銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第一章:英雄エリヤ・フィリップス
第1話:逃亡者の末路 新帝国暦50年(宇宙暦848年)~??? ハイネセンポリス~???


 新帝国暦五〇年、宇宙暦で言うと八四八年の八月一五日、惑星ハイネセンの星都ハイネセンポリスの街角。手押し車に積み込んだ巨大スピーカーから流れる大音声の旧自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」をバックミュージックに、旧自由惑星同盟軍の軍服を着用した男達が車道をのし歩いている。彼らは、自由惑星同盟復活と反ローエングラム朝を唱える極右暴力集団「ヤン・ウェンリー聖戦旅団」のメンバーだった。

 

「帝国はバーラトから出て行け!」

「祖国を取り戻すぞ!」

「自由惑星同盟万歳!」

「ヤン・ウェンリー提督万歳」

「アーレ・ハイネセン万歳!」

 

 寂れきった街角に怒声が響く。ハイネセンポリスはかつて自由と民主主義の総本山と謳われた街であるが、今ではこのような集団の闊歩するところとなった。

 

 宇宙暦八〇〇年、ローエングラム朝銀河帝国が自由惑星同盟を併合すると、ハイネセンポリスは混乱のるつぼに叩き込まれた。地球教団や戦闘的民主主義者連盟によるテロ、ハイネセン大火、新領土総督ロイエンタール元帥の反乱、帝国軍務尚書オーベルシュタイン元帥による旧同盟要人の一斉検挙「オーベルシュタインの草刈り」、元フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーが起こした同時多発爆弾テロ「ルビンスキーの火祭り」などにより、大きな被害を被った。

 

 八〇一年七月、ハイネセンポリスが属するバーラト星系は再び共和主義者の手に戻った。共和主義勢力「イゼルローン共和政府」がシヴァ星域で帝国軍の大軍と戦い、帝国軍総旗艦ブリュンヒルトに突入するという戦果をあげた。ラインハルト帝はイゼルローン共和政府の力量を認め、バーラト星系を与えた。バーラト星系行政区はバーラト自治区となり、ハイネセンポリスがその首都となったのである。

 

 バーラトを取り戻したイゼルローン共和政府が自治政府を主導することとなった。フレデリカ・グリーンヒル・ヤン共和政府主席が自治政府議長、アレックス・キャゼルヌ軍事局長が自治領警備隊幕僚総監、ダスティ・アッテンボロー革命軍宇宙艦隊総司令官が自治領警備艦隊総司令官に就任した。ヘラルド・マリノ宇宙艦隊副司令官、サンジャイ・ラオ宇宙艦隊参謀長、カスパー・リンツ薔薇の騎士連隊長、スーン・スール宇宙艦隊作戦主任参謀らも然るべき地位に就いた。彼らは旧同盟軍最高の名将ヤン・ウェンリーの指揮下で戦い、帝国軍を打ち破った英雄でもある。

 

 同盟末期、政府から距離を置いていた良識派も自治政府に加わった。ホワン・ルイ元同盟人的資源委員長が自治政府首相、シドニー・シトレ元同盟軍統合作戦本部長が副首相兼安全保障相、マレーラ・マグリーニ元エドワーズ委員会委員長が市民安全相、セダ・ギュルセル元反戦市民連合下院議員が対外関係相に就任した。ネイサン・クブルスリー元同盟軍統合作戦本部長が安全保障省次官、ビジアス・アドーラ元首都政庁参事官が市民安全省次官、クロード・モンテイユ元同盟財政委員会国庫課長が財務省次官、グレアム・エバート・ノエルベーカー元最高評議会書記局二等書記官が首相官房副長官に起用された。

 

 ユリアン・ミンツ革命軍総司令官、オリビエ・ポプラン革命軍空戦隊総監、エリック・ムライ元ヤン艦隊参謀長らが不参加を表明したものの、良識派オールスターといっていい陣容である。人々は民主主義復興の希望に胸を躍らせた。イゼルローン共和政府残党と旧同盟良識派からなる与党「八月党」は、第一回総選挙で全議席の八割を獲得するという大勝利を収めた。

 

 バーラト自治領は間もなく最初の試練に直面した。同盟の後継政権であることを理由に、同盟政府債務七〇〇兆ディナールのうち、ローエングラム朝と関係の深い資本家が債権者となっているものを引き継がされた。バーラト星系の主要産業である流通業と金融業は、八〇〇年以来の混乱の影響で落ち込んだ。財政赤字と不況のダブルパンチがバーラトに襲いかかった。

 

 衰弱したバーラト経済は、惑星ハイネセンだけで一〇億人、星系全体で一三億人という大きな人口を支えられなくなった。同盟時代のバーラトは、流通と金融によって他星系から物資を吸い上げてきた。しかし、ローエングラム朝の時代になると、他星系は衰退著しいバーラトとの取引を縮小し、帝都フェザーンに物資を供給するようになった。凄まじい物不足と失業が人々を苦しめた。

 

 窮地に陥った自治政府は帝国政府に支援要請を求めたが、交換条件として自治権の返上を求められた。ラインハルト帝は「バーラト自治区が自力で存続できぬとみたら、即座に潰しても構わぬ」と遺言していた。ロマンチシズムの発露と思われたバーラト自治区成立は、民主主義に課された厳しい試練であると同時に、難治の地をかつての敵手に押し付ける冷徹な策であった。

 

 旧同盟領を統括する新領土尚書エルスハイマーは、バーラト自治区を避けるように交通・流通網の再編を進めた。イゼルローン回廊と近いシャンプール、帝都フェザーンと旧同盟領中央宙域(メインランド)の中間にあるウルヴァシーが、旧同盟領における新たな経済中心地となった。アレクサンデル・ジークフリード帝が実施した新領土開発事業では、「自治権を尊重する」という名目で、バーラト自治区に対する投資を行わなかった。バーラトとハイネセンポリスの経済的地位は急速に低下していった。

 

 自治政府は抜本的な改革が必要だと判断し、貿易と金融の自由化を大胆に推し進めた。しかし、主要交易路がフェザーン回廊周辺及びイゼルローン回廊周辺に移動しており、バーラトは重要な交易拠点としての地位を失っていた。共和主義者が旧同盟領の中心になることを望まない帝国政府の妨害もあり、改革は産業空洞化を助長しただけに終わった。

 

 バーラト経済は破綻状態に陥った。住民の平均年収は激減し、失業率と犯罪率は跳ね上がり、食料不足とエネルギー不足が慢性化した。自給自足を進めようにも、開発資金がない。公共サービスの質は同盟末期の水準を下回った。首都ハイネセンポリスの復興はまったく進まず、旧同盟時代に作られた建造物の老朽化もあり、街全体がスラムの様相を呈した。

 

 人々の怒りは与党八月党に集中した。ホワン首相が辞任に追い込まれた。グリーンヒル・ヤン議長は一期四年を務めた後、政界引退を余儀なくされた。

 

 状況を考えると、八月党に対する非難は過大であったように思える。立地があまりに悪すぎた。受け継いだ負の遺産があまりに多すぎた。帝国に足を引っ張られた。イゼルローン共和政府出身者は優秀な軍人だが、政治の専門家ではない。良識派は旧同盟においては少数派だった。自治領民の大半は旧同盟の多数派、すなわち主戦派を支持した人々であった。成功する要素など一つもない。しかし、人々には怒りをぶつける対象が必要だった。

 

 ホワン内閣崩壊後、バーラト自治領は混迷の時代に突入する。短命内閣が続き、政府は指導力を失った。八月党は辛うじて与党の座を確保したものの、旧同盟主戦派や旧レベロ派の台頭を防ぐことはできなかった。反帝国・反八月党を唱える極右組織が乱立し、警官隊と衝突を繰り返した。

 

 バーラトで民主主義の灯火が消えようとしていたその時、別の場所で民主主義の再興を掲げる者が現れた。その発端はローエングラム朝の内部抗争である。

 

 発足当初のローエングラム朝は軍事政権であった。ラインハルト帝に従って銀河を征服した功臣は絶大な権威を誇っていた。軍事力を持たない摂政皇太后ヒルデガルドは、功臣と協力せざるを得なかった。アレクサンデル帝が即位すると、ミッターマイヤー元帥が国務尚書、ミュラー元帥が軍務尚書、ケスラー元帥が内務尚書、メックリンガー元帥が宮内尚書に就任し、功臣が主要四官庁を独占した。功臣と折り合いの悪いブラッケ民政尚書、リヒター財務尚書、ブルックドルフ司法尚書らは失脚を余儀なくされた。

 

 やがて、功臣と皇室の力関係は逆転した。対外戦争の終結は、功臣から新たな戦功を立てる機会を奪い、ヒルデガルド皇太后に政治手腕を振るう機会を与えた。内政の整備が進むにつれて、官僚の発言力が大きくなった。共和主義者やゴールデンバウム朝残党によるテロの激化は、対テロ戦の専門家の台頭を促し、艦隊戦の専門家である功臣は発言力を失った。

 

 主導権を握ったヒルデガルド皇太后は、支配階級の再編成を試みた。ラインハルト流の自由帝政は、貴族も平民も奴隷もなく、皇帝はただ一人で万民と相対しなければならない。皇帝の負担があまりに大きすぎた。皇室と支配権力を分かち合い、運命をともにする人々が必要だった。貴族制度が復活することとなり、文武の高官に爵位と特権が与えられた。旧同盟人や旧フェザーン人も貴族に列し、新たな身分秩序が形成されたのである。

 

 ラインハルト流の実力主義と平等主義を信奉する功臣たちは、新しい貴族制度に激しく反発した。クーデターを起こそうとする動きもあった。しかし、皇太后と親しいミッターマイヤー元帥とケスラー元帥が、他の元帥を説得したため、獅子泉の七元帥は皇太后支持でまとまった。最上級の功臣が自重したことにより、他の功臣は動けなくなった。

 

 七元帥が引退すると、功臣の大多数が反皇太后派となった。八三〇年と八三二年にクーデターが計画された。しかし、ヒルデガルド皇太后と帝国宰相エルスハイマー侯爵は未然に察知し、首謀者たちを逮捕した。官僚機構の力は帝国を覆い尽くすほどに大きくなっていた。艦隊戦がなくなって久しく、若くして過去の遺物と化した功臣たちは、軍部を掌握できなかった。勝負は戦う前から決まっていたのである。

 

 反皇太后派が次に目を付けたのは、バーラト自治区で施行されている議会制度だった。官僚支配と貴族制度に反発する勢力を結集し、議会の多数派を占めれば、合法的に権力を獲得できる。

 

 かくして、ラインハルトとともに民主主義国家を滅ぼした軍人が、民主主義の看板を掲げるに至った。宇宙艦隊司令長官ブラウヒッチ元帥、地上軍査閲総監フェルナー上級大将、国内予備軍司令官トゥルナイゼン上級大将、軍事参議官ディッタースドルフ上級大将らは、憲法制定と議会制度導入を訴える運動を始めた。苦境にあった八月党、官僚に反発する地方勢力、官僚社会の反主流派がこの動きに乗った。数年にわたる抗争の後に、帝国議会が設立された。

 

 新帝国暦四一年(宇宙暦八三九年)、銀河帝国において初の議会選挙が行われた。反官僚勢力「臣民党」と官僚勢力「忠誠党」の対決は、臣民党の圧勝に終わった。民主主義が勝利したかに思われた。だが、民主主義の守護者を自負する八月党は、定数七議席のバーラト星系ですら三議席しか獲得できず、他星系の選挙区では全敗に終わった。旧同盟領には帝国の支配が浸透しており、八月党は馴染みのない存在となっていたのである。

 

 帝国議会が発足すると、バーラト自治区は自治権を返上し、皇帝直轄領となった。しかし、ハイネセンポリスが繁栄を取り戻すことはなかった。住民は旧同盟時代への郷愁と経済的窮乏への不満を募らせた。

 

 極右勢力は衰退したハイネセンポリスで勢力を広げ、官憲や対立組織との抗争を繰り広げた。犯罪組織と結託してマフィア化するものも多い。貧困と暴力に支配された犯罪都市。それがハイネセンポリスである。

 

 

 

 私は片手で杖をつき、ひび割れの目立つハイネセンポリスの歩道をゆっくりと歩いた。もう片方の手は、図書館から借りた『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ 三巻』『自由惑星同盟宇宙軍最後の栄光―ヤン・ウェンリーとアレクサンドル・ビュコック』『矛盾の提督―ヤン・ウェンリーの苦悩』を抱えている。

 

 他人の目から自分がどう見えるかなどは考えたくもない。小柄で痩せていて、背中もひどく曲がっている。表情は「この世の不幸を一身に背負ったかのように陰気」と言われる。荒れ果てた街角を歩くみすぼらしい老人。それがこの私だ。

 

「元気なのはあんな連中ばかりだ……」

 

 車道を我が物顔に占拠するヤン・ウェンリー聖戦旅団を見て、私は小さくため息をついた。旧同盟の軍服を着た人間にはいい思い出がない。暴力組織が英雄ヤン・ウェンリーの名前を騙っているのも気に食わない。八月党は好きじゃないが、ああいう連中を規制したことだけは正しいと思う。

 

「きさま! 何を見ておるか!」

 

 大きな怒声とともに、デモ行列の中から二人の男が飛び出してきた。全速力で私の方に向かってくる。

 

「非国民め! 修正してくれるわ!」

 

 男の一人が飛び上がって、私の胸に蹴りを入れた。胸に激しい衝撃を受け、仰向けに地面に倒れ込む。そこにもう一人の男が飛びかかってきて、私の手足を押さえ込んだ。たちまち七、八人ほどの男が集まり、私を取り囲んで罵声を浴びせながら、これでもかと蹴り回す。

 

「殺される……」

 

 私は死の恐怖を覚えた。これまでも数えきれないほどリンチを受けてきたが、今回のは格別だ。弱った体では耐えられそうにない。

 

「何をやっている!?」

 

 帝国公用語の叫びが聞こえた。内務省の治安部隊隊員だろうか。ハイネセンポリスで極右に強い態度をとれるのは、官憲ぐらいのものだ。

 

「帝国の犬め!」

 

 極右の男たちは旧同盟公用語の叫びで応じると、私を放置して治安部隊隊員へと飛びかかる。泣く子も黙る内務省治安部隊にこんな態度をとれるのは、彼らぐらいのものだ。

 

 私は息も絶え絶えになりながら殴り合いを眺めた。最初は極右が数の力で優勢に立っていた。しばらくすると、治安部隊の増援が到着し、極右を次々と警棒で殴り倒し、地面に倒れたところに手錠をかけた。半分ほどが拘束されると、極右は戦意を失って散り散りになった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 治安部隊隊員の一人が私のもとに寄ってきてしゃがみ、帝国公用語で声をかける。

 

「…………」

 

 返事したいが声が出ない。息が苦しい。

 

「大丈夫ですか?」

 

 私が帝国公用語をまったく解さないと思ったのか、治安部隊隊員は旧同盟公用語に切り替えた。

 

「返事がない。まずいな。かなり状態が悪いのか」

 

 違う方向から帝国公用語の会話が耳に入る。

 

「我々の世話になりたくないんじゃないか? 新領土の年寄りは同盟人意識を引きずっているからな」

 

 その声に「違う」と答えたくなった。旧同盟なんて懐かしくも何ともない。

 

「手ひどくやられたんだ。口もきけまい。救急車を呼ぼう」

 

 年長者らしき落ち着いた声が正解を導き出した。そして、日常会話をどうにかこなせる程度の帝国公用語力しかない私には、意味の分からない言葉が飛び交う。

 

「なんでこんな目に……」

 

 私は声を出さずに運命を呪った。八〇年の人生は不運の連続だった。宇宙暦七六八年に生まれた私は、一九歳の時に同盟軍に徴兵され、エル・ファシル星系警備隊司令官アーサー・リンチ宇宙軍少将の旗艦グメイヤに配属された。それが転落の始まりだった。

 

 七八八年八月、帝国軍に敗北したリンチ少将は、星系首星エル・ファシルに逃げ込んだ。そして、軍需物資をかき集めると、巡航艦一〇〇隻と直属の部下だけを率いてエル・ファシルから脱出し、エルゴン星系へと向かった。

 

 グメイヤの乗員だった私は、「エルゴンの第七方面軍に援軍を求めに行く」というリンチ少将の命令を鵜呑みにして、脱出行に従った。それが部下を従わせるための方便に過ぎなかったこと、単なる敵前逃亡だったことを知らされたのは、帝国軍に捕らわれた後のことだ。

 

 ゴールデンバウム朝時代の帝国では、戦争捕虜は軍人ではなく単なる犯罪者として扱われた。私たちは極寒の惑星ゼンラナウにある政治思想犯矯正区に放り込まれ、銀河連邦時代に作られたという築数百年のコロニーに住まわされた。初代皇帝ルドルフが「犯罪者に税金で飯を食わすなど言語道断!」と述べて、刑務所での食事支給を禁止して以来、帝国では犯罪者に対する衣食の無償供与は行われない。不毛の地に畑を作って食糧を自給し、近くの山から切り出した木材を帝国軍に引き渡し、衣服や医薬品を受け取る。それは過酷そのものの日々だった。

 

 後からゼンラナウに入ってきた捕虜がリンチ少将の悪評を広めると、暮らしはさらに過酷になった。「卑怯者」のレッテルを貼り付けられた私たち逃亡者は、他の捕虜から徹底的に蔑まれ、暴力を振るわれたり、食料や衣服を奪われたりした。私は祖国と家族への愛情を支えに、九年間の捕虜生活を耐えぬいた。

 

 七九七年に捕虜交換で帰国することが決まった時は、天にも登るような気持ちになった。捕虜収容所から生還した者は勇者と賞賛され、一階級昇進と一時金を与えられる。九年前の事件など世間は忘れてるはずだと思った。

 

 希望に胸を膨らませて帰国した私を待っていたのは、「市民を見捨てた卑怯者」という罵倒、そして軍からの追放を意味する不名誉除隊処分だった。ネットには、リンチ少将に従った者の個人情報が記された「エル・ファシルの逃亡者リスト」が出回り、制裁を呼びかけていた。九年が過ぎても、同盟市民は私たちの罪を忘れていなかったのだ。

 

 実家に戻った私は吊るし上げの対象となった。外を歩くたびに通行人から罵声を浴びせられ、少ない友人から絶縁を言い渡され、極右組織の構成員に殴られた。暴行を受けた後に被害届を出そうとしたら、冷笑を浮かべた警官に「お前が悪い」と言われて追い返された。実家のドアには「卑怯者」「非国民」と落書きされた。近所の店は物を売ってくれなくなった。

 

 仲の良かった家族も私を疎んじるようになった。毎晩のように「死ねばよかったのに」と罵られた。家族で出かける時は私だけが家に残された。家に人を呼ぶ時は私だけが家から出された。

 

 仕事を探しても、前歴が知れた途端に追い返されてしまう。やがて家からも追い出されて、ネットカフェを泊まり歩く日々が続いた。

 

 七九九年の帝国軍侵攻の時に軍に志願し、ようやく仕事にありついた。だが、そこでも下士官や古参兵からリンチを受けた。軍隊流のリンチは、故郷で受けたそれとは比較にならないほど凄まじく、「殺される」と思って三か月で脱走した。

 

 仕事に就けず家にも帰れなくなった私は、ハイネセンポリスの貧民街に流れ着いた。信仰心もないのに十字教や地球教といった宗教団体に入信し、食物や衣類をもらった。置き引きや万引きや違法な商売で稼いだ小銭は、酒や麻薬や風俗や賭博に消えた。完全に身を持ち崩してしまったのである。

 

 同盟が滅亡した頃には、エル・ファシルの逃亡者への差別はだいぶ薄れていたが、バーラト自治区が成立すると再び差別が始まる。自治政府議長フレデリカ・グリーンヒル・ヤンは、「旧同盟軍の戦争犯罪を風化させてはならない」と主張する人々の声に押され、「戦犯追及法」を施行したのだ。

 

 戦犯追及法の適用対象者にされた私は、バーラト自治区でもまともな仕事に就けなくなった。ますます酒や麻薬にのめり込み、気が付いた時は重度の中毒患者となっていた。窃盗や麻薬所持で何度も逮捕されて服役した。

 

 六〇歳を過ぎた頃、長く苦しい治療の果てにアルコール中毒と麻薬中毒を克服した。ボロボロになった肉体、ボケかけた頭脳以外は何も残っていなかった。年金受給資格なんてものもない。

 

 私に助けの手を差し伸べてくれたのは宗教団体だった。十字教兄妹派の救貧院に収容されて、ようやく落ち着いた生活を手に入れた。平均的な収入がある人々から見れば、救貧院の生活は貧しいだろう。しかし、食事と寝床を無償で提供されるだけでありがたい。

 

 救貧院で暮らす一五〇名の老いた男女は私と同じだ。失敗だらけの人生を送り、心を閉ざしている。職員は宗教的な慈悲の心を持っていても、一人の人間としての興味を収容者に抱くことはない。人間と接することを苦痛に感じる私にとっては、無関心こそが慈悲である。

 

 刑務所で身につけた読書の習慣のおかげで、私は一人で楽しむことができる。読書と言えば高尚に聞こえるが、私は無学なので難しい本は読めない。娯楽書が中心である。最近はラインハルト帝やヤン元帥といった同時代を生きた英雄の伝記、アムリッツァ星域会戦やバーミリオン星域会戦といった有名な戦いを題材とした戦記がお気に入りだった。

 

 しかし、本の世界に逃げ込んでも、自分の惨めさが軽減されるわけではない。私はエル・ファシルで逃げた男なのだ。

 

「なんだ、この本は?」

 

 帝国公用語の会話が私の回想を遮った。

 

「お前、こんな簡単な新領土方言も読めないのか?」

「赴任して一か月も経ってないからな。で、なんて題名だ?」

「これは『ヘルデンザーゲン・フォン・デア・ガラクスィー』の新領土方言版だな」

「ああ、なるほど。新領土方言版も出てたんだな」

「おまえ、ちゃんと読んでないだろ。こっちが本場だぞ。旧同盟軍人が書いた本だからな」

「中学校の公用語の教科書に載ってた……ぐらいしか読んで……」

「……全部読んでおけ……この星ではヤン・ウェンリーは……」

「……ああ、そうか……著者はヤンの……だったか……」

 

 次第に声が聞き取れなくなってきた。あの運命の日、私はヤン元帥と同じ惑星の上にいた。それなのに、ヤン元帥は帝国の教科書にまで登場する偉人になり、私は路上で這いつくばっている。どうしてここまで運命が違ってしまったのか。

 

「エル・ファシルで逃げなければ良かった」

 

 六〇年の後悔とともに涙が溢れ出た。涙のせいか、傷の痛みのせいか。次第に目の前がぼんやりとしていった。

 

 

 

 右肩を強く叩かれる感触とともに、私は意識を取り戻した。両足は地面をしっかり踏みしめている。倒れていたはずなのに、いつの間にか立ち上がっていたらしい。痛みもまったく感じない。どういうことなのだろうか。

 

「おい!」

 

 背後から大きな声がして、もう一度肩を叩かれた。驚いて振り向くと、モスグリーンのジャケットを着た男が立っていた。頭には同じ色のベレー帽を被っている。見間違えようもない旧同盟軍の軍装だ。年齢は二〇代前半だろうか。

 

 今どきこんな服を着ているのは、極右組織の構成員と決まってる。また殴られるのかと思って、一瞬ビクッとしてしまった。

 

「なにジロジロ見てんだよ」

 

 軍服姿の男の声からは敵意が感じられず、親しげですらある。背は高いもののひ弱そうで、顔も優しげだ。極右組織に所属するような人間とは、雰囲気が明らかに違う。何者なんだろうか? 最近は旧同盟軍の軍装が流行っているのだろうか? 嫌な流行だ。

 

「いったいどうした?」

 

 男は困った様子で俺を見ている。だが、私だって困っているのだ。こんな男に親しげにされる理由がわからない。

 

 それにしても空が白い。日が昇ったばかりなのだろうか? 私はこんな時間になるまで倒れていたのか? 誰も救急車を呼ばなかったのか? どうして痛みが消えてるのか? 頭の中にどんどん疑問が浮かんでくる。

 

「あと一時間で出発だってさ。早くシャトルに乗ろうぜ」

 

 急かすように男は言う。ますますわけがわからなくなった。どうして知らない若い男と一緒にシャトルなんかに乗らねばならないのか。惑星ハイネセンどころか、ハイネセンポリスからもこの四〇年は出ていないというのに。

 

「なあ、エリヤ。いつにもまして間抜け面だぞ。どうしたんだよ?」

 

 馴れ馴れしすぎる男の物言いに胡散臭さを覚えた。この数十年間、ファーストネームで呼んでくれるような相手はいなかった。いきなり馴れ馴れしくされたら、臆病な私は警戒してしまう。

 

「おい、何か言えよ」

 

 黙ってる私を見て、男はますます困惑した表情を浮かべた。

 

「すいません」

 

 適当な返事でお茶を濁し、あたりを見回した。最初に目についたのは、馬鹿でかい横長のビルだった。まるで宇宙港にあるようなビルだ。滑走路にはシャトルがずらりと並び、トラックもたくさん走り回っている。かなり大きな宇宙港のようだ。シャトルもトラックもすべてモスグリーンに塗装され、忙しく動き回る人々もみんなモスグリーンのジャケットを着ている。どこを見回しても旧同盟軍の色ばかり。まるで旧同盟軍の軍港ではないか。

 

 鈍感な私でも、さすがにここがハイネセンポリスではないことに気付く。シャトルがズラリと並ぶ旧同盟風の軍港なんて、とっくの昔に無くなってるからだ。地名が書かれた看板を探して周囲を見回すと、同盟公用語で記された案内板が目に入った。

 

『エル・ファシル第一軍用宇宙港』

 

 エル・ファシルだと!? どういうことだ? 私は夢でも見てるのか? 混乱する私の思考に、緊張感を欠いた男の声が割り込んでくる。

 

「早く行こうぜ。あのパン屋の子、可愛かったよな。いい感じになってたんだから、気になるのもわかるよ。でも、その子のために残るわけにもいかないだろ? 俺らも軍人なんだから、命令が優先だ」

 

 パン屋の子と言う言葉に、懐かしい記憶が呼び覚まされる。エル・ファシル星系宇宙警備部隊にいた頃、基地近くのパン屋で働いてた女の子と仲良くなった。休日に一緒に遊びに行ったこともあった。それから一度も恋愛をせずにこの年になるなんて、当時は思わなかった。

 

 昔を回想したところで、少し引っかかりを感じた。男がなぜ私の思い出を知っているのか? どうしてここに残ってはいけないのか? どうして男は私のことを軍人と言うのか?

 

 もう一度案内板を見る。やはりエル・ファシル第一軍用宇宙港だ。ある可能性に思い至った私は、初めて男に質問をぶつけた。

 

「命令ってなんだ?」

「エルゴンまで救援要請に行くんだよ。今さら聞くことじゃないだろ。ほんと、ぼんやりしすぎだよ」

 

 呆れたように男は答える。私の確信は一段と強くなった。

 

「つまり、私達はエル・ファシルから逃げようとしてるのか?」

「逃げるんじゃなくて救援要請だよ。第七方面軍が動けば帝国軍なんてすぐ追い払えるって、リンチ提督が言ってたじゃないか」

「私は確か宇宙警備部隊の旗艦グメイヤの乗組員だったな?」

「あたりまえだろ? 今日のおまえ、ちょっとおかしいよ。妙にしゃべり方が年寄り臭いし」

 

 やはり思った通りだった。呆れる男をよそに、私はさらなる事実の確認に入る。

 

 まずは顔を下に向けて自分の胸元を見た。旧同盟軍の制式スカーフ、そしてモスグリーンのジャケットが見えた。顔を触ると、ツヤツヤした感触がする。頭を触ると、たっぷりと髪の毛がある。指を動かすと、リンチの後遺症で曲げにくくなってた右手の指がすんなり曲がった。右腕をまくると、古参兵に押し付けられたタバコの跡が綺麗に消えていた。声を出すと、酒でしわがれた声とは違う張りのある声が聞こえた。

 

 体が若い頃に戻っている! 

 

 喜びを感じながらポケットをまさぐると、骨董品のような旧式の携帯端末が出てきた。

 

『七八八 八/一五 五:五〇』。

 

 七八八年八月一五日! ここは六〇年前のエル・ファシルなのか!? 私のすべてのつまづきの元、一生消えない「逃亡者」のレッテルを貼られた場所。私はなぜここにいるのか!? 夢なのか!?

 

 思い切り頬をつねった。痛い。右足で左足を力いっぱい踏んだ。痛い。痛すぎて涙がにじんでくる。これは現実なのか? 軽々しく決めつけるのは私の悪い癖だ。自分を信用してはならない。

 

「すまない。私の頬を思い切りつねってくれないか?」

「いいけど……」

 

 男は顔いっぱいに困惑を浮かべながら、俺の頬を力いっぱいつねった。

 

「痛い! 痛い!」

 

 あまりの痛さに叫んでしまった。涙がこぼれてくる。夢にしては、随分とリアルじゃないか。

 

 これだけリアルなら、試せるかもしれない。ここで逃げなければどうなるのか? 逃げなければ有り得たはずの人生を経験できるのか? エル・ファシルの逃亡者と呼ばれない人生を試せるのなら、夢だって構わない。

 

「エリヤ、いい加減に……」

「逃げねえよ!」

 

 私は反射的に叫び、男を振りきって駆け出した。そして、血眼になって乗り物を探す。人が乗ったまま停まってるのがいい。すぐに走り出せる。

 

 人が乗ったまま停まってるエアバイクがすぐに見つかった。座席にまたがってる男はたばこをのんびり吸っていて、緊張感のかけらもない。

 

「借りるぞ!」

 

 私は素早く近づくと、男の服を掴んで地面に引きずり落とした。そして、エアバイクを奪って全速力で走りだす。後ろでは大騒ぎになっているが、そんなのは知ったことではない。出発まで時間がないのというのが本当ならば、追いかけられる心配もないはずだ。

 

 私の乗ったエアバイクは、宇宙港を抜けて山道に入る。案内標識を頼りにエル・ファシルの市街地を目指す。この夢が六〇年前のエル・ファシルそのままなら、「エル・ファシルの英雄」ヤン・ウェンリーが市内で民間人脱出の指揮をとっている。

 

 かつての私は彼の存在を知らなかった。第七方面軍に救援を求めるというリンチの命令を信じきっていた。その結果、捕虜となってすべてを失ったのだ。しかし、夢の中の私は未来を改善する方法を知っている。

 

 人生は何一つ思い通りにならなかった。せめて夢の中では思い通りにしてやろうと思った。

 


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