「っく、ここは」
青谷芳樹が目を覚ましたのは例の一件から14時間経過した午後2時半であった。
「あ、青谷さん。まだ安静にしていてください」
ボーっとする頭を奮い立たせて上半身を必死に起こそうとする青谷の肩を、優しく小さな手が押し倒した。
青谷はその力に押され再び横になるが、同時に眠気が襲ってくる。
それでも彼の脳は急激に活動を再開し、体の中を血が回り始めたのを感じた。
「さ、西園寺さん」
目を覚まして最初に目にしたものが青谷の思い人なのだから、目を覚ますのは当然であった。
優しく青谷を寝かせようとしたために、西園寺の顔がすぐそこまで近づいてくる。甘い香りが鼻孔をくすぐり、体が火傷したように熱くなるのを感じた。
「だ、大丈夫です。西園寺さん。大丈夫です。大丈夫です。もう目が覚めました」
少し分かりやすかっただろうかと恥ずかしくなりながら、青谷は慌てて上半身を起こして背を向けた。
「な、なんで。ここに?」
目を覚ましたばかりの脳みそというのは、自分が思っている以上に理解力が低いらしく、青谷は状況を把握しようと必死に首を振りキョロキョロと挙動不審な行動をして見せた。
「あ、青谷さん。そんなに見ないでください。わっちの部屋です」
背中から恥ずかしそうな思い人の声がして、青谷は慌てて振り返った。
「そうか、自己紹介の後眠気が来て」
西園寺さんを挟んだ向かい側に、青谷の座る布団と同じ柄の布団が敷かれており、その上で逢坂紬がスヤスヤと寝息を立てているのが見える。
青谷はそれを見て眠りにつく前の出来事を薄らながら思い出し始めた。
「でも、どうして西園寺さんが?」
ある程度状況が掴め、安心感を得ててくると次は疑問が湧いてくる。
自分たちは自己紹介を終え、覇理了のスタンドを見せてもらった。
それから突然煙を吐き出したものだから、これがスタンド能力だと思い、試しに嗅いでみたのだ。
まさか、睡眠性のガスだとは思いもしなかった。だが、青のボスとして選ばれた自分があんなにも不用心であったことを考えると、同時に赤面する思いだった。
覇理了が敵のスパイで、毒ガスを撒いていた可能性だってあるのだから。
そう考えると、青谷は恥ずかしさと同時に焦りも感じた。自分の行動を思い返すとあまりにも不用心すぎる。だいたい広場で待つと言ってからそのまま眠ってしまうというのもどうだろうか。
そこまで考えてから1つ重要なことを思い出した。
「指輪っ!」
左手の人差し指にしっかりとついていた。
青谷は安堵の息を漏らし、そしてまた情けなさに包まれた。
「影山さんが連れてきてくれたんですよ」
西園寺はそんな青谷の考えは知らず、質問のとおりにただ答えてあげた。
それがせめてもの救いであった。恋をしている相手に自らの不用心さについて聞かれることは避けたかったのだ。
目が覚めてから西園寺がなぜ眠っていたのか聞かなくて本当に良かったと思う。
仲間のスタンドに眠らされたなんて、どう説明したものだろうか。まずスタンドの概念について説明しなくてはならないし、ギャング内の抗争を部外者に語ることはどうしても避けたかった。
しかし同時に、西園寺は誰かから自らの失敗を聞かされていたのではないかという不安感を募らせる結果にもなった。
西園寺自らの青谷らを発見していれば、目が覚めた青谷に何があったのか尋ねるはずだ。
覇理了が先に起きていて説明していたとは、この時の青谷は想像しなかった。
そのため生まれた質問、「どうして西園寺さんが?」であったのだが、その答えが影山とはどういう事だろうか。
「か、影山さんですか?」
「ええ。なんでも青谷さんの傘下についたんですって、元気そうにわっちに話してくれましたよ?お2人を連れてきた時に。わっちが、なんでこの2人は寝てるのですかと聞いたら、お付きの覇理さんが飲みすぎですって教えてくれました。青谷さん、意識が朦朧とするまで飲んだらダメですよ?未成年まで連れて。こんなに忙しい時に」
そう言って笑いながら肩をポンと叩いた。
それから自身の腕時計を見てから慌てた動作をして。
「青谷さん、そろそろ逃げる準備をなさってください。影山さんが、敵を呼んだそうですので。逢坂さんを起こしますよ?」
そう言い放った。
ちょうどそのころだった。時計の針が3時を示すほんの少し前。
茶屋のドアがそっと開き、神霊煉が顔を覗かせた。
「ちぃーっす。お久しぶりだねぇ。影山ぁ」
店に現れた少年は、どう見ても客ではなかった。どちらかというと取り立て屋のような、荒々しい殺気を放っていたのだ。
そして少年の眼光は茶屋のレジに向けられた。
影山蛭谷が、そこにはいた。というより、神霊煉と同じように、荒々しい殺気を放って待ち構えていた。
「一人なのか?神霊」
影山は少年の顔をじぃっと睨めつけてから一言だけ投げかけた。
神霊は答えず店の中を見回す。
その行動が答えであると感じ取り、影山の表情に余裕が帰ってくる。
「一人で乗り込んでくるとはいい度胸じゃねえか。なぁ、神霊くんよぉ」
挑発的な態度を取る影山は、どこか楽しそうにも見えた。それは過去の仕事仲間に会えたからなのか、それとも久しぶりにスタンドを打ち出せるからなのか。
「俺の獲物はお前じゃねえんだわ。影山君。でも、居ないみたいだなぁ。話を聞く限り、お前は青の王の傘下に就いたみたいだけど、やっぱ3時はプライベートっすか?ってかその格好、バイトか?」
神霊の見下したような態度。しかし影山はそれに慣れているといった表情で、笑いながら両手を広げて制服を見せつけた。
「あぁ。その通り。見てわかるだろ?俺の大好きなこの店で俺は働くことにしたわけ。だから、今までは3時に茶を飲みに来てただけだけど、一か月くらい前からかな。12時にここで働くように時間割が変わったんだよね」
「へぇ。そいつはおめでとさん。んで、そこで隠れているのは誰だ?」
神霊はそう言いながらカブトムシの死体を、ちょうど自分から見えない位置に隠れている誰かにめがけ、放物線を描くように投げた。
着弾すると同時に弱々しい声が聞こえてくる。
男だ。
神霊が確信し、同時に青の王だと思った瞬間だった。
「フリーズアンサンブル!」
レジから凛と張った声が響き、黄金色の人型スタンドが現れた。
影山蛭谷のスタンド、『フリーズアンサンブル』だ。戦場で何度も目にしてきたそのフォルムは、初めて出会った時から全く変わってはいなかった。
8頭身のスラリとしたフォルム、黄金色に輝く身体。ところどころ金管楽器を思わせるようなピストンがアクセントとして取り付けられている。そして特徴的なのはそのスタンドの両腕だ。
楽譜らしきものが包帯のように巻き付いている。しかもそれは常に形を変え、新たなメロディを今も作り続けているのだ。
影山蛭谷は制服を脱ぎ、丁寧に折りたたんでからフリーズアンサンブルの隣に立った。
影山蛭谷の見慣れた姿だ。華奢な体には似合わない革のジャケットに、分厚い革靴。中途半端に伸ばした髪の隙間から時々見える悪趣味なピアス。
そこにいる男は、先ほどまでとは打って変わり、血に飢えた獣の眼をしていた。
「そこから動くなよ、神霊煉。」
ニヤリと笑う両者。その表情は、同窓会で久しぶりに再会を果たした親友同士のようだった。
「動くなと言われて動かないわけがないこと知ってるだろ?」
楽しそうに神霊は天を仰ぎ、スタンドの名前を呟く。
「行け。キラーテンパランス」
その言葉に合わせ、どこからともなくゲル状のスタンドが湧き出した。
神霊の腰ほどの大きさの、RPGなんかでよく見かけるスライムだ。
橙色をしたそのスタンドには、目も無ければ口もない。その姿全体が顔であり、手足なのだ。
キラーテンパランスと呼ばれたゲル状のスタンドは、グニャグニャと波打つように形状を変えながら、そっと神霊の横にその身を置いた。
「影山君。覚悟はいいよね?」
その言葉に影山は答えなかった。
ただ瞬間的に、ただ突発的に、攻撃を開始した。
両腕の楽譜がほどけ、不協和音を放つ。スタンドの力でその音を一か所に集めて、まるで水鉄砲のようにまっすぐ放出した。
「俺を守れ!」
神霊は即座に自分のスタンドに命じる。ゲル状のスタンドはその姿からは想像もつかないほどの俊敏な動きで本体の前に立ち、その身自ら壁へと変貌した。
影山蛭谷のスタンドフリーズアンサンブルが発した破壊的音響は、神霊の立つ周囲のガラスを無残にも粉砕し、地面は振動を受けて震えだす。
しかし、その音のほとんどが、ゲル状のスタンドキラーテンパランスに吸収されていた。
キラーテンパランスはまるで音を食べているかのように体を震わせ、空間さえもが歪んで見えるその音波を、完全に食い止めていた。
「影山君、本当に変わってないね。音漏れが激しくてしっかり着弾していないよ。そのスタンドのフォルムはヘッドフォンをしているから、てっきり音漏れしないと思ってたのに。本当にあの頃と何も変わっていないねぇ」
2歳年下の少年が、嫌味たらしく馬鹿にする。
しかし影山は逆上することなく、攻撃を続けた。
「確かに。俺に比べて神霊くんは、すごく変わったよね。あの頃のキラーテンパランスはもっと大きかった。3メートル以上あったんじゃないかな?5、6人を飲み込めるような巨大なスタンドだったのに、今は直径50センチがいいところだ。必死に盾にするために伸ばしているみたいだけど、どうだろう、横から見たらすごく薄いんじゃないかな?」
「それがどうしたよ」
「君のスタンドのゲルはただの肉だ。攻撃を受けるたびに消耗しているでしょう?そんなに痩せてたら、スタンドの中身が出ちゃうよ?フィードバックぐらい知っているだろう」
そう言うと、影山は勝ち誇ったように微笑んだ。
「それもそうだな、でもお前だって、そろそろ息切れだろ」
神霊はそれでも下がることはなかった。
それどころか、余裕だと言いたげに笑って見せた。
お互いスタンドの能力も弱点も知り尽くしている。
性能も特徴も手に取るようにわかる。
二人は常に行動を共にし、戦ってきたのだから。
影山蛭谷は平和を望んで、神霊煉は争いを望んで。
二人の目的は違えど、利害は一致していた。
だからこそこの二人は、いつか戦う時が来ることを知っていた。
そして、この日を待ち望んでいたのだ。
「なぁ、影山君。君のスタンド、フリーズアンサンブルには呼吸の概念がある。息を吸って吐く。俺ら人間は生きていくうえで、体内にエネルギーを循環させるために使っている行動だ。酸素と貯蓄した物質を反応させATPを作り、それを活用してエネルギーに変えて人は生きている。だけどスタンドっていうのは生物じゃない。呼吸の必要なんてない。なら何のために息をしているんだ?」
「おいおい、それはこの前教えただろう」
神霊煉の挑発的な質問に、影山は冷や汗を流した。
「そうだったなぁ。思い出した。たしか、息を吸って楽譜を作り、それをエネルギーとして息を吐く際に音響波を発生させるんだっけ。ならやっぱり、息が切れたら攻撃は止まるわけだ」
影山がチラリと自分のスタンドの空気の残り残量、つまり楽譜の長さを確認すると同時に、神霊煉は一歩前へ出た。
「ならお互い、チキンレースってわけだな」
影山の眼には、神霊がカブトムシの死体を食べているように見えた。
バリバリと音を立て、生臭そうな肉をすすっているように見えた。
そして、心なしか、キラーテンパランスがほんの少し大きくなった気がした。
スタンドバトル
スタンド使いのみに許された戦闘方法。
2人以上のスタンド使いが、自身の体と、その精神力の反映であるスタンドを駆使して敵と戦う行為。
スタンドには絶対的、根本的ルールがある。
それは、スタンドは一人につき一体。スタンドは1つの能力しか持てない。スタンドには、破壊力、スピード、射程距離、持続力、精密動作性、成長性という6つのステータスが存在している。
そして能力にも、利点があれば弱点もある。
スタンド使いはそれらを見破りながら敵の弱点を突き戦うのだ。
中には、自分のスタンドの利点と弱点を把握し、それを利用してどんな敵にでも同等に対応できる者もいる。