今回、出来が悪い様なそうでもないような…
「…大丈夫?」
「ああ。横になったからかな、大分楽になったよ」
突然だった。
突然戸が開いたかと思ったら、そこには傷だらけの彼が倒れていた。彼はこちらへ向かって右手を伸ばしていて、その様子はさながら這いずり回る死体のようだった。もちろん、死んではいないのだけれど。
彼ことイサムさんは最近親を亡くしていて、親戚のいない彼は一人暮らしをしている。だけど、ちゃんと生活出来ているのか心配になるのだ。理由の一つとして、あの人は料理が出来ないというのがある。以前、日頃のお礼として彼にカレーを振舞ってもらったのだが、指に切り傷が沢山ある、カレーの粉が溶け残ってる、溶け残ってた粉を溶かしても、味がカレー風味に近い。と、まるで出来ていなかった。それ以来、時々私が料理を教えているのだけれど、全く成長しない。もう、私が作りに行った方が安全なんじゃないかと言えるほどに。
まあ、そこが彼らしいのだけれど。
…話を戻そう。
重症の彼を見た私は慌てて彼に駆け寄り、病室にある布団の上へ運んで、怪我の原因と場所を聞いた。
怪我の具合を確かめる為に。
「で、怪我の原因は何?」
「ここを目指して歩いていたら突然背中を押されて、目の前にあった落とし穴に落ちた」
「…どんな感じで?」
「こう…飛び降りようとして脚を引っ掛けた感じ?」
「うん。わからないわ」
とにかく、落とし穴に落ちたって事は分かった。重症って事はかなり底が深かったんだろうけど、どうやって這い上がったんだろうか。まあ、今は怪我の具合を確かめなきゃ。
「どこが痛いの?」
「変に落ちたからなのかな。腰の左側と背中が痛い」
私が実際に確認すると、左下腹部から左膝にかけての打撲と、左肘の擦過傷、背中の小さな切創の三ヶ所だった。これが腰一点に集中してたら、骨折どころの騒ぎじゃなかったのがまた…。あちこちに小さい擦過傷が残ってるということは、落とし穴から抜け出た後ずっと、地面を這いずって来たのだろうか。凄い頑張るなぁ、彼は。
まあ、そこが…。
「わかったわ。じゃあ、じっとしててね。薬塗るから」
「すまない。任せるよ」
さて…じゃあ始めようかな。治療を。
私は手に持っている薬の蓋を取り、人差し指の腹で薬を少量すくい取る。半透明のホイップクリームに近い色をしたそれを、彼の負った擦り傷に塗り込んでいく。
「──ッ…沁みる…」
「そりゃあ、こんな怪我してるもの、当然じゃないの」
傷跡が残ると困るので、何度も手を往復させて、傷口にしっかりと塗り込む。
私が研究も兼ねて作りだしたこの塗り薬は、主に擦り傷に効く。私自身を実験台にして、何度も試し、その度に改良を加えて、苦労して作りだしたものだ。使い方は私が一番よく知っている。
「…鈴仙?もうここは塗れてるよ?そこよりも背中の傷とかも…」
「傷跡が残るとまずいし、ちゃんとやらないとね」
「…まあ、任せるって言ったし、あまり口出しはしないけど」
…もうここは大丈夫だろう。よし、次だ。
ところで、打撲はすぐに手を出すことが出来ないのは知っているだろうか。
もしかすると、骨折してるかもしれないからだ。
してなければそれまでなのだが、人体の中を直接覗ける治療器具、というものは幻想郷にはない。出来なくはないのだが、皮膚を裂くことになる。よって、応急手当だけして様子を見るしかないのだ。
はっきり言って、擦過傷とか切創より
現状、ここは冷して安静にするしか出来ない。
「あ、これ腰の痛いところに当ててもらえる?」
そう言って私は師匠の開発した保冷剤というものを差し出した。なんでも、凍らせることで再利用可能らしく、中にはゼリーを密封してあるらしい。大きさによっては冷凍食の短期保存から医療用まで出来ると、使い勝手が良いらしい。
と、ここまでの話は師匠の受け売りだけども。
「あ、冷たい…」
彼はそれを受け取り、患部にあてがった。彼の体が微かに震えたので、それだけでも保冷剤がいかに冷たいかがよくわかる。
それで、次は背中に出来た切創ね。
見たところ、これはそこまで大きい訳でもないし、軽く洗浄して傷を塞げば、あとは放置で大丈夫そうね。じゃあ、これとこれを…。
「今から傷口に水をかけるけど、少し痛いかも知れないから、耐えきれなくなったら止めてね」
「わかった」
私は水を入れた注射器を手に取り、傷口に付いている小さなゴミを取り除いていく。時には針先でつついたり、水を勢いよく掛け流したり。水が沁みるのか、傷口へと水をかける度に彼の体が微かにバウンドする。
でも、これも貴方の為だから…。
傷口の洗浄を終わらせると、傷口に薄いプラスチックの膜を貼る。変に薬等で消毒してしまうと、傷の治りが遅くなるだけでなく、余計痛みを感じてしまうからだ。という訳で、ここの処置はこれで終わり。
あとは──
「イサムさーん、こっち向いてくださーい」
「おう…?」
──彼に、軽い催眠をかけるだけ。
彼は私に呼ばれて、私の方を向く。彼の瞳は黒く透き通っており、私の瞳を射抜いていた。私は、その瞳に向かって狂気を送った。正確に言えば、感覚の波長を少し短くしただけなのだが、少しだけでも効果は大きい。
建築の世界で例えるならば、円周率を使った計算をする時に、代入する値が『3』なのと『3.1415926』なのとでは、計算結果に大きな差が出てしまう。その計算結果が元になって建築が進められるので、大規模な橋なんて建造していた日には、その橋の先はとてつもない高さになっているだろう。
結局何が言いたいのかというと、ほんの些細な違いだったとしても、繰り返すごとに、もしくは時が経てば増幅している。
要するに、私は種を蒔いただけに過ぎないということだ。
感覚の波長を短くすると、その人は短気になる。短気になると、すぐにストレスが溜まり、ミスをしやすくなる。ミスの中には怪我も含まれるだろう。大怪我をすれば、自分で治療が出来なくなるので、きちんとした治療を受ける事が出来るここに来るはずなのだ。よって、ここに来る度に彼の波長を確認して、それを管理していけば、遅かれ早かれ彼はここへ来ることになる。そうやって、彼が頻繁にここを訪れるようになったら、意識を少しずつ弄って…フフッ。
この方法なら、彼は嫌がることなくここに来て、私が彼の為に尽くせて、彼の事をたくさん知ることができる。ほら、良い方法でしょう?
「どう?大分軽くなった?」
「ああ。腰とかの傷自体ははまだ少し痛むけど、ここに来た時よりもずっと楽になったよ」
彼は軽く手を上げ、垂れている私の耳を軽く弄る。
…これは彼なりのアピールの仕方なのだと、勝手に解釈しておこう。
最後は背中の傷を刺激しない様に、ゆっくりと彼を横たわらせて、と。
「よし。今出来る事は全てやったわよ」
「…ん。ありがとう、鈴仙。助かったよ」
…彼に褒められた。
彼の言葉を聞いて、私の顔がどんどん赤く染まっていくのが自分でもわかる。彼に褒められると、こっちもやる気が出る。
「…で、家まで歩けそう?一日くらいならここに泊ってもいいけど…どうする?」
「うーん…そうだね。大分落ちついたといっても、まだ痛むし…御言葉に甘えさせてもらおうかな」
彼は申し訳なさそうにはにかみ、『よろしくできる?』と付け足した。
私の答えは勿論イエスで、『大丈夫よ』と返した。
元々そのつもりだったし、断る理由もない。彼は患者なので、師匠にも言い訳できる。
「じゃあ、夕飯持ってくるから、少し待ってて」
「わかった。大人しくしておくよ」
彼に了承を得て、部屋の襖まで歩き、襖をゆっくりと開く。
その時の私は、計画通りに事が運んだからか、口元が凄く緩んでいたことだろう。
──だって、彼はもう手に入ったも同然なんだから。
…優しいヤンデレ?