ここはどこだろうか?
ここは何だろうか?
そう疑問を感じたがわからない。
そもそも光を感じる事ができない。
五感はあやふやで、意識がハッキリとしない。
ただどこか深みへと沈んでゆく感触だけは確かで、
さながら深海へ沈んでゆく沈没船のようだ。
やがて五感も遠くなり何も感じられなくなる。
自然と意識は薄まりまどろみに身を任せてそのまま眠る。
どれほどの時が過ぎたのだろうか?
いったい自分はこの前に何をしたのだろうか?
そう疑問を覚えた時、声が聞こえた。
――――起きなさい
誰かが語りかける、
性別は判断できないがどこかで聞いたことのある声だ。
――――起きなさい
先ほどよりもハッキリと語りかけてきた。
どうやら若い女性の声らしいが、誰かは思いだせない。
そして、
――――起きなさい○○○○
誰も知るはずのない前世の名前で呼ばれた。
「!!!」
刹那、ボクは意識を完全に覚醒させた。
飛び上がるように起き上がると、ほんの眼と鼻の先にいた誰かがひょいと避けた。
「君は…?」
そこに居たのは茶色のツインテールに通っている学校の制服を着た、
可愛げがあればクラスのアイドルになれたと友人の一人に嘆かされた愛らしい少女。
その少女の名は、弓塚さつきといい。
「こんにちはボク。」
今の自分であった、
まるで鏡に映ったような自分が実在していた。
「こうして会うのははじめてだね、○○○○」
「あ、ああ」
女言葉で目の前の自分が挨拶する。
いろいろあった数日のせいでごちゃごちゃと考えがブレて冷静になりきれない。
彼女は何者か?
なぜ自分を知っているのか?
あれからどうなったのか?
聞きたいことが山ほどある。
「そうね、質問に答えましょう。
私は本来弓塚さつきと呼ばれる少女であったはずの人物の魂あるいは人格、その残骸よ。」
「あったはずの人物の残骸、まさか・・・・。」
前世からの趣味で数多くの二次創作を読んできてずっと前から疑問に思っていた。
憑依した人物の本来の魂や人格はどこへ消えてしまうのだろうか――――と。
その検証は前世においては非生産的な思考であったが、
今世でその思考実験を体現することとなり、色々試したが結局結論は出なかった。
得られたのは若さも相まって厨ニ的黒歴史の大量生産だけであった。
だが眼の前の彼女は言う「あったはずの人物」と、つまり。
「うん、私のモデルは貴方のイメージする弓塚さつきになるはずだった魂よ」
つまり眼の前の自分は本来の弓塚さつきであった。
どう反応すべきか、オリジナルが目の前にいるという事実に。
今日まで考えて来たが日常を謳歌し、彼女の本来の居場所を奪ったことにちっぽけな良心に痛みが走る。
自ら意図したわけではないが彼女からすれば自分はカッコウの託卵のようなもの。
一体どんな顔をすればいいのだろうか、なんて言えばいいのか分らない。
「そう身構えなくてもいいわ、別に積極的に貴方にとって変わろうとする気はないし」
身構える自分に対して彼女は苦笑する。
「元々何らかの原因で平行世界、
いいえ、もはや異世界と表現してよい世界からこの肉体に転生した結果。
貴方が言う【原作知識】で四季やシエル先輩がロアのように対象の魂と融合し、寄生先の人格を潰した」
そして、自分はそのロアによって吸血鬼となった。
実に皮肉である。
「ここで注意するのは、貴方がしたことはロアのやり方とは違う。
なぜならロアは対象に自我が宿った後にロアの自我が現れるけど、
貴方の場合【弓塚さつきという自我が成立する前に貴方という強い自我によって上書きされた】ため、
どこぞの殺人衝動持ちの神様のように二重人格で苦しむこともなく、せいぜい肉体と精神のギャップに苦しむ程度に済んだ」
なるほど、人格が育つ前に人格の上書きをするか。
憑依先の人物の行方といった長年の疑問がようやく解消された。
だが、それでもなおいくつか疑問を覚える。
例えば【自我がないなら何故今こうして復活、いや誕生したか】である。
とはいえ予測はだいたいつく。
公園でシエル先輩と対峙した際に血を吸う鬼として振舞った反転衝動。
彼女はそこで初めて現れた、さらには彼女は自分のことを最初「人格の残骸」と称した。
つまり――――。
「貴方という人格に押しつぶされた結果。
ワタシという人格は貴方を主導とする人格で統一された。
もっともそれは女性趣味、思考といった形でしか影響を与えない程度だけど。
けど、吸血鬼ロアの人格が表に出ると対象は吸血鬼ロアの人格に変化してしまうように、
弓塚さつきが吸血鬼化した結果本来あったはずの魂、本来の人格が反転した人格として復活、いえ新生した。」
つまり、自分の立ち位置はロアと同じだ。
違いがあるとすれば対象の人格が成長するのを待ってから人格を乗っ取るのがロア。
対して待たずにそのまま乗っとったのが自分であり、
吸血鬼になったから寄生した人格が復活したのでなく宿主の人格が復活した。
しかし、こうなると。
固有結界「枯渇庭園」が使えないのは確かだ。
今さらながら周囲を見渡すとここは上下左右ひたすら白い空間が広がっている。
彼女とこうして話せる事を考えるとここが心象世界の類なのは間違いない。
しかし、枯渇した庭園でないことを思うと自分には固有結界は扱えないだろう。
「代わりに空想具現化が使えるわ」
空想具現化か、たしか真祖の能力だったけ。
自然物に干渉することで自らの空想を世界に干渉する能力……わっと?
「空想具現化よ」
いや、まてまてまて。
空想具現化ってそんな馬鹿な。
たしかに、たしかに、小学校時代に童心に帰って、
マーブル・ファンタズムごっことかしたけどそれが原因なのか!?
納得いかないぞ、原因究明を断固として求める。
「少しは自分で考えなさい。
はぁ、幸運値といい頭の具合も天然でアホの子疑惑の弓塚さつきに似ることもないのに。
冷静に見えて意外と頭が緩いのね、あるいは元からそういう要素があったからこそ貴方は弓塚さつきに慣れた、いえ成れたと言うべきか」
……なにやらかなり失礼なことを言われた。
だが、説明してもらわねばこちらが困る。
これは原因を知っている者がしなければいけない義務だ。
「いいわ、じゃあまず貴方はこの世界へどうやって来たのと考えているの?」
もう一人の自分の意外な問いに戸惑う。
一体今の話と一体全体どう繋がるのか分らなかったからだ。
それは当然平行世界の移動、
正しくは魂のみが移動して別の人間の肉体に憑依した、そんなところだろう。
「そう、それは常識的思考ね。
でも他にも仮説があるでしょ?
――――そう、根源を通過して辿りついた可能性を」
ありえない。
そんな、可能性はありえない。
第一に根源に触れて明確な自我が保てるとは思えない。
しかし、だ。
それを【間違っていると証明することはできない】
なぜなら、それならば元から特異ゆえに人間の肉体から解放されて特殊な能力が備わったと説得力を持つ。
もっとも、そもそもどうやってここの世界に辿りついたのか観測できてないので彼女の説も【仮説にすぎない】
「そうね、貴方の言うとおりこれは仮説にすぎない。
単に魂が違うから固有結界の代わりに空想具現化が使えるだけかもしれない」
結局こうして話し合ってもお互い何も分らないことばかりだ。
そして、空想具現化が使える代わりになんらかの制約があるのだろ?
「正解、空想具現化なんて代物が死徒スミレのように素面じゃないと使えないのと同じでそう気軽に使えるものではないわ。
使えば吸血衝動の暴走が強まって大量殺戮を起こすし、グラウンドに大穴をあけることができても先輩に狙われている現状じゃああまりおススメできないわ」
つまり、今後空想具現化は使わないほうがいいという認識でいいんだな。
やっかいだな、折角の火力を生かすどころかこれではどの勢力からも目の敵にされる確率が高い。
立ち回り方も慎重にしなければ即座に知得瑠先生の教室へ入室を余儀なくされるだろう。
まったくもって最悪だ、一体全体どうしてこうなった。
まるで世界の悪意でも働いているかのような展開だ。
「あら、そろそろ時間ね」
そう彼女が呟くと光が空間に満ち溢れる。
眠気と気だるさが降りかかり瞼が重い。
「さあ、戻りなさい。貴方にとって今の現実に。」
意識が薄れてゆく。
もう一人の自分が徐々に光と共に消えてゆき、ボクも消えゆく。
またこうして会える日が来るのだろうかと考えつつ意識は雪のように溶けていった。
※※※
例のニュースがこの街をにぎわせているが、道行く人々の表情に変わりはなかった。
いつもと変わらない朝、変わらない風景。
ひょっとして昨日の出来事は夢か幻ではないだろうか。
そんなふうに考えてしまったフラリと校門の影から出て来た人物の姿を見た時思わず足を止めてしまった。
「おはようございます、遠野君」
シエル先輩だ。
五体満足な先輩が待ち構えていた。
何気ない挨拶だがその眼光はまるで獲物を狙う狙撃兵のようだ。
「先輩…昨日……」
「そうですね、
まだ朝の授業まで時間がありますし一緒に来てくれませんか?
お互い色々と話し合う必要があるようですし」
「………………」
昨日のことはよく覚えている。
足を切られたにもかかわらず即座に回復する肉体。
さながら創作物に登場するエクソシストのような体術。
遠野志貴にとってこの先輩には謎が多い。
だが確かに言えることは、
今この街を騒がせている吸血鬼についてこの人は知っていることだ。
「…わかった、俺も先輩に聞きたいことがある」
※※※
俺達は「茶道部」と書かれた部屋に移動した。
部員は先輩一人だけのようで中は誰もいなかった。
「さて、遠野君お体のほうはどうですか?」
「先輩の気遣いはありがたいけど。
それより先輩、先輩は何者なのですか?それに弓塚はいったい…」
先輩がのろりとはぐらかす様な口ぶりだったので、
先手を打つように一気に疑問を投げかける。
「せっかちですね、遠野君は。」
「はぐらさないでください先輩!!」
ダン!と畳を叩きつける。
俺はお抹茶を手にして微笑む先輩を睨む。
うやむやにされる前に最低限これだけは聞きたい。
「……どうして、も。ですか?」
「ああ、たとえ無理矢理にでも聞き出す覚悟は今の俺にはある」
何時もと違い淡々と述べ、眼光に力が入った先輩を負けじと睨み返す。
ポケットに入れたナイフには既に手にしておりいつでも突きだせる。
本音を言えばあまりしたくはないが、こうでも聞き出さないときっと後悔するはずだ。
「……はぁ、わかりましたよ、いいでしょう、話しましょう。」
しばらく睨みあっていたが先に折れたのは先輩だった。
観念したように大きく溜息をついてからシエル先輩は語り始めた。
「私は教会の代行者、映画とかに出るいわゆるエクソシストという奴です。
この街に来たのはこの街を騒がせている吸血鬼の殲滅。そして弓塚さんは私の標的の1人という訳になります」
「な、弓塚が標的!!?」
まさか、弓塚が最近騒ぎの元凶である吸血鬼だというのか!?
そんなはずがない、なぜなら吸血鬼事件は少し前からあったものだ。
「そうですね、弓塚さんは元凶ではありません。
正しくいうならば元凶の吸血鬼によって生まれた子です」
「子って、でもアルクェイドは吸血鬼にかまれたら意思を持たない死者になるって…」
「ええ、その通りです。
本来ならばそうして時間をかけて吸血鬼になるはずですが、
驚くべきことに彼女は僅か一日そこらですでに吸血鬼として独立しています。
これは古の27祖に匹敵する恐るべき才能です、代行者として元凶ともども処罰せねばなりません」
目から穏やかな光が消え、
表情は冷たく、淡々と事務的な口調で話す先輩に苛立ちを覚える。
「納得できませんか?ええ確かに被害者でしょう。
ですが、彼女はもはや人に害をなす強力な魔です、遠野君も昨日見たはずです」
それは、そうだ。
否定できる要素なんてない。
昨晩で弓塚は文字通り血を吸う鬼と化した。
でも―――――。
「でも、俺は弓塚を助けたいんだ。あいつならきっと――――っ!?」
刹那ゾクリ、と濃厚な殺意が襲う。
「貴方に彼女の何が分かるのですか」
ギリ、と歯を噛む音が聞こえる。
いまにも殺しに来る殺意が混じった口調で言う。
「遠野君、貴方は一体何なのですか?
真祖と協力するだけで留まらず弓塚さつきを救うとでも言うのですか?
貴方は何者ですか?日常を犠牲にして貴方はなぜそうも死に急ぐのですか?
何故そこまで彼女達にこだわるのですか?それをよくよく考えてください、さもなければ――――」
次は少々手荒に対応せざるを得ません。
そう言い残し先輩は部屋を後にした。
そんな先輩を俺はただ呆然と見送るしかなかった。
「―――――――――」
俺にとって弓塚は何なのか?
俺にとってアルクェイドとは何なのか?
中学からの友人だから?
殺した責任を取るためか?
同じクラスメイトで親友だからか?
吸血鬼退治の仲間だからか?
それとも――――。
「…分からない、俺には分からないよ先輩」