【習作】一般人×転生×転生=魔王   作:清流

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暴君との対決に備え、祐理のことを考察していたら、いつの間にか生まれたお話です。
早くヴォバン戦を書きたいのに、何を書いているのだろうか……。



#11.媛巫女の戸惑いと炎王の企み

【武蔵野の媛巫女万里谷祐理、七雄神社にて『王』との謁見を果たす】

 

 日本の呪術界を取り仕切る正史編纂委員会の誇る武蔵野の媛巫女が一人、万里谷祐理は未だかつてない緊張と戸惑いの渦中にいた。場所は馴染みある七雄のお社であるというのに、相手次第でこうも変わろうとは思いもしなかった。

 

 八人目のカンピオーネであるあの草薙護堂の真贋を見極めろと命じられ、会うことにした時以上の緊張を、祐理は強いられていた。

 

 「すまないな、突然会いたいなどと言って」

 

 だが、それは当然であった。

 今、祐理の目の前にいるのは神無徹。六人目のカンピオーネにして日本初の神殺しであり、彼女の属する正史編纂委員会が頭を垂れる紛う事なき王であるのだから。

 

 「いえ、御身の思し召しあらば。御足労頂かずとも、私の方からおうかがい致しましたのに」

 

 そして、『魔王の狂宴』の原因となった『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀に巫女として強制的に参加させられた祐理にとっては、彼の王はそれ以上の意味を持つ。

 

 「いや、これは酷く個人的な事情によるものでね。流石に君の手を煩わせるのは忍びなかった」

 

 儀式中で極度のトランス状態にあったとはいえ、祐理は目の前の王の極寒の殺気を覚えている。それが自身に向けられたものではないとはいえ、極度のトランス状態にあった祐理達巫女に影響を及ぼす程のそれは、ヴォバン侯爵と並ぶ心的外傷(トラウマ)であった。

 

 故に穏やかな表情で、服装もありふれたビジネススーツで特にこれといった特徴もないのに、祐理が感じる威圧感はただならぬものがあった。ぶっちゃけて言てしまえば、怖い。それは最早本能的なもので、どうしようもないものだ。今はどうにか気丈にも平静を保っているが、それは砂上の楼閣より脆いものであった。

 

 「個人的事情でございますか……っ!?」

 

 己が徹の琴線に触れるようなことをした覚えはなく、プライベートでの繋がり等も皆無である。

 故、祐理が己が身がを欲しているのではないかと考えて、絶句して顔を蒼褪めさせたたのも無理もない話ではあった。ちなみにこの想像は、多分に草薙護堂とエリカ・ブランデッリの愛人関係が根底にあったりするが、全くの余談である。

 

 「……御身がお望みとあれば」

 

 祐理は震える声で、辛うじてそれだけを口に出した。いかに媛巫女と言えど、羅刹の君たる王の望みを阻むことなどできようはずもない。彼女の意思など関係ない。その気になれば、王は全てを薙ぎ払い意を押し通すだけの力を持っているのだから。

 

 「待て待て、何か誤解していないか?」

 

 自身の家族と日の本の平和の為に悲壮な覚悟を決めかけた祐理を止めたのは、他ならぬ徹であった。その顔には困惑と焦りが見えた。

 

 「……」

 

 極度の緊張で、自身の思い込みのままに行動しようとしていた祐理だったが、羅刹の君らしからぬ反応に、何か思い違いをしているのではないかと流石に気づいた。

 

 「ああ、もう!美雪頼むわ」

 

 「ええ、任せて義兄さん」

 

 「!?」

 

 思いもがけない第三者の登場に、祐理は驚愕した。いつの間に入って来たのだろうか?

 

 「はあ、今気づいたって顔ね。あのねえ、私は最初からいたからね。義兄さんと一緒に入ってきたでしょ?」

 

 どこか呆れを含んだ声でそう言ってきたのは、美しい長い黒髪をポニーテールに結ってまとめている20歳前後の女性だった。こちらは白衣に緋袴と、祐理にも馴染みが深い格好だが、どこか清涼感を感じさせる美女であった。

 彼の王の義妹にあたる女性で、名を確か神楽美雪といったはずだ。

 

 「は、はあ。そうだったでしょうか」

 

 祐理は思い出そうとするが、さっぱり覚えがない。

 正直、徹が部屋内に入ってきてから、その存在に釘付けで他に意識を割く余裕は彼女にはなかったのだ。

 

 「……はあ、これは重症ね」

 

 処置無しだと言う風に溜息をつく美雪だったが、すぐに首を振り、祐理に向き直って口を開いた。

 

 「万里谷祐理、祐理さんと呼ばせてもらうわね。念の為、確認したいんだけど、祐理さん、貴女は四年前の『魔王の狂宴』の原因となった『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀に巫女として参加させられていたわね?」

 

 「は、はい、間違いありません。その際、そこにおわす神無徹様をはじめとしてヴォバン侯爵、サルバトーレ・ドニ様のお三方と遭遇したことが原因で、草薙さんの真贋の見極めを委員会かれら依頼されましたから」

 

 祐理は同性の美雪相手ということもあり、幾分か緊張が和らぎ、ぎこちなさは未だ残るものの確りと答えた。

 

 「そういうことだったのね。……実は私も、あの儀式に参加させられるところだったのよ。知っている?」

 

 「はい、甘粕さんから聞いております。それが何か?」

 

 美雪が優れた巫女であることは、祐理も理解している。かつて京の切り札『秘巫女』と呼ばれる存在であったことも。故に自分同様にあの時運悪く欧州に居合わせたというのならば、ヴォバン侯爵が目をつけてもおかしくはない。実際、現地の魔術師に襲われ、危ういところだったのを義兄である徹に助けられ、それが原因であの儀式に徹は介入したのだということは、甘粕から聞いていた。

 

 「うーん、何と言ったらいいのかしら?つまりね、義兄さんは……「謝りたいのだ」……義兄さん、それは」

 

 「えっ?!」

 

 唐突な王の言に祐理は混乱した。今の話題のどこに羅刹の君たる徹が謝らねばならない要素があったのか、さっぱり理解できない。美雪は理解しているようだが、どこか不満げな様子である。

 

 「私は君を、いや、あの場にいた巫女達を救ってやれなかった。儀式の結果、過半の巫女がどうなったのかは聞き及んでいる。君が無事だったのは、運が良かったに過ぎない。君を助けられなくてすまなかった」

 

 「そんな!それは御身の謝られることではございません。責められるべきは儀式を強行したヴォバン侯爵でございましょう」

 

 「いや、少なくとも君については話が別だ。私がもっと早く正体を現していたら、私が庇護すべき存在である君は巻き込まれなかっただろうからな」

 

 「そ、それは……」

 

 媛巫女として目の前の王が、賢人議会を通して示した『護国』という方針は知っている。

 確かに彼がなってすぐに世に出ていれば、現地の魔術師達がその脅威を恐れて、自身はあの儀式に参加することはなかったかもしれないということを、祐理は否定できなかった。

 

 「先日のアテナの件で、私が正体を隠蔽していたことは少なからぬ影響を各所に与えていたことを思い知ったよ。正直、草薙君には悪いことをしてしまったと思っているんだ」

 

 結果だけを見れば自業自得だが、過程を客観的にしっかり見れば、エリカや護堂にとって己の存在が不意打以外のなにものでもないことを徹は理解していた。まあ、それでも目論見が甘すぎたとか、日本の被害等を軽視しているなど言いたいことは山ほどあるのだが。

 それでも、自身が正体を早期に明かしていたのなら、あそこまで悪者にはならなくて済んだ筈だ。それだけは本当に悪いことをしたと気の毒に思っている。実際、復興費用捻出の為にわざわざ権能を用いたのは、その罪滅ぼしと言う側面もあることを否定できないのだから。

 

 「……」

 

 祐理はなんと言っていいか分からなかった。彼女自身、アテナの神具などという超弩級の爆弾を不用意に持ち込んだことについて日の本の民として怒り、他ならぬ護堂本人に直接説教したくらいである。今のエリカと護堂がおかれた現状は自業自得なのは間違いない。

 だがその一方で、六人目の王が日本人であることなど、護堂はおろかエリカにとっても青天の霹靂であったことは知っている。なにせ、実際に自身でその様子を見聞きしたのだから。あの時、一見優雅なエリカの態度の中に見えた隠しきれぬ焦燥を、祐理ははっきりと覚えている。

 

 

 「そんなわけで、ちょっと己の所業を省みてたわけだ。それで君の事を思い出してな。けじめをつけておきたいと思ったわけだ」

 

 「そういうことだったのですか」

 

 祐理は内心の羞恥を抑えつつ、神妙に頷いた。

 どうやら、目の前におわす羅刹の君は想像以上に律儀で真面目な性質だったらしい。

 

 「冬馬の奴にも伝えておいたはずだが、聞いていないか?」

 

 徹の言葉に、今回の謁見のことを伝えに来た甘粕冬馬は「祐理さんにとって、けして悪い話ではないですよ」と言っていたのを祐理は思い出す。あの時は、突然降ってわいた王との謁見の衝撃と過去のトラウマが響いて恐怖が先に立ってしまい、その意味に考えを巡らす余裕がなかった。

 しかし、落ち着いて考えてみれば、王が祐理の身を望むのであれば、最初から委員会から言い含められるだろうし、いくらなんでも家族にも説明があるだろう。正史編纂委員会はそこまで強権的な組織ではないし、情のない組織でもない。まして、現媛巫女の中でもっとも霊視に優れると言われる祐理相手であるのだから、相応の配慮は普通よりあって然るべきだ。

 つまり、甘粕の言を信じるならば、王の望みは聞いた言葉通りで間違いないのだろう。大体、そういう目的なら義妹とはいえ、他に女性を帯同していないだろうし、何より自分がその手のことに向いているとはお世辞にも思えなかった。というか、徹の困惑と美雪の呆れを見るに、己が凄まじく失礼な誤解をしていたのは明白であった。恐怖ばかり先立って、怯えていた自身が祐理には酷く恥ずかしく思えた。

 

 「も、申し訳ありません。羅刹の君からのお召しとあって、驚愕と緊張でいっぱいになってしまいまして」

 

 正確には何より恐怖が占めていたのだが、それを正直に言うことがどれ程礼を失することになるかは祐理も理解していた。

 

 「ああ、まあ草薙君の愛人エリカ・ブランデッリの例もあるから、そういう誤解も仕方ないといえば仕方ないか……。

 だが、安心して欲しい。私に無理矢理女性をどうこうする趣味はないし、流石に君は若過ぎる。まず、そういう対象には見ることはできない。大体、美雪以外の女性を傍におくつもりはないからな」

 

 「義兄さん……」

 

 幾分嬉しそうな声をあげ見つめる美雪とそれに黙ったまま頷く徹。いかに色恋に疎い祐理でも、両者にある感情が義兄妹のそれではなく明らかに男女のそれであることを感じ取るこができた。目と目で通じ合うというか、この二人の間に他者が介入する余地はないということを祐理ははっきりと悟ったのだった。

 

 「……」

 

 それまで抱いていたものが一転して、なんとも居心地が悪いというか、いたたまれない気分に祐理はなった。自分が邪魔者以外の何者でもないように思えたのだ。

 そんな祐理の心情を察したのか、徹は軽く咳払いをして祐理に向き直った。

 

 「コホン―――要するにだ、万里谷祐理。君には個人的な借りがある。故に何かあれば、遠慮なく言うといい。君も私が護るべき民なのだから護るのは当然だが、それ以外のことであっても一回だけどんなことでも力になろう。無論、私の力の及ぶ範囲でだが」

 

 「!?」

 

 祐理は今度こそ本当に驚愕で絶句した。

 何でもないことのように言われたが、それはとんでもない意味を含んでいたからだ。

 

 「義兄さん、それは!」

 

 美雪が声を思わず荒げたのも無理はない。

 洋の東西を問わず、魔術師・呪術師に畏敬され王と崇められる存在が、ただ一度だけとはいえ無条件で力を貸してくれるなど、破格というレベルの話ではないのだから。それは呪術界において問答無用の切り札を手に入れたに等しいのだ。

 

 「美雪、すまないがこれには口を出さないで欲しい」

 

 「で、でも!」

 

 口出し無用を宣言されるが、美雪はそれでも黙っていられなかったらしく、さらに何か言おうとして、徹の強い視線を受けて沈黙した。

 

 「無論、このことを周囲に言い触らされて等は困るし、願いの内容如何によっては聞けないこともあるだろう。それは理解して欲しい」

 

 念の為と前置きして、付け加える言う徹だったが、祐理からすれば言われるまでもないことであった。

 良家の子女として生まれ、さらに媛巫女として敬われる立場にある祐理は、与えられた鬼札の価値と危険性をよく理解していたからだ。大体にして、王の威を借るなどすべきでは絶対にないし、増長して無茶な要求などすれば逆に怒りを買うことは言うまでもないだのから。

 

 「心得ております。ですが……」

 

 ただ、それを額面どおりに受け取れるかは話が別である。

 ただほど怖いものはないと言う様に、理由のない贈り物程怖いものはないからだ。それが圧倒的上位者からとなれば、尚更だ。祐理はそう考えていた。彼女は権謀術数に優れているわけではないが、聡明な少女なのだ。

 

 不敬な話になるが、これならばまだ我が身を望まれた方が安心できただろう。要求される代償は、己だけで済むのだから―――。

 

 「心配せずとも、このことで後付で代価を要求などしたりはしない。そんなけち臭い真似はしないし、騙し討ちじみたことをする理由も必要性ない。なんだったら、私自ら呪的な誓約をしてもいい」

 

 もっとも、その不安は筒抜けだったらしい。口に出す前に否定されてしまった。王自らこうまで言うのだから、自身の危惧したものは杞憂であるということなのだろう。それに呪的誓約まで持ち出した以上、口約束とはいえ違えることはまずないだろう。陰陽師をはじめとした呪術に関わる者にとって、言霊とは重要なものなのだから。それを優れた術士でもある目の前の羅刹の君が理解していないはずがない。

 

 とはいえ、それでも疑問は残る。確かに罪悪感や謝罪の意もあるのだろうが、この厚遇はそれだけとは到底思えない。なぜそこまで―――。

 

 「あの、お申し出は非常にありがたく、この身には余る光栄なことですが、なぜそこまでして頂けるのですか?先も申しましたように御身に責はなく、王の手を煩わせたこの身の不明を恥じるばかりです。王が私如きに(かかずら)う理由などないはずです」

 

 申し出を受けるにせよ断るにせよ、その理由を祐理は知りたかった。不敬に過ぎるかもしれないが、ここを疎かにしてはいけないと彼女の巫女としての感覚は告げていたのだ。

 

 「……そうだな。確かにこんな話、いきなり理由もなく言われても困るか。いいだろう、君には話しておこう」

 

 「では、やはり?」

 

 「おっと、一つだけ言っておくが、謝罪とその侘びというのも嘘ではないよ。というか、根っこはそいれと同じものだ。要は自己満足さ」

 

 「自己満足でございますか?」

 

 「あの場を霊視をした君なら聞いているだろう?私の妻子がどうなったのかを―――」

 

 「はい、確か『まつろわぬ神』招―――!?」

 

 言いかけて、祐理は気づいた。徹の妻子もまた『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀の犠牲者であることを。しかも、正気を失い心に深い傷を負う程度ではなく、妻子共に命そのものを失ったことを。

 徹の妻である美夏が生贄同然に扱われ、娘の明日香も神の依巫にされたことまでは、流石の祐理も知る由もない。

 

 だが、それでも妻子を同時に失うことがどれ程の悲しみを生むかは想像できた。

 

 「恥ずかしい話だが、まあ、はっきり言ってしまえば代償行為さ。運よく後遺症もなかったとはいえ、私にとっては君も妻や娘と同様に救えなかった相手であることには変わらない。結局、妻には何もしてやれなかったからね。その代わりにというのは君に失礼になるだろうがね」

 「……」

 

 そう苦い笑みを浮かべて話す徹に、祐理は何も言えなかった。

 

 「そんなわけで、結局のところこれも身勝手な自己満足に過ぎない。私の個人的な我侭につき合わせるようですまないが」

 

 「いえ、けしてそのようなことは!」

 

 「いや、本当にすまない。こんな重い話聞かされても君にとっては負担にしかならないよな。すまないが忘れてくれ。とにかく、そんなに重く考えなくても構わない。何か困ったことがあれば、相談にのる程度に思ってくれればいい。いらぬお節介をするつもりはないから、こちらから能動的に何かをするつもりはない。まあ、気が向いたら、連絡してくれればいいさ」

 

 祐理の否定に対し、徹はそう自嘲するように言うと席を立った。

 

 「あ、あの!」

 

 「では、また機会があればまた会おう。まあ神殺しと関わる縁などない方がいいかもしれないがな」

 

 何か言わなければと思う祐理だが、徹は待ってくれなかった。背を向けたまま自嘲が混じった声でそう呟くと、部屋を出て行った。その後に軽く黙礼して美雪が続く。

 

 気づけば祐理は再び一人になっていた。

 今や恐怖も緊張も驚愕もなく、あれだけ切羽詰っていたのが嘘のようであった。

 ただ、確かに王との謁見は夢幻ではく現実であったことを、目の前に置かれた一枚の名刺が証明していた。

 

 

 

 

 

 

 万里谷祐理との面会後、本題の都内各所を回り仕込みを終えた義兄と私が用意された屋敷に戻る頃には既に日が暮れていた。ほぼ丸一日を仕込みにかけたことになるが、それだけの甲斐はあったと思う。

 元より東京は、江戸の御代より四神相応の地として、呪的霊的防御が張り巡らされた特殊な土地だ。この地にいるならば、それを利用しない手はない。この東京を戦場とするならば、たとえ『まつろわぬ神』やカンピオーネが相手であったとしても、十二分に役立つことだろう。

 

 今日の仕込みは、義兄の権能の使用をスムーズにするためのものでもあるだけに、手を抜けないものであったのだが、肝心の義兄さんは心ここに在らずという有り様だった。おまけでしかなかったはずの万里谷祐理との面会がただならぬ影響を与えているのは明らかだったが、それでも仕込みのための作業は失敗しない辺り、なんとも義兄さんらしい。

 

 義兄さんの心情は察してあまりあるが、それでもいい加減に戻って欲しい。そう思った私は、中庭で一人月を見上げている義兄に声をかけた。

 

 「ねえ、義兄さん。義兄さんはまだ「情けないとは思わないか?あんなに偉そうに説教しておいて、私は私で名を隠すことで、守るべき存在を危険に晒していたというのだからな」……」

 

 私の言を遮るように、背中を向けたまま義兄さんは吐き捨てた。その声には苦いものが混じり、多分に自嘲を含んでいた。相変わらずこちらを見ようともしないが、その顔は悔恨と憤怒に塗れているのが、なんとなく察せられた。

 

 「でも本人も言っていたじゃない。あれはヴォバン侯爵にこそ責任があって、義兄さんに責はないって」

 

 「分かっている……だが、私が正体を最初から明かしていれば防げたかもしれないと思うとな―――」

 

 日本人であり武蔵野の媛巫女である万里谷祐理が東欧の暴君の謀に巻き込まれたのは、あの時たまたま欧州に滞在していたからであり、本当に運が悪かったという他無い。今言った通り、そこに義兄さんの責任など本来あるわけがない。

 

 しかし、先日の八人目の神殺し草薙護堂による日本へのアテナ誘き出しの件が、正体を隠していたことで防げていたはずの危険を放置していたのもしれないと、義兄さんに思わせてしまった。

 いえ、それだけならばまだ良かった。確かに草薙護堂やエリカ・ブランデッリには多少気の毒なことをしたと私も思わないわけではないが、あれは八割方自業自得である。私は同情など欠片もしないし、そのことで義兄さんに責任があるなどとはこれっぽっちも考えていないのだから。

 

 義兄さんも、それだけであったのならば、さして苦悩することもなかっただろう。

 が、問題なのは万里谷祐理の存在だった。

 

 万里谷祐理が巻き込まれたのは、あろうことか『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀であり、その求められた役割や危険性を考えると、その境遇は余りにも姉さんと似通っていたからだ。幸い後彼女自身は無事で後遺症もなかったようだが、それは本当に運が良かったに過ぎない。一つ間違えれば多くの巫女と同様正気を失い、『まつろわぬ神』との戦いに巻き込まれれば死んでいたとしても少しもおかしくなかったのだ。

 私が狙われた事で介入した義兄さんには、万里谷祐理を直接救うことが可能であった。その為の力も機もあり、実際後一歩というところだったのだから。だが、それは結局ならなかった。ヴォバン侯爵はおろか、義兄さんでさえも予想していなかった第三のカンピオーネのサルバトーレ・ドニの介入によって。

 

 すなわち、義兄さんにとって、万里谷祐理もまた姉さん同様に手の届く位置にいながら救えなかった人間なのである。その事実がどうしようもなく姉さんを想起させ、余計に義兄さんを苛むのだろう。

 

 「義兄さん、万里谷祐理は姉さんじゃない」

 

 結局、万里谷祐理に対する謝罪も、代償行為と言った過分と言える申し出も、義兄は亡き妻である姉さんを彼女に重ね合わせているが故なのだろう。

 気持ちは痛い程理解できる。性格こそ異なるが、万里谷祐理の芯の強さは姉さんに通じるところがある。それに過ぎたこととではあるが、そんな娘を放置して戦いに狂っていたということも否定できないのだ。義兄さんが少なからぬ自責の念に苛まれるのも無理はない。

 故に、謝罪まではいい。本来、不要であろうが、それで義兄さんの心が軽くなるというのなら構わない。

 

 でも、それ以上は行き過ぎだ。あの申し出は万里谷祐理の手に明らかに余る。もし特別な庇護を受けているなどと知られたら最後、権謀術数に疎いあの娘には為す術がないのだから。

 

 「―――分かっている。別人であることなど誰よりも理解しているさ。これが単なる感傷にすぎない事もな……。

 結局のところ、私は未だに未練たらしく美夏のことをひきずっているのだろうよ。お前を抱き束縛しながら、何と情けない体たらくか。これでは美夏に怒られてしまうな」

 

 義兄さんはそう自嘲して、ようやく私に向き直り苦笑を零した。

 それは裏返せば、姉さんのことを「絶対に忘れない」という義兄さんの意思表示であるように私は思えた。

 いや、実際そうなのだろう。私と肌を重ね、独占欲を表してくれたにも関わらず、私と義兄さんの距離は殆ど変わっていない。手を伸ばせば触れることはできるのに、けしてその手が義兄さんから伸ばされることはない。思いは交わっても、一方通行なのは何も変わっていないのだから。

 

 「義兄さん、私はいいの。姉さんのことを今も思っているのは確かに悔しいけど、同時に嬉しくもあるの。姉さんのことを忘れられないのは私も同じだから……。

 だから、私はいくらでも待つわ。ううん、いつか必ず義兄さんをその気にさせてみせるから!」

 

 だが、そのことで義兄を責めるつもりは毛頭ない。未だ自身が亡き姉に及ばないのは分かっているからだ。

 ようやく義兄の手助けをできるぐらいにはなったものの、姉のように支えられているとは言い難いのが現状だ。

 

 「美雪、強くなったものだな……。いや、お前は元から強かったか」

 

 義兄は私の言葉に目を瞠った後、感慨深げに呟いた。今度は苦笑ではなく優しげな微笑を浮かべて。

 

 「ううん、この強さは兄さんが私にくれたものよ。以前の私なら、きっと待っていることだけしかできなかったと思うから」

 

 「……そうか」

 

 義兄さんは、私の答に肯定も否定もしなかった。ただ、静かにそう零して、私の頭を一撫でしだけだったが、否定しないでくれたことが何よりも私には嬉しかった。

 

 「でも、義兄さん。それはそれとして、万里谷祐理への過剰とも言える扱いはやっぱり問題だと思う。謝罪だけで十分だったはずよ。代償行為にしてもいきすぎだと思う。今からでも撤回すべきじゃない?」

 

 羅刹の君にして、呪術者達から王と崇められるカンピオーネである義兄さんの庇護と助力。それが呪術界において、どれ程の権威と価値を持っているかは説明するまでもない。それがたとえただ一度だけであってもだ。

 義兄さんの気持ちは分からないでもないが、それでもやはり万里谷祐理にとって負担にしかならないだろう。

 

 「それはできない。お前に何と言われようと、私は撤回する気はない」

 

 しかし、義兄の答はとりつくしまもない明確な拒絶であった。

 

 「なんで、そこまで!?」

 

 「必要なことだからだ」

 

 「えっ、必要なこと?」

 

 「そうだ。美雪、お前は一つ勘違いをしている。確かに、万里谷祐理に対しての扱いは些か以上に過剰であり、それはあの娘にとって負担になるだろうことは認めよう。それが私の感傷であり、代償行為であることも否定はしない。

 だがな、それだけであそこまでするほど、私は甘くないぞ」

 

 義兄は表情を消し、その目は最早欠片も笑っていない。そして、その声色は凍えるような冷たさを感じさせた。

 

 「どういうこと?」

 

 「先も言った通り、必要なことだからだ。

 万里谷祐理、あの媛巫女は、暴君に巫女として浚われたのを皮切りに、剣馬鹿に巫女として使われ、霊視で私の正体を間接的にとはいえ看破した。そして、最近では草薙君の見極め役を務めた。

 つまり、世界に十にも満たない数しかいないはずの神殺しの半数と彼女は何らかの形で関わっているわけだ。異常だとは思わないか?」

 

 「!?」

 

 義兄の淡々と説明するが、その内容は私をして驚愕せざるえないものだった。

 カンピオーネたる義兄さんの義妹であり、その傍に常に侍って来た己でさえ、実際に会った事のあるカンピオーネは、義兄さん以外では僅かに二人。賢人議会を通して不戦を約束した際に黒王子アレクと、後は同じ日本人である草薙護堂だけだ。それを考えれば、万里谷祐理が極めて優秀な霊視術師であることを差し引いたとしても、客観的に見れば確かに義兄さんの言う様に異常に思える。

 

 

 「二度あることは三度あるというが、偶然で片付けるにしては少々異常だ。これは勘だが、あの娘はこれからも神殺しや『まつろわぬ神』と関わることになるだろう。望むと望まざるに拘わらずな」

 

 「義兄さんの勘って……それじゃあ、もう確定したようなものじゃない」

 

 虫の知らせが一般的に知られているように、優れた術師や巫女の予感や勘といったものは馬鹿にできないものだ。まして、人間離れした直感力を誇るというカンピオーネの一人であり、同時に天才的な術師でもある義兄さんの勘となれば、それは最早確定したといっても過言ではないだろう。

 

 「だろう?大体、あの娘は草薙君と同じ学校で同級生だ。見た感じ相性も悪くなさそうだったからな。委員会としても、窓口として使わない手はないだろう。そう意味では、最早巻き込まれるのは必然とも言える」

 

 「確かにその通りね……。じゃあ、あの過剰な扱いと護符はその為の?」

 

 義兄さんが置いてきた名刺は、義兄直通の連絡先が書かれていただけではない。ああ見えて、義兄さんがその技術の粋を尽くした特別製の護符でもあるのだ。霊的な隠蔽も完璧で、並の術師ではあれが備える力を見抜くことはおろか、護符であることすら分からないという代物だ。

 

 「ご明察、早い話が保険だ。もう間に合わないのは御免だからな。

 まあ、実際にはそれだけではないが」

 

 「えっ、まだ何かあるの?」

 

 保険というには些か大仰過ぎる気がするが、納得のいく話ではあった。だというのに、まだ何かあるというのか?

 

 「ここからは正直、嫌な話になる。それでも聞きたいか?」

 

 義兄が微妙な表情で躊躇いがちにそう問うてくるが、私は躊躇いなく頷いた。

 ここまで聞いた以上、全て知りたいと思ったからだ。そして、それ以上に義兄さんの巫女として知っておくべきだと思ったからだ。

 

 「そうか、分かった。後悔するなよ……。

 万里谷祐理はこの日の本、いや、世界でも有数の霊視術師だ。それを草薙君にくれてやるのは惜しいと思ったのさ。あの娘の能力は稀少な上に有用だ。その分、敵にまわすと厄介だからな。

 要するに、今日のことは、彼女を草薙君側に完全に取り込まれないようにする為の楔さ」

 

 「っ!」

 

 義兄はこれ以上ないと思える程、冷たい口調で言い切った。その境遇に姉さんを重ねていたことが嘘のようである。

 

 「あの娘は聡く優しい娘だ。アテナの件で落ち込んだ草薙君達に同情しているだろうし、絆されてあちらよりの行動をとるだろうことは想像に難くない。同年代でもあるし、親近感もわくだろうしな」

 

 「だから、完全に取り込まれる前に手を打った?」

 

 「そうだ。今日のことで、あの娘は私も心を持った人間であると感じたことだろう。たとえ、そこまでいかずとも、少なくとも多少の恐怖は拭われた事だろう。直接話したことで、印象も変わっただろうし身近に感じられただろうしな」

 

 「それはそうかもしれないけど……」

 

 私は淡々と話す義兄に薄ら寒いものを感じ、素直に頷けなかった。

 あの場で見せたもの全てが演技であったとは思わないが、その可能性があるというだけで十分過ぎる恐怖だった。

 

 「うん?……ああ、安心しろ。言葉に嘘はない。些か演技した部分がないとは言わないが、あの場で言ったことは全て偽りなく本心だ。ただ、そういう側面もあるというだけの話だ」

 

 「……」

 

 私の内心を察したのか、義兄は安心させるように言うが、私はそれに何も返せなかった。

 

 「草薙君とはそう遠くない未来で、やり合う気がしているからな。まあ、そういう意味でも保険なのさ」

 

 何でもないことのようにとんでもないことを言って、義兄は再び私に背を向けて月を見上げた。その物言わぬはずの背中は、何よりも雄弁にこれ以上語る気はないということを語っていた。

 

 「……分かった。今日は先に休むね、義兄さん」

 

 まだ聞きたいことはあったが、私は素直に引き下がることにした。こういう時の義兄には、何を言っても無駄と理解していたからだ。

 

 「ああ、おやすみ。

 ―――悪いが、もうお前を手放す気はないぞ」

 

 ずるい、何ともずるいタイミングだ。人の不安を散々煽っておいて、最後にこれなのだから。狙ってやっているとしたら、本当に最悪である。そして、それだけで絆されてしまう自分は、何とも安い女であろうか。

 

 「!!ふふっ、何を今更。言ったでしょう。私は義兄さんのものよ」 

 

 時に距離を感じたり、恐怖を覚えたりしたところで、結局、神楽美雪という女は、骨の髄、いや、魂までも神無徹という男に焦がれ、その存在を狂おしいまでに求めているのだから。

 

 だから、宣言とは裏腹に幾分か不安が混じった義兄の声に、不敵な笑みと共に断言してやったのだった。 




利用できるものは何でも利用する&平気で盤外戦術をやる大人特有の汚さというか、必要ならば手段を選ばない非情さを感じていただけたら幸いです。

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