銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第89話:英雄たちの休暇 801年12月22日~12月24日 ハイネセンポリス~トレモント市~ブレツェリ家

 一二月二二日、統一補欠選挙が行われた。投票率は五割に届かず、この五年間で最低の水準となった。

 

 大衆党は悲願だった上院の単独過半数を確保した。逆風に苦しめられたものの、組織選挙と宣伝攻勢で乗り切った。組織票の分厚さは他党の追随を許さない。「我々がいなくなれば、リベラルな奴らが戻ってくるぞ」と叫べば、ブルーカラーと自営業者と辺境住民の票も上積みできるのだ。

 

 反戦・反独裁市民戦線(AACF)は躍進を遂げた。自らを少数派と位置づけ、多数派の矛盾を厳しく批判したため、少数派は「よく言ってくれた」と喜んだ。この場合の少数派とは、社会的なマイノリティではなく、多数派の論理になじめないリベラリストを意味する。一方、多数派に属する人々は「俺たちを馬鹿にしやがって!」と怒った。多数派の票が分散したため、少数派の票を一手に集めたAACFが浮上した形だ。

 

 和解推進運動は信じられないほどの敗北を喫した。本来の支持層であるリベラリストがAACFに流れ、右翼や保守派の理解も得られなかったのである。「分断を煽る政治からの脱却」「批判ではなく相互理解が必要」というレべロ代表の訴えは、党派対立に飲み込まれた。

 

 その他の政党は、大衆党とAACFの対立構図の中で埋没した。統一正義党と汎銀河左派ブロックは、与党陣営・反ハイネセン主義という部分が大衆党とかぶってしまい、独自色を打ち出せなかった。民主主義防衛連盟(DDF)は、反クーデターの功績を強調したが、前身にあたる旧国民平和会議(NPC)の悪いイメージに足を引っ張られた。

 

 大衆党が上院と下院で単独過半数を確保したことは、リベラリストと保守層を失望させた。

 

「今日、自由惑星同盟の民主主義は死にました。犯人は皆さんです。政治的無関心が民主主義を殺したのです」

 

 良心的な姿勢で知られるニュースキャスターのアニル・ディキシットは、喪服を着用して画面に登場し、民主主義の死を悼んだ。親が死んでもこれほど悲しまないだろうと思えるほどに、悲痛な表情であった。

 

「私たちは歴史的な瞬間に巡り合った。歴史学者としては喜ぶべきなのだろう。だが、民主主義者としては悲しみを禁じ得ない。市民は自ら考えることをやめ、責任を投げ捨て、煽動政治家に政治を委ねたのだ。五世紀前に銀河連邦で起きた悲劇が目前に迫っている。今からでも遅くはない。自分の頭で考えよう。歴史を学ぼう。政治に参加しよう。悲劇を繰り返してはならない」

 

 歴史学者ダリル・シンクレア教授は、危機感に満ちた声明を発した。ルドルフ研究の第一人者であり、再建会議の招聘を断った大学者の訴えは、マスコミでも大きく取り上げられた。

 

 自覚を促そうとする知識人たちの試みは、完全に逆効果だった。人々の耳には、「ちゃんと考えれば、我々と同じ結論に行き着くはず」「大衆党に投票した奴は、みんな馬鹿で無責任」と言ってるように聞こえたからだ。自分なりの信念をもって大衆党に投票した者は、プライドを傷つけられた。何となしに大衆党に投票した者も不愉快になった。

 

 大衆党が勝利した要因を選挙妨害に求める者もいた。国防委員会は現役軍人の退職願いを却下したり、予備役軍人や義勇兵を臨時招集するなどして、市民軍の英雄の立候補を妨げた。リベラル派の大物の中には、AACFからの出馬が噂されたシトレ退役元帥のように、「クーデター関与の疑い」で拘束された者が少なくない。警察が事情聴取や家宅捜査を繰り返したため、クーデターに加担した政党の関係者は、身動きがとれなくなった。憂国騎士団の殴り込みも頻繁に起きた。

 

「今回も大規模な選挙干渉が行われた。公正な選挙とはいいがたい」

 

 AACFは最高裁に選挙無効を申し立てた。再建会議が行った三月選挙の無効申し立ては破棄されたが、AACFが再度申し立てを行った。現在、最高裁は二つの選挙について無効審査を行っている。

 

 一方、右翼は素晴らしい時代がやってきたと喜んだ。抵抗勢力が弱体化し、リベラルと保守に配慮する必要がなくなった。帝国との休戦協定はすぐに破棄されるだろう。飛躍的に強化された軍隊が帝国を打ち破り、強硬な治安対策がテロリストを一掃し、同盟は偉大さを取り戻す。彼らの目には、薔薇色の未来が待っているように思われた。

 

 かつて、ダーシャは良識派軍人を「自由の敵と戦うことが自由主義。平和の敵と戦うことが平和主義」と評した。今の同盟に当てはまる言葉だ。他者の自由を尊重する者ではなく、自由の敵を憎む者がリベラリストを名乗る。争いを嫌う者ではなく、平和の敵を憎む者が平和主義者を名乗る。同胞を愛する者ではなく、異端者を憎む者が愛国者を名乗る。伝統を愛する者ではなく、伝統に従わない者を憎む者が保守主義者を名乗る。何かを愛することではなく、何かを憎むことが信念の表明になってしまう。

 

 統一補欠選挙の翌日、国防委員会に呼び出され、一か月の長期休暇を与えられた。功績に対する特別報酬だそうだ。

 

「申し訳ありませんが、辞退させていただきたく思います」

 

 俺は辞退する意向を示した。

 

「なぜだね?」

 

 ネグロポンティ国防委員長が軽く眉をひそめる。

 

「市民軍の残務処理があります。部下が休日返上で働いているのに、小官だけが休むわけにはいきません」

「それならば、休暇命令を受け入れるべきだ。君の部下にも休むように言ったんだがね。みんな、『休暇を取りたくない』と言っている。上官が休まないと部下も休めないのだよ」

「残務処理を済ませるのが先決だと考えます。恩賞をもらっていない者がたくさんいます。死傷者への補償も進んでいません」

「その件については、我々国防委員会が責任をもって処理する」

「小官にも手伝わせてください」

 

 俺は必死に食い下がった。国防委員会は同盟軍再編以外の課題に対しては、熱意が薄いように感じる。旧市民軍メンバーが仕切らないと、いつまでたっても終わらない。

 

 組織の規模と残務処理の量は比例する。一〇日間しか存続しなかったとはいえ、市民軍は三〇〇〇万人を擁した巨大組織だ。兵士が一人増えたら、一人分の人事手続きが必要となった。一食分の食事を用意すれば、一食分の代価を支払う必要が生じた。銃を一丁手渡せば、一丁分の支給手続きが必要となった。それが三〇〇〇万人分も積み重なれば、想像を絶する事務量になるのだ。

 

 組織を拡大するのはあっという間だが、整備するには時間がかかる。つまり、急成長した組織ほどシステムが整備されていない。市民軍は一一人で決起し、一〇日間で三〇〇〇万人に膨れ上がった。そのため、場当たり的な運営に終始した。勝利の後には、不備だらけの書類と矛盾だらけの記録が大量に残された。義勇兵の名簿ですら、脱退者の名前が残っていたり、加入者の名前が抜けていたりする有様だ。事実確認だけでも一大事業である。

 

 クーデター終結から一か月が過ぎても、義勇兵の従軍記章すら発行できなかった。誰が従軍したのかを確定できないのだ。功労者に恩賞を与え、負傷者を戦傷者として認定するなど、遠い先の話である。クーデター直後の論功行賞は、政治的な理由から調査なしに行われたものだった。市民軍メンバーの大多数は、未だに見返りを受け取っていない。

 

「君はずっと働きっぱなしだった。戦っている間は一日二時間しか休まなかった。鎮圧後は広報の仕事で走り回った。休まないと体を壊すぞ」

「小官が復帰してから八か月しか経っておりません。その前は二年も休んでいました。休養は十分です」

「予備役期間中も動き回っていただろう。仕事熱心は結構だが、仕事中毒はいかん」

 

 ネグロポンティ委員長は体を気遣うようなことを言う。しかし、表情には温かみがなかった。

 

「残務処理が遅れたら市民と兵士が困るんです」

「国防委員会を信用できないのか?」

「信用しております。国防委員会のパワーを一〇〇といたしますと、小官ら市民軍総司令部のパワーは五です。一緒に仕事をすれば、一〇五のパワーになり、能率が一層向上いたします」

 

 俺は国防委員会を持ち上げつつ、市民軍総司令部を関与させるメリットを説く。

 

「いいから休みなさい」

「しかし……」

「委員長命令だぞ」

 

 ネグロポンティ委員長は険しい目つきで俺を睨む。意見を聞いてくれそうな雰囲気ではない。

 

「かしこまりました」

 

 俺は命令書を受け取った。残務を片付けたいという気持ちはある。だが、国防委員長命令には逆らえない。

 

 この日、市民軍で指導的役割を果たした軍人、市民軍総司令部で勤務した軍人が休暇を命じられた。文民メンバーは本来の勤務先へと戻された。残務処理の主導権は、旧市民軍総司令部から国防委員会に移ったのである。

 

「我々を市民軍から切り離したいのでしょうな。褐色のハイネセンで戦った連中だけが恩賞をもらえば、その他の連中は不快になり、市民軍に亀裂が生まれる。トリューニヒトらしい姑息なやり口です」

 

 打ち上げの席で、サンドル・アラルコン大将が釣り目を釣り上げた。この老提督は用兵下手だが政治的な嗅覚は鋭い。

 

「同盟軍再編の関係もあるでしょうね。市民軍の功労者に口を挟んでほしくないでしょうから」

 

 アルマ・フィリップス少将が生真面目な顔で指摘すると、アラルコン大将がうなずく。

 

「妹さんの言う通りだ。トリューニヒトは我々の発言力を削ぐつもりです」

「構わんだろう」

 

 俺はあえてぶっきらぼうな口調を作る。

 

「フィリップス提督、積極的に主導権を取りに行くべきですぞ。そうしないと、トリューニヒトと良識派が軍をめちゃくちゃにします」

 

 アラルコン大将はいつものように熱っぽい表情で語る。

 

「市民軍を政治勢力にする気はない」

 

 俺もいつも通りの答えを返す。

 

「トリューニヒトへの借りは返したでしょう。むしろ、あなたの貸し出し超過だ。貸しを取り立てたって、誰も文句は言いません」

「人事で便宜を図ってもらう。パエッタ提督とワイドボーン提督を取るには、トリューニヒト議長の力が必要だ」

「あなた一人の力で取れるでしょう。あの二人は政治的に難しい立場です」

「トリューニヒト議長の力を借りた方がいい。意図して借りを作ることも大事だよ。政治家は頼ってくる相手には冷たくできない」

「いっそあなたが政治をおやりになればいいんです。あなたほどの政治感覚がある人は、同盟議員にもあまりいませんからな」

 

 アラルコン大将がいつものように「政治をやれ」と勧める。

 

「市民軍は非政治的だから人が集まったんだ。政治性を前面に打ち出したら、大きくなる前に潰れるぞ」

「まあ、それはおっしゃる通りですな。ヤンあたりがトップだったら、クーデターに加担した方がましだと思えてきます」

「そういうことは冗談でも言わないでほしいな」

「年寄りは病気になりやすいもので。今は穏当な表現を使えない病気にかかっておるのです」

 

 アラルコン大将は大きく口を開けて笑うと、コーヒーをがぶ飲みした。

 

「熱いですなあ!」

 

 猫舌なのにわざわざ熱いコーヒーを飲み、「熱い!」と叫ぶ。周囲の人間は「馬鹿じゃないの」と言いたげに眺める。いつもの光景だ。

 

「事情はどうあれ、せっかくいただいた休みです。家族サービスに励みますよ。もうすぐ年末パン祭りが始まりますしね」

 

 チュン・ウー・チェン少将の目が無邪気に輝く。クーデター騒ぎのおかげで、秋のパン祭りには行けなかった。それだけに年末パン祭りにかける意気込みは大きい。

 

「私は筋肉を付け直すよ。忙しくて筋トレどころじゃなかったからねえ」

 

 イレーシュ・マーリア准将が顎に人差し指をあてる。肉体派参謀の彼女にとって、筋肉量は生命線に等しいのだ。

 

「姪が帰ってくるので、一緒に飯でも食います」

 

 ハンス・ベッカー准将は少し恥ずかしそうに笑う。曲者の情報参謀も士官学校に通っている姪には弱い。

 

「ベッカー提督の姪御さんって、帝国の赤毛のファンでしたっけ」

 

 妹は丁寧だが少しとげのある口調で問う。帝国の赤毛とは、真っ赤な赤毛で有名なジークフリード・キルヒアイス上級大将を指す。赤毛つながりで俺と比べられることが多いので、フィリップスファンはキルヒアイスファンと仲が悪かった。

 

「そうですよ。背の高い赤毛が好きなもので。妹さんのサインがほしいと言ってました。書いていただけるとありがたいんですがね」

「書きます!」

 

 あっという間に妹は態度を変えた。ちやほやされることに慣れていないので、持ち上げられるとその気になってしまう。

 

 俺は苦笑いを浮かべつつ、シェリル・コレット准将を見る。この二か月で恐ろしく垢ぬけた。彼女もちやほやされることに慣れていなかった。世間から「美人だ」とか「かっこいい」とか言われたのが嬉しくて、お洒落に気を遣い始めた。大罪人アーサー・リンチの娘という事実は知られていないが、本人は気にしていただろう。ようやく胸を張れる立場になったのだ。元逃亡者の立場としては喜ばしい限りである。

 

「そういや、リンチが帰ってくるらしいっすよ」

 

 カプラン大佐の能天気な声が耳に飛び込んできた。

 

「まじ?」

 

 イレーシュ准将が眉をひそめる。民間人を見捨てて逃げたリンチ少将は、一三年経った今でも嫌われ者だ。

 

「エル・ファシルで逃げた連中が、来月の最終復員船団で帰ってくるんですけどね。リンチもいるらしいっす」

「へえ。よく帰る気になるね。死刑間違いなしなのに」

「伯父さんが言ってたんで、あてになんないっすけど」

「カプラン先生は適当だしね。君とおんなじ」

 

 何気ない会話のはずだった。しかし、二人の人間にとっては別だった。一人は俺、もう一人はコレット准将である。

 

「シェリーちゃん、どうしたの? 顔色悪いけど」

 

 イレーシュ准将が心配そうにコレット准将を見る。

 

「疲れた時はバナナっすよ、姉さん」

 

 カプラン大佐がバナナを差し出す。

 

「あ、いや、何でもないですよ」

 

 コレット准将は笑って否定した。イレーシュ准将は安堵の表情を浮かべ、カプラン大佐はバナナの皮をむく。リンチ少将の話はあっという間に終わる。

 

 英雄たちの休暇が始まった。思い通りにならないことはある。触れられたくない過去もある。それでも、彼らには輝かしい前途が開けているように思われた。

 

 

 

 一二月二四日、俺は妹と一緒にリニアに乗り、トレモント市へと向かった。ブレツェリ夫妻の官舎を訪ねるのだ。

 

「お急ぎのところ、ご迷惑をおかけいたします。運行管理システムのトラブルのため、一旦停止いたしました。ただいま、全力で復旧作業を進めております。しばらくお待ちください」

 

 リニアが停止し、車内にアナウンスが流れる。今の同盟では交通機関のトラブルなど珍しくもない。七九〇年代後半から深刻化したインフラの劣化は、現在も続いていた。

 

「まいったなあ」

 

 俺はうんざりした気持ちでマフィンの箱に手を伸ばす。こういう時は糖分を補充するに限る。

 

「あれ?」

 

 箱の中は空っぽだった。右側を向くと、マフィンを食べる妹が見えた。

 

「アルマ、それは俺の……」

「なに?」

 

 妹がこちらを向いた。食べかけのマフィンを両手で持ち、童顔に幸せそうな笑みを浮かべる。

 

「いや、何でもない」

 

 何も言えなかった。あまりに妹が幸せそうなので、マフィンの所有権を主張することに罪悪感すら感じてしまう。

 

 俺は携帯端末を開き、保守系新聞『リパブリック・ポスト』の電子版に目を通す。右翼系新聞は親フィリップスだが裏付けのない記事が多い。リベラル系新聞は記事の質が高いが、反フィリップス色がきついので、読んでると辛くなる。リパブリック・ポストが一番読みやすいのだ。

 

 最初に目に飛び込んできたのは、ヤン大将ら現役大将四名、ロヴェール予備役大将ら予備役大将二名に対し、元帥号が授与されるという記事である。授与理由は「ラグナロック戦役の功績」だそうだ。一二月二五日で発令されるため、「トリューニヒトのクリスマスプレゼント」と言われた。現役の元帥が一度に四名も誕生するなど、前例のないことだ。トリューニヒト議長らしいサプライズといえよう。

 

 その他の一面記事は、革命的ハイネセン主義学生連盟のデモ隊二〇万と警官隊の衝突、最高裁判事のクーデター関与発覚、フェザーン資本による大手金融機関の買収であった。

 

 ページをめくり、軍事面を開いた。一番大きな記事は階級制度改革だ。来年度から上級大将の階級を設置し、将官の階級を「上級大将」「大将」「中将」「少将」「准将」の五階級制に再編成する。代将の職位は廃止される予定だ。現任の将官は一階級ずつ昇進し、代将は准将となることが決まった。

 

 ネグロポンティ国防委員長は、「同盟軍の国外派遣を視野に入れた上での判断だ」と語る。大将が軍のトップにいたり、佐官が代将として師団長をやったりする同盟軍の階級制度は、帝国人にはわかりにくい。階級を帝国軍と横並びにすれば、カウンターパートが明確になり、帝国人への根回しが円滑になるという。

 

 反トリューニヒト派は「軍人の機嫌取りだ」と批判した。将官全員の階級が上昇し、代将が全員准将になるので、将官が五倍に増える。機嫌取りと言われても仕方のない面はあった。

 

 スポーツ面がスポーツの試合結果を報じるように、軍事面は戦争の勝敗を報じる。政府が地方に派遣した六つの討伐軍は、いずれも苦戦を強いられている。クーデターの影響で将校数十万人が拘束されたことが響いた。司令部の指導力にも問題があるらしい。

 

 スポーツ面がスポーツ選手の入退団や移籍を報じるように、軍事面は同盟軍の人事を報じる。統合作戦本部長代理ドーソン大将は、新設の国防監察本部長に内定した。第九機動軍司令官フェーブロム少将の中将昇進と、首都防衛軍司令官への就任が決まった。二人とも国家非常事態委員会(SEC)のメンバーだ。市民軍はSECの一部門であり、クーデター前の準備段階ではその支援を受けた。こうしたことから、SECメンバーはクーデター鎮圧の功労者とみなされる。

 

 軍事評論家のコラムは、来年から復活する正規艦隊一二個艦隊及び新設される六個艦隊の司令官予想だ。俺は第一一艦隊司令官の本命にあげられた。正規艦隊が配備される総軍は、司令官が正規艦隊司令官を兼ねるのだ。叩き上げのカールセン中将、中将昇進が決定したアッテンボロー少将、ヤン派のデッシュ中将とジャスパー中将らも、艦隊司令官就任が確実視される。

 

 社会面にはクーデター捜査の記事が載っていた。終結から一か月が過ぎても、協力者の摘発は終わっていない。今日捕まった最高裁判事のような大物が次々と出てくる。しかし、ボロディン元大将が自決し、ブロンズ元大将が黙秘を続けているため、肝心なことは不明なままだ。

 

 国際面を見た時、唖然となってしまった。ラインハルト派の重鎮オーベルシュタイン大将を、軍法会議に告発する動きがあるという。軍事監察官フレーゲル男爵は、「処刑した反乱者の数が極端に少ない。しかも、家族を連座させなかった。怠慢の極みである」と語る。政争絡みの告発なのは間違いない。それでも、数百万人処刑が「極端に少ない」と言われることには、驚きを禁じ得なかった。

 

「長らくお待たせいたしました。これより運転を再開いたします」

 

 リニアが再び走り出した。俺は携帯端末を閉じる。一度走り出したら、トレモントまではあっという間だ。新聞をのんびり読む余裕などない。

 

 トレモント駅を出ると、俺と妹は駅前を散策した。義父ブレツェリ准将は仕事中、義母ブレツェリ退役准尉はボランティアに行っている。二人が官舎に戻るまで時間を潰すのだ。

 

 通行人が好奇のまなざしを向けてきた。俺は視線をかわすように体を縮め、妹は見られることを楽しむかのように胸を張る。

 

「注目されたら、変装した意味がないぞ」

 

 俺は小声で妹に話しかけた。

 

「木は森の中に隠せって言うでしょ」

 

 妹は俺の顔を見下ろす。銀河広しといえど、兄を一五センチ上から見下ろす妹など他にはいないだろう。

 

「密林でも隠せないな」

 

 注目されるのはどう見ても妹の責任だった。一八四センチの身長なのに、派手な髪型のウィッグをかぶり、色っぽく見えるメイクをほどこし、胸は特製パッドのせいで大きく膨らんでいる。体のラインを強調する服装が、大きな胸と長い手足をセクシーに見せた。芸能人がお忍びで外出するような格好だ。

 

 俺は髪を茶色に染め、黄色いフード付きウィンドブレーカーを着ている。耳あてのついたニット帽で耳元と髪を隠し、マフラーをぐるぐる巻きにして首元を隠すのは、副官代理ハラボフ中佐のアイディアだ。

 

「お兄ちゃんはふわふわしすぎだね」

「それでいいんだ。同盟軍大将には見えないだろ」

「あの女に騙されてるよ。メルヘン趣味が軍服を着てるような女じゃん。学生みたいな顔だし」

「お前は何を見てるんだ。ハラボフ中佐より冷徹な人なんて、帝国のオーベルシュタインぐらいだぞ」

 

 とりとめのない雑談をかわしながら歩き回った。街はすっかり冬景色だ。一六時だというのに空は暗い。木々からは葉っぱが抜け落ち、幹と枝だけが残った。人々はコートやダウンジャケットに身を包み、白い息を吐きだし、寒さを振り切るかのように早足で歩く。

 

 今日はクリスマスの前日だ。どこにいても、クリスマスソングが聞こえてくる。クリスマス商品が店頭に並び、店員はクリスマスキャラクターの格好で接客する。

 

「いろんな衣装がいるね」

 

 妹はきょろきょろと周囲を見回す。赤い帽子と赤いコートは、同盟でおなじみの「サンタクロース」。金色と白の派手な衣装に金髪のかつらは、帝国風の「クリストキント」。青い帽子と青いコートを着た男女二人組は、フェザーン風の「ジェド・マロース」と「スネグーラチカ」。各国のクリスマスキャラクターが一堂に会した形だ。

 

「移民に配慮してるんだ。ハイネセンはリベラルな星だからな」

 

 どの国の人間にとっても、クリスマスはおなじみの祝祭である。人類が地球に住んでいた頃に始まり、「祝うのが当然」とされるが、なぜ祝うのかは誰も知らない。「古代の偉大な君主が即位した日だから」という説と、「一三日戦争後に消滅した宗教の祝日だから」という説が有力だが、どちらも決め手に欠ける。

 

「来年はサンタクロースだけになるかもね。大衆党が上院で過半数取ったから」

「大丈夫だと思うけどな」

「大衆党は同化主義でしょ。帝国やフェザーンのクリスマスキャラクターなんて認めないよ」

 

 妹の認識は同盟市民の一般的な認識でもある。右翼は移民に同化を求め、リベラルは移民のアイデンティティーを尊重する。保守派は右翼とリベラルの中間だ。大衆党は移民の同化政策を強化する方針を打ち出していた。

 

「どうなるかはわからないけど、来年もクリスマスはやってくる。それだけは間違いない」

 

 俺は確信を込めて言い切った。クーデターが起きた今年も、ラグナロックで負けた二年前も、シャンプールでテロが起きた六年前もクリスマスはやってきた。大都市に核が降り注いでも、地球の地表が死体で埋め尽くされても、銀河連邦が簒奪されてもクリスマスはやってきた。何があろうとも、人類はクリスマスを祝うことをやめなかった。クリスマスとは日常感覚の象徴なのだ。

 

 古本屋に足を踏み入れた。紙の本は端末を使えない場所でも読めるが、場所を取るのが難点だった。大抵の本好きは新刊を紙で買い、よほど気に入った本以外はすぐに売ってしまう。読むための紙、保管用の電子書籍という住み分けができている。読みたい時に買い、いらなくなったらぱっと売るのが紙の本だ。

 

 安売り本コーナーには、かつてのベストセラーが並んでいた。題名を見るだけで発売時期がわかる。『ロボスはアッシュビーを超えた!』『コーネリア・ウィンザーが銀河を変える』『民主主義の最終的勝利』などは、帝都陥落直後に出た本だろう。

 

「現代エル・ファシル史の年表じゃないか」

 

 目の前にエル・ファシル関連本が並んでいた。『三〇〇万人を救え! 青年中尉の挑戦』『故郷を取り戻せ』『辺境の理想郷』『七月危機――瀬戸際の一〇日間』『エル・ファシル崩壊』といった本を並べれば、そのまま年表として通用する。パトリック・アッテンボローの新刊『エル・ファシル独立戦争史』を、『七月危機』と『エル・ファシル崩壊』の間に挟めば、完璧になるだろう。

 

「懐かしいな」

 

 俺は『沈黙は罪である』を手に取った。亡命者知識人カラム・ラシュワンの代表作で、解放区統治のバイブルと言われた本だ。当時は軍人と解放区民主化支援機構(LDSO)職員のすべてが、この本の影響を受けた、今では、「妄想の産物」「同盟軍八〇〇〇万を敗北させた本」などと酷評される。

 

「うわあ……」

 

 ある一角を見た瞬間、いたたまれない気持ちになった。ウィレム・ホーランド中将を主人公とする漫画『永遠に向かって進軍せよ!』が、一冊一〇フィルスで投げ売りされていたのだ。一〇〇フィルスで一ディナールになるので、ほとんどただ同然である。表紙に描かれたホーランド中将の爽やかすぎる笑顔が虚しい。

 

 俺は『永遠に向かって進軍せよ!』を二〇冊買った。これでもたったの二ディナールである。三年前は定価五ディナールだった本が、二〇冊買っても二ディナール。悲しくなってくる。持ち歩くわけにはいかないので、官舎に送るよう手配した。

 

 お目当ての『リオヴェルデ星系観光ガイド』『メディアルナの歩き方』を買い、古本屋を後にする。

 

 ブレツェリ家で、義父のジェリコ・ブレツェリ准将、義母のハンナ・ブレツェリ退役准尉が歓迎してくれた。テーブルの上には、ジャガイモと玉ねぎの炒め物「プラージェンクロンピール」、ポテトサラダ「オリヴィエ・サラダ」、ひき肉カツレツ「ゴヴャージエ・コトレートィ 」、パプリカ風味のシチュー「ポグラチ」、豚と雑穀の腸詰め「クルヴァヴィツェ」など、フェザーン風料理がずらりと並ぶ。

 

「おいしいですね!」

 

 俺はクルヴァヴィツェを次々と平らげた。一口ごとに懐かしさがこみあげてくる。ブレツェリ夫妻の料理は、ダーシャが作った料理と味付けがそっくりだ。

 

「おかわりください!」

 

 妹はポグラチが入った丼を一瞬で空にした。ぱっちりした目には喜びが充満し、ふっくらした唇の周りはべたべたに汚れている。

 

「いくらでも食べてね」

 

 義母が笑顔でキッチンの片隅を指さす。料理が詰まった大鍋、料理が盛られた大皿などがずらりと並ぶ。

 

「はい!」

 

 俺と妹は声をそろえて返事をした。

 

「いつ見ても、君たち兄妹の食べっぷりは豪快だな。育ち盛りだった頃の子供たちを思い出すよ」

 

 義父が細い目をさらに細める。

 

「ダーシャたちも昔は小食じゃなかったんですか?」

「よく食べる方だった。みんな道場に通っていたからな」

「だから体が大きくなったんですね」

 

 俺は心の底から納得した。義父と義母は小柄だが、その子供は大柄だった。二人の義兄は一八〇センチを超えていたし、義姉はちょうど一七〇センチだ。一六九センチのダーシャも女性としては背が高い。背を伸ばすには栄養が必要だ。

 

 幸福なひと時だった。俺は料理をかみしめながらダーシャを思い出す。妹は一心不乱に食べ続ける。義父はうまそうにビールを飲み、義母は空になった皿に新しい料理を乗せる。一家団らんとはこういうものであろう。

 

 食事が終わった後は全員で後片付けだ。手分けして食器を洗いながら雑談を交わす。一人では面倒な後片付けも、みんなでやると楽しいものだ。

 

「エリヤ君は里帰りするのか?」

 

 義父が洗剤のついた皿を差し出してきた。

 

「もちろんです。こういう時でないと、家族と会えませんから」

 

 俺は洗剤を洗い流しながら答える。

 

「でも、私と一緒じゃないんですよ」

 

 妹が不満そうに口をはさんできた。

 

「アルマ、先に寄りたい所があると言っただろう」

「里帰りの後でもいいじゃん。急ぎの用じゃないんだしさ」

「早めにけりをつけておきたいんだ」

 

 俺は妹に濡れた皿を手渡す。

 

「リオヴェルデかね?」

 

 義父は皿の汚れを落としながら聞いてきた。

 

「はい。ようやく決心がつきました」

「そうか」

 

 それだけ言うと、義父は口を閉ざした。リオヴェルデに住むウィレム・ホーランド予備役中将に対しては、複雑な思いがあるのだ。

 

「恨んでいないと言えば嘘になるね」

 

 妹と一緒に皿をふく義母の顔に影が差す。ホーランド予備役中将はダーシャの上官であり、ラグナロック戦役の推進者でもある。二つの意味でダーシャの死に責任を負う立場だ。

 

「俺は複雑な気分です。ホーランド提督には世話になりました。ダーシャを参謀の仕事に復帰させてくれた恩もあります。しかし、ラグナロック作戦を推進したことは許せません」

「野心に巻き込まれたと思っちゃうのよねえ」

「そうなんです。結局、あの人は野心を捨てられませんでした。撤退に同意したのだって、英雄になりたかったからですよ」

 

 俺はホーランド予備役中将の顔を思い出す。彼が撤退論に傾いた理由については、「フィリップス提督の理路整然とした諫言」が決め手になったといわれる。だが、実際は俺に「英雄になるチャンスだ」と煽られて、撤退戦をやりたくなっただけだった。

 

「ああいうタイプは反省を知らないから。いつも前しか見ていないもの」

「だから、自分の目で確かめたいんです」

 

 ホーランド予備役中将からもらったメールは、「ダーシャの死に責任を感じている」「復帰する気はない」という内容だった。書いてあることが事実かどうかはわからない。本当だったら少しは救われた気持ちになる。ラグナロック戦役の推進者を断罪する気はない。だが、責任を感じてほしいとは思う。

 

「上辺だけだったらどうする?」

 

 義父は手を止めて顔を上げた。

 

「がっかりします。それだけです」

 

 俺は何のためらいもなく答えた。ホーランド予備役中将は戦闘狂だ。戦場に立つためなら、何だってするだろう。気を引くために反省したふりをする可能性もある。駄目でもともとだ。反省していなかったら、リオヴェルデ観光を楽しめばいい。

 

「エリヤ君らしい答えだ」

 

 義父は軽く頷くと、再び手を動かし始めた。彼は俺という人間をよく理解してくれる。

 

「やりたいようにやりなさいね」

 

 義母の丸っこい顔に微笑みが浮かぶ。彼女は俺の背中を押してくれる。

 

「お兄ちゃんは甘いね。別にいいけどさ。私は甘党だし」

 

 妹は無邪気に笑う。彼女は何があろうと俺を好きでいてくれる。

 

 かつて、俺の左隣にはダーシャ・ブレツェリがいた。彼女は誰よりも俺を理解し、誰よりも俺の背中を押し、誰よりも俺を好きだった。この世界からダーシャがいなくなっても、ダーシャが繋いでくれた縁が消えることはない。彼女は形を変えて生き続けているのだ。


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