銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第63話:虚ろな勝利 798年12月~799年1月 カルシュタット星系

 一二月一〇日、解放区の五六三星系において地方首長選挙と地方議会選挙が告示された。宇宙暦三一八年にルドルフが議会を永久解散して以来、四八〇年ぶりの選挙となる。

 

 遠征軍総司令官ロボス元帥が各地の司令官に通達を送った。隠喩や内部用語が巧妙に散りばめられており、部外者が見ればごく無難な文章、軍関係者が見れば「自主自立党と自由共和運動に便宜を図れ」と受け取れる。反同盟的政党の進出を阻止したい国防委員会の意向に沿ったものだ。

 

 同盟軍は親同盟派を援助した。司令官や副司令官が特定候補への投票を呼びかけ、政策調整部員が選挙戦術を指導し、現地人民兵組織に票の取りまとめを命じ、選挙ビラの発行や配布を助けた。反同盟派は軍隊や民兵によって有形無形の妨害を受けた。同盟本国で同じことをすれば、間違いなく問題になっただろう。

 

 解放区民主化支援機構(LDSO)も選挙干渉を企てたが、同盟軍のような荒っぽいやり方はしない。様々な手段で選挙資金を流し、マスコミを使って親同盟派の良いイメージを広め、親同盟派首長の自治体に大規模投資を誘導する。文官らしいやり方と言えよう。

 

 解放区に選挙干渉の嵐が吹き荒れる中、一部の良識派が公正な選挙を実現しようとした。第一統合軍集団司令官ウランフ中将は、「特定の政党や候補者に肩入れしてはならない」との一文を添えることで、通達の空文化を狙った。第一三艦隊司令官ヤン中将は、特定候補への便宜供与にあたる行為を具体的に禁じた。カルシュタットLDSOのノエルベーカー代表は、選挙運動に関わる一切の支出を拒んだ。

 

 第一統合軍集団配下の司令官は、ロボス元帥とウランフ中将の間で板挟みになった。第一一艦隊司令官ルグランジュ中将もその一人である。

 

 心情的にはウランフ中将の原則論に傾いているが、親同盟派有力者の力が必要なのも分かっているため、容易に決心がつかない。幕僚チームの意見は真っ二つに割れた。困り果てたルグランジュ中将は俺のもとに通信を入れてきた。

 

「貴官はどう思う?」

「ロボス元帥の指示を優先すべきだと考えます」

「理由は?」

「まずは――」

 

 俺は帝国人の事大主義について説明し、「解放区住民は『誰に政治をして欲しいか』ではなく、『誰が強いか』という基準で投票する」との予測を述べる。ルグランジュ中将は納得し、第一一艦隊の管轄区域で選挙干渉が始まった。

 

 自治体ごとに「危機管理評議会」なる組織を作り、臨時政府首長を議長、臨時政府幹部や地元有力者を評議員とする。臨時政府幹部には親同盟派候補が多い。地元有力者枠には無官の親同盟派候補を押し込む。同盟軍と評議会はテロ対策の名目で会議を開き、同盟軍幹部と評議員は打ち合わせの名目で会談する。評議員には同盟軍人の警護が付く。

 

 従軍マスコミは危機管理評議会の動静を報じ、同盟軍と親同盟派候補が親密だとの印象を流布した。直接的な支援はウランフ中将の訓令に反する。しかし、公務での会議や会談までは禁止していないし、危機管理評議会のメンバーは「治安部門の要人」なので法律上の警護対象にあたる。こんなせこい作戦を思いつくのはもちろん俺だ。

 

 ウランフ中将は何も言ってこなかったが、快くは思っていないらしい。一方、ヤン中将はあからさまに嫌悪感を示していると聞く。俺と前世界の英雄たちは本当に相性が良くない。

 

 候補者は帝国人の事大主義を積極的に利用した。軍やLDSOの幹部と面会して親密さをアピールし、本国の大政党から推薦を貰い、現地人の権威主義に訴えかける。LDSOと同盟企業の金でテレビCMを大量に流す。政策論争はほとんど見られない。ジャーナリストのパトリック・アッテンボローは、「選挙戦というより宣伝戦」と皮肉った。

 

 このようなやり方を嫌う者は多い。第一三艦隊司令官ヤン中将は公務員法を盾にとって候補者との面会を拒んだ。レベロ財政委員長はイメージ選挙に終始する解放区政党を批判した。亡命者の英雄シューマッハ義勇軍大将は、自主自立党からの出馬要請を断り、同盟軍に正式入隊して宇宙軍少将に任じられた。

 

 投票日が近づくにつれてテロが激しくなった。候補者や選挙運動員が相次いで殺された。選挙事務所に爆弾を積んだ無人車が突っ込んだ。演説会場に突入した武装集団が銃を乱射した。選挙管理委員会のコンピュータがハッキングを受け、選挙資料のデータを消された。有権者は「投票したら殺す」という脅迫状を受け取った。候補者は同盟軍や傭兵に守られながら選挙活動を展開する。

 

 テログループには三つの系統があるそうだ。一つ目は貴族や治安機関職員を中心とするグループで、無差別爆弾テロを繰り返している。二つ目は軍人を中心とするグループで、同盟軍を狙ってゲリラ攻撃を仕掛ける。三つ目は現地住民を中心とするグループで、同盟人民間人や非ゲルマン系平民を執拗に狙う。

 

 無差別爆弾テロをするグループは、ヴァナヘイム、アルフヘイム、ミズガルズ、アースガルズに多く見られた。いずれもブラウンシュヴァイク派やリッテンハイム派の領域と接する地域だ。両派の支持層と無差別テロと好む層は重なる。

 

 ゲリラ攻撃をするグループは、ヨトゥンヘイム、アースガルズ、ミズガルズ、アースガルズに多く見られた。これらの地域はリヒテンラーデ派の領域と接する。昨年の夏頃からリヒテンラーデ派は急速に左傾化した。保守的なリッテンハイム派が離脱し、開明的なブラッケ派や旧皇太子派が加入したためだ。開明派は民衆を犠牲にする作戦を好まない。

 

 民間人を狙うグループは地域的な偏りが見られない。旧解放区全域で広がっている排外運動が過激化したものと思われる。ルドルフ原理主義組織「大帝の鞭」との関係を指摘する声もあった。

 

 同盟軍は敵正規軍への攻勢を強めるとともに、厳重な警備体制を敷いた。宇宙の正規軍を叩くことで地上のテロリストを孤立させる狙いだ。エル・ファシル七月危機で得た「正規戦力という幹が枯れたら、テロリストという枝葉も枯れる」「守りを固めれば、テロリストを押さえ込める」という戦訓を取り入れた作戦である。

 

 後者の戦訓のもととなった俺に言わせれば、的はずれな作戦だと思う。あの時は敵の側に時間制限があった。今回は違う。ワイドボーン戦略を用いて、テロリストの支持基盤そのものを叩くのが正しい。

 

 艦隊育ちの人は敵味方のはっきりした戦いに最適化されている。対テロ作戦をする際も正規戦の手法を応用しようとするのだ。

 

 本国政府は軍にテロリストを直接攻撃するよう求めた。正規軍を叩いてテロリストを孤立させるのは迂遠すぎるように感じたのだろう。

 

 やむを得ず同盟軍は対テロ作戦に切り替えた。地上部隊は少数精鋭の機動力を生かし、一か月で殺害したテロリストの数を大幅に更新する。宇宙部隊は宙域阻止行動と航路警備に力を注ぐ。これもまた正規戦の応用だ。

 

 俺はワイドボーン戦略を使って戦った。テロリストを何人殺しても、支持基盤が残っていては意味がない。それほど多くのテロリストを殺さなかったし、味方にも相応の損害を出したが、テロ成功率を低く抑えることができた。

 

 選挙の一週間前に本国からの増援が到着すると、同盟軍とテロリストの戦いはいっそう激しくなった。解放区全域が戦場と化したかのように思われた。

 

 一二月二七日の朝七時に投票が始まると、一〇三星系で投票所が襲撃を受けた。夜二一時に投票が終わるまでに、四三一星系でテロが発生し、軍人八〇〇〇人と民間人五万人が犠牲となった。それでも投票中止に追い込まれた選挙区は一つもない。投票率は六〇パーセントを越えた。

 

 第一党の座を獲得した星系が最も多いのは亡命者系の自主自立党、二番目に多いのは反体制勢力系の自由共和運動だ。開明派系で最も強い地盤を持つ前進党は三番手に留まる。その他の政党が第一党を獲得した星系もわずかながら存在した。ルドルフ主義政党が第一党となった星系もいくつかある。

 

 解放区選挙を総括すると、干渉が激しかった選挙区では自主自立党や自由共和運動が勝ち、弱かった選挙区では前進党やその他の政党が勝利した。最も干渉が少なかった第一三艦隊の管轄区域では、同盟への非加盟を公約する政党が勝った星系、事実上の福祉撤廃を公約する政党が勝った星系すらある。現地人が軍やLDSOの意向に左右されたのは明白だ。

 

 自主自立党のクリストフ・バーゼル幹事長は、同盟高官との交友関係を強調し、豊かな資金を派手にばら撒いた。その結果、党は空前の勝利を収めた。自らも八八パーセントという凄まじい得票率で当選している。

 

 対照的だったのが無所属のカラム・ラシュワン候補だ。亡命者ながらもレベロ財政委員長やシンクレア教授と並ぶ良識派の代表格で、被支配階級の心を誰よりも知るとされ、「アーレ・ハイネセンの再来」と呼ばれた。選挙においては軍やLDSOの支援を拒んだ。運動員はボランティアだけを使い、住民との対話集会を重ね、貧民街に立って演説を行う。まさしく民衆と共に歩もうとする政治家の姿だった。

 

 ところが、圧勝すると思われたラシュワンはあっけなく落ちた。定数六人の選挙区で立候補した一六人中、最下位というおまけつきだ。

 

 多少の計算外はあったものの、解放区選挙が大成功と言って良かった。本国市民は帝都が陥落した時に勝る喜びようだ。専制政治の本場で民主選挙を成功させた意義は果てしなく大きい。

 

 

 

 選挙の翌日、俺はLDSO顧問ファルストロング伯爵に通信を入れた。もちろん、選挙の感想を聞くためだ。

 

 いつものように一分きっかりでファルストロング伯爵が現れた。いつものように貴族服を隙なく着こなし、いつものように尊大な眼差しで俺を見下ろす。

 

「何の用だ」

「選挙についてご意見を伺いに参りました」

「つまらぬな」

「選挙には興味が無いのですか?」

「興味はあるぞ。わしも政治をやっておったでな。数世紀に一度あるかないかの政治的祭典、気にせずにいられるはずもない」

 

 ファルストロング伯爵は猛禽のような笑みを浮かべる。さすがは大物だ。俺なんかとはスケールが違う。

 

「では、何がつまらなかったのでしょう?」

「結果じゃよ。こうも予想通りに進むとな。少しは外れぬとつまらぬわ」

「ラシュワン氏の落選も予想なさってたのですか?」

「予想するまでもない」

「そうお考えになった理由をお聞かせ願えますか?」

 

 俺は恭しく頭を下げる。元門閥貴族が語るラシュワン落選の理由。大いに興味をそそられる。

 

「あんな貧乏くさい男、誰が支持するものか」

「奴隷出身ですが、人品の高貴さは比類ないですよ」

「あれは学者の面だ。権力者の面ではない。卿らの国では『金や権力なんかいりません』なんて面でも偉くなれるらしいな。だが、帝国は競争の国だ。無欲な奴など負け犬でしかない。負け犬を支持する者などおらぬ」

 

 実に明快だった。同盟的価値観ではラシュワンの無欲と清貧は輝いて見えるが、競争を是とする帝国的価値観では頼りないということだ。

 

「人心を理解するだけでは不十分なんですね」

「あの小僧は何もわかっとらんよ。平民は自由など求めておらぬし、貴族を憎んでもおらぬ。ただ強い者に支配されたいだけだ」

 

 ファルストロング伯爵にかかれば、同盟屈指の哲人も小僧扱いである。しかし、その後に続く言葉が納得できない。

 

「お言葉ですが、ラシュワン氏は奴隷として苦労なさった方です。支配される者の気持ちは誰よりも理解していると思います」

「卿らは貴族が世間知らずで、平民や奴隷が世慣れていると思いたがる。とんだ間違いじゃぞ。平民や奴隷には真実は知らされぬ。自分の仕事しか理解できず、自分の身の回り以外に目が行き届かないようにするのが帝国の教育じゃ。そうでなくば、少数の貴族が支配するなど能うべくもない。あの小僧は鉱山奴隷あがり。自分がいた鉱山以外のことは知らぬはずじゃ」

「ラシュワン氏は帝国社会を理解してないと?」

「あの小僧は亡命してから学問を始めた。結局のところ、亡命者の肩書きを持った同盟人インテリに過ぎぬ。そして、同盟人にとっての理想的なインテリじゃな。小僧の帝国論は正しいから受け入れられたのではない。卿らの耳に心地良いから受け入れられたのだ」

「心地良いですか。それは否定できません」

 

 俺はラシュワンの『沈黙は罪である』を読んだ時のことを思い出す。貴族と平民という二元論的な世界観が心地よく感じられた。前の人生で読んだ『レジエンド・オブ・ギャラクティック・ヒーローズ』や『獅子戦争記』とまったく同じ世界だったからだ。

 

「帝国の価値観に染まった者の言葉など、卿らには不快以外の何ものでもなかろう」

「おっしゃるとおりです。伯爵閣下に勧められた本を読んでも、不快なだけでした」

 

 不快感を言葉にして吐き出した。帝国文化を理解しようと思い、ファルストロング伯爵から紹介された本を一〇冊ほど読んでみたのだが、不快でたまらなかった。どの本も適者生存と弱肉強食の思想が鼻につく。

 

 特に酷かったのは、テオドール・ルッツ博士が書いた『大帝逸話集』だ。題名の通りルドルフの逸話集で、障害者を優先席から引きずり出して勤労少年を座らせた話だの、精神病で入院した兵士を無理やり軍務に復帰させた話だのが、美談として収録されていた。こんな胸糞悪い本が二億部も売れたと聞くだけで嫌になってくる。電子書籍で読んで良かったと思う。紙の本だったらその場で破り捨てただろうから。

 

「わしらから見れば当たり前のことを書いとるだけなんじゃがの。その当たり前を卿らは不快に感じる。言葉は通じる。目と耳は二つある。鼻と口は一つある。手足は二本ずつある。大して変わり映えもせんのに価値観が違うだけで相容れん。人間とは面白いものであるな」

 

 ファルストロング伯爵の笑みからいつもの皮肉っぽさが一瞬だけ消える。俺は目を見開いた。

 

「驚きました」

「何がだ」

「閣下が人間は平等だとおっしゃってるように聞こえたからです」

「人は生まれつき平等だとか権利があるとか言われても、わしには理解できぬ。じゃが、貴族が大層なものでないことぐらいはわかっとるよ。貴族も平民も奴隷も等しくくだらぬ。くだらぬがゆえに面白い」

「貴族が偉いとは思ってらっしゃらないのですか?」

「帝国には表に出とらん歴史があってな。裏を知ってみると、貴族が偉いとは思えんかった。今になって思えば、それがオットーやウィルヘルムとの差じゃったな。わしは負けるべくして負けた」

 

 オットーとはブラウンシュヴァイク公爵、ウィルヘルムとはリッテンハイム公爵のことだ。目の前の老人はかつて帝国の巨頭と肩を並べる存在だった。

 

「俺の目には、伯爵閣下の器量はブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム公爵を凌ぐように見えますが」

「真の歴史に触れた時、わしは虚無に陥った。オットーやウィルヘルムは前に進もうとした。どちらが上かは自明であろう。ニヒリストには何もできぬ。ただ謀を弄ぶだけだ。ロマンチストは恐れを知らぬ。それゆえに強い」

「何となくわかった気がします。俺も夢を見せてくれる人に従いたいですから」

 

 俺はヨブ・トリューニヒト下院議長を思い浮かべた。脇の甘いところはあるけれども、一緒に夢を見れるリーダーだ。

 

「大帝陛下は人類に夢をお見せになった。選ばれし者の楽園という夢だ。貴族は大帝陛下の実験じゃった。最高の遺伝子に最高の環境を与え、選ばれし者同士を競い合わせることで超人集団を作ろうとお考えになった。わしら貴族は夢を継ぐ者として育てられた。平民や奴隷は夢に奉仕する者として育てられた。帝国人はずっと大帝陛下の後を歩いているようなものじゃ」

「同盟人がハイネセン主義を信じているのと同じことでしょうか?」

「そうじゃな。卿らは肯定的にせよ否定的にせよ、アーレ・ハイネセンの思想を基本に考える。反ハイネセン思想もつまるところはハイネセンの息子に過ぎぬ。だから、帝国人をハイネセン思想で理解しようとする。支配する者と支配される者、貴族と平民という二元論でな。じゃが、帝国人は大帝陛下の思想を基準にする。強者と弱者という二元論じゃ。そこに卿らと帝国人のすれ違いが生じる」

「それはわかっています。わかっているのですが……」

 

 俺は軽く胸を抑えた。平民が自由ではなく服従を望んでいるのはわかる。わかっていても認めたくない。

 

 前の人生で過ごした同盟、バーラト自治区、ローエングラム朝銀河帝国という三つの国家は、自由を良しとして服従を否定する国だった。前と今を合わせて九〇年間信じてきた摂理が万能ではないと認めるのは、ここまで辛いものか。

 

「卿らは平民が不平等な身分制を憎み、平等を望んでいると考えるが、それは間違いだ。帝国人は強者が弱者の上に立つのは当然と考える。平民は貴族のくせに弱い奴を批判するだけだ」

「強い貴族なら平民は支持するのでしょうか?」

「当然じゃろうが。貴族対平民の構図など幻だ。平民は貴族でも奴隷でもない者の総称にすぎん。一枚岩となって貴族に対抗意識を燃やしたりはせぬ。『黄金律』を読めば理解できるじゃろうに」

 

 ファルストロング伯爵が言う『黄金律』は、複雑怪奇な帝国の身分制を整理した本だ。帝国社会学の基本文献だが、身分制を「永遠不朽の法則」と賞賛し、差別的な表現が頻出するため、同盟の研究者には黙殺されている。

 

 著者のイデンコーベンは、帝国人を一一の大身分、六九の中身分、三八八の小身分に分けた。貴族は「諸侯」「官職貴族」「地方貴族」という三つの大身分、平民は「管理職階級」「ブルジョワ」「知識労働者」「熟練労働者」「非熟練労働者」「自治領民」という六つの大身分、奴隷は「国有奴隷」「私有奴隷」という二つの大身分に分かれる。

 

 貴族最上位の諸侯は、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の称号を保持する者で、「門閥貴族」「上級貴族」とも称される。厳密に言うと、門閥貴族は諸侯の中で「○○一門」という強固な血縁集団を形成し、高位高官を世襲する者を指す。ただし、諸侯は婚姻や養子縁組によって相互に結びついているため、門閥貴族とイコールと言って良い。門閥貴族に分類されない諸侯は、ローエングラム侯爵のようにどの一門とも縁組していない新興諸侯に限られる。

 

 騎士称号保持者と無称号貴族を下級貴族と呼ぶ。無称号貴族とは、爵位保持者や騎士称号保持者の子弟の中で、称号を継がなかった者とその子孫だ。下級貴族の中で軍人や官僚を家業とする者を官職貴族、農場や企業を経営する者を地方貴族と呼ぶが、両者の違いはほとんどない。彼らは門閥貴族と違って一門のしがらみに囚われない。それゆえに最も貴族的な美徳を持つ階級と評される。

 

 血筋による平民の区別はゲルマン系と非ゲルマン系しかなく、ゲルマン系平民は所得と職業によって区分される。ただし、学歴と親の所得はほぼ比例するため、実質的には世襲身分に等しい。

 

 平民の将校や官僚を管理職階級、平民の農場経営者や企業役員をブルジョワと呼ぶ。彼らは下級貴族とともに下位エリート層を形成する「富裕平民」だ。身分上は平民ながらも、高官や資産家が集住する地区に住み、子弟を帝国大学や士官学校に入れる。立場的にも精神的にも下級貴族ときわめて近い。数代にわたって門閥貴族並みの顕官を歴任した家もある。ラインハルトに仕えた平民出身提督は一人を除く全員がこの階層の出身だ。

 

 平民の中で下級官吏やエンジニアなどを知識労働者、オペレーターや航宙士などを熟練労働者、建設作業員や店員など非熟練労働者と呼ぶ。自治領民は非ゲルマン系の平民すべてを指す。各階層間の流動性は低い。管理職階級やブルジョワジーとは同じ平民だが、社会的地位は隔絶している。

 

 奴隷の中で国家が所有するものを国有奴隷、個人が所有し自由に売買できるものを私有奴隷と呼ぶ。刑罰や人身売買に拠って平民から奴隷に落とされた者は少なくない。ちなみに同盟人はハイネセンの長征グループの末裔だと国有奴隷、その他の者は平民だが捕らえられると悪質な反乱に加担した罪で国有奴隷になるそうだ。

 

 黄金律の描く帝国社会は、毛並みの良い者が毛並みの悪い者を支配し、裕福な者が貧しい者を支配し、学歴のある者が学歴のない者を支配し、技術のある者が技術のない者を支配する分断社会だった。そこでは誰もが弱者にとっての暴君であり、誰もが強者にとっての奴隷であった。支配者と被支配者の二元構造は見られない。

 

「平民が団結して貴族に立ち向かうなんて、幻想なんですかね……」

 

 俺は諦めきれなかった。前世界の英雄ラインハルト・フォン・ローエングラムの勇姿が頭の中にちらつく。彼は平民の星として銀河を征服した。

 

「幻想じゃよ。卿らは幻想に惑わされ、数千万の兵を数千光年彼方に送り、数十兆ディナールの巨費を費やし、数千万人を死なせ、数百星系を戦乱に叩きこんだ。卿らは必死になって煙を掴もうとしたに過ぎぬ」

「煙ですか。容赦ないですね……」

「せいぜい勝ち続けることだ。勝っている間は帝国人は卿らを支持するであろう」

 

 ファルストロング伯爵はワイングラスに軽く口をつける。それだけの動作なのにとんでもなく優雅だ。

 

「肝に銘じておきます」

 

 金髪の英雄は煙のように脳内から消えた。代わりに現れたのは、第三六機動部隊隊員とカルシュタット星系警備隊員の姿だった。

 

 

 

 選挙終了後、各解放区は星系共和国となった。今後は共和国ごとに憲法制定作業を進める。憲法が完成して民主国家の体裁が整った時点で、自由惑星同盟への加盟申請を出す。上院と下院が承認した時点で正式加盟国となるのだ。

 

 一月一日、同盟軍は大規模な昇進人事を発表した。第一統合軍集団司令官ウランフ宇宙軍中将、第二統合軍集団司令官ロヴェール地上軍中将、第三統合軍集団司令官ホーウッド宇宙軍中将、第一三艦隊司令官ヤン宇宙軍中将、第三艦隊司令官ルフェーブル宇宙軍中将、第一二艦隊司令官ボロディン宇宙軍中将、第三地上軍司令官ソウザ地上軍中将の七名が大将に昇進した。ウランフ大将は宇宙艦隊司令長官、ロヴェール大将は地上軍総監の肩書きを得た。

 

 中将以下の昇進人事は数え上げればきりがない。第一一艦隊副司令官ストークス少将とD分艦隊司令官ホーランド少将が宇宙軍中将に昇進した。第一三艦隊のムライ少将、第七艦隊のヘプバーン少将、第九艦隊のモートン少将らも宇宙軍中将となった。第一三艦隊のシェーンコップ准将は宇宙軍少将になっている。

 

 要するに○○待遇だった人の中で帝都陥落後に活躍した者が昇進した。国防委員会は古参の将官を引退させ、非主流派将官を予備役に追いやり、一年かけて昇進枠を空けた。そして、選挙終了のタイミングで昇進させたのだ。

 

 俺自身は七九九年一月一日付で宇宙軍少将に昇進した。マスコミが言うには、三〇歳と九か月での宇宙軍少将昇進は史上第七位、士官学校を卒業していない者としては史上最速だそうだ。

 

 もっとも、俺個人としては、妹のアルマが地上軍中佐に昇進したという知らせの方がずっと嬉しかった。二五歳と九か月での昇進は俺の中佐昇進より一年以上早い。昇進速度は士官学校優等卒業者に匹敵する。これでブラウンシュヴァイク領から無事に戻ってくれば最高だ。

 

 大量昇進、大規模増援の到着、元帝国軍人の正規軍編入に伴い、遠征軍は大幅な組織改編を行った。一月中は改編作業や訓練に追われる。忙しすぎてマフィンを食べる量が倍増した。

 

 LDSOは各星系の政府人事や憲法制定作業に情熱を注いだ。新たに成立する共和国の中にハイネセン主義の精神を植え付けるようと頑張った。

 

 旧解放区では相変わらずテロが吹き荒れている。街中で爆弾が爆発しない日はない。武装ゲリラが同盟軍への襲撃を繰り返し、当選したばかりの首長や議員が次々と殺された。同盟人民間人や現地人富裕層を狙った誘拐が頻発した。

 

 治安リスクの上昇に伴い、解放区ビジネスから撤退する企業が出てきた。工場を作っても電力不足で操業できない。インフラ修復事業はテロリストに妨害される。従業員は命の危険に絶え間なく晒される。巨大な人口、豊富な天然資源、LDSOが発注する大型事業は魅力的だが、ビジネスができる場所ではない。

 

 住民生活は悪化への道を全速力で進んだ。電力供給量は電力需要を満たすにはほど遠い。同盟企業の撤退と自治領民の移住により、失業者は二〇億を越えた。行政機構は人員不足と予算不足で機能していない。物価は耐え難い水準まで上昇した。自治領からの移住者と旧来の住民の間でトラブルが後を絶たない。

 

 食糧供給の安定は同盟統治が成し遂げた唯一の成果であったが、最近はそれも怪しくなりつつある。旧解放区の食糧需要拡大が食糧価格を引き上げた。帝国軍や宇宙海賊が交易路をしばしば襲撃したために、物流コストが増大した。旧解放区の食糧事情は少しずつ悪くなっている。

 

 住民の間で同盟への失望が広がり始めた。命令を待っているのに、「自由にやれ」以外のことは言われない。豊かになりたいのに、我慢ばかり求められる。燃料や医薬品は値上がりした。電力網や水道網は機能していない。テロリストや犯罪者は野放しだ。強者のための政治を期待したのに、非ゲルマン系や老人や障害者といった弱者ばかりが優先される。

 

「同盟は弱いのではないか?」

 

 住民は同盟の力を疑い始めた。支持率は依然として九割を超えているが、強者優遇と弱者切り捨てを求める声が高まっている。LDSOの施政が支持されていないのは明らかだ。

 

 同盟軍のモラルは退廃しつつある。長引く戦争が軍人の心身を蝕んだ。脱走兵の増加、現地住民に対する暴行や強盗、誤射や誤爆の多発、過剰なテロ取締りによる殺人や誤認逮捕、捕虜虐待、私的制裁、上官への暴力、サイオキシン麻薬の蔓延など、不名誉な事件が起きた。

 

 現地人は同盟軍と退廃ぶりを競い合う。現地人政治家は賄賂や横領で不正蓄財し、血縁者や支持者を公務員に採用した。親同盟派住民は同胞を密告することで点数を稼いだ。反同盟派住民は親同盟派住民にリンチを加えた。保守層は女性の就職や進学を妨害し、非ゲルマン系居住区に火を放ち、同性愛者や障害者を殺して回る。

 

 パトリック・アッテンボローら反戦派ジャーナリストが解放区の実情を報じるにつれて、本国市民の心は揺らぎ始めた。本当に旧解放区で民主主義が根付くのか? 旧解放区住民のために同盟人の血と汗を流す価値が有るのか? 遠征反対の声が次第に強くなった。

 

 解放区ビジネスの衰退がきっかけで、景気が失速した。特に目を引くのが物価の上昇だ。膨大な人口を抱え込んだことで、同盟経済の悩みは生産力過剰から需要過剰に変わった。原材料価格の高騰が中小企業の経営を圧迫している。三〇兆ディナールを越える戦費は巨額の財政赤字を産んだ。インフレと財政破綻の危機が同盟に忍び寄る。

 

 反戦市民連合は物価高に苦しむ中小企業や貧困層を取り込むと、各地で反戦集会を組織して、一月中旬には全国の四五都市で同時デモを行った。ハイネセンポリスで行われたデモでは、反戦大学生コニー・アブジュが先頭に立ってアピールし、ホワン・ルイ前人的資源委員長、ダリル・シンクレア教授など党外の有名人も参加した。

 

 もう一方の遠征反対派の雄であるトリューニヒト派は静かなものだ。トリューニヒト下院議長は姿を見せない。トリューニヒト派代表代行ネグロポンティ下院議員は軍縮批判に終始した。ラグナロック作戦終了後の大軍縮は既定路線だ。軍拡派としては何としても回避したい。しかし、トリューニヒト議長抜きでは迫力に欠ける。

 

 増援の一員としてやってきたトリューニヒト派軍人によると、トリューニヒト議長は身動きがとれない状態らしい。軍情報部員が警護の名目で二四時間貼り付いている。盗聴されている可能性が高い。情報部は何が何でも親フェザーン派を抑えこみたいのだろう。

 

 民主化運動がきっかけで、フェザーンと同盟の関係は急速に冷え込んだ。ルビンスキー自治領主は、同盟が民主化運動を煽ったのではないかと疑った。官憲に追われたデモ参加者が、在フェザーン同盟弁務官事務所に逃げ込んで保護される事件が多発しており、無関係と考えるのは難しい。以前から同盟はフェザーンに対帝国支援をやめるよう求めてきた。帝国を兵糧攻めにするために、フェザーンに火をつけたと考えれば辻褄が合う。

 

 国防委員会は「在フェザーン同盟人を保護する」と言って、第一四方面軍と第一九方面軍の即応部隊をフェザーン国境まで前進させた。第一三方面軍、第一七方面軍、第二〇方面軍の即応部隊も国境へと向かっている。

 

 ルビンスキー自治領主は同盟軍の行動を侵略だと非難し、警備艦隊を総動員した。両国間の緊張は最高潮に高まった。

 

 同盟本国ではフェザーン出兵をめぐって激論が展開された。ウィンザー国防委員長ら賛成派は、フェザーンから帝国に送られる支援を断ち切り、帝国軍を継戦不能に追い込もうと考えた。レベロ財政委員長ら反対派は、対帝国講和を仲介できる者の喪失、そして二〇億人が住む惑星での地上戦を避けたかった。統合作戦本部長シトレ元帥は「フェザーン全土を制圧するには、最低でも一〇〇〇万の地上部隊が必要」との見解を示し、反対派に間接的な支援射撃を飛ばす。

 

 水面下では対帝国支援の停止をめぐる交渉が続いている。決裂したら最高評議会が議会に出兵許可を求めることになろう。

 

 表には出ていないが、フェザーンでもう一つ重要な交渉が継続中だ。同盟、ブラウンシュヴァイク派、リッテンハイム派、リヒテンラーデ派の代表がフェザーンに集まり、和平について話し合った。

 

 どの陣営にもこれ以上戦う理由はない。同盟は選挙を成功させて区切りがついた。帝国三派が団結しても帝都奪還は難しいだろう。こうしたことから、彼らはルビンスキー自治領主の呼びかけに応じて交渉の席についた。戦闘やテロはより良い条件で講和を結ぶための手段と化した。

 

 リヒテンラーデ陣営はようやく軍の再編を完了した。ラインハルトの国内艦隊が八個分艦隊から一二個分艦隊に増強された。損耗分が補充されてフル編成になり、ヴァルハラ開戦直後と比較すると実質的な戦力は倍増している。

 

 新設された四個分艦隊は旧皇太子派を主力とする部隊だ。ブラウヒッチ中将がI分艦隊、カルナップ中将がJ分艦隊、ヴァーゲンザイル中将がK分艦隊を率いる。この三名はかつてルートヴィヒ皇太子のもとで勇名を馳せた「ルートヴィヒ・ノイン」の一員だ。L分艦隊はラインハルト腹心のケスラー中将が司令官、ルートヴィヒ・ノインのコッホ少将が副司令官を務める。

 

 蛇足ではあるが、旧皇太子派には国内艦隊に加わらなかった者も少なくない。ルートヴィヒ・ノインのうち、エルクスレーベン中将とゾンバルト少将は同盟軍に協力し、エルラッハ少将はラインハルトを嫌ってリンダーホーフ元帥の辺境艦隊に加わった。ケンプ中将は現在も同盟の捕虜収容所にいる。

 

 ブラウンシュヴァイク陣営はヴァナヘイムから反体制派を追い払った。最大の功労者はオフレッサー元帥率いる装甲擲弾兵総軍だ。都市への無差別爆撃、毒ガス兵器や生物兵器の使用、捕虜の大量処刑といった禁じ手を使い、その様子を映した動画をネットで公開した。反体制派は戦意を失って逃げ散ったのである。

 

 反体制派最後の拠点を攻略した翌日、オフレッサー元帥は新しい動画を公開した。縛られた三名の男女を、オフレッサー元帥が素手で殴り殺すという凄まじい内容だ。テロップに記された三名の名前と所属は、彼らが潜入任務中に捕まった同盟軍特殊部隊隊員であると教えてくれた。

 

「身の程知らずの奴隷ども! 次は貴様らの番だぞ!」

 

 オフレッサー元帥の獰猛な哄笑とともに動画が終わる。視聴者の中に残ったのは「こいつには絶対勝てない」という思いだけだった。

 

 前の世界の戦記では「石器時代の勇者」と酷評されたオフレッサー元帥だが、実は超一流の策士である。ただし、奇略をもって敵軍を撃破するとか、陰謀を用いて政敵を倒すといったタイプの策士ではない。演出に特化しているのだ。

 

 オフレッサーという人物は下級貴族の出身で、用兵の才能は人並み、政治に強いわけでもなく、巨体と戦技しか持ち合わせていなかった。しかし、持っているものを最大限に活用する術を知っていた。左頬にわざと残した傷は獰猛さを強調するための演出だ。敵を嘲弄するような言動、過剰なまでの残忍さは狂気を身にまとうための演出だ。直接流した血の数が増えるほど、狂気は厚みを増していく。敵は彼の狂気を恐れる。部下は彼の狂気を共有する。彼が率いる狂気の軍隊は堅固な防御も巧妙な罠もすべて粉々に打ち砕く。

 

 金髪の獅子と狂気の闘将がついに姿を現す。戦慄せずにいられるだろうか? 俺には無理だ。マフィンを立て続けに八個食べたが震えが止まらない。


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