【習作】一般人×転生×転生=魔王   作:清流

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護堂が日本で初めての王だというので、カンピオーネが生まれにくい理由があるんじゃないかなと考えた結果、孫悟空の他にも最強の鋼対策があるのではと妄想し、できたのが本作です。
初っ端からかなり重い展開な上に長いので、ライト好きな人には向かないかもしれません。

2013/02/11 カグヅチについて修正。神話は諸説あるので、古事記・日本書記ベースに私の主観で書かせてもらいます。ただ、明らかに間違っている場合はご指摘下さい。
2013/02/15 『跳躍』の術を『猿飛』に変更。同じ術ですが、日本での呼び方は後者なので。


第一章:魔王転生
#00.始まりの罪


 『神様というものが実在するならば、それは最低最悪の存在だ』

 

 男がその世界で最初に思ったことだ。なぜなら、男には24歳という若さで不慮の事故で死んだという記憶があったからだ。転生したんだから、新しい人生を得たと喜ぶべきなのだろうが、男はかけらも喜ぶ気にはなれなかった。死とはある種の救いであるというが、実際にそれを経験した身としては、もう一度あれを体験したいとは露程にも思わなかったからだ。転生するんだったら、そこは記憶もまっさらにしておくべきだろうとさえ思った。まあ、その場合、そもそも転生したとかそういう認識すらないはずなので、そもそも悩むこともなっただろうが。

 

 輪廻転生とはいうが、まさか己がそれを実体験しようとは、男は夢にも思わなかった。ネット小説等では、順応する者も少なくないが、男は駄目であった。24歳であった男にとって、授乳は恥辱以外の何ものでもなかったし、離乳食はまずかった。成長の為とはいえ、ただひたすらに眠らねばならないことや、思うように動くことができない赤子の体は、あまりにも不自由で苦痛であった。そして、悪いとは思うのだが、現在の両親を父母として受け容れられなかったのである。なぜなら、男にははっきりと生前の記憶があり、彼にとっての父母とはその中でしか存在しなかったからだ。唯一の救いは生前と名前が読みだけでも同じであったことだろう。そのおかげで、どうにか男は生まれ変わった自身を認めることができたのだから。

 

 新しい生に順応できず、かと言って演技をすることもしなかったその結果、男は両親から捨てられることになる。これは無理もないことである。夜泣きもせず静か過ぎる赤子だ。それも赤子特有の行動を尽くしない不自然すぎる赤子である。最初は静かな子ぐらいに思っていた両親は時が経るにつれ不審を抱き、次第に不気味さすら覚えるようになり、それは男が肉体年齢にして3歳に新聞を読み、その内容を理解しているのだと主観で認識してしまったことで頂点に達した。最早、早熟などというレベルではない。天才などと能天気に喜べるような気質を両親は持っておらず、彼等はひたすらに恐怖を覚えた。

 とはいえ、両親には真っ向から捨てることができるほどの覚悟はなかったし、多少なりとも愛情と相応の罪悪感もあった為に、すぐには実行に移されなかった。

 

 実行に移されたのは、男が5歳になろうとという時だ。両親は第二子を授かり、男の血縁的には妹にあたる子供の様子を見て、第一子たる男の異常さを確信したのだろう。必死に自身の情報を集めようと学習に励んでいた男は、ある日突然養子に出されることになった。

 いや、突然というのは的外れだろう。男自身も、自身の異常さを嫌というほど理解していたし、両親が己をどのように見ているかも、薄々理解していたのだから。彼からすれば、来るべき時が来たというだけの話かもしれない。むしろ、孤児院等に捨てられるのではなく、養子に出すというだけまだましであるとすら思っていたし、そういう意味では両親に感謝すらしていた。

 

 まあ、これで養親が救いようのない人間であれば話はまた違ったのだろうが、養親となったのは人の良い初老の夫婦であった。彼等は夫婦である神社を切り盛りして来たそうだが、生憎と子宝には恵まれず、そうこうしているうちに初老の域に達してしまい、子供を望むのは現実的ではなくなってしまった。とはいえ、代々護り続けてきた神社を後継者不在で廃れさせるわけにはいけないと、養子をとることを決意し、それに男がひっかかったというわけだ。

 

 男は、この話を養親から聞いたとき、不思議に思った。なぜ親類縁者から養子をとらなかったのだろうと。血統を重視するなら、絶対にそうするべきだし、実際夫婦の親類縁者には同じような年頃の子供が幾人かいたのだから尚更である。試みたが、親族から強硬な反対でも受けたのだろうかとも思ったが、男が見る限り老夫婦は親族に受けがよく、頼りにもされていたし、その恩恵というべきか、養子である彼にも親族は優しくてくれたのだから、それはないというべきだろう。もし、養子云々で揉めていたら、あのような対応は絶対にないと男には理解できたからだ。

 だが、そうすると尚更己が養子に選ばれたのか、男には全く理解できない。ただの子供であれば、その疑問を放置できただろうが、生憎と彼は前世の記憶とも言うべきものを持っており、放置できるほど無邪気でいられなかったのだ。

 

 だから、男は養親に直接問い質すことにした。老夫婦にひきとられて早一年がたち、宮司としての修行にも慣れてきた頃だ。今までに積み上げてきたものを崩すことになるかもしれないと覚悟しての決死の問であったが、尋ねられた養父は、些か驚いた様子はあったものの、悩むでもなくあっさりとその答を口にした。

 

 「この神社を継ぐのに必要なものがお前にはあっても、彼等にはないからだ」

 

 赤の他人である己にはあって、血族である彼等にはないものと聞いて、男が真っ先に思い立ったのは、前世の記憶のことであった。というか、それ以外に思い当たるものがなかった。表面上は必死に平静を保ちながらも、彼はまさか全部ばれているのかと疑念を持った目で、養父を見た。

 

 「ふむ、なんのことやら分からぬという顔よな。本来なら、もう少し先にするつもりだったが、まあよかろう。早すぎて困るわけでもなし。むしろ、お前に自覚と理解を促すという意味ではよいやもしれんな。ついてくるがよい」

 

 少し思案気になった後、養父は背を向けて歩き出した。なにやら勘違いされたようだが、男にとっては好都合である。ばれているにせよ、そうでないにせよ、あちらが教えてくれるというのなら、彼に不都合はないのだから。そんなことを思って後に続いて導かれた場所は、本殿であった。未だ男には入ることを許されていない場所であり、男自身もなんとなく近寄りがたいイメージを抱いており、入ったことはおろか近づくことすら避けていた。

 

 「本殿に何があるのですか?それに私は未だ本殿に入る許可を頂いておりませんが、よろしいのですか?」

 

 そんなわけで、思わず男がそう尋ねてしまったのも無理もないことだろう。

 

 

 「うむ、遅かれ早かれ必要なことだからな。後継になるお前には避けては通れんことだ。それが今日になったというだけの話だ。

 入る前に一つ聞こう。お前はここにどのようなイメージを抱いている?」

 

 「え、そうですね……。なんというか近寄り難いというか、あまりここにいたくないというか、そんな感じでしょうか」

 

 「ふむ、そうでなくてはな。ここで何も感じんと言われたら、どうしようかと思ったぞ」

 

 「どういう意味ですか?」

 

 「慌てるな、すぐに分かる」

 

 そうして男はそこで転生を認識した時と同等の衝撃を受けることになる。確かに輪廻転生があったのだから、そういうものがあってもおかしくはないと思うし、自身が異常な存在であることも理解していたが、それでも尚認めがたい現実であった。

 

 「見よ、これが御神体だ」

 

 見せられたのは本殿に安置されていた御神体であるという一振りの剣だった。十拳分の長さの剣で、所謂十拳剣(とつかのつるぎ)と呼ばれるものである。日本神話に度々登場し、有名所では伊邪那岐(いざなぎ)迦具土(かぐづち)を斬り殺した時に使った天之尾羽張(あめのおはばり)素戔嗚尊(すさのお)八岐大蛇(やまたのおろち)を切り刻んだ時に使った天羽々斬(あめのはばきり)等がある。

 男が衝撃を受けたのは、御神体が有名な剣であったというわけではない。養父によれば、来歴は定かではなく、これといった逸話があるわけでもないらしく、むしろ無名と言った方が正しいだろう。では何が彼に転生と同等の衝撃を与えたのかといえば、御神体であるという目の前の剣から、凄まじい力を感じたからである。そう、そんなものを感じ取ってしまった己自身の感覚にこそ、彼は衝撃を受けたのだ。

 生前にはけして感じたことのなかった感覚、神秘的な力とでも言うべきだろうか。そんなものを感じ取っていることに男は気づいてしまったのだ。一旦、気づいてしまうと後はなし崩しだった。養父からも大きさ自体は御神体より遥かに小さいが、同種の力を感じ取り、そいてそれが己の中にもあるのだと理解した時、彼は愕然とした。自身がいつの間にか得体のしれない存在になった気がしたからだ。転生しているとはいえ、精神は異常という自覚はあっても、肉体は逸脱しているとは思っていなかっただけに、その衝撃は大きかった。

 

 「気づいたようだな。お前が今感じているものを我々は呪力と呼ぶ。それを溜め込み術を操る素養こそ、このお社の後継者に絶対的に必要とされるものなのだ」

 

 「呪力?これが……」

 

 御神体に触発されたように自身の内で高まるそれを感じながら、確認するように口にする。

 

 「誰しもが持っているものではあるが、大抵の人間は術の行使が可能な程の量を保有するだけの器を持たないのだ。中には、そも溜め込むことができない特異体質の者もすらいる。

 要するに、私やお前のように術行使が可能なほど呪力を保有する者は少ないのだ。

 そして、もう説明するまでもないだろうが、お前が養子として選ばれたのは、私の血族には最低限の素養すら持つ者がいなかったが故だ」 

 

 「私に何をさせようというのですか?」

 

 「お前にはこの十拳剣を扱えるようになってもらう。担い手になることは無理でも、最低限制御し封印を維持できるようにな」

 

 「制御?封印?何のことですか?」

 

 「この十拳剣はこの日の本を、いや世界を護るための封印なのだ。この地にまつろわぬ神が生まれにくする為のな。沙耶宮・清秋院・九法塚・連城の四家との争いに敗れ、今や風前の灯である我等だが、担ってきた役割が無くなったわけではない。権力争いのいざこざの煽りを受けて、忘却されつつあるとはいえ、この役目だけは果たさねばならぬ。この国に眠る最強最悪の『鋼』を目覚めさせるわけにはいかぬのだからな」

 

 「まつろわぬ神?それに『鋼』でしたか?まるで神様が実在するみたいな言い方ですね」

 

 「神は実在する。それどころかそれを殺害する魔王の如き存在すらいるぞ」

 

 冗談のつもりで振った問だったというのに、養父の答は予想した否定ではなく、真っ向からの肯定であった。それも神殺しなんてものを成し遂げた者すらいるというではないか。とても信じられず養父を見るが、真剣な表情で、微塵も嘘の気配を感じることはできなかった。

 

 「神どころか、神殺しができる人間までいるとか、どんな悪夢ですか……。

 というか、人の身でどうやれば神を殺すなんて、だいそれたことができるんでしょうか?」

 

 「さあな、少なくとも私には欠片も思いつけんな。そも、挑もうとすら思わぬからな。それくらい人と神との間には差があるのだ」

 

 「その差を縮めるための術であり、呪力じゃないんですか?」

 

 「私やお前程度の術で、神に傷一つつけることができるものか。それに神は神話に沿った権能を持つ。それらは我等の術では到底及ばぬ規模と範囲で行使されるのだ。たとえ、優れた術者であろうとも、神に挑むなど愚の骨頂でしかないわ」

 

 「……」

 

 「そんな不可能を可能にしてしまったのが、人より生まれし忌むべき羅刹王の化身。今風に言うならば、神殺しの魔王『カンピオーネ』だ」

 

 「『カンピオーネ』……チャンピオン?」

 

 「そうだ、彼らは王だ。神を殺しその権能を奪い、使いこなすがゆえに。同じカンピオーネと神を除けば、誰も逆らうことのできない力を持つが故に。

 特に今は豊作でな。現時点でも3人ものカンピオーネが存在する。一人は死者を操り嵐を呼ぶ暴虐の王、一人は怪力無双の破壊の歌を吟じる武の姫王、一人は永遠の春と無限の冬を呼ぶ女王。いずれも劣らぬ曲者ばかりだ。幸いにもこの日の本には生まれたことがないが、もし会うことがあればけして挑もうなどと考えぬことだ。彼らは天災だ。身を縮めて、通り過ぎるのを待つ他ないのだ」

 

 「何ですかそれ?まるで、暴君か何かのような物いいですね。カンピオーネは、神々に抗う為の最後の砦、人類の守護者ではないのですか?」

 

 「まるでではない。彼らは暴君そのものだ。勿論、お前の言ううことも間違いではない。彼らはまつろわぬ神に対抗できる唯一の存在だ。彼等は紛う事なき人類の守護者であり、最強の矛だ。

 だが、一方で神を殺すという義務と引き換えに、彼等は何をしても許されるという特権をもつのだ。そして彼等はいずれ劣らぬ闘争の王だ。そんな者達が騒動を起こさないわけがあるまい。彼等は時に天災以上の被害をもたらすのだ」

 

 「なんというか、本末転倒もいいところな気がしますが……」

 

 「そんなことはない。彼等がいなければ、我々は神々に抗う術を持たないのだから。彼等は多くの者を救うが、同じくらい厄介な存在というだけだ」

 

 「……」

 

 「まあ、心配することはない。お前が私の後を継いで、封印を護ってくれれば、この国にカンピオーネが生まれることはないし会うこともなかろうよ。

 そも倒すべき神が発生しないのだからな」

 

 「神々が国外から襲来することもありえるのではないですか?」

 

 「確かにその可能性もないわけではない。だが、心配は無用。教えることはできんが、その為の備えはすでに存在するのだからな。

 さて、カンピオーネの話はここまでとして、本題に戻るとしよう。御神体に触れてみよ」

 

 男は養父に促されて、恐る恐る十拳剣に触れる。その瞬間、男は全身から力を抜かれたように感じて、膝をついた。

 

 「こ、これは……」

 

 「ふむ、弾かれず呪力を吸われてとり殺されなかったか……最後の試験も合格だな。これでお前は、私の正当な後継者だ」

 

 驚愕と畏怖をもって、御神体を見つめるながら男を尻目に、養父は満足気に一人頷く。

 

 「……?!……」

 

 男は聞き捨てならない言葉を聞いて、その真意を問いただそうと口を開いたが、言葉にならなかった。御神体から手を放し、収まったはずの脱力感が再び襲ってきたからだ。不意の出来事に、さしもの男も抵抗する暇もなく、意識が遠くなる。

 

 「急激な呪力の消費と契約の反動をもろに受けたか。今まで何の修行も積んでいないのだから無理もなかろうよ。今は休むが良い。

 しかし、心せよ。目覚めてからの修行は今までの比ではないぞ」

 

 そんな養父の声が耳に届くと共に、男の意識は暗転したのだった。  

 

 

 

 

 契約より18年の時が経ち、前世と同じ24歳になった時、私の世界は大きく変わっていた。私の名は『観無徹』になり、自分でもそれを自己だと認められるようになり、養父の後を継ぎ神職となっていた。ちなみに養父母は事故ですでに他界している。

 

 今や封印の護持は私の役目となっているし、御神体に呪力を定期的に補給するのにも慣れたものである。それどころか、前世では全く荒唐無稽だと思っていた数多の術を習得し、一端の術者としてそれなりに知られるようになっていたのだから、時の流れとは凄まじいものだ。

 しかも、前世において仕事人間で、結婚などとは全く無縁なワーカーホリック気味ですらあった己が、今や結婚してもうじき子供すら生まれるというのだから、本当に人生何があるか分からないものである。

 まあ、他ならぬ私自身がもっとも驚いているし、その凄まじさを実感している。あれ程いらん事をと思っていた転生でさえも、今では感謝し喜ぶことができるのだから。

 

 もう簡単に予想できるだろうが、私の意識を改善させ、この世界に本当の意味で新生させたのは結婚相手。つまり、妻である。

 

 妻の名は『美夏』といい、静かで物腰も柔らかな大和撫子である。神職を継ぐにあたって、養父が所属していた術者組織から、半ば強制的にあてがわれた娘であったが、私には不満はなかった。全く地縁も血縁もない私には、どうしても必要なことであったし、何よりも美夏は素晴らしい女性であったからだ。

 美夏は豊富な呪力があっても、それを使うセンスが全くなかった為、家を継ぐ資格を妹に譲ったという不遇の境遇の持ち主であったが、彼女はそれにもめげず性根も曲がらずに立派に成長した芯のある強い女性である。18歳という若年での見合いの場で、仕方ないという雰囲気でやる気の欠片もない私を正面から叱咤した時には、大層驚かされたものである。人は見かけによらないというが、彼女はその典型であった。

 

 元より破談にできる縁談でもなかったのだが、それでも己が見せた体たらくでは、断られても仕方がないと覚悟していのだが、意外にも返事は違った。

 

 「貴方のようなダメ人間は放っては置けません。私が傍でその性根を叩き直して差し上げます」

 

 破談にならなかったことに驚愕しながら、会いに行った私に美夏は開口一番こういったのだった。正直、当初は酷い言われようだと思ったし、彼女がそのままスーツケース一つで押しかけてきたのには、呆れ辟易したのものである。そのまま、なし崩し的に同棲生活が始まり、今に至る。

 

 だが、今になって思えば、美夏の言はどこまでも正しかったのだということがよく分かる。彼女に目を覚まされるまで、私は生きていなかった。言われるままに養子に行き、言われるままに術を学び、役目を継ぐ。そこに私の意思など存在していない。この世界での両親を拒絶し、養親に言われるがままに育った私は、転生を受け容れられず、未練がましく前世にしがみついていただけの生きた屍だったのだ。唯一、自身の意思でやったことと言えば、術を学び開発することぐらいで、それだって前世では知らなかったことを知れるのが楽しくて、既知ではない不可思議な世界に魅せられて、のめり込んでいたに過ぎない。今にして思えば、あれも一種の現実逃避だったのだろう。まあ、その成果が私と美夏を繋ぐことになったのだから、そう捨てたものでもないが。

 

 私と美夏の同棲生活の詳細については、のろけになってしまうのでここでは割愛する。まあ、とにもかくにも、私は苦難の末彼女の心を手に入れ、結ばれることができたわけである。同棲を始めてから2年で結婚し、6年目となった今現在では、ついに待望の子宝にも恵まれた。私は幸せの絶頂にあったと言っていいだろう。

 

 しかし、現実はそれ程甘くなかった。好事魔多しとはよく言ったものである。待望の娘の誕生した日に私は幸福の絶頂から絶望へと叩き落されることとなった。

 

 

 

 

 「遅いな……」

 

 徹は鳥居の傍を掃き清めながら、心配げに呟いた。

 妻の美夏が妹に会っておきたいといって、実家へ出かけたのは昼頃である。大きくなったお腹が目立ってきたこともあり、徹は妻の身を案じて付き添いを申し出たのだが、逆に「お社を空にするわけにはいかないでしょう」と諭され、さらに妻の実家からの迎えもあり、責任持って送迎すると言われてしまえば、流石に無理やりついていくわけにもいかず、渋々ながらも社に残った。せめて身重の妻を真っ先に出迎えてやろうと、その日の勤めをすべて終わらせ、鳥居周辺を掃き清めながら妻の帰りを待っていたのだった。

 

 しかし、日もすっかり暮れて、辺りはすでに夜闇に包まれている。人工の光のない境内では、煌々と篝火が燃えている。余りにも帰りが遅かった。美夏は今日中に帰ってくるという話だったし、たとえ泊まるにしても連絡の一つくらいはあるはずである。否応無く不安が募る。

 

 それを見透かしたかのように携帯電話がけたたましく鳴る。発信者は『神楽美雪』。妻の実妹にして、徹の義妹にあたる人物、すなわち、美夏が会いに出かけた人物にほかならない。

 

 「義兄さん、姉さんはもう帰ってる?」

 

 慌てて電話に出た徹の耳に入ってきたのは、不安を煽るような義妹の声であった。背筋に冷たい汗が伝わるのを感じながら、努めて冷静に対応する。

 

 「美夏はまだ帰っていない。というか、お前に会いに行ったはずだ。なぜ、そんなことを聞く?」

 

 「父さん達が大切な話があるって、姉さんを連れて行ったの。もう3時間も前になるのに、一向に戻ってこないから心配になって、家の中を探したんだけどどこにもいないの!

 それも姉さんだけじゃないの!やけに静かだと思ったら、お爺ちゃんも父さんも母さんも、お弟子さんも含めて家の術者全員がいないの。残っているのは、世話役のお手伝いさんだけで」

 

 「術者が全員いない?何か大掛かりな儀式をする予定でもあったか?」

 

 「お父さん達が何か準備していたのは知っているけど、それが何かまでは……。

 でも、このタイミングにこの状況、姉さんと無関係とは思えないの!」

 

 「美雪は何も聞いていないんだな?」

 

 「うん、私は何も知らない」

 

 どんどん膨れ上がる不安を押し殺すように一縷の望みをかけて問うが、それは無情にもあっさりと否定された。

 

 「そうか……。となると最悪の事態を想定しなければいけないな」

 

 「義兄さん、まさか父さん達が姉さんに何かすると思っているの?!」

 

 「それ以外の何がある。もし、そうでないなら、何かの儀式をするにしても、最高の術者であり『秘巫女』であるお前を外すはずがない。お前にも知らされていない上に、私に無断でとなると、美夏になんらかの負担をかけるものであることは間違いないだろう」

 

 「それはそうだけど……。でも、父さん達にとっても初孫だよ。それを……」

 

 「美雪、お前が庇いたくなる気持ちは分かるが、あの人達は美夏に少しの愛情も持っていない。それは美夏と一緒に育ってきたお前こそが、一番よく知っているはずだ」

 

 美夏は名門の術者の家系に生まれながら、呪的センスが全くない。呪力こそ豊富であったが、使えないものに何の意味があるだろうか。結果、彼女は無能と蔑まれ疎まれて育ってきた。そんな環境下で曲がらずに成長したところが彼女の凄いところだが、それは同時に最大の傷でもある。後に生まれた妹が、天才と称される程、才気溢れていたのだから尚更である。

 

 「でもでも、父さん達も姉さんの妊娠は喜んでたし、今日だって父さん達が姉さんに今までのことを謝りたいって言ったから……!」

 

 その言葉を聞いて、徹のなかの嫌な予感は最悪の確信へと変わる。あの親が己の所業を今更悔いることなどありえないということを徹は知っていたからだ。

 そも、徹が美夏の夫に選ばれたのは、並外れた術の開発力を買われてである。前世では全く縁のないことであったが、徹には不思議とその才能があったらしい。現実逃避の末に幼少の頃からのめり込んだせいもあって、彼は現存する術を応用・改良して、いくつかの独自な術を編み出したり、失伝したはずの古の秘術を復活させたりするのに成功していた。その点を見込まれて、地縁・血縁を欲した徹に応じたのが美夏の両親である。実際、徹は美夏との結婚を引き換えに幾つかの術の開発と改良に協力させられていた。

 

 要するに、彼らは娘を売ったのだ。当初徹はそんなこと夢にも思っていなかったし、全く気づいていなかったが、正式な婚姻の報告に行った時に否が応にも気付かされてしまった。美夏が彼らに愛されていないことを……。

 婚姻の報告を聞いた彼女の両親のどうでもよさそうな表情を、今も徹は忘れていない。押しかけて無理やり同棲した理由に気付かされたのもこの時である。徹が現実から逃げていたように、美夏もまた逃げてきたのだと。それ以来、美夏の実家とは仕事で必要のある時を除いて、美雪以外とは接触を避けてきたのだ。

 今日だって、あの両親の呼び出しと知っていたなら、決して行かせなかっただろう。それくらい、徹は彼らを信用していなかったからだ。

 

 「そういえば今日に限って実家から迎えが来ていたな。身重だからと思っていたが、連中が今更そんなことを気にするわけがない!」

 

 よくよく考えれば、思い当たる点はどんどん出てくる。美雪が同乗しない限り、送迎の車など美夏に出さない連中が今更そんな気を使うとは到底思えなかった。それなら、妊娠が判明した時点からそうしているはずだからだ。

 

 「でも義兄さん、父さん達は真剣だったし、姉さんも嬉しそうで!」

 

 「信じたい気持ちは分かるが、いい加減目を覚ませ!あいつらがそんな殊勝な人間だったら、私と美夏は会うこともなかったし、美雪も大好きな姉と今も一緒にいれたはずだろ!

 それにこうやって電話してきた時点で、本当は分かっているんだろう?でなければ、あんなに慌てやしないはずだ!」

 

 「……ごめん、義兄さん。私、甘えてた。誰よりも不安なのは義兄さんなのに」

 

 「いいさ、あの人達を義理であっても親とは認めたくないが、美雪は私にとっても大切な義妹だからね」

 

 「……義兄さん……私は……」

 

 何かを言おうとしながらも逡巡し、言葉にならない声が聞こえるが、それが何を意味するのか察する余裕は今の徹にはなかった。

 

 「とにかく、今はそんことを言っている暇はない。どこに行ったか分かるか?」

 

 「少し待って。駄目元で父さんの書斎を探ってみる」

 

 それから通話が切れて10分余り。待つ他ない徹にとっては、凄まじいまでの長さに感じられた10分であった。不安と苛つきが頂点に達しようとした時、再び携帯に着信が入る。飛びつくように電話にでると、息を多少荒くした美雪の声が聞こえてきた。

 

 「もしもし、義兄さん。ごめん、遅くなって。案の定鍵がかけてあったから、鍵を壊すのに時間がかかちゃって。姉さんは多分愛宕神社にいる。資料によると迦具土に関連した儀式みたいだけど、なんで姉さんを?何をするにしても、私の方が都合がいいのに……」

 

 「今は、そんなことはどうでもいい!愛宕山だな、今すぐ向かう!」

 

 「義兄さん、私も行く!表参道で合流しよう」 

 

 

 

 

 

 私が美雪と合流し、愛宕神社にある儀式上に踏み込んだ時、全ては手遅れであった。いや、正確には私が踏み込むことが儀式成就の最後の鍵であったのだから、手遅れになったというべきか、何とも間抜けな話である。儀式上の中心に安置された妻美夏と、それを囲むようにして配置された数多の術士達が唱える神言が限りなく不吉なものに感じられ、私はそれを遮るように妻の名を呼んだ。

 

 「美夏!」「姉さん!」

 

 眠らされていたのか、瞑目していた美夏の目が開けられ私と美雪の姿を捉える。

 

 「徹さんに、美雪までそんなに慌てて一体どうしたというんですか?」

 

 どこまでも平静で、常と変わらぬ美夏の様子に一気に力が抜ける。

 

 「どうしたじゃないだろ!連絡もなしに何とも無いのか?どこかに異常は?」

 

 「ごめんなさい。父さん達がこの娘のためにとっておきの儀式をしてくれると言われて、急だったから連絡を忘れてました」

 

 自身のふくらんだお腹を愛おしそうに撫でながら嬉しそうに言う美夏には悪いが、私は少しも安心できなかった。儀式場に乱入者がいるというのに、未だ中断されない術者達の詠唱が否応無く不安を煽ったからだ。

 

 「とにかく帰るぞ!」

 

 私は一刻も早くここから美夏を連れだそうと、儀式場の中心へと足を踏み入れたその瞬間、悲劇は起きた。

 

 凄まじい勢いで火柱が立ち上り、反応する暇もなく美夏の身を包んだのである。自身の内部で何かが弾け飛ぶような衝撃を感じながら、私は呆然と立ち尽くす他なかった。何が起きたのかさっぱり理解できない。いや、理解するのを頭が拒否していた。理解すれば、私は壊れてしまうと……。

 

 「姉さん!姉さんがなんで?父さん、これはどういうこと?!」

 

 私を正気に戻したのは、美雪の悲痛な叫びだった。後に続いた問い詰める声に、この事態を招いたであろう元凶の存在を知り振り返る。

 

 「はははっ、やったやったぞ。成功だ!後は制御に成功すれば沙耶宮を筆頭とする四家も恐れるに足りん!」

 

 美雪に詰め寄られながらも、その存在を無視したように狂喜の表情で歓喜の声を上げる壮年の男がそこにいた。

 

 「貴様、美夏に何をした?!いや、そんなことはどうでもいい!美夏は美夏は無事なのか?!」

 

 私は我を忘れて、奴の襟首を掴んで締めあげた。そこまでして、ようやく私の存在を認識したようで、ゆっくりと私を見た。

 

 「おお、遅かったじゃないか。君には本当に感謝しているよ。君のおかげで我々は最強の武器を手に入れることができるのだから」

 

 「何を言っている!美夏は無事なのか?」

 

 わけの分からぬ答に私は苛立ち、締め上げる腕の力が自然と強くなる。

 

 「君こそ何を言ってるんだね?目の前で見たはずだろう、迦具土の焔に焼かれるあれの姿を。伊邪那美すら殺した神殺の焔だ、徒人に耐えれるものか。死体どころか骨すらも残らんよ」

 

 「そ、そんな姉さん……」

 

 どこまでも淡々と己の娘の末路を語る実父の姿に、絶望を顔に貼り付けて崩れ落ちる美雪。それにすら何の感慨も抱かぬ様子の義父の在り方に、目の前の男が私には人ではない何かに思えてならなかった。

 

 「貴様、実の娘を焼死させておいて、その言い様はなんだ!言え、貴様は美夏に、私の妻に何をした!」

 

 「何をそんなに憤ることがある。豊富な呪力以外なんの取り柄もない無能者が神を招来するという偉業を成したのだぞ。喜ぶべきだろう」

 

 「神を招来だと?!」

 

 「おや、儀式の内容を知ったからこそここへ来たのではないのかね?まあ、君は立役者だし説明してあげよう。本来、神を招来するなど困難もいいところだし、どれ程の犠牲を伴うか分からんものだ。だが、我々にはどうしてもそれをなさねばならない理由があった。そこで我々は考えたわけだ。どうにかして犠牲を最小限ににできんかとな。そこで思いついたのが、神話をなぞることだ。まつろわぬ神は神話に縛られる。ならば神産みの過程が神話にある神ならば、その神話をなぞり再現することで、神を招来する呼び水に出来んのかとな。

 そして、それは見事に成功した。見よ、迦具土が顕れるぞ!」

 

 見れば、美夏を飲み込んだ火柱が収束凝縮し、形をとっていくではないか。それは最終的に体を丸めた赤子の形をなし、宙に浮かんでいた。

 

 「おお、見よあれなるはまつろわぬ迦具土。国産みの伊邪那美を焼き殺した通りに、自らの母を焼き殺した赤子に宿りし者よ!」

 

 「な、貴様、妻だけでなく、娘までも!それでも人間か?!貴様の実の娘と孫なんだぞ!」

 

 「何を言うか。なればこそ我が一族の礎になるのは当然であろう。誇りに思うがいいわ」

 

 平然とそんなことすら宣う義父に、最早私は我慢ならなかった。明確な殺意を抱き、目の前の男を殺そうと拳を握った。その時だ、凄まじい呪力の奔流と共に視界が朱に染まったのは。

 

 一瞬後に視界が戻ってきた時、全ては終わっていた。この手で締め上げていた義父はおろか、あれだけいた術者達の姿もない。私以外に儀式場に残っていたのは、火に焼かれたはずの美夏とその上に浮かぶ全身を焔に包まれた赤子、そして崩れ落ち泣き伏していた美雪だけであった。 

 

 「え、義兄さん、父さんは?他の皆もどこに……」

 

 美雪も凄まじい呪力の動きを感じ取ったのだろう。自身の呪力を高め戦闘態勢をとっている。先程まで、泣き伏していたとは到底思えない動きである。流石は京の切り札『秘巫女』である。

 とはいえ、状況を把握できていないのは彼女も同じらしい。困惑したように周囲を見回している。

 

 「……」

 

 私はその問に答えようとして、口にできなかった。突如として、頭に直接声が響いたからだ。

 

 『人の身で神たる我を操ろうとは不遜である。身の程を知るが良い』

 

 耳ではとらえていない厳かで神秘的な声であった。弾かれたように私と美雪はその原因であろう者を見た。

 

 『我が焔は神すら滅ぼす原初の炎。人如きに御せるものか』

 

 「不敬を承知でお尋ね申し上げます。御身は迦具土神にあらせられますか?」

 

 巫女としての美雪の問に焔の赤子はこたえる。

 

 『然り。我は迦具土。神を殺し神を産む破壊と再生を司りし、まつろわぬ迦具土である。巫女よ、そして我が依代の父よ、大儀である』

 

 「依り代だと?!どういうことだ?美夏は、妻は無事なのか?」

 

 遠目には美夏の体に火傷どころか、傷一つないように私には見えた。ゆえに一縷の望みをかけて、問うてしまったのだ。神話をなぞっているのなら、導かれる当然の結末を理解しながら……。

 

 『父よ、汝は我が神話を知らぬか?我は生まれしとき、母たる伊邪那美を焼き殺した。なれば、汝が妻の運命は一つしかなかろう』

 

 「お前が、お前が美夏を殺したのか?!」

 

 「駄目、義兄さん!」

 

 激情に駆られた私は、衝動的に焔の赤子、いや迦具土に飛び掛かった。美雪の制止の声がかかったが、私はそれを振り切り地を蹴った。

 

 『慮外者めが!』

 

 再び頭に声が響いた次の瞬間、私は凄まじい呪力の爆発をとともに衝撃で吹き飛ばされた。

 

 「義兄さん!」

 

 慌てた様子で、私に駆け寄る美雪。それを尻目に迦具土の言葉が紡がれる。

 

 『本来ならば、不遜にも我を呼びだそうとするなど万死に値するのだ。その一因たる汝らも同罪よ。

 骨身残らず焼き尽くすところを、汝らは我を操らんとする企みに加担していなかったが故に、我が依代の身内であったが故に見逃してやったのだぞ。それを感謝もせずに、我を害そうとするとは……』

 

 「ふざけるな、私はお前の存在など望んじゃいない。妻を娘を返せ!」

 

 「義兄さん、駄目。あれには、あの方には、まつろわぬ迦具土には勝てない!義兄さんも、理解しているはずでしょう。父さん含め、この場にいた私達以外の人間はあの一瞬で、燃やし尽くされたんだって」

 

 

 そう、あの視界が朱に染まったあの一瞬で、百名余りの人間を迦具土は焼き尽くしたのだ。それがどれだけ凄まじい所業なのか、私とて理解している。私程度の力量では絶対に不可能な所業であり、そもそも呪力の桁が違うのだということを。

 

 「妻子を奪われて黙っていられるものか!」

 

 「義兄さん!」

 

 とはいえ、理解はできても納得できるはずがない。最愛の妻を、待望の娘を目の前で奪われたのだ。ここで理性に負けるような柔な激情ではない。この憤怒の炎、何があろうと消えるはずもなし。迦具土の焔にも負けるものかと私は術を紡ぐ。

 

 「八岐大蛇の威をここに顕現せん!其は全てを薙ぎ払う激流の刃なり!」

 

 

 水剋火、五行によれば水は火を消し止める。自らが燃え盛る火神である迦具土にも一定の効果があると考え、手持ちの中で最強の水行術をもって、水の刃となす。漆黒の水で紡がれた八の水刃は狙い過たず、迦具土に殺到した。

 

 『愚かな』

 

 そんな言葉と共に一瞬で水刃が霧散する。切るどころか触れることすら叶わず、こめられた呪力ごと蒸発させられたのだ。

 

 しかし、私とてそれくらいは予想している。そも、私の狙いは迦具土ではない。私は術を放つと同時に『猿飛』の術で迦具土の元へと飛んでいた。水刃諸共燃やし尽くされないかは賭けではあったが、どうやら賭けには勝ったようである。目の前には傷一つない亡き妻、美夏の遺体がある。私はそれを抱え込むと再び『猿飛』で離脱せんとする。

 

 

 『ぬう、狙いは我ではなく母であったか?!だが、そうはさせぬ!燃え尽きよ!』

 

 背後から迫る呪力の奔流と灼熱の気配に追い立てられるように、私は逃げた。

 だが、どう足掻いても迦具土の焔の方が早い。万事休すかと覚悟した時、突然それが霧散した。

 

 「義兄さん、援護するから早く!」

 

 いつの間にか弓矢を構えた美雪が、私に向かって叫ぶ。どうやら、私の狙いを理解して『召喚』の術で弓を取り寄せ援護してくれたらしい。

 

 「すまない、助かる!」

 

 私は無我夢中で逃げる逃げる。美夏の遺体を抱えながら、脇目もふらずに。

 だから、私は気づかなかった。途中から焔の気配は消失していたことに。そも援護よりも早く、焔が消失していたことに。

 

 

 

 

 

 

 徹と美雪が合流したのは、愛宕山の参道の入口であった。時刻は深夜とはいえ、神主姿の徹と巫女服の美雪は目立つ。二人は早々にそれぞれの家へ戻ることにした。徹は自宅に気がかりなことがあったし、美夏をこのままにはしておけなかったからだ。美雪は美雪で、行われた儀式の詳細を調べる必要があったからだ。

 

 「すまない、すぐに戻ってくる。ちょっと待っていてくれ」

 

 徹は美夏を夫婦の寝室に運び入れると、すぐさま踵を返し本殿へと向かった。そしてそこでは、彼が想像した通りの事態が待っていた。

 

 「やはりか。あの時の衝撃はこれが原因か……」

 

 そこでは、本殿に安置された御神体『十拳剣』を基点とした封印が粉々になっていたのだ。かろうじて『十拳剣』自体は無事のようだが、封印自体は完全に破壊されていた。

 

 「内部から壊されたようなものだからな。あんな近場で、まつろわぬ神が招来されればこうなるのもやむなしか」

 

 まつろわぬ神が生じにくくするための封印。維持には地脈を利用し、制御には『十拳剣』の契約者、つまりはこの神社の後継者の呪力を用いる強固な封印だったのだが、今や見る影もない。封印術そのものの基盤から壊されてしまっている。これでは修復は不可能である。そもこの封印術自体、とても人間の術者に用意できるものではないのだから、仕方のない事だが。

 

 「おかげで制御に使っていた呪力が戻ってきたが、この程度では迦具土はやれないだろう……」

 

 迦具土の呪力の凄まじさを思い出し、身震いする徹。今思い出しても怖気が走る。文字通り呪力の桁が違うのだ。今更、この程度の呪力が戻ったところで、何の意味があろうか。そう思ってしまうと、自然足も重くなる。戻った先には受け入れがたい妻の死という冷たい現実があるのだから、尚更である。

 

 涼やかな声と花の咲くような笑顔で徹を迎え入れてくれた妻はもういないのだということを、寝室に戻った徹は否が応にも理解せざるをえなかった。そこには傷一つない綺麗な顔で永久の眠りにある微動だにしない美夏の姿があったからだ。眠っているだけに見えても、今この時も彼女の体からは熱が失われているのだ。厳然たる事実として、美夏は死んだのである。

 

 「迦具土を放ってはおけない。依り代にされた娘を助けなければ。そして、美夏の仇を!」

 

 美夏の顔を見れば、自然と覚悟は決まった。力の差があろうとなんだろうと、依代にされた娘を解放し妻の仇を討たねばならない。それが父であり、亡き妻の夫である己のすべきことだと徹は思ったのだ。

 

 一方、美雪は儀式の詳細を知るために父の書斎を改めて探っていた。だが、案の定中々儀式の詳細は見つからなかった。秘密主義の父のことだから覚悟はしていたが、一時間もかけて何の手がかりもないと流石にげんなりせざるをえない。

 

 そこではたと気づいてしまったのだ。ではなぜ、ああもあっさりと姉の居場所を特定できたのかと。父がその気なら、儀式終了まで気づかせないことも可能だったはずだし、その方が何かと都合が良かったはずだ。

 だというのに、施錠された書斎とはいえ姉の行き先を示す資料はこれみよがしに机に置かれていたし、何の隠蔽もされていなかった。万全を期すなら隠すだろうし、美雪をこの家から出さない為に結界くらいはっただろう。あの親は必要あれば、それくらいは平然とやってのける人間なのだから。

 

 「私が儀式に必要だった?いえ、それなら最初から無理やりにでも私を連れて行ったはず。あそこまでやる人達が今更手段を選ぶとは思えないし……私ではないなら、義兄さんの方?でも、義兄さんが妨害しないはずがないし、それを考えたら」

 

 探る手を止めずに思索を続けるが、どうにも結論が出ない。そんな時だ、やけに書斎の壁が気になったのは。なぜかは分からないが、どうにも気になる。一般人なら、ただの気のせいにしたかもしれないが、美雪は巫女である。それも『秘巫女』の称号を持つ京最高の巫女だ。その直感や勘は決して馬鹿にできない。

 

 美雪は自身の感覚を疑うことなく、書斎の壁を調べた。壁の一部に妙なへこみを見つけた。これだと直感し、思いつくままにそれを押す。するとどうだろう。書斎の床が沈み始め、地下へと続く階段があらわれた。

 

 「地下室か、あからさまに怪しいわね。それにしても、書斎の地下に隠し部屋とか本当に陰気なんだから」

 

 亡父にぶつくさ文句を言いながら階段をおりると、4畳あるかないかのこじんまりした部屋に繋がっていた。室内には机が一つと、本棚が一つあるだけで、他には何もない。

 

 「これかな?流石の父さんもここまで入られるとは思っていないでしょうし……これは!」

 

 机に広げられたままになっていたのは、父の手記であった。捜し求めていたものではなかったが、少しでも手がかりがあればと一縷の望みをかけて、美雪は読んでみることにした。だが、詳細を読み進めるに連れ、美雪の顔は蒼白になっていく。

 

 それは美雪の知りたかったことそのものであったが、それ以上に吐き気を催す内容であった。書かれていたのはなぜ美雪ではなく美夏を用いたのかという理由と、儀式の詳細だ。

 そも実の姉である美夏は元々神を招来し、憑依させる為の依り代の母体として用いる為に調整されていたというのだ。母の腹にある時から、美夏には呪的処置が施され、美夏は呪力に優れるよう調整されていたのだ。呪的センスがゼロだったのはその弊害だろうと軽く書かれていた。この時点で、美雪は両親に憤怒と憎悪を覚えた。長年の間姉を苦しめた蔑視される原因が人為的に作られたものであり、それを作ったのが他ならぬ両親であったというのだから。

 しかし、現実はどこまでも優しくない。日記に書かれていたことは、その程度序の口でしかなかったのだ。四家への憎悪と羨望。失われた権力と財への執着。そこには人の汚れた妄執がこんこんと書き綴ってあったのだから。

 

 そして、ついに儀式の詳細についての記述部分を見つける。方法自体は単純なものだ。基本的には従来通りの神招来の儀式をなぞる。地脈の流れや星辰も同様だ。とはいえ、今の神楽家に実行に足るだけの術者を揃える力はないし、できたとしても犠牲が大きすぎる。そこで術者の不足と犠牲を最小限に抑えるために考えだしたのが、儀式場で父が言っていた神話をなぞり再現することだ。

 とはいえ、生まれた時の神話がある神は意外に少ない。しかも下手な神を呼べば、その力を利用するどころか諸共に殺されかねない。そうして慎重に慎重を期して選ばれたのが迦具土だったというわけである。不定形である火山の溶岩流を象徴する炎の神で、生まれて早々に殺された逸話を持つ迦具土は赤子に宿らせるに持って来いの神であったし、御しやすいと考えたのだ。 結果、姉は美夏と名付けられた。五行説によれば、火は夏の象徴であるからだ。ゆえに美夏。食事には霊薬を混ぜられ、幼い頃から体質を都合いいように作られてきた。最終的に子を産んだ時に、その子に全てを注ぎ込めるように。なんのことはない。最初から美雪の姉美夏は、子を産んだ時に死ぬように定められていたのだ。

 

 「そんな姉さんが……。それじゃあ姉さんが妊娠したと分かった時、父さん達が喜んだのは……」

 

 美雪が見た両親のあの喜び様は、孫ができた喜びなどではなかったのだ。自分たちが復権する為の生贄ができたことを喜んでいたのだ。姉とその子は、最初から神に捧げられることが決まっていた供物だったのだ。

 

 さて、ここで重要となるのが、美夏の夫である。子には神の依代として高い素質が不可欠なのだから、当然夫にも相応の資質を求めた。そうして選ばれたのが徹であった。徹は呪力自体は平均的なそれしか持ち合わせていなかったが、呪的センスは天才的であった。『秘巫女』である美雪から見てもそうなのだから、両親にはさぞや、魅力的に映ったことだろう。しかも、副作用とはいえ母体となる美夏は呪的センスゼロである。それを補完する意味でも徹はもってこいの人物であったというわけだ。

 

 ここで最初の疑問も解消される。神話を忠実に再現するなら、迦具土が生まれる時には夫である伊邪那岐が居合わせねばならない。つまり、美夏だけでは儀式完成しない。あの場に夫であり、お腹の子の父親である徹が居合わせる必要があったのだ。とはいえ、自分達のことを徹が嫌悪しているのは、両親も理解していたのだろう。もし、両親が呼び出しても、意に沿わぬ可能性が高く、それどころか儀式を潰されかねない。そこで彼らは一計を案じた。名目上美夏との関係修復だと言って、美雪の協力姿勢を引き出し、さらに儀式に徹を呼びこむ呼び水として、美雪はまんまと使われたのだ。

 

 「私は父さん達のいいように使われていたってこと?!全部計算づくで、私は知らず知らずの内に姉さんを殺す為の手伝いをさせられていたの」

 

 それは凄まじい衝撃であった。涙が滲みだし、全身から力がぬけ立っていられない。美雪はその場にへたり込んだ。心のどこでまだあの両親を信じる気持ちがあったのだろう。それも無理ないことである。姉である美夏には悪いと思うが、両親は才気に溢れた美雪には優しかったからだ。姉を粗略に扱うという不満こそあれ、其れを除けば彼女にとって両親は普通に良い親であったのだ。それを根底から覆されてしまったのだ。それも完膚なきまでに。弁護の余地などどこにもない。100人いたら100人が彼らの所業を非道・外道というだろう。美雪も最早異論はない。彼女の両親は人の皮を被った畜生にも劣る獣であると。

 

 「……義兄さんに教えないと。

 でも、私はどな顔して義兄さんに会えばいいの?私さえ気づいていればこんなことにはならなかったのに!あの人達が姉さんを愛していないことなんて、本当は分かっていたのに!ごめんなさい、姉さん。ごめんなさい、義兄さん」

 

 美雪の悲痛な叫びとが薄暗い地下室の中で、誰にも伝わることない謝罪は只々虚しく響いた。

 

 

 

 

 私のところに今にも死にそうな表情の美雪が尋ねてきたのは、迦具土をどうあっても仕留めるという覚悟を決めた時だった。

 

 「一体どうしたというんだ?」

 

 「……」

 

 訝しげに問う私に、美雪は手に持っていた古びた手記を黙ったまま差し出した。口は固く結ばれ、何かを我慢しているようにも、私と口をきくこと拒否する意思表示のようでもあった。

 

 とにかく読めということだろうと私はとり、それを受け取って開いた。その中身の狂気を知りもせず。

 

 「こ、これは……」

 

 それは妄執と狂気の塊であった。実の娘を使い捨ての道具として扱い、何ら良心の呵責を覚えぬ人非人の所業の記録だ。知らぬ内に私自身が妻子を殺す手伝いをしていたことすら書かれており、私は過去の自分を殺したくなった。唯一の収穫は、神の依代にされた我が子を意のままに操る為の術をかけるために敷かれた拘束術式が未だに健在であり、神はあの地よりしばらく動けないということが分かったくらいであった。

 

 「拘束術式は地脈を利用した強固なものだ。いかに神といえど早々に破られんと思うが、いつまでも有効と楽観視はできんな。一日二日と考えるべきか……」

 

 私は淡々と思案し呟いた。憎悪も憤怒もある。言いたいことなど万言を尽くしても尽きぬ。しかし、それでもそれは今やるべきことではない。今、やるべきは一刻も早く娘を迦具土より解放してやることだ。

 

 「…どうして……どうして!私を責めないの?!あの屑どもの娘である私を!あの屑共にあなたの妻子ををみすみす渡す手伝いをした私を!」

 

 私と違い自らの激情に耐え切れなかったのだろう。堤が決壊するように美雪は自身への断罪を求めた。

 

 「なぜお前を責めねばならない?お前が何をしたというのだ?」

 

 「私はくだらない幻想に囚われて、姉さんをあなたの娘を!」

 

 

 「親を信じることに罪があるものか。信じられぬ親にこそ罪あれど、親を信じる子に罪はない。それが長年願ってきたものなら尚更だ。私がお前でも同じ事をしただろう」

 

 確かに美雪には、あの屑共を信じ今回のきっかけを作ったという負い目があるのかもしれない。だが、彼女にとってあの屑共は決して悪い両親ではなかったことや、彼女が心から両親と姉の関係修復を願っていたことを私は知っていた。

 それに何よりも美夏と美雪は仲のいい姉妹であった。夫である私が羨む程に。義妹となる前の美雪が、私と美夏が同棲を始めたその日の内に薙刀を手に怒鳴りこんできたのは、今でもよく覚えている。美夏に怒られたしなめられて小さくなる美雪の姿は滑稽であったが、彼女が心から姉を慕い大事に思っているのは理解できた。美夏との婚姻を「姉さんを泣かしたら許しませんからね」と涙ながらに認めてくれたのを覚えている。妊娠を誰よりも祝福し喜んでくれたことは忘れていない。そんな彼女を大切な義妹をどうして責めることができようか。美夏も決して責めることはないはずだ。美雪が姉である美夏の幸せを誰よりも願っていたように、美夏もまた最愛の妹の幸せを誰よりも願っていたのだから。

 

 「でも、でも義兄さん……私は、私は」

 

 「自分を責めなくてもいいんだ。お前は悪くない。悪いのは、こんな事を計画したあの屑共とまんまとおびき出されたくそったれな神様さ」

 

 涙を流し首を振って否定しようとする義妹の肩を掴み、強引に前を向かせる。

 

 「なあ、美夏はお前を責めるような薄情な女だったか?」

 

 「そんなことない!姉さんはいつも私に優しくて……。怒ることはあっても、それは全部私の為で」

 

 「ならいいだろう。もう自分を責めるのはやめろ。私とて後悔は尽きぬし、恨み言は万言を尽くしても尽きぬ。だが、今はなすべきことをなさねばならん。一刻も早くあの娘を迦具土より解放してやらねば。それにはお前の協力が必要だ。京の切り札『秘巫女』であるお前の協力が」

 

 「あの娘を迦具土から解放する?そんなことどうやって?」

 

 「神話を再現してやればいいのさ。迦具土を十拳剣で斬り殺してやればいい」

 

 「あれは国産みの片割れである神世七代の大神である伊邪那岐であればこそ可能であった神殺しよ。徒人にできる所業では決してない!」

 

 「この神招来の儀式で私にあてがわれた役は伊邪那岐だ。それに誘われた迦具土ならば、我が子を依代としているならば、決して不可能ではないはずだ。まつろわぬ神は神話に縛られるのだからな」

 

 「それでも無理よ!伊邪那岐の役割を果たすことができたとしても、神を斬り裂く刃は用意できない。天之尾羽張はここにはないのよ!」

 

 「いや、ある。来歴は定かではないが、この地を日の本を守護してきた護国の剣がこの社にはある。お誂え向きの十拳剣がな」

 

 「そんな都合のいい話あるわけないでしょ?!」

 

 「ついて来るといい。証拠を見せてやろう」

 

 これ以上は話すだけ無駄だと判断した私は、美雪に現物を見せることにした。後ろも確認せず歩き出す。

 

 「なあ美雪、このお社の由来は知っているか?」

 

 「観無神社、桓武天皇を祀るお社でしょう。そのままだと恐れ多いからということで、観無にしたと聞いているけど」

 

 なるほど、それは一般に誤解された由来だ。正確な由来は秘匿されていたので、時の流れと共にこじつけられたのだろう。本来の由来は、この社の本来の役目は後継者以外の誰にも伝えられない。建立当時は、他にも知っていた者もいたようだが、四家との争乱で絶えてしまった。今や、私以外知る者のいない秘密である。

 

 「それは一般の誤解された由来だな。本来のこの社の名は『神は無し』という意味で神無神社という。流石にそのままだと神社としてまずいんで、『観無』になったというわけだ」

 

 「神は無しで神無?!神社なのに?」

 

 「そうだ、この社は祀る神などいない。強いて言うならば、今から見せるものを祀っていたというべきだろうな」

 

 「一体なんだって言うの……こ、これは!」

 

 そうこうしている内に本殿につき、中へと入る。そこには役目を失った十拳剣が安置されていた。美雪はそれを見るなり絶句した。

 

 「驚いたか?これがこの社の御神体『十拳剣』だ。そして、この地をこの国を長らく守護してきた護国の剣でもある」

 

 「これ程の呪具、いえ神器ともいうべきものに私が気づかなかったというの?この社には何度も来ているのに?!」

 

 「気づかないのも無理は無い。今まで、この剣の力はすべて封印の護持に使われていたからな。存在を知らなければ、認識することすらできんよ」

 

 「封印?」

 

 「そうだ。先程、この社の由来を教えただろう。『神は無し』、それがこの剣が護持してきた封印の役割さ。この国にカンピオーネが生まれたことはないことは知っているだろう?」

 

 「ええ、忌むべき羅刹王の化身、人中の魔王。この日の本より生まれたことはない」

 

 「その一助をしていたのが、この剣さ。この剣を礎にはられた封印は、この地にまつろわぬ神を生まれにくくする効果を担っていたのさ」

 

 「そんな……。でも、それならばこの剣を使うことは無理なのでは?」

 

 「『いた』といったろう。迦具土の招来で、封印は基盤ごと吹き飛ばされたよ。流石にこうも近場でやられてはな。実際、残滓は感じ取れても、封印は感知できないだろう?もう跡形もないからな」

 

 目を瞑り感覚を研ぎ澄ませて感じろうとしたのだろうが、やはり何も感じられなかったようで、美雪は首を振る。

 

 「確かに何かあったのは分かるけど、それ以上は何も……。唯一つ言えのは、相当に特化したものだったことくらい」

 

 「なに、どういうことだ?」

 

 「簡単に言えば、この封印は一定の神々にのみ効果があるものなのよ。妖魔や神獣の類は防げないし、恐らく竜蛇の神格には欠片も効果がないでしょうね」

 

 封印の護持を行なってきた私が知る以上の情報を、この短時間で得るとは流石は『秘巫女』というべきだろう。

 

 「なるほどな。ここ以外にも安全装置はあるそうだし、竜蛇の神格はそっちの担当だったんだろうさ」

 

 「他にもあるの?!」

 

 驚愕の声を出す美雪。彼女にとっては、驚きの連続であるだろうから無理もないことではある。とはいえ、京の術者組織に所属する彼女にこれ以上の事を知らせるわけにはいかない。私はお茶を濁すことにした。

 

 「存在することだけは知っているというだけだ。それが何かまでは知らん。

 まあ、今はそんな事よりも、こいつを天之尾羽張の代わりにできるかだ。どうだ、秘巫女のお前から見て、こいつに代理が務まると思うか?」

 

 まだ何か言いたげだったが、美雪も今はそれどころではないと思い直したのだろう。真剣な表情で、剣を見る。そして、残念そうに首を振った。

 

 「確かにこの剣にはかなりの格と力があるけれど、神代の神剣である天之尾羽張には至らない。原初の神殺しの神であり、数多の神を産んだ迦具土を切り裂けるとは思えない」

 

 「まあ、そうだろうな」

 

 美雪の見立ては、私の予想通りであった。いかに長年護国の任を担ってきた宝剣といえど、敵を切る武器としてではなく、あくまでも封印の礎として使われていたものなのだ。神を斬り裂けないのは、道理であり当然だろう。

 

 「それじゃあ、どうやって迦具土を?」

 

 「伊邪那岐には役者が不足している私に、天之尾羽張には至らない十拳剣。お似合いじゃないか。不完全な神を殺すのには相応しいだろう」

 

 「不完全って、あの娘を依代にしていることを言っているのなら間違いよ。迦具土は軻遇突智(かぐづち)火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)ともいい、火山が噴火し大地を変容させる様から想起された炎の神。溶岩流(マグマ)という不定形の炎を象徴するが故に、その神話上すぐ殺されたが故に、赤子が依代として都合がよかったに過ぎない。かの神は生まれてすぐに伊邪那美を焼き致命傷を与えているのよ。力を振るうのに何の制限もないはず」

 

 冗談めかして言う私に、美雪は厳然たる事実でそれを冷徹に切って捨てる。だが、私にも譲れぬものがあるのだ。

 

 「あの屑共の儀式で呼び出されたものが神であるものか!あんなものが神であるなどと、断じて私は認めない!」

 

 そう、認めるわけにはいかない。妻を殺し、娘の体を乗っ取った者をどうして神と認められようか!

 

 「義兄さん……」

 

 私の心中を察したのだろう。美雪は沈痛な表情で唇を噛む。

 

 「そんな顔をするな。私も何の策もなしに挑むわけではない。私の術開発も捨てたものじゃないな。まさか使うことになるとは思わなかったが、お誂え向きの術がある」

 

 「そんな都合のいい術があるの?」

 

 「神剣創造の術。いや、再現の術といった方がいいかな。今までは呪力の問題と触媒となる剣がなかったからな。実現不可能だったが、こいつを使える以上無理ではないはずだ」

 

 「呪力の問題って……!!義兄さんの呪力が増えてる?!なんで?」

 

 「封印の制御を担ってきたのは、この社の歴代の後継者なんだ。私もお役御免になった以上、解放されたのさ」

 

 「それでも神剣の再現なんてできるとは思えない!確かにこの十拳剣は触媒としてはこれ以上望めないもののだけど、義兄さんの呪力では無理よ。私にも劣る義兄さんの呪力じゃ」

 

 確かにその通りであった。回復したといっても、私の呪力は美雪の半分にも満たないレベルである。まあ、秘巫女である彼女が規格外ということもあるのだが、それでも尚神剣の再現には至らないだろう。

 

 「足りないのなら、他のもので補えばいい……」

 

 「義兄さん、まさか!」

 

 そう、足りないのなら他から持ってくればいい。私自身の命を薪にすれば、一度だけならば不可能ではないだろう。

 

 「そのまさかだ。迦具土をあの娘を解き放つわけにはいかないからな」

 

 「ダメよ、そんなの絶対許さない!義兄さんが死ぬくらいなら、私が!」

 

 確かにその方が成功率は高いだろう。しかし、この役目を譲ることは絶対にできないのだ。

 

 「それは駄目だ!あの娘を他の誰かに手をかけさせるわけにはいかない。他の誰でもない父親である私がやらねばならない」

 

 「義兄さんは、自分の娘を殺そうというの?!」

 

 「これ以上、あの娘に手を汚させるわけにはいかないんだ!迦具土を山に留めておけるのは精々一日二日。解き放たれたらどれだけの被害ができるかも分からない。……それにどの道、あの娘は助からない」

 

 「え?」

 

 「神の依代になったあの娘がただで済むと思うか?魂も肉体も擦り切れていても、なんらおかしくはない。まして、予定日はまだ3ヶ月以上先だ。これがどういうことか分かるな?」

 

 「早産……未熟児」

 

 「そうだ、あの子は今すぐにでも保育器の中に入らねばならないんだよ!神が憑いているうちはいいかもしれないが、なくなったらあの娘は生きていられるのか?もう生まれてから半日近い。初乳すら受けられないあの娘は一体どうなる?!」

 

 「そ、それは……」

 

 考えもしなかったようで絶句する美雪。そんな義妹を尻目に、私の頭は冷徹な結論を出していた。娘が助かる可能性は限りなくゼロに近いと。そも神を娘から分離する方法がない。自ら出て言ってくれれば話は別だが、それはまずありえないだろう。出ていくつもりがあるのなら、招来された時点で出ていったであろうからだ。制限の多い赤子の体など枷でしか無いのだから。つまり、それができない事情が迦具土にはあるということだ。

 そして、それにはおおよその予想はついている。あの屑共は、迦具土を不定形の神であると定義して招来した。おそらく、器なくしては定形を保っていられないのだろう。神話の再現性を利用した術式で、再現性も高かったが故に、迦具土は神話により縛られているのだ。迦具土の姿形を語られた神話はない。生まれてすぐ斬り殺されていること、生まれた時に伊邪那美に火傷をあたえていることから、抵抗できない赤子・自らが燃えていることくらいしか推察できない。連中はそれを逆手に取り、不定形の炎の神として迦具土を呼び出し、赤子に定着させて操るつもりだったのだ。まあ、ものの見事に失敗したわけだが。

 

 「あの娘の父親として、これ以上手を汚す前に迦具土から解放してやるのが私にできる唯一のことだ」

 

 「義兄さん……」

 

 

 

 

 私には分かってしまった。義兄がどうしようもなく覚悟をきめていることが。もう、この人は止まらないだろう。姉さん以外の誰が止めようとも、決して……。それを悟り、私はかける言葉を失った。

 

 だが、義兄さんが命を薪にして呪力のあらん限りを振り絞っても、神剣を再現できるかは分からない。仮にできたとしても、その刃がまつろわぬ迦具土に届く可能性はいかほどあろうか。百名余りの人間を一瞬で骨身も残さず焼き尽くした荒ぶる神を、神剣を持っただけの唯の人間が殺すことなどできるのだろうか。

 

 本来ならば、私がやるべきだ。その為の『秘巫女』であるし、義兄さんがやるよりも遥かに成功率は高いだろうから。でも、義兄さんはそれを絶対に許さないだろうし、そも術を教えてはくれないだろう。

 つまり、もう私にはどうしようもないのだ。なんと情けないことだろう。最愛の姉を失い、今再び最愛の人とその娘を失おうとしているのに、秘巫女たる私には何もできないのだ。できることといったら、精々が義兄さんの援護くらいで……援護?!

 

 ある!一つだけ今の私にもできることがある!義兄さんの生存率を上げ、確実に力になる方法が!

 

 「……義兄さん、私を抱いて!」

 

 「?!馬鹿を言うな!いきなり何を言い出す!」

 

 「馬鹿なことじゃない!古今東西の様々な術を研究してきた義兄さんなら知っているでしょう。房中術の存在を」

 

 知らないとは言わせない!義兄が術の改良・開発のエキスパートであるのは周知の事実。そして、それを可能とするには様々な術に精通しなければならないのだから。

 

 「知ってはいる、知ってはいるが……」

 

 「私は秘巫女だけに口伝で伝えられる房中の秘術を知ってる。その中には一時的に呪力を爆発的に高めるものもあるの。これを用いれば、義兄さんも命を薪などにする必要ないはずよ!」

 

 言い淀み、明らかに渋る義兄を畳み込むように言葉を重ね、言い切る。今は迷ってはいけない。どのようなことであろうとも、必要ならばやる。その気概を見せねばならない。僅かでも逡巡したり、迷いを見せれば、義兄は決して承知しないであろうから。

 

 「……お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?」

 

 「勿論よ。義兄さんこそ、自分が先程から何を言っているのか分かってる?」

 

 「なに?」

 

 「義兄さんは、最愛の姉を失った私に義兄と姪が失われるのを黙ってみていろと言っているの」

 

 姉さんを失い、この上義兄さんまで失ったら、私は壊れるだろう。信じていたものが幻想でしかなく、天涯孤独となった私は最早寄る辺なき者だ。愛した者全てを失って生きていく自信などないし、生きる意味などあろうか。

 

 「そ、それは」

 

 「だから義兄さん、お願いだからできることはさせて!私の貞操なんてどうでもいいから、少しでも義兄さんが生き残ることができる手助けをさせて!」

 

 「……」

 

 私の声も枯れよという叫びに義兄さんは言葉をなくし、立ち尽くした。

 

 「ねえ、義兄さんお願い!私に、私に姉さんの仇をとる手伝いをさせて!」

 

 私は義兄を睨みつけるように目を離さず、懇願した。

 

 「……私は外道だな。本当にいいのだな?」

 

 義兄さんは諦めたような嘆息し自嘲すると、確かめるように問うた。やめるのなら今だぞといわんばかりだ。

 

 「義兄さんは外道なんかじゃない!私は望んで義兄さんに抱かれるの」

 

 私は拒否などしてやらない。覚悟を決めた女をなめないで欲しい。私は自分の意思で、望んで義兄さんに抱かれるのだから!

 

 「分かった、最早何も言うまい。お前の覚悟と気持ちありがたく受け取ろう」

 

 「うん!」

 

 私は義兄にとびきりの笑顔を見せてやったのだった。

 

 

 

 

 全ての準備を終え徹と美雪は、愛宕山の参道に立っていた。徹の手には十拳剣が握られ、美雪は手には薙刀、背には弓矢を背負い、両者とも完全な戦闘態勢である。

 

 「なあ美雪、お前はここで…「駄目!」…まだ何もいってないだろう」

 

 「義兄さん、ここまで来て今更待ってろとかはなしよ。あそこまでしたんだし、今更でしょう。もう、迷うことなんてないはず。私達で終わらせてあげましょう」

 

 美雪の言葉に徹も黙るほか無い。彼にはもう義妹を止める権利などないのだ。それだけのことをしたし、させてしまったのだから。

 

 「そうだな……。ああ、私達で終わらせよう!ただ、一つだけ言わせてくれ。……死ぬなよ」

 

 「義兄さんこそ……というか義兄さんの方が遥かに危険度高いんだから、むしろそれは私の科白でしょ!最後の最後まで絶対諦めちゃダメだからね!」

 

 「フフフ、そうだな。ああ、私はいい義妹を持ったものだ」

 

 「フフフ、感謝してよね。義兄さんも最高の義兄さんよ!」

 

 二人は笑いあった。その様は死出の旅路に向かおうとする者達とは到底思えなかった。しかし、彼らはこれから神という名の絶望に挑むのだ。

 

 「では行くぞ、遅れるなよ!」

 

 「義兄さんこそ!」

 

 両者は競うように飛び出すと、『猿飛』の術で灼熱の戦場へと飛び込んだのだった。

 

 

 

 「これが神か……ゴフッ」

 

 内臓が傷ついたのだろう、血が泡となって徹の口から溢れる。神に挑んだ結果は惨憺たるものであった。

 用意してきた呪符も術も使いきったというのに、未だ神には傷一つつけることができなかった。それどころか近づくことすらままならないというのだから、悪い冗談のような現実であった。

 

 徹も美雪も死力を尽くした。呪力を振り絞り、あらん限りの術と技でまつろわぬ迦具土に挑んだ。矢も術も尽くが燃やされ、あるいは蒸発させられ、近づこうにも莫大な呪力の波動で吹き飛ばされる。切り札である神剣再現用に残していた呪力すら使ったというのに、神には通用しなかった。

 

 「こんなことって……」

 

 美雪はすでに心が折れていた。矢も尽き、呪力も後一つ術を使えるかどうかでもう空同然だ。房中の秘術で高められた呪力でもこれなのだ。平時であれば、とうに燃やされていただろう。最大限の火除けの術をありったけかけているが故か、かろうじて生きてはいるが、最早立つ気力はなかった。

 

 『理解したか?これが神と人との差だ』

 

 神の言葉が言霊となって脳裏を揺さぶる。どだい最初から無理な話だったのだ。脆弱な人間が神に挑もうなどというのは。何をしようが無意味。神と人には隔絶した差があるのだと。

 

 「義兄さん、わ、わたし……」

 

 いつの間にか美雪は泣いていた。ぼろぼろの体で縋りつくように徹に抱きつく。

 

 「美雪……」

 

 「ご、ごめんなさい。私、私……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。そも、神の脅威を誰よりも理解していたのは美雪である。秘巫女の称号は伊達や酔狂ではない。彼女は一度の遭遇で、その本質と隔絶した力の差を理解していたのだ。それでも徹に協力し神に挑んだのは、姉の仇討ちや罪滅ぼしの為ではない。義兄への愛故にだ。この結果を予期しながらも、彼女は最愛の男を見捨てることはできなかった。ずっと好きだったのだ、愛していたのだ。姉美夏の夫であったが故に忍んできた想いだった。

 

 皮肉なのは徹が美夏の夫だったからこそ、惚れたということだろう。美夏と正式に婚姻するまで、美雪にとって徹は最愛の姉を奪う略奪者でしかなかったのだから。それを慕情へと変化させたのは、美夏の幸せそうな顔であった。

 今まで見たこともない姉美夏の様々な表情。美雪は知らなかったし思いもしなかった。恋があんなにも人を変えるなんて。徹の隣にいる美夏は実家にいた頃とは別人であった。人格が変わったわけでも、性格が変わったわけでもない。それでも、美雪に言わせれば別人であった。姉はあんなふうに笑う人ではなかった。姉はあそこまで誰かに心を許したりしなかったと。

 気づけば美雪は美夏を羨み妬んでいた。それに気づいた時、彼女は愕然とした。それまで一度たりとも姉を羨んだことなどなかったのだから。妬むなど論外である。姉を変えた義兄徹がますます嫌いになった。

 だというのに、徹は優しかった。嫌味を言われても嫌な顔一つしなかったし、わがままを言っても出来る範囲ならば叶えてくれた。勿論、それは妻である美夏の妹だからこそだろうが。

 そうこうしている内に、気づけば美雪は徹に惹かれていた。姉美夏の隣で幸せそうに笑う姉の夫から目が離せなくなった。彼女は暇があれば夫婦の家に遊びに行き、大いに邪魔をした。彼女自身その自覚はあったし、あの滅多に怒らない姉を本気で怒らせかけたことすらあった。

 だが、それは美雪が徹への想いを表に出さない為の代償行為であった。それくらいは許して欲しいというのが美雪の偽らざる本音であった。彼女は姉の夫である徹が好きなのであって、それを奪うつもりなど露程もなかったからだ。

 

 美夏が死に徹だけが残った時、美雪は己の中にほの暗い喜びがあるのを自覚した。姉が死んだのは、本当に悲しかったし、両親を許せないと思ったのも偽らざる彼女の本音である。だが一方で、最愛の男が一人になったことを、自分の手が届く場所に来たことを僅かでも喜んだのは、紛うことなき事実であった。

 房中の秘術だって、なんのことはない。最愛の男に処女を捧げるのだ。何を躊躇うことがあろうか。美雪は最愛の男の腕の中で、ようやく想いが成就したことに歓喜すらしていたのだ。義兄が謝るのではなく、感謝してくれたのも嬉しかった。想いを受け容れてくれたようで、仕方なくではないように思えて。

 

 完全武装して参道に着いた時、美雪はできるならばこのまま徹と二人で逃げたかった。何もかも放り出して、最愛の男と逃げ出したかった。負けると分かっている戦いになど挑みたくなかった。義兄も薄々理解しているだろうに、それでも行くというのを見捨てることできなかった。彼女の世界には、最早義兄しかいないのだから……。

 

 「美雪……そうか。よく頑張ってくれたな」

 

 徹は美雪の想いを知ってか知らずか、美雪の頭を撫でると優しく横たわらせた。

 

 「義兄さん?」

 

 「後は私だけでやる。お前はそこで休んでいろ。体が動けるまで回復したら、すぐに山を降りろ。いいな」

 

 「義兄さん、ダメ!もう分かったでしょう。まつろわぬ迦具土には勝てない。ねえ、お願い。私と一緒に逃げよう。何もかも捨てて二人だけでどこまでも……」

 

 徹の腕に縋り付きいかせまいとする美雪。その目は潤み、抑えきれない情が溢れていた。徹もここまでくれば気づかない程鈍くはない。義妹の気持ちは嬉しかったし、力の差をまざまざと見せつけられた今、その誘いはどこまでも甘美で魅力的であった。

 

 「悪いな、それはできない。たとえここで死のうとも、ここで逃げることだけは絶対にできない!」

 

 徹はそれでも拒絶した。彼には譲れないものがあった。夫として、父親として、退くことのできない意地が理由があった。縋る美雪の腕を振り払い、立ち上がる。美雪が泣き伏せるが、最早見向きもしない。

 

 体は満身創痍。打てる手は打ち尽くした。それでもなお届かない。正直、徹自身が生きているのが不思議になる程の力量差であった。だが、ここで彼は気づく。そう、なぜ今も己は生きているのだということに。

 

 そも、おかしいのだ。あの一瞬で百人余りを骨身も残さず焼き殺した迦具土が、なぜ未だに自分達を殺せないのだ。よく考えれば、あの時己と美夏・美雪が無事であったのがおかしい。あれは無差別の攻撃であったはずだ。だというのに、己は火傷一つ負うことなく無事であった。それはなぜだ?

 そう言えば美雪が無事逃げおおせたのもなぜだろうか。迦具土が動けないと言っても、美雪は明らかに攻撃範囲内にいたはずだ。それを殺さなかったのはなぜだ?

 一つに気づけば、疑問は次から次へと思い浮かぶ。そして、一つの結論に思い至る。迦具土は徹と美雪を何らかの理由で殺すことができないのだと。理由はさっぱりだが、そう考えれば色んな事に納得がいく。

 

 「なら、やることは一つだな」

 

 殺されないならば手はある。考えてみれば、迦具土は徹に接近されることを極端に避けていた。美雪などは一度薙刀を届かせたというのに、徹は徹底して迎撃された。無論、武術の腕の差というのもあるだろうが、それだけだと時に接近していた美雪よりも、遠くにいた徹の迎撃を優先したことを説明できない。つまり、徹に接近されるのは迦具土にとって、何らかの不都合があるということだ。

 

 「とはいえ、どうしたものか……」

 

 『猿飛』では迎撃されるし、死んではいないといっても正直死に体もいいところである。次、迎撃されれば、攻撃自体では死ななくても結果的に死ぬ可能性も少なくない。体力も限界だし、全力で動けるのは最後になるのだろう。つまり、チャンスは一度だけだ。

 

 切り札である神剣再現の術は、命を薪にしても最早発動できるかも怪しい。その上ぶっつけ本番だ。なんと言っても命と引き替えの禁術なので、おいそれと試すわけにもいかない。なにせ神の剣を再現しようというのだ。唯の人間がどれだけ呪力を引き換えにしたところで、不可能な所業である。己の魂と引換にして、初めてその領域に届くのだ。噂に聞く魔王カンピオーネ程の呪力があれば話は別だろうが、少なくとも今の徹には無理な話である。それを知りながらも、美雪の提案を受け入れたのは、少しでも術の発動率を上げ、術の持続時間を延ばす為の苦肉の策に過ぎない。そこには好意などなく、どこまでも冷徹な計算の下で徹は動いていた。

 

 『もう諦めるがよい。これ以上やっても、意味は無い。いらぬ傷を増やすだけだとなぜ分からぬ?』

 

 迦具土の言葉がまたも響くが、それは徹の確信を深めさせるだけだった。『傷を増やす』、『殺す』とは言わない。いや、恐らく言えないのだと。

 

 「悪いがそういうわけにもいかないんだよ!」

 

 徹は『猿飛』を行使し、迦具土へと突っ込む。

 

 『愚かな、同じ結果だとなぜ分からぬ!』

 

 無論、それを見逃す迦具土ではない。炎弾が徹を跳ね飛ばさんと絶妙のタイミングで飛んでくる。確かにそれは完璧なタイミングであった。今までの徹の『猿飛』の術ならば、確実に外へと弾き飛ばすタイミングだった。

 しかし、今回に限っては違っていた。徹は炎弾がとんだ瞬間に着地し、再度『猿飛』を行使したのだ。それは炎弾を背に受けるタイミングとなり、彼を迦具土へ接近させる助けとなる。ここしかないと徹は腹を決める!

 

 「天之尾羽張、天羽々斬、天叢雲剣、日の本にありし数多の神剣よ 我が魂魄と引換に今一時その姿を顕わし給え!」

 

 徹の全身の力が吸い取られるように十拳剣に集っていく。剣身に一瞬の焔が走り、神剣はここに顕現する。徹の脳裏にその真名が自然と浮かぶ。後は斬るだけだ。

 

 「斬り裂け天之尾羽張!」

 

 『なんと!このような切り札を隠していようとはな!』

 

 さしもの迦具土もこれは予想していなかったらしい。慌てた様子で迎撃にでる。

 しかし、天之尾羽張は呪力で編まれたそれまで絶対不可侵であった防壁を紙のように切り裂き、迦具土へと迫る。勝ったと徹が勝利を確信した時、それは起きた。

 

 刃が迦具土へと入って行かないのだ。それまでの無類の切れ味が嘘であったかのように、剣は微動だにしない。それどころか、剣の姿が朧気になっていくではないか。

 

 「くそ、時間切れか……」

 

 『残念だったな、流石に死を覚悟したぞ。だが、天は最後に我に味方したようだな。ここまでされれば、貴様を殺すのに何の躊躇いもあるまいよ!』

 

 そう、なんのことはない。時間切れである。神剣の顕現を維持するだけの呪力が、徹には残っていなかったのだ。あらん限りの力を振り絞って剣を振り下ろそうとするが、やはり剣は微動だにしない。

 

 『素直に逃げておけば良かったものを……。神に挑みし不遜を悔いて黄泉へと逝くがいい。お前の妻が待っているぞ!』

 

 徹の周囲で炎が逆巻き、包み込んでいく。万事休すであった。

 

 「義兄さんー!」

 

 美雪の悲痛な叫びが聞こえる。ああ、死ぬのだなと思ったところで、何の熱さも感じないことに気づき目を開ける。視界に映ったのは想像とは全く異なる光景であった。十拳剣にお迦具土の炎が収束し吸い込まれていくではないか。変化はそれだけに留まらない。朧気だった剣が再び明確になっていき、ついにはその輝きを取り戻した。

 

 「こ、これは……」

 

 呆然としながらも腕は重力に従い動く。刃はするすると迦具土の肉体へと入り込んでいく。

 

 『なぜだ?!なぜこのごに及んで此奴をかばう。此奴は我等をお前をも殺そうとしたのだぞ。お前は自分を殺す手伝いをするのか?!』

 

 迦具土の悲鳴が絶叫が響く。その内容に徹はあることに気づき腕を止めようとするが、すでに時は遅し。その時には、迦具土を剣は両断していた。

 

 「明日香、お前なのか?私は……」

 

 『明日香』、それは徹と美夏の娘につけられるはずだった名。夫婦二人で頭を捻って考えだした祝福の名だ。そう、徹を守っていたのは迦具土の依代たる明日香の意思だったのだ。そして、徹に迦具土を殺害せしめたのもまた……。

 

 娘の名を呼び力尽きて倒れ伏せる徹を尻目に、迦具土は怨嗟の叫びを上げる。

 

 『こんなことがあっていいものか?!おお、口惜しや!我が、まつろわぬ迦具土たる我が、親子の絆に敗れるというのか?!親が子を思うように子もまた親を思うというのか?!唯の赤子が自身に向けられる刃を恐れず、親の命を選んだというのか?この様な結末を父である伊邪那岐に斬り殺された我に認めろというのか?!』

 

 「まあ、迦具土様ったら、死する時も激しくていらっしゃるのね」

 

 場違いな甘く可憐な言葉が響く。いつの間に現れたのか、声の持ち主は長い金髪を二つにわけ、白のドレス姿の蠱惑的な『女』であった。10代半ばにしか見えぬ可愛いという表現の合う童顔と体つきでありながら、どこまでも誰よりも艶かしい女であった。

 

 『おお、その方はパンドラか。忌まわしき災厄の魔女よ!汝が来たということは、我はこの神殺しに簒奪されるのか?!我が父と同じ大罪人に!ああ恨めしや!』

 

 「うーん、実際は凄い迷いましたのよ。この子あんまり私達の子に向いているとは思えませんでしたからね。でも、たまにはこういう一風変わった子もいいかと思いまして。それに後先考えないで突っ込む辺り、私達の子には相応しいでしょう。そういうわけで、やっぱり来ちゃいましたわ」

 

 『おのれ、捨て置けばよいものを!』

 

 「うふふふ、さあ神々よ、祝福と憎悪をこの子に与えて頂戴!6人目の神殺し---大いなる罪を背負いし魔王となるこの子に、聖なる言霊を捧げて頂戴!」

 

 『よかろう、観無徹よ。貴様に言霊を与えてやる!神は無しだという不遜なる姓をもちし、傲慢なる咎人の魔王よ!貴様は我が神滅の権能を簒奪せし最悪の神殺しとなる!我が子を殺して生き延びた己が運命を呪うがいい!我が子を殺して得た力を憎悪するがいい!我は貴様に負けたのではない!貴様の娘にこそ負けたのだ!貴様と次相まみえる時こそ、その魂ごと滅してくれようぞ!』

 

 

 

 

 美雪には何が起きたのか分からなかった。炎に包まれた燃え尽きたと思った徹が、迦具土の絶叫が響いた後に傷一つない綺麗な顔で倒れ伏していたのだから。体は依然としてズタボロだったが、血色はよくとても死にかけだった人間とは思えない。何がなんだか理解できなかった。

 

 迦具土の姿はなく、微塵の気配もない。その残滓を思わせる僅かな灰が徹の前に降り積もっていたが、すぐに風に溶けていった。ただ、なんとなく理解できた。義兄は本懐を遂げたのだと。最後の最後まで諦めず、夫として、父親として、最後の意地を通したのだと。

 

 

 

 

 ただの一般人であった人間は、転生し術者となり、この日再び転生し魔王となった。

 それが幸か不幸か、当の本人以外知る由もない……。




なんかやたらと長くなってしまいました。最初の一話で神を殺すところまで、入れようとしたのが失敗だったんでしょうか。その分、戦闘描写が皆無に近くなってしまいました。まあ、元より神にただの人間が勝てるわけ無いだろということで、ボロ負けさせるのは変わりませんし、負けるのを詳しく書いてもおもしろくないのではとかなりはしょりましたが、どうでしょうか?
とはいえ、無事魔王様になりましたので、次はきっちり書いていくつもりです。ただ権能一つですし、護堂みたく便利ではないのでこれからもしばらくは苦戦しそうですが……。

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