IS~平凡な俺の非日常~   作:大同爽

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第15話 黒い涙

 私――更識簪は送られてきたメールを眺めながらぼんやりと座っていた。

 現在私は整備室にいる。目の前には私の専用機『打鉄弐式』が鎮座している。本当なら今日もお姉ちゃんに会いに行くつもりだったのだが、この一週間会うことができていない。そろそろ心が折れそうになったところで同室の颯太が代わりに行くということで、今私は未完成の『打鉄弐式』の整備をしようとやって来たのだが、色々と気になって手が動かない。整備室に来てからそれなりに時間は経っているのに作業は全く進んでいない。

 そんなときに私の携帯がブブッと震えた。見ると颯太からメールが届いていた。急いで開いてみると

 

【これからどんな変なのが来ても驚かないで

 健闘を祈るd(=ω= ;)

 

 追伸

 犯人は俺です】

 

 とのことだった。正直ちんぷんかんぷんだった。お姉ちゃんには会えたのだろうか。お姉ちゃんにはちゃんと私のことを伝えてくれたのだろうか。このメールだけでは何もわからない。一体何が言いたかったのか…。

 と、思っていたところに、私の背後で整備室のドアの空く音がする。誰かが入ってきたようだ。

 

「簪ちゃん!」

 

 名前を呼ばれ、私はびくっと少し震えてしまった。その声は聞き覚えがあった。聞き覚えどころではない。何度も思い出す。私の胸の内の深いところずっとあり続け、聞こえ続けた声。私の姉、更識楯無の声だ。

 どうやら颯太はうまくお姉ちゃんに会い、私のもとに向かわせることができたらしい。私では会うことができなかったお姉ちゃんに…。

 

「簪ちゃん…」

 

 背後でもう一度私の名を呼ぶお姉ちゃん。あんなにも会って話したかったのに、会う覚悟を決めたのに、私は振り返ることができない。怖い。ただ後ろを見るだけのはずなのに、ただ首を回して顔を後ろに向けるだけなのに、それが途方もなく大変な事のように思える。

 今振り返れば、そこにお姉ちゃんがいる。そのことがただ振り返るだけというそれだけの簡単な動作を私にとても難しいものにさせる。

 

「……簪ちゃん、そのままでいいから聞いて」

 

 振り返らない私に向けてお姉ちゃんが言った。

 

「私ね、更識の家を継いだ時に決めたの。完璧であろうって、弱点をなくそうって。そのための努力は惜しまなかったわ。そして、そうやって自分の弱点を見つめ直していて、私は自分の一番の弱点を見つけた」

 

 そこでお姉ちゃんは言葉を区切る。

 

「…それがあなたよ、簪ちゃん」

 

 その言葉を聞いた時、お姉ちゃんの言葉が胸に刺さる。

 

「あなたは私の最愛の妹だもの。あなたのことを好きでいればいるほど、あなたがそばにいればいるほど、あなたは私の弱点になる。そうなったら更識の家の人間は許してはくれない。私は当主なんだから強くなければいけない。だから私はあなたを遠ざけた。でも――」

 

 お姉ちゃんの声がそこで一瞬途切れる。

 

「でも、そのために言った私の言葉はあなたを傷つけてしまった。傷つけるつもりなんてなかった。私はあなたを守りたかったのに、私の存在があなたを傷つけて重しになってしまった」

 

 お姉ちゃんの言葉は震えていた。少しだけ鼻声だった。声だけでもわかる。お姉ちゃんは今泣いている。 

 

「本当は…ずっと一緒にいたい。……本当は…もっと仲良くしたい。あなたは…大事な妹なんだもの。いろんなことを話したい。いろんなことをしたい。もっともっと仲良くしたい!」

 

 お姉ちゃんが涙声で言う。お姉ちゃんの言葉一つ一つが私の胸に染みわたっていく。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

 

 私は口を開く。

 

「……私…無能じゃ…ないよ?」

 

 私の声も震えていた。目の前がぼやける。

 

「……私…頑張ったよ…?あの日…お姉ちゃんに『無能』って言われた日…あの日から私頑張ったよ…。優しかったお姉ちゃんがあの日から変わっちゃって…私のこと…嫌いになったんだと思った……」

 

 私の中から涙と一緒に色々なものがあふれてくる。

 

「…前みたいに、優しいお姉ちゃんになってくれるように…私が無能じゃないって証明するために……お姉ちゃんにとって自慢の妹になれるように……」

 

 泣きながら言う私を温かいものが包む。

 

「ごめんね、簪ちゃん。私はあなたを傷つけてしまった。あなたにひどいこと言った。更識の当主らしくいなきゃいけない。でも、あなたを遠ざけるなんてやっぱり無理。だって…だってあなたは私の、世界で一人の、たった一人の最愛の妹なんだもの」

 

 お姉ちゃんに抱きしめられ、ずっと胸の内にあったものが涙としてどんどんあふれてくる。

 

「お、お姉ちゃん…!」

 

「これ以上無理しなくてもいい。あなたは無能なんかじゃない。あなたは私の大事な大事なかわいい自慢の妹よ」

 

 たまらず私はお姉ちゃんに抱き着く。私の頬に涙があふれて流れていく。おでこのあたりにも温かいものが落ちてくる。

 整備室で私たちは抱き合って涙を流していた。

 

「本当にごめんね…簪ちゃん。私はこれまであなたを守ろうとしてきた。けど、それももう終わり。あなたは強い子よ。私の自慢の妹、更識簪」

 

 お姉ちゃんが体を離し、目元の涙をぬぐう。

 私も涙でぼやけてが見えない。眼鏡を外し、目元をぬぐう。

 

「私、もっと頑張るから。もっとお姉ちゃんの自慢の――ぶふっ」

 

 お姉ちゃんの顔を見据えて言おうとした私の言葉は最後まで言うことができなかった。お姉ちゃんの顔が予想外の顔だったからだ。

 瞼にはまるで少女漫画の主人公のようなキラキラとした目が描かれ、頬にも何か描かれていたようなのだが、涙で溶けたらしく両頬が真っ黒でぐちゃぐちゃになっている。

 

「えっ?えっ?何?何かあったの?」

 

 状況が読み込めずに首を傾げるお姉ちゃん。瞬きをするたびに瞼に描かれた眼が登場し、ずっと目を開けているかのように見える。私はたまらず笑い出してしまう。

 

「え?ちょっと簪ちゃん?」

 

 混乱するお姉ちゃんをよそに私はお腹を抱えて笑う。今まで完璧な存在だと思っていた姉が、会うのが怖いと思っていた姉が、思わぬ姿でそこに立っている。それがどうしようもなく可笑しかった。

 

「アハハハハハっ。…お、お姉ちゃんこれ…顔……」

 

 笑いながらもお姉ちゃんにポケットティッシュとともに手鏡を渡す。

 

「え?顔…?――えっ!」

 

 不思議そうな顔をしながらティッシュと手鏡を受け取ったお姉ちゃんは鏡に映った自分の顔に驚く。

 

「な、なにこれ!!」

 

 ティッシュで頬の黒くなったところをこするお姉ちゃん。

 

「お、お姉ちゃん、瞼も……」

 

「えっ?…あ!ホントだ!」

 

 私の言葉に片方の瞼をつぶり、そこにも描かれているのを見つけ、急いでこする。

 

「まったく、誰よこんなの描いたのは」

 

「今まで気づいてなかったの?」

 

「ええ。簪ちゃんに早く会わなきゃって急いでたから……。今思えば廊下ですれ違う人全員驚いた顔で私のことを見てたのはこのせいだったのね……」

 

「あ、あははは……」

 

 お姉ちゃんの言葉に私は苦笑いを浮かべる。と、そこにふとあることに気付く。

 

「……もしかして…」

 

「ん?どうしたの?」

 

 私が急いでポケットを探っているのお姉ちゃんが顔をこすりながら首を傾げている。

 

「…初めは意味わからなかったんだけど…もしかしたらこれって……」

 

 数分前に私の携帯に届いたメールをお姉ちゃんに見せる。

 

「これって……」

 

「お姉ちゃんが来る少し前に颯太から送られてきたメール…」

 

 このメールの中にある〝変なの〟とは顔に落書きをされたお姉ちゃんのことだったのではないだろうか。

 そして、最後の部分。犯人は自分だと書かれている。つまり、お姉ちゃんの顔に落書きしたのは颯太なのだろう。

 

「はっは~ん、なるほど。つまり犯人は颯太君なわけね」

 

 私と同じ答えに辿り着いたらしいお姉ちゃんが目元をぴくぴくさせながらつぶやく。

 

「まったく。私を怒鳴ったりして、ちょっとは頼りになるかな~とか思ってたのに。まさかこんなイタズラをお姉さんにしているとは……」

 

 そうつぶやくお姉ちゃんの顔は少し楽しげだった。心なしかその頬も赤くなっているようだった。

 

「お姉ちゃん?」

 

「ん?どうしたの?」

 

「すこし顔が赤いよ?」

 

「え?」

 

 私が指摘した瞬間、少し焦ったような反応を示すお姉ちゃん。

 

「これはあれよ…こすりすぎて赤くなっちゃったのよ。どう?もう大体落ちた?」

 

「う、うん。大丈夫」

 

 慌てたように私に顔を近づけ、確認するお姉ちゃんに私は頷く。

 

「そう。ならいいわ」

 

 そう言って、少し安心したように胸をなでおろすお姉ちゃん。

 

「……ぷっ」

 

 なんだかさっきまでの雰囲気が消え、少し可笑しく感じた私は吹き出してしまう。

 

「な、何よ。まだどこかについてる?」

 

「ううん。そういうんじゃないけど……アハハハハハッ」

 

 たまらず私は声をあげて笑う。

 

「何よもう……」

 

 お姉ちゃんは疑問符を浮かべながらも、自分も可笑しそうに笑っていた。

 ついこの間まで会うことも話すこともなかった私たちの仲を取り持った彼、井口颯太。

 私は笑いながら、自分の中で彼という存在が大きくなっているのを感じた。

 

 

 ○

 

 

 

「ん?メール?」

 

 生徒会室でゆっくりとお茶を飲みながら出されたケーキを食べていた俺のポケットで携帯が短く振動する。どうやらメールが来たようだ。開いてみると簪からだった。

 

【あなたのおかげでお姉ちゃんと仲直りできた。

 本当にありがとう。

 このお礼はいつか必ずするから。

 

 追伸

 驚かないのは無理だったよ】

 

 と書かれていた。どうやらうまくいったみたいでよかった。と、納得していたところにもう一通のメールを受信。見ると楯無師匠だった。

 

【あなたに叱咤されたおかげで妹と仲直りできたわ。

 弟子にここまでされるなんて、師匠として情けないかもね。

 本当にありがとう。

 

 追伸

 それはそれとして、お姉さんに落書きするのはちょっといただけないわね。

 お礼に今度の特訓ではこれまで以上に厳しくしてあ・げ・る♡

 それが嫌なら今度買い物にでも付き合ってね】

 

 やっぱり落書きのことは行ってしまう前にちゃんと言った方がよかったかもしれない。これは買い物に付き合って荷物持ちでもなんでもした方がいいかもしれない。

 でも、何とか二人の仲がうまく行ってよかった。

 

「どうしたの、ぐっちー?なんだかすごくうれしそうな顔してるよー?」

 

 携帯の画面を見ていた俺の顔を覗き込み、のほほんさんが不思議そうな顔をしている。

 

「今連絡があったんだけどさ。師匠と簪、うまくいったみたいだよ」

 

「お!やったねー!」

 

「そうですか。本当によかったです」

 

 俺の言葉を聞いてのほほんさんと布仏先輩が安堵する。

 

「いやー、よかったよかった。あの二人の仲直りさせるためにいろいろやったけど、うまくいってよかった」

 

 俺は額の汗を拭くような動きをして、ふぅーっと息を吐く。

 

「……そういえばさー、ぐっちーはなんでお嬢様の情報をあんなに持っていたの?」

 

 ふと思いついたようにのほほんさんが訊く。

 

「それは私も思っていました。どうしてなのですか井口君」

 

 布仏先輩も疑問に思っていたようだ。

 

「情報の出どころは教えられませんよ。まあ、強いて言うなら知り合いのジャーナリストさんです」

 

 俺はもったいぶってお茶を濁す。

 言ってしまえば新聞部の黛先輩を頼ったのだ。師匠の恥ずかしい情報を何か知っていればと思ったのだが、思いのほかいろいろな情報が出てきた。交換条件として、俺は鈴から聞いた一夏の昔の恥ずかしい話を先輩に教えることで利害一致で教えてもらった。すまない一夏。世の中には必要な悪というものがあるのだよ。

 

 

 まあなんにしても、あの姉妹を仲直りさせることができて本当によかったと思う。結局今回俺がしたことは話し合いの席に二人を着かせたくらいのことだけだった。どこかのアロハ着たおっさん風に言うなら、「俺は手助けをしただけ。もしも助かったとしたら彼女たちが勝手に助かっただけ」である。




何とか更識姉妹の関係修復はできたかな?
ちょっと強引だし、ご都合主義ではあるかもしれないけど…。

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