12月30日。
クリスをバルベルデ共和国の日本領事館に保護してもらい、その後の数日間を俺たち三人はバルベルデ共和国で過ごした。
夏休みの頃の俺はまさか年越しを海外で過ごすとは思っていなかった。そう考えると人生は何が起こるかわからないものである。
元日にはどこから調達して来たのか貴生川さんがぜんざいを作ってくれた。
小豆を甘く煮た汁にお餅がよく合う。
久しく日本食を口にしていなかったので久々のお餅は悪魔的にうまかった。
そんな感じで年越しはまったりと過ごしつつ今後のための情報整理などにあて、三が日が終わった頃、俺たちはアメリカに入国した。
そして現在、俺は――
「ふむ……………ここどこ……?」
完全に道に迷っていた。
遡ること二時間前、拠点となるホテルにチェックインし、アキラさんと貴生川さんに一言言ってからホテルを出た。
ちなみにアキラさん達に言われて軽く変装はしている。
今の俺はジーパンにシャツ、その上から紺のパーカーを着てさらにその上にこげ茶の上着を羽織り、頭には無地の紺の野球帽。顔の感じを変えるために大きめの黒ブチの伊達眼鏡(伝わるかわからないけどサンダーバードのブレインズ、もしくは3月のライオンの桐山君みたいなの)をかけている。
『亡国機業』の襲撃した件は情報としては出ているが、国家機密らしくその基地の詳しい情報は開示されていないので、現在俺たちがいるのは夏休みに俺が参加した軍事演習の会場となった基地の近くだ。
バルベルデと違ってこっちは平和なアメリカ。しかも俺は夏休みに一度来ている。
どこで知り合いに会うかわからないので不審にならない程度に変装だ。
俺は周辺を探索しつつ少し離れたところにある基地を遠目からでも見れないかと外に出たのだ。
外に出たのだが……見通しが甘かった。
「ここどこ~……?」
はっきり言って嘗めてました。
俺それなりに方向感覚はいい方だし、バルベルデ共和国だと問題なくできてたし、なんて、過信してました。
その結果がこれですよ。
「えくすきゅ~ずみ~!えくすきゅ~ずみ~!へるぷみ~!」
一時間近く通った覚えのない路地裏みたいな道をうろうろしている。
周りには人の気配は無いし、いても俺のつたない英語じゃ伝わらないし、あぁ……泣きそう。
「誰か~!いませんか~!?へるぷみ~!」
俺はよろよろと歩きながら言い――
「あべっ!?」
道端の空き缶に躓いて転んだ。盛大に転んだ。転んだ拍子に被っていた帽子が道の先に転がっていくが俺は地面に倒れ伏したまま起き上がれない。
なんか最近ついてないなぁー!
アメリカに来た途端に道に迷って、空き缶で転んで……もしかして朝食のコーヒーが不味かったのもか!?俺ってもしかして呪われてる!?
とかなんとか、俺の思考が何だかだだ下がり気味になってきたところで
「――あの……大丈夫ですか?」
頭上で少女の声がした。しかも日本語だった。
俺はゆっくりと顔を上げる。
そこには一人の少女が立っていた。
明るい長い茶髪の、クリスや海斗と年の頃は変わらなそうな少女が俺の被っていた帽子を差し出しながらこっちを心配そうに見ていた。
「えっと……日本の方…ですよね?どうかしましたか?」
恐る恐ると言った表情でこちらを見る少女。
俺は体を起こし、正座するように座りながら少女を見据え
「助けてください!」
全力で土下座した。
「道に迷いました!せめて!せめて大通りまでの道を教えてください!」
見るからに年下の少女に恥も外聞もなく全力で頼み込む男の姿がそこにはあった。
と言うか俺だった。
〇
「そうですか、観光で……」
「ええ。でもまさか初日から道に迷うとは……」
「災難でしたね」
頷く俺に少女は微笑む。
「ホントに……地獄で仏とはこのことだ。本当に助かりました!」
まあ少女の見た目的に仏と言うよりは女神か天使と言った方が似合いそうだ。そのくらいの美少女だった。
クリスも可愛かったが、クリスは勝気なタイプだった。その点この少女は優しさのにじみ出るような柔らかな笑顔の子である。
「それにしてもすみません。わざわざわかる道まで案内してもらっちゃって」
「いいんですよ。それと――」
俺の言葉に頷きながら少女はニッコリと笑う。
「敬語はやめてください。たぶんあなたの方が年上ですよね?」
「……まあそういうことなら、君もあんまり畏まらなくていいから」
「はいっ」
俺の言葉に満足そうに頷く。
「それで、案内の件ですけど、本当に気にしないでください。実はその近くで姉と待ち合わせしてるんです」
「なるほど。なんにしてもそれで俺は助かってるんだから、本当にありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」
それの言葉に少女は微笑む。
「それにしてもよかったのかい?俺みたいな見ず知らずの人間連れてて、お姉さん驚くんじゃない?」
「大丈夫ですよ。姉さんなら事情を話せばわかってくれます」
「ハハハッ、それならいいんだけど……」
少女の言葉に頷きながら言う。
「まあお姉さんとのお出かけの邪魔にならないように、俺は早々に退散するよ」
「そんな……気にしなくても……」
「いいのいいの。ある程度の道さえわかればなんとかなる。地図もあるしね」
言いながら俺はポケットから文庫本サイズの地図帳を取り出す。
「フフッ……」
俺の地図帳を見て少女が笑う。その様子に俺は首を傾げる。
「あ、ごめんなさい。その……なんていうか、いまどき珍しいなって思って。そう言う地図を使うより携帯使う方が便利じゃないですか」
「あ、あぁ~……まあ~……そうだね~、ハハハハハ~」
俺は少女の言葉に歯切れ悪く言う。
と、言うのも、実は俺は今携帯を持っていない。
厳密には手元にあるのだが、使えばGPSで位置がすぐにばれるので電源を切ってアキラさんに預けてある。
「まあそれはともかく!俺は大丈夫だから気にしないで!」
「は、はぁ……そうですか……」
話題を変えようと少し語調を強くしていった俺の言葉に少女は首を傾げながらも頷く。
「あ、言ってたらそろそろ姉さんとの約束の場所ですね」
少女が言いながら周りを見渡す。
と、同じようになんとなく周りを見渡していた俺の視線が一人の人物で止まる。
それはすごく美人な、俺と一緒にいる少女をより大人っぽくしたような少女だった。年の頃は俺と同じくらいか。長い赤みがかかった茶髪のすらりとした長身の少女。
その少女がなぜか気になった。
隣の少女に似ているというのもあったが、なぜか俺はその人物に見覚えがあった。
「あの……えっと……あ、あの、すみません!」
「はっ!」
俺は横で呼びかけてくる少女の声に少し考え込んでしまっていたことに気付く。
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと考え事を……それより、どうしたんだい?」
「あ、えっと、なんだかボーっとしていらっしゃったので。それと、よく考えたら自己紹介がまだだったなぁ~と思って……」
「あぁ~……」
俺は少女の言葉に納得する。だからさっき俺に声を掛けるときに言い淀んでたんだな。
「俺は……太郎です。佐藤太郎」
俺は咄嗟にテキトーな偽名を名乗る。
なぜかこの少女に『井口颯太』と名乗ってはいけないと、俺の中の何かが警告してきた気がした。
「タロウさんですか。私の名前はセレナ。セレナ・カデンツァヴナ・イヴって言います」
「セレナ・カデンツァヴナ・イヴ……」
何だろう?どこかで聞いた気がする。特に苗字の方。『カデンツァヴナ・イヴ』、どこかで聞いた気がする。
「それで、タロウさんは何を……?」
「あ、あぁ……実は、もしかして君のお姉さんってあの人かなって思ってね」
セレナの言葉に頷きながら先ほど目に留まった少女を指さす。
「あ、そうです!あれが私の姉です!」
セレナが嬉しそうに頷きながら手を振る。
「姉さん!」
セレナが呼びかけると、セレナが姉だと言う少女が、声が聞こえたらしく辺りを見渡す。
「姉さん!マリア姉さん!」
言いながらセレナが姉の下へと走る。
俺もその後をゆっくりと歩きながら、ふと、気付く。
今セレナは姉のことを〝マリア姉さん〟と呼んだ。つまり、彼女の姉の名前は『マリア・カデンツァヴナ・イヴ』と言うことになる。
「マリア・カデンツァヴナ・イヴ……」
俺はその名を口の中で小さく呟く。と、同時に思い出す。
直接の面識はない。しかし、その名前には確かに記憶にあった。『マリア・カデンツァヴナ・イヴ』、それは、何かの資料で読んだアメリカの国家代表候補生の中にあったはずだ。
そこまで考えたところでゾクリと、まるで巨大な蛇に巻き付かれたかのような恐怖が身体に走る。
その恐怖の意味にはすぐに気付いた。
セレナが向かう先、彼女の姉、マリアの隣に誰か立っているのだ。
それは一人の、身長高めの細身の男だった。
五分刈りにされた頭に面長な顔、ケツ顎にやけに赤くテカっている唇が特徴的な人物だった。
ヤバい……非常にヤバい。
なんでこの広い広いアメリカで、しかも何人もいるアメリカの知人の中で、なんでよりによってあの男がここに……。
今だ、今ならまだ間に合う。今の隙にこっそりとこの場を――
「あ、タロウさん!こっちですよ~!」
はいダメ~!
姉と合流したセレナが振り返ってわざわざ俺を名指しで呼ぶせいで彼女の姉にも、その隣のあの男にも俺のことを認知されてしまった。
「………はぁ……」
俺はため息をついて覚悟を決める。
俺が三人の下に歩いて向かう途中、向こうでは彼女の姉が不思議そうに首を傾げ、そんな姉にセレナが事情を説明しているようだった。
そして、俺はそんな三人の前に立ち
「えっと、すみません、妹さんにお世話になりました」
言いながらできるだけ顔が見えずらいように角度に気を使いながら会釈する。
「いいえ。うちの妹がお役に立ったならよかったわ。初めまして、私の名前はマリア、マリア・カデンツァヴナ・イヴ」
「えっと、太郎です。佐藤太郎。妹さんには本当に危ないところを助けていただきまして……」
言いながら彼女、マリアの差し出した右手を握手で握り返しながら俺はちらりとその隣に立つ長身の男に視線を向ける。
その男は俺の様子を、一挙手一投足、俺の呼吸一つ一つまでも観察するようにジッと見つめ
「ウフッ♡」
「っ!?」
小さく微笑んだ。その笑みに俺の背中に寒気が走る。
今の笑みの意味に俺は気付いてしまった。
この男は――
「初めまして、アタシはニコラ。ニコって呼んでちょうだい」
そう言いながら舌なめずりをする男、ニコは確実に――
「よろしくね、タ・ロ・ウくん♡」
この男は、確実に俺の正体に気付いている。