伊吹萃香が目覚めると、嗅ぎ慣れた酒の匂いが辺り一帯を漂っていた。胡乱気な瞳のまま昨夜の事を思い返す。確か宴会をやってそのまま酔いつぶれたのだったはず。いつものことだ。そう思って、とりあえず迎え酒と言わんばかりに瓢箪を呷りつつ、顔を洗おうと川のある方に歩き出す。途中に酒樽を抱き抱えて爆睡している親友がいたがこれもいつものことなので特に何もしない。千鳥足で更に歩みを進めると、空間の亀裂から上半身を乗り出した状態で眠りこけている女性を見つけ、そういや狭間と紫が来てたんだっけとおぼろげに思い出す。キョロキョロと辺りを見回したが、どうやら狭間は近くにはいないようだ。まぁいいか、とまた瓢箪をグイっと呷る。
川にやって来て、バシャバシャと大雑把に顔を洗う。ふいー、と気の抜けた息を出すと、自分の息からも酒の匂いがした。もう一杯と何度目かになるが瓢箪を呷る。すると、後ろから呆れたような声が聞こえてきた。
「あんだけ飲んどいてまだ飲み足りねぇのかお前」
「おう狭間、おはよ。昨日は満足したからこれは今日の分」
「鬼が遠ざけられるワケだよなァ……」
呆れながら溜息を吐いたのは狭間だ。どうやら既に起きていたらしい。
正確に言えば、そもそも狭間は睡眠を取っていないのだが。
「で、今度はどこ行くのさ。良い酒あるところ?」
「酒があるかは知らねェよ。だがどうすっかな、さっぱり手掛かりも足掛かりもねェ。困ったもんだ」
手掛かり足掛かりというものの、一体何を探しているのだろうか。そう思った萃香はその疑問をそのまま投げかけてみた。
「あー?あァ……まぁ、ざっくり言うと未来に行く方法だな」
「んー……悪いけど私ゃ心当たりはないねぇ」
「嘘だとは思わねぇのかよ」
意外そうにしている狭間に対し、萃香は溜息を吐いた。酒臭いという文句に良い事だと返し、
「鬼は嘘を吐かない。特に私は嘘ってもんが大嫌いでね、その手の匂いにゃ敏感なのさ。やっぱり正直に正面からぶつかり合わないとね」
「……やっぱ鬼は苦手だわ、オレにゃ眩しすぎる」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
「最初から最後まで褒めてるさ」
「そりゃどうも」
やれやれと頭を振って立ち去ろうと背を向ける狭間。酒が入って少し赤くなった頬を不満げに膨らまし、萃香は呼び止める。
「まだ皆起きてこないんだし、ちょっと一戦やろうや。どうせ目も覚めちゃってるだろう?」
その言葉にげんなりとした表情を作りながら、狭間は立ち止まって振り返る。表情だけではなく気配全体が”めんどくさい”と言外に語っている。露骨に断りたそうとしているそんな狭間の反応には取り合わず、パシパシと両拳を打ち付ける萃香。早朝から元気なこって、と溜息を吐かれても大して気にした様子も見せない。
「オレ様とお前じゃ相性最悪なんだよ。できればもう二度とやり合いたくねぇな」
「相性……ああ、私の密と疎を操る能力と狭間の戦い方?」
「戦い方以前にオレの肉体の構成的にな。ウロボロスも言っちまえばオレ自身だし、テメェ相手だと何もできねェ」
伊吹萃香の持っている密と疎を操る能力というのは、狭間本人が言う通り彼との相性が最悪である。
狭間という個は、狭間の抱く無数の怨念が寄り集まって存在している。彼が扱うウロボロスという武器はその一部なのだ。言い換えれば、その無数の怨念を一箇所に集めてしまうと狭間は肉体が保てないし、ウロボロスを使うこともできない。完全に無力化されてしまうのだ。天敵といってもいいくらいに相性が悪い。
無論、余程特異な能力でもなければそのような芸当は不可能である。しかしそれを可能とできるのがこの子鬼の能力、即ち密と疎を操る能力である。今のところ、狭間が出会った中でそんな真似が出来るのは萃香を含めたった二人だ。
「いいじゃん、紫よりはマシなんだから」
「まぁアイツの能力も大概だからなァ、インチキ能力もいい加減にしろってとこか」
「能力どころか存在自体インチキみたいなもんだよ」
そう言って萃香は快活に笑う。確かに紫の境界を操る能力も凶悪だが、天敵という点で見れば狭間にとって萃香の能力も似たようなものである。大体それを言ったら鬼という種族事態冗談のような力を持っているのだ。狭間はお前が言うなと言いたくなったが自分も人の事言えないと思って黙った。
「とにかくテメェとはやり合わねぇよ。じゃあな」
「まったく、勝てないからって怯えてるのかい?」
挑発するように立ち去ろうとした狭間に向かってつぶやいてみる萃香。ピタリと立ち止まるのを見て、密かにほくそ笑む。が、挑発に乗ってきたらそのまま勝負に持ち込もうという萃香の目論見は外れた。狭間が立ち止まったのは少しの間で、そのままスタスタと歩いて行ってしまった。
「え、ちょっ待ってよ!」
慌てて追いかけると、既に狭間の姿は見えなくなってしまっていた。直ぐ近くにはいるはずだけれどどっちに行ったんだろうと辺りを見回しながら探そうと足を踏み出した瞬間。
「ふぇっ?」
丁度引っ掛けるように置かれた狭間の足につまづき、萃香は派手にすっ転んだ。ズザーッと勢い良く地面を抉った萃香は顔だけを向け、目に見えるか見えない程度の薄い霧からいつもの意地の悪い笑みを浮かべた姿に変わった狭間にジトーっとした視線を向ける。
「クッ、ハハハ!引っ掛かりやがったなバーカ」
「なにすんのさいきなり!喧嘩売ってるのか!?」
「先に売ってきたのはテメェだろーが」
高笑いしながら悠々と去っていく狭間。萃香は地面に寝転んだままそれを眺め、拗ねたように口を尖らせていた。その小さな身体に似合った子供のような拗ね方である。
「ちょっとくらいいいじゃんかよー」
そう文句を垂れていると、狭間が盃を手に戻ってきた。どうかしたのか、と声をかけると
「喧嘩は面倒だが、こっちでなら勝負してやる。それとも負けるのは怖いか?」
「そりゃこっちの台詞さ。昨日どっちが先に倒れたか忘れたか?」
「先に倒れたのは紫だったな」
そう言いながら酒を盃に注いでいく。その間に萃香は身体を起こして胡座をかいていた。
「それはそうとさっきの話だが」
「ん?」
「何もできねぇとは言ったが勝てないとは言ってねェ。そもそも負ける気なんざハナっからねェよ」
「あー……頭ガンガンする。飲み過ぎたわねぇ……」
二日酔いで酷く痛む頭を抑えながら起き上がる。辺りには既に目を覚ましている鬼や、まだいびきをかいている者など様々だ。勇儀も既に起きて、迎え酒と言わんばかりにまた飲んでいる。これからは鬼と酒を飲むのは極力避けよう、そう心に決めた……けど、またこうなるんだろうなぁ。
ズルリと隙間から這い出て川の方へ歩く。顔を洗えば少しはマシになるだろうか。
歩いていると、地面に寝転がったまま盃を傾けている萃香といつもの緑色のツンツン髪が目立つ狭間が目に入った。また酒の飲み比べ?よくそんなに飲めるわねぇ……
「おはよう、二人共」
「おう、おはようさん。大分キツそうだな、二日酔いか?」
「おはよう紫。紫も飲むかい?」
「勘弁してよ……まったく、あんだけ飲んでおいてまだ飲み足りないの?ほどほどにしないと身体壊すわよ」
「私は昔っからこんな調子だよ」
「壊れる身体はもうねェな」
呆れたものだ。
とりあえず先に顔を洗ってこよう。そう思って、川に行くと伝えてまた歩き出す。程なくしてたどり着き、心地よい冷たさの水を感じながらパシャパシャと顔を洗う。隙間から布を取り出して顔を拭き、水面に映る自分の顔を見て髪を整える。
櫛を髪に通していると、誰かが近づいてくるのを感じた。振り向くと狭間が歩いてくるところだったので少し急いで身支度を整える。丁度終わった辺りで狭間が到着すると同時、次の目的地が決まったと伝えられた。
「都?」
「ああ、都だ。時間渡航の方法なんざ萃香も知らないってーし、勇儀は萃香と違ってそういう術はサッパリなんだそうでな。都に行って、ある人物に会う」
「ある人物?」
「ああ、お前も名前くらいは聞いた事あるぜ」
首をかしげて考える。私が名前を知っていると断言するには、高名な呪術師か何かだろうか。しかし、ただの人間や妖怪に時間を超えるような方法を知っている者がいるとは思えない。そもそも都にいるある人物と言われても心当たりはない。大体何をそんなに勿体ぶった言い方をしているのか。そう思ってその人物の名前を聞いてみる事にした。
「聞いて驚け、なんとあのかぐや姫だ」
「かぐや姫って、あの五つの難題の?実在してたって事かしら」
「同姓同名の別人かどうかは置いとくにしろ、会ってみる価値はあると思うぜ」
かぐや姫、確かに私達の時代でも物語として有名ではある。いつぞやには彼女を題材にした映画もあったはずだし、五つの難題は後世にまで語り継がれる程有名な逸話だ。竹取物語は子供から大人まで広く読まれている、知らない者は殆どいないとすら言えるだろう物語だ。
しかし、だからといって会ってみる価値があるとは思えないのだが。それを口にしようとした時、その竹取物語のラストシーン辺りを思い出した。確か、私の記憶があっていれば(何分数百年も前に読んだっきりだからそれ程覚えていないのだ)かぐや姫は月の住人で、最後は帝に不老不死の薬を残して月に帰っていったとか。
着目するべきは、月の住人であるというところだ。地上の人や妖怪とは一線を画す、月の住人。最低でも不老不死の薬が作れる程度の技術があり、月と地球を行き来する手段もある筈。成程、これは確かに地上の者が知らない事でも知っている可能性はある。
「成程ね、そういう事なら私に異論はないわ。でも、時期は大丈夫なの?」
「時期?あー……そういや皇子が求婚してるとか聞いたな。って事は、あの物語通りなら五つの難題出されてる辺りか?全員が失敗した後に帝とどーこーだっけか。クソ、あんまり覚えてねェな。何しろ4桁は昔のことだからな」
「皇子達全員が失敗した後にどのくらい経ってから帝と文のやり取りをするようになるか、っていうのがねぇ……そういえば竹取物語って学校で習った?」
「高校の古文かその辺で習ったような覚えはあるな。けどオレ、授業は基本的に寝てたんだよなァ。こんな所で弊害が出るとは」
「まぁ、気持ちは分からないでもないけれど。そんな授業態度で進級できたの?」
「多分……いや、その前に死んだっけか。どうにもあやふやだな」
「……なんだか、こうやってあの時代の事を話すのも久しぶりな気がするわ」
「……そうだなァ」
普段狭間は私に気を遣ってか、こういう説明くらいでしか私達がいた頃の事を話題に出さない。しかし、それは必然的に未来の事を話さないという事になる。気を遣ってくれるのは嬉しいのだがそれはそれで少し寂しいという複雑な思いもあるのだ。
とはいえ、悪い気がする訳ではない。空気を変えるように咳払いをし、そろそろ行こうと促す。そうだな、と狭間も頷き鬼達の方に向かって歩き出した。
「因みに数学はどんな感じだったかしら?」
「……聞くな」
勇儀達に都へ行く旨を告げると、今度は別れの前にもう一度宴会をしようと言い出した。流石にこれ以上飲むのは勘弁したいので丁寧に辞退し、水や食料を補給してから出発することにした。名残惜しそうにしている鬼達も沢山いたが、いつまでも留まる訳にもいかないのだ。私達にだって旅の目的がある。
実際付き合ってみると鬼の気の良さが分かるけれど、同時に厄介さも見えてくる。これじゃあ人間は付き合いづらいなんてものじゃあないでしょうね。まぁ私は大妖怪な訳だからそれ程問題はないのだけれど……
「せめてもう二、三日ゆっくりしていきゃあいいのに。お前さん達なら大歓迎だよ」
「気持ちだけ受け取っておくわ。私達にも目的というものがあるのよ」
「それじゃあ無理に引き留めるのも悪いか……よし、出発の前に景気付けに」
「お酒はもういいから」
勇儀も萃香も悪い子じゃあないんだけどなんていうか。気のいい奴らなのは兎も角事ある毎に酒が出るのはどうにかならないものかしら。二言目には酒って……。酒と喧嘩は鬼の華らしいけど、付き合わされる方はたまったもんじゃあない。
そうこうしながら着々と準備を整え、昼を少し過ぎた頃にまずは麓まで行く事にした。鬼を代表してということで途中までは萃香が見送りに来てくれた。他の鬼達も手を大きく振っていたり、また来いよと叫んでいたり。ちょっとだけ後ろ髪引かれるような思いだけど立つ鳥跡を濁さずというし、切り替えて行きましょうか。
「そんじゃあ、二人共。またいつか飲み比べしようや」
「その時はのんびり飲みたいのだけれど」
「オレ様はいいとして、紫はそれほど飲める訳じゃねェからなァ」
あなた達が大酒飲みなだけで私は飲めない訳じゃあないんだけど。そうだ、今度来た時はワインでも持ってこようかしら。って今の時代にはまだないかしら?葡萄があれば作れるかもしれないけど製法は流石に覚えていない。飲んだ事のないような酒を飲ませて驚かせてみたいものね。でもワインだと少し物足りないかもしれない。なにせ文字通り浴びるように酒を飲む連中だから、質より量を取るかもしれない。ううむ、あっと驚くようなものはないかしら……鬼殺しとか、そんな感じのお酒。
そう悪巧みしながら会話しているうちに出発することとなった。一晩だけなのに随分濃く感じる時間だったわね。
「じゃあねー!また来いよー!今度は三日三晩くらい宴会しようやー!」
「やめろォ!」
というようなやり取りをしている頃。
雨がしとしとと降るとある神社に、一匹の妖怪が潜んでいた。その妖怪は付喪神であり、人に害をなす類の妖怪である。有り体に言えば退治屋が狙うような妖怪だ。
その妖怪は、いつぞやに狭間達が幽香と共に蹴散らした付喪神の妖怪の群れの生き残りであった。紫が踏み潰した鏡の付喪神を持っていた人形、彼自身も独立した一匹の付喪神だったのだ。鏡のみが喋っていた為に女郎蜘蛛や幽香ですらその事には気がつかなかった。故に残党退治にやってきた一団からもいち早く逃れえたのだ。
とはいえ這々の体で逃げ出した上に、ここまでの道中でも他の妖怪や飢えた獣にも襲われた身。手頃な人の子でも喰らって傷を癒したいと考えていた。スキマ妖怪の記憶を見たのは鏡の方のみであるため、どうにかやってこれたこの場所がある意味では狭間という悪霊と紫という妖怪の始まりの地である事は知らずに。
醜悪な口を開きさえしなければ、見た目はただの人形である。妖気も隠せばバレはしない。雨宿りをしている幼い少女を見ながら彼はそう考えた。いつかの蛇野郎に似た緑の髪を見ながら、さぞ柔らかい歯応えだろうとタイミングを見計らいつつ舌なめずりをする。隙を見せたらすぐにでも飛びかかってやろうというのだろう。物憂いげに手に持った杖を弄んでいる様を見ていると今にも食らってやりたくなる。今か今かとじっくりとタイミングを見計らっている。
暫く様子を見ていると、少女がふと顔を上げた。視線の先には唐傘を差して歩いてくる人影。少女の親か何かだろうか。少女の顔もぱあっと明るくなり、小さく手を振っている。
この隙は逃さんとばかりに、付喪神が背後から首筋を狙って飛びかかった。こいつの親の前で食らってやって、その後親の方も食らってやろう。飛びかかりながらその光景を夢想し、口の端から涎が溢れたと同時、少女が振り返る。もう遅い、せめて美味しく頂いてやると付喪神が大口を開けた。
「えいっ」
「クギュッ」
そうして大口を開けた状態の馬鹿面を、少女が持っていた杖を思い切り振りかぶって横向きに叩きつけた。鞠を思い切り棒で殴ったらこんな感じに飛ぶだろうな、というような吹き飛び方で付喪神は神社の壁に勢い良く叩きつけられる。ぐらりと視界が揺れ、床に崩れ落ちる。
「お腹が減っていたのかもしれないけれど」
激痛が走る顔を抑えながらどうにか上を向くと、よく見ると先端が三日月状になっている杖を高く掲げた少女が立っていて。
「私を狙うなんて運が悪かったと思って諦めてちょうだいな」
勢い良く杖が振り下ろされ、ただの人形だった頃の名残である部品が辺りに飛び散った。
「やっぱり、狭間やコンガラ様が言ってた通りだ。私でもちゃんと力の使い方を覚えれば妖怪相手でもちゃんとやれる。少し魔力込めて振るっただけでもこの威力、流石私……なんちゃって」
「前にも聞いたが、その狭間という霊はそんなに強いのか?」
「私が会った時には辺りの強い妖怪全部倒しちゃったって言ってた。私を追い掛け回してた連中でも軽くひとひねりにできるような事言ってたし……うん、今なら分かるけどあの人は本当に強いんだと思う」
「私とどっちが強いと思う?」
「さぁ。まだそこまでは分かんないや」
「そうか」
唐傘を差していた男にも女にも見える者が、緑髪の少女を優しく撫でていた。唐傘の者の額からは真紅の角が一本生えており、狭間が見たら星熊勇儀を想起するであろう一本角だった。星はついていないが。
角の者に目を向けると、そこにあるべきはずの足はなく、霧のような不可思議なモノがあった。歩くのには不便はないようで、事実先程やって来た時も平然と移動していた。足がないのに歩くと言うかどうかは置いておく。腰には一本の刀を差しており、剣士であることを伺わせる。
緑の髪の少女は足があるが、本来ならそこに足はない。彼女も狭間と同じく霊であり、その身体は本来とうに朽ち果てているものだ。それを意志の力で創り出し、仮の器のようにして扱っている。
「コンガラ様が強いのは知ってるけど、本気出した所は見た事ないもの」
「まぁこの辺りの魑魅魍魎相手ならわざわざ全力を振るうまでもないさ。お前を守る時は別だがな」
そう言ってコンガラと呼ばれた者が微笑むと、少女は照れたように笑う。少し赤みが差した頬を少し膨らませ、
「私だって自分の身くらい自分で守れるもん。さっきだって見たでしょ?後ろから襲ってきた奴をえいっとやっつけたの」
「確かに見たが……あのくらいの小物を仕留めていい気になるようではまだまだといったところかなぁ。振りは悪くなかったが、少々隙も大きかった」
「むー」
苦笑しながら少女の慢心を諌めるように語り、優しく頬を撫でる。心地よさげに少女が目を細める。反応速度は中々良かった、と続けるとそうでしょう?と自慢げになる。慢心は良くないと口から出掛かったが、少女の嬉しそうな笑顔に思わず引っ込んでしまったようだ。
こうして一見しただけでも彼女達がまるで親子のような関係を持っているのが分かる。
方や幽霊、方や本来ならば地獄に勤めている者。普通ならば追って追われての関係であるはずなのに、いやはやこれは珍しい。本来の関係を知ればそういった思いを抱くだろう。
だから私も問いかけたい。何故そんなに楽しそうに笑い合えるんだ?とね。口には出さないが。
「……私の後ろへ」
「え?どうしたの?」
コンガラが私に対して警戒を顕にする。当然だろう。まだ私に気づいていない少女はキョトンとしている。どうしたのかと首を傾げる様はついさっき一匹の妖怪を文字通り叩き潰したとは思えないくらいあどけなかった。
さっきからずっとすぐ横に立っていたのだけれどね。時間がかかったとしても私に気づいた事は評価に値するが。
「誰だ貴様は、一体いつからそこにいた?」
「強いて言えばその娘が雨宿りをしていた辺りからかな。さっきのスイングは正にホームラン級だったね」
「……ほーむらん?なんだそれは」
「ああ、気にしなくていいよ。どうせまだ野球ないだろうから。あ、作ればあるかな?それで、私が誰かって?」
雨はまだ降り続いている。だというのに全く濡れていない私を親の敵でも見るかのように睨みつけるコンガラ。おお怖い怖い、片手に傘を持ってもう片方の手で少女を庇うように立っていて、とても刀なんて抜いてられないだろうに。それとも居合の心得でもあるのかな?いや、そもそも刀を持てなければ意味はないか。
「当ててごらん、と言ってみようか」
「貴様なぞ知らん」
「あらそう。そうだろうね、知ってる筈ないし知ってたとしても呼べはしない」
「コンガラ様、一体誰と喋ってるの?」
「私の傍を離れるな、コイツは得体が知れないなんてものではない……まるで理解する事を拒否しているかのように正体がつかめない」
「おや、分からないなら分からないなりに考えてるんだね。そのまま理解しないでいたまえ、その方が身の為だ」
嘲笑うようにそう言ってやると、コンガラの額に青筋が浮かんだ。が、怒りのままに斬りかかってこない辺り精神はしっかりしているようだ。それはそれとして少女にはまだ私は見えていないようだ。今後に期待と言ったところかな?どうせ彼女は未来ではああなっているんだしね。
「そもそも私を斬れたとしても私に被害はないからね。無駄な事はやめておこうか」
「無駄かどうかは斬れば分かる」
「人斬りみたいな発想だねそれ。そもそも斬れないからね?私は今ここにいるけどここにいないんだから」
「式か何か……いや、お前のような存在がそんな訳はないか。いたとしたらそれはそれは恐ろしい存在だろうな」
「いやー当たらずとも遠からずってやつだね。式ではないけど使いではあるから。従うとは言ってないけど。あ、アイツに関しては警戒しなくてもいいよ、ボケてるから」
こんな得体の知れない奴を使いとして扱うような奴がいるのか、それは一体どんな輩なんだ。ボケてるのはお前の方じゃないのか、そんな感じの事を言いたげな眼で睨まれる。眼光だけで人を殺せそうな眼だけど、生憎とこの私は人を殺せる程度じゃ殺せない。僕を殺せたとして私を殺せるとは限らない。
「分かりやすいように話してあげてはいるけれども私の正体は分かったかな?正解者には特に何もないが」
「知らぬ存じぬ。そもそもなんなんだ貴様は、黒いのは分かるが男か女かどころか人の形をしているかすら定かではないではないか。妖怪か、それとも神か悪霊の類か?」
「これでも認識阻害をしているからね、それが分かるだけでも大したものだよ。現にその娘はまだ私が見えていないし声が聞こえてもいない」
娘に目を向けると、コンガラが誰と話しているのか確かめようと辺りを見回している。こっちだよこっち、私はこっちだ。少なくとも害意を持った相手だというのは分かるようで、不安げに揺れる瞳ではなくしっかりとした意思を持った強い瞳で辺りをキョロキョロ、実に健気で中々に可愛らしい。
だが生憎と私は彼らに害を成す気はないのだけれど。今だって少しちょっかいをかけている程度であって。
「まぁアレだね、なんだかんだと聞かれたら答えてあげるが世の情けって言うじゃないか」
「いちいち変わった言い回しをする、狂言師か何かか?」
「それも当たらずとも遠からず。だって私はそういうものだから。強いて言えばそう、私は黒幕、元凶、ラスボス、世界の敵。どれがお好み?今なら追加で支配者や黒髪などの属性もつけてあげよう」
「……さっきとは別の意味で理解を拒否したくなってくるよ。会話が通じているようで通じていない気がする」
「会話のドッジボールってヤツだね、よくある話だ。そもそも君は彼と面識がないから解る筈もないけれど」
そう笑いながら言うと、コンガラは辟易としたような渋面を浮かべる。
理解出来ないというならば理解しなくてもいいのだよ?人は自分と違う物を理解しようとしない、君は人ではないけれど。そういえば仏なのか鬼なのかどっちだろう、どっちでもいいけど。
「それと本来私はここにはいないしここでは出ない筈なんだけどね。そういう運命だったからついつい」
「……もういい、どこかへ行け。貴様と言葉を交わそうとした私が馬鹿だった」
疲れたと言いたげにコンガラがげんなりとする。若い者がだらしない、年知らないけどね。でも少なくとも私よりは下だろう。いや、上かもしれない。
もうちょっとからかってもいいけれど私は私でこっちを見て回るという壮大な暇つぶしもあることだし去るとしようか。
「まぁ今君に与えられる情報は特にないからこのまま去るとするよ。私について知りたければネットという文明の利器を使い給え。多分あと千年以上しないと作られないだろうけど」
「……」
おや、耳をふさいでしまった。そんなに聞きたくない?傷つくなぁ。
ま、いいさ。じゃあねーっと。
「……行ったか?」
「コンガラ様、一体なんだったの?」
「ああ、いや……得体の知れないおかしな奴がいただけだ。もういないようだし、私達も帰ろう。キクリが待っているよ」
「あ、そうだった!雨も降ってるし早く行こ、私お腹すいちゃった」
「はは……(……はぁ、疲れた。なんだったんだアイツは……)」
実はまだいるけどね!
認識阻害強めただけだからコンガラにも見えなくなっただけでまだここにいる。とはいえ、つらつらと独り言喋っててもつまらないのは事実。聞く相手がいなくっちゃあふざけた言い回しも虚しいだけだからね。だからそう、これは私自身に向かって話しているのだ。一人語りという事だ……ちょっと違う?
この時代では私の事を知っているような存在もそうそういないだろうからのんびり旅行と洒落込めるけど、ただ彼らの後を付けて回るというのも面白みがない。流石にこのタイミングで連中が出たりはしないだろうけど、海の向こうへ渡る時くらいは用心しようかな。そう思って時々こうしてあちこちに出向いているけどやはり向こうとは科学レベルが比べようもないね。魔法などの異能はこの時代割りと盛んだけども、科学が発達するにつれてそういった技術は廃れ、幻想へ、か。物悲しいねぇ。諸行無常ってか。
とはいえそういった時代変化の背景には私が絡んでいる可能性もあるし、或いは彼または彼女がって事も有りうる。私は元凶で黒幕だけど何でもかんでも知ってる訳でもなければ全知全能なんて子供みたいな事を言う訳でもない。こうして私の独白を見て理解できる者がいればできない者がいるようにできることなんてそれによって違うんだから。故に私がこの先どうなるかを知らないのは当然、しかし運命を知るのは必然。更に言えば私の独白を理解できる私がいれば理解できない僕もいる。私に関しては自然と不自然が両立する。そういう存在だと再認識する。
まあ理解させる気があるのかと問われれば笑いを返す事は約束できるが。そも私は主人公ではないのだから云々。
ああ、退屈だ。この後どうしようかな。