静まり返った教室に、ただカツカツとチョークが黒板を擦る音が鳴り響く。
鉛筆で塗りつぶしたノートに小さな消しゴムを走らせるかのように、スラスラと教師の脳内を白線で投影する。
それを見つめる生徒たちは、目の前で生まれては消える文章を必死に追いかけようと、目を光らせ、手首を動かす。
その中にはここぞとばかりに目を瞑るものも、隣の者と瞬きを揃え合う者も。はたまた関係のない計算をする者もいる。
それを知ってか知らずか、満足に書き終えた英語教師は、満足の行かない発音で自らの文字を読み上げる。
いつものような風景。
いつも通りの日常。
普段と何も変わらない英語の授業。
覇理了以外の人間から見たら、退屈で、それでも平和な。何一つ変わらないいつもの学校なのだ。
覇理了以外の人間が見たら。
「ブシャアアアアアアアアアアア」
「ディープ・パープル、頼むからうろつかないでくれ」
あの夢を見たその日から、ディープ・パープルと名乗った紫色の‘‘なにか’’が、彼の周りを付けまとうようになったのだ。
そして今も、授業を受ける了の周りを、機械が蒸気を吐き出すような奇声をあげながら歩き回っている。知性が足りないのか、子供なのか。周りの物に興味を示せば、そこへ近づきじっと見つめている。
了はもちろん、授業に集中することすらできない。
自分にしか見えてないことは理解できた。しかしだからといって幻なわけではない。そのスタンドと名乗った彼が触れたものは物理的に影響を受けるのだ。
つまり、ディープ・パープルは誰にも見えないのに、校長のカツラを触り、むしり取ることも可能というわけだ。
「ブシャァァァァァァァァ!」
「・・・・・・・・・」
そしてその行動は常識の斜め上を常に行く。
「頼むから、黒板でロッククライムしないでくれよ……」
自分のスタンドが次に何をするのかわからない。その恐怖が強すぎて、授業に集中することなどできるはずもなかった。
「……う。…りょう。……おい、了!」
「は、はい!」
「これを日本語訳してみろ」
「えっと……」
しまった。全く話を聞いてなかった。
というか、どの英文を訳したらいいんだ。まずどこに英文があるんだ。
なんでカタカナで書いているんだよ。
「小学生でも読めるようにしたんだぞ?」
いや、だからってカタカナで書くなよ。なんだよレディゴーって。
普通にReady go(よういどん)でいいのか、Let It Goを発音よく書いたつもりなのか。
ってか「マイケル アンド ボブ イズ ボーイフレンド」ってなんだ。
色々おかしくて突っ込めないぞ。
マイケルとボブは彼氏です。って誰のだよ。なんで主語が書かれてないんだよ。ってか二股かよ。あとなんで女子は顔を赤らめてヒソヒソ話しているんだ。少なくともそっちの話では無いだろう。
「了?わからないのか?」
「……はい、すみま「ブシャァァァアァァァァア!」……」
了の興奮が心のツッコミが頂点に達した頃だった。
唐突に彼のスタンド、ディープ・パープルが叫びだし、紫色の煙を吐き始めたのだ。しかも教卓に立ち上がって。
「ちょ!ディープ・パープル!やめろ!」
慌てて了が立ち上がり、自分のスタンドを止めようとしたが、もう既に遅かった。
気がつけば既に休み時間となっていた。
授業が始まり、ものの数分で教師を含めた全員が眠りに落ちたのだ。
しかも突然に。それも原因不明で。
みんなが目を覚ましたのもほとんど同時だった。
まるでそのクラスだけ時が止まったかのように、気がつけばみんな眠っていて、気がつけば授業を終えていたのだ。
「あ、あれ?授業、始まったばかりじゃ……というか俺は寝ていたのか?」
英語教師は困惑の色を隠せず頬を抓っては自問自答を繰り返している。
それもそのはずだ。潔く生徒に問題を出し、いざ解けなければそれをネタにいじってやるぞと息巻いていたにも関わらず、気がつけば自分は教室のど真ん中、それも生徒に質問している最中に床で大の字に寝そべっていたのだから。
「これはあれか……ナルコレプシーとかいうやつか?」
先生は病気じゃないから安心してなんて、とてもじゃないが言えない。
教室は何があったのか理解できず、ざわついていた。
大きな騒ぎにならないのは、恐らく退屈な授業が体感数分で過ぎ去ってくれたという生徒特有の幸福感が強いからだろう。
もちろんその中には真面目な子もいるわけで、初めて居眠りしてしまったと嘆いている生徒も。
「最悪、寝ちゃったよ~ゆうくんに寝顔見られちゃったよ~」
「大丈夫。まなみは寝てても可愛いよ」
違う。あれはただのノロケだった。
それにしてもこんなに不可解な事件。
事件というより現象が正しいだろうか。
まぁ、そんな不思議な現象がこのクラスだけに起こった。その原因こそが覇理了のスタンド「ディープ・パープル」である。
どうやら、ディープ・パープルというスタンドには、普通起こりえない特殊な能力が備わっているらしい。
『吐き出した紫色の煙を吸った者は、眠りにつく』という恐ろしい能力が。
もちろん、そのことを知り、なおかつ優等生気取りの覇理了は、その能力を止めようと必死だった。
しかしなぜか興奮すればするほど、煙を大量に撒き散らすのだ。
そしてなぜかその効果は自分にも及ぶ。なぜ自分のスタンドに自分が攻撃されなくてはいけないのだろうか。
「と、とりあえず授業は終わりだ。次の授業の準備をしてくれ」
その言葉で、教室に満ちた困惑の空気がようやく掻き消えた。
「ディープ・パープル。お前のせいで散々な目にあったよ。来週テストなのに、全く授業に集中できなかったじゃないか」
まぁ、あんな授業を受けて成績が上昇するとはとても思えないのだが。
そんな彼の心配をよそに、紫色のスタンドはただ奇声を発してロボットダンスをしている。
「ムーンウォークのつもりなの?」
「ブシャァァァァァアアァァッァ」
駄目だこいつ、早く何とかしないと。
ため息を付きつつ、了は帰路につこうと校門をあとにした。
そして、再び見つけてしまった。
「あいつは……ッ!」
あの日了の額に矢を刺した老人がいたのだ。
「あいつのせいで俺は……ッ!」
了の殺意に気づいたのだろうか、老人は必死に睨みつける少年を目にすると、慌てたように細い路地へ逃げ込んでいった。
「ま!待てぇ!」
ここで追わない訳にもいかない。相手は今回ばかりは老人一人。武器も所持していない。理由はないが、彼は追いかけなければいけないという脅迫概念に縛られ、反射的に駆け出していた。
「よくも俺を殺そうとしたな!よくもこんな能力を俺につけさせたな!」
全てあの老人とメガネ男が悪いのだ。この手で懲らしめてやる。
了は持ち前の運動音痴を活かして、とにかく走った。
老人の逃げ込んだ路地に体を滑り込ませ、カニのようにぎこちなく横歩きをしながら着実に老人のもとへ近づいて行った。
そして。
「……い、いないだと!?」
路地を抜け、また路地に入りを繰り返しているうちに、人の気配が全くしない、どこかも分からない河原に来てしまっていた。
「なんだこれ?」
そして見つけてしまった。ゲームへの招待状を。
「誰の落し物だろう」
それは、最新機種のスマートフォンだった。真っ黒で、手のひらサイズ。小型な割にはしっかりと重量はあった。
「それよりあの老人はどこへ?」
了が周りを見渡そうとした時だった。
ブーッブーッと端末が震えた。反射的に画面をオンにし、メールを確認する。
そうしなければいいものを、つい開いてしまったのだ。
『スタンドゲームへようこそ。
覇理了さん。あなたは本日より我が村を裏から支配するギャングのメンバーとし、ゲームへ参加する権限を譲渡します。地図を送っていますので、本日2100までにお越し下さい。また、このメールに既読を付けたにも関わらず出席しない場合は、この世から存在を消させていただきますので、あしからず。』
その文の下に、村の地図と目的地を示す画像が貼られており、謎の部屋番号が書かれていた。
「何なんだよこれ……」
「ブシャァァァァアアァァァ!」
後悔はなかった。ただ理解できず、頭の中で事実と謎が複雑に絡み合い、必要以上に熱を体が発し始めていた。
「スタンドってなんだよ。ギャングってなんだよ。どうして俺なんだ。あの老人は一体。何をしようというんだ。」
「ブシャァァァァァアァッァ」
「こいつは何なんだよ!」
そんな彼を遠目に、老人は不気味に笑みを浮かべていた。
「覇理了。お前の心、見させてもらうぞ。この村をどう思って生きているのかを」
そのまま老人は、誰にも見つかることなく姿を消した。
【ディープ・パープル】
破壊B。スピC。射程D。持続C。精密E。成長A
近距離パワー型で自我を持っている。
吐き出す煙は人を眠らせる効果があり、ゆっくり辺りに広がる。
スタンドを消せば、同士に煙も全て消える。
左手の甲に気味の悪いカプセルが埋め込まれている。