釈迦堂刑部。生まれ持ったその傑出した才覚ゆえに周りから疎まれ、暴走を危惧した鉄心により川神院へと導かれる。その才は恐ろしい程に優れており、川神流を難なく収めると、周囲の人間を蹴散らし師範代の位へ就く。
後に彼と同じく師範代の位に就いたルー・イーとの間には歴然とした差が伺える程に大成した彼であるが、その精神面の危うさと、力を求める手段として武を振るう姿勢は、総代の鉄心をして危惧視させるに足るほどである。
そんな人間が今、忠勝の前に立ち塞がっている。くたびれた格好のその男は目を鋭く尖らせ、不敵な笑みを浮かべる。釈迦堂は構えは取らず、一見して隙だらけだ…しかしその実、その間合いには隙など無いに等しい。故に忠勝はどうにも攻め手を決める事が出来なかった。
「だんまり決め込んじゃあ詰まらねえ…こっちから行かせてもらうぜ」
“行けよ!リング!”その言葉と同時に釈迦堂は逆袈裟に腕を振り抜いた。忠勝は背を走る悪寒に身を任せるままに体を傾ける。その瞬間、頬の横を具現化するほどの氣を込めたチャクラム型の氣弾が掠めていく。
「遅え!そんなんじゃ蝿が止まっちまうぜ!」
忠勝が崩れた体勢を持ち直すよりも早く、釈迦堂は忠勝へと肉迫し、ガラ空きになった身体へと右ブローを振り抜いた。忠勝は左前腕で攻撃を受け、そのままの勢いで後ろに倒れ込むと同時に右脚を伸び切った左腕に叩き込む。
「カカッ……甘ちゃんですなあ。
蹴りってのは、こう撃つんだよ!」
釈迦堂は繰り出された脚を軽く躱し、返す刀で忠勝と同じく右脚を振り抜く。容赦ない一撃は忠勝の身体を捉えて吹き飛ばした。数メートルは優に押し出された忠勝……しかし観客のどよめきとは裏腹に、彼は直ぐ様体勢を立て直すと獰猛な視線を釈迦堂へと向けた。
「へえ、氣を集めて当たる瞬間だけ腹ァ硬くしたのか…器用なもんだ」
「お褒めいただきどうも。結構クるじゃねえか…素で受けたら臓物ブチまけてるだろ…」
「良くあることだ、気にすんな!」
「仮にもお寺さんの人間が言う台詞じゃねえな」
「ま、文字通り……“氣”ィ抜くと死ぬぜ?」
「…言ってろ!」
二度目の開幕攻撃を氣を纏わせた左手で打ち払うと、忠勝は足の裏で氣を破裂させ、反動で生まれた爆発的な加速で釈迦堂へ肉迫した。“前”では縮地とも呼ばれていた歩法で懐に飛び込んだ忠勝は、その速度を拳に乗せて釈迦堂を打ち据えた。
「……ッ……良いねえ…潰し甲斐があらァ!!!」
一瞬顔を驚きに染めた釈迦堂であったが、次の瞬間には面白い獲物を捕えたと言わんばかりに獰猛な笑みを浮かべた。
近接攻撃を主体とする、両者の拳戟の応酬が始まる。釈迦堂の振り下ろす右に対し、忠勝は左で迎撃する。返す忠勝の正拳に対し、釈迦堂は前腕で受け止め、薙ぎ払うように手刀を繰り出す。体を半身に反らして手刀を避けた忠勝の眼前に追撃の肘打ちが迫る……
拳を交わすこと数合、両者の身体へ徐々に蓄積されるダメージ…その違いは顕著に現れていた。川神院師範代を勤め上げる釈迦堂の繰り出す拳の速度は、当然ながら忠勝を上回っていたからだ。いくら忠勝が日頃からアンダーグラウンドの闘技場で遣り合う事に慣れているとはいえ、相手のほうが氣の扱いも上手で技数も豊富となれば、その分対応が遅くなる。……忠勝はジリ貧だった。
「オラオラどうした!もうギブアップか?」
「……ッ!好き勝手言ってくれるぜ!」
「ハハハ、折角面白い使い方出来んだ……もう少し楽しませてくれやァ!」
咆哮と共にラッシュを加速させる釈迦堂。肘打ち、貫き手、掌底打ち、鈎突きなど多彩な攻め手を容赦なく繰り出され、もはや反撃する暇もない状況に立たされた忠勝は、せめて一矢報いらんと思考を重ねていた。
「(今の俺に出来るのは氣を“纏う”事と“集める・爆破する”事だけだ。あの人みてえに“放つ”ことは出来ねえ……考えろ。考えろ。自分にできる最大限を……)」
数秒の思考の後、忠勝は駆け出す。先程と同じく速度を上げ、一直線に釈迦堂へと接近する。その様子を見た釈迦堂は“所詮その程度だったか”と内心失望した。釈迦堂は久々の“ソソられる”敵との勝負を楽しむ為、氣を使った奥義の使用を抑えていたが、先程と代わり映えのない忠勝の特攻にはこれ以上の継続価値を見いだせなかった。
「(せめて一撃で終わらせてやるよ…)」
ここに来て釈迦堂は初めて拳を構え、型をとった。その構えはよくある正拳突きのようであるが、歴とした川神院の奥義、“無双正拳突き”の構えである。左手を前に翳し、構えた右手に氣を集中させる…単純でありながら、熟練の闘士すら一撃で屠るその技は釈迦堂の禍々しい氣も相まって、鉄心ですら直撃は避ける程の脅威となっていた。
「………沈め!」
釈迦堂の拳が正面から猛進する忠勝へと放たれる。流石に威力は落としているとはいえ、氣を纏い奥義にまで昇華された正拳突きは正確無比に忠勝を捉え、その身を吹き飛ばす
……筈であった
繰り出される奥義。目前に迫るその一撃を直撃の寸前まで見据えた忠勝は、右足を目一杯踏み込み飛び上がって回避する…その距離、わずか数センチ。ギリギリまで引き付けた拳を躱し、上空へと跳躍した忠勝は、目で追う釈迦堂を置き去りに、空中で反転し…文字通り“空を蹴った”。
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「(…………虚空、瞬動だとッ!?)」
釈迦堂は内心の驚愕を隠せなかった。今日まで氣の正体すら掴めていなかった若造が、氣の収縮・爆破を精密にコントロールする事で、空中戦をも繰り広げる三次元戦闘を会得したのだ。
「(こいつぁ凄え、百代以来のトンでもねえセンス…!生憎と氣の総量は比べるべくもねえが、戦闘への応用センスに関しちゃ反則級だッ!今は“術”を知らねえから強化しか出来ちゃいねえが、教え込んじまえばコイツぁ“化ける”……ッ!)」
忠勝は縮地と虚空瞬動を繰り返し、釈迦堂へと迫る。次第にフェイントを織り交ぜた絡め手を使うようになり、果ては釈迦堂が繰り出していた掌底打ち、鈎突き、裏打ちすらも模倣し、攻めの姿勢を崩さなかった。
徐々に研ぎ澄まされていく忠勝の攻撃を捌きながら、釈迦堂は改めて目の前の少年の才覚に期待を抱いた。実践に勝る訓練はないとはよく言ったものだが、目の前の少年はいっそ異常なまでに成長著しい。
仮に稽古をつけたならば、目の前の荒く削られた原石が、果たしてどのような輝きを放つのか。氣を扱う術を知ったこの少年は、一体どのような技量で自分を楽しませてくれるのか………成長した少年と自分が闘う未来を脳裏に描き、釈迦堂は意図しないうちに口の端を釣り上げた。
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先程とは違い、縦横無尽に動き回る忠勝の拳衾に防戦一方の釈迦堂。一見して忠勝が有利に見えるこの一幕において、忠勝は調子づくどころか底知れぬ不安を感じていた。
「(さっきから目一杯打ち込んでんのに通ってる気配がねえ!そりゃあ釈迦堂さんのが強えのは分かり切ってる……だが、何だよコレは……この差は、あんまりじゃねえか………!)」
不安は焦燥感へと変わり、息を乱す。乱れた呼吸は身体の動きを乱し、忠勝の拳衾は次第にその厚みを失いつつあった。釈迦堂は思考をやめ、面白いものを見つけたと言わんばかりに目を輝かせて忠勝を見やった。
「やっぱ川神は良いねェ、こんな所にも面白れえ奴がゴロゴロしてやがる…!気に入ったッ……!お前、俺が鍛えてやる!」
突然の申し出に一瞬動きを止めた忠勝。釈迦堂の悪人面は生き生きとしており、こちらに対して堂々と腕を組み仁王立ちする姿は、先ほどの言葉が嘘偽りでないことを表していた。その余裕…この戦いで嫌という程叩き付けられた力の差に、忠勝はただ悔しさを覚え、それでも愚直に攻め寄るしかなかった。釈迦堂はそんな若き才能を眺め、ボソリと一言。
「ただその前に……“壁”を知っとけ。」
忠勝は釈迦堂が構えを取った事も、その拳が振り出された事すらも気付けなかった。
トン……と、まるで気軽に肩を叩くように腹に当てられた拳は、咄嗟に貼った忠勝のガードを“ブチ抜いて”その内部へと衝撃を撃ち込んだ。次の瞬間、まるで思い出したようにその身体は吹き飛び、忠勝は喀血しながら地に倒れ伏した。
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周囲の観客が誰も動き出せない中、まず最初に辰子が忠勝の元へと駆けつけた。リング端まで飛ばされた忠勝には深刻な外傷こそ無かったものの、身体は所々傷が目立つ。特に最後の一撃は内部に大きなダメージを与えていて、意識はあるものの立ち上がる事ができない。辰子はうつ伏せに倒れ込んだ忠勝の体を起こし、手で土埃をはたいてタオルで顔を拭う。
「よく頑張ったねー……さすが、男の子」
「…」
忠勝は返答することが出来なかったが、目を閉じたまま口の端をニヤリと歪めた。そんな忠勝の様子を見て少し安心した辰子は、とても冷ややかな目で釈迦堂を睨んだ。その身からは忠勝の数倍は優に超える量の氣が溢れ出ており、家族を傷つけた憎き仇敵を無意識のうちに威嚇していた。
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「へへ、睨まれちまったぜ」
やれやれ、と肩をすかした釈迦堂は闘技場の出口に向かって歩き出す。忠勝とは対象的に傷はほとんど見受けられず、辰子から向けられる恐ろしい程の敵意を飄々と受け流しながら歩を進める。
「(アイツだけじゃねえ、お嬢ちゃんも中々良いもん持ってるみてえだな、氣の総量は百代並みか…!大したもんだ。今日だけで2つも良いモン見つけちまったな。百代に教えてやりゃ喜びそうなモンだが…)」
だがこの時、釈迦堂は才ある二人の存在を川神院に知らせる事など全く考えていなかった。下手に堅苦しい院の修行を課せば持ち味が失われる恐れがあるし、何よりも……その方が絶対に面白い事になると確信したからだ。数年後の百代の呆気に取られる様子を思い浮かべ、ニヤニヤと性の悪い顔をした彼は、帰り際に忠勝に向けて呟いた。
「取り敢えず明日の夜6時に河川敷に来い。強くなりてえならよ……一応言っておくが川神院の辺りは通るんじゃねえぞ?爺さんにバレると面倒だからな……」
忠勝はその言葉を最後に、意識を手放した。