「はい、帽子。こんな感じでいいの?」
「おー、バッチリバッチリ。まさにこんな感じのが望ましかったんだ、助かるぜ」
「それはいいけど、その黒コートに黒い帽子で黒づくめ……結構怪しい風貌になってるわよ?」
「そんなの元々じゃねェか。姫さんに信じさせる為に多少の現実味を持たせないとな。いきなり未来から飛ばされた、なんて言って簡単に信じられるもんでもねェだろうからなァ。まずは気を惹くところからだ」
都の宿で、狭間と紫がそんな事を話していた。件のかぐや姫に会う事自体はできるらしいが、求婚する者が後を絶たない為に事前に要件を伝えなければならないらしい。そう言われては仕方なく、姫になんとしてもお尋ねしたい事があるとどうにか会話の機会を作ったのだ。以前は姫を一目見ようと昼夜問わず家の周りを彷徨いたり、酷い者では垣根に穴を開けてまで家を覗き込む有様だったとか。最近はそういった興味本位な有象無象は来ないらしいが、心底迷惑していたのだろう。狭間達にとってもいい迷惑であるが。まずはそこで姫の興味を惹かねば碌に尋ねる事もできないだろう。かといって警戒或いは危険視されるようでは本末転倒、そうなっては協力を得るのは難しい。その警戒と興味のバランスが問題だった。
「多少怪しくてもいいんだ。重要なのは姫さんの興味を惹く事だからな、有象無象と同じに扱われないようにほんの少しのエッセンスが必要だ」
「エッセンスはあくまでも香り付けの為であってそれが主体じゃないわよ?」
「そこまで言うならお前が行くか?」
「お願い」
語尾に音符やハートでも付いていそうな調子で首を傾げる紫。軽くため息を吐くと、狭間は先程手渡された黒い帽子を被る。ちなみに紫のお手製である。
「あー、あー……さて、こんな感じでどうです?上手く猫被れてますかね?」
「うわ、胡散臭っ」
「貴女も同じくらい胡散臭いと思うのですがねぇ?」
眼を薄く開いてじとっとした眼で紫を睨め付ける狭間。普段の粗野な口調は鳴りを潜めて、しっかりと猫を被っている。声も文字通りの猫なで声と言った調子だ。流石に姫に会いに行こうというのに普段の口調では色々問題だろうという紫の提案によるものだが、胡散臭さという点では紫もどっこいどっこいだ。
昔はもっと純朴な少女だったのに、と呟きつつわざとらしく肩をすくめる。扇子が顔に飛んできた。
「ほら、そろそろ行ってきたら?私はその間あちこち巡ってくるから」
「はいはい、行って来ますよ」
隙間から傘を取り出しつつ、速く行けと手をぴらぴらと振る。まぁ、成長してると思えばいいかと考え、宿を出て件のかぐや姫のところへと歩を進めた。
「いやはやしかし……姫と呼ばれているから大きなお屋敷を想像していましたがそうでもないのですね」
「輝夜と婆さんと三人で暮らしておりますから。無闇に大きくしても隅々まで使えませんわい。家を大きく立派にするよりも、婆さんに楽をさせて輝夜を楽しませてあげたいのですよ」
「なるほどなるほど、いやぁ姫は幸せ者だ。こんな心優しい人が育ててくれたなら、それだけで幸福というもの」
姫の住んでいる家までやって来た狭間は、竹取の翁と庭で話をしていた。翁がどんな人となりであるかを調べると同時に、姫に対する感情を知りたいと狭間は考えていた。竹取物語の通りならば悪人ではないだろうし、姫の事も大事に思っている筈だろう。幸い、翁は思った通りの善人であった。竹から見つけた金は殆どが姫の為、或いは家内の媼に楽をさせる為に使われているようだ。これならそう警戒する必要はないな、と考えながら会話を続ける。
「では、輝夜に伝えてきますので暫しお待ちを」
そう言って翁は部屋に入り、すぐに出てきた。
「お待たせいたした、部屋へどうぞ。くれぐれも無体を働かぬよう」
「勿論。学はない身ですがその程度の礼は心得ていますよ」
部屋に入ると、長い黒髪の女性が座っていた。なるほど、確かに美しい。これは大勢の男が心を惑わされるのも無理はないなと感じる。しかし、狭間は毎日姫と比べても遜色ない(こんな事を考えるのは双方に至極失礼ではあろうが)女性と共に過ごしているのだ。言ってしまえば男を惑わせる蠱惑的な美貌には慣れていた。そもそも狭間は霊となった時からそういった欲望は消え失せていた。代わりに別の欲が強いが。
狭間は慇懃にお辞儀をすると、帽子を取って挨拶をした。いつもの刺々しい髪が、今はどういう理屈なのかペタンと滑らかな見た目になっていた。
「どうも初めまして、私、退治屋の真似事をしている狭間です。渾名は、えーと……蛇、だったかな?」
「初めまして、お会いできて光栄ですわ。此度はどういったご要件で?」
姫は単刀直入に切り出してきた。翁は部屋の入り口から様子を伺っている。これは怪しまれたかな、と思いつつ要件を伝える。
「実は姫、貴女の知恵をお貸しいただきたい……いえ、少し違いますね。貴女が、私が求める情報を持っていないか……伺いに来ました」
「……情報?それはどういったものでしょうか。私はここからあまり出歩かないもので、貴方が望むようなものが得られるとは思えませんが」
「いやいやごもっとも。いいんですよ、それでも。私が聞きたいのは貴女が……おっと、これは失礼」
月に居た頃の話、と言おうとして翁の存在を思い出す。流石にこの段階でそれを知らせるのはまずかろう。翁が取り乱しかねないし、何故知っているのかと警戒される。
「んー……そうですねぇ、例えばの話……月ってありますよねぇ」
「ええ、それが?」
月と口に出した瞬間、表に出ない程度ではあるが、姫に動揺の色があった。表に出なくとも、感情に敏い狭間にとってそれは容易く感じ取れた。釣り針に引っかかったのを確信しながら言葉を続ける。
「月の民なら、色んな技術があるんでしょうねぇ。例えばエネルギーを増幅させる宝石とか、物体を素粒子にする道具とか」
そこで言葉を切り、口の端を歪めながら呟く。
「不老不死の薬、とか」
「貴方――」
「まぁどうでもいいですけどね、不老不死なんて。今更そんなもの手に入れたって髪の毛一本程の価値すらない」
上手くかかってくれたな、と内心笑みを浮かべながら狭間は続ける。
「私が欲しいのはね、姫。未来に帰る方法ですよ」
「未来に、帰る……?」
「ええ、未来に。それに比べたら不老不死なんて天と地以上の差ですよ」
「まるで未来から来たかのような言い方ね?」
「ええ、だってそうですから」
そうおどけて言うと、姫は何事か考え込んでいる様子だった。かぐや姫が不老不死の薬を帝と翁に残したという逸話は有名だ。例え今持っていないとしても、それを手に入れる事が出来たから残せたのだ。不老不死の妙薬を残された帝と翁が千年先で生きていないのは薬を飲まなかったからだろう。確かに、大事に想っていた人がいなくなって尚永く生きる事に一体どれほどの価値があるのかと考えれば理解はできる。既に生きていない狭間にしてみれば、存在する限り看取り続ける立場である狭間にとっては、それは恐らく死ぬ事よりも辛いだろうと感じる。
人間の技術では千年経っても不老不死の妙薬は作られていない。人間が作れない物を作れたなら、それは人外の技術の証明。姫自身がそれを会得していなくとも、会得している者が知り合いにいるということになる。先程の反応を見る限りでは少なくとも不老不死の妙薬についての知識はあると見受けられる。後は彼女の出方を見るだけだ。
少しすると、姫は毅然と狭間を見据えた。どうやら興味を惹く事はできたようだ。
「……未来から来たなら、私がどうなるかも知っているの?」
「ええ、かぐや姫といえば千年先でも有名なお話ですから。ただ……」
「……言わなくてもいいわ。結末は、少なくともこの場では話しづらいのね?ちょっと待っていて」
そう言って姫が翁の方に歩み寄ると、微笑みながら言った。
「お爺様、私は大丈夫だからそんなに近くで見てなくてもいいのよ?」
「しかし輝夜、万が一お前に何かあったらわしゃあ……」
「何かされそうになったら思いっきり叫ぶわ。騒ぎに気づけば近くの人も助けてくれる筈」
「あのー、私そんなに信用ないですか?」
「……分かった。お前がそう言うならわしは離れているよ。いいか、何かあったらすぐに助けを呼ぶんだぞ」
「ええ、勿論」
「無視ですか」
そんなに怪しいかなぁ、と自分の服装を鑑みる狭間。全身黒づくめにこの地では見慣れぬ服装に面妖な緑髪。何を考えているか分からない軽薄な態度、おまけに自称未来人。怪しくないはずがない。数え役満だ。
「お待たせ。それで、そのお話の最後は私が月に帰る事にでもなっているのかしら?」
「ええ、まあ。月から使者がやって来て、不老不死の妙薬を残して羽衣で月に帰る……という感じだったかと。何分最後に読んだのが数百年以上も前なものであやふやですが」
「それで充分よ。ただ、不老不死の薬ねぇ……そのお話では私が作ったのかしら?」
「さぁ、そこまでは。ただ、その薬を渡された人は姫がいないのに永く生きてもしょうがないと言って飲まなかったそうですが」
「……そうよね。人の命は短いから、生きてさえいてくれればまた会えるかもと思ったけど……考えが甘かったのかしら」
そう呟いて悲しげに目を伏せる姫。これはマズったかなと内心冷や汗をかく狭間。
「生きてさえいれば、ですか。死んでても会う時は会いますよ。私みたいに」
「何を…………ああ、今の今まで気付かなかったわ。貴方、霊……それも悪霊と呼ばれる類の者だったのね」
「おや、流石に月の民ともなれば気づきますか。とはいえ少々遅くはないですか?今更という感じがしますよ」
「穢れが希薄にも感じるし、途轍もない穢れにも感じるのよ、貴方は。いえ、穢れというよりこう言った方が相応しいわね」
穢れ、という聞き慣れない言葉に眉を顰めたのも束の間、姫の口から若干の畏怖と困惑を孕んだ言葉が絞り出すように吐き出された。
「まるで蛙を飲み込まんとする大蛇の顎のような――死そのものとも言うべき存在」
「……」
「殆どの月人が忘れている、死という事象そのもの、或いはそれに伴う原初の恐怖……少なくとも、私から見た貴方はそんな存在よ」
眉を顰めたまま何も言わない狭間を見て、機嫌を損ねたと思ったのかゆっくりと首を横に振って言った。
「気を悪くしたなら謝るわ。けれど聞かせて、これだけは。貴方は未来に帰って何をしようというの?復讐?それとも……」
「復讐なんぞに興味はありませんよ。私が悪霊になったのは今より前の時代に飛ばされてからですから。ま、陰陽師連中は大嫌いですがね」
「なら、何をしようというの?」
そこで狭間は糸のように細くしていた眼を少しだけ開き、外に眼を向けた。鳥の囀りが響き、心地よい風が頬を撫でる。草木の葉が擦れあう音が耳に心地良い。煩わしい人間の声は勿論、人間として暮らしていた頃は嫌でも聞こえていた車や機械の音もここでは聴こえず、穏やかな時を過ごせる。あの頃はこんなのは滅多に味わえなかったな、と呟いてから姫に視線を戻す。
「私はね、かぐや姫。正直言えば私自身の事はそれ程未練があるわけではないんですよ。ただ、受けた恩は返すし、友人の助けにはなりたいとは思う。恩を仇で返す趣味はないし、何よりそうでなきゃあ在る意味がないんですよ」
「続けて」
「どうも。私の目的、それはたった一つだけ。私と同じように未来から飛ばされた友人……彼女を友人の所に帰してやりたい。それだけです」
「……嘘はないようね」
「どうでしょうね、本当という証拠はありませんよ?」
「茶化さなくてもいいのよ。これでもそれなりに生きてきた身、貴方は悪人かもしれないけど自分には正直な人ね。さっきから見ていても騙そうという意思は見えなかったし……そうね、七割くらいは信用してもいいかもしれない」
「充分です。それで、何か知りませんか?」
「……ごめんなさい、記憶を探ってみたけど分からないわ。少なくとも、私は知らない。知っているかもしれない人に心当たりはあるけれども彼女を頼る事は出来ないわ」
「ほう、そりゃまた何故」
「月ではね、不老不死の薬……蓬莱の薬を飲むのは重罪なのよ。私が知る限り飲んだ者は私を含めて三人。一人は今も月に幽閉されていて、私は罰として地上に堕とされた。残りの一人が罰せられないのは月に取って欠かせない人物だから。つまり、今の私は犯罪者。心当たりの彼女は月の頭脳とまで言われるくらい月にとって欠かせない重要な人材。ね、頼れないでしょ?」
「成程、それは頼れませんね。しかし月も面倒なものですね、たかだか不老不死が罪とは。って、貴女も不老不死なんですか。竹から見つかった時は赤子だったという記述があったような……単に身体を小さくされてただけとか?」
「その辺は私も分からないけれど…………蓬莱の薬は飲むだけで穢れてしまうから、穢れを厭う月人には重罪なのよ。不死の誘惑に負けたということでね。月の民に寿命は無縁だけど、死は無縁ではないもの」
「では貴女は?」
「私は違うわ。飲めば罰を受けるのは分かりきっていた。けれど不死なら処刑しようがないでしょう?月人は地上を文字通り見下しているから、地上に落とす事が極刑なの。それを利用すれば、以前から興味のあったこの地上に来れると思ったから。目論見は成功したわ。お爺様達は良い人だし、来てよかったと思ってる。けれど、この生活の中に一つの懸念事項があったの」
そこで深呼吸をすると、姫は狭間をまっすぐ見据えた。
「いずれ月から迎えが来たら……ううん、そうでなくとも瞬きの間にこの幸せな時間が終わるんじゃないかって。私と違って、お爺様達はずっと生きられる訳じゃない。いつまでも一緒にいることはできない。……生物が死ぬのは自然な事だから、仕方ないのかもしれない。それでも、最後まで一緒にいたいと、そう思っていた」
「せめてその生の終わる時まで、ですか。姫というから世間知らずな箱入り娘というのを想像してましたが……なかなかどうして、達観してますねぇ」
「貴方は私が月の民だって知っていたのでしょう?これでも貴方が死んでから過ごした時間とは比べ物にならないくらい生きてるのよ?……話を戻すわね。さっきの貴方の話で、月から迎えが来るのは確定したようなもの。逆に言えば、それさえどうにかできれば私は地上に残れる可能性が出てくるわ」
「いやはや、逞しい事で。ですがどうするおつもりで?伝承を見る限りでは羽衣を纏わされた時点でアウトだったようにも感じますし、それ以前に地上のものでは月のものに太刀打ちできないというような描写もありましたが」
「羽衣……?確かに地上と月を行き来するための羽衣はあったけれど、あくまで移動用の道具に過ぎなかったと思うけど……対抗手段についてはアテがあるわ」
「……まさか私とか言いませんよね」
呆れたように呟く狭間に、姫はにっこりと笑って言った。
「そのまさかよ」
ここに来る前の紫との会話で、語尾に音符やハートでもついていそうだと思ったが目の前の見目麗しき姫も同じ調子で狭間に”お願い”をしてきた。そんな気はしてましたよ、とため息を吐く狭間。女ってのは厄介だな、と思いつつ。
「誤解の無いように言っておくけど、地上のものが太刀打ちできないというのはあくまで力量や技術の問題であって、絶対に敵わない訳じゃないわ。事実、かつて月はたった一人の存在によって幾度も危機に晒された。……実際の標的は月の都じゃなかったけど」
「実際そうした者がいるっていうならいいんですが。絶対勝てないけど戦えとか、そんな依頼だったらいくらなんでもお断りですよ。で、その月を襲撃したのって本当に一人なんですか?協力者がいたとかでなく?」
「ええ、一人よ。割りと単純な性格……いえ、性質だったから罠にかけるのは容易かったそうだけれども、それでも尚月の驚異となるだけの存在だそうよ。様々な分野で高い技術を持つ月の民でも、その中でも桁外れの天才である月の頭脳をもってしても、完全に滅する事を断念するくらい。なんでも自分の憎しみだけで存在している神霊だとか」
「自分の憎しみだけで……」
狭間は思った。その神霊とやらは、少しだけ自分に似ていると。妖怪が人間からの恐怖などの感情で、霊の場合は欲や強すぎる想いによって、そして狭間が憎悪と悪意で存在を現世に定着させ形作っているのと同じように、その神霊も憎しみだけで存在を自己完結させているのだろう。憎しみはある意味では純粋な憎悪とも言える。存在の在り方としては狭間と非常に似通っているのだ。そう思うと少しばかり親近感が湧かないでもないが、たった一人で月の都を襲撃して尚健在どころか滅ぼす事を諦められるレベルとなると流石の狭間も舌を巻く。最も、狭間とてそう簡単に滅ぼせる存在ではないのだが。
「兎も角、時が来たら貴方には月からの使者を追い返してほしい。穏便に済ませられればそれに越したことはないけど、難しいでしょうね。でも、貴方があの神霊と同類だと思わせれば、士気を大きく削ぐ事ができるかもしれない。あの神霊はただの月の民じゃどうしようもないから、恐れている者は少なくないわ。そうなればそのまま勢いに乗って追い払う事が可能かもしれない。一度でも撃退できたなら、少なくともすぐに二度目が来る事は少ないでしょう。その間に行方を晦ませれば逃げおおせる事は十分可能な筈」
「……ま、いいでしょう。その依頼を受けるとしましょう。報酬は“借り一つ”でいいですね?」
「ええ、構わないわ。とは言っても私に出来る事なんてたかが知れてるのだけどね」
「それを言ったら私なんて戦う事しかできませんがね。さて、では今日のところはお暇しますよ。今度来るときは友人を連れてきますので、より具体的に策を練るとしましょう」
「分かったわ。そういえばその友人ってどんな人なの?」
「え?えー……そうですねぇ、説明するのは面倒ですから自分で見て確かめてください。では」
「えー」
そう言って狭間はスタスタと歩いて行ってしまった。姫は不満そうに口を尖らせていたが、やがて大きく溜息を吐いた。空に目を向けると、丁度太陽が雲に隠れるところだった。あの雲がずっと月から地上を隠してくれればいいのに、と呟いて立ち上がり、翁の所へと足を向けた。そういえば地上の民には優しくしてもらったり、或いは邪な視線を向けられる毎日だが、冗談を言い合って笑い合える友人というのはいなかったな、と思いながら。求婚された事はあっても友人になってくれと頼まれた事はないし。彼の友人とやらが来たら、ほんの少しだけ勇気を出して言ってみようか。友達になってくれ、と。
そんな事があってから一週間。
月の民から姫を守るという依頼を受けるからにはそれまで都に留まらなければならない。既に数百年以上も今の生活を続けてきた狭間と紫は今更数年程度で焦れはしない。特にリミットがあるわけでもない依頼故、のんびりと都で過ごす事としていた。拠点替わりに適当な空家を購入し、その拠点でいつもしているように妖怪退治や商人の護衛など雑多な依頼を手広く受けていた。
「それにしてもこれだけ同業者がいても依頼回ってくるなんて、余程荒れてるのかしらこの辺は」
「まァ妖怪は倒してもその縄張り奪いに別のとこからやって来る奴もいるしなァ。その新しい妖怪に対応できずに同業者の数が増減するってのもあるんだろ。懇意にしてた奴がある日突然いなくなったりなんてこの界隈結構あるからな」
「そうね。それに、相手が妖怪とも限らないし……」
手に持った依頼書に目を向けたまま溜息を吐く紫。憂いげにしている様は中々に絵になるものだったが、狭間は指に引っ掛けた帽子をくるくる回しながらいつもの調子で肩を竦めた。
「野盗、なぁ。生活苦なのかもしれねェけど襲ってくるんだから仕方ねェさ。つっても殺しはする必要ねェんだ、あんま気にするな。必要ならオレが食っちまえばいいだけだ」
「気にしてる訳じゃあないんだけど、慣れないわ。慣れたい訳でもないけども」
そう言われると、狭間はなんだかなぁというような表情になって呟いた。
「……慣れてるオレはなんなんだって言いたいがまァいいか。んで?その依頼なんだよ、さっきからじっと見つめて」
「鵺」
「あ?」
「鵺が出たからどうにかしてくれって帝から」
「……マジかー」
「鵺が出たのってこの時代だったかしら……」
「出たのが何時からかは知らねェけど、存在自体はもっと昔からあったんじゃねェの?九尾の狐とかだって千年以上生きた狐が成る訳で、ある日突然生まれましたって訳じゃねェじゃん」
「ま、そこはどうでもいいんだけど。どうするの?これを受けて帝に顔を覚えてもらうのも手よ」
「だな。姫さんの依頼は連中来なきゃ話にならないし、そもそもその時帝が姫のそばにいるだろうから良い方向に覚えられて損はない。受けるとするか」
「じゃあ返事出しておくわね。にしてもどこから私達の事を聞きつけたのかしら」
「……この近辺の大物根こそぎ狩っておいて目立たない訳ねェと思うんだけどなァ」
「あれは狭間が退屈だからって暴れたのが悪いのよ。騒ぎに引き寄せられた雑多な妖怪を襲ってくるそばから返り討ちにして」
「オレ様を敵に回すのが悪い」
しれっと言い放ちつつ、紫から依頼書を受け取る。民草からの情報らしい声がいくつか上がっていた。“鵺の鳴き声がして恐ろしい”“鵺に怯えた家畜が逃げ出した”“鵺が出てるらしいから狭間にどうにかさせてみよう”など、様々書いてあった。被害はあまり出ていないとはいえ、大人しくさせるにこしたことはないかと考える。ついでに民からの言葉の最後の文を見てイラッとしたようだが。
「最後の書いた奴誰だよ……」
「同業者……の線は薄いか。わざわざ商売敵に仕事回そうとは思わないだろうし」
「いやー案外鵺に食い殺されるのを望んでる馬鹿かもな」
ナイフの手入れをしたり、霊擊札を量産したりと手を止めないまま談笑を続ける。程なくして作業を終えた紫が、返事を出してくると言って出かけると狭間はすぐに暇を持て余した。
「……出かけるか。書置き残しときゃいいだろ」
そう言って紙に外出する旨を書き残し、帽子を机に置き外に出た。
ただの人間だった頃は暇を潰しにゲームセンターなどの娯楽施設に繰り出していたが、この時代にそんなものがあるはずもない。散歩くらいしか暇を潰せるのがないのだけは困りものだな、と溜息を吐きつつ歩いていると、川に架かった橋を見つけた。どうせすることもないしと橋の上から小川を眺める。欄干にもたれかかり、川のせせらぎが耳に心地よく響くのを堪能しながら水面を見つめる。
「……平和だねェ」
「表面上はね」
「うっせ、少しくらい浸らせろ。っつか口にするくらいいいじゃねェか、喋ったら逆転する訳でもあるまいに」
「退治屋の台詞とは思えないね、それ」
「別に食い扶持にゃあ困ってねェからよ」
顔を顰めつつ、隣に立った黒髪の少女に眼を向ける。意地の悪そうな笑みを浮かべた少女は興味深げに首を傾げる。
「困ってないならなんで退治屋なんてやってるのさ。自分は強いって誇示したいの?」
「食い扶持にゃ困らなくても金を使う時はあんだよ。団子食ったりとか」
「結局食べてるじゃないの」
「食は数少ない楽しみだ」
そう嘯くと少女はガクッと体勢を崩した。呆れたように溜息を吐きながら額に手を当てる仕草を見ながら、狭間は中々面白いリアクションをする奴だと思っていた。
「人間らしくない奴ね。人間ならもっとあくせく働いて明日の朝日を拝めるか不安がってればいいのに」
そう言ってやれやれと肩を竦める少女を見て、狭間は鼻で笑った。
自分に向かってそんな言葉が出るのか、とでも言いたげな顔で笑われては流石に少女もムッとしたようだ。
「何よ」
「お前は人間らしいって言われて嬉しいか?」
「嬉しくないわね」
「ヘッ、そんならお互い様じゃねェか。それはそうとお前、こんな所で何やってんだ?」
「人を待ってるのよ。お前と違って暇じゃないの」
「ほーう、わざわざオレ様に絡んでくる程度には暇そうだがなァ?」
そう言ってムニムニと少女の頬を軽く引っ張る。もちもちとした肌が中々に良い感触だったが、ぺしりと腕を叩かれた。当然だ。
「いきなり何するのよ、全く……」
「もちもち」
「煩い」
頬を膨らませて少女が蹴りを入れようとするのをひらひらと避ける狭間。小馬鹿にした笑みを浮かべて鬱陶しい動きをしている。ムキになった少女が更に追撃しようとすると、少女の後ろから声が掛けられた。
「楽しそうじゃの」
「楽しくない!」
「オレ様は楽しいがな!」
少女はグッとサムズアップする狭間の親指を掴んで思い切りねじ切った。指はすぐに元に戻った。
「傍から見たら子供が近所のお兄さんとじゃれている、という感じだったがの?」
「誰がこんな奴とじゃれるか!」
「ヒヒヒ、ガキ扱いされてるのは否定しなくていいのかァ?」
「煩い、もうお前は黙れー!」
「ヒャッハー!黙らせてみなァ!」
「まぁまぁ、お前さんもそうからかってやるな。この子もまだ幼いからの」
「アンタまで言うか!?」
ぐぬぬと肩を怒らせしかめっ面になる少女。頬を膨らませて明らかに拗ねた様子は子供のそれだったが。
「ま、からかうのもこのくらいにしといてやるか」
「この野郎、後で覚えてろ!」
「これこれ、そんなにいきり立つと身体に悪いぞい?」
少女の連れらしい女性が少女の頭をポンポンと撫でると、少しは怒りが収まったようだ。まだ狭間を睨みつけてはいたが。
「この子も多感な年頃じゃからの、格好をつけてみたいんじゃろ。このくらいの年頃の子供はそういうものじゃ、わしにも覚えがある」
「忘れちまったぜ、思春期なんて言葉」
「アンタらどうあっても私を子供扱いするのね?」
抑えると見せかけて女性も煽りに行った。
「まぁそれは置いといてと。そろそろ行かぬか?」
「置いとくな!……はぁ、こいつに付き合ってたらそのうち血管切れそう。行きましょ、マミゾウ」
ケタケタと愉しそうに笑う狭間。少女がまた蹴りかかるが、今度も容易く躱される。それを見てマミゾウと呼ばれた女性もカラカラと笑う。暫くそうやっていると疲れたのか少女は欄干に体を預け、川に映った自分を見ながら溜息を吐いた。眉間に寄った皺が見えてまた殴りたくなった。
「アンタの相手してると本当疲れるわ……ってかなんでマミゾウまで一緒になってからかってるのさ」
「つまらなそうにしていたり気取った態度でいるよりも今のお前さんの姿の方が魅力的じゃからな。怒った顔も可愛らしいぞい」
「それ褒めてるの?」
「褒めとる褒めとる」
「……ふぅん」
どうやら嘘ではないと分かったらしい少女は心持ち機嫌を治したようだ。そこまで言うなら仕方ないかな、といった風に口元を歪める。後ろから背中を眺める立ち位置だった二人にはその笑みは見えなかったが、見ずとも分かる程度には機嫌を持ち直している。少女に見えないよう二人で肩を竦めると、少女が怪訝そうな声をあげた。
「あれって……」
「あん?どうした、何か面白いモンでも――」
狭間が言い終わるのを待たず、少女は欄干を乗り越えて川へと飛び込んだ。
「あ、オイ!?」
「どうしたんじゃいきなり……今日はそんなに暑いかの?」
首を傾げながら少女の様子を見ようと近づく。と、少女は勢いよく泳ぎだした。どこへ向かっているのかと目を向けると、少し離れた水面でパシャパシャと動く黒いものが見える。
「いや、アレは……おいおい、そういうことかよ!」
「全く、あやつも無茶をしおってからに……」
眼を凝らせばそれが子供である事がわかり、必死に手足をばたつかせている様子から溺れているのも見て取れた。いちはやくそれに気づいた少女は自ら飛び込んで救助に向かったのだろう。なんとか子供が力尽きる前にたどり着いた少女は子供をしっかりと確保した。が、子供はパニックになっているのか少女が落ち着かせようとしても暴れているようだ。
このままでは拙いというのは少女にもわかっているだろうが、子供を抱えた状態では岸辺から上がるというのも難しいだろう、マミゾウも少々慌てた様子で言った。
「いかんな、あのままでは二人共溺れてしまう。縄か何かを」
「オイ、これに掴まれ!」
そう声を張り上げ、狭間はウロボロスを伸ばした。多少距離があったが、ウロボロスはどこまでも伸びる。それこそその気になれば街一つ分伸ばすくらいは容易いのだ。故に多少離れていようと、目視できる距離にいる二人を巻き取る程度は容易かった。普段は中距離からの牽制が主目的故に先端に刃が備わっているが、今は救助が目的なので刃は付いていなかった。掴まれと言いつつ少女の右手に絡みつかせているのはからかいの種にする為かそれとも単純に少女の状態を考慮した故か。兎も角狭間はウロボロスを用いてあっさりと二人を救助する事ができた。マミゾウはおおー、と感嘆の息を吐きながら手をパチパチと叩いている。
「ったく、ガキがあんま無茶すんじゃねェよ。オレ様の手が届く距離だったから良かったものの」
「え、あれ手に含まれるの?」
「どっちかというと口かもな」
少女は無言で狭間に右手を擦りつけた。
狭間は無言で手刀を少女の頭に落とした。
「何をやっとるんじゃお主らは。ほれ、大丈夫か童よ?」
子供は若干放心気味だったが、どうやらウロボロスによって突然宙を浮いた事に驚いてるだけで特に傷もないようだった。それを確認したマミゾウは安堵の息を吐き、何故ああなったのかは分からんがこれに懲りたら事故には気をつけるんじゃぞ、と年寄りくさい口調のまま諭し、子供がコクコクと頷くのを確認し、朗らかに笑って子供の頭を撫でていた。
「うむうむ、子供は元気が一番じゃが怪我をしてしまっては元も子もないからの。では、わしはそろそろ……これ、いつまでやっとるか!」
ゴツリと鈍い音が響く。マミゾウが二人の頭にげんこつを落とした音だ。少女がきゃんと可愛らしい声を上げて頭を抑え、狭間がぐおぉと呻き声をあげて蹲る。ダメージの差がある所を見るに狭間が大人げないと感じたのだろうか。先程一緒になってからかっていたマミゾウも大人げないと思うのだが。
「うぐぐ……だってコイツが!」
「だってもなにもありゃせんわ。ほれ、そろそろ行くぞい。ではの、ご両人。わしらはこれで失礼させてもらうよ」
「お、おう。じゃァな」
ぽかんとする子供と苦笑する狭間を尻目に、マミゾウは少女を連れて立ち去っていった。マミゾウはさしずめあのガキの保護者かと呟き子供に目を向けると、首を傾げて不思議そうにしている子供と目が合った。肩を竦めて手を振り立ち去ろうとすると、子供が頭を下げてお礼を言った。狭間がウロボロスで助けたというのが分かっていたのだろうか。気にするな、子供はやんちゃでなんぼだと言い残して狭間も立ち去った。
「ってのが昨日だったよな」
「そうね」
「意外に早く再会したなァ」
「そうね」
「……面倒くせェなァ」
「そうね」
「お前それしか言えないワケ?」
「だってそうねとしか言えないもの。私としてもアンタを相手にするのはちょーっと面倒だし」
「オレ様に勝てるって思ってンな?」
「そもそもアンタにとっての勝ちって何よ?」
「そりゃお前鵺の退治に決まってるだろ」
「ふぅん」
「ってのは建て前だ。どうにかしてくれとしか言われてねェからな、鵺が都から去ればそれで依頼達成って事でいいだろ?」
「……本当、退治屋の台詞とは思えないわ」
屋根の上にいる“何か“から少女の声がする。狭間はウロボロスを携えて油断なく立っているが、その声にやる気は見受けられない。
「鵺は強大で滅ぼす事はできませんでしたが、痛手を与えて追い払う事はできました。向こう数百年は姿を現さないでしょう。そういう筋書きがお好み?」
「ま、それが一番楽でいいな。オレ様は寛大だからお人好しな妖怪まで殺す程見境ないワケじゃあねェ」
「誰がお人好しだっていうのよ」
「わざわざ川に飛び込んでまで人間のガキ助ける妖怪はお人好しだ。テメェにゃ利はないだろうに。なァ、お人好しのぬえちゃんよ?」
その“何か“は妖鳥のようでもあり、獣のようでもあった。十人に聞けば十人ともが違う答えを出すのではないか、そういう姿の存在だった。正体不明という言葉がこれほどしっくり来る存在も中々いないだろう。
その正体不明こそが、正しく鵺だった。そして昨日狭間にからかわれて怒った表情を見せたり、マミゾウに褒められて機嫌を良くしたり、川に飛び込んで人間の子供を助けてみせた少女こそが、大妖鵺だった。
その鵺は今、少女の声で狭間と会話をしながら溜息を吐いていた。正体不明の自分と話すどころかからかったり子供扱いをするなどというこのたわけた悪霊をどうしたものかと。暫しの沈黙の後、ぶすっとした声で鵺は呟いた。
「……仕方ないじゃないの。助けなきゃって、身体が勝手に動いたんだもの」
それを聞いて、狭間は笑みを浮かべた。昨日のような意地の悪い笑みではなく、例えるなら親戚の幼子の文句を聞くかのような、仕方の無い奴だなぁ、とでも言いそうな笑みだった。黒髪の少女の姿を取った鵺、もとい“封獣ぬえ”は、狭間の笑みを気色悪そうに見て身体を少し引いた。
「何よその顔は」
「やっぱテメェはお人好しだよ、妖怪向いてねェんじゃねェの?」
「……うるさい」
「ヒヒッ、こっからでも顔が赤くなってるのが見えるぜ?やっぱりガキだな、お前悪役向きの性格してねェな、悪ぶろうとして背伸びしてるだけだ」
「うるさいって言ってんでしょうがッ!いいわよ、お人好しで!元々明日には都を出るつもりだったもんね!」
「都出てどこ行くんだ?」
「どこだっていいでしょ!海の向こうでもどこでも行ってやるわよ!」
頬を膨らませてそっぽを向くぬえ。狭間はまた意地悪げな笑みを浮かべてぼそりと呟いた。
「ツンデレ乙」
「言葉の意味は分からないけど喧嘩売ってるのは分かったわ。相手になってやろうじゃないの」
「ククッ、ガキが無理すんなって。ほれ、さっさと行けよ。さっきのデカイ姿でいれば目立つから追い払ったって分かりやすいだろ」
「……そうするわ。アンタと戦り合いたくないのは事実だし、さっさとこことおさらばするか」
「オレ様もお前みたいなガキとは戦り合いたくねェな。ヒヒヒ」
肩を竦めて溜息を吐くぬえ。溜息吐くと幸せ逃げるぜと茶化され、誰のせいよと言い返す。
そもそも封獣ぬえという少女は、根本的に悪にはなりきれない。大妖ではあるが、狭間のように他人をからかうことこそあれど、誰かを傷つけるのを良しとしない。ぬえは狭間に、退治屋とは思えない台詞などと言っていたが、狭間からしてみれば妖怪とは思えない奴、というのがぬえへの感想だ。狭間自身は、霖之助や神玉との交流があった為にそういう奴もいると受け入れられたが、これが普通の人間、或いは退治屋ならどうか。まず演技であると疑われるのは間違いないだろう。よしんばその考えが信じられたとして、妖怪であると認められるかどうか。どちらにせよ、封獣ぬえという大妖が根は優しい、素直になれないだけの少女だというのは確かだ。せいぜいが悪戯っ子といったところか。
必要とあれば他者を傷つけるどころかその命を刈り取る事も厭わない狭間でも、目の前の彼女のような妖怪を自分の為に殺すというのは憚られた。損や得ではなく、プライドの問題だ。“このオレがこんなガキを利己的な目的の為に殺すなんてのは大悪霊たるオレ様のプライドが傷つく”、というのが狭間の言い分だった。物欲や金への執着が薄い狭間にとって、一時の名声や報酬よりも自分のプライドが大事なのだ。
「んじゃ、縁があればまた会おうや。次に会うのは何百年後か知らんが」
「そうね、今度会ったら真っ先にその腹ぶん殴ってやるから覚えておきなさい。……じゃあね、悪霊さん」
「あばよ、お人好しの大妖怪」
ぬえが飛び去るのを見届け、狭間は地上へ降りた。依頼主である帝と相棒に説明をする為の言い訳を適当に考えながら。
その後、大妖怪鵺を追い払った功績により狭間達はそれからも度々帝から依頼を回される事になった。無事帝からの信頼を得るという当初の目的も達成し、その上優しい妖怪を殺さずに済んだ狭間達は万々歳というところか。そうして狭間達はかぐや姫の依頼どおり、月からの使者がやって来るのを虎視眈々と待ちつつ、時が来るのをじっと待っていた。
そして暫くの月日が経ち――。