知識とは、劣化し忘却していくものである。
故にその多くが書物として書き残されてきたのだ。
もちろん僕も書いていた。
タイトルに『fate』とだけ題された何気ないノートの内容。
それは、筆者の知りうる冬木聖杯戦争に関する事柄。
1/4朝
日が昇ってすぐ寺の起床時間となり、氷のように冷たい冷水で顔を洗ってから部屋に戻り、朝食までにもくもくと書いていた。
カキカキカキカキ、カキカキカキカキ、カキカキカキカキ、カキカキカキカキ
まだ聖杯戦争までに猶予はあるが、一日だって無駄に出来ない。
新しいノートと筆記用具。これは一成くんからいただいた。定規なども彼のおさがりだ。
PCや機械に慣れ親しんだ現代人としては不便ではあるが、これも慣れである。自分も学生時代にはこれが当たり前だったじゃないか。
書いて、書いて、書いて………。
どう有用するかも見定めぬままなかば、強迫観念のように書き連ねる。
カチッと柱時計の針が動く。見上げると朝食30分前。もうお手伝いとして、皿に盛り付ける配膳当番の時間である。
自分はノートを静かにパタンと閉じ、机の引き出しに閉まってから食堂へと向かった。
「ごちそうさまでした」
食後。
食器洗い係りとして、また何人かのお弟子さんたちと片付けた後。
昨日同様、縁側には零観さんが残っていた。
「今日からさっそくコペンハーゲンに行かれるんでしたな」
「はい。朝一から入らせていただくことになってます。零観さんにもあのお店を紹介していただいて感謝します」
「なんのなんの。店長の娘とは学徒の頃の同期だったのでな。フフンッ、あやつも変わらぬとみた」
昔を思い出しているのが、零観さんはアゴをさすりながら冬空を見上げる。
「短い間だったが寺の手伝いに感謝しますぞ。寺のことは気にせずアルバイト、励んでくだされ」
そう言って零観さんは気持ちよく送り出してくれたのだった。
冬木市を二分する片方。住宅街になる深山町。
朝霜のゆったりした街並みを進みコペンハーゲンへと向かった。
早めに出たので着いたのは30分も前。
「ここ……だよな?裏口」
店を回り込み、路地裏のドアを見つけた。恐る恐る入ると昨日、面接を受けたところに繋がっていた。ここがスタッフルームのようだ。
だが誰もいない。流石に早すぎたか?
「すいませーん!」
「はーい!」
あっさり返事がきた。向こうから赤毛の男子が歩いてくる。
「今日からこちらでバイトでお世話になる者です」
「ああ、音子(ネコ)さんから電話で聞いてます。俺は―――」
衛宮士郎といいます。
そう彼は名乗った。
ここは『fate stay/night』の主人公、士郎くんのバイト先なのである。
ゝゝゝゝゝ
店長とその娘、蛍塚音子さんが店に降りてきた時には開店準備は一通り終わっていた。
「お、さっそく来て仕事も始めてくれているようだね。結構、結構!」
音子さんが僕たちの姿を認めて、フレンドリーに手を上げてくる。
「年はわたしと同じくらいだったね。そこのボウヤのように子ども扱い出来ないが残念だけど」
「ボウヤはないだろう。正月早々からシフト入れた勤勉な学生アルバイターに対して」
ニシシッと笑う彼女に衛宮くんは口を尖らす。
「最初はエミヤンに付いててもらうことになってるから。でもわかんない事あったらわたしやお父さん……おっと、店長にも何でも聞いてね」
音子さんの言葉に店長もウムウムと首肯する。
「じゃあもう開店時間だし、お客さんが混む前にホールやカウンターのコトも教えていきますよ」
「お願いします」
キリッとした顔付きになった衛宮くんに付いていく。
「がんばってね〜……」
二人の背中に向けて、音子さんがイタズラっぽく片手でパクパクと口をかたどって動かしていた。
店長が何気なく言った。
「パックンチョ………もう古いぞ」
「え」
ゝゝゝゝゝ
ブラウニーのように付け根からトゲトゲしてる赤毛の髪。店の黒エプロンの下に着ているお馴染みのTシャツ。見た目はほっそりしてそうだが、ちゃんと鍛えられていそうな体格。
説明を受けながら、衛宮士郎くんについて回って、その後ろ姿とかを僕はしみじみ眺めていた。
「店のメニューは覚えること、出来ましたか?」
「まだ八割方です……申し訳ない」
「昨日の今日ですからね。追々覚えていってくださいよ。その方が便利ですから」
こっちが年上だからか、敬語で会話する衛宮くん。
なんだかむず痒かった。
「カウンターでは何もやることがなかったら、手慰みに布巾でグラスとかも拭いてていいですから」
「ドラマみたいに?」
「そうそう」
屈託無く笑う彼。
とても一度、人間性が壊れた者には見えなかった。
それから見様見真似で作業を覚えていく。
気がつくと正午になり、からくり時計の人形が踊っていた。
「一足先に休憩入ってくださいよ。あとは俺がやっとくんで」
「お疲れさまです」
僕は彼に甘えさせてもらい、ホールを後にした。
スタッフルームに戻って、イスにボスッと座る。
「ふ〜……」
実はわりと緊張していた。元の世界では、短大卒業後すぐ会社に入ったからバイト等の経験はなかったのだ。
「さて……コンビニ行ってオニギリでも買うか……」
イスから腰を浮かし、サイフを確認しようと普段のクセでジーンズの後ろポケットに手を伸ばすが、
「…………」
無一文だったことを思い出した。
そもそも今、店のエプロンの下に着てるこの服やジーンズだって自分がこっちの世界に飛ばされてきた時に着用してた唯一の私服だったじゃないか!
それからは衣食住の全て、龍洞寺の世話になってたしねぇ〜。
「はあ〜……」
不甲斐なさにため息が漏れる。
そこでまた気がつく。
「あ、マカナイ出してくれるんだったかな……!」
キョロキョロしてると、
「おや〜新入りクンはもしかしてお昼ご飯をご所望かな?」
音子さんも休憩に入ってきたのか、三角頭巾をほどきながらここに戻ってきた。
「スタッフ用冷蔵庫に大皿にまとめて保存してるよ。勝手に自分の皿に盛り分けてとっていいから」
音子さんがウィンク。
僕と衛宮くんがホール、店長がカウンターにいた間、彼女はキッチンを担当していたんだった。
「そっちにレンジもあるから、好きに温めて食べな?」
「いただきます」
女性の手料理、それも猫系美人な人の作ったものと考えるとちょっと嬉しかった。
音子さんも、ノートパソコンをいじりながら、適当に食べている。
「…………」
首を伸ばすと、真面目にウェイターをやっている衛宮くんを覗けた。
音子さんはテーブルにヒジをついた手にアゴをのせながら、
「バイトの子もほとんど入らなくてね。ちょうど人手がたらなかったんだ〜……」
「そうなんですか」
「募集なんてしても今の寒い時期に集まらないしね。とくにこっち(深山町)ではさ。………み〜んな新都の方に行っちゃう……」
唐突に現状を吐露しだした音子さんは寂しそうに笑った。
それからホールをチラリとうかがう。
「もはやエミヤンぐらいだったよ。ウチでたくさん働いてくれてたの。だからアリガトね、来てくれて」
そんなこと言われると、心苦しい。
「……あの。面接時にもお伝えしましたけど、僕のバイトはあくまで短期の予定でお願いします。どうなるかはわかりませんが、少なくとも1月下旬には…………」
「そうかな?なんだかんだでキミも長期で来てくれそうな予感はするけど?」
直感スキルなんて持ってるはずのないのに。この僕と同じ一般人女性は、それでも不敵に笑う。
ああ、もしかして期待されてるのか?
こんな世界でもこの僕が………?
ゝゝゝゝゝ
「本日はお疲れさまでした〜!」
夕暮れ時になり、店からおいとまする。
空気は依然、冷たい。
途中までは衛宮くんと一緒に帰っていた。
「じゃあ、俺はこっちですから」
別れ道で彼はペコリと礼をしてから去っていった。
なんとなく姿が見えなくなるまで見送り、いざ自分も帰ろうときびすを返そうとした時、
「痛ッ………!!」
ほんの一瞬、手の甲に強烈な痛みが走った。
慌てて確認する。
「…………」
やや乾燥してはいるものの、傷一つ無いまっさらな手の甲だった。
ましてや“令呪”など宿るはずもない。
きっと静電気か何かだろう。
「僕は……どうしたいんだ?」
消して晴れないモヤモヤを抱えたまま、柳洞寺への帰路についたのだった。
第三話
コペンハーゲン