銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

93 / 136
第85話:帰ってきた人、去っていく人 801年11月9日 ハイネセンポリス都心部~グエン・キム・ホア広場

 民主政治再建会議の降伏から一〇分後、ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長が臨時指揮所に現れた。議長秘書官オーサ・ヴェスティンら男女五名を従えている。

 

「エリヤ君、苦労をかけたね」

 

 トリューニヒト議長の笑顔はとても温かかった。まるで春の日差しのようだ。

 

「よくぞご無事でいらっしゃいました」

 

 全身が喜びで震える。生きててくれてよかった。この笑顔を見れただけで、戦ったかいがあったと思う。

 

「彼らが私をかくまってくれたんだ」

 

 トリューニヒト議長は傍らの男女を紹介した。ヴェスティン秘書官以外の四名は、地球教の紋章「太陽車輪」のペンダントを身に着けている。

 

「地球教の方々ですか」

 

 いろんな意味で納得できた。地球教団はトリューニヒト議長の有力支持団体だ。前の世界でクーデターが起きた時も、トリューニヒト議長は地球教団にかくまってもらった。

 

「そうとも、私は彼らとともに、反クーデターの地下活動を繰り広げていたんだ」

「議長閣下も戦っていらしたんですね」

「君たちが協力してくれたおかげで、クーデター勢力を打倒できた。よくやってくれた」

「もったいないお言葉です」

 

 深々と頭を下げる。トリューニヒト議長が俺たちの功績を認めてくれた。そのことが何よりも嬉しい。

 

「記者会見の用意をしてくれ。市民に私が健在だと知らせねば」

「かしこまりました! さっそく手配いたします!」

 

 俺は勢いよく返事をすると、部下たちの方を向いた。

 

「あれ……?」

 

 臨時指揮所の空気は冷めきっていた。つまらなさそうな視線、冷笑混じりの視線、怒りのこもった視線が、トリューニヒト議長の長身を撫でまわす。

 

「我々の“協力”のおかげですか。ご自分が主役のような言いぐさですな!」

 

 気まずい沈黙を馬鹿でかい声が切り裂いた。サンドル・アラルコン中将である。

 

「あんたはずっと隠れていた! メッセージを出そうともしなかった! すべてが終わってから顔を出し、偉そうにふんぞり返るとは! 何様のつもりだ!」

「君は誤解している」

 

 トリューニヒト議長は微笑みを崩さずに答えた。一見すると余裕のある態度だが、俺の目には動揺しているように映った。目が微妙に泳いでいたのだ。

 

「議長に失礼だぞ!」

 

 俺が注意しても、アラルコン中将はこちらをちらりと見ただけだ。

 

「アラルコン君、彼は全市民の代表者だ。相応の敬意を払いなさい」

 

 ジョアン・レベロ下院議員が諭したが、アラルコン中将は見向きもせずに批判を続ける。

 

「トリューニヒト議長、あんたは喧嘩ができない人だ。逆風が吹いている間は引きこもり、風向きが良くなってから出てくる。ラグナロックの時もレベロ政権の時もそうだった。今回だって同じだろう。あんたはフィリップス提督が負けると踏んだ。だから、再建会議が転ぶのを待ち続けた。計算が外れたのを知って、慌てて出てきたんだ」

「違う」

 

 トリューニヒト議長の顔から微笑みが消えていた。明らかに余裕がなかった。

 

「じゃあ、なぜ出てこなかった!? あんたは国の看板だ! 表に出るのが仕事だろうが!」

 

 アラルコン中将は顔を真っ赤にして、トリューニヒト議長を怒鳴りつけた。

 

「アラルコン提督! 暴言にもほどがあるぞ!」

 

 俺が飛び出そうとすると、誰かが後ろから右腕を掴んだ。強く握られていて振りほどけない。

 

「秘密組織を作っている最中だった。表に出る余裕はなかった」

「メッセージは出せただろう!? 記憶媒体にメッセージを吹き込み、褐色のハイネセンに送ればいい。地球教徒は包囲網をくぐって大量の銃器を持ち込んだ連中だ。記憶媒体一つぐらいはどうにでもなる」

「追跡をかわすので精いっぱいだった。下手に動けば捕まる恐れがあった」

「捕まっても構わんだろう! 囚われの指導者を救い出すという大義名分ができる!」

「敵は私の排除にこだわっていた。私が殺されたら正当な指導者がいなくなる」

 

 言い訳にしか見えなかった。言葉の内容ではなく、発言者の態度がそう見せた。

 

「そうなれば、より強力な大義名分ができるではないか! 非業の死を遂げた指導者の仇討ち! これほど正当性のある主張はない!」

 

 アラルコン中将の怒声が逃げ場を叩き潰す。

 

「指導者なくして国家は成り立たん」

 

 トリューニヒト議長はすがるような目で人々を見た。

 

「議長のおっしゃるとおりです」

 

 同意したのは俺だけだった。レベロ議員は「何もわかっていない」といった顔でため息をつき、アイランズ上院議員らトリューニヒト派は気まずそうに目を逸らし、他の人々は非好意的な沈黙をもって答える。

 

「エリヤ君はよくわかっている」

 

 トリューニヒト議長の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 

「小官にはさっぱりわからん!」

 

 アラルコン中将は容赦なく追い打ちをかける。

 

「こそこそ隠れている指導者よりは、死んだ指導者の方がましだ! 民衆を捨てて逃げたわけではないからな!」

「よさないか!」

 

 俺は腕を掴まれたまま叫ぶ。

 

「フィリップス提督の頼みでも聞けません」

「じゃあ、どうすれば聞くんだ!?」

「小官は軍人です」

 

 その一言が答えを教えてくれた。

 

「上官として命ずる! 議長閣下を誹謗することは許さん!」

「命令とあらば異存はありません。フィリップス提督のご命令ですからな」

 

 アラルコン中将は「命令」を強調し、トリューニヒト議長の方を向く。

 

「暴言が過ぎました。弁解のしようもありません。いかなる処分も甘んじて受ける所存です」

「気にすることはない。君たちは徹夜で戦った。疲れた時は余裕がなくなる。苛立つのも無理はないさ」

 

 トリューニヒト議長は優しく微笑みかける。寛容な態度を見せることで自分自身とアラルコン中将の双方を救った。

 

「さて、エリヤ君には一仕事してもらいたい」

 

 俺は一枚の命令書を受け取った。

 

「首都防衛軍司令官 宇宙軍中将エリヤ・フィリップス

 

 同盟軍最高司令官代理・統合作戦本部長代理・宇宙艦隊司令長官代理・地上軍総監代理を命ず 

 宇宙歴八〇一年一一月九日

 

 最高評議会議長・同盟軍最高司令官ヨブ・トリューニヒト」

 

 この瞬間、同盟軍四八〇〇万の指揮権が俺の手中に収まった。

 

「最高司令官として命じる。民主政治再建会議を称する反乱勢力を一掃せよ」

「謹んでお受けいたします!」

 

 俺は勢い良く敬礼をする。これまでは「ハイネセンの治安回復に努める」という名目で戦ってきた。首都防衛軍以外の部隊は、正規軍も義勇兵も公的には「協力者」に過ぎなかった。トリューニヒト議長の命令によって、再建会議を討伐する正式な権限を得たのだ。

 

 市民軍は二手に分かれた。俺が率いる本隊はハイネセンポリス都心部に入った。ルグランジュ大将率いる別動隊は、統合作戦本部などを擁する軍都オリンピアに向かう。

 

 一四時五〇分、俺はトリューニヒト議長とともに最高評議会ビルに入った。同盟政府の中枢であり、クーデターの間は再建会議の本拠地となった場所だ。

 

 トリューニヒト議長は、再建会議議長ウラディミール・ボロディン宇宙軍大将がたてこもる部屋の前に立つと、テレビ電話の受話器を握った。自ら降伏を勧告しようと考えたのだ。ところが、ボロディン大将は通話に応じなかった。

 

 俺が電話を入れると、すぐに回線が繋がった。スクリーンにボロディン大将の顔が映る。身なりは完璧だが、昨日と比べると生気に欠ける。

 

「抵抗するつもりはない。部下たちには降伏するよう命じてある」

「では、なぜこの部屋にこもっておられたのですか?」

「君を待っていた。短い時間だが付き合ってもらえるかな?」

 

 ボロディン大将は感じの良い微笑みを浮かべる。

 

「少々お待ちください」

 

 俺は後ろを向いた。三メートルほど離れたところにいるトリューニヒト議長が、指で「OK」のサインを作る。

 

「許可をいただきました。お付き合いさせていただきます」

「感謝する」

 

 ボロディン大将は微笑みを気さくな笑顔に切り替えた。

 

「私の完敗だ」

「いえ、惜敗です。紙一重でした」

「勝利を確信したのはいつだね?」

「イゼルローン要塞が陥落したと聞いた時です」

 

 俺は思ったことを正直に話す。

 

「私もイゼルローン要塞が陥落するまでは、勝ち目があると思っていたよ」

「あなた方が無能だったら、もっと早く勝てたのですが」

 

 嘘偽りのない本音であった。再建会議は本当に優秀だったと思う。首都防衛軍の無力化、首都圏制圧などで示した手際は素晴らしかった。市民軍の決起という予想外の事態に、柔軟な対応を見せた。武力行使に追い込まれても、非武装の市民を死なせない戦法を編み出し、戦死者を予想の一割程度に抑えた。ファイフェル准将の降伏勧告は時宜を得ていた。

 

「その点については認めてくれるのか」

 

 ボロディン大将が口元を綻ばせる。

 

「認めなければ、小官は嘘つきになってしまいます」

 

 俺は照れ笑いを浮かべた。

 

「私たちは周到に準備をした。最悪のシナリオを想定し、徹底的にシミュレーションを行った。起こりうるアクシデントのすべてに備えた。軍部右派の抵抗、右翼の反対運動、リベラリストの一部離脱なども織り込み済みだった。だが、彼らが手を結ぶところまでは予想できなかった」

「右翼もリベラリストも同胞です。普段はいがみ合っていても、いざという時は結束します」

「君の力だ。エリヤ・フィリップスという接着剤が、対立する者同士を結合させた」

「小官は来る者を拒まなかっただけです。結束する動機はもともとありました」

「君は来る者をただ受け入れただけではない。リベラリストを憎悪しているはずの人々を説得し、リベラリストを仲間として受け入れさせた」

「話せばわかるんですよ」

 

 俺は抽象的な言葉でごまかした。「リベラリストに恥をかかせたいという感情を利用した」などと言える雰囲気ではない。

 

「その言葉を現実にできるのが、君の恐ろしさなのだろうな」

 

 ボロディン大将は納得したように頷いた。

 

「我々は君を正規軍一五個師団に匹敵する脅威だと想定した。君個人の統率力と人望には、それだけの価値があると考えた。だが、甘すぎる想定だったよ」

「それほどのものでもありません」

 

 謙遜したわけではなく、本心からそう思う。

 

「今の言葉は本音だな。君は自分に幻想を抱いていない」

 

 心を読まれたのかと思った。俺が「自分は大したことがない」と言うと、大抵の人は謙遜だと勘違いする。だが、ボロディン大将は一発で本音だと見抜いた。

 

「戦っている間、ずっと考え続けた。エリヤ・フィリップスとは何者なのか? なぜエリヤ・フィリップスの器量を読み違えたのか?」

 

 ボロディン大将は俺の目をまっすぐに見据える。

 

「ようやくわかった。君の本質は演技者だ。他人が何を求めているのかを正しく理解し、求められた役割を演じることができる。それでいて自分の演技に酔うことはない。自分にも他人にも幻想を持たないからだ。読み違えたのも無理はない。君の器量は舞台の大きさによって変わるのだから」

「あなたの目にはそう見えるのですか?」

 

 俺は目を白黒させた。演技をしていると言われたのは二回目だ。しかし、その後が違った。ファルストロング伯爵は俺を「馬鹿」だと言ったが、ボロディン大将は冷徹な現実主義者だと言う。

 

「君は最高のプロフェッショナルだ。優れた演技者は自信過剰や自己陶酔に陥りやすいが、そういうところがまったくない。役割を演じ切ることだけを考えている。戦場では勇者を演じきった。オフィスでは能吏を演じきった。マスコミの前では愛国者を演じきった。解放区では現地人の理解者を演じきった。大衆の前では指導者を演じきった。すべて完璧な演技だった」

 

 ボロディン大将の顔から微笑みが消え、真剣そのものの表情に変わる。

 

「フィリップス提督、君なら平和の使者を演じることもできるのではないか?」

「できません」

 

 そう答えるより他にない。俺は主戦派指導者ヨブ・トリューニヒトの腹心なのだ。

 

「人々が平和を望んだらどうする?」

「無意味な仮定です」

「いずれ現実になる。そう遠くないうちに我が国は分岐点に立つだろう、破綻するまで戦争を続けるか、同盟存続のために戦争をやめるかを選択する時が来るのだ」

「その時になったら考えます」

「先のことを考えるのは苦手かね?」

「はい。小官はあなたほど視野は広くありません。期待に応えるだけで精一杯です」

 

 俺は思っていることを正直に伝える。これまでは役割をこなすだけで精一杯だったし、これからもそうだろう。大砲にも長距離砲と短距離砲がある。未来のことはヤン大将やチュン・ウー・チェン准将のような長距離砲に任せればいい。

 

「いつか君は分岐点に立つだろう。その時になったら、私の言葉を思い出してほしい」

 

 ボロディン大将はこれ以上ないぐらい爽やかに笑う。

 

「心に留めておきます」

「そろそろ終わりにしよう。トリューニヒトを待たせるのも悪いしな」

「議長とお話しいただけるのですか?」

「直接会おう。五分後にロックを解除する」

「なぜ五分後なのですか?」

「正装に着替える時間がほしい」

「かしこまりました」

 

 後ろを向いてトリューニヒト議長に伝えたところ、笑顔で承諾してくれた。敵将が正装に着替えてくれると聞いて嬉しくなったのだろう。

 

 五分後、部屋に入った俺とトリューニヒト議長は、ボロディン大将の死体と対面することとなった。正装に着替えた後、ブラスターで頭を撃ち抜いたのである。デスクの上にバスタオルが何枚も重ねられ、血で汚さないように配慮されていた。前の世界で降伏を拒否して死んだ提督は、この世界でも降伏を潔しとしなかった。

 

 ボロディン大将は賢明で度量のある人だった。他の良識派とは違って、俺個人に敵意を向けることもなかった。そんな人がクーデターを起こして不幸な結末に至ったのである。いろんな意味でやり切れない。

 

 再建会議ナンバーツーのマービン・ブロンズ地上軍大将は、国防委員会庁舎で逮捕された。「恥じるべきことは一つもない」と胸を張り、毅然とした態度で護送車に乗り込んだ。

 

 特殊作戦総軍副司令官コンスタント・パリー地上軍中将は、拘束される直前に毒入りのカプセルをかみ砕き、数分後に絶命した。執務室のパソコンには、祖国の未来を悲観する内容の遺書が残されていた。

 

 リオン・エルズバーグ都知事は自ら出頭してきた。犠牲者への謝罪を述べた後、「責任はすべて自分にある。都職員は命令に従っただけなので、寛大な処分を願いたい」と語る。自己弁護の言葉は一切口にしていない。その堂々たる態度は居合わせた者すべてに感銘を与えた。

 

 恩師エーベルト・クリスチアン地上軍大佐は、オリンピアで逮捕された。ハイネセン記念スタジアム周辺の警備担当者だったが、エル・ファシルで命令違反を犯したことから「何をするかわからない」と思われて、オリンピア警備に回されたそうだ。クリスチアン大佐の後任者が機転を利かせたおかげで、スタジアムの反戦派との衝突は回避された。

 

 ハイネセンは急速に秩序を取り戻していった。再建会議の幹部は次々と拘束され、再建会議派部隊は政府の統制下に戻った。

 

 一七時一五分、俺とルグランジュ大将は、衛星軌道上の第四機動集団旗艦「ドモヴォーイ」に通信を入れた。第四機動集団司令官レヴィ・ストークス宇宙軍中将に降伏を求めたのだ。前の世界で逃亡兵だった男とクーデターに加担した男が、この世界ではクーデターを鎮圧する側にいる。皮肉な巡りあわせであった。

 

「降伏してください。これ以上抵抗しても兵を苦しめるだけです」

「馬鹿を言うな。私は兵のために立ち上がったんだ」

 

 ストークス中将は聞く耳を持とうとしない。

 

「いい加減にせんか。戦いは終わったのだぞ」

 

 ルグランジュ大将がストークス中将をたしなめる。

 

「終わっちゃいません。部下もやりたがっています。ヴァルハラのフィリップス部隊と同じです」

「あの時とは状況が違うだろうが」

「自分で選んだ戦場なんですよ。二八年間軍人をやってきましたが、自分の意志で戦うのは初めてなんです。引くわけにはいきません」

 

 ストークス中将は意地だけで戦っていた。そして、第四機動集団の隊員は司令官に付き合う覚悟だった。

 

「惜しいですね」

 

 俺はため息を漏らす。

 

「何が惜しいんだ?」

「この艦隊が帝国軍と戦ったら、きっと活躍したんだろうなと思ったのです」

「第一一艦隊の血を受け継いだ部隊だからな。鉄壁ビッテンだって突破してみせるさ」

 

 ストークス中将は大きく口を開けて笑う。「鉄壁ビッテン」とは、献身的な守備で知られる帝国軍の勇将ビッテンフェルト提督だ。

 

「あなたなら簡単に突破できますよ」

「お世辞はいらんぞ」

「正直に申し上げたまでです。俺が鉄壁ビッテンと戦ったことをお忘れになりましたか?」

「そういえばそうだった。あの男はフィリップス提督らと戦って、『鉄壁』の称号を手に入れたのだ」

「彼の本領は攻撃です。勢いが凄まじいので、相手は防戦一方になります。激しい攻撃で敵の攻撃を封じるのです」

 

 俺はビッテンフェルト提督が攻撃型提督だと説明した。この世界ではなぜか防御型提督にされてしまった彼だが、前の世界では最強の攻撃型提督だったのだ。

 

「結果として損害が少なくなるわけか」

「はい。防御力はそれほど高くないと思います。おそらくはエネルギーの半分以上を火力に配分していますね。中和磁場に使うエネルギーは、普通の部隊の六割程度でしょう」

「簡単に突破できそうだな」

 

 ストークス提督がにやりと笑う。

 

「ビッテンフェルト提督は自分の体を投げだして守るタイプです。この手の提督は防御戦術はうまくないのはご存知でしょう」

「貴官と同じだな」

 

 ルグランジュ大将が横から口を挟む。

 

「防御戦術が下手ってところは似ていますね」

「貴官は攻撃戦術も下手だろう。戦意と練度で押し切っているのだ」

「ルグランジュ提督だって似たようなものでしょう」

「馬鹿にするな。貴官よりはましだぞ」

「おっしゃる通りです……」

 

 俺はたじたじとなる。

 

「フィリップス提督、副司令官には優秀な戦術家を選ばないといかんぞ。レヴィ・ストークスのような名将が理想的だな」

 

 ストークス中将が生き生きとした顔で冗談を飛ばす。

 

「自分を名将っていうのはやめましょうよ」

「少しぐらい威張らせてくれ。戦術下手の司令官を支えてきたんだからな」

「ははは……」

 

 どう答えればいいかわからなかったので、曖昧な笑いでごまかした。

 

「ストークス、貴官は名将だ。銀河最高の副司令官だった」

 

 ルグランジュ大将は惜しむように言った。その目には涙が浮かんでいた。

 

「ありがとうございます。あなたからいただいた評価は勲章一〇〇個に勝ります」

「そろそろ終わりにしないか。十分に戦っただろう?」

「はい、十分に戦いました」

 

 ストークス中将は胸のつかえがとれたような顔になる。

 

「第四機動集団六六万四三二一名、降伏いたします」

 

 一八時一四分、第四機動集団の降伏により、ハイネセンの再建会議勢力は完全に潰えた。同機動集団司令官ストークス中将は自決した。

 

 

 

 二〇時、ハイネセンポリスのグエン・キム・ホア広場で勝利記念集会が開かれた。三〇万人の群衆が夜空の下で気勢をあげる。勝利の興奮が生々しく残っているのだ。

 

 俺は貴賓席に座らされた。トリューニヒト議長の隣の席である。考えてみると、国家レベルの式典でこれほどいい席に座ったのは初めてだ。俺とトリューニヒト議長の間には、大勢の政治家や高官が挟まっていた。今は手を伸ばせば届く程度の距離しかない。席の配置が今の立場を教えてくれる。

 

 トリューニヒト議長が演壇に上がった。俺は真っ先に立ち上がって拍手をする。人々も一斉に立ち上がる。

 

「親愛なる市民諸君!

 

 三五八九!

 

 この数字が意味するものは何か? 民主主義者なら誰でも知っている。正義のために生命を捧げた英霊の数だ。

 

 三五八九!

 

 この数字を決して忘れてはならない。全人類にとっての恩人の数だ。彼らのおかげで人類は自由になった。

 

 三五八九名の英霊は教えてくれた。正義のために死ぬことは美しい! 正義を持つ者は圧倒的に強い! 正義を持たぬ者は圧倒的に弱い!

 

 生命は何よりも尊い。だが、生命を引き換えにして守るべきものがあるのだ。我々はこのことを胸に刻まなければならない。

 

 我々が守るべきものとは何か? それは祖国、民主主義、自由だ! 人が生きていくためには祖国が必要だ! 権利を守るためには民主主義が必要だ! 尊厳を保つためには自由が必要だ! 祖国、民主主義、自由を守ることが正義だ!

 

 我々と反乱勢力の戦いは、民主主義という絶対善と軍国主義という絶対悪の最終戦争だった。諸君は民主主義を守るために立ち上がり、軍国主義に怒りの拳を叩きつけ、偉大な勝利を収めた。

 

 市民諸君! 今日は素晴らしい日だ! 我々が偉大な勝利を収めた日だ! 民主主義が軍国主義を完膚なきまでに打ち破った。世界は自由を取り戻した。

 

 私は民主主義のために戦ったすべての兵士と市民に対し、心からの敬意を表する。諸君は死を恐れることなく戦った。諸君は民主主義こそが正義であると証明した。諸君こそが真の愛国者だ! そして、真の民主主義者だ!

 

 だが、戦いは終わっていない。二つの回廊の彼方、オリオン腕でゴールデンバウムの帝国が侵略の牙を研いでいる。

 

 市民諸君! 今日は素晴らしい日だ! 次の勝利に向けて踏み出した日だ! ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの王朝を倒し、銀河から専制主義を追放しよう! 敵に一〇〇万隻の艦隊があろうとも、恐れるには値しない! 我々には正義がある! 正義は勝つ! 絶対に勝つ!

 

 祖国万歳! 民主主義万歳! 自由万歳!」

 

 トリューニヒト議長が拳を振り上げて叫ぶ。

 

「祖国万歳! 民主主義万歳! 自由万歳!」

 

 三〇万人が立ち上がり、腹の底から声を振り絞って万歳を叫ぶ。高揚感が首都の夜空を覆いつくす。

 

「祖国万歳! 民主主義万歳! 自由万歳! トリューニヒト議長万歳!」

 

 俺は立ち上がって叫んだ。何度も何度も叫んだ。三〇万人と気持ちを一つにした。この高揚、この一体感は何物にも代えがたい。

 

「フィリップス提督」

 

 声をかけてきたのはトリューニヒト議長だった。暖かい微笑みを浮かべている。俺が無我夢中で万歳を叫んでいる間に、演壇から降りてきたようだ。

 

「言いたいことはあるだろうが、今日はめでたい日だ。政府と市民軍の間に確執があると思われては困る。誤解されないように気を付けてほしい」

「どういうことでしょう?」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になった。トリューニヒト議長は何を言っているのか? どうして他人行儀な話し方をするのか? 俺たちは親子のような関係のはずだ。

 

「市民を不安にさせるような顔はしないでほしいということだ」

「おっしゃるとおりにいたします」

 

 不審に思いつつも従うことにした。言われなくても、市民を不安にさせるつもりはない。

 

「行こうじゃないか」

 

 トリューニヒト議長は満足そうに微笑み、俺の手を引いて演壇へと連れていく。

 

「では、ここで二人の闘士に握手をしていただきましょう! 最高評議会議長ヨブ・トリューニヒト先生と市民軍総司令官エリヤ・フィリップス提督です!」

 

 エイロン・ドゥメック下院議員が俺たちの方を向き、紹介するように右腕を伸ばす。テレビ文化人出身だけあって、こなれた司会ぶりだ。

 

 トリューニヒト議長の大きな手と俺の小さな手が握り合わされた。尊敬する人の体温が手を通じて伝わってくる。感動で胸がいっぱいだ。

 

「トリューニヒト議長万歳! フィリップス提督万歳!」

 

 三〇万人が沸騰した。歓声が津波となって押し寄せる。拍手が空気を激しく揺らす。

 

「トリューニヒト議長万歳! フィリップス提督万歳!」

 

 俺たちを称える声が止まらない。とてつもない圧力に押し潰されそうな気分がした。三〇万の歓声をたった二人で受け止めているのだ。小物には辛い状況である。

 

 隣に視線を向けると、トリューニヒト議長が笑顔で手を振っていた。うらやましくなるほどに自然体だ。

 

「トリューニヒト議長万歳! フィリップス提督万歳!」

 

 一二回目か一三回目の叫びを耳にした瞬間、恐ろしい事実に気が付いた。人々は俺とトリューニヒト議長を一緒に称えている。少なくともこの場では同等に扱われているのだ。

 

 トリューニヒト議長は、自分がナンバーワンでないと気が済まない人だ。小さくまとまった人物を重用する傾向がある。対等な盟友といえるような人はいない。

 

 前の世界の戦記でも、トリューニヒト議長の盟友的な人物が出てきた記憶はなかった。ド=ヴィリエ大主教やルビンスキー自治領主は、取引相手のようなものだろう。ヤン・ウェンリーを取り込もうとしたが、対等な付き合いを求めるというよりは、屈服させて下に置きたいようだった。

 

 全身に寒気を感じた。自分がトリューニヒト議長に敵視されるかもしれない。そう思うだけで恐ろしくなる。市民軍にはアラルコン中将のように、俺をトリューニヒト議長より上に見ている人も多いのだ。

 

「フィリップス提督、みんなが君を呼んでいるよ」

 

 トリューニヒト議長が声をかけてきた。その顔には暖かい微笑みが浮かんでいる。

 

「はい」

 

 俺は素直な笑顔で答えた。

 

「エリヤ・フィリップス提督万歳!」

 

 三〇万人が俺の名前を叫び、俺は笑顔で手を振る。傍らではトリューニヒト議長が微笑みを浮かべる。

 

 本来、俺は広場の中にいるべき人間だった。それが期待を裏切りたくないと頑張っているうちに出世してしまい、トリューニヒト議長と一緒に歓呼を浴びるまでになった。人々の期待はますます大きくなるだろう。ボロディン大将の評価が正しいとしたら、俺はどんな期待にも応えられる。自分はどこに向かっているのだろうか? 想像するだけで不安になってくるのであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。