第一章 一話 Now Loading
とある晴れた昼下がり世界は地球温暖化だと言っているが、乾燥した北風がビュウビュウ吹いている十二月、院内カフェテリアのそとには何台もの車が駐車しており、この病院が繁盛しているのがみてとれる。
だがそんなことはどうでもいい。僕はいま人生で一番ドキドキしている。
目の前には黒目黒髪で目がうるんだ女の子が向かい側に座り、僕をみつめている。
これだけ聞いている人にはこれが愛の告白をするワンシーンと思うかもしれないが、それは違う、というのも……
「綸ちゃん、なんで輪兄のニューロリンカーなんか持ってるの?」
ニューロリンカーは事実上そのひとの身分証であるがゆえに、複数所持は法律で禁止されている。もちろん端末を複数所持することは、それほど難しいことではない。だがコアチップは一人一枚しか発行されないし、機種変更には役所や、役所公認の店でしかできないのである。つまり他人のニューロリンカーを持っていることはあり得ないのだが、しかもそれが二年間もの間眠り続けている人のものとなると。
(悪事に使っているようにしか思えない。でも綸ちゃんがそんなことするわけない毎日家族の声を聞かせたりした方が目覚める可能性が高まるからという理由で毎日学校帰りにお見舞いに行くような子が、そんなことをするはずがない。)
となると、なおさら理由がわからない。
「これ……付けて下さい……」
そう言って彼女が差し出してきたのは《有線直結通信》略して《直結》に使うXSBケーブルであった。
直結とは通常ニューロリンカーが行っている何重にもセキュリティがあるネットワークサーバーを通しての相互通信ではなく、防壁の九割を無効にするものである。
だから直結をするというのは、自分のすべてを相手に見せることと同意であり、故に公共の場でこれを行っている男女は99%付き合っていると言っても過言ではない。
(まさか綸ちゃん、悪事に加担させられていて……)
最近ネットで噂されている情報、国内最強の防壁を備えているといわれているソーシャルカメラネットが誰かにハッキングされたという噂。もちろん何の証拠もないただの噂なのだが……。
(期間が長すぎるんだよなー)
この噂が最初に言われたのが七年前、しかしこの噂は減るどころが少しずつだが増えてきているのだ。ソーシャルカメラネットでさえ安全とは言われていないこのご時世、病院のネットワークサーバーなど紙同然。
僕は内心どうやって綸ちゃんを悪事から助けるか、その方法ばかり考えていた。いざとなれば交代してスグルに任せることを視野に入れながらケーブルを首に挿した。
「それでなんで輪兄のニューロリンカーを?」
綸ちゃんいわく、今年の夏休みアルバイトの最中客の膝に氷水をぶちまけてしまい、幸いにもそのお客さんは許してくれてこれといったトラブルもなかったのだが、何度か会ううちに悩みなどを打ち明けるほどの仲になったそうだ。
「…………それで、その人が言ったんです。この東京という町には、もう一つの姿がある。そこでなら、私は、私の答えを見つけられるかも、しれない……と……」
(……怪しすぎる。なんだよ東京のもう一つの姿って、裏の組織とかそんなんなのか。いざとなったら信孝さんや、泉美さんに頼んででも)
「すぐ君って……ニューロリンカーいつからつけてますか……?」
「いつからって、プロトタイプも合わせたら生まれてすぐじゃないかな」
ニューロリンカーが市販されて十五年、だがその前にプロトタイプと呼ばれる物があった。一般には出回らず試作品のような物で、たまたま、無駄に広い由良家の人脈でそれを手に入れ、子供の教育に良いと言う建前の下、稼働データをとるためにつけられたらしい。
「……じゃあ……このアプリインストールして……下さい」
そう言いながらじっと真剣な目でこっちを見てくる綸ちゃん。
「なんで?」
ポーンと電子音と共に【BB2039.exeを実行しますか? YES/NO】と書かれたメッセージが現れた。
「理由は言えません……でもこっち側にきて……お願い…………」
その言葉を聞いたとき、東京のもう一つの姿とか謎のお客さんとか全てがどうでもよくなった。綸ちゃんがこんな輝いた目をしたのを僕は輪兄が眠り続けてから一度も見たかとがなかった。そして何が綸ちゃんをここまで変えたのか知るためにもと、YESのボタンをタッチした。
その瞬間、周りが火炎に包まれた。やがてそれは前に集まりだし文字の形になった。
そこには【BRAIN BURST】と書かれていた。
インストールには三十秒近くかかった。ニューロリンカー用アプリであることと、直結していることを考えるととても重いアプリだといえるだろう。そして100%になると、【Welcome To The Accelerated World】という文字があらわれて消えた。見たところ違法アプリではなさそうだが。
「それでこのぶれいんばーすとって、なに」
「良かった……。無事インストールできたみたいですね」
「無事ってどういうこと、これって体に有害だったりするわけ――」
「……いいえ……そういうわけではなくて……このアプリをインストールするには三つの条件があります……」
(ほう、条件とはなんだかきな臭くなってきたなあ)思考発声にならないように注意しながら考える。
「……ひとつは、新生児の頃からニューロリンカーを装備していること……二つ目は長時間のフルダイブ経験があり、高いレベルの脳神経と量子リンクの親和性……三つ目は……明日言います」
(いや、それ三つ目が一番やばいやつじゃん今言えないほどやばいアプリだってこと、これ)
見たところインストールに時間がかかったことをのぞいたら解ったことといえば常駐タイプではなく選択起動型だろうといったことくらいだろうか。
「それと……明日私と会うまで絶対にニューロリンカーを外さず、グローバル接続はしないでくだ……さい」
そう言い残すと綸ちゃんはケーブルを外し、アルバイトが残っていますからと席から立ち上がりレジの方へ去ってしまった。
残された僕に出来たのは自分が頼んだコーヒーを飲み、代金を払うことだけであった。
綸ちゃんと別れた僕は、さっきあったよく判らない話に思いをはせていた。
(とりあえず綸ちゃんが、輪兄のニューロリンカーをつけていたのはこのアプリが関係するらしい。)
というのも綸ちゃんのお兄さん日下部輪太は、ICGPの選手であり若くして本番ヨーロッパへのチャンスを掴むほど将来を期待された選手だった。しかし、去年最後の大会、僕たちの目の前で、クラッシュ、幸いにも一命は取り留めたもののそれ以来いまだにずっと眠り続けている。
(あの時からもう一年たつのか、年を取るごと一年間が短くなるっていうけれど……)
その日以来、綸ちゃんは兄の病院が近いからという理由で急きょ高校を変更。学校がやっていない夏休みと、冬休みはこうして病院のカフェテリアでアルバイトをしている。
そんなことを考えながら家に帰った僕は、挨拶もそこそこに今日あったことを日記に書き、久々に出歩いた疲れからか首につけたニューロリンカーのことも忘れ、泥のように眠った。
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