キミと彩る   作:sumeragi

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第2章 憂鬱なエメラルド
ため息を零すトワイライト


 5月上旬

 

 初めての特別実習から一週間が経った。トリスタの一面に咲き誇っていたライノの花が徐々に散り始め、新緑の色が増してきている。武術訓練や高等教育の一般授業が本格化する中、軍事学をはじめとする士官学院ならではの専門科目もスタートしていた。

 

 最高評価には届かないもののAという上々の結果を修めたリィン達A班に対し、B班は最低評価のE。フォローのためサラ教官が現地へ駆けつける羽目になったのだから当然の結果といえる。特別実習を経て深まった仲もあれば、マキアスとユーシスの他にも新たに生まれた亀裂もある。一部暗雲が立ち込めるⅦ組ではあったが、そんなものは知ったことかとばかりに空は雲ひとつない快晴。夕焼けが舗装されたレンガ道を朱色に照らしていた。

 

 この道も歩き慣れてきたものだ。放課後の校内を歩きながらティアは何とはなしに思う。図書館で本を読み漁ってからの放課後。校門を潜る生徒はまばらで落ち着く空気だ。誰かみたいに歌でも歌ってみようか。リュートはないけれど。軽やかな足取りで自分の影を追いながら歩いていた。

 

「これはこれは……」

 

 学生会館へ足を踏み入れると発せられた声。興味深そうなハスキーボイスに足を止めた。目元の泣きぼくろが色っぽい、ライダースーツを着た麗しい女性がいた。

 

「ご機嫌麗しゅう。噂には聞いていたが、ようやくお会いできたね」

「こちらこそ、ごきげんよう。どこでどのような噂が流れているのかは……あまり知りたくありませんね」

 

 恭しく頭を下げる女性にティアは苦笑う。声が少し小さくなってしまうくらいは許してほしい。数少ない学生会館に残っている学生がこちらを見ているではないか。

 

「十年ぶりくらいかな」

「……私の記憶が確かなら一年ぶりですけれど」

 

 口元を引き攣らせ呆れ顔を作る。対する女性はおどけて笑ってみせた。演技がかった口調で膝をつき、再び語りかける。オペラでも歌いだしそうなくらい様になっている。

 

「それだけ君に会えなかった時間が私にとって大きいということさ」

「――ふふっ」

 

 ティアは長い金の髪を揺らし、唇に手を当ててくすくすと笑う。女性は満足そうに笑うと膝についた砂もそのままに立ち上がった。

 

「相変わらずですね。アンゼリカさん」

「ティア君こそ。ご壮健で何よりだ」

 

 四大名門ログナー侯爵家の令嬢アンゼリカ・ログナー。男性顔負けの紳士っぷりで多くの女性を虜にし、学院内外に恋人が多数存在するなんて噂のある麗人だ。アンゼリカが学院の女子に絡んでいる、むしろ口説いている姿と言うのはそう珍しいものでもない。だからだろうか。ちらりと目をやる者はいても特別気にかける者は少ないようだ。

 その内の一人と目が合った。微笑んでみると訝しむ表情に変わる。何故なのか。アンゼリカは楽しそうに見ていた。

 

「あれは……」

 

 アンゼリカに視線を戻すと視界の端に新緑よりも落ち着いた緑色を捕らえた。階段を降りている。目が合ったので試しに手を振ってみると、手に持っている本が落ちそうになった。びくり、焦るが何とかバランスを持ち直したようだ。器用に眼鏡までかけ直している。

 

「どうやら先約がいたようだね」

「すみません。今日は彼に用があって」

 

 残念だ。非常に残念だ。アンゼリカは体中で表現する。彼女が本気で気にしている様子はないけれど、話している最中によそ見とは無作法だっただろうか。謝罪を述べるとやはり予想通りの返事をした。

 帰る途中だったろうに、目が合った手前どうしたものかとその場を動けずにいる眼鏡の青年は一人気まずそうにしている。

 

 ティアはもう一度くすりと笑うとアンゼリカに礼をするとその場を離れようとする。

 一歩。踏み出した足を一度戻した。

 

「アンゼリカさんのそういう所、安心します」

「それは光栄の至り」

 

 澄んだ赤紫色の瞳を柔らかく細められ、その真っすぐな瞳を見つめ返しアンゼリカは微笑んだ。

 

 背中に視線を感じながら歩みを進める。

 

「部活帰りですか?」

「あ、ああ」

 

 残り二段を残して階段に留まっていた青年――マキアスに話しかける。彼は二度、三度と視線を行き来させると少し近づきティアだけに聞こえるよう小声になった。

 

「あれはまさか……」

「アンゼリカ・ログナー先輩ですね」

「……もしかして彼女から逃げるのに僕を使ったんじゃ」

 

 胡散臭いものを見る目でマキアスはティアを見る。いや、あの状況なら仕方ないのか。しかし……と呟きながらまた器用に眼鏡を押し上げた。

 

「今日は少し、お願いがありまして」

「こんな時間にか? 明日でもいいんじゃ……」

「今日がいいんです」

 

 呆気にとられた顔のマキアスを押し切り、ティアは告げるのだった。マキアスとチェスがしたい、と。

 

 

 

 

 

 

 返却前だった部室の鍵を使い、施錠したばかりの部室の扉を開く。片付けられたチェス盤を取り出し、マキアスは白と黒のポーンを両手に握った。正面に座るティアが右手を指差す。手の中にあったのは白のポーン。先攻はティアだ。

 

 どうして急にこんなことを言い出したのか。聞いてもはぐらかされるだけでマキアスは答えを求める事を諦めた。話にあわせて相槌を打ちながらカチ、カチと駒を並べる。

 綺麗に整列したチェスの駒たちはいつも美しい。盤上でどんな戦局を構築していくのか。考えるだけでも気分が高揚する。

 

 チェスを指す音。クラスメイトの楽しげな話し声。それに相槌を返す自分の声。静かに集中して指すチェスも好きだが、こんな時間も悪くないかもしれない。マキアスはそう考えながら思考を研ぎ澄ませる。

 チェス盤上では一進一退の攻防が繰り広げられる。追い詰めたと思っても逃れられる。そんな一手を繰り返した十数分後。学生会館の二階にある第二チェス部部室は険悪な空気を漂わせていた。

 

――ダンッ!

 

 マキアスが机を叩く。チェス盤を挟んで向かい合う、クイーンを掴む白い指が震えた。叩きつけた拳の鈍い痛みも何も気にならなかった。顔を俯けたままのマキアスをティアは静かに見つめた。

 

「君は……説教をするために僕を誘ったのか」

 

 地の底から響くような低い声。僕はこんな声が出せたのか。今まで知らなかったな。どこか冷静な自分が頭の中で語りかけてくる。うるさい、邪魔だ。

 

 やれ今日の天気は快晴でリィンも元気だっただの。今日の授業は分かりやすかったがユーシスは不機嫌だっただの。一日の出来事を紡いでいく声は弾んでいた。マキアスの言葉数が減るにつれティアの口数が増えていき、遂にマキアスの限界が来た。

 

「はっきり言って迷惑なんだよ! なんとか僕とリィンの仲も取り持とうとしているようだが――」

「いえ、別に」

 

 言葉を遮ったけろりとした声に思わず顔を上げる。友人たちに向けるそれと違わない笑みが浮かんでいた。

 

 特別実習の報告会で告白されたリィンの身分。最初に身分を問うたマキアスに、リィンは"高貴な血は流れていない"と告げていた。それは嘘ではなかったが全てでもなかった。

 ユミル領主のシュバルツァー男爵家の養子。それがリィン・シュバルツァーという男の身分だった。それを聞いたクラスメイト達は平然と受け入れていたが、わざと曖昧な言い方をして誤魔化されたマキアスは到底気分のいい話ではなかった。ユーシスだけでなくリィンのことも避けるようになった自分に説教でもするつもりか。ふつふつと新たな怒りが湧き上がりかけていたが、冷や水をかけられたように静まっていく。代わりに生まれたのは疑問。何を考えているのか知りたくて問いかける。

 

「チェスがしたかったって……最初に言いましたよね」

 

 クイーンを片手に盤面を眺めながら目の前の少女は答えた。

 

「聞いた事があったんです。チェスがとんでもなく強いオスト地区の男の子のこと」

「なんで……そこまで」

「あってましたか?」

 

 ティアが手に持ったままだった白のクイーンを盤上に落とす。

 マキアスは不意に声を漏らしていた。

 

「ステイルメイトですね」

「え……」

 

 盤面を睨むようにして確認する。追い込んだと思ったのに上手く引き分けに持ち込まれてしまっていた。

 体の奥から息を吐き出すようにして椅子にもたれかかる。くしゃりと前髪をかきあげる。なんとも形容しがたい気分だ。もう一度深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した後に姿勢を正す。

 

「…………すまない。君に当たるのは筋違いだったな」

「私のことは気にしないでください」

 

 ティアはいつも教室で見る笑みを浮かべている。言葉はそこで終りではなかったようだ。彼女は机の下から両手を出すと、そっと壊れ物を扱うようにマキアスの片手を包んだ。冷たい手だ。少しイメージと違った。

 

「手、痛いですよね」

「……」

「傷つけるようなことだけはしないでほしいです」

 

 それは誰のことか。何のことなのか。分からないことはそのままにしておきたくない性分のマキアスだが、目の前で眉を下げて微笑む少女に問い返そうとは思わなかった。

 チェス一局にかけた時間はさしたるほどでもないが、随分と長い時間を過ごした気がする。もう少し落ち着いたら寮に帰ろう。自分を落ち着ける方法は勉強かチェス以外にないだろう。今やりたいのはどちらか。それを選んだら自然と次の言葉が出てきた。

 

「もう少しだけここに残ってから帰るよ」

「はい。……今日はありがとうございました」

 

 横においてあった鞄を持ち、優雅に会釈して部室を出て行くティアを見送る。扉の閉まる音を聞いたマキアスは窓を見上げた。体がどっと重くなった心地だ。彼女が何をしたかったのかは分からないが、どうしてもある大切な人の名を呟きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 部室を出たティアは学生会館の階段を降りていた。そういえば、もう一人の彼はどうしたのだろう。ふと浮かび上がった疑問に答えるべく、階段を降りきると周囲を見渡す。チェス部の部室にお邪魔する前と同じ席に件の青年は一人で座っていた。

 本を読む姿もティーカップを口元に運ぶ動作も洗練されている。図書館で階段の上からその姿を盗み見ようとする少女達の気持ちも多少は分かる気がする。

 

 注視しすぎたのかユーシスは本から目を離し顔を上げた。話しかけてもいいのだろうか。どうしようかと考えながら購買部の前にまで進んだ。

 ユーシスは本を閉じ、片付けを済ませて鞄の持ち手を掴み歩き出していた。後を追うような形で学生会館を後にする。入る前よりも少し藍色が濃くなってきている。

 

「物好きな事だな」

 

 顔だけで振り返ったユーシス。ぴくり。ティアの肩が揺れた。

 

「何にでも首を突っ込んで……いつか痛い目を見るぞ」

「そんなの……もうとっくに……」

 

 やっぱり貴方は優しい。でも不器用すぎて伝わりづらいみたい。

 ティアは目を伏せると聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

 

 その場から動こうとしないティアにユーシスが眉を顰める。何でもない。そう言って笑うと不機嫌そうになるのはきっと気のせいだろう。

 

「帰らないのか」

「一緒に帰ってもいいんですか?」

 

 聞き返すとユーシスは溜め息を吐き、体ごと振り返った。

 

「どうせ同じ行き先なのに別れろというのもくだらんだろう」

 

 咎めるような諭すような口調に口元が緩む。ティアは柔く微笑むと一歩踏み出す。

 

 そんなある五月の放課後。

 

 




閃の軌跡Ⅲ発売おめでとうございます!(滑り込み)


第2章がスタートしました。
特別実習地も四大名門の本拠地で私も筆が乗ります。

今回はティア視点→マキアス視点→ティア視点の変則的な話でした。
特別実習ももちろんですが学生ならではの学院生活も気になるところ。
寮生活の学生の食費ってどうなってるんでしょうね。
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