マイナスの使い魔   作:下駄

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第二十九敗『お話にならない』

 穏やかな水面に太陽の光が反射しきらめく。うららかな午後の陽射しが心地よい小舟の中。

 けれども差し込む光さえ拒否するように、その中で縮こまって丸くなっている少女がいる。彼女――ルイズの心には大雨が降っていた。

 

 今の彼女ではなくもっと幼い頃のルイズであり、記憶の前後が曖昧でつぎはぎのような世界。つまりは夢の中である。

 

 幼い頃、姉妹と比べて魔法の出来が悪く母親に叱られて逃げ出したルイズは、よくここで泣いていた。

 かつての母親は名高い騎士であり、姉二人はその才能を継いで優秀なメイジなので風当たりの強さは殊更である。

 母親の苛烈さはそれこそ彼女の二つ名である烈風の如しであり、ルイズに輪をかけて強かったのも災いした。

 

 幼少時代では母や姉に怒られて逃げ出した時の隠れ家がここだったのだ。

 夢の今も魔法の練習中に逃げ出したため怒り心頭の母が、ルイズの名前を呼びながらすぐ近くの廊下を通り過ぎていった。

 

 悲しくて、悔しくて、恐かった。

 けれど、時々あの人がルイズを見つけて舞い降りてくれる。

 優しく微笑み、慰めながら手を差し伸べてくれた。

 

「小さなルイズ」

 

 彼の声は暖かくて、握った手はしっかりと彼女を掴んで抱き上げてくれた。

 ルイズはそんな彼が大好きだった。

 

 聞こえてきた彼の声に、ルイズは反応して起き上がろうとする。

 

『いいんだよ。それで』

 

 突然、彼の声が変質した。

 記憶に残る懐かしい声ではない。耳にこびり付きじゅくじゅくと鼓膜に侵入してくるような不快音の集合体。

 『彼』は彼でないけども、『彼』もまた、ルイズを肯定する。

 

『才能がなくて辛いとすぐ逃げ出しちゃう。誰もわかってくれないって、小舟で一人寂しく何度も泣いたんだよね? 弱くて情けなくて世界で一つだけの素敵な個性だよ!』

 

 丸まったまま、ルイズは耳を塞いだ。外の世界を否定するために、自分の殻に引きこもった。

 それでも不思議と声は届いてくる。

 

『そんな不幸な君だから、僕は友達になりたいんだ』

 

 いやだいやだと、目を瞑ったまま首を左右に振る。

 命からがら乗り込んだ救命ボートにさっそく浸水が始まったような気分だった。

 

 ――なんで夢の中でもあんたの声を聞かなくちゃいけないのよ!

 

 ここは夢の中だろう? そんなものは目を背けたくなる現実だけで十分だった。

 

「大丈夫かい僕のルイズ。そんなに恐がっているのかい?」

『怯えないで、勇気を出して、負けることを恐れず下を向こう!』

 

 あの頃は、自分を認めて助けてくれる彼に、どれだけ救われていただろう。

 今、自分を認めて堕落させようとしてくる『彼』のせいで、どれだけ酷い目に遭っているだろう。

 

 まるで相容れない水と油の二人が同じことを言う。

 

「僕と行こう」

『僕と行こう』

 

 善いと悪いが一緒くたになってルイズを求めてくる。

 どちらの声についていくか、ルイズは決めた。初めから決まっていた。

 勢いよく彼女が起き上がるとそこにはヴァリエール邸の中庭と小舟が映って――はいなかった。

 

「え……?」

 

 まるで見ず知らずの場所でぽつりと、ルイズは椅子に座っていた。

 背丈と服装も現在通りにトリステイン魔法学院で過ごしているままで、制服をきっちりと身に着けている。

 パッと見て、金属製で丈夫そうな机と椅子だがデザインセンスはあまり感じられないし、座り心地もあまりよくない。

 

「やぁ、初めましてルイズちゃん」

 

 そこでルイズはようやく、目の前にいる人物に気が付いた。

 彼女は教壇の上に腰を下ろしており艶やかな栗色のロングヘアに、整った目鼻立ちが特徴の少女だった。

 年齢的にはルイズとそんなには変わらないだろう。

 

「貴女……誰?」

「僕は安心院なじみ。君をここに召喚した、平等なだけの人外だよ」

 

 どこか超然とした彼女だけは、まったくもって夢の中とは思えないリアリティさを持っている。

 

「貴女がここにわたしを……?」

 

 召喚した。

 つまりメイジであるルイズ自身が他の誰かに召喚されたのだ。まさしく逆転現象だった。

 

「正確に言うとここは君達の心の中で、僕はその狭間を連結して横入りしたみたいなものかな」

 

 言っていることの意味はよくわからないが、あえて理解する意味もないだろう。

 夢の中で見ず知らずの人間に無理やり呼び出されて話をしている時点で無茶苦茶なのだから。

 それよりも大事なことがある。

 

「達ってどういう意味?」

「それはもちろん、そこで死に体になっている球磨川禊君のことさ」

「なんですって!?」

 

 ルイズは立ち上がり安心院の指さす窓際へと駆け寄ると、死角となっていた場所に血塗れになっている瀕死の禊が寄りかかっていた。

 

「安心していいよ(安心院だけに)。死に体だけど生きてはいるから」

「どこをどう安心しろっていうのよ!」

「ルイズちゃんもよく知ってるだろう? 大嘘憑き(オールフィクション)がある以上、この程度は遊びの範疇さ」

 

 今の禊はいつものように演技しているようには見えないし、立ち上がる気配もない。

 先程から驚きと質問ばかりのルイズだが、もうわけがわからなかった。

 

大嘘憑き(オールフィクション)が効かない相手がいるなんて……」

「効いてる効いてる。球磨川君が振り回す大嘘憑き(オールフィクション)は凶悪な過負荷(マイナス)さ」

 

 だから、と彼女は一息、

 

「7932兆1354億4152万3223個の異常(アブノーマル)と4925兆9165億2611万0643個の過負荷(マイナス)、合わせて1京2858兆0519億6763万3866個のスキルで応戦するしかなかったよ」

「……………………は?」

 

 次々と押し寄せる怒涛の展開に加えて数字が出鱈目すぎてルイズの頭がパンクした。もう何が何だかわからない。

 

『安心院さんの言葉を全部額面通りに受け取ってたら話にならないよ、ルイズちゃん』

 

 ルイズの存在に反応したらしく、禊の傷は全て消え失せ何事もなかったように立ち上がる。

 しかし、禊の表情には彼らしくもない明らかな憔悴が見てとれた。

 

「どういうこと? もう意味がわかんないわよ!」

『お話にならないくらい、安心院さんが人外なのさ』

 

 球磨川禊という過負荷(マイナス)が人外呼ばわりする存在、安心院なじみ。

 彼女と出会って数分のルイズに、禊は簡潔な喩えで説明する。

 

『どれだけ上を見たって空より高いものはないだろう?』

「こんなにもか弱い美少女を前にして、よくもそんな酷いことが言えるものだね。やっぱり君は最低なマイナスだよ」

『そんな過負荷(マイナス)を何の脈絡もなく異世界に放り込んだのは安心院さんなんだろ? とんだクロスオーバーだよ』

「え?」

 

 禊の言葉にルイズが固まる。対する安心院は愉快そうにこちらを眺めている。

 

「その通り! 球磨川君をこの世界に召喚するよう仕向けたのは、何を隠そうこの僕さ」

「そ、そんなの、どうやって……」

『聞くだけ無駄だよ。彼女は一京を超える能力者(スキルホルダー)。僕が過負荷(マイナス)なら、彼女は悪平等(ノットイコール)の安心院なじみだよ』

 

 人生をプラスマイナスで語りたがる禊の気持ちが初めてまともにわかった気がした。

 こんなのを相手取って人生はプラスマイナスゼロと唱えられたら、そんなの悪平等としか思えない。

 

「おいおい、この僕に対して、対話が大好きな僕に対して聞くだけ無駄だなんて、球磨川君は意地悪なことを言うね。まぁ君からすれば僕こそ意地悪かな? まぁそれも等しく平等なわけだけどね」

 

 確かに彼女にはミステリアスな雰囲気はあるが、同時に口数も多いらしい。聞き取りやすい声だが軽くマシンガントークである。

 

「球磨川君を召喚させたのはもう一人の悪平等(ぼく)が生み出したスキル、異世界転成(チートルート)さ」

『これはもう「小説家になろう」や「ハーメルン」によく出てくる神様の正体も、実は安心院さんかもしれないね』

「もう一人って……あんたみたいなのが他にまだいるの……?」

「僕みたいなのは一人だし、悪平等(ぼく)は総勢七億人程のちっぽけな集団だよ」

 

 眩暈がした。このまま気絶して起きたら全て忘れていたい。今も寝ているのだけど。

 

「その辺の説明を先に球磨川君へしていたら、おっかないことに元の世界へ戻せと襲いかかってきたんだよ」

 

 そう言えば、禊が初めて敵意を剥き出しにした時は元の世界に帰れないとわかった時だった。恐らく彼には急いで帰らないといけない理由があるのだろう。

 人外へ勝てない勝負を仕掛けるくらいに。

 

『その件については諦めたよ。どうせ安心院さんのことだから帰る方法は用意してあるんでしょ?』

「どうせとか言うなよ。言ってくれるなよ。説明のしがいを台無しにするなんて、今日の球磨川君は一層冷たいね」

 

 口では寂しそうなことを言ってはいるが、そこまでには見えない。実際立ち直りも秒単位だった。

 

「でもまぁそうだよ。出口は僕がきちんと用意してある」

「あるのね? 禊の帰れる方法が!」

「もちろんさ。僕は球磨川君を封印するために異世界に呼んだわけじゃないぜ?」

 

 だったら何故? ルイズは話の続きを待ち構えているが、禊は予想が付いているのかつまらさそうな表情を張り付けている。

 

「最底辺の頂点、球磨川君。君には、ハルケギニアを救う物語の主人公になってもらう」

「…………え?」

 

 今、なんて言ったのだ? とルイズは混乱した。

 しかし聞き取れた言葉を反芻してみても、意味するものはそのままでしかない。

 主人公? よりにもよってこの過負荷(マイナス)が? 球磨川禊が?

 

「タイトルはそうだね。ルイズちゃんの二つ名にちなんで、ゼロの使い魔……いや、『マイナスの使い魔』の方がより君を表しているね」

『おいおい安心院さん。完全で平等な安心院さん。僕はもう既に勇者の剣でそのゲームは失敗したはずだよ』

「そうなの?」

 

 この二人の過去に何があったのかルイズには想像もつかないことだが、過去の因縁として似たようなことを繰り返してきたらしい。

 

「確かに水槽学園で君は、どんな状況だろうと負け続けられることを証明してみたせた」

 

 だからこそ、さ。と安心院は嬉しそうに語る。まるで失敗を尊いものだと愛するように。

 

「僕は君の『勝利』をできないこととして認定した。僕が次に挑む不可能は、君を勝つという宿命を背負わされた存在、主人公にすることさ」

「よりによって、ミソギが主人公ですって?」

「そしてもう一つ、この際だから地球に住まうもう一人の主人公、黒神めだか――めだかちゃんも倒してもらおうかな」

 

 あり得ない! とルイズは考えるまでもなくそう断じた。

 復活した禊はいつも通りでそこに感慨らしい感慨は見えない。薄っぺらな笑顔のまま安心院の話を聞いている。

 

『なるほど、だから僕とめだかちゃんが戦挙という舞台で争ってる最中に送ってきたわけだね』

「ああ、そうだよ。故に安心したまえ、君はちゃんと生徒会戦挙に戻れるし、マイナス十三組のことも保証する」

『時間軸さえ思い通りってわけだ。やれやれ、安心院さんにかかれば時さえ平等かい? 嫌になるぜ』

「酷いこと言うなあ。もっとも、球磨川君相手だと好きになられる方が困るのだろうけどね」

 

 嫌われるよりも好きになられる方が困る。その言葉だけは同意せざるを得ないとルイズは心の中で頷首した。

 

『どうやら僕はリアルRPGで勇者役に抜擢されちゃったってわけだ』

「君達が戦ったフーケは、そういう意味じゃ最初のボスキャラってところかな。もっとも、退治せず、対峙すらせず、君は彼女を退けてしまったのだけどね」

『残念だけど僕は負人気者でね。僕を過負荷(マイナス)たらしめる敗北の星は、世界が変わってもしっかり追いかけて照らしてくれてるよ』

 

 どこにいようが禊は禊のままだということは、ここに来てからの短い間だけで十分証明していた。禊の過去を知らないルイズですらそう思うくらいに。

 

「まったくやってくれるぜ。それでこそ球磨川君で、そうでなければ僕の挑戦は始まってすらいなかったのだけどね」

 

 黒神めだかなどルイズには理解できない部分は多いが、これだけはわかる。

 

「あんた、禊を英雄にするためトリステインを利用するつもり?」

「その通りだけど、だからこそトリステインは国家存亡の危機に、やがてハルケギニア全土がこれから窮地に立たされるというのも事実だよ」

「馬鹿言わないでよ! 禊よりも脅威なことなんてあるもんですか!」

 

 他国では戦争が激化しているのも知識として知ってはいるし、万事うまく回っているとも思ってはいないものの、ルイズが生きてきた間トリステインは平和な国だった。

 そこにいきなり国がピンチになると言われても実感など沸いてこない。

 

「それは時間が経てばわかるさ。一応球磨川君に合わせて物語は一部チューンしているけれど、基本的な流れに手を加えてはいないからね。この僕がスキルを使って未来を見ないという自分ルールを冒してまで確認して繋いだレールだから間違いはない」

 

 一京のスキルならば未来を知ることも可能なのだろう。夢の世界すらこうして支配して思うがまま仕切っている相手だ。そこを疑っても仕方ないのかもしれない。

 しかし理解と納得は同じとは限らない。

 

「あんたの勝手でわたし達の未来を変えるなんて絶対許さないわ!」

「許せないならどうするつもりだい?」

 

 ニヤリと口角を上げる安心院と睨み合う。

 燃え上がる感情とは裏腹に勝機は皆無だ。だが勝てないことは戦わないという理由にはならない。

 敵に背中を見せないことがルイズにとっては自分が貴族であるという証明だった。

 

「あんたの狙い通りなんてさせないわ。禊はわたしが倒して、目的を叶えられないまま元の世界に叩き返してみせる!」

 

 たとえこれから起きる様々な戦いが安心院の仕組んだものだとしても、そこで何をするのか決めるのは安心院でも禊でもない、自分だ。

 どれだけ絶望的な真実だとしても、ルイズは貴族として自分を貫くと宣言したのだ。

 

「その言葉、憶えておくよ。僕は物語の結末まで読み終えてしまったが、ルイズちゃんにとってはまだインクの匂いがしない白紙の物語だ。ネタバレなんてしないし、君が歩みたい道を歩めばいい。君の個性を安心院さんは尊重するぜ」

 

 ルイズは視線一切動かさないまま、自分の拳をキツく握った、安心院は敵として認識していないから、戦おうともしない。

 そんな屈辱的な行為に、しかしどこかで安堵していた。そんな自分がルイズには許せなかったのだ。

 

「さて、ゲーム説明は以上だよ。折角久しぶりに球磨川君に会えたばかりで名残惜しいけど、今回はまだ僕の干渉は最小限に留めておきたくてね。今日のところはそこの扉を開けて進めば帰れるにしておいたから。それじゃあまた会おう。大好きだぜ君達」

 

 目覚めた瞬間、ルイズは飛び起きると部屋はまだ暗いままで夜明け前だった。

 安心院と交わした言葉は全て憶えている。けど所詮夢の中での出来事だ。あれは全部ただの夢だったんじゃないか?

 できればそう思いたかったが、ルイズより先に目覚めて窓から二つの月を眺めている禊の姿を見ると、不思議とあれら全てが事実だったのだと確信してしまった。

 

 『マイナスの使い魔』という名の物語は、これからこそが始まりだった。

 

 


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