「大使ー、野々村大使!」
ガメリカ共和国の首都、ワシントンにある日本帝国大使館。
その一室に荒々しくドアを開け、飛び込んできた若い外交官がいた。部屋の主ーー駐ガメリカ大使、野々村は煩わしそうに顔を歪める。ドアの方をゆっくりと振り向く所作には落ち着きがあり、入ってきた若者のとは対照的だ。それは各々の為人というよりも、積み重ねた経験の差であろう。
「まったく騒々しい、いったいなにがあったのだ?」
「はっ、失礼いたしました。先日、本国に指示を仰いだ案件について返答が届きました」
「そうか……随分と早いな」
若い外交官は姿勢を正し簡潔にそう告げ、一枚の紙を野村に差し出した。野々村は例外それを受け取り、目を通す。
「……なんと書いてありますか?」
野々村が読む間に若い外交官は恐る恐るといった具合で尋ねてくる。彼もその内容が気になるのだろう。
しかし、せかす彼を尻目に野村はゆっくりとそれに目を通していく。そして深くため息をはいた。その姿を見てを見て若者は目にみえて慌て始める。
「なにか、不味いことでもありましたか?」
「君も見たまえ」
野々村はみかねて彼に、読めとその紙を差し出した。すると彼は、失礼しますと述べながらそれを受けとり食い入るように読み始める。
彼が読む間、することのない野々村は目の前の机の上にあるマグカップを手に取り、コーヒーを一口啜る。砂糖もミルクも入っていないそれは、元々苦いのだが今はいつも以上に苦々しく感じられ、野々村は一口だけで飲むのをやめた。
「これは……不味いことになりましたね」
そうこうしている間に彼も読み終えたのだろう、若干青ざめた表情で呟いた。
「”中帝国との戦争はあちらの侵略に対する防衛戦であり、そのような要求はのめない“と言われてもな……」
それに同調するように野々村も苦笑いを浮かべる。
先日、ガメリカの国務長官から出された三項目の要求に対する日本の解答は実にシンプルであった。
拒否、それが本国から伝えられた意向である。
だが、それ自体は野々村も隣の彼も予想していた通りの答えであり、別段驚くことではない。
そもそも、到底のめるわけのない無理難題だったのだ。
だから問題は拒否することについてではない。それに続く部分が二人を悩ませたのだ。
その部分とは、
“……しかし拒否するといっても帝はガメリカと戦争を始めることを望んではいない。故に戦争という事態はなんとしても避けるよう、奮励努力してもらいたい。その為なら、要求の第三項については譲歩してもよいと帝からも許可をいただいた、そちらの判断で交渉に利用して欲しい”
さらに続くには、
”また、我が国は現在継続中の中帝国との戦争の早期解決図るため、近いうちに中帝国へ大規模な攻勢に出ることを閣議決定した。これに対してガメリカからの強い抗議が予想される。苦しい交渉になるだろうが健闘していただきたい“
である。
つまり、要求は断固として拒絶するが、戦争は回避せよ。
そして、日本は中帝国へ本格的に侵攻するがガメリカを宥めてくれ、ということである。
無茶をいってくれる、と野々村は思う。
要求を拒絶するだけでもガメリカはさらに機嫌を悪くするだろうのにその上、中帝国へ侵攻するなどあちらの神経を逆撫でることでしかない。
そして勿論、その矢面にたたされるのは交渉に臨む野々村達である。
(中帝国からの撤兵は向こうも譲りはしないだろう。真っ向から対立することになる……)
はぁ、ともう一度野々村は深くため息をはいた。
「あちらの国務長官は激怒ものでしょうね」
「だろうな。全く難儀なものだ」
そう言いながら、野々村は机に立て掛けてある愛用の杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。気が進まないとはいえ、ぼっとしているわけにもいかないのだ。
「ところで、この内容は他にどれくらいのものが知っている?」
「暗号解読の作業に携わったもの以外で知っているのは我々だけです」
「では、この内容については他言無用だと彼らに伝えておいてくれ」
「はい、わかりました」
万が一にも、ガメリカにこの動きがばれるわけにいかない。野々村は念を押した。
そしてもう半ばは自由がきかなくなった足にむち打ち、次の交渉の準備のために動き出した。
「大使、日本は……ガメリカと戦争を始めるのでしょうか?」
執務室への道中、後ろをついてくる若者が野々村におずおずと声をかける。
不安なのだろう、無理もない。交渉のため、長い間ガメリカに滞在している野々村達はガメリカという国の力をまじまじと見せつけられてきた。
その国力は先の恐慌で打撃を受けたといえ、日本を凌駕している。経済力、そして軍備力、どちらも日本のそれを上回って余りあるだろう。
「戦争か……そんなこと、儂にもわからんよ」
カッカツと杖をならしながらぶっきらぼうに返す。
野々村も日本の行く末を考えると、不安である。だがこの若者の手前、それをおくびに出すことはできない。
「じゃが……、儂らがここにいるのはそれを避けるためじゃろう?なら、儂らは頑張るしかなかろうて」
「はい、ですが本当にできるのでしょうか?」
「なに、国が違うといえども我らもガメリカ人も同じ人間なんだ、話し合えば必ず分かり合えるだろうよ」
なおも不安そうに聞いてくる若者を慰めるように野村が優しくそう告げると、後ろから“そうですね、頑張りましょう大使!”と張りのある声が聞こえてきた。若いというのはいいものだ、何も考えずに進んでいける。
野々村が語ったのは本心である。困難が伴えど話し合えば理解しあえると信じている。
だが、やる気に満ちた顔つきとなった若者と違い、野々村の顔は晴れない。
野々村は口にした言葉と違い、楽観的にはなれないある事情があった。
(たしかに話し合いができればそれも可能じゃろう。だがもし相手に話し合う気すらない場合、儂らではどうしょうもない……)
ガメリカの交渉態度をみていると、そんな思いが浮かんできてしまうのだ。向こうは進んで戦争を始めようとしている、そんな風にも思えてしまう。
杞憂であってくれればよい、だが野々村は長年の経験から鑑みるとどうにも嫌な考えしか浮かんでこない。
こちらがある程度の譲歩をしめしても、あちらが譲歩をすることはない。無理難題な要求を平然と突きつけてくる。まるで話し合う余地などないというかのようだ。
これから自分は進む道は一寸先も見えない暗闇である。そして、その中を灯りも持たずに手探り、進んでいかなければならない。
それに、現在は欧州においても敗戦国ドクツが奇跡と称せられるほど急速に復興を果たして、少し前に再軍備を宣言した。そして、ドクツの指導者となった少女は復讐を唱えて国民の戦意を高めていると聞いた。
もし、それが本当ならエイリスが黙っていない。遠からず欧州では大きなことが起こるかもしれない。
それに、大戦の直後ロシアン平原に成立した新国家ソビエトも着々と軍備を進めているという。
世界は今、非常に緊迫しているのだ。
こういった状況を聞くと、永らく外交の場に身をおいてきた野村はその経験故に近々、世界中を巻き込む大きな事件が起こるのでは、と不安にかられてしまう。それこそ、先の大戦なぞ比べものにならない規模のものが……。
執務室へと歩んでいく野村の眉間には、深く皺が刻まれていた。
日本帝国 海軍庁舎
「前倉長官、東郷です」
海軍庁舎の一室、海軍長官室の扉をノックしてから俺は声をかける。
「おお、来たか。入ってくれ」
「失礼します」
重厚な扉越しに聞こえてきた声に従い、俺は部屋へと入る。そこには当然だが、俺の上司であり現在海軍を束ねる長である前倉長官がいた。
「突然呼び出して悪かったな。まぁ、とりあえず座ってくれ」
前倉はそう言って自身の執務机から立ち上がるとその前にあるソファーへと座る。
本来なら、上官である前倉長官が部下である俺に”悪かった“など言う必要は全くない。だが、この人はただ階級を振りかざし部下に尊大な態度をとるようなことはしない。確かに彼は厳格でもあるが、同時に部下に対する気遣いも忘れない。
剛柔をあわせ持った人物、俺は前倉長官をそんな人物だと思っているし。その為人は素直に尊敬できる。
「ところで、今日はどのような御用で?」
俺がソファに腰掛ける。
俺の問いかけに前倉長官は少し困った様子をみせる。どこから話せばいいのかを考えているようだ。
「ふむ、そうだな。あまり時間もない、簡潔に言うぞ」
すこしして、顎に当てていた手をはずしながら前倉長官は俺の方をじっと見つめると、ゆっくりと背筋を伸ばした。
落ち着いた動作であるが、前倉長官の目は真剣そのものである。どうやらただならぬことがあるようだ。自然と俺も姿勢を正し、ピンと神経をはりつめる。
「近々、海軍の総力をあげて北京星域へと侵攻をかけることになった」
前倉長官の口からでたのは、唐突な内容。しかし同時に、なんとなく予想もしていた内容だ。
事前に身構えておいたお陰だろう、俺は前倉長官の言葉に少し目を見開いただけで、大きく取り乱すことなく小さく頷くことができた。
俺と前倉長官の関係は先程述べたように上司と部下であるが、同時にそれだけではない。
俺はこの世界で子供の時に、両親をなくしている。それについて詳しく語るつもりはないので省略するが、とにかく俺は幼い頃より親がいなかった。
まぁ、”転生”なるものを経験した俺にとってすれば幼少期といえるのか微妙だが。
ともかく、そんなわけで俺は、母方の祖父に引き取られて育てられた。
俺を育ててくれたこの祖父は昔、海軍の長官として当時、ロシアン帝国との戦争を戦ったという経歴を持つ人だ。そしてその戦争でロシアン帝国の主力艦隊を撃破したという猛者でもある。
その時の祖父の戦いぶりは今でも語り継がれ、一種の伝説のように扱われている。
そんな祖父に育てられた俺は必然というか海軍へと進んだ。その選択は祖父の影響や周りの期待によるものでもあったが、最も大きな理由は突然放り出されたこの世界で、すがりつくものが欲しかったからだ。
それがたとえ人から与えられたものであっても、当時の俺はそれなしでは崩れてしまいそうなほど不安定だったのだ。そしてそんな気持ちで俺は軍人の道に入り、海軍兵学校へ進んだ。
そこで出会ったのがこの前倉長官だ。
今でこそ海軍長官の任に就いている前倉長官だが、長官就任以前は海軍兵学校の校長をしていた。
そしてさらに以前では、前倉長官は日露戦の際、俺の祖父の下で参謀を務めていたこともあって、祖父のことはよく知っていたそうだ。だから、その孫である俺が入学した時は随分と世話をしてくれた。
なにかと声をかけてくれ、こちらの相談にも親身に、真剣にのってくれたりもした。
そして、真正面から俺を受け止めてくれた前倉長官には素直になれた。
そして、この世界で俺が生きる道を与えてくれたのも前倉長官だった。
つまり今、俺がこうしてこの世界で自分を見失わず生きていられるのも大半は前倉長官のお陰といっても過言じゃない。それだけじゃない、二年の頃、祖父を亡くした俺を慰めてくれたのも、アメリカ留学の援助をしてくれたのも前倉長官だった。
それに、俺とスカーレットとの結婚を誰もが反対する中いの一番に祝福してくれたのも、スカーレットを亡くした時、共に涙してくれたのも前倉長官であった。
いわば前倉長官は俺にとってもう一人の父親ともいえるのだ。俺はこの人に世話になってきた、それこそ返しきれないくらいに。
故に、いま俺の目の前で“手伝ってくれ”という長官の頼みに首を振るという選択肢は俺にはあり得ない。
俺は力強く、“喜んで”とだけ応えると考えを練るために詳しく説明を求めた。
「しかし、陸軍も無茶というか、なかなか豪快な立案をしてくれたものですね」
「うむ、なんでも陸軍内で盛んに叫ばれてる”対中一撃論“に基づいておるらしい」
俺の不満ともとれる発言を前倉長官は咎めることもなく、説明を続けた。
今回の作戦は大雑把に説明すればこうだ。
まず、北京星域満州まで海軍が進軍をする。そして、その地に駐留する陸軍と合流し大挙して主星北京へと侵攻。この際、現在北京の港に集結しつつあるという中帝国、北洋艦隊を撃滅、一気に北京星域を制圧する。そして、この優位な戦況のもとで講和を結ぶ、というものだ。
実にシンプルである。
「一撃ですか……、本当にそれであの国がおれるんですかね」
俺は素直に疑問を口にする。
この作戦は大きく二つの段階に分けられる。
一段階目は海軍、陸軍による北京の制圧。二段階目は外交による日本に有利な講和の締結だ。
日本はこの二つを完遂しなければならないのだ。
しかし、正直に言えば一段階目はさほど難しいことではない。日本と中帝国の軍備は量はあまり変わらないが、その質はかけ離れている。その差は日本で退役を迎える旧式艦を中帝国では主戦力としているほどだ。
だから客観的に見ても、日本と中帝国が激突すれば、鎧袖一触とまではいかなくとも軽微な被害で撃滅は可能だ。
それでも俺がこの作戦にすんなり頷くことができないのは二段階目が原因だ。
仮に敵の北洋艦隊を沈め、北京を制圧したとしよう、しかしそこで中帝国側が折れるとは思えないのだ。
「中帝国がそれでこちらに降服するとは思えません。皇帝があれですし……」
「“傲慢にして激情的、他人を人と見なさない”、確か傅威(ぷい)殿もそう仰っていたな……」
「日本人のことを猿呼ばわりしているとも聞きます。あの皇帝がこちらに屈すのはまずないかと思います」
中帝国の現皇帝は名をシュウと言うのだが、その為人はまさしく暴君というしかない。
幼くして帝位についた彼は、悪い意味で皇帝らしく育てられてしまった。彼は本心から中帝国は全宇宙の中心と信じて疑っておらず、アジア星域の諸国は全て中帝国の属国だと思っている。
そもそも、今回の戦争も彼が日本に満州の返還、帝を妃としての献上を要求してきたことが原因である。つまり、話が通じる相手ではないのだ。
ちなみに、前倉長官の言葉に出てきた”傅威(ぷい)殿“とはそのシュウ皇帝の異母妹で現在、日本に亡命中の御方である。
「しかし、いくらかの御仁でも、北洋艦隊を失い戦争継続不可能となれば、こちらの講和にも応じるだろう。それにこちらも無茶を要求するつもりはない」
「確かにそうですが……」
「なんにせよ、それは宇垣殿達に任せ、我等が為すべきは北洋艦隊の殲滅に変わりはない。東郷、作戦をたてるぞ、手伝え」
前倉長官は話を切り上げると、机上に北京星域周辺の見取り図を広げる。
確かに俺の心配も一段階目を成功させなければ、話にならない。
まずは目の前のことに集中しよう。俺は頭をふって思考を切り替え、身を少し乗り出して眼前の地図をじっと見つめ、今回の戦術を考え始めた。
「現地の兵からの報告では、北京の港に集まっているのは五個艦隊相当だそうだ。そしてこちらの出せる艦隊は限界でも四個艦隊までだ」
「数では多少劣りますが、その戦力でも充分殲滅できるかと」
「うむ、しかし今回の戦いは少し事情がちがう。敵の艦隊を全て潰したとしても、その後北京に駐留し中帝国南軍に備えなければならない」
前倉長官はそういって北京を指差す。
「となると、いかにして主力を損失せず敵を破るか、ですね」
今回は勝っておしまい、というわけにはいかない。そのあとがあるのだ。
それは前倉長官が言った通り、中帝国の反抗に備えるためでもあるが同時に緊迫するガメリカとの状況も関係している。
今、少しでも戦力の欲しい日本にとって、こんなところで貴重な戦力を浪費したくはない。
どうしたものか、と考えていると俺はあることを思い出した。
「そういえば、今度できあがる次世代艦と交代で退役が決まっている船がいくらかありませんでしたか?」
「確かにあるが……それがどうかしたのか?」
意図を掴みかねたように前倉長官は尋ねる。
海軍では先程述べた理由により、軍備の拡充が進められている。その中で新しく造り出される艦があれば、型遅れとして退役し、警備や輸送の任につけられる艦もある。
もし、それらを上手く利用できれば……。
俺は考えをまとめたところで前倉長官に一つの作戦を提案した。
そして程なくして、この作戦は採用される。しかしこの時、この作戦がもたらす結末など誰一人として知るよしはなかった。
大変遅くなり申し訳ありませんでした