以前私が書いた、「響の背伸び」の続編です。内容は結婚をマジかに控えた響ちゃんの前に立ちはだかる、巨大な壁。それをどう乗り越えるのか? と言った感じ。結構苦戦して書いたのでやっぱり色々おかしいよ!

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マリッジブルー

 

 

 

 さくり、さくりと歩みを進める度に雪を踏みしめる足音が耳に届く。はぁ、と吐き出す息は白く染まり、目の前で広がってあっという間に空気に溶けて消える。鎮守府に着任していくつかの冬が過ぎたが、ここまで雪が降るのは珍しい事だった。提督が渡してくれた白いロシア帽子が無ければ、頭も耳もキンキンに冷えていただろう。

 

 腕には町で買った食材の入った紙袋。パン屋で特売だった大きいフランスパンの先端が入りきらずに飛び出している。やや落ちそうになっていたそれを抱え直し、響は鎮守府の正門を潜り抜けた。

 

 鎮守府内に入っても、響の見る景色は変わらない。敷地内も雪が降り積もり、辺り一面白銀の世界に染め上げていた。大雪のせいで出撃する事も難しく、本日の鎮守府は開店休業状態。艦娘たちは与えられた一日だけの休暇を楽しんでいるようだった。現に、運動場の方からは楽しそうな声が聞こえてきた。

 

 響は提督室のある本館までたどり着き、扉を開けて中へと入る。ブーツに張り付いた雪をカーペットの上ではたき落とし、荷物を一旦置いて帽子を脱ぎ、同じく張り付いた雪を落とす。

 

 あらかた体に張り付いた水分をはたき落とし、響は改めて荷物を抱えると中央の階段を上り、二階へと到着する。角を曲がり、いくつか歩みを進めて提督室前に到着する。響はノックをして中へと入った。

 

「ただいま、司令官」

「おう、お疲れ。すまないな、こんな寒い中買い物を頼んじまって」

「仕方ないさ。司令官も頑張ってるんだから、私だってその支えになるよう努力する」

「頼もしい限りだ。温かいお茶を淹れよう。コートを脱いで座ってな」

「うん」

 

 荷物を置いてコートを脱ぎ、響はハンガーラックにコートをかけ、ついでに帽子も置いてようやくソファーに腰を下ろす。体がすっかり冷え切ってしまい、たまらず手に息を吐く。提督はその間に急須にお茶を淹れ、湯呑に注ぐと響に差し出した。

 

「ほれ、お待たせ」

「спасибо(ありがとう)」

 

 湯呑に手をかけ、温かいと顔がほころぶ。息を吹きかけてまずは一口。ほうじ茶のいい風味が口いっぱいに広がり、胃袋の中へと流れていく。その一口で体が一気に温かくなった。

 

「うん、美味しい」

「そりゃよかった。だがお前が淹れるオリジナルブレンドの方が美味いけどな。どうやったらあんなにちょうどよく仕上がるんだ?」

「ふふふ、それは秘密だよ。こればかりは誰にも教えていない完全自力の配分なんだ」

「残念だ。なら俺もちょっと休憩するかな」

 

 提督は自分用の湯呑にもお茶を淹れ、響と向かい合う形で座ると口に入れる。一応ノルマは達成したし、今日はこのまま仕事を終えてもいいだろうと判断する。

 

 二人は特に口を開く事も無く、部屋にはお茶をすする音と、時計の針を刻む音しか聞こえない。知らない人間が見れば、この二人は仲が悪いのだろうかと勘違いするだろう。が、二人にとってはこれが日常で、お互い何も言わなくても気持ちは理解しているから問題ない。強いて言うなれば、もうちょっと上の段階があるが。

 

「司令官」

「なんだ?」

「そっち行っていいかな?」

「ああ、いいぞ」

 

 よっこらせと提督は座り直す。テーブルを回り込み、提督の目の前まで来る。そして彼の膝の上に、響はさも当然のようにちょこんと座る。と言うか、二人にとってこれは数年前からのお約束で、二人きりの時はこれが当然の形態であった。

 

「やっぱり私はここがいいな」

「その歳になってもまだここが好きか。暁に引けを取らないお子ちゃまだな」

「いいさ、私はそれで。司令官のここが一番好きなんだ」

「それ言われるとお手上げだな」

 

 やれやれ。提督は目の前に広がる響の髪の毛にそっと触れてみる。氷のように透き通った彼女の美しい髪。初めて会ったときから残ってる癖毛はそのままで、完全に彼女のトレードマークと化していた。

 

 提督の手が触れる度に、響の体が小さく跳ね上がる。ほほう、未だに慣れないのだろうか。ならちょっとばかり遊んでやろうと提督は意地悪をする。

 

 顔を響の後頭部に押しつけ、お腹に手を回して力強く抱きしめる。響は声こそ上げなかったが、胸が跳ねるのをしっかりと感じた。おそらくもう一歩大胆に行けば、「ひゃっ」と声を出しただろう。

 

「何のつもりだい……司令官」

「別に。響の髪の毛からいい香りがするから」

「やっ……押しつけたまま……しゃべらないで……」

「聞こえんな~」

 

 すんすんと鼻を鳴らし、響の香りを鼻孔に押しつける。響はそれがくすぐったくて体をよじらせる。が、提督はしっかりと腕で響を自分に密着させ、逃がさないようにガードする。

 

「……ずるいよ、司令官」

「そらどうも」

 

 顔を離し、提督は響の頭を優しく撫でてやる。やや不満そうな響。しかし、結局のところ嫌ではなかったからすぐに許す事にする。ぽん、と体重をかけて提督に精一杯の抵抗。

 

「……大きくなったな、響」

「そうかな。まぁ、目線は少し高くなったかなと思うよ」

「こう言っちゃ失礼かもだが、重くもなってるぞ。いや太ってるって意味じゃないからな」

「ふふ、分かってるよ。司令官と一緒にやって来てもう四年になるんだから」

 

 そう。響が提督の家に押しかけ、彼の気持ちに不安を抱いていたあの夜からもう四年。響は今月で16歳になり、誕生日付で婚約届けを出す予定だった。それが何を意味するか。

 

 響は、今月付で解体され、普通の人間に戻ると言う事だった。

 

 

 

 

 提督にプロポーズをされたのは、クリスマスイヴの日に合わせて予約したレストランで二人が食事を終えた時だった。真剣な面持ちの提督が響の名を呼び、彼女にカッコカリではない本物の指輪を左手薬指にはめたのだ。

 

 響は一瞬何の事か理解できなかったが、年が明けて少ししたら自分の誕生日が待っている事を思い出し、涙を流した。やっと、この日が来たと。長い長い四年間。提督は響を愛し、しかし彼女の純血を汚すことをせずに精一杯愛してきた。そして、彼は四年前に入った約束を果たしてくれたのだ。

 

 16歳になったら、解体して結婚する、と。

 

 その話題は鎮守府の中へとあっという間に広がり、真っ先に第六駆逐隊全員が祝福した。続いて青葉があれよあれよと写真を撮りまくり、鎮守府に号外をばらまく。そうすれば話は早い物で、ひっきりなしに結婚を祝う艦娘たちが提督室に押しかけてきた。その勢いは凄まじく、半日ほど鎮守府が機能しなかった程である。提督してはやや望ましくないのだが、まぁたまにはいいだろうと少しばかり惚気てやった。

 

 その後はというと、響の左手薬指にはケッコンカッコカリの指輪と、正真正銘の婚約指輪がはめられ日々の任務を全うしていた。最初こそ他の艦娘から冷やかされたりしていたが、言い変えればちょっとした優越感を感じた。

 

 そんな日々を送って現在。響の誕生日まで残りわずか。提督からは婚姻届を渡され、響は可能な限りの空欄を埋める。これで最後に響が16歳を迎えれば、サインと最後の記入、彼女の本名である印鑑を押して晴れて二人は夫婦となる。

 

「……正直に言うと、ここまで来れるとは思ってなかったよ」

「ん?」

「司令官、もしかしたら忘れてしまうんじゃないかなってちょっと思ってた」

「まー、そうだな。それを言ったら俺もちょっとだけ不安だった」

「どうして?」

「16歳って言ってもまだまだ子供だからな。他に好きな奴が出来て、さっさと忘れるんじゃないかって思ってた」

 

 ほんの少し不安げな提督の声に、響は少し意外に思うも唇が釣り上げて笑みを浮かべてしまう。

 

「ふふっ」

「なにがおかしい?」

「いや、うん。君がそう言う事を考えてるなんて思ってもみなかったからさ。愛だとか恋だとかを知らない私に、それを教えたのは司令官なんだよ。だから私が愛せるのは司令官だけなんだ」

 

 体をそっと入れ替えて、二人は向き合う形になる。大雨の中ずぶ濡れになり、自分の家に押しかけてきたまだ子供の顔だったのに、今はすっかり大人の雰囲気を漂わせる顔つきになっていた。今の彼女は、美しいと呼ぶにふさわしい美女である。

 

 体つきだって大きく変わっている。とんでもなく華奢で、少し力強く抱きしめるだけで折れてしまいそうだった彼女の体は、出る所はそれなりに出て、引っ込む所はしっかり引っ込み始めている。男性を魅了させるには十分すぎるスタイルだ。もう、あの時の制服だって入らない。今来ているのは三代目のサイズ違い制服だ。

 

「私が愛して、そしてこれからも愛する事が出来るのは、司令官だけさ」

「こっちだって同じさ。お前が居ないと、すっかりやって行けなくなっちまった」

 

 ぎゅう、と響が提督の胸板に頭を押し込む。提督も彼女は自分の物だと言わんばかりに力強く抱き寄せ、自分の頭を彼女のうなじに押しつける。また少し意地悪しようと、提督は舌を伸ばした。

 

「っ!」

「おや。声は出さなくなったのか? でも相変わらず体の反応でよく分かるな」

「もう……ずるい人……」

 

 顔を離して、じとりと提督の顔を見る響。そっとその頬に提督は手を置き、優しく撫でまわす。やや乱れて顔にかかった髪の毛を戻してやると、すぐに彼女の顔は提督を求める女の顔になった。

 

「司令官……ちょっと口が寂しいな」

「奇遇だな。俺もだ」

 

 言えば早いと、二人はそのままなんのためらいもなく口付けをする。あの時一線を越えてから、隙有らばキスをする仲になってしまった。はて、これはアウトなのかセーフなのか。たぶん、アウトだろう。

 

 しかも、触れるだけの軽いキスではなく、今ではお互い舌をからませてのディープキスだってお手の物である。やって来たのは響が先で、提督もさすがにまずいかなと思ったが、時折サクランボの茎を口の中でもごもごさせている響を見ると断るわけにもいかなかった。おかげでディープキスをする時は響の方が上手くなってしまい、そっちをする時提督はほぼされるがままになってしまう。なお、未だに彼は口の中でサクランボを結ぶことはできない。

 

 ぬろり、ぬろりと口の中で舌を動かす響。彼女のテクニックのせいで一体何回抑えが利かなくなりそうになった事だろうか。時折よだれを掻きまぜて立てるくちゅくちゅと言う音が二人の鼓膜を叩く。ぞわり、と体が震える。響が口を離し、つー、と二人の混ざりあった唾液が伸びて落下した。

 

「こっちは、私の方が上手だね」

「恐れ入るよ、まったく」

「やられっぱなしって言うのもあまり好きじゃないからね」

 

 再び頭を胸板に押しつけ響はまるで子猫の様に甘える。しっかり者の次女が存分に休む事が出来る、最高の場所だ。耳を押しつけ、その向こうにある提督の心臓の音を聞く。どくん、どくんとやや早いテンポで動く彼の心臓。響はそれがまるで子守唄の様に聞こえ、少しばかり睡魔がやって来る。いっそこのまま寝てしまいたい。

 

 とくん、とくんと耳に届く提督の心臓の音。しっかりと抱きとめてくれる彼の大きな手。それが気持ちよくてそう時間のかからないうちに目蓋を閉じる。

 

「しれいかーん、新人の駆逐艦達も一緒に雪合戦……あ」

 

 と、提督室の扉を開けて、体中雪まみれの雷が現れる。見るからにして新しく入った駆逐艦の皆と雪合戦なりなんなりをしていたと言うのが良く分かる。面倒見のいい彼女の事だ、率先して新人のみんなを連れだした事だろう。

 

 雷は最初こそハイテンションで部屋に飛び込んだが、ソファーにて抱き合ってる二人の姿を見て状況を察し、はて今自分は空気を読まなさ過ぎたのだろうかと思ったが、うとうととしている響の姿を見てにんまりと笑みを浮かべる。

 

「ごゆっくり~」

 

 明らかに冷やかしの目。まるで彼女を連れ込んだ息子に向ける母親の目である。響はどうやら転寝して気付いて無いようだ。やれやれとため息を吐くも、心地よさそうに眠る響の顔をそっと撫で、ソファーに横にすると毛布を被せてやった。

 

 

 

 

 響は、自分が突然白い世界に居る事に気がついた。一瞬雪だろうかと思うが、違う。空を見上げても、地面を見つめても、前後左右を見つめてもまるで景色が変わらない、一面真っ白の世界。唯一分かるのは、自分は確かに地面に立っていると言う事だけだ。世界そのものが光ってるような、しかし眩しくないその空間。なんで自分はこんな所に居るのだろうかと疑問に思う。

 ためしに一歩踏み出す。確かに歩いている感覚はある。だが、景色が変わらないせいでまるで動いている気がしない。試しにもう一度辺りを見回すが、やはり何も無い。と。

 

「あっ……姉さん……」

 

 突如響の隣から暁が現れ、笑顔ではしゃぎまわりながら走り抜けていく。響はもう一度呼びかけようと口を開き、しかしその瞬間に今度は雷が現れる。一体二人はこんな所で何を? そう思ったのを待っていたかのように、電もどこからともなく現れて三人ではしゃぎまわる。

 

「……待って、私も行く!」

 

 響も追いかけようと走り出す。急に怖くなった。なぜこっちには見向きもしないのだろう。このまま置いて行かれそうな気がして不安がよぎる。思わず手を伸ばし、声を張り上げる。

 

「待って、待ってみんな!」

 

 

 

 

「っ!」

 

 響が目を覚ますと、そこは見慣れた提督室の天井だった。軽く息が上がっていたのか、やや息苦しい。ゆっくりと深呼吸をし、そのくらいになって自分がうっすらと汗をかいている事に気がついた。

 

「…………夢、か」

「ん、起きたか?」

 

 声がした方に顔を向けると、提督がお茶のお代わりを注いでいた。いつもの彼の姿に、響は思わずホッとする。

 

「うん……どのくらい寝てたかな?」

「三十分くらいだ。お茶いるか?」

「……いや、ちょっと寝汗をかいてしまった。体を冷やすよ」

「そうか。暖房強すぎたかな」

 

 どれどれと提督は暖房のリモコンを取り出す。実際部屋が暑いわけではないのだが、まぁ特に気にしなくていいだろうと響はさっきの夢を思い出す。なにか不穏な夢だった。腕を見ればまだ少し鳥肌が立っていた。なんだろう、言葉にできないような不安が彼女を襲った。寒気が響を舐めまわし、思わず肩を抱く形になる。提督もその響に気付き、心配そうに近づく。

 

「響、やっぱりどうした? 寒いのか?」

「いや……ごめん、実は急に寒気が……」

「風邪でも引いたのか? なら薬を……」

「いや、風邪とは違う……大丈夫、ちょっと待てば大丈夫だから……」

 

 とは言う響であったが、やはり妙に落ち着かなかった。体をずっと原因不明の寒気が襲い、不安が体を撫でまわす。これは一体何なのだろう。提督の言う通り風なのだろうか。そしたら早く治ればいいのだが。

 

 その日は暫く毛布を被り、響はじっとソファーの上で大人しくしていた。心配した提督が傍に居た事もあって、三十分もしないうちに元に戻る。落ち着いてから響は、さっきのはなんだったのだろうかと疑問に思う。が、一晩寝てしまえばその事も忘れてしまい、またいつもの生活に戻る事になった。

 

 

 

 

 引退を間近に控えた響は、現在の任務大半が新人艦を率いての練習航海がメインになっていた。教官となった今、彼女に出来る事は自分が培ってきたノウハウを後任の艦娘に徹底的に叩きこむ事。練習航海をするにあたり、時折偵察艦、はぐれ艦と接触する事もあったが、鎮守府内に置いて最古参の練度を誇る彼女にとって軽巡程度ならどうという事は無かった。加えて、教官は二隻体制で行われ、もう一隻も軽空母龍譲改二が随伴している。よって戦艦クラスが一隻来たとしても龍譲の艦載機による開幕雷撃と響の雷撃で沈めることだって当然のように出来た。

 

 今日もまた、新人の夕雲型駆逐艦、夕雲、巻雲の二隻と、軽巡洋艦二代目の天龍、龍田を率いての演習航海であった。先代の天龍型二名は任期終了が間近に迫り、龍田に関しては響と同じく鎮守府近くに住む一般人との婚約が決定している。なんともフラグチックな展開だが、龍田も第一線から退き、今は座学教師として残りの期間を全うしている。二代目の天龍、龍田もそれなりに経験も増えてきたことから、改装も近いと言われていた。

 

「龍譲、付近に敵艦は?」

「偵察機からの情報やと、ウチらが進む進路上には何もおらへん。絶好の航海日和やで」

「油断は禁物。何が起きるか分からないよ」

「はいはい。しっかし嫁に行くのに、響は惚気たりもせず全然変わらんなぁ」

「え、響さんお嫁さんになるんですか!?」

 

 前から三番目、巻雲が驚く。その一歩先を進む夕雲も意外そうな顔をしていて、ああそうだこの二人は知らなかったなと響は思い出す。

 

「こら、龍譲。無駄口叩かないの」

「ええやんか。たまには世間話でもせんと、新人たちの肩が硬くなるで」

「とか言って、一番口を開きたいのは君じゃないか」

「あら、ばれてもうた」

「とっくに知ってる」

「それよりそれより、響さんお嫁に行くってどういう事ですか!? まさか司令官様とですか!?」

 

 巻雲が飛び跳ねるかのようにして聞いてくる。長さの足りない服の袖口がびよんびよんと跳ね回る。まぁ、こういう色恋沙汰の話も気になるのが女の宿命と言う物だし、適当に受け流しても気になって集中できないだろうと踏んで響は軽く触れてやる。

 

「そうだよ。今月で16歳になったら、私も退役して結婚する」

「えええええ!! すごいです、16歳でもう結婚って、それだけ二人は愛し合ってるんですね!」

「ま、まぁ……」

「もちろんや。この二人はな、そらもうウチらから見てもアツアツやで。それに至るまで見ていられへん辛い事もあった。でも、響は提督の気を引こうと一人で家に押しかけ……うわぁお!!」

 

 龍譲の頬の脇を12.7cm連装砲の砲弾がかすめる。それ以上言えば当てる、と言う響の眼光。龍譲はその目を見て体が縮みあがり、自分に向けられても無いのに巻雲の顔が青ざめた。

 

「ひぃいいいい!! 響さん顔が怖いです~!!」

「よしよし、気になるでしょうけど、深入りはよろしくないですよ?」

 

 怯える巻雲を、夕雲が優しく撫でてやる。それを見て響はさて解放されたのだろうかとため息を吐き、前方へと意識を向ける。以前敵影なし。至って穏やかな海である。一応後ろの夕雲型二人に発足を付け加えておこうと響は口を開く。

 

「無事引退したら、鎮守府みんなで披露宴をする予定だよ。もちろん君たちにも来てもらうから、楽しみにしてて」

「ですって。よかったわね巻雲」

「うわーい! 巻雲、響さんと司令官様のお役にたてるよう頑張ります!」

 

 これで特に雑念を持つことなく、むしろモチベーションが上がるだろうと響は判断する。龍驤は流石だなと口に出さずに思う。そう言えば響は最終的にヴェールヌイから練習艦デカブリストになった。その記憶が恐らくこの教導の役に立ってるのだろう。さて、このまま何も無ければ鎮守府への帰還コースに入る。今日も特に何も無かったなと龍驤が思った瞬間、偵察に出した彩雲一番機から通信が入った。

 

「…………響! 敵艦発見の報告! 駆逐艦が二隻、軽巡一隻、重巡二隻や!」

「ふえぇええええ!!?」

 

 巻雲が怯えて悲鳴を上げる。実戦経験がまだほとんどない彼女にとって、敵艦との遭遇はやはり怖いのだろう。確か彼女の初陣は、龍驤の流星が開幕雷撃で敵の大半を轟沈または行動不能にし、残った動けない艦の雷撃で終わると言う、ほぼ何もしないに等しい物だったと響は記憶している。

 

「龍驤、距離は?」

「割と近いで。向こうさんもこっちに向かっとる。接触まで五分と要らんな」

「了解。旗艦響より全艦へ告ぐ。これより敵艦隊との交戦に入る。手順は龍驤の航空隊からの雷撃後、接近しての砲撃戦。いいね、焦らずに狙う事。危なくなったら逃げてもいいから」

「でもでも! 重巡二隻って、私たちだけじゃ……!」

 

 巻雲が不安な顔で響に訴えかける。それを顔半分ほど振り向いて見つめる響。彼女は涙目になりそうな彼女の顔を見て、やや遅れてやって来た自分のただ一人の姉の初陣を思い出す。ああ、お姉さんなのにやたらとへっぴり腰な初陣だった。それを思い出して、思わず唇がつり上がる。

 

「大丈夫だよ。みんないるから」

「響……さん……」

 

 小さく笑みを浮かべる響の顔。その顔は自信に満ちていて、もう今すぐにでも敵と接触するかもしれないと言うのに余裕を持ち、そしてこれ以上に無いほどの安心感を巻雲に与えてくれた。

 

「……はい! 巻雲、やれます!」

「よし。龍驤、やっちゃって」

「あいよ!」

 

 龍驤が飛行甲板を広げ、式神をその上に乗せると指を動かして発艦の指令。次々と式神たちが舞い上がり、そして戦闘機へと形を変えていく。制空権確保の烈風が舞い上がり、続いて流星部隊が飛び立つ。響はそれを見送って12.7cm連装砲B型改二を展開する。そのタイミングで遠くに見える五つの艦影。水柱が上がり、先行した航空隊が接触したのが理解できた。

 

「通信。航空隊空や。駆逐一隻を轟沈、軽巡を中破、重巡を小破させたで」

「了解。単縦陣形成、敵と接触する」

 

 響が加速を掛ける。対空射撃を行ってる深海棲艦側がこちらに気付き、主砲を構える。だが遅い。この距離は響にとって格好のベストポジションだ。主砲用意、目標重巡リ級。発射!

 

 12.7cm連装砲B型改二から発射された二発の砲弾が、先頭を航行していた旗艦であろうリ級に直撃する。その砲弾は、響の恐ろしいまでの正確な射撃により、寸分の狂いもなくリ級のバイタルパートを突き抜け、一撃で攻撃不能なレベルにまで追いこむ。そしてその傷ついた体に、ワンテンポ遅れて放った五連装酸素魚雷五発が突進し、着弾。轟音を巻き上げてリ級の息の根を止める。すかさず取舵。T字有利で砲撃戦を続行する。

 

「旗艦轟沈! 残った奴らを沈める!」

 

 主砲、並びに魚雷再装填。夕雲と巻雲が砲撃してくるイ級に向けて主砲斉射。至近弾を浴びせて魚雷発射し、爆発。直撃とまではいかなかったが、イ級も大きくダメージを受けて動きが鈍る。そこへ天龍の14cm単装砲の砲撃が突き刺さり、爆発炎上。しかしその爆炎の中からホ級が飛び出し、天龍へ砲撃を浴びせる。近すぎて回避が間に合わない。思わず天龍は身構えるが、とっさに龍田がカバーに入って、一発を主機に食らって炎上する。

 

「すまねぇ龍田!」

「もー、天龍ちゃんったら、飛び込み過ぎなんだから」

「龍田、被害報告!」

「缶が一つ、第一主砲もダメになったけど、魚雷は行けますよ~」

「ならいい。二人は一旦離れて。天龍、離れちゃダメだよ」

「ちっ、分かってるよ旗艦どの……うわっと!?」

 

 まだまだ前に出たそうな天龍であったが、小破していたリ級が体制を立て直して砲撃を開始し、たまらず後退。やたら近い場所を水柱が上がる。相手の砲撃が正確だ。気を抜いたら当たる。天龍は龍田を抱えて回避運動。その真上を流星の編隊が駆け抜ける。

 

「艦載機のみんな、腕の見せ所やで! 第二次攻撃隊、全機発艦!」

 

 再び流星部隊が魚雷発射体制を整え、海面を低空飛行で飛ぶ。残った艦艇がそれを迎撃しようと機銃射撃。響はサポートすべく、再装填した魚雷を発射。一隻ずつ残ったリ級とホ級はとっさに回避。しかしその進路上に流星部隊の魚雷。

 

 信管が作動し、直後に爆発。ホ級の形が見えなくなり、代わりに残骸が雨のように降り注ぐ。リ級は呆然として居るのだろうか、これと言った動きを見せない。そう思うのも無理はない。一隻は空母が居るにしても、残りは駆逐艦と軽巡洋艦。しかも大半がまだ未熟な艦だ。それなのに、あの旗艦の駆逐艦の動きでたった数分で完膚無きにまで叩き潰されたのだ。

 

「終わりだよ」

 

 最後の魚雷を再装填。今度は両舷合わせて十門の酸素魚雷だ。夕雲、巻雲も同じく四連装酸素魚雷を全門装填する。

 

「雷撃戦、用意! 撃てぇ!」

 

 一斉発射。合計二十六発の魚雷が一斉に襲いかかる。リ級は何とか回避しようと舵を切るが、後退した天龍の遠方射撃により逃げ場を失い、空からも機銃掃射で動きをさらに封じられる。刹那、リ級の体は爆炎と水柱の中に消えていき、散らばる残骸と共に海中に消えて行った。

 

「……状況終了。敵全艦撃沈」

 

 響のその一言で、巻雲が夕雲の肩を抱いて「やったぁ~!」と飛び跳ねる。龍驤もやれやれと腰に手を当てて一安心。念のために艦載機たちは自分たちが鎮守府のすぐ近くに帰りつくまで護衛に出したままにする。引き続き偵察を行う彩雲の偵察部隊からは敵影なしとの報告。無事に帰れるだろうと踏んだ。

 

「ま、ちょっち損害は出たけど十分やろうな」

「そうだね。天龍、龍田の損傷は?」

「ざっと中破だ。主機は生きてるし、魚雷も生きてる。まだ戦う事も出来るみたいだが、まぁさっさと入渠させたがいいだろうな」

「そうだね。鎮守府に連絡、第一教導艦隊はこれより帰頭。ドッグの秋を確認して龍田を……」

 

 と、響が無線を開こうとしたその瞬間だった。突如として後方で爆発が起こり、巨大な水柱が巻き上がる。その勢いに響は大きく吹き飛ばされ、海面を転がった。

 衝撃で全身が痛む。さっきの一撃のせいで魚雷発射艦が片方死んだ。ずきずきと悲鳴を上げる体を無視して何とか立ち上がり、目を開いて状況を確認する。目の前に自分の艤装の破片。そして、その先にぐったりとうつ伏せで倒れている夕雲の姿があった。

 

「夕雲姉さま……夕雲姉さま!!」

 

 巻雲が大慌てで駆け寄ろうとする。しかし響はそれを見て真っ先に危険だと思った。今の巻雲は夕雲のことしか見えていない。それが戦闘中に何を意味するのかと言えば、ただの的になると言うことだった。

 

「ダメだ、巻雲!」

 

 遅かった。夕雲の手を掴もうとした巻雲に向けて魚雷が襲いかかり、はっとした時には既に巻雲は水柱の中に消えていた。敵潜水艦が一隻居たのだ。最初、敵艦隊を撃破して喜んでいた巻雲めがけて発射された魚雷を、いち早く気付いた夕雲がかばってそれを受け、損傷。轟沈はしていないが意識が無い。早く曳航しなければ止めが来る。響は主機を全力運転させて二人の元へ向かう。

 

「龍驤、敵の位置は掴める!?」

「無理や、どこに居るか分からん!」

「魚雷の陰からして私から見て十時方向、そこに適当でいいから機銃でも何でも叩きこんで!」

 

 これで当たる訳が無いのは龍驤だって知っていた。だが、何もしないよりかはいい。響は全力運転で二人の元へと向かう。水柱の消えた波間に巻雲の姿。どうにか立ち上がろうとしているのが見えた。

 

「巻雲!」

「す、すみません響さん……回りが、見えなくて……」

「今はいい、動けるかどうかチェックを!」

「えっと……主砲、魚雷はもう駄目です……申し訳程度に詰んでおいた爆雷投射機なら……」

「航行は?」

「……はい、行けます。だいぶ遅くなりましたけど……」

「構わない、今すぐ離脱だよ。私が敵を引き寄せる。君は夕雲を曳航して天龍と合流する。いいね?」

「は、い!」

 

 響は巻雲の返事を聞くと、龍驤の艦載機が飛び交う方へと向かう。恐らく魚雷はその方向から来た。敵はまだそんなに遠くへ行ってないはずだ。離脱する時間を稼ぐべく、響は目立つように高速で動きまわる。

 

「さぁ、私はここだよ! 撃つなら来い!」

 

 勇ましく、可憐な姿。その姿を見た男たちはその気高い存在である響に心奪われるに違いない。だが、それは戦場じゃなかったらの話だ。今彼女たちは見えない潜水艦と言う脅威に晒されている。新人艦の大半は戦闘がほぼ不可能。数が分からない敵を相手に、響は必死に派手な動きをする。と、

 

「響! 方位245から魚雷が二発や!」

 

 龍驤の飛ばした艦載機が魚雷の影を見つける。響は艦を全力回転させて射線上から退避、反転。注意を引こうと更に加速を仕掛ける。それを見て龍驤が声を上げる。

 

「深追いはしたらあかんで! 響、出過ぎや!」

「ここで私が行かないとみんなやられる!」

「せやけど、それで何かあったら提督になんて言うんや!」

「っ!」

 

 その言葉で、突然響の頭の中が真っ白になった。戦闘中なのに何も考えられなくなる。さっきの自分の言葉、そして龍驤の言葉が頭をループする。みんながやられる。何かあったら、提督に何を言えばいい? 今まで特に考え無かったことがやたらと大きく響いた。

 

 みんなが危ない。みんな沈む。そう思うと国の奥深くに眠る恐怖の記憶が体を撫でまわす。みんな逝った。みんな沈んだ。そして、今度は自分が沈む。提督に二度と会えない。自分が消えたら、彼はどんな気持ちになるのだろう。いや、これほどに無い悲しみに包まれるのは分かる。取り残されたら……彼は……。

 

「響、前!!」

 

 龍驤の叫び。響は顔を上げる。目の前に潜水艦カ級が浮上し、じろりと響を睨んだ。主砲を、撃たなければならない。浮上している今がチャンスなのだ。なのに体が言うことを聞かない。不意に、カ級が不敵な笑みを浮かべた気がした。

 

 魚雷の影が走る。回避運動を……出来ない。自分の描く回避進路が出て来ない。あるのは恐怖だけ。もし自分が沈んだら、他のみんなが沈んだら、そんな考えしか出て来ない。

 

 気付いた瞬間、響は空中に舞っていた。いつもは水平線を見ているのに、空が一面に広がっていた。耳を撫でる風切り音。そして全身を殴りつける激痛。痛い……痛い……痛い……。

 

(しれい……かん……たす、け……)

 

 朦朧とする意識。背中が叩きつけられる気がした。響は自分が海面に浮いているだけだと言うことに気がつかない。体の反応も微弱で、指がまるで動かなかった。何で空が見えるんだろう。何で体が動かないんだろう。何で自分はここに居るんだろう。そんなことしか頭に流れ無くて、不意に涙がこぼれた。

 

 潜水カ級が止めを刺そうと魚雷を再装填する。龍驤がそれをさせないと艦載機による機銃射撃を行うが、不運なことに今の彼女は攻撃機を積んでないため潜水艦に対しての爆撃が出来ない。魚雷を落としても着水の衝撃で潜水艦に届かず爆発するだけだ。

 

「あかん、間に合わへん! 響、起きろ! 寝取る場合やない、あんた提督と結婚するんやろうが! 起きろ、起きるんや!」

 

精一杯出せる声量で龍驤は叫ぶ。だが響の意識はほぼ消えかけていて聴覚も今まさに消えようとしていた。カ級が魚雷発射口を開く。動かない船なんて、ただの大きな的だった。

 

 カ級は響に狙いを定め、そして魚雷を放つ。海中を進む殺戮の使者は、響の首元へと死神の鎌を向ける。距離二百、百、そして、五十……。

 

―ドォォォンッ!!―

 

 響に直撃するかに見えて魚雷が、その寸前で爆発した。突然の出来事にカ級、そして龍驤も何が起きたのか分からなかった。だが、すぐに聞こえて来た空からのエンジン音によって、何が起きたのかが理解できた。

 

「空母龍鳳、これより対潜水艦攻撃に入ります!」

「龍鳳!」

 

 龍鳳の放った艦載機、彗星が爆弾をカ級の真上に投下して威嚇する。続けてカ号観測機が逃げようとする敵潜水艦を見つけ、低速で接近し爆弾を投下。命中はしないが位置を掴むことに成功する。龍鳳の艦隊へと情報を送り、彼女の後ろから三式ソナーと爆雷を抱えた暁、雷、電が飛び出す。

 

「響ぃーーーーっ!!」

 

 暁が響の名を叫ぶ。その声にわずかだが響の手が動く。誰かに呼ばれた気がして意識がぼんやりと戻る。だがそれでも動くことはできない。暁はソナーの音波に集中する。カ号の指示したポイントへと接近。続けて海中に反応。

 

「雷、電! ここにありったけの爆雷落として!」

「まっかせなさい!」

「了解なのです!」

 

 暁を追いかける形になっていた二人が速度を上げて先行し、爆雷を装填、投下する。海中に沈められた爆雷がゆっくりと海中の深くへと沈んでいき、水圧で一発目が爆発する。続けて二発目が誘爆、三発目は水圧で潰れて爆発。そして四発目がカ級の目の前で信管が爆発し、損傷。轟沈の危険を悟ったカ級は緊急浮上する。その瞬間、カ級の額に冷たい何かが押しつけられた。

 

「よくもっ……私の妹を!!」

 

 暁の目は、怒りに満ち溢れるそれだった。零距離射撃。たかが駆逐艦の主砲と言えども、額に押し当てられたそれから放たれる砲弾は、いとも簡単にカ級の頭部を粉砕し、直後に巨大な爆発が巻き上がった。

 

 

 

 

 響は走り続けた。追いかけても追いかけても、姉妹たちに追いつけない。何も無い白い世界の中を走り続け、先を行く彼女たちに向けて必死に手を伸ばす。自分をおいてどこに行くのだ。何故振り向いてくれないのか、響には分からなかった。ただ怖くて怖くて、みんなと一緒に居たくて、それだけが叶えばよかったのに。

 

「何で! 何でみんな待ってくれないの!? 電、雷、姉さん!」

 

 涙が浮かぶ。恐怖が支配して行く。また、また一人になってしまうのか。たった一人生き残ってこの先生きていくのはもうまっぴらだ。せめて、せめて消えるなら一緒に消えたい。そう思っていたのに。

 

「!?」

 

 響は目を疑った。追いかけていた三人の中に、いつの間にかもう一人の影が見えたのだ。姉妹たちよりも目に見えて分かる高身長。とても広くて頼れる背中。そう、提督だ。

 

「司令官!」

 

 響は叫ぶ。何故彼まで行ってしまうのか。これまでにない恐怖と不安が彼女に圧し掛かる。それでいて脚が一気に重くなった。

 

「なんでっ……足が……!」

 

 まるで鉛のように重くなった足をどうにか持ち上げようとするが、数歩進んだ所で力尽きて崩れ落ちる。息を切らしてどうにか顔を持ち上げる。四人はゆっくり、ゆっくりと遠くへと消えていく。と、次の瞬間だった。

 

 遠くへと離れていく四人が突如として炎に包まれた。フラッシュバックする駆逐艦響の記憶。敵の集中砲火を受けて燃え盛りながら海中に消えた暁。潜水艦の魚雷を受けて轟沈した雷。自分と持ち場を交代した直後に沈んだ電。みんな消えた。みんな沈んだ。そして、今度は提督も炎の中に消えていく。

 

「いやっ……いやっ……!」

 

 手を伸ばす。ダメだ、ダメだ、もうそんなのはさせない。あの時とは違うのだ。こんな歴史があってたまるか。響は炎に消えていく四人を助け出そうと手を伸ばす。

 

「みんな……みんな!!」

「助けて……」

「!?」

 

 声がした。暁の声だ。助けを求めてる、まだ間に合うはずだ。響は励まそうと口を開きかけて、しかし突如として自分の足が何者かに掴まれる感触がして振り向いた。

 

「助けて……タす……ケテ……」

「ひっ……!」

 

 そこには暁が居た。その顔面は、敵の砲弾を真正面から受けたかのように見るも無残な形となり、しかしその目は妖しく光って響を見つめていた。

 

「ヒびキ……おねえちゃんを……タスケテ」

「いやっ!!」

「ひびき……」

 

 また誰かが足を掴む。今度は雷だ。だが、今度現れた彼女は下半身が無く、上半身だけで血を吹き出しながら響にすがりついていた。

 

「いいなぁ……ひびきは……しれいかんと……いっしょ……」

「いかず……ち……」

 

 恐怖で涙が溢れ出る。白い地面から一つ、また一つと何者かの手が伸びる。タスケテ、タスケテ。そんな声があちこちから聞こえてくる。何で君だけ、貴方だけが生きてるの?

 

「私はっ……私はっ!!」

「ズるいのです……私は、ひびきおねえちゃんとこうたいして、シズンダのです」

「電……!」

「ほントうに……何で……お姉ちゃんの私ガ……」

「何で……ヒビキダケガ……しれいかんと……」

「もっと……時間が……ちがってタら……」

 

 足を掴む手がさらに増えていく。暁たちの顔が崩れて液体のように溶け、しかし握る手は足から太もも、そして腕へと伸びて顔を覆い尽くそうとする。もはや声が聞こえなくなり、響の耳は悲鳴と呻き声で包まれる。そして全てが響を覆い尽くした瞬間。

 

「いやぁあああああああああああああーーーーーーっっ!!!」

「響!?」

「いやっ、いやぁあああ!! やめて、来ないでっ、来ないでぇええ!!」

「響っ、落ち着いて! 私よ、しっかりして!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!! ごめんなさい!!」

「響、終わったのよ! もう大丈夫なのよ!」

「いやっ、いやいやいや、いやっ!! 私は、私は!!」

「……ごめん!」

 

―パンッ!―

 

 響は突如やって来た頬の痛みに、頭が一気に冷えていく感覚がした。心臓がかつて経験したことのない激しい鼓動でうごめき、恐る恐る首を曲げると、心配そうに彼女の顔を覗きこむ暁の姿があった。

 

「ねえ……さん……?」

「そうよ、私よ。暁型一番艦、あなたの姉の暁よ」

「……ここ、は?」

「鎮守府の医務室よ。まだちょっと混乱しているみたいだから落ち着いて聞いてね。響は敵の潜水艦の攻撃で大破、意識不明になったわ。その後敵潜水艦も撃沈して響を緊急搬送。貴方は丸一日寝てたわ」

「…………ゆ……め」

「あなたはずっとうなされてたわ。私の事を呼んだり、雷や電、司令官の事も。それで苦しそうにして、汗もびっしょりかいてたのよ。でももう大丈夫。全部夢よ。みんな生きてる。私もここに居るから」

 

 そう言うと、暁は響を優しく抱き寄せて力いっぱいにその震えてる肩を抱いてやる。温かい。自分と同じくらいの体つきでも、とても頼れそうで温かくて、安心する感覚。ああ、この人は私の姉なのだ。私の、ただ一人の姉なのだ。そして、生きている事が嬉しくて声こそ挙げなかったが大粒の涙を流した。

 

「ねえさん……恐かった……恐かったよぉ……」

「よしよし。恐かったわね、もう大丈夫よ」

 

 泣きじゃくる響をなだめようと、暁は頭を優しく撫でてやる。彼女がどうしてこうも怯えたのか、実のところ暁は察している所があった。マリッジブルー。提督と結婚できる喜びの一方で、大きな不安が彼女の中でうごめいていたのだろう。ふとしたことでこれから得る幸せを失ったら、と言う恐怖が彼女を襲ったに違いない。こればかりはいくら口で言った所でどうにもならない問題だった。恐らく、提督が同じように抱きしめても収まらない。なら、唯一の姉である私がこうして優しく抱いてやるしかないのだ。

 

 恐らく、苦行だろう。だが姉として出来るのは響が自ら壁を乗り越えられるように見守ることしかできない。暁は、響が乗り越えなければならないその壁の高さを感じ、ただ無事に超えてくれることを祈るしかできなかった。

 

 

 

 

「マリッジブルー、か……」

 

 提督室の机の上に肘を置き、手を組んだ上でその上に顎を置くと、提督は気落ちした面持ちで溜め息を吐いた。これは響の事を心配しているのと、そして気付いてやれなかった不甲斐ない自分への怒りと哀れみが混じっていると、暁型四番艦電は察する。

 

「はい……龍驤さんの話によると、戦闘中に深追いをしてしまって、それで大きく損傷したと……暁ちゃんは、それもマリッジブルーが原因だって言ってたのです」

 

 マリッジブルー。結婚を目前にし、新生活に対する不安や環境の変化に対する不安で起こる一時的な精神的症状。ただしこれは人によりけりで、全く不安に思わない人もいれば、これが原因で婚約が破棄されると言う事もしばしばある。だが、他の艦娘が見る限り、響にはそんな雰囲気が全く感じられなかったと口を揃えて言う。当然だろうと提督は思う。

 

「……たぶん、響自身も気付いてないと思う。やっと16歳になるんだ、不安に思わない方が不思議だ。けど、あの子はそれを無意識のうちに感じ無いようにしていたんだ。だが、募りに募った不安が悪夢になって現れた。今にして思えばそれらしいサインは俺も見覚えがあった。見落としていた俺の失態だ」

「そんな、司令官さんは響ちゃんのことをすごく大切にしているのです! 失態だなんて……」

「……そう言ってもらえると助かる。響はどうしてる?」

「ひとまず落ち着いて、今暁ちゃんがご飯を食べさせてるのです」

「そうか……」

 

 提督は一旦目線を落とし、しばしの思考に入る。電は少し時間がかかりそうだと踏んでお茶を淹れようとポッドに手を伸ばす。そう言えば提督は時々響の淹れるブレンド仕様が好きだったと思いだす。ちなみに分量は完全に響のみが知るシークレットである。自分には作れないだろうかと一瞬思うが、下手に淹れてもドジを踏みそうだったから無難にほうじ茶を選んだ。

 

「どうぞなのです」

「ん、ありがとう……」

 

 提督は湯呑みを受け取り、一口入れるとまた小さく溜め息を吐く。電も色々励ましたかったのだが、こうも気を落としている彼を見ると、それも空しい物にしか感じなかった。すると、そんな雰囲気の悪い提督室に救いを差し伸べるかのように雷がドアをゆっくりと開けて入って来た。

 

「司令官、暁が響はもう落ち着いたから会っても大丈夫だって」

「本当か?」

「ええ。私も様子を見たけど、ほとんどいつも通りだったわ」

「そうか……じゃあ、みんなで見舞いに行こう」

 

 電と雷を率いて、提督は足早に部屋を後にする。背中から見る彼は明らかに焦りを持っていて、雷と電は顔を見合わせる。たぶん、彼も相当不安を抱いているに違いない。何か自分たちに出来ることなはいのだろうかと考える。だが、響でさえ押しつぶされそうになったこの問題に、自分たちは力になれるのだろうか。正直、不安しか無かった。

 

「暁、俺だ。入っても大丈夫か?」

「ええ、いいわよ。雷たちも入れてあげて」

「ああ」

 

 提督はゆっくりと扉を開けて、中へと入る。寝間着姿の響と目が合って、ああよかった無事だと安心し、響も笑みを浮かべる。ひとまずはいつも通りの彼女のようだったが、すぐに申し訳なさそうな顔になって響は謝罪の言葉を口にした。

 

「すまない、司令官……深追いしてこんな結果になって」

「何言ってるんだ、無事に帰ってきただけでも万々歳だ。それにそう言う時だってある、気にする事はない」

「うん……」

 

 と、響はやはり元気なく顔を降ろす。恐らく相当に悩んでいるのだろう。提督は出来る事なら抱きしめてあげて一言「大丈夫だ」って言ってやりたかった。だが、一歩間違えればそれさえも彼女は拒むかもしれない。率直に言えば、今の提督に響を助ける力はないと言うことだった。

 

 そう思うと提督は非常に情けない気がしてならなかった。小さな体で精一杯自分を振り向かせようとした響を助けられないと思うと、今すぐにでも壁を叩き割りたかった。

 

「…………」

 

 そんな提督と響を、暁は交互に見つめる。さてどうしようか。一応もうひと押しに使えそうな手はある。ただちょっと強引と言うか、無理がありすぎると言うか、とにかくいろいろ問題があるので実行するにはこの場に居る全員の了解が必要だと椅子から立ち上がる。

 

「司令官、ちょっと飲み物買ってくるから響の事お願いね。雷、電、着いて来て」

「え、私たちも?」

「一人じゃ全員分持てないわよ。ほら早く」

 

 暁はさっさと二人を外に連れ出し、提督によろしく言い残すと売店に向けて歩き出す。雷と電は不思議そうな顔をしながら暁を追いかけ、しかし二人が声を掛ける前に暁が口を開いた。

 

「二人とも、今晩いいかしら?」

「え、なによいきなり……」

「たぶんあのままじゃ、響は押しつぶされるわ」

 

 きっぱりと言い放つ暁に、二人は驚きを隠せなかった。大丈夫だと励ますことなく、むしろ突き放すかのような彼女の言い方に、少しばかり怒りに似た物も湧きあがるが、考えも無しに暁がそんな事を言うとも思えないので冷静に聞き返した。

 

「どうして、そう思うのです?」

「勘よ」

「勘って……そ、そんなの当たるかどうか分からないじゃない!」

 

 暁は歩みを止め、二人に顔を向けて口を開く。

 

「そうね。でも当たる自信はあるわ。二人だって実はまずいんじゃないかって思ってるんじゃない?」

「そ、そんなことは……!」

 

 そんなことはないと反論しようとして、雷はそれ以上先が言えなくなった。電も同様で二人はじっと見つめる暁の瞳に耐えきれなくなって目を反らした。

 

「やっぱり、そう思ってるんでしょ」

「じゃあ……じゃあどうすればいいのよ?」

「……一つ、あるわ。この案を言うためにあなた達だけを呼んだわ」

「案……ですか?」

 

 そうよ、と暁は二人に耳を貸すように促して暁の案を聞く。それはシンプルで自分たちもよくやっていたことだが、今となってはやや恥ずかしい事であった。

 

 

 

 

 一年ほど前から、時々ではあったが提督と響は同じベッドで寝たりしていた。提督側からすると体も発達して顔立ちも美人になった響を目の前にして眠るのは理性的な意味で言えばよろしくなかったが、手を握って安らかに眠る響の顔はまさしく天使だったから十分であった。

 

 が、今の彼女は手こそ握っているが、震えが止まらずに落ち着かない様子だった。眠らないと疲れを抜くことが出来ないのだが、今の彼女の顔は不安そのもので、いつまでたっても眠る気配が無かった。

 

「響、大丈夫か?」

「……こわい」

 

 蚊の鳴くような声で響は言う。

 

「司令官と、結婚できるのは本当にうれしい……けど、はっきり自覚してしまったんだ……また、失ったら……また一人になったらって……朝起きたら、司令官が居なくなってたらと思うと……」

 

 震えが強くなる。思わず提督はもう片方の手を出して響の手を両手で包み込む。響の小さな手はそれでも震え続け、涙を浮かべていた。

 

「恐いよ、司令官……恐いよ……!」

「しっかりしろ、俺はここに居るぞ」

 

 出来るだけ強く、そして優しく響の手を包み込み、どうにか彼女を落ち着かせようと試みる。だが提督の手に包まれている響の手は、逆に震えが増していく。

 響は頭がどうかしそうだった。大好きな彼に勇気づけられているのに、体が強張っていく。止めなければならない震えは増していき、優しく包み込む彼の手に安らぎを覚えることが出来なかった。逆に、もし明日にでも彼の手を握れなくなったらと言う恐怖の方が覆い尽くしていく。

 

「そうよ、みんなここに居るわよ」

 

 提督と響は驚いて声のした方へと首を曲げた。そこには、パジャマ姿の暁が部屋の中に入っていて、その後ろから雷、電もそれぞれ続いて入って来た。

 

「お前たち……」

「司令官、今日は私たちもここで寝るわ」

「えっ」

 

 提督は暁の言葉に耳を疑った。一応二人で入れるベッドだが、五人入るとなると流石に狭くなるし、はて追いだされるのだろうかと思ったがすぐに暁が言葉を重ねた。

 

「狭いだろうけど、みんなで寝るわ。響は真ん中、司令官はちょっとごめんけど私の隣でお願い。響が寂しくないように、みんなで寝ましょう」

 

 と、提督は暁の意図を察した。これは彼女なりの編み出した方法なのだろう。自分たちの事を想っての、精一杯の後押し。まだまだ子供だと思っていたのに、妹の幸せのために色々考えていたのだと提督は思い知った。

 

「ねえ……さん……」

「久々にみんなで寝るのもいいでしょ。そしたら全然寂しくないし、楽しいわ」

「そうよ、いつも一緒の第六駆逐隊なんだから、こうしたって誰も文句言わないわよ!」

「なのです!」

 

 電の言葉を合図に、三人はベッドに乗り込むとまだ困惑している響よそに挟みこむ形を取ると、みんなで響の手を握った。

 

「ほら。みんないるわ。私も雷も電、そしてあなたの旦那さんになる司令官だって。艦の記憶がなによ、今を生きるのが一番よ。私たちはこれからもずっと一緒なの。そりゃ今以上に辛いことがたくさん来ると思うわ。けど」

 

 暁は響の額にこつんと自分の額を押しつけると、満面の笑みを浮かべて言う。その笑みは恐らく、姉妹の中で最も大人のレディと称するにふさわしい表情だったと、後に雷は語った。

 

「その辛さも、幸せだから感じられるのよ。もっと自信持ちなさい」

 

 響は、いつの間にか震えが止まっている事に気がついた。自分の手を握る姉妹の、そして司令官の手が暖かくてとても心強く感じることが出来ている。首を曲げて、雷と電を見る。二人とも優しくも、強い意志を感じる瞳で響の事を見ている。大丈夫だ、と言ってるのがよく分かった。

 

「……ったく、姉には敵わないな。旦那の面目丸つぶれだ」

「司令官もまだまだね。けど、姉である綿その方が響との付き合いは長いんだから、当然と言ったら当然よ」

 

 と、暁は得意げな顔になる。その顔だけはまだレディレディと言っていたあの頃の彼女に似ていて笑みがこぼれる。なんだか恐がっていたのがバカらしくなってきた。

 

「……ありがとう、姉さん……雷、電、司令官」

「ふふっ、また寂しくなったらみんなで寝ましょう。いいわよね、司令官」

「そうだな。さて、次はもっと大きいベッドを買うとしよう」

 

 軽い冗談と思ったのか、四人はクスクスと笑い合う。提督としては「本気なんだが」と思っていたのだが、これも良しとしようと特に何も言うことはなかった。

 

 その晩、響は五人の中で真っ先に眠りに入った。今度はうなされる事もなく安らかに眠り、特に夢を見る事もなくあっという間に朝を迎えることになった。

 そして朝起きた時、自分の手を見ると四人の手がしっかりと握られているのを見て、思わず涙が出た。ああ、大丈夫なんだ。私は、一人じゃないんだ。響は、ぐっすり眠っている四人に向けて小さく言った。

 

「ありがとう……みんな……」

 

 

 

 

 2月某日。響は無事に16歳の誕生日を迎えることができ、それと同時に書類の記入が完全に終了し、あとは提出するだけとなった。が、そんなに急ぐ前に盛大に祝おうと、鎮守府内で響の誕生日パーティが開かれた。間宮、伊良子、鳳翔、千歳、大鯨、足柄、羽黒、雷という料理スキルに長けた艦娘達が総出で料理を作り、鎮守府の中にとどまらず桟橋にまで料理が並べられ、まるで祭りのようになっていた。

 

 結局のところ、夜になるとお酒がばらまかれてあちこちで呑んだくれた艦娘達が転がり、その介抱の方が大変だった。誕生日でこうだと結婚披露宴では戦争でも起きるのだろうかと提督は先が思いやられた。

 

 そうして響の誕生日の翌日。響は婚姻届以外にもう一枚の書類に記入をしていた。彼女が提督と普通に暮らす為に必要不可欠な物だ。そう、退役書類である。

 

「……ふぅ、分かってはいたけどこんなにたくさんの書類を書かされると肩が凝るね」

「まぁそう言うな。もうちょっとだから頑張れ。ほら、艦娘手当の書類で最後だ」

「うぅ……」

 

 流石の響でもこんな表情になるとは思わなかった。夏休みの宿題をやり残していた小学生のように見えて、軽く唇がつり上がる。あれこれ思ってはいるのだろうが、それでも響はしっかりと筆を進めて、要作最後の書類を書き終えて印鑑を押し、盛大に背を伸ばした。

 

「終わったぁ……」

「…………よし、確認。休んでる暇はないぞ響。これに印鑑押したらすぐに工廠に行くのが規則だぞ」

「艦娘のシステム漏えい防止の規約だね。忙しい物だ」

 

 響はやや気だるそうに立ち上がるが、足取りはしっかりしたもので提督に並ぶ。工廠に行く。それはつまり、響が本日付で解体されると言うことだ。艦娘になる前の自分に戻るのだ。彼女は今不安なのか、それとも安堵しているのか。提督は歩き出しながら聞いてみる。

 

「響、今どんな気持ちだ?」

「何がだい?」

「普通の人間に戻るから、こう不安だとかそう言うの」

「そうだね……」

 

 響は少しだけ考え、しかし思っていたよりも早く顔を上げて提督の問いに答えた。

 

「不安はあるさ。でも、司令官と一緒だからきっと大丈夫だって思ってる。それをこの前みんなに教えてもらったから」

 

 と、響は本館入口に目を向ける。提督もその視線を追ってみると、第六駆逐隊の三人が待っていた。

 

「付き合うわよ、響」

「自慢の姉の第一歩の立会人になれるなんて最高じゃない!」

「たくさんお二人の事をお祝いするため、待ってたのです!」

 

 上の姉から順番にそう言う三人。ああ、本当にいい姉妹たちじゃないか。提督は少しばかり羨ましいと漏らす。

 

「何言ってるのよ! 司令官と響が結婚したら、私たち義理の妹になるわ! これからは司令官の事もいっぱい面倒見てあげるから安心して!」

「はっはっは、参ったな、こりゃ一本取られたな。妹達には変な所見せられないな」

「その通りよ。レディの私の自慢の妹を泣かせる事なんてしたらただじゃおかないんだからね!」

「分かった分かった。さ、行こうか。明石が待ってる」

 

 提督は四人を連れて工廠に向けて歩き出す。途中巻雲と夕雲が現れてその列に加わり、今度は先代龍田と二代目龍田が天龍二人を連れて紛れ込み、日本酒片手にふらふらとやって来た隼鷹が大声で呼びこみ、青葉が写真を撮りまくる。いつの間にか響の後ろには行列が出来て更にその数が増えていく。なにもここまでするのだろうかと提督は呆れたが、まぁいいかと思い直して工廠に到着した。

 

「…………響」

「なんだい、司令官?」

「今までありがとう。そして、これからもよろしくな」

「うん」

 

 ぎゅう、と二人は強く手を握り合う。冷やかしの声が上がるかと思ったがみんな静かに事の行く末を見守ってくれていた。優秀な部下たちだ。ここに来て本当に良かった。

 

「さ、響ちゃん。行こうか」

「はい」

 

 明石の言葉に従い、響は工廠へと入ろうとし、提督がやや名残惜しそうに手を握って響は振り返る。

 

 提督は、少し複雑な顔をしていた。そうだ、彼だって色々不安なのだ。必要なこととはいえ、解体という言葉はそれとなく不安を感じる。分かっているが、それでもどうしても拭えない不安があるのだろう。なら私が助けるしか無いじゃないか。

 

「大丈夫だよ、私は。だから安心して、司令官」

 

 響は素早く提督の前に歩み寄ると、彼の頬に手を置いて顔を一機に近づけて自分の唇を押しつけた。思っていたよりも大胆な行動に、提督は思わず目を見開き、後ろで極力黙るようにしていた艦娘達も声を上げてしまう。青葉に関してはフレームを覗かず無意識にシャッターを切ったくらいだ。

 

「……ありがとう。行って来い」

「はい、行ってきます……あなた」

 

 

 

 

 

 二月某日、暁型駆逐艦二番艦響。婚約のため艦娘の任務を本日付で終了し、解体。同日夕刻に解体作業を開始し、日没後完了。これを持って暁型二番艦響は完全退役。なお、響としての艦娘を志願した母体である一般人少女には退役金と艦娘手当が支給された。

 

 

 

 

「~~~~♪」

 

 ソファーに座りながら、一人の少女は覚えたばかりの編み物をしながら鼻歌を歌う。窓からは元気いっぱいの太陽の光が差し込み、春の訪れを知らせる。ああ、そうか。また春が来たのか。自分が普通の人間に戻ったあの時がとても昔の様な気がする。けど、実際はそうでもなく、はて時の流れは不思議だなと思う。今日は日向ぼっこをしようかなと思った時、寝室から夫が慌ただしく飛びだして来た。

 

「いかん! 探しものに手間取った、遅刻する!」

「まったく、しっかり物は準備しなさいって言ったのに」

「すまん! 取りあえず今日は早く帰れるから晩飯よろしく!」

「はいはい」

 

 そう言うと夫は玄関に飛び出し、彼女は呆れたため息を吐きながらすっかり大きくなったお腹に手を置いた。

 

「騒がしいパパだね、ほんとうに」

 

 そう言った時、また夫が慌ただしく部屋の中に戻って来て今度は何事かと顔を向ける。

 

「今度はなに?」

「悪い、一番大事な忘れものだ」

 

 と、夫はそのまま軽く口づけをする。きょとんとする彼女をよそに、やってのけたの満面の笑み。

 

「じゃ、改めて行ってきます、響」

「……うん。行ってらっしゃい、司令官」

 

 

 

 

 

 

おわり


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