票が遠征支持のNPC主流派と統一正義党に流れたこと、ラグナロック作戦への批判票が反戦市民連合に流れたことが敗因だった。なお、アイランズ議員は次の選挙に出馬しない意向を示し、一八年の議員生活に幕を閉じた。

 

 上院選挙の翌日、遠征軍総司令官ラザール・ロボス元帥は、宇宙軍元帥から同盟総軍元帥に昇進した。同盟軍が創設されて以来、宇宙軍元帥は八六名、地上軍元帥は三五名にのぼる。一方、同盟総軍元帥になった者は、ダゴンで勝利したリン・パオ元帥とユースフ・トパロウル元帥の二名しかいない。

 

 それでも、市民はロボス元帥の功績が十分に報われていないと感じた。帝国軍を撃退しただけのリン元帥やトパロウル元帥と、帝都を攻略したロボス元帥では格が違うというのだ。特別な地位を与えるべきだとの声が高まっている。

 

 作戦参謀アンドリュー・フォーク准将はラグナロック作戦を実現させ、積極的な作戦指導で帝都攻略を成功に導いた。ロボス元帥に次ぐ功労者は、同盟軍史上最年少となる二七歳一一か月での少将昇進を果たした。

 

 最大の功労者二名の人事はすんなり決まった。だが、その他の人事が難しい。この二か月で同盟軍は二〇年分の勝利をあげた。従来の基準に照らすと、四万人が自由戦士勲章を受章し、八〇〇万人が昇進する計算になる。現実問題としてそんな人事は不可能だ。各階級の定員は人件費との兼ね合いで決まるため、むやみに昇進させるわけにはいかない。一度に何万個も自由戦士勲章を授けたら、最高勲章としての価値がなくなる。

 

 勝ちすぎて与えられる恩賞が少ないなんて、傍から見れば贅沢な悩みだろう。しかし、軍にとっては死活問題だ。働きのわりに恩賞が少なかったら、将兵がやる気をなくしかねない。

 

「人事なんか気にしてる暇もないけどな」

 

 俺は新聞のページをめくった。エルウィン=ヨーゼフ帝や帝国宰相リヒテンラーデ公爵の行方に関する記事が載っている。さまざまな推測がなされていたものの、結論は「わからない」だ。

 

 オーディンは陥落したというより放棄されたのではないか? 遠征軍の一部にはそんな意見があった。同盟軍が降下した時、数百万の大軍は姿を消していた。革命軍が新無憂宮に踏み込んだ時、皇帝や廷臣はどこにもいなかった。中央官庁や軍中枢機関のデータは完全に消えていた。

 

「まんまと逃げられましたね」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長が食べかけの食パンをポケットに押し込む。

 

「さすがはローエングラム元帥だ。転んでもただじゃ起きない」

「常勝提督が出たと聞けば、誰でも本気で帝都を守るつもりだと思うでしょう。うまい目くらましでした」

「逃げるつもりだとわかってたら、ヨトゥンヘイム方面を封鎖したのにな」

「ローエングラム元帥と皇帝が別々に逃げた可能性もありますよ」

「ああ、そうか。レンテンベルクにはリッテンハイム公爵がいる」

 

 ヴァルハラ会戦に参加しなかった帝国正規軍四万隻のうち、リッテンハイム公爵の二万隻の行方はすぐにわかった。レンテンベルク要塞で守りを固めていたのだ。

 

「レンテンベルクで皇帝を迎える準備をしていたのかもしれませんね」

「だとすると、アルフヘイム方面を封鎖した方が良かったか」

「どうでしょう? レンテンベルクのリッテンハイム公爵が囮で、皇帝はローエングラム元帥と一緒に逃げるなんてことも考えられます」

「何を言っても後知恵になるね。二方面を同時に封鎖する兵力なんて、同盟軍にはなかったし」

「そこまで敵は読んでいたんでしょう」

「大した敵だよ」

 

 俺は苦笑いした。誰の策略かは知らないが、ここまで周到に仕掛けられてはどうしようもない。

 

「当分の間、宇宙は動きません。動けないといった方が正解でしょうか」

 

 リッテンハイム公爵、ブラウンシュヴァイク公爵、ラインハルトはヴァルハラ会戦で疲弊した。帝国側に残された六総管区では、帝国軍と反体制派が激戦を繰り広げる。どの陣営も足元を固めるまでは動けないだろう。

 

 同盟軍はアースガルズを平定したところで停止した。オーディンを攻略する時期が一か月も早まったため、予備役の動員が間に合っていない。当面は正規艦隊と地上軍が解放区警備を担当する。

 

「しばらくは地上に専念しようか」

 

 俺は司令室のスクリーンを見た。衛星軌道上に展開する艦艇の群が映る。これから第一一艦隊はオーディンに降下するのだ。

 

 

 

 第三六機動部隊が駐留するハールバルズ市は、オーディン西大陸北部の港湾都市だ。人口は二〇三万人。造船業や水運業が発達している。銀河連邦時代からの軍港でもあり、先月までは北ミーミル海水上艦隊、第一九水上航空団、ハールバルズ水上軍術科学校などが配置されていた。典型的な古都である。

 

「ハールバルズ革命軍の皆さん! 私たちは皆さんを援助するためにやってきました! 共に戦いましょう!」

 

 宣撫士官ラクスマン中尉は情熱的に語りかけた。

 

「共和主義万歳!」

「平等万歳!」

「自由惑星同盟万歳!」

 

 群衆は拍手と歓呼をもって応える。銃を持っていない者は一人もいない。ハールバルズの街すべてが革命戦士になったかのようだ。

 

「民主主義の勝利です」

 

 作戦参謀メッサースミス大尉が満足そうに笑う。

 

「喜ぶのはまだ早いよ。しくじったら、あの銃口がすべてこちらに向けられるんだからね」

 

 俺はやんわりと釘を刺す。

 

「そんなものですか」

 

 メッサースミス大尉は納得いかないらしい。大多数の同盟市民と同じように、民主主義の優越を信じているからだろう。

 

 俺は幕僚と陸戦隊一個小隊を連れて、革命戦士が占拠するハールバルズ市政庁ビルに入った。壁は焼け焦げており、割れていない窓ガラスは一つもなく、ドアはことごとく壊されていた。どの部屋も当然のように空っぽだ。

 

 パーカーやジャージをだらしなく着崩した男が大勢たむろしている。こちらをジロジロと見る者もいれば、何かを漁っているような者もおり、とても感じが悪い。味方だとわかっていても引いてしまう。

 

「おう! そこのでっけえ姉ちゃん! 背とおっぱいがでっけえ姉ちゃん! 一緒に遊ぼうや!」

 

 下品な野次に部下が反応した。イレーシュ副参謀長は殺気を込めて睨み、コレット大尉は不安そうに体をすくめ、ドールトン艦長はへらへら笑いながら手を振る。

 

 俺はチュン・ウー・チェン参謀長、イレーシュ副参謀長、コレット大尉、メッサースミス大尉だけを連れて市長室へと入った。

 

「我々がハールバルズ革命軍の代表です」

 

 五人の男性が帝国式の敬礼をする。みんな上質のスーツをスマートに着こなしていた。見るからにエリートといった感じで、ガラの悪い革命戦士とは毛色が違う。

 

「あなたが解放軍の司令官でしょうか?」

 

 薄毛の中年男性が声をかけたのは、俺でもなければ、最年長者のチュン・ウー・チェン参謀長や威厳たっぷりのイレーシュ副参謀長でもなく、メッサースミス大尉だった。

 

「いえ、違います。司令官はこの方です」

 

 メッサースミス大尉が俺を指す。

 

「こ、この方がですか……」

 

 薄毛の中年男性が唖然とした顔になった。他の四人は小声でぼそぼそと話し合う。「新兵」「従卒」といった単語が聞こえたような気もするが、気のせいだろう。

 

「同盟宇宙軍准将エリヤ・フィリップスです」

 

 よそ行きの笑顔で敬礼した。

 

「私はマックス・アイヒンガーと申します。大学で教育学を教えております」

 

 髪の薄い中年男性が自己紹介をすると、他の者もそれに続く。スマートな壮年男性は弁護士のカール・ノイベルク、黒縁メガネの小柄な中年男性は内科医のリヒャルト・キッテル、目付きが悪い中年男性は建築家のエゴン・ホドラー、中性的で美しい青年男性は新聞記者のマティアス・ハルシュタインと名乗った。革命戦士にはリーダーがいないため、インテリの彼らが交渉役になったらしい。

 

「ごらんください。我々が作ったオーディン民主化計画です」

 

 アイヒンガー氏が分厚いノートを差し出す。

 

「これは……」

 

 俺は絶句した。序言に「民主共和政治とは何か? それは能力ある者による善政である」と記されていたのだ。民主主義を全然理解していないと自白したに等しい。

 

 次のページを開いた途端、「優等人種と劣等人種の定義を改める。今後は努力した者が優等人種だ」という一文が目に入り、ノートを閉じたい衝動に駆られた。しかし、代表たちの面子を潰すわけにはいかない。不快感をこらえつつ読み進める。

 

「肌の黄色い者と黒い者は怠け者だ。劣等人種だ」

「高校を出なかった者は怠け者だ。劣等人種だ」

「門閥貴族の血は怠け者の血だ。四親等以内は劣等人種だ」

「同性愛者は遺伝病だ。四親等以内は劣等人種だ」

「優等人種を平民、劣等人種を奴隷とする」

「身分制は完全に廃止する。奴隷でない者はすべて平等だ」

「貴族は財産を没収して奴隷にする」

「無能な役人は財産を没収して奴隷にする」

「薄めたビールを売った酒屋は無能者だ。財産を没収して奴隷にする」

「貴族と無能者から没収した財産は、有能な者に分け与える」

「平民を苦しめた貴族と役人は死刑」

「すべての公職を一五歳以上の優等人種男性による完全自由選挙で選ぶ」

「ルドルフの銅像をすべて撤去し、代わりにハイネセンの銅像を建てる」

「すべての家庭にハイネセンの肖像画とハイネセン語録を常備させる」

「新無憂宮を革命記念館にしよう」

 

 分厚いノートはルドルフ的な選民意識で埋め尽くされていた。アイヒンガー氏がメッサースミス大尉に声をかけた本当の理由がわかり、心底から気分が悪くなった。

 

 普通に考えたら、チュン・ウー・チェン参謀長かイレーシュ副参謀長のどちらかが司令官に見えるはずだ。若いが百戦錬磨の雰囲気が漂うコレット大尉でもおかしくない。しかし、アイヒンガー氏のルドルフ的な価値観では、肌が黄色いチュン・ウー・チェン参謀長は劣等人種であり、女性であるイレーシュ副参謀長やコレット大尉は男性より劣る。ゲルマン的風貌を持つメッサースミス大尉が一番偉く見えたのではないか。

 

「どうです?」

 

 アイヒンガー氏と他の四人が期待の眼差しを向けてくる。

 

「なかなか刺激的な内容でした」

 

 俺はポケットからハンカチを取り出し、出てもいない汗を拭く。

 

「そうでしょう! 帝国広しといえども民主主義を理解しているのは我々だけです!」

 

 アイヒンガー氏が胸を張る。それと同時に外から「革命万歳! 民主主義万歳!」の叫び声が聞こえた。

 

「今の叫びを聞きましたか? ハールバルズの民衆は民主主義を望んでいます! 今すぐ選挙をしましょう!」

「もう少し待ってください。選挙には準備が必要ですので」

「住民を集めて投票するだけではないですか。二時間もあれば終わるのでは」

「そんなに簡単にはいきません。まずは――」

 

 俺は選挙を実施する際の手続きを説明した。選挙関連法規の整備、選挙管理機関の設立、有権者名簿の作成、選挙区割りなどを行う。それから投票日を決めて候補者を募る。公示から数週間を選挙運動に費やす。投票は最後の最後に行うものなのだ。

 

「オーディンの場合はさらに手間がかかります。憲法を作るところから始めないといけません。誰が有権者なのか? 議会にはどんな権限があるのか? 議員とはどんな地位なのか? 行政府の長をどうやって選ぶのか? そういったことを憲法で定義するのです」

 

 話が進むにつれて代表たちはどんどんしおれていく。再び外から「革命万歳! 民主主義万歳!」と叫ぶ声がする。

 

 彼らは民主主義をなんだと思っているのだろうか? 貴族支配へのアンチテーゼでしかないのだろうか? 帝国では五世紀以上もルドルフ主義教育が続いてきた。民主主義が曲解されるのは仕方ないのかもしれない。人権というものが存在しなかった国で、人種差別、女性差別、奴隷制が前提になるのは仕方ないのかもしれない。しかし……。

 

 違和感を振り払った。目の前の相手は違う価値観の中で生きてきた。理解できないのは当たり前ではないか。今は理解できなくともこれから理解すればいい。俺はあのドーソン中将と付き合ってきた。彼らともきっと付き合える。

 

「民主主義建設の道は始まったばかりです。一緒に作っていきましょう」

 

 俺は精一杯の笑顔を作り、五人と固く握手を交わす。

 

「よろしくお願いします!」

 

 五人の目はきらきらと輝いていた。同盟市民がとっくの昔に失った民主主義への情熱が彼らの中にはあった。

 

 ハールバルズ市政庁を出た時、部下たちは失望のどん底にあった。選民意識が貴族の占有物でないと知らされたからだ。

 

「この国の共和主義者ってあの程度なんですかね」

 

 メッサースミス大尉がうんざりした顔で言った。

 

「仕方ないだろう。ずっとルドルフ主義でやってきたんだから」

「あんな目で見られてると思うと、不快でたまりません」

「君の気持ちはわかる。とても良くわかる。わかるけどな」

 

 若い部下ではなくて自分自身に言い聞かせる。

 

「彼らはルドルフ主義でやってきた。ああいう価値観しか知らないんだ。ある意味ではルドルフの被害者だ。幸いにも彼らは民主主義に興味を持ってくれた。いずれ人権や平等の概念を理解する時も来る。無知を嘆くよりは熱意を大切にしたい」

 

 俺が口にしたのはきれいごとだった。しかし、無知な俺を見捨てなかった人のおかげで今日がある。ならば、俺も同じようにするのが筋だ。

 

「グリーンヒル閣下がおっしゃったことを思い出しました。『短所を嘆くよりは長所を大切にした方がいい。一〇人に一人でも立派になってくれたら十分だ』と」

「そういう人なのか。知らなかった」

「自分も長い目で付き合うことにします。グリーンヒル閣下でもそうなさるでしょうから」

「お互い頑張ろうな」

「はい!」

 

 メッサースミス大尉が勢いよく返事をする。グリーンヒル大将が彼を俺のところによこしてくれた理由が、少しだけ理解できたような気がした。

 

 傍らではコレット大尉がメモをとっていた。俺の言葉を記録してるのだろう。見た目は色っぽいお姉さんといった感じなのに、性格は子供のように素直だ。あまりに素直すぎて怖くなることもある。

 

「熱意があるだけ良しとするか」

 

 誰にも聞こえないように呟く。コレット大尉は少し変だけどいい副官になった。あの五人もいい民主主義者になるかもしれない。人を見捨てないのが俺の流儀なのだ。

 

 俺たちは数台の歩兵戦闘車に分乗すると、ハールバルズの視察に出掛けた。任務に取り掛かる前に自分の目で見ておきたい。

 

 ハールバルズの中心街は、古いというより貧相といった方が適切だろう。薄汚れたビルが立ち並び、西暦時代からタイムスリップしてきたような車が走り、地味で古臭い服を着た人々が歩く。宇宙暦七九〇年代末の二〇〇万都市には見えなかった。

 

「懐かしいなあ。故郷を思い出すよ」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長は心の底から懐かしそうだ。ちなみに彼の故郷というのは、「水田と山しかない田舎」だそうだ。

 

「それにしても、勲章つけてる年寄りがやけに多いな。どういうことだ」

 

 俺はきょろきょろとあたりを見回す。同盟の市街地と比べると、老人が通行人に占める割合は恐ろしく低い。数少ない老人はみんな勲章を着用している。

 

「不思議ですね」

「参謀長にもわからないか」

「見当がつきません」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長以外の部下にも聞いてみたが、誰も理由を知らなかった。

 

「情報部長に聞くか」

 

 俺は携帯端末を取り出し、司令部で留守番中のベッカー情報部長に質問する。

 

「あれはお守りですよ」

「お守り?」

「ええ、帝国では老人は役立たずとして差別されます。いきなり殴られても文句は言えません。だから、勲章をつけて国家の功労者だとアピールするんです」

「そんな話、初めて聞いたぞ」

「私ら帝国人にとっては常識中の常識ですからね。あえて話すことでもありません」

「なるほどなあ」

 

 当たり前すぎて話す価値もない。そう思えるほどにルドルフ流の適者生存思想が帝国社会に浸透しているということか。

 

「亡命して間もない頃は、老人や障害者が堂々と歩いてるのに驚いたもんです。慣れるまで結構かかりました」

「障害者も殴られるのか?」

「ルドルフ大帝以来、『支配者に奉仕できない者は人間じゃない』というのが国是ですので」

「ひどい話だな」

「あなた方はブラウンシュヴァイクの件で仰天してますがね。あれは同盟で言うと、せいぜいドゥネーヴあたりのポジションですよ」

 

 ベッカー情報部長が例えに出したドゥネーヴ議員は、同盟政界では「中道右派の中の一番右」に位置する。つまりブラウンシュヴァイク公爵は帝国人から見ると極右ではない。

 

 それにしても、帝国基準でトリューニヒト議長や統一正義党のポジションにいる連中は、どれだけ狂ってるのだろうか? 想像したくもなかった。

 

 郊外に出ると、コンクリートの棺桶のような集合住宅、小屋のような一戸建てが目に付いた。どの建物も古くて薄汚れている。道路にはひびが入り、街路樹は枯れ果て、信号柱や街灯柱は錆びていた。環境整備に金を掛けていないのは一目瞭然だ。

 

「スラムじゃないですよね……?」

 

 コレット大尉が困ったような顔であたりを見回す。

 

「中流階級専用地区だってさ」

 

 俺はパンフレットを見ながら答える。同盟人の基準ではスラム以外の何物でもないのだが、パンフレットに「中流階級専用地区」と書いてある以上はそうなのだろう。

 

 貧困層の居住区は街全体が廃墟のようだ。道路の両側には崩れかけた廃ビルが軒を連ねる。空き地には掘っ立て小屋がひしめく。一面にすえた臭いが漂い、道端にはゴミが散らばり、汚水溜まりがあちこちに散在する。

 

「…………」

 

 全員が無言で顔を見合わせた。俺は前の世界で過ごしたゼンラナウ矯正区を思い出したが、もちろん口には出さない。

 

 ハールバルズ天然ガス発電所は古いなんてものではなかった。あまりに古すぎて運転開始日がわからないのだ。宇宙暦一一五年から宇宙暦一五〇年の間と言われるが、いずれにせよ銀河連邦中期に運転開始したのだけは確かだ。

 

「これ、うちの国だったら文化遺産だよねえ」

 

 イレーシュ副参謀長は完全に引いている。

 

「私たちが通ってきた高速道路は、『ジギスムント一世恩賜地上車道』って名前だ」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長が追い打ちをかけると、イレーシュ副参謀長は呆れ顔になった。

 

「ジギスムント一世って言ったら四世紀前の皇帝じゃん」

「皇帝陛下はインフラの更新に興味が無いのさ」

「うちの国が『インフラが劣化してる』なんて言ったら、バチが当たるね」

 

 ハールバルズにはそもそも現代的なインフラが存在しなかった。民生は軽視されているのではなく無視されている。帝国が同盟の一・二倍の経済力で、二倍の軍隊と二・五倍の警察を維持できる理由がよくわかった。

 

 貴族や富裕平民が住む地区は混乱していた。革命戦士が豪邸から金目の物を運び出し、車の荷台に積み上げる。火を放たれた豪邸も少なくない。やたらと広い歩道では、革命戦士が身なりの良い男女を取り囲み、殴る蹴るの暴行を加えたり、持ち物を脅し取ったり、土下座を強要したりする光景が見られた。

 

「恨まれてもしょうがないよねえ。庶民に貧乏させといて、自分たちだけはでっかい家に住んでるんだからさ」

 

 イレーシュ副参謀長はやりきれない表情でため息をつく。

 

「因果応報です」

 

 温厚なチュン・ウー・チェン参謀長ですら、革命戦士の略奪や暴行を批判しない。

 

「ほっといていいな。上からは介入しないように言われてるし」

 

 俺は上からの指示を強調する。リンチは好きじゃないが、解放軍としての立場を優先した。同盟軍は被支配階級を解放するためにやってきた。奪われた者が奪い返すための戦いを妨げるわけにはいかないのだ。

 

 オーディンの各都市で革命戦士が支配階級を襲い、略奪の限りを尽くした。同盟市民は拍手喝采を送り、総司令部は「復讐は彼らに与えられた正当な権利だ。妨げてはならない」と通達した。

 

 ラグナロック作戦が始まって以降、同盟市民は帝国統治の実態を知った。帝国領の極端な貧富格差、制度化された人権侵害、遅れた文化水準は同じ宇宙と思えないほどだった。

 

 特に人々を驚かせたのが非ゲルマン系住民が住む自治領の実態だ。数ある自治領レポートの中でも、保守系新聞「リパブリック・ポスト」紙のメッカーン自治領に関する記事が大きな反響を生んだ。

 

 メッカーン自治領は砂漠惑星メッカーンにある。国土の大部分を砂漠が占め、黄色い肌を持つ一〇〇〇万人の住民は集狭いオアシスに住んでいる。帝国暦三八年に発足した時は、二億人が三〇以上のオアシスに住んでいた。しかし、地下水の枯渇によってオアシスが次々と消滅し、飢えや疫病や内戦で人口が激減した。四世紀の間に減った人口は一億九〇〇〇万人にのぼる。

 

 住民の貧しさは想像を絶する水準だ。唯一の産業は鉱山惑星や農業惑星への出稼ぎ。住民の九割以上が一日二帝国マルク以下のお金で暮らす、飢餓と疫病は年中行事であり、一〇年に一度は水争いが内戦に発展する。医師が極端に少なく、薬を買う金もないため、病気にかかった人は呪術師の祈祷に頼る。住民の平均身長は同盟人より一〇センチほど低い。平均寿命は四〇年前後だ。自治領では義務教育制度が存在せず、読み書きできる者は一〇人に一人しかいない。

 

 星都リーベンヴェルダは、俺が前の世界で収容されたゼンラナウ矯正区をほうふつとさせる。道端にはゴミや糞尿が山を作り、水は井戸から運び、電気は個人レベルで所有する年代物の発電機で調達する。

 

 この記事によると、メッカーンは平均的な自治領だそうだ。さらに自然環境の厳しい自治領、さらに貧しい自治領、さらに治安の悪い自治領がいくらでもあるらしい。

 

 銀河連邦がルドルフに簒奪された時、銀河には三〇〇〇億人が住んでいた。その半数が姓が名の前に来ることと黄色い肌が特徴的なイースタン系だった。ゲルマン系人口はほんの三〇億人に過ぎなかった。

 

 帝国暦九年、ルドルフは「人類を繁栄させるには、劣った遺伝子を排除しなければならない」と言って、劣等遺伝子排除法を制定する。当初は先天的障害者や遺伝病患者が対象であったが、次第に対象が拡大していった。

 

 健康な国民の中で、ゲルマン系の特徴を色濃く持つ者が「優等人種」、そうでない者が「劣等人種」とされた。具体的には、ゲルマン系コーカソイドらしい特徴を持つ者はゲルマン系認定を受け、優等人種となった。そして、モンゴロイド・ネグロイド・非ゲルマン系コーカソイドらしい特徴を持つ者が、劣等人種のレッテルを貼られたのである。

 

 劣等人種のうち、奴隷に落とされなかった者は平民となり、自治を認められた。表向きはルドルフが非ゲルマン系に譲歩し、ゲルマン系居住区より広汎な自治権を認めた形だ。しかし、実際には自治権以外の何物も与えられなかった。自治領民は食料を自給できない惑星に押し込められ、交易や移住を厳しく制限され、「自治だから」との理由で財政支援の対象から外される。自治領経済はあっという間に破綻し、飢餓と疫病と内戦が自治領を覆い尽した。

 

 五世紀近い年月の間に、ゲルマン系は三〇億から一二〇億まで増え、非ゲルマン系は二九七〇億から一二〇億まで減った。混乱に紛れて自立した外縁星系の住民、同盟に亡命した者を差し引いても、二八〇〇億から二九〇〇億の非ゲルマン系が死んだことになる。

 

 こうした悲劇を同盟市民は知識として知っていた。対帝国戦争初期、同盟軍はたびたび帝国本土に攻め込み、自治領民数十億人を「亡命」の名目で連れ帰ったという歴史もある。しかし、文字と映像では説得力が格段に違う。

 

 もはや身分制は存在自体が罪悪だった。同盟市民と帝国反体制派は、身分制を完全撤廃するよう求めた。

 

 解放区民主化支援機構(LDSO)のロブ・コーマック代表は、「三つの民主化」という方針を掲げた。すなわち、政治の民主化・経済の民主化・行政の民主化である。そして、経済の民主化を最優先した。

 

「健全な経済なくして健全な政治は成り立たない。不健全な経済とは特権階級が支配する不公平な経済であり、健全な経済とは自由で平等な経済だ。貧困から解放された時こそ、解放区が真の意味で解放区となるだろう」

 

 身分制こそが貧困の根本要因だと、コーマック代表は考えた。貴族は政治的支配者であると同時に、経済的支配者でもある。平民は貴族が経営する企業で給料をもらい、貴族が経営する店で物を買い、貴族が経営する銀行に金を預け、貴族が所有する借家に住む。これでは逆らいたくても逆らえない。

 

 全銀河亡命者会議のカラム・ラシュワン代表は、「被支配階級の声を聞け。被支配階級に寄り添え。支配階級から奪い、被支配階級に与えよ」と説く。前の世界でラインハルトが実施した解放政策に通じる理論だ。

 

 亡命貴族や亡命知識人からなるLDSO顧問団は、コーマック代表やラシュワン代表の方針を批判した。「支配階級の経済力と武力は必要だ。既得権を認めて取り込むべきだ」と彼らは言う。

 

 これに対し、ラシュワン代表は「支配階級は二パーセント、被支配階級は九八パーセントだ。耕すのは九八パーセントだ。武器を取るのは九八パーセントだ。二パーセントは座って命令するだけだ。本当に経済力と武力を持っているのは誰か? 九八パーセントだ」と応じる。

 

 LDSO顧問団が「貴族や高級軍人が降伏しなくなるぞ」と言うと、ラシュワン代表は「戦うのは兵士だ。兵士なき貴族は無力だ」と返す。

 

 両者の違いを生んだのは出自の違いだろう。LDSO顧問団のメンバーは支配階級に属する。平民であっても、政府高官や企業幹部を輩出する「フォンが付かない貴族」の生まれだ。ラシュワン代表は亡命知識人としては珍しい奴隷出身者で、亡命後に学問を習得した苦労人である。

 

 論争と言うにはあまりにも一方的だった。コーマック代表には最終決定権と政府首脳の支持、ラシュワン代表には大衆人気があり、LDSO顧問団には助言権以外に何もなかったからだ。

 

 四月八日、コーマック代表はLDSO布告第一号「平等に関する布告」を発布し、劣性遺伝子排除法、帝国臣民身分法など差別を規定する帝国法をすべて無効とした。解放区住民の権利は同盟憲章及び同盟法によって保障される。貴族と平民と奴隷、男性と女性、健常者と障害者、異性愛者と同性愛者、ゲルマン系と非ゲルマン系は平等になったのだ。

 

 四月九日、LDSO布告第二号「反民主的組織に関する布告」により、「反民主的組織」に認定された帝国宇宙軍、帝国地上軍、帝国警察、内務省社会秩序維持局、国務省教育局、帝国防衛委員会、オーディン教団など五九組織に解散命令を出した。

 

 四月一〇日、LDSO布告第三号「民衆弾圧者に関する布告」により、貴族、反民主的組織の幹部職員、その他の民衆弾圧者が公職から追放された。

 

 これらの布告は実質的には解放区の中でしか通用しない。しかし、解放区の外を揺さぶる効果は大きいだろう。連戦連勝の同盟軍が「貴族に従う必要はない」と宣言したのだから。

 

 今後は改革を実務レベルでどれだけ進められるかが問題だ。多くの論者が「平民は同盟を疑っている」と指摘する。解放区住民の大半は消極的な同盟軍支持者である。積極的支持に踏み切れないのは、同盟軍が本当に解放者なのかどうかを計りかねてるからだと言われる。

 

「革命万歳!」

 

 司令部の外からそんな叫びが聞こえた。窓ガラスの向こう側では、ダボッとしたジャージやフード付きパーカーを着た革命戦士数十人が大通りをのし歩く。平民の時代が到来したことを告げる光景だった。




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