銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第62話:人を使い心を握る 798年9月~11月27日 ヴァナヘイム~惑星ヘルクスハイマー

 七九七年九月、本国からの増援が前線に到達した。艦艇二五万隻、将兵六〇〇〇万人まで膨れ上がった同盟軍の再攻勢が始まった。

 

 艦隊戦力で劣る帝国軍は会戦を徹底的に避けた。主要航路と有人星系の艦隊基地を無人星系に移すことで、会戦を強要されないように仕向ける。数十隻から数百隻の小艦隊による一撃離脱戦法を採用し、輸送船団の襲撃、惑星間ミサイルによる地上攻撃などを行う。戦力が少ない上に、主要航路や有人星系から離れた場所に拠点を構えており、簡単には捕捉できない。

 

 同盟軍は輸送船団の護衛戦力を増強すると同時に、小兵力のパトロール部隊をばらまいた。ある部隊が敵を発見すると、周囲の部隊が集まって袋叩きにする。対海賊戦術と同じ要領だ。一〇〇〇隻単位での戦いはほとんどなくなり、数十隻単位から数百隻単位の小戦闘が続発した。

 

 宇宙戦が小規模化するのに対し、地上戦は大規模になっていった。一般には宇宙軍が主で地上軍が従と言われるが、本来は地上軍が主だ。帝国軍は地上戦に自信があったし、同盟軍は地上を制圧して無人星系の宇宙軍を孤立させようと考えた。かくして陸と海と空のあらゆる場所が戦場となった。九月から一〇月の間に同盟軍地上部隊が被った損失は、戦死者・行方不明者二〇万人、戦傷者八〇万人にのぼる。

 

 一〇月に入ると、同盟軍の攻勢は再び停滞した。航路警備や地上戦に戦力を割いたために、前進できる余裕がなくなったのだ。

 

 俺は一つの有人星系を含む一二星系を制圧し、敵の小規模基地一五か所と中規模基地六か所を破壊したが、ダッケンハイム星系で戦力不足に陥った。ウランフ中将が第一統合軍集団の全部隊に攻勢中止を命じたため、カルシュタット星系まで退いた。

 

 攻勢中止命令の翌日、俺はカルシュタット星系警備隊司令官及びフラインスハイム星域軍前方展開司令官の辞令を受け取った。フラインスハイム星域軍とは、ホーランド少将が率いる軍級統合部隊である。俺はその最前衛を担うことになったのだ。

 

 カルシュタット第五惑星ヘルクスハイマーに、星系警備隊及び前方展開部隊の司令部が設置された。この惑星はカルシュタット星系唯一の有人惑星であり、一三〇〇万人が住んでいる。先月までは帝国領カルシュタット星系の首星だった。気候は温暖、水と植物資源に恵まれており、俺が生まれ育った惑星パラスを思い起こさせる。

 

 一〇月下旬、司令部で警備隊幹部会議が開かれた。管轄区域全体に散らばった幹部が一同に会するのは難しいので、テレビを通して参加する。今日の議題はテロ対策だ。

 

 解放区全域で同盟軍に対するテロが激化した。路上に仕掛けられた爆弾は、補給路に効果的な打撃を与えた。航空機やヘリコプターを狙ったミサイル攻撃、軍の車列に対する待ち伏せなどは、テロというより軍事作戦だ。九月中にテロの犠牲となった同盟軍人は二〇〇〇人を超えた。

 

 秋になってからは、同盟軍人以外も狙われている。解放区民主化支援機構(LDSO)職員、民間企業社員、ジャーナリスト、NGO職員など解放区で活動する同盟人は、誘拐や殺害の対象となった。LDSO事務所や同盟企業の支店を狙った爆弾テロが相次いだ。

 

 テロリストは現地人を容赦なく襲う。現地人臨時政府の幹部や職員が殺された。行政機関、警察署、病院、電力施設、水道施設、交通施設が次々と爆破された。武装集団が自治領から移住してきた非ゲルマン系の居住区を襲った。こうしたテロは民衆を巻き添えにすることが多い。一か月で三万人近い犠牲者を出した。

 

 ヘルクスハイマーのテロは、民間人や現地人を狙った無差別テロが中心だ。軍人を狙ったテロにしても、待ち伏せやミサイル攻撃はほとんど無く、軍人が利用する民間施設を民衆もろとも爆破するケースが多い。

 

 帝都陥落から半年が過ぎ、兵士は戦う意味を見失いつつある。いつになったら戦いが終わるのか? なぜ現地人のために戦わなければならないのか? なぜ十分な支援を受けられないのか? これらの問いに「いつテロリストが襲ってくるのか?」が加わった。

 

 緊張感に耐えられない兵士が続出した。過剰防衛に走って現地人を撃つ者もいれば、何もかもが怪しく思えて過剰な取り締まりを行う者もいる。

 

「取り締まりを強化しよう」

 

 さんざん話し合った結果、いつもと同じ結論に到達した。出席者のほとんどが正規戦の専門家である。何人かは海賊と戦ったことがあるが、対海賊作戦と対テロ作戦は別物だ。俺はテロリストを迎撃した経験はあっても、テロリストを摘発した経験はない。要するに誰も対テロ作戦を理解していなかった。

 

 会議が終わった後、俺は対テロ作戦マニュアルを開いた。統合作戦本部が本国での作戦用に作ったマニュアルを、遠征軍総司令部が解放区での作戦に使えるようアレンジしたものだ。

 

 冒頭では「最小戦力、最小費用、最大速度、最小損害、最大戦果」の「五M」を掲げる。これは統合作戦本部長シトレ元帥が提唱する理念だ。

 

 対テロ作戦を実施するにあたっては、要塞化された大規模拠点を設ける。パトロール部隊がテロリストを見つけたら、拠点から本隊が出撃して迅速に撃滅する。作戦が終了したら本隊はすぐに拠点に戻る。戦力の集中運用と堅固な防御体制が柱だ。

 

 第一三艦隊はこのマニュアルに基づいて大戦果をあげた。司令官ヤン中将が戦略を練り、陸戦隊司令官シェーンコップ准将が指揮をとり、ほとんど損害を受けずにテロリストの死体を量産した。

 

 マニュアルの効果は二人の名将が証明済みだ。きっちり読みこめば、無能な俺でも多少の戦果をあげられるのではないか。そう思って隅から隅まで読んだ。暗記できそうなくらいに読んだ。それなのに妙案が浮かんでこない。

 

「やっぱりわからないな」

 

 それが俺の出した結論だった。読むだけで作戦をマスターできたら、誰だって名将になれる。要領を掴んだ時に知識は生きてくる。そして、俺のような凡才は経験を積まないと要領を掴めない。

 

 俺は司令官室に戻ると、ファルストロング伯爵に通信を入れた。オーディンを離れた後もしばしば相談に乗ってもらっている。

 

「――以上がヘルクスハイマーの情勢です。ご意見をお聞かせください」

「貴族か治安機関員の仕業じゃな」

「軍人の可能性は無いのですか?」

「無い」

 

 ファルストロング伯爵はきっぱりと言い切る。

 

「なぜそのようにお考えになったのですか?」

「貴族は家業で支配者をやっておる。それゆえ、相手を屈服させられるかどうかを基準に考えるのじゃよ。無関係な者を巻き込むのは望むところ。血が流れば流れるほど恐怖も大きくなるでな。治安機関も同じように考える。支配者と同じ目線に立たねば、秩序は維持できぬ。じゃが、軍人は違う。あやつらは敵と味方をはっきり分ける」

「なるほど、納得しました」

 

 さすがは元帝国政府高官だ。敵が無差別テロに走る理由を解き明かしてくれた。

 

「卿らのマニュアルは貴族相手には通用せんぞ」

「どういうことです?」

「貴族は損害など気にせん。死体をいくら積み上げたとて何の意味もない」

 

 ファルストロング伯爵は、「味方の流血を回避し、敵を効率的に撃滅する」という対テロ作戦マニュアルの核心を否定した。

 

「死者の中に自分が含まれるとしても、気にしないでいられるのでしょうか?」

「わしの言ったことを忘れたかね? 自分だけは特別だと考えるのが、貴族の貴族たるゆえんじゃよ」

「そういえばそうでした」

 

 俺はファルストロング伯爵から教えられた貴族気質を思い浮かべる。自分だけは特別だと考えており、見栄っ張りで競争心が強く、絶対に負けを認めない。前の世界で読んだ『レジェンド・オブ・ギャラクテック・ヒーローズ』や『獅子戦争記』に登場する駄目貴族そのものだ。

 

「貴族はしぶとい。特別でない自分には価値が無いと思っとるでな。特別で居続けるためには何でもする」

「特権意識はマイナスだけじゃないんですね」

「兵隊を並べて戦うのには向かん。だが、誰が敵で誰が味方かわからんような戦いには強い」

「乱戦になればなるほど力を発揮すると」

「テロ要員なんぞいくらでも調達できるしな。民主化とやらのおかげで、帝国人は失業する自由と貧乏する自由を享受するようになった」

「返す言葉もありません」

 

 LDSOの民主化政策は一〇億人の失業者を生み出した。金次第で何でもする人間が解放区に溢れている。逮捕されたテロリストのほとんどが金で雇われた失業者だった。

 

「言っとくがな。平民は貴族を憎んでるという前提で動くと痛い目を見るぞ」

「心得ておきます」

「嘘を言うな」

「申し訳ありません」

 

 ファルストロング伯爵と話すたびに「平民は貴族を憎んでいない」と言われるのだが、今いちピンと来ない。戦記の中では貴族と平民は相容れない存在だった。それを覆されるような経験もしていない。

 

「構わんよ。わしは馬鹿は嫌いではないからな」

「ありがとうございます」

 

 俺は頭を下げられるだけ下げる。鼻で笑うような声が聞こえたが、まったく気にならなかった。生まれながらの貴族には尊大な態度こそ似つかわしい。

 

 

 

 俺はワイドボーン准将らトリューニヒト派参謀七名と連絡をとった。二年前の対テロ総力戦を指導し、当時のトリューニヒト国防委員長が失脚すると同時に左遷された面々だ。シトレ流のマニュアルが貴族に通用しないのなら、別系列の戦略思想を持つ人々に頼る。

 

 七分割された画面に現れた参謀七名にヘルクスハイマーの資料を送り、ファルストロング伯爵から聞いた話を自分の考えとして伝えた。名前を出さないのは伯爵との約束だ。

 

「一週間でお願いできますか?」

「まかしとけ! クソ爺やヤンには思いつかないような策を立ててやるからな!」

 

 部屋の中にワイドボーン准将の高笑いが響く。俺は慌てて端末の音量を下げる。やる気を出してくれるのは良いが少々不安だ。念のために『大帝逸話集』や『黄金律』など、帝国を理解するには欠かせない本を一〇冊ほど電子書籍ファイルとして送った。

 

 翌日、俺は警備隊幕僚会議を招集した。半数は第三六機動部隊の幕僚、残り半数は地上軍や陸戦隊の軍人である。彼らは対テロ作戦のプロではないが、何かのヒントになるだろうと思い、幕僚たちにファルストロング伯爵の話を自分の考えとして聞かせた。

 

 五日後、ワイドボーン准将から一冊のファイルが送られてきた。対テロ総力戦で使ったマニュアルをベースにしており、無差別テロへの対策に特化させた内容だ。

 

「どうよ?」

 

 ワイドボーン准将は得意気に胸を張る。

 

「期待以上です。助かりました」

「毎日明け方までテレビ会議やったからな。後はそちら次第だ。絶対に成功させろよ」

「心得ています」

 

 俺は表情を引き締めた。ワイドボーン准将らが託したのは作戦の成否だけではない。復権を賭けているのだ。

 

 カルシュタット星系警備隊は、ワイドボーン准将らが作った案を元に対テロ作戦を進めた。集中運用していた戦力を薄く広く分散する。民政への不介入方針を改め、LDSOを通さずに臨時政府や住民と直接協力できる体制を築く。親同盟派住民に武器を与えて自警団を結成させる。先制攻撃から広域防衛への大転換だ。

 

 正規戦用の重装備は対テロ作戦に向いていないため、フラインスハイム星域軍に軽装備を調達するよう依頼した。しかし、司令官ホーランド少将の関心は敵正規軍との戦いに向いていた。結局、要求の半分しかもらえなかった。

 

 警備隊員は正規戦に習熟していたが、市街地をパトロールしたり、住民と協力したりするような任務には慣れていない。帝国語を話せる者が少なかったのもあって、しばしば住民との間でトラブルが起きた。

 

 様々な問題にも関わらず、三週間で新戦略の効果が現れた。未然に防がれたテロの数が増加し、犠牲者は減少に転じている。

 

 良いニュースに飢えていたマスコミは、カルシュタット星系警備隊のささやかな成功に飛びついた。改善に向かい始めただけなのに、テロリストが根絶されたかのように吹聴し、俺を対テロ作戦の名将と持ち上げる。

 

 この作戦をきっかけに「フィリップス提督は帝国通だ」との評価が定着した。最近はアドバイスを求めに来る人もいる。ファルストロング伯爵が「今さら手柄などいらぬわ」と言って表に出てくれないので、俺の評価ばかりが高まった。

 

 ワイドボーン准将らが作った新戦略も注目された。特に右派からの注目度が高い。新戦略は軽装備の大部隊を必要とするため、軍拡主義者にとって格好の宣伝材料になるのだ。トリューニヒト下院議長は「遠征軍は新戦略を採用すべきだ」と語り、ラロシュ統一正義党代表が「この調子でテロリストを皆殺しにしろ!」と吼えるなど、右派有名人から次々と好意的な意見が寄せられる。

 

 俺やワイドボーン准将の評価は高まったものの、部隊全体としてはマイナスかもしれない。隊員は不慣れな任務で心身を消耗した。対テロ作戦に戦力を投入しすぎたせいで、敵正規軍との戦いが疎かになっている。

 

 ホーランド少将はダーシャをヘルクスハイマーに派遣し、「対テロ作戦を縮小し、正規戦を拡大せよ」とのメッセージを伝えてきた。

 

「エリヤの部隊は正規戦向けの編成だってことを忘れないでね。これは私個人の意見だけど」

 

 最後にダーシャはそう付け加えた。彼女も正規戦志向なのだ。

 

「もう少し時間をくれないか。あと二か月あればテロを半分に減らせる」

「今月中にせめてマイカンマーは落としておきたいの」

「星域軍だけじゃ苦しいだろう。増援が来るまで足元を固めた方がいいんじゃないか?」

「増援を待ってたら、何か月先になるかわからないよ」

「どこにも余剰戦力なんていないしな」

 

 俺とダーシャは顔を見合わせた。前線部隊には手持ちの戦力をやりくりするしかできない。本国政府が増援を送ってくれないと、どうしようもないのだ。

 

 本国では遠征消極派が増援を減らそうと頑張っていた。統合作戦本部長シトレ元帥は「補給上の困難」、レベロ財政委員長は「財政負担の抑制」、ホワン前人的資源委員長は「労働力不足」を理由にあげる。どれも厳然たる事実なので、論理的な反論は難しい。

 

 遠征軍上層部は増援要請に消極的だ。「おとぎの国のアンドリュー」こと総司令部参謀フォーク少将は、馬鹿の一つ覚えのように「戦力は十分だ」と繰り返す。第一統合軍集団司令官ウランフ中将、第一三艦隊司令官ヤン中将らも増援要請に反対している。推進派と消極派が揃って消極的な理由はわからない。

 

 もっとも、総司令部は本気で十分だとは思ってないらしく、別のルートから戦力を集めた。傭兵を増員したのである。

 

 現代の傭兵は「民間警備会社」を称し、民間船の護衛、ボディーガード、警備活動、兵站支援など軍事的な業務を請け負う。退役軍人や元警察官といったプロを必要な時だけ雇えるのが魅力だ。地方政府や民間企業を主な顧客としてきたが、レベロ軍縮以降は正規軍の補完戦力としても機能するようになった。

 

 遠征軍総司令部と契約した傭兵は九月初めには五〇〇万人だったが、一一月中旬には九〇〇万人まで膨れ上がった。その大半が後方警備や兵站支援を担っている。戦史を紐解いても、これほど大勢の傭兵が一度に投入された例はない。

 

 シトレ元帥は警備や兵站の民間委託に取り組んできた。金のかかる正規軍を減らし、民間企業に任せられる部分を任せるのが軍縮派の最終目標だ。今回はその試金石になるだろう。

 

 治安が悪化するにつれて、民間人の間でも傭兵需要が高まった。重武装の警備員がLDSOや同盟企業の拠点を守った。屈強なボディーガードが亡命者政治家や親同盟派有力者を取り巻いた。臨時政府に雇われた傭兵部隊が市街地をパトロールした。

 

 今や解放区は傭兵の楽園だ。同盟軍やLDSOは同盟人傭兵しか雇わなかったが、民間人にはフェザーン人傭兵や帝国人傭兵を雇う者が少なくない。貴族と契約していた傭兵部隊が同盟企業に雇い主を変えたり、降伏した帝国軍部隊が傭兵部隊に看板替えしたりするケースもあり、相当な数の帝国軍兵力が傭兵として取り込まれた。

 

 前線部隊は解放区の親同盟派住民を民兵として組織した。九月から一一月までの二か月で民兵は四〇〇〇万人から一億一〇〇〇万人に急増している。もっとも、編成が完了した部隊は三〇パーセントから三五パーセント、訓練が完了した部隊は一二パーセントから一四パーセントと言われており、ほとんどは自警団の域を出ない。戦力不足のために訓練担当者を確保できないのだ。

 

 グレーゾーンの裏技も使った。俺はカルシュタット星系に住む元帝国軍将校と接触し、民間警備会社を設立する手助けをした。反体制派以外の将校は公職追放対象であるため、ダミーを役員、将校と旧部下を従業員とする。そして、カルシュタット臨時政府にその会社と契約させる。こうすれば、プロの将校と兵士が簡単に手に入るのだ。他にも同じことをしている司令官がいるらしい。

 

 同盟軍は戦力を欲した。帝国軍を打ち破るための戦力ではなく、解放区を維持するための戦力を求めた。今や治安維持は帝国軍との戦いに勝るとも劣らない課題となっていたのである。

 

 

 

 解放区ではLDSOが民政、同盟軍が治安を分担する。名目上は現地人臨時政府が統治者なのだが、同盟の資金と軍事力に依存しているため、LDSOと同盟軍に頭が上がらないのだ。

 

 LDSOは国務委員会の下部組織、軍は国防委員会の下部組織にあたる。解放区は法的には同盟領ではないので、外交を担当する国務委員会の管轄になるのだ。こうしたことから、LDSOと軍は厳格な住み分けをしてきた。軍が少しでも民政に踏み込んだらLDSOの猛抗議を受けるし、LDSOが少しでも治安に踏み込んだら軍が猛抗議するといった具合だ。

 

 住み分けてると言っても、お互いを完全に無視して動くわけにはいかない。そのために開かれるのが司令官とLDSO代表の定例会談である。

 

「行くか。気は進まないけど」

 

 俺は公用車に乗った。門閥貴族が好みそうな馬鹿でかいリムジンだ。周囲には黒塗りの車が何十台も付き従う。何も知らない者が見たら大貴族様の行列に見えるかもしれない。

 

 貴族趣味がない俺が大行列を組んだのは、ファルストロング伯爵のアドバイスによるものだ。

 

「帝国社会は外見で身分がわかるようになっておる。飾り立てねば軽く見られるぞ」

「ローエングラム元帥は質素ですが、みんなに尊敬されてますよ」

「あれは絶世の美男子だ。ボロを着ていても王侯貴族より偉そうに見える。卿にあれほどの美貌があるのか?」

「俺が間違っていました」

 

 こうしたやり取りがあって、柄にもなく大行列で動くことになった。見栄えを整えるのも仕事のうちである。

 

 やがて四階建てビルの前に到着した。どう見ても廃ビルにしか見えないが、カルシュタットLDSOの事務所である。接収されても誰も困らないようなビルを選んだという。

 

 車を降りて部下とともにビルへと入る。右隣に色っぽい副官コレット大尉、左隣に威厳に満ちた第三六機動部隊副参謀長イレーシュ中佐を従える。逞しい長身とゲルマン的な風貌を持つ陸戦隊員が周囲を固めた。帝国人好みの美男美女を従えることで、偉そうに見せる作戦だ。

 

 やがてノエルベーカー代表の執務室へとたどり着いた。室内にはスチール製のデスクと棚以外は何もない。床も壁もコンクリートがむき出しだ。清廉もここまで来ると行き過ぎに思える。

 

 グレアム・エバード・ノエルベーカー代表は、俺より三歳上の三三歳。最高評議会書記局からLDSOに出向してきた。国立中央自治大卒のエリート官僚だが、弱きを助け強きをくじく性格が災いして昇進が遅れたという。『レジェンド・オブ・ギャラクテック・ヒーローズ』に登場すれば、間違いなく良い役をもらえる人物だ。

 

「フィリップス提督、今日は――」

 

 何の前置きもなしにノエルベーカー代表は本題に入る。彼にとって社交辞令は時間の無駄でしかない。

 

「その件ですが、小官としては――」

 

 俺も単刀直入に話す。ノエルベーカー代表が軽く顔をしかめた。

 

「予算を増やせと言うのかね?」

「はい。この惑星に足りないのは予算です。インフラを整備するにも、公共サービスを充実させるにも、失業者を減らすにも予算がいります」

「自分が何を言っているのかわかっているのか?」

 

 ノエルベーカー代表の目から熾烈な輝きがほとばしる。

 

「わかっているつもりです……」

 

 背中に冷や汗が流れた。完全に気圧されている。人としての格が圧倒的に違う。シェーンコップ准将と同格、あるいはそれ以上かもしれない。

 

「対症療法的に予算を注ぎこむだけでは意味がない。一〇〇年先を見据えた戦略を立て、公正なルールを作り、恒久的かつ持続可能なシステムを構築する。それが効率的な予算の使い方というものだ」

「小官は一〇〇年先ではなく今日の話をしています」

「君の言う通りに金を出して乗り切ったとしよう。明日はどうする? 明日を乗り切ったら明後日は? 明後日を乗り切ったらその次は? ずっと金を出し続けるのかね。金を与えるのではなく、金の稼ぎ方を教える。手を引いて歩かせるのではなく、一人で歩けるようにする。それが政治の仕事ではないか」

 

 ノエルベーカー代表は顔を少しだけ左に向けた。壁に「魚を与えるな、魚の取り方を教えよ」という標語が貼られている。レベロ財政委員長の名言だ。

 

「お言葉ですが、彼らにとっては自立より今日の生活が優先事項なのです」

「それはわかっている。だが、求められるがままに与えるのは政治とは言わないぞ。ただの甘やかしだ。良薬は口に苦しという。憎まれてでも誰かが苦い薬を飲ませねばなるまい」

「街には失業者があふれています。犯罪やテロが人々を脅かしています。甘い薬を飲ませて不安を取り除くのが先決ではないでしょうか?」

「人々はわかってくれている。支持率は九八パーセントを超えた。貴族への怒り、そして変革を望む気持ちが我々を後押ししているのだ」

「そ、それは……」

 

 俺は言葉に詰まった。カルシュタットLDSOの施政は明らかに失敗してるのに、支持率は異常なまでに高い。どの解放区にも共通する現象だ。

 

「フィリップス提督。君が思っているほど人間はエゴまみれではない。もっと人間の可能性を信じろ」

 

 ノエルベーカー代表の瞳には自己陶酔や狂信はひとかけらもない。優しくて温かな理性だけが宿っていた。

 

 執務室を出た後、俺は大きく息を吐いた。これほど立派な人がどうしてむちゃくちゃな政治をするのか? どうして住民が支持しているのか? 世の中には理解できないことだらけだ。

 

 カルシュタット星系にある三つの有人惑星は死にかけていた。物価は倍以上に跳ね上がり、停電や断水が頻繁に発生し、役所は人手不足で機能しておらず、有力企業が解体されたために経済システムは混乱した。治安の酷さは言うまでもない。食糧価格は下がったが、差し引くと大きなマイナスだろう。

 

 これらのすべてをノエルベーカー代表とその部下に帰するのは、アンフェアかもしれない。物不足、インフラの劣化、公共サービスや経済システムの混乱は、カルシュタットが解放される以前から起きていた。

 

 ノエルベーカー代表の問題点は何かをしたことではなく、何もしなかったことにある。進行中のあらゆる問題に対して手を打とうとせず、ひたすら政策や法律を作り続けた。帝国の行政官が破綻を防ぐためにやっていた努力を放棄した。綻びつつあったカルシュタットは破綻へと全速で接近している。

 

 疲れる打ち合わせの次は住民との交流会だ。新戦略を採用してからは、LDSOや臨時政府を介さずに直接住民と接触するようにしている。

 

 今日は狭い会場に三〇人ほどの住民が集まっていた。参加者が多すぎると一人一人と対話できない。強い印象を与えるにはこれぐらいがちょうどいいのだ。

 

「お役人に『帝国軍は解体したから恩給は出ない』と言われまして。命がけでお国のために働いてきたのに」

「仕事がなくて困っとります」

「強盗がうろついてるせいで、店を営業できません」

「信号を早く直してもらえませんか」

「娘が三日前から帰ってこないんです」

「停電が本当に酷いんですわ」

「薬局に行ったら薬がないと言われまして。どうしたらいいんでしょう」

 

 誰もが切実な表情をしていた。俺の権限で解決できることなら、その場で携帯端末を取り出して関係部署に対処を命じる。できないことなら関係機関への手続きを代行する。これはトリューニヒト議長が身につけた一〇八の人心掌握術の一つだ。要望に素早く対処することで信頼を高めるのである。

 

 中には到底聞き入れられない要望もある。特に難しいのが差別関連だ。LDSOは自治領からの移住者を貴族から没収した土地に住まわせた。ゲルマン系住民から見れば、劣等人種が近所に引っ越してくるのも、土地が配分されるのも許せなかった。

 

「申し訳ありませんが、それは聞けません」

 

 そういう時はきっぱり断る。どっちつかずの態度は頼りなく見えるからだ。

 

「司令官閣下」

 

 五〇歳前後の中年女性が気まずそうに声をかけてきた。

 

「どうなさいました?」

「こんなこと、聞いていいんですかねえ?」

「知っていることなら何でもお答えしますよ。機密事項はお答えできませんが」

 

 俺は温かそうな笑みを向ける。

 

「年末に選挙というのがありますよねえ」

「ええ。皆さんが有権者として初めて臨まれる選挙です」

「誰に投票すればいいんでしょうか?」

「好きな候補者に投票してください」

「好きと言われましても……」

 

 中年女性は困ったような顔になる。

 

「そんな難しいことではありません。いいこと言ってるなあとか、真面目そうだとか、優しそうだとか、そんな理由でいいんです。あなたがお殿様になってほしい人を選んでください」

「司令官閣下になっていただきたいんですが」

「私は軍人です。お殿様にはなれません」

「では、司令官閣下は誰をお殿様にしたいんですか?」

「私の決めることではありませんよ」

「困ってるんです。前のお殿様なら正解を教えてくれるのに。今のお殿様は何も教えてくれないじゃないですか」

「…………」

 

 俺は絶句した。中年女性は今回の選挙を「同盟軍が選んだ人物に対する信任投票」と思い込んでいる。

 

「私も気になってました」

「わしもですよ」

 

 次から次へと住民が寄ってくる。

 

「私は皆さんが選んだ人を支持します。ごまかしてるわけでも何でもありません。誰が殿様になっても忠誠を尽くすのが民主主義の軍人です」

 

 俺が建前論で逃げると、白髪の男性がビラを持ってきた。

 

「こういう人がなっても構わんのですか?」

 

 そのビラはルドルフ主義政党のものだった。政治に疎い住民でも、同盟軍がルドルフ的な主張を嫌ってるのは知っている。

 

「え、ええ! LDSOが認可した政党ですからね!」

 

 他に答えようがなかった。ルドルフ的な主張を憲章違反にならない範囲まで薄めた感じで、不快ではあるが遺法ではない。

 

「カール様が生きていらしたら、迷うこともなかったんじゃが」

 

 誰かがぽつりと漏らした。

 

「カール様を選べばすむからのう」

「知らん人が殿様と言われてもピンと来んよなあ」

「まったくだ。ヘルクスハイマーの殿様はヘルクスハイマー家でいいのに」

「御一族から選べと言われたらどうする?」

「グスタフ坊ちゃまかのう」

「マルガレータお嬢様がええなあ。あのお方はほんに利口じゃった」

 

 住民たちが旧領主ヘルクスハイマー伯爵家を懐かしんだ。ガチガチの共和主義者の前では彼らもこんなことは言わない。俺を「物分かりのいい殿様」と思ってるから言えるのだ。

 

 惑星ヘルクスハイマーの北半球は、六年前までヘルクスハイマー伯爵家の所領だった。最後の当主カールが同盟に亡命する途中で家族もろとも事故死したために取り潰された。カールはあまり評判の良くない人物だったらしい。それでも住民にとっては我らが殿様なのだろう。いろいろと考えさせられる。

 

 カルシュタット臨時政府の議長は、ヘルクスハイマー家の重臣だったアイゼナウアー氏だ。カール一家が死んで名跡廃絶になった後、旧臣はアイゼナウアー派とレムゴー派に分裂する。皇帝の代官を味方につけたレムゴー派が優位に立ったが、アイゼナウアー派は同盟軍を引き入れて逆転したのである。

 

 四世紀以上にわたって君臨してきた伯爵家の影響は大きい。住民は名君とは言い難い伯爵を追慕する。臨時政府議長は伯爵の重臣だ。

 

 貴族は解放区でも依然として影響力を持っている。各地の臨時政府には、旧領主の一族や家臣が多数参加している。現地人公務員には、門閥貴族の下で実務を担当していた帝国騎士や無称号貴族が少なくない。

 

 平民は貴族を憎んでいるという前提では、説明できない事象があまりに多すぎた。LDSOの異常な支持率、戦記が描いたラインハルトの平民人気や門閥貴族の不人気は、何に起因するのだろうか? 考えれば考えるほどこんがらかってくる。

 

「君はどう思う?」

 

 俺は司令部に戻ると、亡命者である情報部長ベッカー中佐に問うた。

 

「何がです?」

「LDSOが支持されてる理由だよ」

「支配者だからですよ」

「どういうことだ?」

「帝国人が支配者を批判できるわけ無いでしょう。支持しないなんて言ったら、憲兵か社会秩序維持局にしょっぴかれます」

 

 ベッカー中佐はいつもと同じ答えを返す。しかし、今日は説得力が違った。彼ではなくて俺が変わったのだろう。

 

「わかった気がする」

 

 俺はにっこり笑ってマフィンを食べた。

 

「真に受けんでください。冗談ですから」

「君は冗談に見せかけて本当のことを言うからな。シェーンコップ准将やファルストロング伯爵もそうだ」

「帝国の人間は用心深いんですよ」

「でも、室内に閉じこもってばかりなのは良くないな。この星に知り合いはいないだろう」

「万が一ということもありますから」

 

 ベッカー情報部長は帝国入りしてからほとんど外出していない。移動する際は窓のない装甲車両に乗り、帝国人とはまったく会わないという徹底ぶりだ。

 

 ただ、ヘルクスハイマーに来てからは少し違う。外出しないことに変わりはないが、警備隊隊員に頼んで風景写真を集めたり、特産のソーセージを買い込んだりしている。「ヘルクスハイマー出身なんじゃないか」と噂する人もいた。

 

「姪御さんが一人前になるまでは死ねないんだったな」

「身寄りがいませんのでね」

「事故で家族を亡くしたんだったか」

 

 俺はベッカー情報部長の姪の顔を思い浮かべた。写真でしか見たことがないが、上品な顔立ちの美少女だった。赤毛好きだったり、「帝国の友達に会いたいから」というロマンチックな理由で軍人を志望したり、結構な変わり者と聞いている。

 

「酷い事故でした」

 

 ベッカー情報部長はそう言って言葉を切る。踏み込んではいけないと悟った俺は、開いた口にマフィンを放り込んでごまかす。

 

 一一月二七日、本国政府が正規軍四〇〇万と予備役八〇〇万の増派を決定した。これまで送られてきた増援は一度につき五〇〇万から七〇〇万程度だった。その倍が送り込まれてくる。

 

 第一二艦隊と第五地上軍が正規軍の中核となり、第一艦隊、第二艦隊、第一地上軍、首都防衛軍、各地の即応部隊から抽出された兵力が加わる。この部隊は第一統合軍集団、第二統合軍集団、第三統合軍集団とともに帝国正規軍との戦いに投入される。宇宙艦隊副司令長官ボロディン中将が司令官となり、国防委員会高等参事官ラップ少将、国防委員会戦略部参事官アッテンボロー准将も加わる。レグニツァの英雄が肩を並べたことから、マスコミには「レグニツァ軍」と呼ばれた。

 

 予備役部隊は警備戦力だ。予備役から招集されたビュコック大将が行軍司令官、国防委員会戦略部長シャフラン大将とイゼルローン要塞司令官ジョルダーノ大将が行軍副司令官を務める。ワイドボーン准将、パリー少将、シャンドイビン准将ら対テロ総力戦で活躍したトリューニヒト派軍人が多数加わっているのが目を引いた。

 

 シトレ派やトリューニヒト派の参加については、「消極派をハイネセンから追い払いたいんだろう」とする見方と、「ロボス元帥を牽制させるためじゃないか」とする見方がある。口の悪い人は「潜在的なクーデター分子を排除したのさ」と言う。

 

 これだけの大規模増援が決定した背景には、一二月末に予定される解放区選挙を成功させたいという本国政府の思惑があった。帝国軍やテロリストによる選挙妨害を防ぎ、全銀河に民主主義の成果を示すつもりだ。

 

 ラパートのエルウィン=ヨーゼフ帝とレーンドルフのエリザベート帝は、「選挙を阻止せよ」との勅命を出した。領内で民主選挙を実施されたら、帝政の面目は丸潰れだ。何としても阻止したいところだろう。

 

 遠征消極派の間に「一月終戦論」なる主張が出てきた。一二月末の解放区選挙を民主主義の成果として、一月から和平交渉を始めようというのだ。このまま戦い続ければ、同盟も帝国も来年六月までに財政破綻する。両国首脳が妥協を求めるはずだと一月終戦論者は言う。

 

 遠征積極派はあくまで戦い続けるべきだと主張した。帝国は同盟より早く財政破綻するというのがその根拠だ。フェザーンが帝国の戦費を負担できなくなる可能性が出てきた。

 

 フェザーンで民主化運動が盛り上がっている。経済政策に抗議するデモが自治領主制の廃止と自由選挙を求める闘争へと発展した。各地で治安当局とデモ隊が衝突し、多数の死傷者が出た。ルビンスキー政権は崩壊の瀬戸際に立たされたのだ。

 

 三国の中で最もマシなのは同盟だろう。政情は落ち着いていて、経済は解放区ビジネスで潤い、軍事的には優勢だ。移民のおかげで人口が増えた。借金さえどうにかなれば逃げきれる。

 

 最も悲惨なのは帝国だ。政治的に分裂している上に、経済力と軍事力は大きな打撃を受けた。しかも、スポンサーのフェザーンは足元に火がついている。明るい材料といえば、ブラウンシュヴァイク派支配地の反体制派が、オフレッサー元帥の苛烈な攻撃を受けて半壊したことぐらいだ。天才ラインハルトは軍の再編に取り組んでおり、同性愛ゴシップ以外に世間を騒がせる材料がない。

 

 秋が終わり冬が始まろうとしている。銀河の混沌は深まるばかりだ。


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