やまぶきに入学して1週間。
我が美術科1年A組に、早くも転入生がやってきた。
吉野屋と並んで教壇に立っている金髪碧眼のそいつは、アメリカから親の転勤に伴いこの街に越してきたそうだ。美術科なのは、絵が好きだからと言う、至極単純で、けれど大きな理由から。
ま、これは全部吉野屋が説明したことで、当の本人、サラはまだ一言も話していない。と言うのも、これまた単純な理由。
彼女、日本語が話せないのだ。
当然といえば当然だろう。例え転勤が決まった後に覚えようとしたって、異国の言葉を簡単に覚えられる程、人間は出来た生き物じゃない。要領の問題だってある。
中でも日本語は、結構な難易度の言語みたいだからな……同じ音で全く意味が異なる言葉だって、幾らでもあるんだから納得だ。
そこでだ。
我等が担任で生徒想いの吉野屋は、サラにこのやまぶきでの生活を楽しんで貰いたいと、あたし達の中に英語が得意な奴はいないかと聞いてきた。教室が俄かに騒がしくなる。
宮子は何を思っているのか、じっとあたしを見ていた。
いや、何を思っているのかなんて、聞かなくても分かる。
あたしがある程度英会話能力を持っていることを、ひだまり荘の住人は知っている。
3日程前、ヒロが借りてきた映画を4人で観た時に、宮子に抱きつかれていたあたしは、その温かさも手伝って途中から眠くなり、台詞を英語に変換してみれば良いのではと考え、脳内でそれをやっていた訳だが、いつの間にか声に出ていて…………つまりはそういうことだ。
気が付けば、教室は静まり返っていた。
この空気では、例え出来る奴でも名乗り出ようとは思わんだろう。
「どなたか、いませんか?」
もう一度全体に向かって問いかける吉野屋の隣に佇む、小柄な金髪の少女と、目が合った。
途端彼女は、何処か安堵した様な、哀しそうな、嬉しそうな、どうとも取れそうで、どうとも取れない微笑を浮かべ、気付けばあたしは――――手を挙げていた。
『紫が沙英、赤がヒロ。同じアパートに住んでる先輩だ』
『サエ……男の子みたいですね?』
『間違われることは結構あるみたいだぞ。本人は気にしてるから、あまり言うなよ?』
『分かりました』
昼休み。
あたしと宮子は、サラを伴い学食に向かった。
目的は2人を紹介する為だが、その2人は今現在並んでいる為、座って指差しながら説明している。
先輩も紹介したいが、今日は姿が見当たらないから、またの機会にするしかないか……。
『で、まだたった半日だが、どうだ? 楽しくやっていけそうか?』
興味深いのだろう。忙しなく首を動かして学食を見回しているサラは、既にあたしの声が聞こえていない様だ。
やがて飯を持って来た2人にサラを紹介し、色々と話しながら昼休みを過ごした。
教室に戻ると、真実がスケッチブックを持ってあたしの席に座っていた。
「何だ。まみっちにでもなるか? ペケ貸すぞ?」
「ちがうちがう。ん? なんでペケ?」
なんでと言われてもな。
「ペケを外すと……」
パチンと。
「ゆの」
「戻すと」
パチンと。
「ゆのっち」
「な?」
「あぁ~……なるほど」
『ん? どういうことですか?』
『いや、よく分からんが、ペケを付けてる時はゆのっち、外してる時はゆのって呼ぶんだよ、宮子は』
『…………よく分かりませんね』
『ああ』
と。
「で、そのスケブは?」
「え、ああ、えっとね、わたし、英語話せないから、書いてサラちゃんとお話したいなって思って」
「成る程。自己紹介位は言葉でやれよ?」
「うん。ヘ、ヘイ、サラ。マイネームイズマミ」
「すごい日本語発音だ~」
「うぅ~……英語は中学から苦手なんだもん~」
「お前等、サラを放置するなっての」
「「あ」」
たく。
『ほら、サラ。お前も自己紹介しろ』
『はい。マミ、私はサラです。よろしくお願いします』
ま、これ位は通じるよな。
「………………」
通じていない様だ。
「英語の成績は?」
「…………E」
最低ランクか。と思いきや。
「マイナス?」
「…………」
まだ下に行ったか。
「マイナスなんてあるんだね~」
「いや無いだろ」
「余りに酷くて……」
「……ま、あれだ。試験勉強は一緒にやるか? 沙英とヒロもいるしな」
「ホント!?」
「ああ。あたしもグラマーは苦手だからな」
「え?」
「あ? なんだよ?」
何故か固まりあたしを凝視している真実。近くにいる数人の生徒も……なんだよ。
「ゆのさん、英語ペラペラなのに」
「書くと喋るは全く別だ。作文がそうだろ?」
暫く間を置き納得する真実と数人の生徒。
「ほら、時間ないから、ソイツの出番は今度な。次はあたしもお前も苦手なグラマーだ」
「……うぅ」
この時間、真実はどういう訳か集中砲火を受け、終わると同時に机へ突っ伏した。
「つんつん」
「…………」
「やめんか」
「えへへ~」
『サラもだ』
『えへへ』
「真実、大丈夫?」
「だいじょばない~」
ふう……。
机から見えているスケブを取り出し、後ろの方から開く。
『サラ、ここにプロフィール書いてみろ』
『ん? あ、これを使っておしゃべりするの?』
『そだ。ま、慣れたら普通に話せる様になるさ。3年でどこまで行けるかは分からんがな』
『はい。わたしも早くそうなれる様に頑張ります』
『ああ』
プロフィールを鼻唄交じりに書くサラ。
「ちょっと出て来るわ」
「あ、うん。いてら~」
自販機に向かい、真実の好きな飲み物とついでに自分の分を買い、外を眺める。
「夏休み、なにすっかな……」
なんて、毎年考えはするが、結局何もせず寝てるだけなんだよな……今年は何かしてみるか?
「とりあえず戻ろう」
教室に着くと、真実がスケブを見て唸っていた。読むのも相当苦手だもんな。
「あ、ゆのっちおかえり~。何してきたの?」
「ちょっと飲み物をな。ほら、真実」
「え? あ、ありがと」
受け取ったことを確認し、何に唸っていたのか聞けば案の定。何と書いてるのか読めなかったみたいだ。
あたしもなぁ……リーディングは苦手なんだよなぁ……。
スケブに書かれている英文を見ると、何とか読めた。繋げて書かれてたらダメだったが、サラは気が利く子らしい。一語一語丁寧に書いてくれていた。
趣味は絵を描くことと、映画鑑賞か。
『特に好きなジャンルとかはあんのか?』
『ん~……基本、何でも観ますね。面白いかどうかは、あまり気にしません』
『そか。あたしはホラーがダメだ。最後まで観れた試しがない』
まあ、多分、ガキの頃夜中に目が覚めて点けたテレビ一面に、ゾンビの群れがいたことが原因だと思うが。と言うか、それが原因じゃないなら何が原因なんだと問いたくなる。
「ゆのちゃん先生! なんて書いてあるのか教えて下さい!」
「ちゃんか先生かどっちかにしとけ。名前の所は大丈夫だろうから、誕生日だな。5月10日で、現在16歳」
もう直ぐか。念の為に予定は空けておこう。
「趣味は絵を描くことと映画鑑賞。家族構成は、父、母と3人家族。以上。質問は?」
そこからは宮子達の疑問をあたしが通訳して、答えをまた通訳して伝えた。
生憎時間が直ぐに来ちまったから、1つ2つが限界だったけどな。
授業終了後、あたしとサラは何故か吉野屋に呼ばれ、美術準備室に来ていた。
「で、何の用ですか? 先生」
呼び出される様なことをした覚えは無いんだけどな。
「ゆのさん、サラさんは、クラスに馴染めていますか?」
「まだ初日ですよ? 加えて言葉が通じないんですから、馴染むには相当時間が掛かりますよ」
「……そうでしょうか? 私には、サラさんが馴染んでいる様に見えましたけど」
なら質問しなくて良かったんじゃないか?
「まあ、大丈夫ですよ。3人共良い奴だから、何かあったとしても力になってくれます」
「そう。ええ、それなら良いんです。ゆのさん、サラさんは慣れない環境で困惑することも多々あると思います。その時は」
「分かってますよ。あたしにできる限りのことで、こいつの力になります」
隣に立っているサラの頭に手を置くと、その蒼い瞳があたしを見た。
『困ったことがあったら遠慮するな。いつでも力になる』
きょとんとしていたサラだったが、
『はい! これからもよろしくです、ゆの』
やがて満面の笑みを浮かべた。
『ああ。よろしく』
つい最近、先輩があたしと宮子に言ってくれた言葉。
やっぱり少しの不安があったあたしは、あの言葉で随分と気が楽になった。
だからと言って、サラもそうなるとは限らないが、少しでも安心してくれたなら嬉しいと思う。
準備室を出ると、そこには宮子達がいた。
待っていてくれたらしい。
「おかえり、ゆのっち、サラちゃん」
「おかえり~」
「ねぇ、なんの話しだったの?」
「…………」
ここに入学して、まだたったの1週間。けれど、このごく短い期間で、新しい環境で、あたしの周りは温かくなった。
ひだまりの中にいるような、穏やかな温かさ。
楽しいこと、嬉しいことばかりなんかじゃ無いんだろう。来年には、先輩達は卒業し、ここを離れる。沙英とヒロも、ひだまり荘からいなくなる。
あたし達だって、卒業した後はどうなるか分からない。
悲しいこと、辛いこと。
きっと、こっちの方が多い。
考えただけでも少し落ち込んでしまう程度には、とっくにあたしは、こいつ等を好きになっている。
サラだって、いつかはアメリカに帰ってしまうだろう。そうなれば、会うのは尚のこと難しくなる。
出来ることなら、いつまでもこいつ等と過ごしていたい。
けれど、どれだけ切望しても、それは叶わない。
だから――――繋がっていよう。
まだまだ細く脆い糸を、太く頑丈にして、いつまでも繋がっていよう。
決して断ち切れない。
断ち切られない様に強く、固く。
『これからもよろしくな』
歩き出しながら言うと、3人は遅れて付いてきて、なんと言ったのか聞いてきたが、改めて言うのは気恥ずかしいあたしは、だんまりを決め込んでいた。
『ふふ』
そんなあたしの隣で、サラは楽しそうに笑っていた。
『ゆの、みやこ、まみ、なかやま、サエ、ヒロ。やまぶき高校は、良い人が沢山います……嬉しかったですね、ゆのが手を挙げてくれて。ふふ、これからもよろしくなって……ずっと、みんなと一緒が良いですね……お父さんとお母さん、許してくれるでしょうか? ……いいえ! 許してくれるかどうかは、わたし次第ですよね! よし、早速話してみましょう!』
『サラさんか~……わたしも会いたかったな』
「紹介したかったんですけどね。学食じゃ、姿が見当たらなくて……今日、学校には来てたんですか?」
『うん。でも、午後の授業で提出しないといけない課題、やるの忘れててね……ずっと教室にいたの』
「成る程。じゃあ、明日紹介しますよ。昼は、学食に来ますよね?」
『うん』
「じゃ、その時に。良い子なんで、先輩もすぐに仲良くなりますよ」
『ふふ、楽しみだわ。それじゃ、明日はよろしくね、ゆのちゃん』
「ええ。おやすみなさい、先輩」
『うん。おやすみなさい』
先輩が切ったことを確認し、あたしも通話を切る。
それと同時に、ヒロからメールが届いた。
内容は夕飯を一緒に食べようと言う物。
太く、頑丈に。
了承し、あたしは宮子と共に101へ向かった。