青谷芳樹が広場で熟睡するほんの少しだけ前。逢坂紬が広場に到達するよりもっと前。
荒川美鈴は考えていた。
なぜ自分がボス候補に選ばれたのだろう。なぜ自分がボス候補者の中から赤の王に任命されたのだろう。
なぜボスは次の候補者を指定するのではなく、あらかじめ候補を二人作った上で取り合いをさせたのだろう。
なぜ指輪は二つあるのだろう。
揃えれば願いが叶うとはどういうことなのだろう。
これは歴代受け継がれてきた本当の話なのだろうか。
そして、一番大きな疑問は、仲間などいるのかということである。
あの場で美鈴はギャングに求める今後のあり方を訴え、そして声明を立て仲間を募った。
それから今いるこの場所、酒場に仲間となりたいものを呼び出した。
しかし、もしも本当に願いが叶う代物なら、みんなが欲しがるはずである。あの時は衝動的に仲間を募ってしまったが、本当に来てくれるのだろうか。
来てくれたとしても、仲間に入るフリをして、指輪を奪うのではないだろうか。
もうボスになるという困惑などは頭から消え去っていた。その代わりに残ったのは、誰にも指輪を奪われず、組織をの長となり、願いを叶えるという意思だけである。
そう自分で認識し直して、ふと我に帰った。
「私の願いってなんだろう」
別に叶えたい大きな願いがあるわけではない。ただ分かるのは、最も敬愛する今は亡きボスの守ろうとしたこの村を守りたいということだ。
揺れてはいけない。迷ってはいけない。
行うことはただ一つ。組織にとって不利となる者は排除し、この村を守るために王となろう。得意な情報戦で敵を見つけ出し、先手を打つ。先手必勝だ。
核を持っている可能性がある国は真っ先に滅殺する。持っていなくても悪いのは思わせぶりなその国だ。
懐に手を突っ込んだら銃だと思って先に撃て。名刺だったとしても構わない。
考えている時間はないのだ。全員敵。そう。荒川美鈴は気を引き締めなくてはいけないのだ。
今や王の権限である赤の指輪を身につけた女王なのだ。気をしっかりと持たねば。
水滴のついたグラスをそっと握り締め、既にぬるくなった水を喉の奥に流し込む。いつの間にか乾燥した喉は、必死に流れ込んできた水分を味わっていた。
それなのに額には汗ばかりが滲んでいて、美鈴は大きく深呼吸をした。
物語が動き出すのは、荒川美鈴がお冷をおかわりしたちょうどその瞬間だった。
眠たくなるような雰囲気位の酒場の入口がそっと開き、大げさに客を告げるベルが鳴った。
美鈴は出来るだけ怪しくないように入口を見やった。
美鈴の席は入口から左に少し行ったところにある。入店しても目は届かず、美鈴からはそっと振り向くだけで入口が見える。そんな位置だ。
薄暗いライトが照らす入口には、スーツ姿のメガネをかけた白い男がっていた。
なんと言うべきか、幽霊のような男だった。
やつれているわけでもない。病弱そうなわけでもない。
むしろ、細めだがしっかりと筋肉の筋が見え、色白だが隙はなく、例えるなら、アカネグサのような男だった。
そう、アカネグサのような。英名ブラッドルート(血の根)と呼ばれるあの花のように、その男の立ち振る舞いは綺麗で洗礼されており、そして無駄に白くて綺麗な肌を持っていた。その下に流れる真っ赤な血には何かを腐食させていくような毒が流れている。そんな事を美鈴は思った。
彼女はその男を見て、自分で自分の毛が逆立つのを感じた。
その男は、危険な香りというものを色濃く発していたのだ。
美鈴はその男を見失わないようにしっかりと動きを睨めつけた。
男はというと、美鈴に気づいてか気づかないでか、美鈴とは反対側の席に座った。
そして、美鈴が条件に出した『イカ墨パスタ』を注文したのだ。
この店で、イカ墨パスタは最も不人気な商品である。臭いし黒いし癖があるしで、三拍子揃ったメニューだ。何より酒と合わない。
そのため頼む人間なんて滅多に現れない。つまり、あのアカネグサ男はほぼ確実にギャングの男。それも、赤の王である私の仲間になりに来た男だ。
それから男は真っ黒いパスタが運ばれてきても、一切手を付けようとはしなかった。
皿や食器、グラスなどをまじまじと眺め、メッセージを探しているようだった。
美鈴はそれを見て確信し、自分のグラスにお冷を継ぎ足そうとしていた店員に向けて、そっとスタンドを出現させた。
美鈴のスタンドは桃色のハンドガンのような形をしており、ラメの効いたハートのデコレーションが施されていた。その一見派手なコルトガバメントを店員の左ひざに向け、彼女は何のためらいもなく引き金を引いた。
スタンドだからだろうか、音はしなかった。もちろん普通の人に見られることもなかった。物音ひとつ立てず自然な動きであったため、色白のメガネ男でさえ店員が撃たれたことに気がつかなかった。
そして撃たれた店員でさえ、左ひざに弾丸を受けたことなど気づいた様子はなかった。
弾丸の威力はほぼ無いに等しいようで、店員の膝に直撃はしたものの、かすり傷をつけた程度だった。
しかし、それから店員の態度が一変した。
まるで今まで美鈴に付き従っていた召使のように、美鈴の言葉に忠実に従ったのだ。
美鈴が合図を送ると店員は美鈴から受け取ったメモの切れ端を握り締め、美鈴のコップにお冷を継ぎ足してから、一度厨房に戻った。それから誰かの注文したビールを片手にもう一度出てきて、そっと美鈴の書いたメモをメガネの男に手渡した。
それから数分後、店員は我に返り何をしていたのか思い出せず頭を抱えるのだが、それはまた別の話である。
白肌のメガネ男は、店員から受け取ったそのメモを凝視し、少し首をひねった。
そこに書かれているのは美鈴本人のメールアドレスなのだが、やはり疑わしかったのだろう。
男はパスタに全く手を付けることなく立ち上がり、店を後にした。
それからすぐに組織用の端末でメモのアドレスにメールを送信し、夜の闇に姿を眩ませた。
美鈴は男が消えたのを確認し、別の店員を撃ってからメモを回収させ、送られてきたメールを開いた。
『あなたが赤の王ですか?』
メールには短くそう書かれていた。美鈴はそのメールに肯定の意を書き添えて返信し、ほかの仲間が来ることを祈って待った。
しかしメールはすぐに帰ってきた。
『それで、命令はないのですか?これから何をするのですか?』
どこか試してくるような文章だった。
それもそうだろう。どんな人間がボスなのかも知らないのだ。ましてや命令すら来ない。不信になるのも仕方はないだろう。
美鈴は慌てて青の王がどこにいるのか探らせることにした。
それ以外に命令が思い浮かばなかったからである。
男はそれに対し、『了解』のたった2文字のみを送り、それからパタリとメールが止んだ。
なんだか失敗したような妙な気分だった。
いや、荒川美鈴は迷わない。貫かねばならないのだ。先ほど決めたばかりではないか。
誰も信用できないこの状況、使える手駒はうまく活用しなくてはいけないのだから。
深い溜息をついてから、美鈴はゆっくりと座り直し、適当につまみを注文してから天井を仰いだ。
今やるべきことは限られている。仲間を募り、チームを築き、青の王を洗い出して、数の暴力で指輪を奪い取り、そして新たな組織のボスとなる。
まだ敵に見つかってはいけない。そして誰よりも早く敵を叩かなくてはならない。
そのためにはたとえ仲間だとしても自分の姿を晒すわけにはいかない。
自分に言い聞かせて、やり方を間違っていないと確信し、もう一度深くため息をついた。
荒川美鈴は揺るがない。固く鋭い矛だ。頑丈で、決して曲がってはいけない。
伝統を守りぬくためには、最も重要なことなのだから。
店員が、美鈴の注文した枝豆を持ってきたとき、また新たな客が来た。
美鈴はその少年の行動から、ギャングの者だと確信した。
まだ中学か高校生ほどの若い少年だが、どこかイラついているような雰囲気を出しており、ずかずかと店内に入ってきた。それから、客ひとりひとりの顔を覗き込み始めたのだ。
わかりやすい。それが当てはまるようなガラの悪い少年だったが、店員が何事かとやってくるや、突然笑顔を見せ、猫を被ったように頭を下げ始めた。
それからゆっくりと席につき、例の如くイカ墨パスタを注文する。
その分かりきった行動に合わせ、事前に準備した店員を向かわせると、少年は店員を掴み睨めつけた。偶然にも美鈴とかなり近い席であったため、声がはっきりと聞こえてきた。
「うぉい、お前が赤の王か?あ?」
そんなわけ無いだろうとも言うわけにも行かず、美鈴はただ慌てたが、少年は店員の手渡したメモから察したらしく、店員を鷲掴みにしていた手を離してメモに書かれたアドレスにメールを送った。
美鈴はというと、すぐに開くわけにも行かず、だからといって返事をしないわけにも行かないので困惑しながらも、そっと端末の文章を覗くしかなかった。
そこには短文で『俺の名前は
とだけあった。
内心呆れながらも、美鈴は『まずは青の王を探し出さねばならぬ。敵を探すのが先だ』と送るしか思いつかなかった。
野望があるから、伝統を守りたいから、願いを叶えたいから。
そういう理由で連絡をくれればどんな人間なのか、何に気をつけたらいいのかなどがはっきりと分かるものなのだが。
先ほど来た男といい、今の少年、神霊といい、何を考えているのかわからない人ばかりで、美鈴の頭かねじ切れてしまいそうだった。
あのメガネ男は命令を尋ね、この少年は殺意を訴えた。
やる気があることだけは伝わったので、ひとまず安心した美鈴は、ただ今後について考えをまとめることにした。
その美鈴を、例のお面を被った少女は外から窓越しにじっと眺めてから、青の王が眠るグラウンドへ飛び立った。
まるで二つのグループを見定めているかのように。
そしてもちろん、誰ひとりそのことには気がつかなかった。
荒川美鈴のスタンド
【ラブ&トゥルース】
破壊D。スピB。射程A。持続E。精密D。成長B
右手に収まる程度の拳銃型スタンドで、その姿は一般的とされるハンドガンであるコルトガバメントに似ている。
桃色に安っぽいデコレーションが施されており、大きなハートが目立つ。
威力はかなり低いらしく、至近距離から打たないと殺すことはできない。ほとんど傷をつける程度の威力なのだが、実戦経験の乏しい美鈴にとって、当てることすら困難のようだ。
能力:撃った人間を3分間操れる。
ただし、同じ人間を連続して操ることはできず、また操るという概念は、命令を忠実に聞かせるだけ。操作対象になんの命令もしなければ、撃たれた人間は3分間動かない人形状態になるだけである。
3分後、対象は自分のしていたことを忘れる。