銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第82話:崩れゆく祖国 801年11月6日~8日 ボーナム総合防災センター

 ジョアン・レベロ下院議員とホワン・ルイ下院議員の加入から二日が過ぎた。リベラル派を代表する大物の存在は、市民軍が中道寄りになったとの印象を与えた。

 

 レベロ議員らが加わる前日から、再建会議は境界線の警備を緩めている。自動車の通行だけを取り締まり、徒歩・自転車・エアバイクは無条件で通過させた。警備兵は脱走兵ですらチェックせずに通してしまう。

 

 市民軍支配地域に大勢の人々が押し寄せた。中道層、日和見主義者、政治的無関心層などが加わり、一一月六日には市民軍は三〇〇〇万人を越えた。

 

 俺の戦友や元部下が次々と市民軍に合流した。再建会議の監視が解けたのだという。ニコルスキー大佐など故あって俺の元を離れた者も駆け付けてくれた。

 

 憂国騎士団行動部隊のレオニード・ラプシン予備役大尉が参戦してきた。三一名の行動隊員が一緒だ。

 

「憂国騎士団ミーマンサ大隊三二名、ただいま到着いたしました」

「よく来てくれた」

「愛国者が命を投げ出す時は、今をおいて他にありません。三二名の命、好きなようにお使いください」

「君たちの覚悟のほどは分かった。国家のために死んでもらうぞ」

 

 俺は両手でラプシン大尉の手を握り締めた。再建会議が憂国騎士団を厳しく取り締まる中、これだけの人数を集めるのは大変だっただろう。

 

 憂国騎士団にはあまりいいイメージを持っていない。トリューニヒト議長を支持しているといっても、やることが乱暴すぎる。秩序と規律を破壊する存在だ。できることなら解散してほしいと思う。こんな連中を野放しにしていては、トリューニヒト議長のイメージが悪くなる。

 

 それでも、危険を冒して馳せ参じてくれた相手には冷たくできなかった。まして、ラプシン大尉はヴァンフリート四=二にいた時の部下だ。

 

 多くの退役軍人が死に場所を探しに来た。失脚した者、社会に適応できない者、戦場で死にたいと願う者、生活苦にあえぐ者などが市民軍の受付に現れた。

 

 ジェフリー・パエッタ予備役少将は、「一兵卒として使ってほしい」と言ってきた。かつては宇宙艦隊副司令長官を務めた大物だ。レグニツァ会戦の敗戦責任により、二階級降格されて予備役に放り込まれた。何度か復帰の話があったが、そのたびに良識派に妨害された。支持率目当ての出兵に協力したことが怒りを買ったのだ。再就職もままならず、朝から晩までテレビをぼんやりと眺めていたそうだ。

 

「私は戦うしかできない男だ。雪辱できずに生きるぐらいなら、華々しく討ち死にしたい」

 

 パエッタ少将の顔は悲壮な決意に満ちていた。

 

「かしこまりました。提督が本懐を遂げられるよう、尽力させていただきます」

 

 俺はパエッタ少将の加入を認め、最も危険な部署に配備した。屈辱に満ちた生より名誉ある死を選ぶ気持ちは良くわかる。逃亡者として生きた六〇年は辛いだけだった。

 

 サミュエル・アップルトン予備役准将は不運な人だ。ロボス派のホープだったが、九年前のアルレスハイム会戦で惨敗したために失脚した。再招集されてラグナロック作戦に参加したものの、武勲を立てることができず、帰還後に再び予備役となった。良識派が退役軍人の再就職を規制したために、宇宙船製造会社部長の職を失った。現在はコンビニ店員のアルバイトをしているという。

 

「私はアルレスハイムで死ぬべきだった」

 

 そう語るアップルトン准将に、かつての自分が重なった。エル・ファシルで死ねばよかったと思ったことは数えきれない。今の世界でも前の世界でも不運な提督に同情した。

 

 新たに加わった者の中には有名人が少なからずいた。特に多かったのが失脚した政治家である。市民軍で名前を売りたいのだろう。

 

 コーネリア・ウィンザー下院議員がやってきた。ラグナロック戦役当時の国防委員長で、講和を妨害し続けたことで悪名高い。前の世界では帝国領侵攻作戦を引き起こしている。正直言うと市民軍には来てほしくない。

 

「フィリップス提督の演説に感動しました」

 

 ウィンザー議員は両手で俺の右手を握り締め、熱っぽい口調で市民軍の大義を称賛する。

 

「私たちには崇高な義務があります。クーデター軍を打倒し、独裁から市民を救う義務です。提督はそのことを教えてくださいました」

「ありがとうございます」

「私も市民軍の戦列に加えてください。使い走りで結構です。この神聖な戦いに参加できるだけでも、身に余る栄誉ですから」

「ウィンザー先生のお気持ちはわかりました」

 

 俺はたじろいだ。目に映るのはウィンザー議員の上品な美貌。耳から飛び込んでくるのは音楽的な美声。手から伝わってくるのは温かい体温。平常心ではいられない。

 

 ウィンザー議員には人を魅了する魔力があった。ラグナロック戦犯という先入観があっても、ここまで心を揺さぶられる。俺のような小物が太刀打ちできる相手ではない。彼女といい、レベロ議員といい、ホワン議員といい、有名政治家は飛び抜けた人間ばかりだ。

 

 大量の新戦力を獲得した市民軍も、リベラル層は取り込めなかった。政治意識が高い人は、「誰が言っているか」より「何を言っているか」を重視する。大物であろうとも、改革を蔑ろにするような人物を支持することはしない。

 

 再建会議に反対するリベラリストは、反戦市民連合ソーンダイク派に身を投じた。小勢力とはいえ、反戦市民連合創設メンバーのソーンダイク議員、反戦派のシンボルのアブジュ議員らを擁している。市民軍よりは参加しやすいのだろう。

 

 市民軍に参加したリベラル層は、予想よりもはるかに少ない。レベロ効果はレベロ議員の本来の支持層には発揮されず、それ以外の連中を動かすという皮肉な結果に終わった。

 

 構成員が急増したことで、市民軍の足並みが乱れ始めた。数は力と言う言葉がある。だが、まとめられない数は無力だ。

 

 ある時、大衆党のアイランズ上院議員が、会議室にトリューニヒト議長の肖像画を掲げた。この会議室には、決起した時から国父アーレ・ハイネセンの肖像画が掲げられている。その横にトリューニヒト議長の肖像画を並べたのだ。

 

 このことを知ると、アラルコン中将やスビヤント議員ら統一正義党支持者が激怒した。

 

「神聖不可侵の国父をトリューニヒトごときと並べるとは何事か! 不敬の極みだ!」

 

 反ハイネセン主義者は、国父ハイネセンを完全無欠の超人だと考えている。ハイネセン主義に反対するのも、「あれは後世の人間がでっち上げたものだ。超人が矛盾だらけの思想を作るはずがない」という理由だ。

 

 会議室前の廊下は大騒ぎになった。統一正義党支持者一〇数名が中に入って肖像画を下ろそうとした。トリューニヒト派一〇数名がドアの前に立ちふさがる。両者は激しく怒鳴り合った。

 

 俺が仲裁に駆け付けた時、今すぐにも乱闘が始まりそうな雰囲気だった。発端となったアイランズ議員は姿を消していた。

 

 このような揉め事が一日に何度も起きた。俺が仲裁すれば収まるのだが、すぐに別の揉め事が起きる。

 

 市民軍は価値観も方向性もバラバラなグループの寄せ集めである。トリューニヒト派はトリューニヒト議長の復権を最優先に考える。統一正義党支持者はエリート的な再建会議に敵意を燃やす。科学的社会主義者は「プロレタリア革命軍」である市民軍が、「ブルジョワ反革命軍」の再建会議を打倒するのだと叫ぶ。中道派は混乱の収拾を願っており、再建会議への敵意は薄い。リベラル派は市民軍の右傾化を防ごうとする。日和見主義者はその時々で有利なグループの肩を持つ。

 

 このような集団をまとめるのはおそろしく難しい。全グループの利害が対立しているので、全員を満足させることは不可能だ。ある者を満足させれば、他の者が不満を抱く。それが果てしなく続くのである。

 

 ホワン議員が言うには、超党派運動の内情は似たり寄ったりだそうだ。二年前のラグナロック反戦運動でも苦労したという。

 

「揉めるのは当然さ。普段はいがみ合ってる連中が集まってるんだ」

「妥協してもらわないと困ります」

 

 俺は苦々しさを隠さない。

 

「そいつは無理だ。何も言わなきゃ、他人の言い分が一方的に通ってしまう。政治というのはそういうもんだ」

「でも、妥協しないと前に進みません」

「前とはどこにあるのかな?」

 

 ホワン議員は皮肉っぽい笑いを浮かべる。

 

「前でしょう」

 

 内心ではむっとしたものの、表情は変えない。

 

「組織人は前後の区別に悩むことがない。組織には構成員全員が共有する目標がある。軍隊の場合は勝利。企業の場合は利潤。こういったものに近づくことが前進、遠ざかることが後退といえる。しかし、政治の世界は違う」

「どう違うんです?」

「一〇〇人いたら、一〇〇人が違う方向を『前だ』と言い張る。全員が違う方向を『前だ』と思い込んでいる。主観的には自分だけが前に向かっていて、他人は後退しているように見えるのさ」

「国益に近づくことが前進とは言えませんか?」

「国益の定義も人によって違うんだよ。私は帝国と講和することが国益にかなうと思うが、トリューニヒトは戦争を続けることが国益だと言うだろう。私は移民を一〇億人導入することが国益にかなうと思っているが、トリューニヒトは移民を増やさないことが国益だと言うだろう。私にとっての前進は、トリューニヒトにとっての後退だ」

 

 ホワン議員の例え話はわかりやすかった。リベラル派の中でも、ヤン・ウェンリーのように国家をくだらないと思う者は少数派だ。大多数はレベロ議員が言ったように、リベラリストなりのやり方で国家を愛している。

 

「納得できました」

「真面目だから妥協できないんだ。どのグループも市民軍を勝たせたいと思っている。そして、他のやり方だと勝てないと思っている。だから、必死になって言い争う」

「独善と切り捨てることはできませんね」

「市民軍にはラグナロック反戦運動より有利な点が一つある。エリヤ・フィリップスという圧倒的なカリスマの存在だ。どんな揉め事も君が出るだけで収まる。曲者のアラルコンですら、君には頭が上がらない。妥協が成り立つかどうかは君次第だ」

「努力いたします」

 

 俺はかしこまって答える。いつもなら謙遜するところだが、決起中は頼れる指導者を演じることに決めている。みんな俺の後を歩いているのだから。

 

 

 

 市民軍には副司令官がいないため、俺は休まずに働いた。午前と午後に一時間ずつタンクベッドで眠るだけで、その他の時間は仕事をしている。一日五回の食事はすべて幹部や義勇兵との会食なので、公務のようなものだ。

 

 俺の身辺には護衛一〇名が交代で張り付いた。元特殊部隊隊員、元空挺隊員、元陸戦隊員といった猛者である。最初は四人だったが、アラルコン中将に「護衛を増やしなさい。今のあなたは同盟そのものだ。あなたが死んだら同盟が終わるんだ」と言われたので、一〇名に増やした。自分より一〇センチ以上背が高い男女に囲まれていると、窮屈な気分だ。

 

「疲れた」

 

 マフィンの箱を取り出そうとすると、副官代理ユリエ・ハラボフ少佐が俺の腕を掴んだ。

 

「本日の摂取制限を超えています」

「そうだったな」

 

 俺はため息をついた。ルグランジュ大将が心配するので、マフィンの量を平時の二倍に抑えている。

 

「こちらをお召し上がりください」

 

 ハラボフ少佐がクーラーボックスを開けて、ノンカロリーのパイナップルゼリーを差し出す。彼女がボランティアにレシピを渡して作らせたものだ。

 

 甘味が無ければ激務に耐えられないが、食べ過ぎたら心配される。この問題を解決したのがノンカロリーゼリーであった。パイナップルとキウイ以外のレパートリーがないことを除けば、おおむね満足できた。

 

「おかわりをもらえるか?」

「駄目です」

 

 ハラボフ少佐は蔑むような目で俺を見る。食糧の残量をわきまえろと言いたいのだろう。ボーナムの防災備蓄物資はほとんど残っていなかった。

 

 物流管理部は各地の市民軍が持ちこたえられる期間を見積もった。首都圏は三日、北大陸南部・東大陸西部・中央大陸は四日、その他の地域は一週間前後だという。

 

 物資不足は内部対立よりずっと深刻な問題だ。再建会議が衛星軌道を掌握しているため、市民軍の勢力圏には輸入物資が入ってこない。食糧やエネルギーを自給できないハイネセンにとって、星外からの輸入は生命線である。構成員が急増したこと、自動車が出入りできないことも物資不足を助長した。

 

 俺の周囲はピリピリしている。イレーシュ後方部長は食事が四人分から二人分に減ったため、ただでさえ鋭い目が一層鋭くなった。食事を五人分から三人分に減らされた妹は、ストレスが溜まっているのか、ハラボフ少佐やイレーシュ後方部長に敵意のこもった目を向ける。一人前しか食べない人たちが食事を減らされたら、市民軍全体がこのような空気になるのだろう。そう思うと一般構成員への支給量削減には踏み切れない。

 

 市民軍がよろめいたところに、再建会議が特大の爆弾を投げ込んだ。

 

「三月の上院・下院選挙は不正選挙だった」

 

 再建会議のスポークスマンは、トリューニヒト政権の正統性を根底から否定した。反トリューニヒト派に対する微罪逮捕が相次いだこと、警察が憂国騎士団のテロを取り締まらなかったこと、警察情報と検察情報がマスコミに流れていたこと、警察機密費が大衆党に流れた形跡があることなどが、不正の証拠としてあげられた。同時に公開された文書は衝撃的なものだった。

 

「法秩序委員会、同盟警察、中央検察庁による選挙干渉は明らかだ。三月選挙は民主的な選挙ではなかった」

 

 再建会議は同盟最高裁に「三月選挙は無効だ」との申し立てを行った。これによって、三月選挙そのものを否定したのである。

 

 サンテール元法秩序委員会事務総長、ツァン元同盟警察長官、マスキアラン元同盟検察総長ら元法秩序委員会系官僚五名が、公職選挙法違反の容疑で指名手配された。再建会議のスポークスマンによると、この五名は選挙干渉の首謀者であり、トリューニヒト政権の黒幕だそうだ。

 

「トリューニヒト政権のために戦う理由などない。速やかに降伏せよ」

 

 再建会議はそう呼び掛けたが、俺は即座に反論した。

 

「三月の選挙が不正選挙と認定されたわけではない。まだ疑惑の段階だ。不正が事実だったとしても、最高裁に申し立てるだけで済むことだ。クーデターを正当化する理由にはならない」

 

 このコメントの後、レベロ議員やホワン議員らもクーデターを改めて否定し、市民軍の正当性は保たれた。呼びかけに応じて離脱した者は一〇万人程度に留まる。

 

 人々は「フィリップス提督の反論が功を奏した」と語ったが、俺が考えたロジックではない。レベロ議員、ホワン議員、アドーラ計画部長ら文民のブレーンがこしらえてくれたものだ。俺はただ読み上げただけである。

 

 与党国会議員、市民軍派地方首長、宗教右派団体、極右団体、労働組合などのスキャンダルを記した怪文書が、市民軍支配地域にばらまかれた。そのほとんどは真偽が怪しい情報であったが、人々を動揺させるには十分だった。

 

 俺は一枚の怪文書に目を留めた。題名は『地球通信』と言い、地球教団の機関紙と同じ名前だ。地球教の信徒によると、紙もインクもレイアウトも地球通信の号外と同じだそうだ。他の怪文書と比べると、完成度が格段に違う。

 

 怪文書の内容は衝撃的だった。地球教団総書記代理ド=ヴィリエ大主教が資金管理団体「信徒基金」を使い、マネーロンダリングを行っていると言うのだ。顧客として、多くの政治家・企業・団体の名前があがっていた。その中にはトリューニヒト議長や憂国騎士団の名前もある。再建会議の怪文書がこの両者を悪く言うのは当然だ。しかし、ある組織の名前があったことに驚いた。

 

「カメラート……」

 

 帝国語で「仲間」を意味する名前は、帝国系の大手麻薬組織のものだ。アルバネーゼ一派や旧カストロプ派の組織「メーアヒェン」とは、サイオキシン市場の覇権を争ってきた。

 

「まさか」

 

 俺は首を横に振った。前の世界では地球教団がサイオキシンをばらまいたとの噂があった。戦記にもそのように書かれていた。自分の経験から嘘だと思っていた。だが、地球教団とカメラートが繋がっていたとしたら……。ド=ヴィリエ大主教がカメラートを援護するために、トリューニヒト議長と手を組んだとしたら……。

 

「君はどう思う」

 

 俺は地球教の信徒を呼び止めて聞いた。きっと否定してくれるだろう。怪文書の書いてることなんて嘘っぱちだ。

 

「あいつならやりかねませんよ」

 

 禁欲的な風貌の信徒はあっさり肯定した。しかも、教団ナンバーツーを「あいつ」呼ばわりだ。

 

「そうなのか?」

「ええ、あいつは邪心が法衣を着ているような男です。サイオキシンの常習者だと言われても驚きませんよ」

「聖職者がそんなことをするのかな」

「あいつは聖職者なんかじゃありません。大主教のくせに酒を飲み、カジノに出入りし、男とも女とも性交をするような男です。三年前、総本部で――」

 

 信徒はド=ヴィリエ大主教がいかに不道徳かを語る。よほど嫌っているのだろうが、そんなことを聞かされても困る。

 

 その後、流行の服を着た若い信徒に同じ質問をしたら、「あの方がそんなことをするはずはありません」と答えた。そして、ド=ヴィリエ大主教が進歩的な宗教家だと絶賛する。地球教団にはド=ヴィリエ派と反ド=ヴィリエ派がいるらしい。

 

 考えてみると、あれほどの大教団に派閥争いがない方がおかしい。銀河広しと言えども、惑星を所有している宗教団体は地球教団だけだ。ド=ヴィリエ大主教はあの若さでナンバーツーに抜擢された人だから、賛否両論があるのは当然だろう。怪文書なんか気にしてもしょうがない。検証のしようもないのだ。

 

 怪文書は市民軍に不信の種をばらまいた。政党や団体の構成員は動揺した。一般参加者は政党や団体と距離を置くようになった。俺ですら疑心を抱いたのだ。他の人たちが動揺するのも無理はない。

 

 自らの重量が市民軍を押し潰そうとしていた。三〇〇〇万人という人数は、一週間程度の歴史しかない組織には重荷でしかなかった。

 

「わざと警備を緩めたのかもしれませんね」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長代理が不吉なことを言った。

 

「そうかな」

「考えてみると、市民軍の兵力が増えても再建会議は困りません。不満分子が市民軍に行ってしまえば、デモやストライキに加わる人間が減り、再建会議支配地域の治安は安定する。一方、市民軍は損をします。人数が増える分だけ物資が減り、結束力が弱くなります」

「そういうことか」

 

 ここまで説明されたら、頭の鈍い俺でもさすがに気づく。敵は不満分子を市民軍に押し付けた。もしかすると、左右共闘も敵の計算のうちだったのかもしれない。

 

「事前に気づいていればよかったのですが。私が気づいた時はいつも手遅れです」

「気づいたとしても、どうにもできないさ。俺は市民全員の戦いだと言ってしまった。罠と分かっていても、志願者を受け入れるしかなかった。ここは相手を褒めよう」

 

 俺はチュン・ウー・チェン参謀長代理に潰れていない野菜サンドイッチを渡した。メッサースミス作戦副部長が作ったものだった。

 

 最近になって気づいたことだが、チュン・ウー・チェン参謀長代理は謀略に向いていない。戦略家と謀略家は本質的に別物だ。客観的な情報をもとに現状を分析し、大局的な計画を立てるのが戦略である。見えない腹を探り合い、相手をうまいこと陥れるのが謀略である。戦略はロジックの技術、謀略は直感の技術だ。チュン・ウー・チェン参謀長代理は正統派の戦略家なので、情報が少ない時は本領を発揮できない。だから、謀略に気づくまでに時間がかかる。

 

 ここまで考えたところで、自分が上から目線になっていることに気づいた。この世界では上官と部下だが、本当は違う。俺が小物で相手は偉大な英雄だ。偉そうに評価するなど許されない。

 

「ああ、すまなかった。少し偉そうだった」

「そんなことはないでしょう」

 

 そう言うと、チュン・ウー・チェン参謀長は潰れたハムサンドイッチをポケットから取り出し、俺の手に乗せてくれた。

 

「ありがとう」

「ラグナロックよりはずっとましですよ。パンがありますから」

「あの時はきつかったなあ。君のポケットから潰れたパンが出てこなかった。びっくりしたよ。パンが湧き出してくる魔法のポケットだと思っていたから」

「苦しいのは我々だけではありません。ミルフィーユ計画は効果を発揮しています。前向きに考えましょう」

「君の言うとおりだ」

 

 俺は微笑みを浮かべた。彼の大局的な視点は、視野の狭い俺に広い世界を見せてくれる。彼ののんびりした態度は、悲観的になりがちな俺を落ち着かせてくれる。これこそが参謀チュン・ウー・チェン・ウー・チェンの本領だ。

 

 市民軍は敵を揺さぶる道具としての役割を十分に果たした。ハイネセンポリスの一角に反クーデター勢力が居座っている事実が、再建会議の足元を大きく揺るがせている。

 

 再建会議支配地域には、正式な構成員ではないが市民軍を支持する人々がいる。低所得層と退役軍人と旧移民(ラグナロック以前からに移住した帝国人)が中心だ。彼らの活躍は義勇兵に勝るとも劣らない。

 

 再建会議の支持基盤である四大都市圏は大混乱に陥った。市民軍支持のデモ隊が中心部を埋め尽くす。トラック運転手、鉄道員、水上船員、港湾労働者、航空労働者、宇宙船員の一斉ストライキにより、物流が麻痺した。ゴミ収集員がストライキを起こしたので、市内にゴミがあふれた。学校や病院などもストライキによって休業した。電気労働者や水道労働者がストライキを始めたため、ライフラインが止まった。警察はこうした動きを放置している。

 

 ボロディン大将は予備役軍人五〇〇万人を動員した。デモやストを鎮圧するためではない。軍隊にストライキ参加者の肩代わりをさせようと考えたのだ。敵の支持者であっても、市民に銃を向けることはできなかった。

 

 この決定にブロンズ大将が反発した。軍隊を投入するのなら、デモやストの鎮圧に使うべきだというのが彼の意見だ。

 

 二人の意見の相違は経歴に負うところが大きい。ボロディン大将は正規軍同士の艦隊戦に従事してきたので、味方と敵と民間人を区別しようとする。ブロンズ大将は対テロ戦の経験が多いため、敵と民間人の境界線を曖昧なものと考えており、怪しいと思ったら民間人でも躊躇なく攻撃する。

 

 エルズバーグ都知事らの支持により、ボロディン大将の意見が通った。リベラル派は市民に銃を向けたくないという信念を共有していた。トリューニヒト政権との違いを強調する狙いもある。

 

 ハイネセンの騒乱が投資家の不安を煽り、ハイネセン株式市場は上昇から下落に転じた。銀河第二位の金融センターであるハイネセンの混乱は、銀河経済全体の不安材料となった。

 

 再建会議内部の情報提供者によると、ハイネセンの株安は星外に大きな影響を与えた。同盟国内の主要マーケットはすべて下落し、フェザーン株式市場も下落に転じた。二年ぶりの全銀河同時株安が始まりつつある。

 

 これに慌てたのが金融街と貿易業界だ。株安、金融システムの混乱、星間交易の停滞などによって生じた損失は、一日あたり一兆ディナールと推定される。同盟経済は崩壊の危機に陥った。同盟銀行協会、同盟証券業協会、同盟星間貿易組合などの代表が最高評議会ビルを訪れ、ボロディン大将に事態の収拾を求めた。

 

 市民軍は物資が尽きかけているが、再建会議は経済的に追い込まれている。どちらも追い詰められていた。

 

 

 

 星外の政治情勢が次第に分かってきた。再建会議は今でも星外情報を独占しているが、情報提供者や星外からの来訪者などが断片的な情報を流してくれる。

 

 同盟に加盟している四一一星系のうち、七六星系が再建会議を支持し、一四三星系が再建会議に敵対し、一三七星系が中立を宣言し、五五星系が態度を保留している。中央宙域の裕福な星系が再建会議支持に回った。辺境の貧しい星系は再建会議と敵対している。中立・保留の星系には、豊かな星系も貧しい星系もある。

 

 もっとも、これらは星系政府のスタンスであって、住民全員のスタンスではない。ほとんどの星系では両派がせめぎ合っていた。

 

 分裂状態に陥った地域もある。ある星系では首星が再建会議を支持し、従星が再建会議に敵対している。ある惑星では本星が再建会議に反対したが、衛星は再建会議支持に回った。ある惑星では全一四州のうち、八州が再建会議を支持し、六州が再建会議に反対した。全星系の三割から四割、全有人惑星の四割から五割がこのような状態だと言われる。分裂を回避するために中立を選んだ星系政府も多いそうだ。

 

 各地で再建会議派も反再建会議派がぶつかり合った。両派は競うようにデモを繰り広げた。二〇〇〇以上の都市で暴動が発生した。一部の地域では暴動が市街戦に発展したらしい。軍隊、警察、傭兵、極右民兵、反同盟テロ組織などが絡んだため、争いの規模が拡大しつつあった。

 

 混乱に乗じて、テロリスト、宇宙海賊、辺境の独立派武装勢力などが暴れ始めた。地方警察にはこうした連中を押さえ込む力はない。軍隊や同盟警察は動きが取れない状態だ。加速度的に治安が悪化している。

 

 同盟領内には三つの方面艦隊が駐留している。惑星ハイネセンのバーラト方面艦隊は、再建会議派と市民軍に二分された。シヴァ星系のシヴァ方面艦隊一万四〇〇〇隻と陸戦隊二七万人は、再建会議議長ボロディン大将の片腕コナリー中将の指揮下にある。イゼルローン回廊のイゼルローン方面艦隊七〇〇〇隻と陸戦隊二五万人も、再建会議に味方した。

 

 地方には地上軍の四個機動軍が交代で派遣されている。パルメレンドの第六機動軍は再建会議支持でまとまった。カッファーの第二機動軍は再建会議支持だが、一部部隊が反対に回った。ネプティスの第一一機動軍は陸上部隊が再建会議に反対し、その他の部隊は支持している。ウルヴァシーの第八機動軍は、分裂を避けるために中立を宣言した。

 

 地方部隊はバラバラに分裂してしまった。地元政府や近隣の有力部隊の動向に左右され、惑星単位や星系単位で帰属先を決めた。星域軍や方面軍には直轄部隊だけが残った。

 

 各地の軍集団は形骸化したが、フェザーン方面の第二辺境軍集団だけは、再建会議反対でまとまった。管内に有人星系がほとんどなく、司令官キャゼルヌ中将が部隊をしっかり掌握したこともあり、分裂を免れた。同じウルヴァシーに駐留する第八機動軍とは不可侵協定を結んだ。現在はフェザーンとの交易路を確保することに力を入れている。再建会議派星系の船でも、民間船は「民間人の生活を守るのは軍人の義務だ」と言って無条件で通過させた。

 

 ボロディン大将はキャゼルヌ中将の行動に感銘を受け、第二辺境軍集団の管轄区域に立ち入らないと約束した。航路警備に専念できるよう配慮したのである。

 

 惑星バイレの災害派遣部隊司令官アッテンボロー少将は、再建会議を糾弾する檄文を作り、反クーデターの戦いに立ち上がるよう呼び掛けた。その配下には一個機動軍五一万人と一個陸戦支援軍二六万人がいる。同盟国内では屈指の地上戦力だ。ただ、艦隊戦力を持っていないので、星系間移動はできない。星間巡視隊から艦艇を借りるための交渉をしているそうだ。

 

 帝国領にいる復員支援軍は、戦局を左右しうる存在だ。司令官ヤン大将は同盟史上最高の天才。宇宙戦力司令官ムライ中将率いる三個機動集団一万九〇〇〇隻は、精強を誇った旧第八艦隊と旧第一三艦隊の流れを汲んでいる。陸戦戦力司令官シェーンコップ中将率いる二個陸戦遠征軍四九万人は、薔薇の騎士連隊と旧第一三艦隊陸戦隊の勇士を中核とする。地上戦力司令官イム中将率いる二個機動軍一〇一万人は、ラグナロックで活躍した精鋭が名を連ねる。

 

 同盟軍屈指の大部隊にも関わらず、動静はほとんど伝わってこない。再建会議は味方だとアピールするのだが、復員支援軍側のコメントが全く出てこなかった。そのため、様々な説が流れた。最も有力な説は、「非再建会議・非トリューニヒトの第三勢力を目指している」というものだった。

 

 ただし、復員支援軍と再建会議が敵対したのは確実らしい。アムリッツァに全軍を集結させ、イゼルローン回廊に侵攻する準備をしているそうだ。

 

 復員支援軍がイゼルローン要塞を短期間で攻略するのは、困難とみられる。二年前に実施されたイゼルローン攻防戦のシミュレーションにおいて、ヤン大将は一勝四敗に終わった。

 

 二年前、国防委員会はヤン大将に要塞戦教範の作成を命じた。同盟軍は宇宙要塞を運用した経験を持っていない。ラグナロック戦役中に占拠した要塞は、ルイス准将の提案により、帝国軍の要塞にぶつけられて消滅した。質量兵器としての使い方はわかるが、防衛拠点としての使い方はわからなかった。そこで要塞戦の権威の出番となった。

 

 ヤン大将はイゼルローン要塞の弱点を「物理的な弱点がないこと」だと考えた。宇宙要塞には全方位散開攻撃に弱いと言う致命的な欠点がある。しかし、イゼルローン要塞は回廊の中に設置されているので、攻撃方向が限定されており、物理的な弱点は存在しない。このことが防御側の慢心を生み、心理的な罠を仕掛ける余地が生じた。

 

 ヤン大将の教範は「隙を作らない」という一点を徹底的に追求した。仕事を簡略化し、手順を守ることを徹底させ、チェック体制を整備し、ヒューマンエラーをなくす。回廊全域の監視体制を強化し、ささいな変化も見逃さない。駐留部隊は敵を足止めすることに専念し、トゥールハンマーの射程内に留まったまま戦う。並行追撃、一撃離脱攻撃、無人艦突撃など想定される攻撃に対し、標準的な対応策を確立した。

 

 イゼルローン方面艦隊司令官を選ぶ時、ヤン大将は四名の提督を候補に挙げた。旧第一三艦隊のエリック・ムライ中将、旧第七艦隊のエドウィン・フィッシャー中将、旧第三艦隊のターオ・ゴシャール中将、そして旧第九艦隊のフランシスコ・メリダ中将である。

 

 多くの人がこの人選を疑問に思った。四名とも豊かな経験と堅実な運用能力を持ち、与えられた役割を確実にこなす。だが、戦術能力は平凡だった。イゼルローン防衛の大任が務まるとは思えない。

 

 理由を問われたところ、ヤン大将は「イゼルローンに名将は必要ない。やるべきことをやれば勝てる」と答えた。勇敢な提督は危険を恐れないので、深入りする恐れがある。知謀に長けた提督は複雑な作戦を好むので、隙が生じやすい。だから、堅実な凡将がいいという。

 

 思い返してみると、前の世界のヤン・ウェンリーに敗れた提督はみんな有能だった。勇将は積極性を逆手に取られて敗れた。知将は思慮深さを逆手に取られて敗れた。有能で自信に満ちた者ほど罠に引っ掛かった。このことを踏まえれば、平凡だが堅実な提督を選ぶのは納得できる。

 

 候補者の中からメリダ中将が選ばれた後、コンピュータで模擬戦闘を行った。五回戦ってメリダ中将が四勝した。ヤン大将が勝った時も二週間を費やし、八〇〇〇隻の艦艇を失った。自らの敗北によって、ヤン大将は教範の正しさを証明したのだ。

 

 復員支援軍は無視しても構わない。イゼルローン方面艦隊には奇策が通用しないのだ。決着が着く頃には、ハイネセンの戦いは終わっている。

 

 星外にはハイネセン情勢はほとんど伝わっていないらしい。騒乱状態になっていることは何となくわかっていても、情報統制が真実への道を塞いだ。様々な噂が流れているが、いずれも実態を反映したものではなかった。

 

 星外情報のファイルを読み終えた時、俺の脳内に浮かんだのは「内戦前夜」という言葉だった。一歩間違えば、同盟は国家としての形を保てなくなる。

 

「情報提供者が送ってきた文書です」

 

 ハラボフ少佐が一枚のファイルを渡してくれた。再建会議の内部文書だ。市民軍を武力鎮圧するシミュレーションの結果が記されている。

 

「ずいぶん悲観的な想定だな」

 

 俺はため息をついた。再建会議の予測によると、両軍合わせて二〇万人から四〇万人が死亡し、二〇〇万人から三〇〇万人が負傷するという。

 

「我が軍は三〇〇〇万人。その他に二億人の支持者がいます。妥当な予測かと」

「ああ、そうか。母数がでかすぎるんだ。死亡率が一パーセントでも三〇万人になる」

 

 俺はファイルを閉じた。再建会議は武力鎮圧を避けたいだろう。数十万人も死なせたら、リベラル派は激怒する。最も重要な支持層に見放されるのだ。

 

 もっとも、兵糧攻めを続けることはできない。決着が一日遅れるだけで、中堅星系のGDPに匹敵する大金が失われる。金融街と貿易業界は早期決着を望むだろう。ビジネスマンは血の量より金の量を重視するはずだ。

 

「長引いたら経済破綻。短期決着は流血の道。どちらを選んでも中央政府は信望を失い、内戦が始まる」

 

 背筋に戦慄が走った。ミルフィーユ計画は想定より大きな効果をあげた。再建会議の足元を崩すだけに留まらず、同盟という国家の足元を根こそぎ崩してしまった。同盟は崩壊の危機にある。反クーデターの戦いは予想もつかない方向に転がった。

 

 再建会議が複数のルートから和睦を打診してきた。彼らも現状を理解していたのだ。

 

「トリューニヒト政権の退陣、大衆党幹部の公職追放、三月選挙の無効、再選挙の実施、法秩序委員会・警察・検察の政治介入の排除。この五点は譲れないが、それ以外はどんな要求にも応じる」

 

 この提案を歩み寄りと見る者もいれば、非妥協的と見る者もいた。トリューニヒト派だけに不利な提案なので、トリューニヒト派とその他の者を分断する策略のようにも見えた。

 

 会議の結果、市民軍は交渉に応じることになった。再建会議に対する不信感がなかったわけではないが、それ以上に同盟崩壊を避けたいという声がそれを上回った。

 

「トリューニヒト政権の復帰、大衆党幹部の公職追放解除、三月選挙の尊重。この三点を受け入れるならば、和睦に応じる」

 

 市民軍は再建会議の提案と真っ向から対立する案を出した。俺が最初に「トリューニヒト政権の復帰は最低条件だ」とはっきり言ったため、トリューニヒト派を切り捨てて和睦するという声は出なかった。

 

 一一月八日早朝、和睦交渉が始まった。同盟崩壊を回避するための話し合いである。そして、トリューニヒト派排除を唱える再建会議と、トリューニヒト政権復帰を主張する市民軍のどちらが先に折れるかという勝負である。

 

 両陣営の幹部による非公式の会談が始まった。調整が済み次第、公式の会談に移る。俺はボーナムで行方を見守っている。

 

 再建会議派の人間が入れ代わり立ち代わりで、俺との対話を求めてきた。探りを入れる者もいれば、俺を説得しようとする者もいた。前哨戦は既に始まっている。

 

「あ、あなたは……」

 

 俺は直立不動で敬礼をした。本能がそうさせた。クーデター開始から九日目、市民軍の戦いは大詰めを迎えていた。


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