銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第91話:凱旋する英雄、粛軍の嵐 802年1月4日~1月11日 パラディオン市

 年が明けた八〇二年一月四日の早朝、俺は故郷パラディオンの土を二年ぶりに踏んだ。宇宙港の到着口を出た瞬間、歓声の嵐が巻き起こり、拍手の雨が降り注ぐ。数えきれないほどの群衆が到着ロビーを埋め尽くす。すべての電子看板に、「フィリップス提督、お帰りなさい!」という文字が浮かぶ。

 

「ありがとうございます!」

 

 俺は笑顔で手を振った。歓迎されることには慣れていた。それでも、故郷の人々から「お帰りなさい」と声をかけられると、嬉しくなってくる。

 

 退役軍人墓地に参拝した後、一〇時から市主催の歓迎式に臨んだ。平日の午前だというのに、三万人を収容できるパラディオン市運動公園は満杯だ。来賓席には、市長、市議会議長、商工会議所会頭など地元政財界の大物が顔を連ねる。俺が二度目の市民栄誉賞を受け取り、感謝の言葉を述べると、数万の拍手が鳴り響いた。

 

 初日と二日目は多忙を極めた。公式行事、要人への表敬訪問、インタビュー、テレビ出演に時間を費やした。

 

 二日目の夜にテレビ出演が終わると、俺は両親が住むエクサルヒア警察官舎に直行した。父がクーデター鎮圧後に市警察に復帰したため、姉夫婦の家から引っ越したのだ。

 

「お兄ちゃん! お帰り!」

 

 玄関のドアを開けると、先に里帰りしていた妹のアルマが飛び出してきた。小柄で華奢な女性なら微笑ましいであろう。しかし、妹は身長一八四・六一センチ、体重七六キロという筋肉の塊である。格闘選手がタックルを仕掛けてきたようなものだ。

 

「おう!」

 

 俺は両手を広げて妹を受け止めた。強烈な衝撃が全身を揺るがす。身長一六九・四五センチ、体重六三キロの俺は、どうにか踏みとどまる。

 

「あらあら、アルマは甘えん坊ねえ」

 

 母のサビナがのんきに笑う。妹が二八歳の少将だという事実を無視し、「甘えん坊」の一言で片づけた。親とはこういう生き物である。

 

「エリヤも立派になったよ。昔は吹き飛ばされてたもん」

 

 姉のニコールは満足そうに目を細めた。弟の成長が嬉しくてたまらないといった様子だ。

 

「家族仲良しが一番だ!」

 

 父のロニーは口を開けて大笑いし、俺と妹の肩を強く叩く。親から見れば、子供は何歳になっても子供なのだ。

 

 家族全員が大笑いし、姉の娘のパオラ、マルゴ、ジュリーもはしゃいだ。そんな中、義兄のファビアンだけが微妙な表情を浮かべる。血が繋がった者同士のノリについていけないらしい。

 

 俺、父、母、姉、妹、義兄、三人の姪が食卓を囲んだ。全員がパラス人らしく食べ物を両手で持って食べ、カップを両手で持って飲み物を飲む。マカロニ・アンド・チーズ、ジャンバラヤ、フィッシュチャウダー、フライドポテト、ローストチキン、パラシアンピザといった料理は、パラス人のソウルフードである。生野菜が詰まったボウル、野菜ジュースやフルーツジュースが入ったボトルも並んでいた。

 

 うまいものを食べ、笑いながら話す。これほど幸せなことはない。かつて、トリューニヒト議長は、「すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作りたい」と言った。つまり、「すべての人間を幸せにしたい」と言ったのだ。俺もこの幸せをすべての人と共有したいと思う。

 

 三日目は軍の関連団体を訪ねた。退役軍人連盟や傷痍軍人援護会では、退役軍人と語り合う。愛国遺族会や戦没者遺児支援協会では、遺族の言葉に耳を傾ける。兵士とその家族の気持ちについて理解を深めることができた。残念ながら、反戦派系の反戦復員兵協会と反戦遺族会には、訪問を拒否された。

 

 四日目は福祉施設に足を運んだ。野宿者保護施設では、家と仕事を失った退役軍人が寝泊まりしていた。犯罪者更生支援センターでは、刑務所を出所した退役軍人が更生支援プログラムを受けていた。薬物中毒者更生施設やアルコール中毒者更生施設では、依存症に陥った退役軍人が治療を受けていた。

 

 退役後に身を持ち崩す軍人は少なくない。怪我の後遺症、心的外傷、病気が社会への適応を困難なものとする。十分な保障がなければ、現役軍人の士気にも悪影響を及ぼすだろう。軍最高幹部としては見過ごせない状況だ。

 

 俺個人の思い入れもある。前の人生で軍隊を脱走した後、犯罪で刑務所に入ったり、合成麻薬サイオキシンやアルコールに溺れたりした。他人事とは思えなかった。

 

 五日目はゆかりのある場所を訪ねた。実時間で七〇年以上前の記憶なんて、ほとんど残っていない。自分の知らない自分を掘り起こすのも楽しいものだ。

 

 スターリング高校を訪ねると、冬休みの最中なのに全生徒が出迎えてくれた。校長は「フィリップス提督が来ると聞いて、自主的に集まりました」と胸を張る。だが、嬉しそうなのは俺が卒業した職業教育コースの生徒だけで、進学コースの生徒はつまらなさそうだ。

 

「フィリップス提督のおかげで、職業教育コースの倍率が跳ね上がったんですよ。『英雄と同じ教室で学びたい』という子がたくさんおりまして。別の州から受験する子もいるんです」

 

 中年の女性教師が得意げに胸をそらす。

 

「嬉しいですね」

 

 俺は笑顔で応じたが、内心では「こんな高校に入っても意味がないのに」と思った。スターリング高校の職業教育コースはEランクだ。卒業したところで就職にはつながらない。職業教育コースというより、フリーター直行コースである。

 

「数年前から求人が急増しましてね。企業は『フィリップス提督のような教育を受けた若者がほしい』とおっしゃいます。提督が卒業なさった時はEランクでしたが、今はCランクです」

「そこまでレベルが上がったんですか!」

 

 驚かずにはいられなかった。職業教育コースでCランクといえば、歩兵専科学校と同じランクである。Bランク校の卒業生でも就職に困る時代なので、確実に仕事が見つかるとは言えないが、それなりに有利だ。英雄効果は母校のレベルまで上げてしまった。

 

 俺と妹が通っていたシルバーフィールド中学では、希望者だけが登校した。それでも、全生徒の半数が講堂に集まった。壇上にいるだけで熱気が伝わってくる。俺がスピーチを始めると、一生懸命な表情で耳を傾けてくれた。

 

「うちの生徒は、みんなフィリップス大将閣下とフィリップス少将閣下を尊敬しています!」

 

 髪の毛が赤くて童顔で背が低い女子は、目をきらきらと輝かせた。小さな体いっぱいに喜びが詰まっているといった感じだ。

 

 教師によると、数年前から軍への就職を目指す生徒が激増したそうだ。優秀な生徒は専科学校を受験し、そうでない生徒は志願兵になるという。

 

「恥ずかしながら、我が校は平凡な学校です。士官学校やハイネセン記念大学に進学できる子はいません。運動部のほとんどは一回戦負けの常連です。あなたがたご兄妹が唯一誇れるものなんですよ」

「憧れてもらえるなんて光栄です」

 

 俺は心からの笑顔で応じた。凡人として生きてきた自分が、平凡な子供から憧れられる存在になったのだ。これほど嬉しいことはない。

 

 世話になった小学校や保育園、小学校時代に在籍した少年野球チーム、中学校時代に通った補習塾にも足を運んだ。大人は俺のことを覚えていた。子供は憧れのまなざしを向けてくれた。残念なことに、バイト先だったコーヒーショップは潰れていた。

 

 六日目からはのんびり過ごした。五時三〇分に起床し、妹と一緒に一時間ほど走る。七時に軽い朝食をとった後、妹と一緒に家を出て、一〇キロ離れたゴルディアス市の市立体育館まで走る。八時三〇分の開館と同時にトレーニングを始め、終わってからシャワーを浴び、一〇時三〇分頃に外に出る。それからは勉強したり、食べ歩きをしたり、妹と二人で過ごす。両親と姉が帰ってくる頃には実家に戻り、家族全員で夕食をとる。二三時に寝るまでは、勉強をしたり、家族と話したり、マイペースに過ごす。規則正しい生活で心身を休めた。

 

 俺は精一杯休暇を楽しむつもりだった。次の長期休暇がいつになるかはわからない。休暇をもらう前に死ぬ可能性だってある。戦う時も休む時も全力で臨む。それが軍人の生き方だ。

 

 

 

 故郷でのんびりしている間、軍人事が刷新された。上院と下院で過半数を獲得し、他党との連立を解消したトリューニヒト政権は、人事権を遠慮なしに使った。

 

 最初にクーデターに加担した者への処罰が始まった。トリューニヒト政権が絶対善になれる数少ない機会だ。これほど叩きやすい「悪人」は滅多にいない。

 

 再建会議に協力した将校、再建会議の命令に従った将校は、「反乱参加者」として軍法会議に告発された。再建会議支持を表明しただけの将校は、予備役編入となった。将校には命令が正当なものかどうかを判断する責任がある。不当な命令に従えば、将校としての責任を果たしていないことになるのだ。

 

 下士官と兵卒を軍法会議にかけようとする動きもあった。だが、俺が「彼らは責任を負う立場ではない」という意見書を各所にメールで送りまくったため、立ち消えとなった。結局、具申権を有する部隊最先任下士官だけが処分を受けた。

 

 再建会議の中心メンバーは、階級を剥奪されてから軍法会議にかけられた。クーデターを主導したことが「軍人にあるまじき非行」に該当したため、国防基本法の規定により、懲戒免職処分を受けたのだ。統合作戦本部次長ブロンズ地上軍大将、国防委員会情報部長ギースラー地上軍中将、シヴァ方面艦隊司令官代理コナリー宇宙軍中将、第五機動軍司令官ラッソ地上軍中将、統合作戦本部次席副官ファイフェル宇宙軍准将らは、軍服を着ることが許されない身となった。

 

 第九予備役分艦隊副司令官ルイス宇宙軍准将は、悪質な情報操作を行ったため、階級を剥奪された。クーデター前に「グリーンヒル、ブロンズ、ルグランジュ、エベンスがクーデターを企んでいる」という噂を流し、真のクーデター計画から目を逸らさせた。クーデターが始まると、「市民軍こそが本当のクーデター部隊。フィリップスは傀儡に過ぎん。グリーンヒル、ルグランジュ、エベンスの三人が黒幕だ!」と叫んだ。逮捕後は「ヤン提督が味方すると聞いたから協力しただけ」と供述しているが、そんな言い訳が通るはずもない。

 

 反乱中核勢力に指定された旧第一二艦隊、情報部、シロングループは、徹底的な粛清にあった。多くの将校がクーデターに加担した疑いで告発された。クーデターに加担しなかった将校も、「世代交代」の名目で予備役に編入されたり、「栄転」の名目で地方に飛ばされたりした。

 

 シロングループが粛清されたことにより、麻薬関係者にも捜査の手が伸びた。ジャーディス元上院議員、第五辺境軍集団副司令官ハリーリー地上軍少将らは、クーデターに加担した容疑で逮捕された。ライガール星系のカロキ前首相は自殺した。アルバネーゼ退役宇宙軍大将、ドワイヤン宇宙軍中将らは逃走中だ。

 

 拘束される前に死亡した者は告発されなかった。統合作戦本部長ボロディン宇宙軍大将、第四機動集団司令官ストークス宇宙軍中将、特殊作戦総軍副司令官パリー地上軍中将らは、死によって裁判を回避した。ただし、クーデター鎮圧の翌日に階級を剥奪されている。

 

 クーデターが始まってから再建会議に協力した者は、予備役に編入されて軍法会議を受けることとなった。後方勤務本部長ツァイ宇宙軍大将、特殊作戦総軍司令官ギュール宇宙軍大将、第一機動集団司令官コルビン宇宙軍中将、第一機動軍司令官ドナート地上軍中将らは、一時の過ちでキャリアを失った。

 

 第六陸戦遠征軍司令官ビョルクセン宇宙軍少将は、ヤン派幹部の中でただ一人、軍法会議にかけられた。「ヤン提督が再建会議に味方した」という偽情報に惑わされ、市民軍側部隊の根拠地を制圧したことが問題視されたのである。

 

 中立を宣言した者は、「クーデターを黙認した」として予備役に編入された。陸戦隊総監グリーソン宇宙軍大将、士官学校校長ホッジズ地上軍中将らが、現役を退いた。

 

 シヴァ方面艦隊副司令官ラップ宇宙軍中将は、「クーデターを積極的に抑止しなかった」との理由で、予備役に編入された。しかし、彼がクーデターに反対して拘束されたことは、多くの人が証言している。実のところ、有害図書愛好会のメンバーは、ラップ中将の人望にひかれて集まった同期生や後輩だ。良識派の中核部隊は実質的なリーダーを失った。

 

 第二辺境軍集団司令官キャゼルヌ宇宙軍中将は、反再建会議の姿勢を打ち出したにも関わらず、予備役編入となった。再建会議派の民間船を拿捕しなかったこと、ボロディン元大将から称賛されたことなどから、クーデターを黙認したとみなされたのだ。ラグナロック戦役の戦犯容疑者という立場も影響したと思われる。政治力のあるキャゼルヌ中将の失脚は、有害図書愛好会にとっては後見人の喪失を意味した。

 

 責任を感じて自ら現役を退いた者もいる。地上軍副総監カルガーリ地上軍大将、バーラト方面艦隊副司令官デサイ宇宙軍中将らは、自らの意思で予備役に入った。宇宙艦隊司令長官ビュコック宇宙軍大将、地上軍総監ベネット地上軍大将、バーラト方面艦隊司令官アル=サレム宇宙軍大将らも辞表を提出したが、国防委員会は受理しなかった。

 

 クーデター加担者の処罰が一段落すると、トリューニヒト政権は「クーデター再発を防止するための措置」と言って、粛清人事を行った。

 

 熱烈な軍縮支持者、政治家を露骨に嫌う者、徹底した合理主義者、体制への反発心が強い者が、粛清の対象となった。宇宙艦隊総参謀長クブルスリー宇宙軍大将、国防研究所所長ナラナヤン宇宙軍中将らは、閑職に追いやられた。宇宙艦隊副参謀長モンシャルマン宇宙軍中将、統合作戦本部安全管理部長バウンスゴール宇宙軍技術中将らは、地方に飛ばされた。技術科学本部長マディソン宇宙軍大将、国防委員会事務総長ユーソラ地上軍大将らは、予備役に編入された。

 

 軍拡支持者、政治家と協調できる者、愛国心が強い者、体制に従順な者でも、トリューニヒト派と仲が悪ければ粛清された。第三陸戦遠征軍司令官リャオ宇宙軍中将らは、実権のないポストに移された。バーラト方面地上軍参謀長シュトローマン地上軍中将らは、地方に左遷された。国防委員会防衛部長カルドゥッチ宇宙軍中将らは、予備役となった。

 

 ラグナロック戦犯に対する恩赦が取り消され、遠征軍首脳陣は被告席に座ることとなった。軍法会議開始に先立ち、宇宙軍予備役総隊司令官グリーンヒル宇宙軍大将、宇宙軍支援総隊司令官コーネフ宇宙軍大将、第二機動集団司令官ビロライネン宇宙軍中将ら現役軍人の被告人は、予備役に編入された。

 

 市民軍で活躍したサンドル・アラルコン宇宙軍大将は、予備役となった。表向きには「世代交代のため」とされるが、過去の非戦闘員殺害疑惑の新証拠が出たことが決定的だった。また、「アラルコン四天王」と称されるカヴィス宇宙軍中将、リリエンバーグ宇宙軍少将、カンニスト宇宙軍少将、ハッザージ宇宙軍少将も、予備役に編入された。市民軍系勢力から、最も反トリューニヒト的なグループが消滅したのである。

 

 一連の粛清人事によって軍を去った将校は三二万一〇〇〇人、左遷された将校は一七万七〇〇〇人に及んだ。クーデター鎮圧直後の同盟軍は、三四二万八〇〇〇人の将校を抱えていた。七人に一人が粛清対象になったのだ。良識派がラグナロック戦役後に行った粛清とは、比較にならない規模だった。この強烈な人事は「トリューニヒト粛軍」と呼ばれる。

 

「なんだかなあ」

 

 俺から見ても、トリューニヒト粛軍は不公平すぎた。トリューニヒト派の利益と心象だけで決まったように思える。思想や政策が一致する人物でも、トリューニヒト派に嫌われたらおしまいだ。

 

 アラルコン大将の失脚は残念だった。過去の疑惑があるので、擁護するのは困難だ。それでも、俺が休暇中でなかったら、アラルコン四天王の予備役編入は阻止できただろう。

 

 良識派が三年前にやった粛軍もかなり酷かったが、一貫した基準があったので納得はできた。彼らの構想に合致する人材なら、嫌われていても排除されることはなかった。俺は構想外だったから排除されたに過ぎない。

 

 苛烈な粛軍の中にも良いことはあった。麻薬関係者の逮捕、ラグナロック戦犯の起訴と予備役編入は、ずっと望んでいたことだ。

 

 ようやく本当の戦犯を裁くことができる。むろん、俺だってロボス元帥やグリーンヒル大将に全責任があるとは思っていない。背後にいる政治家・財界人・官僚を引っ張り出すには、遠征軍首脳陣を裁判にかけるしかないのだ。

 

 トリューニヒト政権は発足当初から、「冬バラ会が諸悪の根源」という前政権の見解を否定してきた。旧与党と良識派の力が強かったために、軍法会議を開けなかったのだ。クーデターで力関係は完全に変わった。だから、ホーランド中将の復帰が実現しても、良識派以外からの反発は薄かった。いずれはアンドリューの名誉回復も実現するだろう。

 

 麻薬関係者の政治生命は完全に断たれた。政治犯として裁かれるのは少し残念だ。もっとも、希望がないわけではない。クリストフ・バーゼルが麻薬取引に関与した疑いで逮捕された。バーゼルの線から真実が明らかになることを期待したい。

 

 ヴァンフリートの仇討ちも半ば終わった。帝国軍を呼び寄せた四人のうち、自由の身なのはドワイヤン元中将だけだ。ハリーリー元少将は逮捕された。ロペス中将とメレミャーニン少将は、ラグナロック末期に帝国軍に降伏したが、逃亡を図ったために射殺された。悪党にしてはあっけない最期である。

 

「終わる時はこんなもんなのか」

 

 振り返ってみると長い戦いだった。麻薬組織との抗争は九年間、ラグナロック戦犯との裁判闘争は二年間続いた。どちらもあっけなく終わった。俺と関係ないところで決着してしまったのだ。

 

「そういえば、あの人はどうしてるんだろう」

 

 帝国の使者ループレヒト・レーヴェの顔を思い出した。フェザーンでの会見の後、彼は辺境に飛ばされると語った。生き残っていてほしいと思う。ハリーリー元少将が捕まり、ロペス中将とメレミャーニン少将が殺されたことを知れば、喜ぶに違いない。

 

 そう思ったところで、俺は首を横に振った。レーヴェのような人は、自分の手でケリをつけたがるものだ。他人に殺されたと知ったら悔しがるかもしれない。二人の悪党を殺害したのは、ラインハルト配下のケスラー提督だった。

 

「結局、俺もレーヴェさんも、ケスラー提督に仇を討ってもらったことになるんだな」

 

 俺は苦笑いを浮かべた。まさか、前の世界の有名人が仇を討ってくれるなんて、予想もしなかった。もっとも、ケスラー提督は感謝されても喜ばないはずだ。逃げようとした捕虜を殺すなんて、武人の仕事ではない。

 

「問題はこれからだ」

 

 壁にかかった軍服に視線を向けた。襟元の階級章には四つの星がついている。俺は宇宙軍上級大将に昇進したのだ。国防委員会はわざわざ実家に新しい階級章を送ってくれた。

 

 どんな組織においても、人事の不満は致命傷になりうる。粛軍人事に納得できない人は多い。再びクーデターが起きてもおかしくないだろう。

 

「これがうまくいったらいいんだけど」

 

 俺は「新人事」と書かれたフォルダを開く。昇進や補職に関する情報だ。粛軍の不満をどれだけ解消できるかが今後の鍵となる。

 

 鞭を打った後は飴を舐めさせる番だ。トリューニヒト政権は粛軍という鞭を振るった後、昇進や栄転という飴をばらまいた。

 

 一二月二五日、復員支援軍司令官ヤン宇宙軍大将、宇宙艦隊司令長官ビュコック宇宙軍大将、地上軍総監ベネット地上軍大将、宇宙軍教育総隊司令官ルフェーブル宇宙軍大将、元地上軍総監ロヴェール予備役地上軍大将、元中央兵站総軍司令官ランナーベック予備役地上軍大将の六名が、元帥に昇進した。いずれもラグナロックの功労者である。

 

 一月二日、国内平定軍を指揮したギオー地上軍中将、モートン宇宙軍中将、シャイデマン宇宙軍中将、ジャライエル地上軍中将、ホルヘ宇宙軍中将、メネンディ地上軍中将の六名が、大将に昇進した。彼らの配下にも昇進する者が多かった。

 

 一月三日、上級大将の設置と代将の廃止が実施された。大将ポストは上級大将ポスト、中将ポストは大将ポスト、少将ポストは中将ポスト、准将ポストは少将ポスト、代将ポストは准将ポストに切り替わった。指定階級の切り替えに伴い、将官は無条件で一階級昇進し、代将は准将となった。国内平定軍に参加した将官の中には、二日で二階級昇進した者も少なくない。

 

 予備役将官への救済措置として、半年以内に予備役となった者も一階級昇進した。ただし、クーデター加担者とラグナロック戦犯は昇進対象から除外された。これによって、アラルコン予備役大将は予備役上級大将となり、四天王も階級が上がった。

 

 良識派はこの大盤振る舞いを「でたらめなばらまきだ」と批判したが、同調する声は広がらなかった。ばらまきでも昇進したいと思うのが普通の軍人だ。

 

 大多数の支持を受けたトリューニヒト政権は、機構改革を進めていった。幕僚主導の軍運営を政治主導に改めるのだ。

 

 統合作戦本部長が有していた「同盟軍最高司令官代理」の称号が、国防委員長に移った。これによって、統合作戦本部長は作戦指揮系統から外れ、最高司令官代理として采配を振るうことができなくなる。最高評議会議長の首席軍事参謀としての権限だけが残された。

 

 良識派は「戦争指導にはプロの力も必要だ」と言って、この改変に反対した。だが、現職の統合作戦本部長がクーデターを起こした後では、説得力に欠ける。

 

 新体制の統合作戦本部長に、宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック宇宙軍元帥が選ばれたことは、大きな話題を呼んだ。兵卒出身者が統合作戦本部長に就任するのは、同盟軍史上初めてとなる。七五歳一か月での統合作戦本部長就任は同盟軍史上で第二位だ。もっとも、第一位は元帥が終身現役だった時代の記録だった。軍歴五九年は現役最長、参加戦闘数一三一七回・参加会戦数八八回・受勲回数一二一回は現役最多である。三年前の第二次ヴァルハラ会戦では、同盟軍右翼の崩壊を防いだ。これほど話題性に富んだ人物はいない。

 

 国防委員会戦略部出身のメネンディ地上軍上級大将が作戦担当次長、同盟軍最高の兵站参謀セレブレッゼ宇宙軍上級大将が管理担当次長となった。実務経験豊かな次長が叩き上げの本部長を支える。

 

 国防委員会組織令改正により、国防委員会事務総局トップの事務総長は、統合作戦本部長と同格になった。政治主導の体制においては、軍官僚の頂点にいる事務総長は要職の中の要職だ。

 

 宇宙軍教育総隊司令官シャルル・ルフェーブル宇宙軍元帥が、国防委員会事務総長となった。士官学校を卒業してから五四年、艦艇勤務一筋で過ごしてきた生粋の軍艦乗りだ。ラグナロック戦役ではミズガルズを死守した。老元帥の威信が事務総長の職に重みを加えるだろう。

 

 事務総局の次長に選ばれたのは、国防委員会生え抜きのリバモア地上軍大将である。軍政のプロをナンバーツーに持ってきた。手堅い布陣といえる。

 

 宇宙艦隊総司令部と地上軍総監部はいずれも分割された。宇宙艦隊総司令部から作戦指導機能が分離され、宇宙軍幕僚総監部が一世紀ぶりに復活した。地上軍総監部から地上総軍総司令部が独立し、地上軍幕僚総監部と地上総軍総司令部が並び立つこととなった。作戦指導機関と実戦部隊司令部を切り離したのだ。

 

 バーラト方面艦隊司令官ジャミール・アル=サレム宇宙軍上級大将が、宇宙軍幕僚総監に任命された。ラグナロック戦役で活躍した提督だが、最も得意なのはデスクワークだ。宇宙軍の統括者としてはうってつけの人材と言える。

 

 クーデター鎮圧の功労者フィリップ・ルグランジュ宇宙軍上級大将は、宇宙艦隊副司令長官から司令長官に昇格した。勇猛さは宇宙軍でも五本の指に入る。市民や兵士からの人気は高い。宇宙軍実戦部隊のトップたるにふさわしい人物だ。

 

 地上軍総監マーゴ・ベネット地上軍元帥が地上軍幕僚総監となったことは、市民を安心させた。彼女の名声はビュコック元帥に匹敵する。非戦闘員四二〇〇万人を退避させたヴァナヘイム撤退作戦は、同盟軍史に残る金字塔であろう。地上軍の頂点に立つ人は彼女以外にはいない。

 

 市民軍で活躍した第七地上軍司令官トマシュ・ファルスキー地上軍上級大将が、地上総軍総司令官に抜擢された。盟友のアラルコン予備役上級大将と明暗を分けた形だ。獰猛な風貌と粗野な振る舞いは、兵士に頼もしい印象を与えるだろう。

 

 トリューニヒト派は目立たないポストに就いた。ロックウェル宇宙軍上級大将が後方勤務本部長、ドーソン宇宙軍上級大将が国防監察本部長、ジャライエル地上軍上級大将が国防情報本部長、シャイデマン宇宙軍上級大将が宇宙軍幕僚副総監、ギオー地上軍上級大将が地上軍幕僚副総監となった。ルスティコ地上軍技術上級大将は、技術将校としては初めての技術科学本部長である。

 

 市民も軍人もこの人事を高く評価した。中学時代の友人であるリヒャルト・ハシェク宇宙軍少尉もその一人だった。

 

 帰郷してから八日目の一月一一日、俺は中学時代の同級生が開いた飲み会に出た。丸顔のルオ・シュエ、優等生のフーゴ・ドラープ、チビのリヒャルト・ハシェクなどがいた。記憶にない顔も見かける。反戦派になったミロン・ムスクーリは来なかった。

 

「史上最強の首脳陣だよ。みんな実戦派だ。戦争がわかってる人が上にいる」

 

 ハシェクは両手でピーチパイを持ち、満足げな表情を浮かべた。

 

「実績があるってことだからな」

 

 俺も同意するように笑い、両手でカップを持ってコーヒーを飲む。

 

「この布陣なら帝国に圧勝できるぞ。あっちの三長官はパッとしない奴ばかりだしな。実戦部隊で怖いのは、ローエングラム、メルカッツ、オフレッサーの三人だけだ」

「キルヒアイス提督も手ごわいぞ」

「クリンガー提督の足元にも及ばないよ。しょせん、エリヤの二番煎じじゃないか」

 

 ハシェクは大きく口を開けて笑う。フィリップスファンとキルヒアイスファンは仲が悪い。どっちも赤毛がトレードマークだからだ。

 

「足元に及ばないなんてことはないだろう。クリンガー提督相手でも、少しは粘るはずさ」

 

 内心ではキルヒアイス提督が勝つと思っているが、口には出さない。クリンガー大将はグエン大将に匹敵する名将だ。それでも、キルヒアイス提督の才能には敵わないだろう。

 

「エリヤは甘すぎる。糖分の取り過ぎだ。脳みそが砂糖漬けになってるんじゃないか」

「俺は司令官だ。敵には甘く、味方には辛いぐらいがちょうどいい」

「なるほどなあ」

 

 心の底から感心したような顔のハシェクに、金髪の女性が同意を示す。

 

「フィリップス君は私たちよりずっと先を見てるのよ」

 

 妙に得意げなこの女性は、マリアナ・サンタンジェロという名前の宇宙軍技術曹長だ。俺の同級生だったらしいが記憶に残っていない。

 

「上級大将だもんなあ。俺より階級が一〇個も上なんだ」

「凄いよねえ。昔はどんくさかったのに」

「エル・ファシルで覚醒したんじゃねえか」

「もともと天才だったのよ。妹さんも凄いし、遺伝の力でしょ」

「アルマちゃんもなあ。昔はだらしなかったんだけど」

 

 ハシェクとサンタンジェロ技術曹長が話しているところに、熊のような巨漢が割り込む。

 

「住んでる世界が違うんだ。俺たちは人間の世界、フィリップスは神話の世界に生きてるのさ」

 

 アラン・ヨルゲンセンという名前の地上軍大尉が、苦笑いを浮かべる。彼も同級生だが記憶にはなかった。

 

「ヨルゲンセン君も立派よ。専科学校出て三三歳で大尉なんだから」

 

 サンタンジェロ技術曹長の言ってることは正しい。専科学校出身者の八割は下士官止まりだ。士官になっても、半数は大尉で定年を迎える。ヨルゲンセン大尉の出世はかなり早かった。二〇代で佐官になった薔薇の騎士連隊隊員や撃墜王は、専科学校出身者の中では規格外である。

 

 同級生三四名の中で、専科学校卒業者はハシェク、サンタンジェロ技術曹長、ヨルゲンセン大尉の三人しかいない。シルバーフィールド中学のレベルだったら、クラスに尉官二人がいるだけでも上出来だ。軍服を着ていない者まで範囲を広げると、一番出世したドラープは惑星政庁係長で、大尉に匹敵する。俺の宇宙軍上級大将という階級だけが浮いていた。

 

「ヨルゲンセン、俺たちはついてるぞ。神話の英雄が味方に付いてるんだ。ビュコック元帥、ルフェーブル元帥、ベネット元帥、アル=サレム提督、ルグランジュ提督が中央にいる。エリヤとヤン元帥が実戦部隊をまとめる。チーム・フィリップスとヤン・ファミリーは、現代の七三〇年マフィアだ。想像するだけでわくわくするな!」

 

 ハシェクは目をきらきらと輝かせる。年のわりに純朴そうに見えるのは、童顔のせいだけではない。

 

「帝国は運がない国だよな。同盟と遭遇した時点で負けは決まっていた」

 

 ヨルゲンセン大尉は同情の色を見せる。同盟が滅んだ前の世界では、「帝国と遭遇した時点で、同盟は敗北する運命だった」と主張する人がいた。しかし、この世界ではまったく逆だ。

 

 帝国崩壊は避けられない流れだと思われた。財政問題と軍制改革を発端とする対立は、信じられない事態に発展した。帝国首相ブラウンシュヴァイク公爵と第一副首相リッテンハイム公爵が、民主化路線に転じ、同盟との永久停戦、議会創設、憲法制定、立憲君主制の導入を打ち出したのだ。一方、元老会議議長リヒテンラーデ公爵、大本営幕僚総監ローエングラム大元帥、宮内尚書ブラッケ侯爵らは、絶対君主制の維持にこだわる。最大の門閥貴族が民主化を口にするなど、末期状態としか言いようがない。

 

 実のところ、同盟と帝国の地力には大きな差はなかった。七九六年の時点では、帝国のGDPは同盟の一・二倍だった。帝国には弱体な産業基盤、極端に薄い中間層、低い教育水準という弱点がある。同盟には高い生産性、厚い中間層、高い教育水準という長所がある。実質的な経済力はほぼ互角といえるだろう。

 

 前の世界では巨大な人口や貴族財産を理由に、帝国の国力が高いと主張する人がいたが、大きな間違いだ。帝国人全員が同盟人並みの健康と教育水準を有していれば、人口は長所になるだろう。しかし、不健康で教育を受けていない人間が多いだけなので、人口は短所でしかない。国防費の大半は多すぎる兵力の維持に費やされ、近代化は遅々として進まなかった。同盟にも貴族資産に匹敵する埋蔵金がある。帝国領侵攻作戦とリップシュタット戦役がなければ、前の世界における帝国の優位は確立しなかった。

 

 この世界には高い生産性を理由に、同盟の国力が高いと主張する人がいるが、これも正しいとは言えない。生産性を上げるには金がかかる。莫大な教育費、莫大な技術研究費、莫大な設備投資、莫大な社会資本投資が、同盟の高い生産性を支えた。こうしたコストを負担できなくなった時点で同盟は破綻する。個人の権利が尊重される同盟では、医療費や社会保障費の負担も大きい。今の優位はぎりぎりの優位だった。

 

 両方の世界を見た俺に言わせると、同盟と帝国の国力差は小さい。指導力の差が勝敗の決め手になるだろう。

 

「同盟軍は盤石だ」

 

 ハシェクが断言し、サンタンジェロ技術曹長とヨルゲンセン大尉が頷いた。他の同級生も口々にハシェクの主張を肯定する。俺は食べることに熱中するふりをして、ハシェクに同意することを避けた。

 

 表面的に見れば、有能な人材が出世し、無能な人材が淘汰されたように見えるだろう。知名度の高い人物が要職に就いた。知名度の低い人物が粛軍によって消えた。

 

 有名でない軍人が無能だとは限らない。高級軍人の大半は地道な努力によって出世した人物である。無名の大将や中将は、「大した武勲を立てたわけでもないのに出世した」のではない。彼らは「大した武勲がなくても出世する力の持ち主」なのだ。

 

 粛清された高級軍人の大半は、事務や調整を得意としていた。優秀な裏方がごっそり消えてしまったのだ。

 

 どんなに優れた人物でも一人では動けない。司令部を公的な幕僚チームとすると、派閥は私的な幕僚チームである。派閥の助けがなければ、根回しや情報収集や人材確保はできない。大きな仕事をするには派閥が必要だ。ビュコック元帥らは孤立した。

 

 複雑な気分だった。政治的に見れば、反トリューニヒト派の凋落は喜ぶべきことだ。しかし、それは同盟軍の戦力低下を意味していた。他派閥にはトリューニヒト派にできないことができる。弱くなりすぎるのは危うい。

 

「同盟軍の未来に乾杯!」

 

 ハシェクたちが乾杯する声が聞こえた。のんきなものだと思うが、非難する気はない。俺が彼らの立場なら乾杯するだろう。

 

 同盟軍ほどの超巨大組織になると、上層部には末端の様子がわからないし、末端には上層部の動きが伝わってこない。末端にとっては、公式発表や報道だけが上層部の動きを知る手段である。

 

 ハシェクやヨルゲンセン大尉のような叩き上げ士官は、専門領域に関しては詳しいが、組織全体を見渡す視野は持っていなかった。知能ではなく知識の問題である。生まれつきの知能はこの二人の方が優秀だろう。並以上の頭がないと専科学校には合格できない。ただ、俺は上層部に近い場所にいた。視野の広さを作るのは立場と経験だ。

 

「期待してるよ! 英雄!」

 

 サンタンジェロ技術曹長が俺の肩を叩いた。顔は真っ赤に染まっている。だいぶ酔いが回ったようだ。

 

「任せとけ!」

 

 俺は右の拳をぐっと握る。軍の未来を明るくするのが上級大将の仕事だ。悲観に酔っている暇などなかった。


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