銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第77話:政治と軍事のすれ違い 801年10月12日~10月中旬 ハイネセンポリス某所~焼肉屋~首都防衛軍司令部

 民主国家においては、政治的対立は言論の形をとって現れる。対立する両派は「政党」と名付けられた疑似軍隊を作り、「議員」と名付けられた兵士を集め、「議会」と名付けられた疑似戦場に展開し、「政策論争」や「選挙」と名付けられた疑似戦争を戦う。野党は「政権交代」と名付けられた疑似革命を目指し、与党は政権を継続させるためにエネルギーを費やす。平和的手段による政権交代の制度化こそが、民主主義の最大の特徴といえる。

 

 一方、専制国家の政権交代が平和的に行われることは稀だ。暴力と陰謀なくして、権力者が倒れることはない。権力者が子供に権力を譲る場合でも、後継者が確定するまでには多くの血が流れるし、後継者を暴力で変更しようとする者は後を絶たない。政権が無事に継承された場合、他の後継者候補とその支持者は、天国や流刑地に追放されるだろう。

 

 もっとも、同盟でも暴力的な政権交代を試みる者はいた。主戦派軍人が国防体制を強化する目的でクーデターを企てたこともあれば、反戦派軍人が無謀な出兵を止めるためにクーデターを企てたこともある。

 

 建国からの二七八年間で発生したクーデター未遂事件は、記録に残っているものだけで一二回、表に出なかったものも含めれば四六回に及ぶ。蜂起までこぎつけたのは、マンフレート亡命帝との講和に反対する地上総軍が蜂起した七〇七年の「建軍記念日事件」と、第一艦隊がハイネセンポリスを三日間占拠した七六七年の「ハイネセン六月危機」の二件だけだ。

 

 近年では、統一正義党の影響を受けた過激派将校グループ「嘆きの会」が、三度のクーデター未遂事件を起こした。七九二年九月の事件は国防委員会情報部が防ぎ、七九三年八月と七九三年一二月の事件は憲兵隊が防いだ。いずれも計画段階で発覚したため、表には出ていない。

 

 国家非常事態委員会(SEC)には、かつてクーデターを防いだ人物が加わっている。統合作戦本部次長ドーソン大将は当時の憲兵司令官、憲兵司令官代理イアシュヴィリ少将は当時の憲兵隊調査部長、俺は当時の憲兵司令部副官だった。

 

「八年前と同じことをするだけだ」

 

 統合作戦本部次長ドーソン大将はそう豪語した。声は上ずっており、虚勢を張っているようにしか見えない。二度のクーデター計画を摘発した実績は本物なのだが。

 

 暗殺未遂から二日後の一〇月一四日、秘密の会議に一四名全員が集まった。もっとも、俺を含めた一二名は立体画像として参加している。これほどの高官が一か所に集まるなど、物理的に不可能だ。

 

 同盟軍には、トリューニヒト派、良識派、旧ロボス派、中間派、過激派の五大派閥がある。トリューニヒト派を除く四派閥に、クーデターの疑いがかかっていた。

 

「一番怪しいのは良識派だ」

 

 ドーソン大将が決めつけるように言う。異論のある者は一人もいない。正確に言えば、俺はグリーンヒル大将以外は大丈夫だと思っているが、前の世界の知識以外に根拠がなかった。

 

 良識派は前統合作戦本部長シトレ元帥の思想を受け継ぐ派閥である。ダゴン会戦以来の同盟軍リベラルの流れを汲み、軍縮・専守防衛・対帝国緊張緩和を掲げる。主な支持層は士官学校戦略研究科出身のエリート幕僚、個人プレーを好む陸戦隊員と空戦隊員、職人気質の強い特殊部隊隊員だ。武勲が多いことから、市民からの人気が最も高い。

 

「人気だけだがな」

 

 国防委員会事務局次長スタンリー・ロックウェル中将が、非友好的な視線を端末に向ける。そこには良識派の成果が書き連ねられていた。

 

「現役兵の一九〇〇万人削減、大型編制から小型編制への転換、後方支援や地方警備の民間委託、指揮系統の効率化、ハイテク装備の導入、情報通信機能の強化、パワハラやセクハラに対する厳罰化、危機管理能力重視の教育、民間との癒着排除……。聞こえは良くても、中身は空っぽだ」

「編制の小型化、ハイテク装備の導入、情報通信機能の強化、ハラスメント対応の強化なんかは、貴官の主張と同じでは?」

 

 そう指摘するのは、特殊作戦総軍副司令官コンスタント・パリー中将である。ロックウェル中将は不機嫌になった。

 

「口先だけなら何とでも言える。大事なのは実績だ。あの連中に私と同じことができるものか」

「一応の成果はあげていると思いますがね」

「そう見えるだけだ」

 

 ロックウェル中将はあくまで否定する。「自分ならもっとうまくやれる」と言いたいのか、敵がうまくやったことが悔しいのかは、誰にも判別できない。

 

「あいつらの目には、トリューニヒト議長が同盟軍を私物化しているように見えるらしいぞ」

 

 ドーソン大将が話題を変えると、すかさずロックウェル中将が食いつく。

 

「軍隊を『国家の中の国家』に作り変えたい連中に言われてもな」

「まったくだ。どちらが私物化しているのやら」

「口では『軍の政治的中立』『権力者ではなく市民を守る軍隊』などと言うが、政治家の言うことを聞きたくないだけだ。民主国家の軍人がすることではない」

「あの連中が言いたいことは、『馬鹿は黙ってろ。賢い俺たちに全権をよこせ』に尽きる。ただの戦争屋だ。軍隊の外にある光景が見えていない。戦術レベルや作戦レベルでは優秀かもしれんが、戦略レベルでは通用せんな」

 

 ドーソン大将は自分こそが本物の戦略家だと言いたげである。彼やロックウェル中将は政治家や市民との関係を重視する。予算を取ってくるのは政治家だ。税金を払うのは市民だ。だからこそ、スポンサーを満足させる戦略を立てないと駄目だと考える。軍隊を企業とすると、彼らの戦略はスポンサー重視と言えよう。

 

 一方、ヤン大将やボロディン大将ら良識派は、兵士の命を大事にする。命を賭けるのは兵士だ。だからこそ、犠牲の少ない戦略が必要だと思っている。スポンサーを満足させるためだけの戦略など論外だ。彼らは従業員重視の立場と言える。

 

「…………」

 

 俺は何も言わずに耳を傾ける。ラグナロックに従軍したワイドボーン中将、パリー中将、フェーブロム少将も黙っていた。

 

 ドーソン大将らの言い分を無批判に肯定することはできない。ラグナロックでは、政治家や市民を満足させるための戦略が破滅を招いた。戦友も部下もたくさん死んだ。良識派の言う通り、軍事的合理性のある戦いだけをやれば、こんなことにはならなかった。

 

 しかし、アピールが大事なのもわかる。兵士にうまい飯を食わせ、新しい装備を持たせ、実戦的な訓練を施すには金が必要だ。政治家や市民を満足させないと、兵士を手厚く待遇することもできない。軍事的に無意味な戦いでも、兵士にとっては意味がある。

 

「クーデターの動機は十分だ」

 

 ネグロポンティ委員長の声には確信がこもっていた。同意しない者は一人もいない。俺から見ても、グリーンヒル大将がクーデターを起こす動機としては十分だろう。

 

「ビュコックが一番危ない。持論を押し通すためなら、民主主義を無視しかねない奴だ」

 

 最も危険視されるのは宇宙艦隊司令長官ビュコック大将だ。二等兵から叩き上げた生粋の軍艦乗りで、誰に対しても遠慮しない。兵士からは「俺たちのアレク親爺」と親しみを込めて呼ばれる。トリューニヒト派を露骨に嫌い、目を開けばうさんくさげに睨み、口を開けばアッテンボロー少将も及ばないほどの毒舌を吐くといった具合だ。

 

「大丈夫だと思いますよ」

 

 俺はビュコック大将を擁護した。前の世界では民主主義のために殉じた名将だ。口が悪いから誤解されるだけで、持論より民主主義を優先すると思う。こんな人に監視をつけるのは人員の無駄遣いだろう。

 

「君はビュコックの何を知っているのだ?」

 

 ネグロポンティ委員長が鋭い目つきで俺を睨む。ドーソン大将とロックウェル中将は不機嫌になる。彼らは俺よりずっとビュコック大将と顔を合わせた回数が多い。それだけ不快な思いをさせられているのだ。

 

「いえ、申し訳ありません」

 

 俺はすぐに引き下がった。前の世界の記憶なんて証拠にはならない。この世界ではビュコック大将と数回しか会ったことがないし、そのすべてで冷淡な対応をされた。ビュコック大将が良い人だと客観的に主張できる材料は、持ち合わせていなかった。

 

「話を続けるぞ。二番目に危ないのはベネット、三番目はクブルスリー、四番目は――」

 

 次々とハイネセンにいる良識派幹部の名前が読み上げられた。地上軍総監ベネット大将は地上総軍の総司令官だ。宇宙艦隊総参謀長クブルスリー大将は、実働部隊を持っていないが、声をかけたら決起する将校は多いだろう。四番目以降はハイネセンに駐留する部隊の司令官であり、なおかつ反トリューニヒト的な人物だった。

 

「最後はボロディンだ」

 

 思い出したように、統合作戦本部長ボロディン大将の名前が出てきた。トップだから一応出したといった雰囲気だ。持論より民主主義を優先する人だと思われているので、あまり警戒されていない。

 

「グリーンヒル大将はいないのですか?」

 

 俺の質問に対し、ネグロポンティ国防委員長はうんざりしたような顔をした。

 

「あの男は問題ない。監視対象から外した」

「どうして外したんですか? 影響力はクブルスリー大将よりずっと大きいはずです」

「グリーンヒルは分別のある男だ。どんな時でも理想より秩序を優先する。ラグナロックでもそうだった」

「追い詰められたら、どうなるかわかりませんよ」

「裁判は被告側有利に進んでいるはずだが」

 

 ネグロポンティ国防委員長が指摘する通り、俺が起こした軍法会議請求訴訟は被告側に有利な方向で進んでいた。グリーンヒル大将は追い詰められていない。だが、実際に事を起こした実績があるのだ。

 

「しかし、万が一ということもありますし」

「ルイスの戯言を信じているのではあるまいな?」

「そんなことはありません」

 

 俺は慌てて首を振る。ルイス准将は何の根拠もなしに、「グリーンヒル大将がブロンズ大将やルグランジュ大将と一緒に、クーデターを企んでいる」と言いふらす。だが、俺には根拠があった。決してこの場では出せないものだが。

 

「人員には限りがあるのだ。優先度の低い者まで監視する余裕などない」

「そうだぞ、フィリップス提督。憲兵隊の状況は知っているだろうに」

 

 イアシュヴィリ少将が疲れたような表情で俺を見る。

 

「存じております」

「だったら、無茶は言わんでくれ」

「わかりました」

 

 俺はやむなく引き下がった。憲兵隊は組織再建という大きな課題を抱えているし、相次ぐトラブルへの対応にも忙しい。

 

 宇宙艦隊副司令長官ルグランジュ大将にも監視を付けるべきだと、俺は主張した。この世界では政治的に無色だし、俺個人としても信用できる人だ。それでも、前の世界ではクーデターを起こした。警戒するに越したことはないと思ったが、人が足りないと言われて却下された。

 

「軍がもう少し警察に好意的なら、簡単なのだがね」

 

 チャン警視監が苦笑いを浮かべる。軍隊ほど警察嫌いの組織はない。警察官が軍事施設に踏み込むには、嫌がらせとしか思えないほどに複雑な手続きが必要だ。無断で忍び込んだことが発覚すれば、責任者の首が飛ぶ。

 

「それは先の話だ」

 

 ネグロポンティ国防委員長はそう言って次のファイルを開く。

 

「過激派は何をするかわからん。分別がない」

 

 過激派は極右思想で結びついた地方閥や兵科閥の連合体である。軍事独裁・反フェザーン・革新主義が特徴だ。実戦部隊で体を張る人や、教育部門で若者を指導する人から支持を受ける。三度のクーデター未遂を起こした「嘆きの会」は、この派閥の一グループだった。

 

 彼らは良識派の改革で軍から追放されたが、母体の統一正義党が与党入りしたおかげで復権できた。ところが、復帰した途端に革新運動を始めたのだ。統一正義党が止めようとしても、「妥協した奴らの言うことなど聞けるか」と突っぱねる。

 

「最も警戒すべきは、アラルコンとファルスキーだ」

 

 ネグロポンティ国防委員長が過激派の双璧と称される人物をあげる。教育総隊副司令官アラルコン中将は、実働部隊を持たないが、ひと声かければ大勢の将校が立ち上がるだろう。第七機動軍司令官ファルスキー中将の人望は、アラルコン中将に次ぐ。

 

「旧ロボス派は単独では動けない。人気がないからな。事を起こすとすれば、他の派閥と組むだろう」

 

 旧ロボス派はすっかり衰えた。ダゴン会戦以来の同盟軍保守本流を受け継ぎ、シトレ派と軍を二分した派閥とは思えないほどだ。それでも、宇宙艦隊や地上総軍に根強い勢力がある。バーラト方面艦隊司令官アル=サレム大将、宇宙軍支援総隊司令官コーネフ大将、宇宙軍教育総隊司令官ルフェーブル大将らの影響力は侮りがたい。

 

「中間派にも単独で決起する力はない。良識派か旧ロボス派のいずれかと組むはずだ」

 

 厳密に言うと、中間派はハイネセン主義を支持する地方閥や兵科閥の緩やかな連合であり、派閥とはいえない。しかし、その緩やかさゆえに広い裾野を持っている。一貫して穏健勢力と行動を共にし、極左と極右を攻撃してきた。

 

「情報閥とシロン・グループは良識派より反トリューニヒト的だ。中間派全体が動かずとも、奴らだけは絶対に動く」

 

 この見解はSECメンバーの共通認識だった。情報閥は「国家の中の国家」と称される国防委員会情報部を支配する情報科軍人の派閥だ。シロン・グループは惑星シロンの出身者が結成した地方閥である。どちらもトリューニヒト議長の政敵、アルバネーゼ退役大将の影響下に置かれており、かつてはサイオキシンマフィアの中核を形成していた。

 

 俺、ドーソン大将、イアシュヴィリ少将、ネグロポンティ国防委員長、チャン警視監、ナディーム警視長、マサルディ警視長の七名は、七年前のマフィア捜査に関わった。ただし、この席ではサイオキシンマフィアのことは口にできない。最高度の軍事機密に指定されているからだ。

 

「厄介なのはブロンズ、ギースラー、ドワイヤンだな」

 

 名前を聞くだけで厄介だと思える三人である。統合作戦本部管理担当次長ブロンズ大将は、情報閥とシロン・グループの総帥だ。国防委員会情報部長ギースラー中将は情報閥のナンバーツー。国防委員会査閲部長ドワイヤン中将は、シロン・グループの重鎮である。

 

「意見があります」

 

 俺は満を持して立ち上がった。

 

「何だね?」

「ドワイヤンを査閲部長から外してください。サイオキシン中毒患者に銃を持たせるよりも危険です」

 

 査閲部は訓練・災害派遣・平和維持活動など、戦闘以外の部隊行動を監督する。前の世界ではグリーンヒル大将が査閲部長の地位を悪用し、訓練と偽ってクーデター部隊を動かした。今の査閲部長ドワイヤン中将はマフィアの二代目ボスだ。「クーデターをやってください」と言っているに等しい。

 

「確かにフィリップス中将の言うとおりだ」

 

 ネグロポンティ国防委員長は同意してくれた。他のSECメンバーも口々に賛成意見を言う。

 

「貴官にしては鋭い意見だな」

 

 ドーソン大将は嫌味たっぷりだ。彼としては褒めているつもりなのだろうが、悪気なしに嫌味を混ぜるのはやめてほしい。今年で六一歳なのだ。いい加減丸くなってくれないだろうか。

 

 

 

 帝国との休戦からトリューニヒト政権成立までの二年間で、同盟軍の現役兵力は五六〇〇万人から三七〇〇万人まで削減された。現役兵力の三分の一が削減された計算になる。

 

 七九九年から八〇〇年にかけて、同盟軍は大幅な組織改編を行った。ラグナロック戦役の戦訓から、会戦向きの大型編制を広域戦向きの編制に改めたのだ。

 

 宇宙軍は四個分艦隊・一個陸戦隊基幹の正規艦隊(レギュラー・フリート)を廃止し、二個分艦隊基幹の機動集団と三個陸戦軍団基幹の陸戦遠征軍を新たな戦略単位とした。宇宙艦隊の八個艦隊は一六個機動集団に再編成され、二個機動集団が解体されて、一四個機動集団体制となった。八個艦隊陸戦隊は八個陸戦遠征軍に再編成された。宇宙艦艇は運用コストが高いため、多めに削減されたのだ。

 

 地上軍は二個陸上軍・二個航空軍・一個軌道軍基幹の常備地上軍(スタンディング・アーミー)を廃止し、一個陸上軍・一個航空軍・二個軌道部隊基幹の機動軍を新たな戦略単位とした。地上総軍の六個地上軍は一二個機動軍に再編成され、一個機動軍が解体されて、一一個機動軍体制となった。

 

 二二個方面軍のうち一三個方面軍が軍級部隊に縮小され、地方部隊は軍縮前の半分となった。良識派は減少した兵力を運用で補うため、中央宙域を守る一個中央軍集団、辺境宙域を守る五個辺境軍集団を新設し、方面軍の上級単位とした。

 

 また、外征部隊を地方警備に応用する試みも行われた。バーラト星系、シヴァ星系、イゼルローン回廊に方面艦隊を創設し、機動集団と陸戦遠征軍を三か月交代で所属させた。機動軍をネプティス、パルメレンド、カッファー、ウルヴァシーに三か月交代で派遣した。ウルヴァシーはルイス准将の提言によって、フェザーン方面防衛の拠点となった惑星である。

 

 トリューニヒト政権が成立すると、四〇〇万人が現役に復帰した。宇宙艦隊には一個機動集団と一個陸戦遠征軍が増設され、地上総軍には一個機動軍が増設された。一〇月時点での現役兵力は四一〇〇万人にのぼる。

 

「ありがたくも何ともない」

 

 エーベルト・クリスチアン地上軍大佐は苦々しそうに舌打ちした。彼自身も現役復帰して大佐に昇進を果たしたのだが、トリューニヒト議長に対する感情が好転することはなかった。

 

「トリューニヒト議長ほど軍人を優遇する政治家はいませんよ」

 

 俺は焼けた肉を鉄板からクリスチアン大佐の取り皿に移す。今日は焼肉屋で一緒に食事をしている。

 

「あれほど軍人を尊重しない政治家もおらんだろうが。手の上げ方や足の出し方まで指図してくるような奴だぞ」

「議長も勝つためにベストを尽くしていらっしゃるのです」

 

 自分でも無理がある弁護だと思う。クリスチアン大佐がトリューニヒト議長を嫌う理由は、十分すぎるほどに分かっていた。

 

 プロの軍人にとって、理想の政治家はやりたいようにやらせてくれる人だ。どんな思想傾向であろうとも変わらない。右寄りの軍人は、好きなだけ攻撃を実施できる立場を望むだろう。左寄りの軍人は、無益な作戦を完全に抑えられる立場を望むだろう。軍事では判断ミスが死に繋がる。素人が変な口出しをしたせいで、自分や部下が死ぬ可能性もあるのだ。

 

 一方、トリューニヒト議長は良く言えば面倒見が良く、悪く言えばお節介だった。何かをやる場合、担当者に方針を与えて良しとするのではなく、隅々まで自分で指示を出す。予算を取ってきても、「金の使い方は任せる」とは言わず、「私の言うとおりに使え」と言う。

 

 軍事作戦にトリューニヒト議長が関わると、すべて細かい部分まで手を入れてくる。エル・ファシル海賊討伐の時には、佐官クラスの人選にまで気を配り、戦略・兵站・民事支援のすべてに口を挟んだ。レグニツァでも人選や戦略を取り仕切った。普通ならば、作戦司令部や統合作戦本部に任せるところだ。

 

「あいつの指図通りにしても勝てんだろうが。エル・ファシルでもレグニツァでも失敗した」

 

 そう吐き捨てると、クリスチアン大佐はフォークで肉を突き刺して口に放り込む。肉食獣を思わせる獰猛な食べっぷりだ。

 

「運がなかったんです。エル・ファシルの失敗は謀略によるものです。レグニツァは敵を褒めるべきでしょう」

「どちらも敵に隙を突かれた。トリューニヒトのやり方は奇襲に弱い。指揮官に自由な裁量を認めていれば、あんなことにはならなかった」

「それは思います」

 

 俺は恩師の言葉に頷いた。一般論で言うと、細かすぎる作戦は実戦向きではない。少し手順が狂っただけで取り返しがつかなくなってしまう。また、現場指揮官が予定を消化することに気を取られて、状況把握が疎かになる恐れがある。

 

 ふと、前の世界の記憶が脳内に浮かんだ。『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』のアスターテ会戦である。同盟軍のパエッタ提督とムーア提督は、三方向から包囲する計画が破綻した後も、予定通りに進軍して敗北した。当時は馬鹿な提督だと思ったものだ。しかし、自分が提督になってみると理解できる。あまりに作戦が細かすぎて、現場で判断できる余地がなかったのだろう。

 

「軍人にとっての正解と、政治家にとっての正解は違う。だからこそ、政治家は軍事に口を挟むべきではない。良識派という連中は好かんが、政治家の口出しを許さぬ点だけは立派だ」

 

 クリスチアン大佐が良識派を褒めるのはよほどのことだ。プロ意識の強い彼にとっては、リベラルすぎる良識派よりも、干渉しすぎるトリューニヒト議長の方が不快なのである。

 

「まあ、俺としては、細かく指示してくれた方がやりやすいです」

 

 俺は笑いながら肉を焼く。実現したい構想があるわけでもない。与えられた任務を全うし、部下が喜んでくれるなら満足できる。

 

「貴官は依存心が強いからな。トリューニヒト式のやり方を歓迎するのは、依存心の強い者か、型にはまったやり方を好む者か、小さな利益を欲しがる者だけだ」

「凡人ってことですね」

「その通りだ。トリューニヒト派に秀才や能吏はいても、傑物はいない。規則を守るだけの者しかいない軍隊など役に立たん。戦う組織には、先頭に立って兵を引っ張る者、臨機応変に判断できる者が必要だ」

「耳が痛いです」

「貴官は兵を引っ張っているだろう」

「恐れ入ります」

「いつも素直だな。実に結構」

 

 クリスチアン大佐は満足そうに頷き、手に持ったスペアリブの骨をへし折ってかみ砕く。見ているだけで頼もしくなってくる。

 

「小官はこの年だ。二年もすれば軍を退くだろう。一度ぐらいは大きな戦いに参加したいが、今の情勢ではそれもかなうまい」

「帝国が荒れていますからね」

「だから、貴官には期待している。今すぐでなくとも良い。トリューニヒトの指示ではなく、軍人としての良心に従って戦うところを見たいものだ」

「頑張ります」

 

 俺は小さな体を縮こまらせる。すぐに期待に応えられないのが心苦しい。今はトリューニヒト議長のために戦っている。

 

 久しぶりに面と向かっての会話を楽しんだ後、俺とクリスチアン大佐は握手を交わした。ごつごつ分厚い手が俺の小さな手を包み込む。

 

 一瞬、頭の中に不安がよぎる。出世するにつれて、クリスチアン大佐と歩く道がずれていく。今はお互いに歩みよる余裕もある。だが、いつか完全に決別する時が来るのではないか? そんなことを思ったのだ。

 

 

 

 軍部とトリューニヒト議長の抗争は激しくなる一方だった。良識派は旧ロボス派や中間派とともに穏健派連合を組み、軍縮と少数精鋭化の貫徹を目指す。過激派は軍拡を進めつつ干渉から脱する方法を模索する。

 

「自由惑星同盟には『国家の中の国家』が二つある。一つはオリンピア、もう一つはキプリング街八〇〇番地F棟だ」

 

 トリューニヒト議長は定例会見でそう語った。「オリンピア」は首都圏の外れにある軍事中枢地区、「キプリング街八〇〇番地F棟」は国防委員会庁舎F棟にある情報部を指す。オリンピアにある軍中枢機関のほとんどは良識派の拠点である。

 

「自由惑星同盟は一つでなければならない」

 

 この一言が発せられた瞬間、会見場はどよめいた。情報部と良識派を潰す決意を示したものと受け取られたのだ。

 

 良識派の統合作戦本部長ボロディン大将、宇宙艦隊司令長官ビュコック大将、地上軍総監ベネット大将、復員支援軍司令官ヤン大将らは、ラグナロックの英雄なので批判できない。ラグナロックの英雄でない者が標的となった。トリューニヒト支持の右派マスコミやネットユーザーが、良識派軍人を徹底的に叩いた。

 

 最も激しく叩かれたのは、第二辺境軍集団司令官アレックス・キャゼルヌ中将である。娘を連れて歩いている写真が出回ると、「他人の子供を殺した奴でも、自分の子供はかわいいんだなあ!」と嘲笑された。食事をしている写真が出回ると、「兵士を首にして浮かせた金で食う飯はうまいか?」と皮肉られた。言いがかりとしか言いようがない。

 

 キャゼルヌ中将は同盟軍最高の後方支援専門家だ。彼が「最高」と評される所以は、少ない人数と少ない予算で組織を効率的に動かす手腕にあった。

 

 国民平和会議(NPC)と進歩党が与党だった時代には、人員を減らし予算を切り詰めた者が有能だと言われた。同盟軍もその点では変わらない。コストカットの達人は出世街道を疾走した。コストを減らすのが下手な軍人は、管理職に向いていないと思われた。俺は予算をたくさん使ったせいで、良識派から無能とみなされて予備役に放り込まれたのだ。

 

 嫌な言い方をすると、多くの人を失業させた者や、多くの人の収入を減らした者が出世したことになる。誠実に仕事をしても、切られた者から恨まれることは避けられない。コストカットのチャンピオンともいうべきキャゼルヌ中将は、ひときわ恨みを買っていた。

 

 さらに言うと、キャゼルヌ中将はラグナロック戦犯容疑者でもあった。帝国領遠征軍の後方主任参謀を務め、俺たちラグナロック帰還兵から訴えられたのだ。

 

 左遷後の行動も恨みを買うもとになった。キャゼルヌ中将は第二〇方面軍の経費削減と人員整理を素早く済ませ、軍集団級部隊から軍級部隊への縮小を成し遂げた。フェザーン方面を統括する第二辺境軍集団が新設されると、司令官に起用され、四個方面軍を軍集団級部隊から軍級部隊に縮小した。切られた人々はトリューニヒト支持者と一緒になって、キャゼルヌ叩きをやった。

 

 正直言って少し心苦しい。キャゼルヌ中将が叩かれる理由の一部は、俺が起こした訴訟にあるからだ。だからと言って取り下げることもできない。個人的な好き嫌いで訴えるかどうかを決めるなら、彼を訴える必要などなかった。

 

 その次に激しく叩かれたのが、宇宙軍予備役総隊司令官グリーンヒル大将だ。ラグナロック戦役の総参謀長だったので、殺人者呼ばわりされた。

 

 宇宙艦隊総参謀長クブルスリー大将、統合作戦本部計画部長マリネスク中将らは、「兵士を首にして偉くなった奴」と罵られた。彼らが軍縮に果たした役割の大きさは、ボロディン大将やヤン大将とそれほど変わらない。英雄でないから叩かれやすいだけだ。

 

 それと並行して、トリューニヒト支持者は旧ロボス派や中間派を攻撃した。コーネフ大将やビロライネン中将は戦犯呼ばわりされ、情報部は「開戦工作に関与した犯罪組織」と糾弾された。

 

 穏健派連合の勢力が弱まったところで、トリューニヒト議長はさらなる軍拡を決定した。二個機動集団、二個機動軍、三個陸戦遠征軍の増設を決定した。増設が完了すれば、一七個機動集団・一四個機動軍・一二個陸戦遠征軍体制となる。地方部隊の大幅増員も決定された。七〇〇万人が現役に復帰することとなった。

 

 穏健派連合は危機感を覚えた。公的年金、公的医療補助、地方補助金、農業補助金などの復活が決まり、社会保障予算が増額され、大規模公共事業が始まっている。それに加えて軍拡が実施されれば、レベロ政権とホワン政権が半減させた財政赤字が元に戻るだろう。レベロ元議長らは同盟がラグナロック戦役末期よりも危ういと警鐘を鳴らす。何としても軍拡の流れを止めたいと彼らは考えた。

 

 一方、過激派は軍拡支持なのに、トリューニヒト軍拡を歓迎しなかった。彼らから見れば、導入予定の新装備は質が悪く、再開される基地はトリューニヒト派自治体に集中し、復帰する軍人はトリューニヒト派が優先されている。支持者を豊かにするための軍拡と感じたのだ。

 

 一〇月中旬、同盟警察警備部長コロナード警視監率いる星系警察部隊の連合軍が、第二次辺境正常化作戦を開始した。宇宙艦艇九〇〇〇隻と地上戦闘要員六四万人が、ネプティス方面の諸星系に押し寄せる。彼らはみんなトリューニヒト派の退役軍人である。

 

 トリューニヒト派に対する反感はますます高まった。穏健派連合は市民に銃を向けるなど論外だと思っている。過激派は軍隊と警察が手を組むことが許せない。軍部の不満は沸騰寸前のように思われた。

 

 SECは最悪の状況に備えた。敵がハイネセンポリスの中心部を制圧することを想定した作戦、敵がハイネセンポリスが完全制圧することを想定した作戦、敵が首都圏全域を制圧することを想定した作戦、敵が惑星ハイネセンを完全制圧することを想定した作戦を整える。

 

 俺は想像しうる限り、最も悲観的な想定の作戦を作るよう命じられた。首都防衛軍が単独でクーデターに対処する想定である。

 

 首都防衛軍に非公式のクーデター対策司令部が設けられた。俺、参謀長代理チュン・ウー・チェン准将、副参謀長アブダラ准将、作戦部長ラオ大佐、情報部長ベッカー大佐、後方部長イレーシュ大佐、人事部長オズデミル大佐、通信部長マー技術大佐、作戦副部長メッサースミス中佐、首都防衛軍憲兵隊長ウェイ地上軍大佐の一〇名がクーデター対策を練った。ウェイ大佐は七年前に俺の後任として、チーム・セレブレッゼを監視した憲兵だ。副司令官カウマンス少将は信用できないので外した。

 

「参謀長代理、進行状況について報告してくれ」

「ミルフィーユ計画は五五パーセント、シフォン計画は七〇パーセント、プディング計画は八〇パーセント、ワッフル計画は六〇パーセント、トルテ計画は七五パーセント、バウムクーヘン計画は七〇パーセント完了しております」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長代理は、菓子作りの進行具合について話すパン屋のようだ。他の者もそう思っているのか、微妙な顔をしている。

 

「事故対策で忙しい中、よくやってくれた」

 

 俺は部下たちに感謝の言葉を述べた。予想したよりずっと早い速度だ。この調子なら来週には体制が整うだろう。

 

「元が良かったので」

 

 ラオ作戦部長が誇らしげに一冊のファイルを取り出す。題名は『午睡計画』という。三四年前、首都防衛軍がハイネセン六月危機を収拾した時の作戦計画書だ。対クーデター作戦のバイブルと言われる。

 

「君たちの力だ」

 

 俺は「君たち」を強調する。部下を評価しているというよりは、午睡計画の立案者を認めたくなかった。

 

「この方々に自分が勝てると思うほど、思い上がってはいません」

 

 ラオ作戦部長が作戦立案者たちの名前を指す。首都防衛軍司令官アルバネーゼ宇宙軍中将、首都防衛軍副司令官オリボ地上軍少将、首都防衛軍参謀長ジャーディス宇宙軍少将、首都防衛軍副参謀長カルローネ地上軍准将、首都防衛軍作戦部長バレンシア地上軍大佐、首都防衛軍情報部長カロキ宇宙軍大佐……。七三〇年マフィアが去った後の同盟軍を支えた人々だ。

 

 もっとも、この場にいる者は裏を知らない。アルバネーゼはサイオキシンマフィアの創設者、ジャーディスとカロキはサイオキシンマフィアの大幹部だった。

 

「勝つつもりでやってほしい。相手も午睡計画を十分に研究してるはずだ。アルバネーゼ提督を超えないとやられるぞ」

「かしこまりました。それにしても、情報部がクーデターを起こすとは思えませんが」

「大掛かりな妨害工作を仕掛けられる組織なんて、情報部でなければ中央情報局ぐらいだ」

「アルバネーゼ提督の薫陶を受けた組織です。クーデターとは無縁でしょう」

 

 ラオ作戦部長は情報部を信頼しきっている。裏を知らない者から見れば、情報部は穏健勢力の守護者、アルバネーゼ退役大将は国を救った英雄である。

 

「ブロンズ将軍が睨みをきかせてるしねえ。六月危機の英雄だよ」

 

 イレーシュ後方部長が同調する。前の世界ではクーデター首謀者だったブロンズ大将も、彼女にとっては郷里が生んだ名将だった。

 

 無数の功績に彩られたブロンズ大将の軍歴においても、ジャスパー元帥救出作戦「ゲットアップ・レイト」はひときわ輝いている。六月危機の時、二四歳のブロンズ中尉はコマンド部隊三〇名を率いて、一個陸戦師団が警備する敵基地に潜入した。そして、監禁されていた宇宙艦隊司令長官ジャスパー元帥を脱出させた。勇名高い七三〇年マフィアの元帥を味方につけたことで、首都防衛軍の優位が確立したのである。

 

 会議室全体に情報部とブロンズ大将を信じる空気が流れる中、チュン・ウー・チェン参謀長代理がのんびりと口を開いた。

 

「私もブロンズ将軍と情報部を信じている。それでも、警戒するに越したことはない。怪しくない奴が犯人だなんて良くあることじゃないか」

「参謀長代理の言うとおりだ。エル・ファシル七月危機の時だって、一番信用できそうな人間がスパイだった」

 

 俺は五年前のことを思い出した。暗殺者ルチエ・ハッセルは、兵卒時代の俺と親しかった。他のスパイにしても、親同盟派名士の子弟、親同盟団体の活動家、対帝国戦争の英雄など、体制に最も忠実なはずの人々ばかりだったのだ。

 

「苦い思い出です」

 

 アブダラ副参謀長が遠い目で過去を振り返る。エルファシル七月危機の時、彼は俺と一緒に戦った。

 

「そういうことだ。気を付けてくれ」

 

 俺が微笑んだところで、ブザーが鳴った。スクリーンにオペレーターが現れる。

 

「緊急事態です」

「何があった?」

「帝国で革命が発生しました」

「何だって!?」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長代理とハラボフ少佐以外の全員が声を揃える。

 

「労働者と兵士からなる『選民評議会』が、帝国首星オーディンを掌握しました。他の惑星にも革命の動きが広がっています」

「選民評議会か。ルドルフ原理主義者だな」

 

 俺は苦々しい気分になった。ルドルフ原理主義者は、真の選民による支配と弱者の完全排除を目指している連中だ。ラグナロック戦役中の暴れっぷりは酷いものだった。

 

「帝国政府はオーディンを脱出し、レンテンベルク要塞に臨時宮廷を置いたとのことです」

「全面対決だろうな。ルドルフ原理主義者は皇室や貴族を弱者扱いしてるから」

 

 俺はため息をついた。いつも事態は俺の予測を裏切ってくれる。帝国の革命は同盟政局にも影響せずにはいられないだろう。二年ぶりに銀河が燃え上がった。


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