5月30日
「――」
不意に目が覚めた。薄目を開けて部屋を見回すと部屋はまだ薄暗く、カーテンの隙間から見える青白い光がまだ起きるには少し早い時間だと教えている。もう一度眠るには中途半端な時間だ。少しだけ夢見も悪かったから、頭が冴えている。
同室のエマとフィーはすやすやと眠っている。物音を立てないようにそっとベッドを抜け出して制服を手に浴室の洗面台へ向かう。豪華なホテルに見合った大きな鏡に映る自分と顔を見合わせる。隈はない。さらりと揺れる金の髪も、自慢の赤紫色の瞳も、浮かべる表情もいつも通りだ。
「……よし」
身支度を済ませて浴室を出ると、エマが目を覚ましたところだった。
「眼鏡は……」
「おはようございます。エマさん」
「お、おはようございます……?」
眼鏡をかけたエマがティアと時計を交互に確認する。いつもは三つ編みにして綺麗にまとめられているエマのふわふわとした髪が今はおろされていて、ぴょんと跳ねている前髪がなんだか可愛くてくすりと笑みがこぼれた。
「早いですね」
「なんだか目が冴えてしまって。緊張していたのかもしれません」
徐々に覚醒してきたのかエマの声に残っていた眠気が消えていき、意識がはっきりしたようだ。軽口をたたくティアにくすくすと笑いを返している。
「折角ですし、フィーちゃんも起こしちゃいましょうか」
「ふふ、たまにはいいかもしれませんね」
ぞくり。いやな予感に身震いをしたフィーが布団を引張りその身を隠そうとした。女子の中では断トツ、男子を合わせてもトップクラスかもしれない程身支度の早いフィーはまだ眠れると主張するが、五分後、恨みがましそうな顔でのそのそとベッドから出てくることとなった。
一階に降りると、男子達もちょうどロビーに集まったところだった。真っ先に挨拶をしたのはリィンで、ユーシスとマキアスは挨拶以外に会話をする気はなさそうだが、一触即発な雰囲気はなくなっていた。昨夜男子達の間に何があったのかは与り知らぬところだが、良い方向に動いたことは間違いなさそうだ。
「委員長、上着補修してくれてありがとう」
「布をあてるだけの応急処置をしただけですよ」
「傷もしっかり塞がったみたいだし、いろいろ助かったよ」
「私は特に……それより、今日の依頼を確認しましょう!」
「あ、ああ……そうだな」
一日や二日で塞がる傷には見えなかったが、にこにこと急かすエマに流されてそれ以上は聞けず、支配人から依頼の入った封筒を受け取り、中身を確認する。必須依頼は手配魔獣の一件しかなく、その他の依頼はソルシエラのハモンドオーナーからの依頼のみだった。
「――ユーシス・アルバレア」
「……なんだ。マキアス・レーグニッツ」
「アークスの戦術リンク機能……この実習中に、何としても成功させるぞ」
改まって名前を呼ぶマキアスに、ユーシスが挑発的に答える。そしてマキアスが続けた言葉には、向けられた本人だけでなく全員が驚いた。この中で、戦術リンク機能を活かせていないのはユーシスとマキアスの二人のみ。他のメンバーは出来ていることを出来ないのは不本意だと、真面目な彼らしい理由を添えて昨日のリベンジを提案している。マキアスが歩み寄ろうとしている。その姿勢を感じ取ったユーシスは返事をする前に小さく鼻で笑った。馬鹿にするようにではなく、乗ってやらんとばかりに不敵な笑みで。
「やれやれ……我らが副委員長殿は単純だな。大方、昨晩の話を盗み聞きして絆されたといったところか?」
「なっ……!? 決めつけないでもらおう! 君の家の事情やリィンの話など僕はこれっぽっちも――」
「あ」と声に出したのはマキアスのみだったが、その場の全員が内心でそう零していた。
「マキアス……」
「その素直なところはマキアス君の美点ですね」
「ぐっ……」
更に口を開こうとしたがこれ以上何かを言おうとするとまた墓穴を掘ってしまいそうで口を噤む。代わりに、マキアスは唸っていた。
リィンも踏み込んだ事情をユーシスに話したのだと察せられるが、知られたことに対しては気にしておらず、むしろきっかけとなったことに顔がほころんでいる。
「俺の方が上手く合わせてやるから大船に乗った気でいるがいい」
「それはこちらの台詞だ! 寛大な心をもって君の傲慢さに合わせてやろう!」
互いに言い切ると、同じタイミングでふん、と鼻を鳴らして顔を背けた。
今日の実習は上手くいきそうだ。嬉しそうなエマの言葉に同意し、実習を始めるためホテルを出ようとすると、ホテルの正面口から来訪者が現れた。歩み寄り会釈をする壮年の男性は、アルバレア公爵家執事のアルノーだ。
アルノーは、アルバレア公爵がユーシスを館に呼ぶよう命じたというもので、ユーシスは戸惑いを隠せなかった。
「父上が……?」
昨夜あったときは個人的な用があるどころか、関心すら感じさせなかった。その公爵が今日になって突然呼び出す理由が分からなかった。
「僭越ながら閣下にしても、昨日のやり取りを省みられたところがあったのではないかと」
「っ……」
ユーシスが息を呑んだ。信じたい気持ちと、信じていいのかという戸惑いがない交ぜになった表情を浮かべている。
「行ってください、ユーシス君」
迷いを見せるユーシスに最初に声をかけたのはティアだった。
「だが……」
「折角の機会を逃してしまっては、きっと後悔します」
「そうだな。午前中は僕達だけで進めておくから遠慮せず行ってきたまえ」
ティアに続いてマキアス、リィンとエマ、フィーにまで背中を押され、ユーシスは呼び出しに応じることにした。午後から合流すると決めると、ユーシスは執事と共にホテルを出ていく。ユーシスの姿が見えなくなると、エマがにっこりとアキアスを見つめ、他の三人もそれに続いた。
四対の生暖かい視線にマキアスはたじろぎ、その何か言いたげな顔を止めろ、と強い口調で告げるが、紅潮した頬を見て怯む者は居らず。
「リィン、君とのわだかまりだってまだ無くなったわけじゃないんだぞ……!?」
「え? そうなのか?」
「き、君な……」
きょとんとしたリィンはさらりと問い返した。マキアスは呆れを通り越して若干キレ気味になっているが、考えるように口を閉じ、一度大きく息を吐き出した。そしてリィンとその隣に立つティアに視線を向け直す。
「……すまなかった。昨日のことも含め、君達にはちゃんと謝らせてくれ」
「マキアス……いや、こちらこそすまなかった。最初に曖昧な言い方をした俺にも非があった」
「私は……マキアス君に謝られることがありませんよ。寧ろ、出過ぎた真似をしたくらいで……」
「まあ、それは否定できないところもあるが」
「ええぇ……」
素直なところが美点だといったのはティアだが、この素直さは果たして美点なのか。マキアスの謝罪と意趣返しを受け取ったティアは、口元に優しく笑みを浮かべた。
「丸く収まったみたいでホッとしました」
「これぞ青春って感じ」
「本当ですね。一時は夕日が照らす浜辺で殴り合いに誘われるんじゃないかってハラハラしてしまいましたが……」
「茶化すんじゃない! というか、ティア君の青春はどういうイメージなんだ!?」
明らかにからかわれていると気づいたマキアスは、この空気は分が悪いと察した。リィンは微笑んでいるが巻き込まれないように黙ったままだ。マキアスは改めて声を張り上げる。
「っそろそろ出かけるか! 随分と時間を取らせてしまったし!」
「マキアス声でかい」
「なんだと!?」
マキアスの催促は尤もなのだが、フィーの注意も全くもってその通りであった。スタスタと歩いていくフィーを早足に追いかけるマキアス、それに続くようにリィン達もホテルを出て行った。穏やかで、心地よい賑やかさに包まれているが、ホテルを出てふとアルバレア公爵家のある方角を見つめる。
「(良い話が聞けるといいのだけど……)」
浮かない表情を顔に出さないよう、胸に手を当て少し力を込めた。
*
手配魔獣を片付ける前に、ハモンドオーナーに話を聞くこととなり、五人はレストラン《ソルシエラ》へ向かう。ソルシエラにつくと、昨日バスソルトの依頼を出した二人の貴族が今日もテラス席に座っていた。
聞かせるつもりはないのだろうが、二人の会話は通り過ぎざまにも耳に入ってきて、ティアが思わず足を止めた。最後尾のティアが立ち止まったことに気付いたリィンが声をかけようとするが、その前に会話がを聞いてしまった。
「ユーシス様がアルバレアの当主様に呼ばれているらしいな。やれやれ、今さら何の用があるというんだろうな」
「違いない。平民の血が入っている以上、あの方についていく者もおるまい。次の当主はルーファス様だしな。あの方はせいぜい、いざという時のスペアだろう」
隠そうとしない悪意にリィンの顔が強張る。血統主義のエレボニア帝国で庶子であるユーシスを快く思わない存在がいることは想像に容易い。だが、身分や出自だけを基準にして、ユーシス個人を見ようとしない。それを疑問とも思わない。
「だから……あの時……」
「あの時って……?」
吐息のような声だったが、リィンにはしっかり聞こえたようで、思わず聞き返した。俯くティアの顔は見えなかったが、そう問うたときにティアが息を呑む音と、小さく揺れた肩は見逃さなかった。
「すみません。少し夢見が悪くて、まだ寝ぼけていたみたいです」
何でもないと。酷くお粗末な言い訳だった。だがその言葉の奥に怒りを隠しているように聞こえて、リィンは追及を止めて「早くソルシエラに入ろう」と声をかけた。ティアもそれに乗った。ここで反論しても無駄だと分かっていたから。
レストランの中に入ってマキアス達に合流し、ハモンドオーナーに依頼について話をする。依頼内容は材料調達で、魔獣の油脂は既に必要数をクリアしていたため、残りのキュアハーブを大聖堂へ受け取りに行くのみだった。
薬の調合に使われるキュアハーブは独特の苦みがあるため、美味しく食べるには調理にひと工夫が必要になるのだと大聖堂のシスターは話した。どのように調理するのか、懐かしのメニューとはいったい何なのかと考えながら食材をハモンドに渡し、案内されたテーブル席で待っていた。
「お待たせいたしました。『特製ハーブチャウダー』です。皆様、どうぞご賞味下さい」
程なくして運ばれてきたのは具だくさんのスープ。一口大に切られた具がじっくり煮込まれて柔らかくなって、牛乳でまろやかに仕立てられている。ハーブの香りが食欲をそそり、身体の芯から温まる心地だった。苦みもなく、飲みやすいスープを夢中になって食し、感想を伝えるとハモンドは顔をほころばせた。
「このスープは懐かしのメニューということですが……ユーシスもよく飲んでいたんですか?」
リィンが尋ねると、ハモンドは深く頷いて答えた。このレシピを編み出したのはハモンドの妹――つまり、亡きユーシスの母であること。このスープは幼い頃に体調を崩したユーシスのために作られたもので、教会に行って身体に良い薬草をもらい、食べやすいように試行錯誤を繰り返した結果出来上がったレシピなのだと。何よりユーシスのことを考え、愛していた母だったのだ。
「というか……ハモンドさんってユーシスさんの伯父さんだったんですね」
「うん、ちょっとだけ驚いた」
「ああ、そういえば三人には話していなかったな」
ハモンドとユーシスの関係はそうと聞くと納得のいくものだったが、彼の話に含まれている事実はそれだけではない。アルバレア公爵家の人間がわざわざ教会まで自ら足を運び、薬草を貰いに行く違和感。それは、八年前にユーシスが公爵家に引き取られた庶子であると知っているティアには、八年前までは平民として母と暮らしていたからだとすぐに繋がった。
フィーは分からないが、エマならば今までの話から凡その事情は掴めるだろう。
「あ、マキアスがユーシスのこと考えてる」
「そ、そんなわけないだろう!」
渋い顔をして黙り込んでいたマキアスをフィーが茶化すと、マキアスは即座に否定する。
「ふふ……皆様とこういった話を出来て嬉しく思います」
出来ればユーシス様にも召し上がって頂きたかったのですがと続けたハモンドは、屋敷に戻っているユーシスを心配するように顔を潜めていたが、リィン達が礼を言うとハモンドは優しく笑った。
そして最後にこのスープの原型となったレシピをリィン達に教えた。ティアは受け取ったレシピの複製を眺めて思う。レストランで使われているレシピとはここまで詳細に書かれているものなのかと。
具材を入れるタイミングやハーブの調理法だけでなく、一つまみとは親指、人差し指、中指の三本でつまんだ量のことで、ハーブは一度手の平で叩いておくとより香りが出る、等の初歩的なことまでが、隙間に赤ペンで書き足されていた。
第三学生寮の厨房ではほとんど姿を見かけることのない、プラチナブロンドの誰かがこのスープを作る姿を想像して、レシピを丁寧に畳んで手帳に挟んだ。