東方邪霊蛇   作:悪霊さん

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名もなき悪霊と名も知れぬ剣鬼は、マエリベリー・ハーンが逃げおおせた後すぐに戦いを始めた。

とはいっても肉体を持たない悪霊が攻撃する事はできず、だというのに剣鬼の放つ斬撃は悪霊の身を裂く。肉体がないというのにおかしな話ではあるが、兎も角悪霊からすればまず勝目のない戦いだった。

かろうじて致命傷となりうる攻撃だけは避け続けているが、その集中力もそう長くは保たないだろう。

息を切らしながら、必死に身を捩って攻撃を躱し続ける。彼は当初、メリーが逃げ切ったのを確認したら直ぐに自分も転身するつもりだった。だが、目の前の人斬りはそんな隙を見せたら即座にこの胴体を真っ二つにするだろう。背中を向けるとはそういう事である。

 

暫く攻撃を続けた剣鬼は、一度大きく距離を取った。得物が刀である以上距離を取る必要はなく、それも一方的にいたぶる事のできる相手に対して距離を取ったので、何事かと訝しんだ。

 

「……先程から致命傷のみを的確に避けているな。何故だ?」

 

「ハァ、ハァ……ケッ、簡単な答えだ。シンプルな答えだぜ、おっさんよ」

 

精神的な疲れから咳き込みながらも、彼は余裕綽々という体を気取ってみせた。それがただの空元気だというのは火を見るより明らかだが、顔つきはまったくそれを感じさせなかった。

 

「オレ様は悪霊だ、つまり幽霊。ってことは一度死んでるんだぜ?死の匂いにゃ敏感なんだよ、致命傷を受けそうな所からはその匂いがプンプンするからな」

 

「ほう、そのような事があるとは。勉強になるな」

 

「勉強する必要なんざねーぜ、ここで終わらせるからなァ!」

 

吠えながら剣鬼を睨みつける。その程度で萎縮する訳もないが、その気丈な態度には目を見張るモノがあった。

感嘆を示す息が剣鬼から漏れると同時に、何かが空気を切り裂いて飛んでくる音がした。剣鬼に向かって一直線に。

 

飛んできた鎖を後ろに飛び退って躱し、人斬りは吠えた。

 

「誰だ、何者か」

 

答えた声は暗く、冷たかった。悪霊である緑髪の彼からしても、まるで暗闇のような印象を抱かせる声で、その影は言った。

 

『キミに名乗る必要なんてない……僕達はキミに殺されたんだから!ようやく、ようやく彼女の敵を討てるッ!鬼め、あの時はよくも彼女ヲ!』

 

影はガリガリに痩せた亡霊のような、否、正しく亡霊だった。鎖鎌を携え、剣鬼への怨みだけで蘇った悪霊だった。

今となっては知るすべもないが、この亡霊は元はただの農民で、心優しい青年であった。ある時彼が意中の女性と逢引をしていた時、剣鬼に恋人諸共斬り殺された。それ以来彼は鬼を強く怨み、復讐の一念で顕界し続け、狂気に染まりつつも今ようやく敵へと刃を向ける事が出来たのだ。

剣鬼がそれを覚えているか、というのはまた別の話ではある。しかし彼は覚えていた。目の前の亡霊だけではなく、今までに自分が斬り捨てた者達全ての顔を彼は覚えていた。だが、この亡霊は一目見てそうとは分からぬ程に変容していた。

 

「そうか、あの時の……よかろう、二人纏めて来るがよい。これも我が業、背負わねばならぬ」

 

「……イマイチ事情が分からねぇけど、アンタはアイツを倒したいのか?身体はあるのか」

 

『キミは、霊体だね。強く念じるんだ、自分の在り方を。物質的に無いからといって存在しない訳ではない、それを忘れるな。僕のこの武器もそうして生み出した……あの鬼ヲ殺スために!』

 

狂気を感じさせる口調からは考えられない程冷静なアドバイスを受けて、面食らったものの、悪霊は言われた通りに集中し肉体を定着させようと試みた。

隙を見せているにも関わらず、剣鬼はそれを眺めていた。まるで彼が身体を手に入れるのを待っているかのように。いや、実際待っているのだろう。どんな意図があるのか、と警戒した。

程なくして、やや不安定ではあるがしっかりと物に触れる事が出来る程度には確固たる肉体を定着させた。軽く身体を捻って調子を確かめていると、剣鬼が亡霊に尋ねた。

 

「どうやってここを探り当てた。虱潰しに探し回ったか」

 

『コの辺りから強イ怨念が感じらレたから、それを追ってきた』

 

そう亡霊が告げると、得心がいったとばかりに剣鬼は大きく頷いた。

その強い怨念とは、恐らく悪霊の彼だろう。封印された事に対する、数百年分の凝縮された怨みのエネルギーを嗅ぎつけてここへ現れたのだ。

 

「もうよいか。そろそろ終わらせるとしよう」

 

「いいぜ、ただしテメーの負けでの終わりだ」

 

『殺ス』

 

仕切り直して、今度は悪霊が真っ先に動いた。

身を僅かに屈めながら、反転しつつハイキックを放つ。鬼はそれを上体を逸らして回避する。

そこに亡霊の飛ばす鎖鎌が首を狩らんと迫る。今度は刀で素早く斬り払った。その隙に悪霊は大きく距離を取り、体勢を立て直した。

鬼がまず亡霊から仕留めようと大きく刀を振りかぶると、背後からも鎖鎌が飛んできた。身を捩って躱したものの、わずかに身が斬られる。

体勢が崩れた所に、再び悪霊のハイキックが来る。刀で防ぎつつも、大きく跳ね飛ばされた。

僅かな攻防ではあるが、ここまでを見ると悪霊と亡霊が優勢に見えるだろう。だが、彼らからすれば一刀の下に斬捨てられる可能性を考えると楽観視は出来なかった。そもそも先程から彼らは一撃もまともにダメージを与えられていないのだ。

 

「怨みの強さが即ち肉体の強さか……厄介だな」

 

「いやー自分でも驚きだわ。まさかここまでやれるとは」

 

生前の身体よりも大幅にスペックが上がっている為、最初は戸惑ったものの直ぐに慣れた。順応性は高いからな、と呟いてみる。

流石に亡霊のように武器を形作る事はまだ難しいが、この身体ならある程度は応戦出来る。このまま体術で押し切り、亡霊にトドメを任せよう、そう考えていた。

だが。

 

「認識を改めねばな……うぬらは強い。我も思う存分やれそうだ」

 

「ハッ、まだ本気を隠していました、ってかァ?最初っからそうしやがれ、ナメてんじゃねーぞ」

 

「そうだな、謝罪しよう。侮っていた」

 

「……マジに取るなよ」

 

常に人を食ったような態度でいる悪霊は、堅物という印象の鬼がどうにも苦手だった。この状況で苦手も何もあったものではないが。

突然無造作に剣鬼が刀を大上段から振り下ろした。咄嗟に横に大きく飛んだ二人が立っていた所を、剣圧が通り過ぎていった。地面に横たわっている人だったモノ達をズタズタに切り裂きながら。

 

「……マジかよ」

 

『……』

 

「さぁ、存分に死合おうぞ」

 

言葉と共に勢いよく踏み込んでくる剣鬼。咄嗟に地面を蹴って近くの家屋の屋根に逃れた瞬間、家屋の外壁に真一文字の傷が出来上がった。居合の如き速度で振り抜かれた斬撃は、そのまま家屋の反対側まで突き抜けていった。

 

「クソがッ!」

 

毒づきながら飛び降り、刀を振り切った一瞬の硬直を狙って渾身の踵を食らわせようとする。振り下ろした瞬間、剣鬼が半歩退き、悪霊の一撃は空を切った。大振りな攻撃を躱され、隙が出来た。それを見逃す訳もなく、刀が下から斬り上げられようとする。

金属音を立てながら、亡霊の鎖が刀に絡みついた。そのまま奪おうとするが、ギシギシと互いの力が拮抗するばかりだ。その間に悪霊が退避すると、亡霊も退いた。

 

「悪い、助かった」

 

『気にしなくていい』

 

「んじゃ、もっぺんぶちかますかッ!」

 

悪霊が吠え、先程と同じモーションでハイキックを繰り出そうとした。

剣鬼がそれを撃墜しようとしたが、亡霊が鎖で跳ね上げた泥が顔にぶつかり、反射的に目を閉じた。

そこに一瞬の遅れが生まれ、その一瞬が悪霊にチャンスを与えた。

 

「蛇翼崩天刃ッ!」

 

渾身の蹴りが今度こそ炸裂し、刀を大きく吹き飛ばした。悪霊は反射的にそれを目で追ってしまった。

 

「ぬぅん!」

 

刀を拾うよりも先に、剣鬼の拳が悪霊にめり込んだ。ミシミシと嫌な音を立て、勢いのままに吹き飛ばされる。

 

「ガッ……!く、そっ」

 

痛みを堪えながら起き上がろうとした瞬間。

 

「貰った」

 

「――ッ!?」

 

素早く踏み込んだ鬼が懐の短刀を抜き放ちながら、動きの遅れた悪霊にその刃を食い込ませ――

 

「グ……」

 

なかった。剣鬼は呻き声を上げ、左目を押さえながら悪霊から距離を取った。

その左目からは、僅かだが血が流れ落ちていた。流れる血は彼の目を塞ぎ、降り続けている雨にも負けぬ勢いである。

 

その傷を負わせたのは、悪霊ではない。ましてや最も出遅れた亡霊でもない。

 

「間に、あった……」

 

「お前……」

 

「うぬは……ッ!」

 

『……?』

 

三者三様の反応を示す中、息を整えながら手に持った陶器の欠片をしっかりと握り締め、現れたのは。

 

「メリーッ!テメェ、なんで戻ってきやがったッッ!」

 

悪霊が身体を張って逃がしたはずのマエリベリー・ハーンであった。

口調こそ荒いものの、彼はメリーの身を案じ、今からでも再び逃がそうと考えていた。

だが、当のマエリベリー・ハーンは。

 

「考えてみれば、逃げたところで行くあてなんてないじゃない。もし貴方が負けて追いつかれでもしたら結局殺されちゃうし」

 

「だからって」

 

「何もしないまま終りを待つなんてごめんだわ。それに、貴方は私の力になってくれると言ったでしょう?だから!今度は私が言う番よ、貴方の力になるってッ!私の命を貴方に預けるッ!貴方の勝ちに賭けるわッ!!」

 

「ッ!?」

 

最初こそ軽い調子で話すメリーに怒鳴ろうとしたが、突然命を預ける、と言われては怒るに怒れない。しかし、先程鬼が左目を抑えていたのは、メリーが神社に有った壺の破片を投げつけた事によるものだという事に。その破片をいくつも握り締めているために手から血がダラダラと流れている事に。気づいた彼には。

何よりも、守ってやると息巻いていた癖にその彼女に傷を負わせ、あまつさえ助けられた事に気づいた彼は、苛立ちも心配などもなかった。代わりに、深い決意だけがあった。

 

「ああ、そうだな……じゃあよ、メリー」

 

彼女の方を振り向いて、彼は言った。

 

「オレ様は絶対に勝つからよ、賭け金増やしちまえ。……絶対に勝ってやるさ、絶対。だから、お前は心配するな。ただオレが勝つ事を待って、そこで見ててくれ、破片持ってると痛いだろ?降ろしとけ。それと――ありがとうな」

 

「あ――」

 

ありがとう。謝罪ではなく感謝を表した彼の胸中は、彼にしか分からない。だが、メリーはなんとなく分かる気がした。謝罪という悔恨ではなく、感謝を伝えた彼の胸中が。

 

「逃がしてやったがみすみす戻ってきたか……だが、そこな悪霊を救う為とはな。うぬらには、我が理解しがたい絆があるようだ。感服した」

 

「まーた待っててくれたのか。ヘッ、世界広しと言えども、オレ達みたいな奴らはいねぇだろうな。……コイツの為にも、絶対負けられないんだ。悪いがオレは――お前の屍を踏み越えていく」

 

「その意気や良しッ!この剣鬼を超え、我が野望を、命を砕いてみせよ!」

 

悪霊が纏っている怨念が、若干の変質を起こした。

ただただ漂っている、霞のようなぼんやりとした怨念が。

形を作り始めた。主を護る邪蛇の形に。

蛇のように身体にまとわりつく怨念は、うすぼんやりと光を放っていた。道を照らすかのように、淡い光で。

獲物を狙い、大口を開ける蛇のように、その怨念も大口を開け、今にも噛み付かんばかりの殺気を放っていた。

亡霊の放つ怨念と違うのは、その有り様。

殺す為に形作られた亡霊の鎖鎌とは異なり、悪霊のそれは自分を、否。

たった一人の少女を護る為の物。殺すのではなく、護る。ただそれだけのために。

 

「行くぜオイ!」

 

『コレで最後ダ!』

 

「来い、全て斬り伏せてくれるッッ!!」

 

悪霊の放つ蛇が、剣鬼に迫る。即座に斬り払われたものの、すかさず形を取り直して襲いかかる。

左腕に敢えて食らいつかせる事で蛇を止めた鬼は、向かってくる亡霊に向けて、凄まじい剣圧を伴う斬り下ろしを放つ。

高く跳躍する事でそれを回避した亡霊は、下に向けて鎖を放つ。僅かに下がってそれを避けた鬼は、下段から全力で斬り上げようとする。

そんなことはさせないとばかりに、悪霊の蹴りが迫る。危うい所で、その蹴りは刀を捉えた。だが、今度は吹き飛ばす事が出来ず、軌道をずらすに留まった。

その隙に危険域から脱出した亡霊は、足元の影から上半身を出し、鬼を引きずり込もうとする。

 

「ム……小癪な」

 

跳躍して亡霊の腕から逃れた剣鬼は悪霊に狙いを絞った。

同時に相手をするよりも、片方に集中して仕留めようと考えたのだ。

懐の短刀を悪霊に向かって投擲する。

かなりのスピードで迫るそれを避けるか防御した隙を狙って斬り――

 

「なッ、何ィ!?」

 

かかろうとした鬼は、驚愕した。

投擲した短刀が掻き消えたのだ。

これは悪霊も予想外だったようで、目を見開いていた。

だが、直ぐに我に返り、無防備な鬼に攻撃を加えに行った。

 

「轟牙、双天刃ッ!」

 

短刀を投擲したままの姿勢で硬直している剣鬼に素早く近づき、中空で強烈な蹴り上げをニ連続で放ち、更に高く吹き飛ばされた鬼を追い越し、全力の踵落としが炸裂した。

地面に小規模なクレーターを作る程の勢いで叩き落とされた剣鬼に、亡霊の鎌が今度こそ首を刈り取らんと唸りを上げて襲いかかる。

小太刀を失い、刀も吹き飛ばされたままの剣鬼は左腕で鎌を防いだ。半ば無理矢理に刃を突き立てさせ、鎖を掴んで全力で引っ張った。

せめぎあったのも僅かな間、抵抗虚しく亡霊の身体は鎖に引っ張られ、剣鬼に引き寄せられた。

それを確認した悪霊は即座に蛇状のオーラを纏い、眼下の鬼へと突っ込んでいき、鬼は亡霊に叩き込む為、右手を強く握り締めている。

亡霊が引き寄せられるのは悪霊が攻撃するより早く、全力の拳がその腹部へと突き出され――

 

「なぁッ!?」

 

突如として空間に開いた裂け目へと打ち出された。当然亡霊に当たる筈もなく、完全に隙が出来た。

 

「まさか、これは先の――」

 

「滅閃牙ァ!」

 

「グオォ!?」

 

大蛇の噛み付きの如き一撃が剣鬼を吹き飛ばした。死角から、完全に意表を突いた形で放たれた攻撃は剣鬼の身体に噛み跡にも似た傷を穿った。

ふらつきながらも立ち上がろうとした剣鬼に――

 

『   』

 

亡霊の鎌が突き刺さった。先程のように防御する事も出来ず、胸をざっくりと切り裂き、血がとめどなく溢れ出した。

無表情のまま立っている亡霊と、剣鬼に殴られた腹を抑えながらも睨みつけている悪霊と、完全に戦力外だと思っていた少女を順番に見つめ、剣鬼はこう言った。

 

「――よくぞ、この我を倒した」

 

どこか清々しさすら感じさせる笑みを浮かべながら剣鬼はそう告げた。

そして、彼が動く事はもうなかった。倒れる事もせず、じっと彼らを睨みつけた姿勢のまま、息絶えていた。

 

「……終わった、の?」

 

「みたいだな……なぁ、アンタ。ありがとう、おかげで助かった」

 

『礼を言うのは此方の方だ……君達のおかげで、ようやく彼女の……篝の敵を討つ事が出来た。ありがとう……』

 

もはや亡霊は狂気を持ってはいなかった。嬉しさと悔しさと、様々な感情が綯交ぜになった顔のまま、悪霊達に向き直った。

 

「でも……」

 

しかし、メリーの顔は優れなかった。

向こうから襲ってきたとはいえ、人が死ぬのを間近で見たのだ。それも、手にかけたのは目の前の亡霊。直接的ではないにしろ、自分や悪霊の彼も同じだ。

平和な時代に生きてきたメリーには、復讐を誓っていた亡霊や、僅かとはいえ人の死を見たり、幽霊となった者に会ったり、憎悪の中で過ごしていた悪霊とは違ってこういった事に対する免疫はなかった。あってはならなかった。

これから先もこんな事があるのだろうかと考えると憂鬱になるが、その程度にしか感じていない自分が嫌になった。そんな冷たい性格だっただろうか。

 

「……心のどこかで、こうなるのを望んでたのかもな。ったく、良い顔で逝きやがって……」

 

『……キミ、何か憑いてるよ』

 

「えっ?」

 

感傷に浸っていたメリーに、亡霊が声をかけた。

きょとんとしていると、徐に悪霊が目を覗き込んできた。

 

「ちょ、ふぇっ?」

 

「あ、マジだ。どこで憑かれたんだ?って、そういや壺が二つあったな。アレに入ってたのか」

 

霊とはいえ異性に突然顔を近づけられて動転するメリーをよそに、悪霊は平然とメリーの頭の後ろに手をやり、何かを掴んで放り投げた。

 

「コイツはオレが先客だ、他所行きな」

 

その途端、剣鬼への恐怖と目の前で起きた人死への忌避感を呼び覚まし。

 

「あ……」

 

「お、おいメリー!?」

 

マエリベリー・ハーンは実にあっさりと気を失った。

 

『心配ない、眠っているだけだね。恐らくさっきの霊が、戦闘中にそういった事にならないよう抑制していたんだろう。焦ってつまみ出さなくても良かったかな』

 

実は悪霊と最初出会って会話をしていた辺りにメリーが感じた頭痛も、その霊が憑いた事が原因だったりするのだが、二人はそんな事は知らない。

さっきの霊も、悪霊と同じように何かの理由で封印されたのだろう。だが、こうしているとやはり悪意を持っているとは考えにくい。

 

「マジかー……悪い事しちまったなぁ。ごめんよー」

 

放り投げた辺りに見当を付けて謝罪すると、亡霊が苦笑した。

 

「あんだよ?」

 

『いや、別に。ただ、悪霊と妖怪の組み合わせは珍しいな、と思っただけさ』

 

何気ない会話。だが、悪霊はその言葉に首を捻った。

 

「何言ってんだ、コイツは人間だぞ」

 

その言葉に亡霊も首を捻った。

 

『そうは言うが、彼女から明らかな妖気を感じないか?』

 

言われてみると確かに妖気を感じた。妖力があるというのは、妖怪またはそれに準ずるモノでなければ持ち得ない物だ。

しかしおかしい。先程封印が解かれた時、そんな物を感じただろうか。

訝しむが、事実である以上どうしようもない。

 

『ましてやただの人間に、それこそ陰陽師や何かのような存在でもないのにあんな事が出来るというのは少々不自然が過ぎないか?』

 

「あんな事?」

 

『なんだ、気づいてなかったのかい?あの鬼が短刀を投げた時、そして僕を鎖で引き寄せて殴ろうとした時。空間に奇妙な亀裂が入って、その空間に小太刀も拳も吸い込まれたのさ』

 

成程、短刀が掻き消えた時は何事かと思ったがそういう事か。

しかし亀裂とは言い得て妙だ。

 

「亀裂ねぇ……なんかこう、良い呼び方は無いもんかね。例えばこう、狭間、とか隙間、とか」

 

『隙間は流石に……』

 

「ハザ、マ……?」

 

呻きながらメリーがゆっくりと目を開けた。

特に外傷やおかしな所もないようで、悪霊はほっと息を吐いた。

 

「目ェ覚めたか。まだ寝てていいぜ、メリー」

 

「うん……おやす、み……」

 

『……あんな戦いがあったんだ、心が疲れているんだろう。暫く休ませてあげた方がいい』

 

「言われなくてもそうするさ。しかしありがとうな、本当。恩に着るよ」

 

『いいのさ、僕は僕の目的があっただけだ。さ、そろそろお別れだ。僕はもう逝くよ。最後に一つだけ……その娘にも伝えてくれ。誰かに簡単に真名を明かしてはいけない、と……じゃあ、そろそろ。お休み……』

 

「おう……じゃあな、今度は彼女とのんびり暮らせよ」

 

亡霊は微笑みながら、ゆっくりと消えていった。

悪霊は最後まで、完全に見えなくなるまでそれを見つめていた。

やがて亡霊の姿が消えた頃、空を仰いで呟いた。

 

「オレは上にも下にも行けないだろうからよ……お前ともあのおっさんとも会う事は無いだろうな。……あばよ」

 

そのままメリーを横抱きしながら、神社へと歩を進めていった。

雨はいつの間にか降り止み、穏やかな月の光が道を照らしていた。

 

 

 

ぷかぷかと浮かぶような感覚の中、私、マエリベリー・ハーンは目を覚ました。

ぼんやりとあの鬼との戦いを思い出していた。

不思議と、今この空間においては恐怖が感じられなかった。

もし違う出会い方ならば、あの鬼も改心させられたのでは、と思う程度には心の余裕があった。

次に思い出したのは、あの悪霊の事だった。

緑の髪にチンピラのような風貌、不敵な笑みとあの優しげな笑み。

どれもが同じ彼のもので、そのどれからも憎悪などの負の感情は感じられなかった。

もし元の時代に帰れたなら、彼を蓮子に紹介してみよう。一体どんな反応をするだろうか。

驚く?いや、案外珍しがって質問攻めになるかもしれない。蓮子なら有り得る。

怯える?いや、見た目は兎も角中身はノリのいい男子とさほど変わらない。やや達観しているような所はあるが、精神的には私達とそう遠くない所にいるんだろう。

興味を示さない?あの蓮子に限ってそれはない、断言できる。

歓迎する?……ああ、これが一番ありそうだ。蓮子ならきっと、彼の事も受け入れてくれるんだろう。

ふと気が付くと、蓮子や彼の事ばかり考えている。その事に気がついて、顔が僅かに赤くなるが、誰も見ていないのだしこの際構わない。

そういえば彼の名前をまだ聞いていない。この時代に来てからというもの、この短時間に様々な事があり過ぎて忘れていた。失念していた、まず最初に聞くべき事だろうに。

ここが私の精神世界だろう事はなんとなく分かる。所謂明晰夢に近い状態なのだろう。

ぽつりと、独り言を呟いてみる。

 

「ねぇ、貴方の名前はなんて言うの……?」

 

昔の漫画に出てくるヘルメットの人よろしく“俺の名を言ってみろ”なんて言われたりはしないだろうが、いや、彼の性格ならノリで言ってくれるかもしれない。なんとなくヒャッハーとか似合いそうだし。

届く筈もない呟きとそんな脈絡のない考えに苦笑していると、うっすらと声が聞こえた。

 

「……狭間……」

 

「ハザ、マ……?」

 

驚いた。声が届いたのだろうか?

ハザマ、漢字にすると狭間だろうか。それが彼の名前?

変わった名前だ。自分の名前も、日本人にとっては変わった名前だという事を棚に上げて、そう感じた。

狭間、狭間。うん、なんとなく彼らしいのかもしれない。

そう考えて微笑んでいると、段々眠くなってきた。

夢の中で眠くなるというのもおかしな話だが、夢の中で起こる珍事には慣れている。最も、ただの夢なのかと問われると否だが。

ああ、だめだ、もう眠い。

おやすみ、狭間……

 

 

チュンチュンと鳥のさえずりに目を覚ますと、すっかり日が昇っていた。

確かここに来たのが夕暮れ頃だったから、もう一晩経過してしまったようだ。

辺りを見舞わしていると、狭間が戸を開けて入ってきた。

 

「おっ、起きたか。おはようさん」

 

「おはよう、えーっと……」

 

「あァ、オレは名前忘れたから好きに呼んでいいぜ」

 

ズルっと帽子が頭から滑り落ちた。忘れるってどういう事だ。

何かの後遺症、という訳でもなさそうだし、やはり単純に忘れてしまったのだろう。

好きに呼んでいい、と言うしここはやはりあの夢の中で聞こえた狭間というのがいいだろう。

 

「狭間?あぁ、悪くないんじゃないか?(それって昨日言ってたあの裂け目の呼び方の事だよな……)じゃあ、オレ様はこれから狭間だ。っと、忘れる所だった。メリー、お前もなんか別の名前考えとけ」

 

「名前?」

 

「そう、名前。昨日の亡霊が、真名を誰かに簡単に教えるな、って言ってたんだ。そこらの本を漁って調べたけど理由は分からん。だが、一応何か考えといた方がいいだろう」

 

名前、か。メリーじゃダメなんだろうか。

そう聞くと、“メリー“はあだ名みたいなモンだからそれとは別に作ってくれ、との事だ。もしやあだ名だからと、作った名前ではなくメリーのまま呼び続けるんじゃないだろうか。

彼の方は、狭間というのが本名じゃないからそれでいいらしいが。私はどうしようか。

 

「紫とかでいいんじゃねェの?服が紫だから」

 

「せめてもうちょっと捻って、漢字をそれにするとしてももっと洒落た言い方があるんじゃないかしら?」

 

苗字を決めるとしても、名乗った時に『ああ、服が紫色だから紫なんだな』と思われるのはなんとなく嫌だ。

実を言うと、苗字の方はもう決めているのだが。

 

「苗字なら決めたのだけれど、どうかしら?」

 

「おっ、なんて言うんだ?」

 

興味津々に尋ねてくる狭間。

ふふん、私の発想に驚くがいいわ。

 

「八雲って言うんだけど」

 

「一応聞くが、その由来は?」

 

首を傾げて尋ねる彼に、私は自信満々に語った。

 

「小泉八雲って知っているかしら?」

 

「まぁ、名前ぐらいならな」

 

小泉八雲、ギリシャ出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者、と様々な肩書きを持った人。

彼の出生名はラフカディオ・ハーン。正確にはパトリック・ラフカディオ・ハーンなのだけれどそこは置いといて、重要なのはハーンという部分。

私はマエリベリー・ハーン。彼はラフカディオ・ハーン。同じ性なのだ。私はそこに親近感を覚えた。

小泉八雲、というのは彼の日本国籍上の名前。私が今いるのも、時代が大きく違うとはいえ日本。

まぁ簡単な理由なのだけれど、彼にあやかって八雲という苗字を使おうと思ったのだ。

 

「ほー、いいかもな。んじゃ苗字は八雲で決定か?後は名前だが……」

 

「ま、そっちは追々考えておきましょ。とりあえず決まるまでは今までどおりメリーでいいわ」

 

「おう。で、どうする?天気もいいし、そろそろ行くか?」

 

「そうね、出発しましょう。早く帰らなきゃね」

 

そう言って外へ出ると、穏やかな風が吹いていた。

遠くの空を見上げると、私の心境を表すかのように綺麗な虹が架かっていた。

狭間と並んで歩き出す。蓮子の所へ帰る為に、情報を集めなくてはいけない。そのためには、立って進まなくては。

 

「改めてよろしくね、狭間」

 

「おう、今後ともよろしく、メリー」

 

こうして、私達の長い旅路が始まった。

 

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