「……よし、これでおしまいっと」
空になったダンボールを折りたたみ重ねる。
服や靴、教材など入用なものを全て出してしまえば残りは小物や小説くらいで、すぐに、とはいかずとも、予想よりも早く片付けは終わった。寮生活と聞いて何を持っていくか迷い、最低限のものだけにして正解だったようだ。
ふうと息を吐いて新品のベッドに腰掛ける。触り心地はさほど悪くない。普段使い慣れたものに比べれば見劣りしてしまうが、十分寝心地は良さそうだ。普段のベッドでないと寝られないと言うほど箱入りでもないつもりである。
ベッドに腰掛けたまま、ハンガーにかけた赤いブレザーを見て、今日一日の出来事を思い出す。
レーグニッツにクレイグ、アルゼイドにアルバレア、そしてシュバルツァー。名前を聞くだけでも濃いメンバーだ。
特に常任理事二人の弟と息子が入っていることに驚く。残りのイリーナ会長の子供も入学しているのだろうか、とまで考えて、真っ先に思い浮かぶのはアリサ。ティアの銃――ラインフォルト社製のファントムに詳しいようだった。また、ファーストネームを伏せているが、イニシャルはR。可能性がないわけではないだろう。
「(なーんて)」
体を倒し、ベッドに体を預ける。
あまり名前に囚われたくはないし、隠していることを詮索するのも野暮というものだ。自分にも答えられないことは多い。
少ししか話せなかったが、良さそうな人達だったな、とそれぞれの顔を思い出し口元が緩む。特に、行動を共にした三人とは仲良くなりたい。出来れば、もう一人の少女とも。
ぼーっと天井を眺めていると、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。コンコン、コンコンと、四回。誰何すれば予想通りの声が返ってきた。
まさか、という気持ちと、やはり、という思いが混ざり、苦笑を浮かべながら鍵を開ける。
「こんばんは、ユーシス君」
最後に分かれたときに見た姿と同じ、赤いジャケットを粋に着崩したユーシスが立っていた。
「少し時間はあるか」
「大丈夫ですよ、片付けも終わったところなので。散らかっていますが、入りますか?」
「……いや、遠慮しておく」
少し躊躇う様子を見せ、ユーシスは断る。
今日のオリエンテーリングで彼の一匹狼っぷりは十分に分かった。その彼がわざわざ部屋を訪ねてきた理由は一つしか考えられず、誰が通るとも分からない廊下で話したい内容とは思えない。
「屋上に行かないか」
「そうですね。聞かれると、ちょっと困っちゃいそうですし」
最初からそのつもりだったのだろう。寮の構造、部屋について説明を受けたときに屋上があるとは聞いていた。内側からは鍵がなくても開けられるタイプのものらしく、寮生ならば自由に出入りできるが、初日ということもあり荷物の整理がある。わざわざ今日を選んで屋上へ行く者もいないはずだ。
「上着をとってから行きます」
そう言って部屋の扉を閉めた。離れていく小さな足音が聞こえ、扉にもたれかかる。
断ってくれてよかった。親しくない男性を部屋に入れたことなどないのに、よく言ったものだ。
かけていたブレザーを羽織って誰もいない階段を上がり、屋上の扉を開けて外に出た。
「夜はまだ冷えますね」
頬を風が撫でる。心地よいと言うには少し冷たい。
月と、街の人工の光に照らされたユーシスに目を向ける。
「それで、何のお話でしょうか」
聞かれると困る、なんて言ったのは自分だが。それでも問いかけてみる。
「話と言うほどでもありません。なぜ皇女殿下が身分を偽っておられるのか、それだけをお聞きしたかった」
先程とは打って変わって丁寧な口調になるが、告げる内容は相変わらず率直なままだ。
二年間誰にもバレずに隠し通せるとは最初から思ってはいなかった。しかし、これは予想よりも早すぎる。どうしたものか。少しばかり逡巡を覚えるものの、結局は用意していた答えを並べるだけだ。
「皇族の男子はこの士官学院に入学する仕来りですが、女子はそうではありませんから」
「では、本当に……」
「はい。私がエレボニア帝国第一皇女、メルティアスです」
ユーシスの横を通り過ぎ、屋上の柵に手を添え振り返る。
「こんなに早く気付かれたのは予想外でした。なぜ分かったのか、理由を聞いてもよろしいでしょうか」
「理由、と言っても。殿下のお顔は存じておりましたので」
「あまり顔を知られていないと思っていましたが……油断できませんね」
そう言って眉を下げて笑う。兄弟達の中で、最も知名度が低い自覚はある。それに伴う評価も、もちろん。快く引き受ける兄や妹、断りきれない弟と違って、写真も取材も拒否し続けてきたのは自分なのだから。しかし、だからこそ気付かれないだろうと、高を括っていた。他国とは言え、気付かれずに旅をし続けた兄の凄さを思い知らされる。いろいろな意味で。
「覚えておられないかもしれませんが、殿下には一度お目にかかったことがあります」
「覚えていますよ。七年も前のこと、覚えていてくれて嬉しいです」
自分に似ている。気になった理由はただそれだけだった。一度会っただけの、名前も知らない少年。薄れた記憶を辿って、当時を思い出す。随分と彼は成長したなと、目を細める。だが、思い出に浸りたいわけではないのだ。
「士官学院にいる以上、学生は皆対等。学院の校則でしょう。ここに居る私は、ただの学生のティア・レンハイムです。……そういうことにしてもらえますか」
人差し指をたて口にあてる。
「お望みとあらば、そう致します。ですが、いつまでも誤魔化せはしないでしょう。俺でなくとも、気付く者は出てくる」
「ご忠告感謝します。……では、私からも一つ」
手を下ろし静かに告げた。ふとやわらかくなった表情に、ユーシスが胡散臭そうに見つめる。
「今日のような態度をとっていては、勘違いされてしまいますよ」
「それは……貴方には関係のないことだ」
諭すような口調のティアに、ユーシスは眉をひそめる。
言わんとすることは分かる。そうさせたのはユーシス自身だ。だが、自分はアルバレア公爵家の人間として見過ごすわけにもいかない。心の中でそう反論する自分を無視し、何とか口を開く。
「はい。お節介のたわごとだと、聞き流してくださってかまいません」
忠告を聞き入れず突き放すような言葉だったにも関わらず、気にしてなさげに微笑むティアに、胸の奥に何かが刺さる感覚と、ほんの少しの気恐ろしさを覚えた。
「殿下が何と言われようと、俺は必要以上にこのクラスに関わる気はない」
話は終わりだと言わんばかりにユーシスは立ち去ろうとしたが、身動き一つしないティアに振り返る。
「戻らないのか?」
「もう少しだけ、ここにいます」
「……風邪を引く前に部屋へ戻るんだな」
屋上を出て行く背中を見送る。静かに扉は閉められた。ティアは柵に上半身を軽く預け、ユーシスの去った扉を見た。見つめた。
「優しい、なあ」
関わりあいたくないと。一人になりたいと言うのなら、もっと冷たい目をしないと。そんな顔して言われたら、こっちだって怒れないのに。
*
――眠れない。
予想外のオリエンテーリングに荷解きもあり、体は疲れている。明日からは早速授業も始まるから、と早めに布団に入ったはいいものの、なんだか寝付けなかった。
部屋を抜け出し、水でも飲もうとキッチンに向かうと明かりがついていた。先客がいるらしい。入り口に近付くと声が聞こえてくる。リィンとアリサの話し声だ。
「ハーブティーごちそうさま。おいしかったよ」
「そ、そう? それならよかったわ。片付けておくから、先に休んじゃって」
「でも……」
「いいから! ……その、お詫びってわけでもないけど」
ぎこちなさは少しあるにしろ、アリサはリィンと普通に会話していて、なんとなく状況が掴めた。
二人の横を通り水を一杯飲むことは簡単だが、それほど喉が渇いていたわけでもない。邪魔をしては悪い。と、部屋へ戻ろうと階段に足をかけた時、リィンがキッチンから出てきた。
「ティア」
名を呼ばれ振り返る。
「さっき、入ろうとして引き返しただろ。もしかして気を遣わせたかと思ってさ」
「気付いていたんですか」
驚いた。入り口に近付いただけなのに。素直に口にすると、返ってきた返事は「気配があったから」。
言葉にされると納得してしまった。背後から静かに近付いてもすぐに気付く存在が身近にいたことが大きいかもしれない。武術に精通する者ならば、気配を察知することは基本なのだろうか。
「すみません、盗み聞きのつもりはなかったのですが」
「いや、気にしないでくれ。こっちこそ邪魔をしてすまない」
お互いに謝っている。傍から見れば変な光景だ。
「アリサさんはまだキッチンに?」
「ああ、先に休んでくれって追い出されてさ」
「まあ。それなら、私が引き止めるわけにもいきませんね」
ふふ、とティアが穏やかに笑うとリィンはなんだそれ、と言いながら嬉しそうに笑った。
「ティアもゆっくり休めよ」
「はい。おやすみなさい、リィン君」
「おやすみ、ティア」
リィンが階段上がりだした。気付かれていたのなら、隠れるように戻る意味もない。数段だけ上がった階段を再び下りてキッチンに入りアリサの背に声をかける。
「へっ?」
きょとん。アリサはリィンと入れ替わりに入ってきたティアに気付いていなかったらしく、つり目がちな赤い瞳を丸くして振り返った。
「ティアも眠れないの?」
「はい。なかなか寝付けなくて」
「一緒ね。私も寝ようと思ったんだけど、目が冴えちゃって」
アリサはふっと笑う。
ツーサイドアップにされていた髪も今は下ろされている。それだけで印象は変わるものだが、笑った顔を見れば、当たり前だが今日行動を共にしていたアリサだ。
「よかったらハーブティーでも淹れるわよ」
「ありがたいのですが……洗い終わったばかりなのでは?」
「いいわよ、そのくらい」
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「ちょっと待ってて。淹れ直すから」
アリサは手際よく準備を始めたので、長机の端、アリサに近い椅子に座って眺めながら待つ。
「私の姉みたいな人がね、眠れない時によく作ってくれてたの」
「優しい方なんですね」
「ええ。時々、私のことをからかって面白がってもいたけど」
懐かしむような、大事にしているのだと感じさせる声で告げる。「兄や姉というものはそういうものなのでしょうね」兄や、妹と弟を見る自分に当て嵌めると、自然に言葉が出た。
言いながら、アリサが湯気の出ているカップを持って来た。りんごに似た香りがする。口に含むと、クセもなく飲みやすい。カモミールだろうか。蜂蜜の甘さとよく合っている。
「美味しいです。とっても」
「ふふ、よかった」
成果に満足したアリサは、ティアの隣の椅子を引き腰掛けた。
「……実はね、さっきリィンと話してたの」
ティアには言っておこうと思って。アリサは話し始めた。
知っている。と言うタイミングは完全に逃した気がして、静かに相槌を打った。
「眠れなくて起きたら、リィンも降りてきて。今みたいにお茶をご馳走して、なんとか謝れたわ」
「それは嬉しいご報告ですが……どうして私に?」
アリサとリィンの関係を気にかけていた者はティアだけではない。それはアリサ自身も分かっている。
「ティアが言ったじゃない。『ずっとこのままじゃいられない』って。分かってるつもりだったけど、言葉にしてくれなかったら、多分今もまた逃げてたと思う」
「そんなことは……」
「あるのよ。確かに、いつかは謝ってたとは思うわ。でもね、この偶然を逃さずに済んだのは、ティアのおかげだと思うから」
それに、とアリサは続ける。
「ずるずる先延ばしにしちゃうと、余計に言いづらくなりそうだったし。元々悪いのは私なのに」
謝ることが出来た達成感の浮かぶ安堵の笑みに混じるうしろめたさ。考えていることが、分かる。気がした。
「……きっかけをくれたお姉様にも感謝しないとですね」
「そうね。手紙に書こうかしら。詳しくは絶対教えないけど」
はぐらかすように笑うと、アリサもくすくすと笑顔を見せた。カップの残りを流し込むと、月が高く昇っているのが見えた。
前作で何を書いたっけ、と読み返してみて顔から火が出そうになりつつ、同じようなシーンをねじ込んでみました。分かりづらいですが。
ひとまず序章はこれで終わりになります。
のんびり10月30日を目指し、Ⅱへ繋げていけたらなと思っています。
まだまだ先は長いですが、お付き合いいただけると幸いです。