僕はヴェデルという大きな街の南方に位置する、小さな村ターニャに住んでいる。そこにはギルドも鍛冶屋も存在せず、あるのは村の四方を囲む豊かな森と少数の穏やかな住民だけ。
森には大型モンスターが生息していない。ターニャ村はいつも平和だ。当然、村にハンターはいない。そのため僕は、村に時々訪れる行商人に話しを聞かせてもらったり、本を読むことでしか、モンスターのことを知ることができなかった。
僕がモンスターに興味を持ち始めたのは、今よりもずっと幼い頃のことだ。ある日、僕は家の書斎から一冊の本を引っ張り出してきた。その本に書かれていた文字は難しく、その頃の僕にはとても読めなかったけれど、時々挿まれていたモンスターの絵が心に焼き付いた。やがて大きくなるにつれて文字が読めるようになると、徐々に本の内容がモンスターの生態についてだということがわかってきた。そうして少しずつ本を読み解いていくにつれ、さらに僕の興味を煽った。
だけど、本を読むのは昨日でやめた。
今日からは、自分の目で確かめることができるからだ。
「お前さんももう成人か……。長いようで、短かったのう」
「うん、そうだね、父さん」
服の袖に手を通しながら、僕は答えた。
横目で父さんを見ると、感慨深いといった表情で僕を見ていた。
今日は、僕のために村のみんなが集会所で成人式を開いてくれるらしい。まぁ僕のために、というか村の伝統なのだけれど。
「お前さんも、ハルトのように真っ直ぐな人間になるんじゃぞ」
「うん。ハル兄さんは、いつだって僕の憧れだから。言われなくてもそうするよ」
「うむ、お前たち兄弟は儂の誇りじゃ」
そう言って、父さんは僕の頭をくしゃくしゃに撫でてきた。僕は嬉しくも恥ずかしい気持ちになり、その手から逃れた。
「そろそろ、成人式の準備が出来ておる頃かの。お前さんも早く支度を済ませるのじゃぞ」
そう言い残し、父さんは部屋から出て行った。
すぐに僕は考え事に耽る。
この村の仕来りに、15歳になるまでは村から出て暮らしてはならないというものがある。なんでも、ターニャ村の属する小国では、15歳になるまでは男女問わず働くことが違法となるため、それに従い定められたそうだ。もちろん15歳になれば成人として認められ、職に就くことができるようになる。
僕の家は、代々村長を務めている。元来、成人すれば親の仕事を手伝い、その跡を継ぐ。つまり僕は、村長の地位を継がなければならない。しかし幸いなことに、僕には二つ年上のハル兄さんがいる。ハル兄さんが村長を継いでくれるならば、僕は他の職に就く権利と義務が与えられる。僕はその権利を使役し、ハンターになるつもりだ。
僕は支度を済ませ、父さんの元へと向かった。
正装をしている父さんを見ると、僕も成人になった実感が湧いた。
そうか、今日から僕は自由なんだ。
胸が高鳴るのが、自分でもはっきりとわかった。
「おぉ、立派じゃのう。そういえば少し背も高くなったのう」
「父さん、聞いてほしい」
僕は真剣な表情を作り、そう言った。
「どうした?」
父さんは微笑みを浮かべて答えた。
僕はついに、幼い頃から胸の内に秘めていたことを打ち明けた。
「……ハル兄さんには悪いけど、僕はハンターになって世界を旅してみたいんだ」
父さんの表情は一変し、厳格のそれになった。そして顎に手を添えて僕を見た。
「……いつかは、言うてくると思うておった。お前さんは物心ついてすぐの頃に、ハンターになりたい、と言うておったからな」
しかし、と父さんは付け加え、
「それは許し難いのう。ハンターとは、実に危険極まり無いものだと聞く」
「そ、それは……」
僕はたじろいだ。
狩人とは、危険なもの。
それは、いつでも死と隣り合わせという意味だ。
父さんが否定する理由もよくわかる。
「だけど僕はもう成人なんだ、子どもじゃない。本に書いてあった、巨木の森や砂の海を、この目で確かめてみたいんだよ」
そして、モンスターを。
「……その気持ちはわからんでもない、父さんも若い頃は似たようなことを思うておったよ。しかし、なぁ……」
父さんは口を噤んだ。
僕は、父さんがこれに関して引いてくれないことを確信した。
父さんが優しさで僕を止めてくれていることはわかっている。それでも、僕は諦めきれない。
本で得た知識だけれど、モンスターは成人男性の数倍は大きいらしい。さらに、口からは鼓膜を破壊させるほどの咆哮、両翼を振るえば大地が吹き飛んでしまうほどの風を起こす。
一般的な人間種の成人に比べて少し小柄な僕が、これらに太刀打ちできるかはわからないし、わからなくても不利な要素になることは間違いないだろう。
だけど、仮にそうだとしても。
「……父さん、悪いけど止めても無駄だよ。ハンター以外になるつもりは無い」
「うぅむ……」
父さんと僕の沈黙が始まった、その時。
玄関の引き戸が開いた。
「2人とも、遅いぞー……って、何してんだよこんな所で」
見れば、同じく正装に身を包んだハル兄さんだった。
「は、ハル兄さん……!えぇと……」
「もうみんな集まってんだぞ。あんまり待たせんなよ」
「う、うん……。すぐ行くよ」
ハル兄さんに促されるまま、僕と父さんは家を後にした。
僕は自室のベッドに倒れるように横になった。
村のみんなから祝福されながら食事をするのは、とても恥ずかしかった。
これまで月次集会なんかのときは父さんやハル兄さんが隣に座っていたから、特に緊張もしなかった。
しかし今回は隣に誰も座っていないどころか、村のみんなが僕1人に対して席を向けて座っていた。
大人数に見られることに慣れていないだけに、とても疲労が溜まったのが自分でもよくわかる。
「まず向いてないんだよな、こういうこと……」
僕は独り言とため息を吐いた。
ハル兄さんや父さんなら、こういうのも難なくこなしちゃうんだろうな……と若干陰鬱な気分になった。
少し仮眠を取ろうと瞼を閉じたその時、部屋の扉が開いた。
「……入るぞ、ドナート」
見ると、ハル兄さんがいた。
僕は慌てて服を正し……
「疲れただろ。そのままでいいぞ」
「う、うん。急にどうしたの、ハル兄さん?」
「まずは成人おめでとう。気分はどうだ」
「ありがとう。とても嬉しいよ」
そうか、とハル兄さんは屈託無く笑った。つられて僕も笑顔になった。
色々な不安が全て吹き飛んでしまったように感じた。
その後、僕とハル兄さんは小さい頃の話をした。
他愛ないお喋りにすぎなかったけれど、とても懐かしい気持ちになった。
「そういや、お前が村のはずれの池に落ちたときのこと、覚えてるか?」
ハル兄さんは、ふと思い出した、といった表情だ。
僕は頷いた。
「確か僕が4歳のときだったよね。あの時のハル兄さん、僕を見て笑い転げてた」
「今でも思い出すと笑いがこみ上げてくる。あの時な、実は俺が仕組んだんだ」
「え!? じゃあ、あの時僕が引っかかった縄って……」
「俺の仕掛けた罠だ。ハハハハ」
僕は笑っているハル兄さんを見て、この人実は意地が悪いのではないか……? と思った。
「そ、そうだったの……。あの後泥だらけになって泣きながら家に帰ったことも覚えてるよ……」
「悪かったと思ってる」
ハル兄さんはまたしても笑った。
本当に反省しているのだろうか、と僕はため息吐いた。
「……でも、あの時何で池にいたんだっけ。普段は滅多に行かないのに」
「そこは覚えてないんだな。確か……ハンターごっこをしてたんだ」
「ハンターごっこ?」
「あぁ。突然お前がハンターになりたいーって言い出して、俺にモンスター役を押し付けてだな……」
「ハンターごっこ……ね。そんなこと言ってたんだ、僕」
「あの時は本当に参ったよ。どこからその元気が湧いてくるんだってくらいに無尽蔵に走るんだから」
「アハハ、今じゃ考えられないね」
その頃に比べると、今の僕は体力も筋力も乏しい。
ハンターに憧れているくせに、ハンターの資本である体を鍛えてはいなかった。
僕にはやはり、無理なのかもしれない。
そう思うと、胸を締め付けられるような錯覚を感じた。
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