【習作】一般人×転生×転生=魔王   作:清流

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お気に入り登録が400件を超えました。100件、いや50件行けばいい方だと思っていたので、嬉しい誤算でした。本作をお読み頂いた全ての方に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

2013/03/02 修正しました。


#03.魔王の狂宴

 男は退屈と無聊を持て余していた。戯れに只人を飼ったこともあるが、彼の無聊を慰めるには至らなかった。彼を満足させるのは、結局のところ闘争しかないのだ。

 

 なぜなら、男は人の身で神を殺しその権能を簒奪せし、絶対の勝者『カンピオーネ』なのだから。中でも彼は最古参であり、数多の神を殺し、また数多の権能を保有する古強者。大学教授の如き知的な容姿をしながら、何よりも闘争を好み横暴を厭わぬ、暴君というに相応しい東欧の魔王『ヴォバン侯爵』ことサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンであった。

 

 ヴォバンは戦いを求めていた。血沸き肉躍る宿敵との戦いを。

 

 しかし、現実はヴォバンの求めるものとは違った。若いころとは違い、三百年の時を経て有名になりすぎた彼は宿敵たる『まつろわぬ神』にすら倦厭されるのか、久しく獲物にありつけていなかったのだ。

 

 ヴォバンは何よりも退屈を嫌う。そして、自身に相応しい獲物が現れるのを待つ程、気も長くなかった。むしろ、短気であることを自身でも自覚している程であったから、彼の導き出したその結論は当然のものであったかもしれない。

 

 すなわち、獲物がいないなら、こちらから呼び出せばいいと。

 

 「カスパール、星辰や地脈が整うのはもうまもなくなのだな?」

 

 抑えきれない愉悦も露に愉しげに問うヴォバン。それに対し、背後に佇む黒衣の老人が頷いてそれを肯定した。一見、主とその従僕の他愛無い問答に見える。

 だが、その情景の異常さに人は恐れ慄くだろう。なぜなら、黒衣の老人は生きていないからだ。虚ろな瞳に血の気のない顔色、彼は紛れもなく死人であった。

 

 ヴォバンの保有する権能『死せる従僕の檻』に囚われし『死せる従僕』、それが老人の正体であった。ヴォバンは殺した人間を、『生ける死者(リビングデッド)』としてこの世に囚え、従僕として絶対服従させるのだ。ヴォバンは己に牙を剥いた者達に死という安寧の眠りを許さず、その尊厳を貶めるのだ。すなわち、ヴォバンに殺されれば、名誉の戦死など無い。どんな勇者であれ、死せる後にその意を無視され、ヴォバンの手足として行使される奴隷の如き存在にされてしまうのだ。それもヴォバンが死ぬまで永遠に。

 

 「北欧で神獣らしき狼が出たと聞いた時は心踊ったのだがな……。まさか、我が前に出る前にまつろわぬ神同士で滅ぼし合おうとは、私もつくづく運のないことだ。どうせならば、二柱まとめて私に向かってくればよいものを」

 

 あることを思い出し、一転して口惜しそうに苛立たしげに吐き捨てるヴォバン。彼が得た最初の権能『貪る群狼』。それと同じ狼と聞いてヴォバンは久方ぶりの闘争を期待していたのだが、その期待は予期せぬ事で裏切られることになった。

 

 なんと顕現したのは、狼神だけでなく雷神(雷鳴が轟いていたことから)までいたというのだ。そして、どうやら神話上対立関係にある神同士だったらしく、両者は戦い相討ちとなり、ヴォバンと相まみえる前に消えてしまった。

 

 強敵との戦いを望むヴォバンにとって、目の前の御馳走が食べようとした瞬間に消え去ったようなのものである。故に、余計に欲求不満を深める結果となっていた。今回、『まつろわぬ神を招来する大呪の儀』を強行するのも、少なからずその影響があるのは間違いないだろう。

 

 「必要な数の巫女は用意できた。後は私を祭司として、儀式を強行するだけだ。ジークフリート程の高名な『鋼』の英雄ならば、さぞかし私を愉しませてくれるであろう」

 

 まつろわぬ神と戦う役目を担うかわりに絶大な特権を許されているのがカンピオーネである。すなわち、まつろわぬ神と戦う為にそれを招来しようなど、本末転倒もいいところである。

 

 だが、それにもかかわらず、ヴォバンはどこまでも愉しげであった。彼の感情の昂ぶりに応えるように雲ひとつない晴天であった空が黒雲に覆われ、雷と強風、豪雨を伴って、たちまちに嵐となる。

 

 「ククク、いかんな。気が昂り過ぎている。だが、まあ神と戦う前の景気付けと思えばよいか」

 

 この嵐は、ヴォバンが呼び込んだものであるが意図したものではない。気が昂ぶると自然に呼び込んでしまうという無茶苦茶なものだ。ヴォバンは文字通り嵐を呼ぶ男なのだ。

 

 だが、この時ヴォバンは気づいていなかった。己の強引な巫女の集め方が、二人の招かれざる客を招いてしまったことを。一人は獲物を横取りしようと、一人は神招来の儀自体をぶっ壊してやろうと。その両者が、己の同朋であるカンピオーネであるとは、さしものヴォバンとて予期せぬことであった。

 

 

 

 

 義兄さんが騒動を呼び寄せると思っていけど、まさか私が騒動の原因になるなんて……。

 

 そんなことを思いながら、私は頭を抱えたいのを必死に堪えていた。なぜなら、目の前には殺気立った憤怒の形相の義兄がいるからだ。

 

 事の起こりは少し前のことだ。突如として、宿の一室で私は襲撃を受けた。それも素人ではない。地元の魔術結社に所属する腕利きの魔術師達である。如何にこの二年間で腕を上げたとはいえ、流石に多勢に無勢であり、私はあわや拐われるところであった。

 

 だが、隣室の義兄がそれを見過ごすはずもない。私の念話に応えて駆けつけた義兄は、私に手を出した魔術師達を一人を除いて、問答無用で消し炭に変えたのだ。それは一瞬のことであり、一人残された魔術師は何が起きたのか理解できず、呆然としていた。が、義兄は容赦しなかった。

 

 一人残った魔術師を拘束し、伝心の魔術をかけたのだ。義兄は気が昂ぶっていたのか、普段なら緻密に術式を組み上げるところを莫大な呪力にものを言わせて、力技で解決した。

 

 結果、カンピオーネであるヴォバン侯爵が神招来の儀を行う為に巫女を集めていること。その命を受けて私が狙われたことなどが分かったのだが……。

 

 正直、私は今すぐにでも頭を抱えたい気分だった。彼から分かったことは、あまりにも義兄にとっての地雷を踏み抜いていたからだ。

 

 まず、原因が神招来の儀というのが最悪だ。義兄にとっては最愛の妻子、私にとっては最愛の姉を失った原因であり、否応無くあの畜生どもの行った儀式が思い出される。これだけでも、義兄の逆鱗に触れている。

 さらに、私を狙ったのもヤバい。義兄にとって、護国の役目を別にすれば私は唯一残された身内であり、守るべきものである。自惚れているわけではないが、義兄さんは真剣に心から私の幸せを願ってくれているし、必ず幸せにしなければならないという強迫観念に似た気持ちを持っているのだ。その私が狙われたのだ。これで義兄にとって、賊は滅殺すべき対象となった。

 ダメ押しなのは、私に求められているのが贄同然の立場だということだ。まつろわぬ神を招来する秘儀は、当然ながら危険度が高い。万全の準備を整えたとしても、関わった巫女はまず無事ではいられない。下手をすれば正気を失い、そうでなくても心に深い傷を負う可能性が高いのだ。これを贄と呼ばずして、何と呼ぼう。それにある意味では、生贄にされるより始末が悪いことを考えれば、到底受け容れられるものではない。まして義兄がそれを許すわけがない。最早、義兄にとってヴォバン侯爵は存在すること自体微塵も許せるものではなくなったのだ。

 

 「美雪、呪力にものを言わせて結界を張っておくから、お前はここに篭れ。こいつらは点数稼ぎの為にお前を狙っただけで、巫女の必要数は集まっているらしいからな。もう、狙われることもないと思うが、万が一のこともある」

 

 静かな声で言う義兄だが、無表情で目が据わっている。明らかに何かやらかす気だ。私は不安になって、たまらず問うた。これ程、怒った義兄を見るのは、迦具土以来初めてのことだ。

 

 「義兄さんはどうするの?」

 

 「()()か……ちょっと潰してくる」

 

 一人称が滅多に使わない俺に変わっている。義兄が激昂している証拠だ。こうなると、最早私では止められない。

 

 「……潰すって何を?」

 

 それでも、一縷の望みをかけて問うが答は予想通り最悪のものだった。

 

 「決まっているだろう。神招来の秘儀を……いや、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンをだ!」 

 義兄ははっきりと宣言してしまった。あの東欧の暴君『ヴォバン侯爵』を殺すと。言葉とは言霊だ。呪術師・魔術師の王として崇められるカンピオーネである義兄のそれはどれ程の力をもつのか。最早、義兄と『ヴォバン侯爵』の対決は避けられないものになったといっても過言ではないだろう。

 

 「義兄さん、それなら私も!」

 

 「絶対に駄目だ!万が一お前が巻込まれるようなことがあってみろ。()、いや、私は己を許せなくなるし、絶対に壊れる。美夏を失い、この上お前まで失うことなど私には考えられないんだ。私にお前を守らせくれ!頼む!」

 

 「……」

 

 血を吐くような義兄の叫びと悲痛な懇願に私は何も言えなくなった。私に万が一のことがあれば、義兄は義兄の言葉通りの結末を迎えるだろうことを容易に想像できたし、それに何より私を守りたいという義兄さんの想いはとても嬉しかったからだ。最愛の男に守らせくれと言われて、それに泥を塗るほど私は空気の読めない女ではない。

 

 「それならせめて明日香を連れて行って。ヴォバン侯爵は三百年の時を生きる最古参のカンピオーネ。所持する権能も義兄さんより多いだろうし、どんな切り札を隠し持っているか分かったものじゃないわ。

 義兄さんが明日香を使いたくない気持ちはよく分かるけど、それでも万全の準備をしておくべきよ」

 

 「確かにそうだが……。それでも私は」

 

 私の言葉の正しさを認めながらも、尚も言い澱みそれを由としない義兄。

 だが、それは予期せぬ乱入者によって、次の瞬間断ち切られる事になった。

 

 突如、義兄の前に十拳剣が現れたのである。それが何なのか、言う必要すらないだろう。姉美夏の忘れ形見であり、義兄の娘であり、私の姪である子の魂が宿りし、魂魄の剣にして神殺しの刃『魂剣 明日香』。義兄の最後の武器であり、最終手段。

 

 「ほら、明日香も連れて行けって言ってるわ」

 

 私は召喚の術など使っていなし、呼びかけもしていない。そして、それは義兄さんも同様だろう。つまり、この娘は己の意思で私達の前へと現れたのだ。私と義兄さんにはこの娘と不思議な繋がりがある。余人には説明し難いが、確かな繋がりが。この娘はきっとその繋がりから、私達の危機を察知してこうして駆けつけたのだろう。

 

 「明日香……。美雪だけでなく、お前も私に言うのか。娘であるお前を武器として、道具として振るえと」

 

 驚愕も露に弱々しい声で縋るように問う義兄。

 だが、明日香の返答は苛烈であった。義兄の態度を戒めるかのように激しく鳴動し、次の瞬間義兄の肉体に突き刺さり、溶けるように消えた。

 

 「これがお前の答というわけか、明日香……」

 

 どこか呆然としながらも、己の肉体に消えた明日香に語りかけるように一人呟く義兄。その時、私の中の何かが切れる音がした。

 

 この男は、いつまでウジウジしているつもりだ!

 

 「義兄さんは女を舐めすぎよ!明日香も私も、義兄さんについて行くと決めたあの日から、とうに命かけてるんだからね。一人カッコつけて、女の覚悟を舐めないでよ!」

 

 「……カッコつけ、なめてるか。そうだな、余りにも今さら過ぎる話だったな。私がそれを汚すなど烏滸がましいにも程があるな」

 

 今、目が覚めたかのような表情で言う義兄。

 まったく気づくのが遅いって!鈍くはないくせに、義兄さんはいつもそうなんだから。

 

 「そうよ。言っておくけどね、義兄さんが思っているほど女は弱くないんだからね。守られているだけの存在だと思ったら、大間違いなんだから」

 

 「ああ、そうだな。うん、これでもかってくらいによく理解した。全く私もなってないな。美夏に散々教えられたはずなのにな」

 

 そこで姉さんの名前を出すか、この唐変木め!己のことを好きだと言った女の前で、実の姉とはいえ他の女の話をするんじゃない!

 

 「今、言っているのは姉さんじゃなくて、私と明日香の話だからね。分かってる?」

 

 私の声色が冷たくなったのを察したのだろう。義兄は慌てた様子で宥めるように答えた。

 

 「も、もちろんだ。美夏も美雪も明日香も、女は強いな。そんじょそこらの男より余程肝が据わっているよ」

 

 この期に及んで、尚も姉さんの名前を外さないとか……。義兄さんの中で強い女とはまず姉さんのことなのかもしれない。

 

 「ふん、分かっているならいいのよ」

 

 私の拗ねたような態度に困り顔をしながらも、声色が戻ったことに胸をなでおろす義兄。

 まあ、これ以上は言っても無駄だろうし、あまりに突っ込み過ぎるも無粋だろうから、これくらいにしておいてあげよう。ただ、当然意趣返しはしてやろう。貴方の隣に今誰がいるのかを理解させてあげる。

 

 「義兄さん」

 

 私の呼びかけに、顔をこちらに向ける義兄。その唇を私自身のそれで間髪入れずに塞ぐ。そうして、すぐに離れる。何が起こったか分からないと言った顔で呆然とする義兄に向かって、私は姿勢を正し、神妙な表情で頭を下げて、言ってやった。

 

 「我が主よ、貴方様に仕える巫女として、そして貴方を愛する一人の女として、無事なお帰りを心よりお待ち申し上げております」

 

 「あ、ああ」

 

 義兄が目を白黒させながら、言えたのはそれだけだった。

 いつもスルーされてばかりだもの。たまには、私が貴方を愛する女であることを意識してもらわないとね。

 そんな密かな満足を胸に、私は満面の笑みで義兄を送り出したのだった。

 

 

 

 

 白銀の巨狼が大地を駆ける。向かう先は、ヴォバン侯爵が神招来を行う儀式場だ。その巨狼が何者かは言うまでもないことだろうが、フェンリルより簒奪した権能でフェンリルに変化した徹である。

 

 後に賢人議会により『神喰らう魔狼』と命名されることになる徹の第三の権能である。徹の意思によって、自身の肉体を白銀の巨狼へと変化させる権能であり、その本質はフェンリルそのものになることにある。今の徹はフェンリルの肉体をそのまま再現しているのだ。軍神の腕を容易く喰い千切る爪牙に、神速を捉えるに足るスピード等を今の徹は自在に操ることができる。とはいえ、あくまでも再現しているのは肉体に由来する能力であり、フェンリルが用いた神速の権能は使えないし、フェンリルの代名詞たる呑み込む能力を使うことができるかも、現状では定かではない。すなわち、徹が使えるのはフェンリルの肉体のみであって、その多種多様な権能を使うことはできないのだ。

 

 だが、それでも十分すぎるほどに強力な権能である。それに何より、本質的に術士である徹にとっては、幼少の頃から磨き続けても一流止まりの拙い武技を補える点が大きい。フェンリルの爪牙と身体能力ならば、ただの達人など物の数ではない。見えていようが、反応できなければ意味が無いからだ。今の徹の攻撃を凌げるのは、徒人では超一流の達人の中でも極少数であろう。

 

 そして、この権能には徹にとって、もう一つ大きな利点があった。それは、正体を秘匿するのにこの上なく便利なことだ。なにせ、人間としての面影など何一つ無い白銀の巨狼なのだ。迦具土の権能と違い、行使した状態ならば、まず正体がバレることはない。

 

 実際、徹が白銀の巨狼となった状態で現在行動しているのは、移動時間の短縮というよりかは正体を秘匿する為と言ったほうが正しいのだから。

 

 まあ、突如出現した白銀の巨狼に、ただでさえヴォバン侯爵の無茶ぶりで右往左往していた周辺の魔術結社はさらなる混沌の坩堝に叩きこまれることになるのだが、徹にとってはどうでもいいことである。こういう周囲の迷惑より、自身の目的を優先させるところが、徹もまたカンピオーネであるということなのだろう。

 

 徒人の目には映らぬスピードで大地を駆ける白銀の巨狼は、嵐吹きすさぶ古城へととうとう辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 私が儀式場となった古城に辿り着いた時間はすでに夜闇の支配する頃であった。最適な星辰はすでに整い、まつろわぬ神が招来されるまで幾許の猶予もない。私は、早々に儀式をぶち壊すことにした。

 

 美夏を生贄に行われたあの悪夢の儀式を再び繰り返されてたまるものか!

 しかも、美雪にまで手を出したな……。絶対に後悔させてやる!

 

 そんな思いを胸に私が儀式場へと飛び込まんとすると、立ち塞がるようにわらわらと人が集まってくる。その手に剣や槍を持っていることから、おそらく、ヴォバンの命によりここの守護を任されていた魔術師達だろう。思いの外、数は少ない。最古参の魔王であるヴォバンに逆らう者などいないと考えていたのかもしれない。

 

 それが大きな間違いであったと教えてやろう!

 

 私は足を止めると、力の限り咆哮した。

 

 「ウオオオーーーーン!」

 

 この程度の数の魔術師など爪牙で引き裂いても良かったが、今はあまり時間を掛けたくなかったからだ。それに、時代遅れの暴君への宣戦布告の意味もある。今から行くぞ、今から貴様の喉笛を噛みちぎるのだと。

 

 咆哮に込められた呪力と威に畏怖でヘタリ込む魔術師達を尻目に儀式場へと飛び込もうとしたのだが、なんと向かってくる者達がいた。

 

 存外に骨がある者がいるものだと感心したのだが、それは次の瞬間に哀れみと憎悪へと変わった。向かってきた者達は一様に焦点の合わない目で蒼白い顔をしていたからだ。恐らくこれは『死せる従僕』、ヴォバンに魂を囚われし哀れな勇者達だ。咆哮で止まらないのは当然だ。死者が恐怖を覚えることなどないのだから。

 

 だが、操られていようが向かってくる以上、剣を私に向ける以上、彼らは敵である。私は躊躇なく彼らを神喰いの爪牙をもって引き裂いた。灰となって跡形もなく消えていく彼らを見ながら、否応無くヴォバンへの憎悪が怒りが高まっていくのを感じる。転生などというものを経験し、死の記憶を持っているが故に、死の安穏を乱し魂を穢すその所業を許すことはできない。

 

 ヴォバン、貴様は本気で()を怒らせた!

 

 憤怒と憎悪を込めて雄叫びをあげ、私は儀式場へと飛び込んだのだった。

 

 

 

 

 ヴォバンがその異常を察知したのは、儀式も佳境に入ろうとしたところであった。いかなヴォバンと言えども、まつろわぬ神を招来するのは容易いことではない。自身が祭司を勤めることもあって、反応が遅れたのは否めなかった。

 

 そもそもヴォバンに逆らう気骨のある者達は、強権を用いて巫女を集める時にヴォバンの手にかかり粗方死んでいる。生きている者達も、現状動ける状態ではないだろう。それが故に、最小限の警備で済ませていたのだが……。

 

 咆哮が轟き、死せる従僕達が程なくして滅ぼされるのを感じ、後に勝鬨の如き雄叫びが響き渡る。

 

 「我が従僕達がこうもあっさりと滅ぼされようとは……。どうやら、招かれざる客が来たようだな。面白い、何者かは知らんが、まだ、この私に逆らおうというものがいようとは」

 

 予期せぬ侵入者、それも明らかな敵対者だというのにも関わらず、ヴォバンは愉悦に顔を歪ませた。

 

 そのすぐ後だった。儀式場の壁を壊して、白銀の巨狼が出現したのは。

 

 「礼儀をわきまえぬ輩よ。ドアをノックするどころか、壁を壊して侵入してくるとは。本来なら、直々に遊んでやるところだが、私は今忙しい。ヴォバンに逆らいし報いを受けよ!」

 

 エメラルドに輝く邪眼を解放し予期せぬ乱入者を睨みつけるヴォバン。視線の先にある生者を塩の柱へと変える彼の誇る邪眼の権能、『ソドムの瞳』である。

 

 しかし、ヴォバンが予期した結果は訪れなかった。白銀の巨狼は邪視をものともせず、一直線にヴォバンへと突っ込んでくる。神獣程度ならば、相応の効果があるはずの邪眼をすかされても、ヴォバンは僅かに眉を寄せるだけだ。歴戦の古強者である彼は予期せぬ事態など慣れきっているのだから。白銀の巨狼の突撃を紙一重で躱しながら、招かれざる客の正体に思いを馳せ、すぐに思い当たる。

 

 「神獣ではない、ましてこの感じまつろわぬ神でもない……!!貴様、新しい同朋か?!」

 

 さしものヴォバンも、それ以上言葉を発することはできなかった。なぜなら、白銀の巨狼に再度体当たりされ、巨狼があけた壁の穴から儀式場の外へと吹き飛ばされたからだ。

 

 実のところ、白銀の巨狼こと徹は最初の突撃を当てるつもりはなかった。というか、わざと躱せる程度の速さに留めたのだ。これは儀式が思った以上に進んでいたが故だ。

 まつろわぬ神を招来する為には3つの鍵が必要なのだ。一つは、きわめて巫力の高い魔女や巫女、また一つは呼び寄せる神に血肉を与える触媒となる神話、そして最後の一つは神の降臨を狂気に近い強さで願う祭司である。この内、カンピオーネの強権によって無理やり集められたであろう巫女や魔女を排除する選択肢は徹にはない。それは美夏や美雪の犠牲をよしすることにほかならないからだ。そして、触媒となる神話『ニーベルンゲンの歌』を奏でるのは、他ならぬ巫女や魔女達である。すでに彼女達は極度のトランス状態にあり、徹の乱入があったにもかかわらず奏で続けている。外部からでは余程強い刺激を与えない限り、止めることは不可能であろう。よって、これも排除できない。

 

 唯一排除できるのは、神の降臨を狂気に近い強さで願う祭司だけである。そして、まつろわぬ神の降臨を狂気じみた強さで願う者など、ヴォバン以外いるはずがない。徹は瞬時に祭司であるヴォバンを排除することに決めた。その為に初撃を囮にし、返す刀の本命の二撃目で自身のあけた穴からヴォバンを儀式場の外へと出すことを狙ったのだった。

 

 見事、それは成功したのだが、ヴォバンどころか徹さえ予想だにしないことに、招かれざる客はもう一人いたのだ。そして、その者はヴォバンに負けないほどに神の降臨を狂気じみた強さで願う者だったのだ。

 

 その者はヴォバンと徹が外へと消えたのを見届けると、ひょっこり儀式場に顔を見せた。

 

 「いやー、まさか僕以外にも乱入者がいたとはね。彼も僕みたいに神様の横取りを狙っていたのかな?いや、それなら降臨するまで待ったほうがいいよね。察するに、彼はこの儀式をやめさせたかったのかな?折角、神様と戦えるチャンスだっていうのに、なんで、そんなもったいないことするんだろう?」

 

 一人ブツブツと思索にふける人懐っこい顔をしたハンサムな金髪碧眼の青年。彼こそはサルバトーレ・ドニ。後に欧州最強の剣士と称される『剣の王』。現在は公的には六人目とされているカンピオーネである。

 

 ドニは、ヴォバンの招来した神を横取りすべく、徹が来るよりも以前に潜り込んでいたのだ。

 

 「あ、そういえば、やっぱり僕が七人目じゃないか。僕がアレだけ言ったのに、アンドレアも全然信じてくれないんだものな。失礼しちゃうよね、ちゃんと確かな筋から聞いたのにね……あれ?そういえば、僕は誰からいつ聞いたんだっけ?」

 

 ドニは自身が七人目というのは、カンピオーネとして新生する際にパンドラから聞いたのだが、生憎と呪的センスが欠片もない彼にはそれを覚えている事はできなかった。ただ、無意識には残るので、彼の中の認識では七人目だったというわけである。

 

 「まあ、いいか。それにしても、折角の機会だったていうのにもったいないことするよね。どうせなら、呼び出された後に襲ってくれればいいのに。まあ、それじゃあ彼の目的は果たされなかったんだから、無理な話か……」

 

 何気なくヴォバンのいた場所まで歩いて行き、その呪力の残滓を感じ取りながらドニは凄まじく残念がった。彼もまた真剣に敵を欲していたからだ。師である『聖ラファエロ』からの己と同等以上の敵と戦ってこそ、剣を極められるという教えに従い、ドニはここへ来たのだ。同朋であるカンピオーネ、そして、宿敵であるまつろわぬ神をあわよくば横取りして戦うために。

 

 「あーあ、もう儀式はダメになっちゃったみたいだし、こうなったら僕もあっちに入れてもらおう!」

 

 惜しらむは、もう少し早く心変わりするべきであった。いや、そもそもヴォバンのいた場所までいかなければ……。徹の意図した通り、儀式は不発に終わるはずであった。

 

 だが、儀式はすでに佳境に入っており、後は祭司がその意思を注ぐだけであったのが災いした。ドニが意図しないままに、ヴォバンの代わりに祭司の役割を果たしてしまったのだ。その狂おしいまでの剣を極めんとする意思が、その為だけに神と戦おうとする意思が英雄神たるジークフリートへと届いたのだ。

 

 カンピオーネ二人の戦いに乱入しようと、早々にその場を立ち去ろうとして、ドニは儀式場の変化に気づく。魔術の才能はまるでない彼だが、呪力の高まりくらいは察知できるのだ。

 

 「うん、まさか発動するのかな?いや、間違いなく強大な存在が現れようとしている!どういうわけか知らないけど、まず神様と、その後には同族二人とか……。いいね、僕は本当に運がいい!」

 

 ドニは来るべき神、そしてその後に控える同胞達との戦いに胸を躍らせながら、剣を手にして神の降臨を待ち構える。それによって、巫女や魔女達にどんな被害がでようが彼には知ったことではない。彼にとって、己の剣を極めること以外はどうでもいいことなのだから。

 

 

 

 

 「若造がやってくれおったな。我が念願の成就をを邪魔しおって」

 

 憤怒も露に三百年の時を経た老王が吠える。サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン、その知的な外見とは裏腹に飢えた獣を思わせる炯々と輝くエメラルドの瞳こそが、その本質を物語っていると私は思う。

 

 それにしても、流石は最古参のカンピオーネだ。本命の二撃目を呼び出した狼を盾にすることで防ごうとは。恐らくあれが『貪る群狼』だろう。とはいえ、真に恐ろしいのは権能の発動スピードやもっとも適切な権能を使うその判断力だが。

 

 『それは失礼した。だが、元はといえば手を出したのは貴方のほうが先だ。サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン』

 

 「ふん、その言いようから察するに、私が巫女を集めた際に身内が巻き込まれたか。まあ、どうでもいいことだ。それにしても、やはり同朋か。世には出てぬようだが、新参か?」

 

 『さてな?そんなこと、どうでもいいことだろう』

 

 「待てよ、白銀の狼だと……。貴様、北欧に現れたかの神を殺したのだな。私の獲物を奪ったのは、貴様だったか」

 

 フェンリルの事を言っているのだろうが、そんなことを言われても困る。結果的に権能が増えたとはいえ、私だってあれは不本意な戦いだったのだから。

 

 『貴方の獲物?笑わせる。貴方がもたもたしているのが悪いのだろう。こちらとしては、折角のバカンスに水をさされて散々だったのだからな』

 

 「若造が、この私を愚弄するか?!」

 

 『私は事実を言っているだけだ』

 

 「ぬかせ!新参者の分際で、ヴォバンに挑みし事後悔するがいい!」

 

 どこからともなく無数の灰色狼があらわれ、四方八方から私に襲い掛かってくる。『貪る群狼』、なるほど、便利で使い道がありそうな権能だ。飽和攻撃などに向いているかもしれない。

 

 だが、今の私にとっては悪手でしか無い。私は爪をもって灰色狼を引き裂き、牙をもって喰い千切ってやった。終わりなどないように湧き出る灰色狼が私に群がるが、神喰いの狼たるこの身には、牙を突き立てることはおろか、足止めすることすらかなうものか。

 

 フェンリルの巨体を生かし引き裂き、踏み潰し、蹂躙する。無論、ヴォバンにも注意を払っている……つもりだった。

 

 灰色狼の中の一匹だけいつ間にかいた銀狼が喉に喰らいつき、今まで歯が立たなかったはずの牙が肉体を貫くのを感じた。そこを基点に殺到する灰色狼達。立て続けの激痛に、たまらず私は体を大きく跳ねさせ、喰らいつく銀狼を振り落とした。

 

 『ククク、どうした若造?その巨体で大層な痛がりようではないか』

 

 振り落とされた銀狼が何事もなかったように立ち上がり、不敵に嘲笑うのに私は愕然とした。

 

 なぜ、ヴォバンがここにいる?!最初の立ち位置から変わっていなかったはずではないか!

 

 そう思って見やれば、そこには確かに人が立っている。だが、それはヴォバンなどではない。死相というしか無い特徴的な顔、『死せる従僕』だ。

 

 ヴォバンは、『貪る群狼』で私の注意を自身から逸らし、『死せる従僕』を身代わりにおいて、自身は銀狼に化身し灰色狼の群れに紛れて、私に一撃を加えたのだ。

 

 『やってくれる……』

 

 『貴様のその権能は中々に強力なものだ。我が猟犬共では歯が立たぬ。しかし、私自身なら話は別のようだな。』

 

 話している最中もヴォバンの変化は止まらない。灰色狼達は消え、ヴォバンは巨大化し、最終的には30メートル超の銀の体毛を持つ巨狼となった。

 

 『私にとっても、最初に得た馴染み深い権能だ。貴様のそれとどちらが上か比べてみようではないか!』

 

 『なめるな!』

 

 私は銀の巨狼を迎え撃った。

 

 

 

 

 吹き荒ぶ嵐の中、白銀の巨狼と銀の巨狼の戦いは怪獣大決戦もかくやであった。周囲のものをなぎ倒し、圧壊させ破壊の波を撒き散らす銀の嵐。それには自然の猛威すら霞んでしまう。

 

 両者はその巨体を存分に活用し、互いへと牙を剥く。白銀が銀を組み伏せたと思いきや、銀が白銀に喰らいつき、仕切りなおされる。銀が押さえ込めば、白銀がその爪牙をもって喰らいつく。両者はその巨体を存分に活用し、互いへと牙を剥く。

 

 互角の戦いが続くと思いきや、時が経つに従って形勢は明らかになっていく。

 白銀に比べ銀の負傷が多くなり、徹の優勢がはっきりとしてきたのだ。

 

 これは『神喰らう魔狼』と『貪る群狼』の権能のタイプの違いが明暗を分けた形であった。

 『神喰らう魔狼』は徹自身の肉体のみに作用する一極集中型の権能であり、その本質はフェンリルへの変身そのものだ。対して、『貪る群狼』のヴォバン自身の変化はもちろん単体・群での召喚も可能という分散型というべき多様な権能であり、その本質は聖獣の使役なのだ。故に、実のところ、ヴォバンはスピード・パワー共に徹に及ばなかったのだ。

 

 いかにキャリアの差があろうとも、この差は容易に覆せるものではない。故にこれはある意味、当然の結果であり、むしろ、ここまで食い下がったヴォバンを褒めるべきであろう。

 

 『ぬう、小癪な若造めが。どこまでも癇に障る!』

 

 『己の横暴の報いを受けろ!』

 

 ついには、白銀が銀を引きずり倒し、喉笛に噛みつかんとする。が、それは盛大に空振る結果となった。ヴォバンは噛み付かれる直前に化身を解き、突風で自らを吹き飛ばしたのだ。

 

 「癪だが認めてやろう。確かに、狼の権能では貴様に分があるようだ。

 だが、私の力はこんなものではない。本気のヴォバン、その一端を貴様に見せてやろう!」

 

 風が強まり、雨の勢いがまし、雷鳴が轟く。ヴォバンが、自身の代名詞ともいうべき権能『疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)』を本格的に行使しだしたのだ。

 

 今までの嵐など、ヴォバンの精神の昂りに応じてこの権能が漏れだしたものにすぎない。ヴォバンが本気でこの権能を行使すれば、嵐そのものが武器となるのだ。

 

 「いくぞ若造!新参者なりに足掻いてみせよ!」

 

 ヴォバンの意思に従い、天より落ちる雷神の矛。しかも、吹き荒れる強風と強まった雨が生み出すぬかるみが徹の動きを阻害する。

 

 『グオオオーーー』

 

 否応無く肉体を刺し貫く雷の矛に、さしもの徹も苦悶の声を上げる。ヴォバンに躊躇いなどというものは存在しない。追い討ちをかけるように連続で落とされる雷が、決定打にはならぬものの少なからぬダメージを徹に与えた。

 

 フェンリルの強靭な肉体の防御力と高めた呪力で、雷撃に耐えながら徹は迷っていた。フェンリルの権能から迦具土の権能に変えるかどうか。単純に雷撃に対抗するならば、迦具土の炎化した状態の方が都合がいいからだ。

 

 だが、激しく叩きつけるような雨がそれを躊躇させる。ただの雨ならば、迦具土の炎の障害にはならないだろうが、この雨は権能によるものだ。影響がないと考えるのは危険である。五行によりても、火を剋するのは水なのだから、尚更だ。加えてフェンリルへの変身を解けば、正体がバレることになる。それは徹にとって、もっとも避けたい事態なのだから。

 それにヴォバンが原因で正体をバラされるというのは何か負けた気分になる。そう考えると、どうしても行使する権能を変更することに踏み込めなかった。

 

 「どうした、若造。最早、手も足も出ぬか?ならば、息の根を止めてやろう!」

 

 雷の雨を降らせながら、ヴォバンは哄笑する。見れば、彼の者の頭上には分厚い雷雲が集まっているではないか。ヴォバンは攻撃しながらも、勝負を決めるための必殺の一撃を準備していたのだ。流石は齢三百年を経た古強者であった。魔王としてのキャリアの差を徹にまざまざと見せつける。

 

 突如として雷雨がやみ、ヴォバンの呪力が高まっていく。最早、下準備は終わったということなのだろう。次に来るのは、魔王の全力の雷撃だ。それは本家本元の雷神のそれに比肩しよう。いかなフェンリルの肉体といえど、無事でいられる可能性は限りなく低いだろう。

 

 しかし、それでも徹はフェンリルの権能に拘った。今度は迷っていたわけではない。雷を受ける内に徹の内に奇妙な予感が湧き上がってきたからである。

 

 なぜ、この程度の雷撃をされるがままにしているのか?己なら、この程度容易く無効化できるはずだと。

 

 「若造、今こそ貴様には感謝しよう。望外の奮戦であった。中々に愉しめたぞ。名も知らぬ同朋よ、ヴォバンの手にかかることを誉れとするがいい!」

 

 そうして、今までとは桁違いの規模と威力の雷神の矛が落とされた。その瞬間、徹の脳裏をよぎったのは、フェンリルが己の炎を呑み込んだ光景であった。

 

 『我は主神すら呑み込みし、神秘を喰らう大神。死と恐怖の象徴にして、神々の災いの具現。我こそが神々の黄昏(ラグナロク)なり』

 

 この身はフェンリルそのもの。ならば、その本質たる呑み込む能力を体現できぬはずなど無い! 

 

 自然と口から吐き出される苛烈な言霊。そして、これでもかと開かれるフェンリルとなった徹の大口が開かれる。

 

 それは異常な光景であった。ヴォバン渾身の雷神の矛が、白銀の巨狼の大口に吸い込まれるように呑み込まれていくのだから。これにはヴォバンも驚愕した。

 

 「なんだと!我が雷を呑み込んだというのか?!」

 

 『形勢逆転だ、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン!』

 

 間髪入れずに飛びかかる徹。雷撃で迎撃を試みるヴォバンだが、少なからぬ雷が呑み込まれ、抑止力として機能するほどの痛撃を与えられない。ヴォバンに神喰いの魔狼の牙が迫る。

 

 「舐めるなよ、若造が!」

 

 ヴォバンもそのままそれを受け入れる程、潔くはないし甘くもない。呪力で極限まで圧縮された風の弾丸が徹の巨体を横殴りにして吹き飛ばす。とはいえ、それで徹に痛撃を与えられたわけではない。あくまでも、今の攻撃を凌いだにすぎない。

 

 『この僅かな時間で欠点を見抜くか……流石は先達というべきか』

 

 「ふん、同じような芸当ならばわたしにも可能だからな。些か驚かされたが、対処するのはそう難しくもないわ」

 

 フェンリルの呑み込む能力の欠点。それは、開かれた口の前方でなければならないということだ。先の雷のように、自らに向かってくるのに合わせるのは容易いが、逆に今の風弾のように横面を叩かれるのには、フェンリルの巨体も相まって対応しにくいのである。

 

 『なるほど、己の手口なら熟知しているのも道理か』

 

 「まさか雷を呑まれるとは思わなんだがな。貴様の殺めた神は余程強大な神であったのだろうな」

 

 『ああ、勝てたのが不思議なくらいだったよ』

 

 「ふん、惰弱な。貴様も『王』ならば、勝てて当然のようように振舞わぬか。まあ、貴様が負けていれば、私は良き獲物にありつけていたはずだと思うと口惜しいがな」

 

 『私では不足かな?』

 

 「いや、先も言った通り望外に愉しめたのは否定すまいよ。だが、今の私は忙しいのだ。貴様に付き合っている暇はこれ以上無い!故に全力で貴様を潰そう!」

 

 ヴォバンは愉しげな表情を一変させて、権能を行使した。またも現れる灰色狼の群れ。破られた権能でどうするつもりだと訝る徹を尻目に、ヴォバンはさらに権能を行使した。

 

 再び落とされる雷神の矛に思わず身構える徹だったが、その対象は彼ではなかった。その対象はなんと他ならぬヴォバン自身が呼び出した灰色狼達であった。それも数度の雷に撃たれたのだ。

 

 だが、ここで徹は異常に気づいた。度重なる雷撃にあっさり消滅するはずの灰色狼達が、むしろ活性化していることに。今や、彼らはその身に雷撃を帯び、その全身は全て凶器と言っていいだろう。 

 『まさか、権能の同時行使か?!』

 

 「何を驚く?私が伊達に歳を重ねきたとでも思ったか。この程度の所業、容易いことだ。

 さあ、貴様のその狼の肉体に、新生した我が猟犬共の爪牙が通じるか否か試してみようではないか!行けっ!」

 

 雷公の雷を纏った灰色狼達の群れが、ヴォバンの号令に従い白銀の巨狼へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 しぶといし強いというのが私の受けたヴォバンの印象であった。半ば理解していたことではあったが、やはり地力とキャリアの差は如何ともし難い。

 

 『貪る群狼』ではフェンリルの権能に対して相性が悪いというのに、かなり食い下がられたし、『疾風怒濤』では使える手札の差を思い知らされた。やっとのことでフェンリルの特性で優位に立てたと思いきや、すかさず権能の同時行使で仕切りなおされるとは……。

 

 雷を纏った灰色狼達は攻撃力・防御力、そして、スピードさえも前とは段違いである。前は欠片もダメージなどなかった爪牙が当然の如くフェンリルの肉体を貫くし、一撃で倒せていたのが、1.5撃ぐらいの耐久力になっている。しかも、先より素早いので、こちらの攻撃を躱されることも少なくない。つまり、必要な手数は実質2倍、いや3倍というところである。

 

 だというのに、あちらの供給は変わらず、こちらの手数も増えない。しかも、ヴォバンは権能を同時行使しながら、全く疲れを見せないのだから恐れいる。

 

 私は最早正体がバレることなど気にしている場合ではないと考えていた。ここで負ければ、待っているのは確実な死である。折角の儀式を邪魔した私をヴォバンは絶対に許さないだろうから。

 

 私も対抗して、権能の同時行使とできればいいのだが、生憎と私が完全に掌握しているのは、迦具土の権能のみである。パールヴァティーの権能はオートだし、そもそもこの局面で使えるようなものでもない。フェンリルの権能に至っては、最近手に入れたばかりであり、掌握したなどとはお世辞にも言うことはできない。つまり、今の私に同時行使なんて芸当は不可能なのだ。

 

 徐々にではあるが、フェンリルの肉体が削られていくのを感じとっていた私は、ついに迦具土の権能を行使することを決意する。その時であった。誰かの声ならぬ声によって制止されたのは。

 

 その声は音を伴わない無言の声であったが、確かな意思を私に伝えてくる。不思議と懐かしい心暖まるような雰囲気を私に感じさせるその声は、私の内より響いてきた。

 

 私はそれが誰であるかを直感した。そうして、気づく。己は一人ではないのだと。負けることなど許されないのだと。そして、一人では無理でも二人なら不可能では無い事に。

 

 雷獣と化した無数の灰色狼についには足を止められ、全身にまとわりつかれ食いつかれた。端から見れば、私は絶体絶命の危機であった。ヴォバンも勝利を確信したのだろう。権能行使の手は緩めていないが、抑えきれない愉悦にその顔を歪めていた。

 

 見ていろ、今その顔を恐怖に歪めてやる!

 

 私の呼びかけに応え、私の内に宿る明日香が迦具土の炎を操る。本来、権能を行使するのは私にしか不可能だが、迦具土の炎だけは話が別だ。迦具土をその刃をもって殺めた剣であり、かつ、かつて迦具土の依代であった明日香は、それを制御し操ることができるのである。私がフェンリルの権能の行使に専念し、迦具土の炎を明日香に委ねればこんな真似もできるのだ。

 

 私の肉体は全身から炎を放出し、灰色狼を一瞬で灰燼と化す。私はその余勢を借り、その勢いのままヴォバンへと突っ込んだ。

 

 「馬鹿な、炎だと?!貴様、新参などでは……ゴフッ」

 

 流石のヴォバンも権能の同時行使はそれなりに負担であったらしい。回避することも、迎撃することできず、私の牙に半身を食い千切られ、神殺の焔で灼き尽くされる。確かな手応えに、私は勝利を確信したのだが、それは次の瞬間あっさり覆された。

 

 いつの間にか積もった塵が巻き上がり、人の形を成していくではないか。間も無くしてそれは知的な外見と虎の瞳を併せ持つ老カンピオーネとなった。

 

 呪力は明らかに大きく目減りしているから、私のような転生ではなく不死あるいは復活の権能だろう。なるほど、流石は歴戦の古強者である。奥の手の一つや二つは当然というわけだ。

 

 「やってくれたな若造が!だが、これは私の甘さが招いたことか。

 ……私も耄碌したものだ。いくら世に出ていないとはいえ、貴様のように戦い慣れたものを新参者だと侮るとはな!」

 

 忌々しげに吐き捨てるヴォバン。だが、最早その顔に遊びはない。

 

 「いいだろう若造。貴様を私の敵と認めよう!私が神と戦うのは貴様をすり潰してからだ!」

 

 「あっ、それ無理」

 

 吹き荒ぶ嵐の中で響く苛烈なヴォバンの宣言に場違いな脳天気な声が応じ、銀閃が私とヴォバンの間を切り裂くように奔り、深々と大地を割った。

 

 私とヴォバンが思わず声の方を見やると、そこには飾り気の無い無骨な剣を携えて人懐っこい笑を浮かべるハンサムな金髪碧眼の青年がいた。私はそれが誰なのか知っていた。だが、なぜ、彼がここにいる?!

 

 『『剣の王』サルバトーレ・ドニ。なぜ、貴方がここにいる?!』

 

 『剣の王』サルバトーレ・ドニ。ダーナ神族の王『ヌアダ』を殺してカンピオーネとなったイタリアの若き天才剣士。保有する権能はありとあらゆるものを切り裂く『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・ザ・リッパー)』と呼ばれる魔剣の権能だ。先の銀閃はこの権能による剣閃だったのだろう。

 

 「何、此奴も同朋だというのか!」

 

 驚愕を隠せないまま問う私に、ヴォバンも驚愕に目を瞠る。流石にカンピオーネが三人も一所に集まるなど予期していなかったのだろうから無理もない。

 

 「あ、君は僕を知ってるんだね。察するに君が本当の六人目だね。ヴォバンのじいさまともいい勝負してたみたいだし、なったのは結構前なのかな?」

 

 剣の王は飄々としたその態度を崩さず、私の問に答えることなく己の思索をすすめている。

 

 「……待てよ。貴様、まさか?!」

 

 ヴォバンはドニがここにいる理由に思い当たったらしい。視線で射殺さんばかりにドニを睨みつけた。

 

 「さすがはじいさま。もう気づいたか。うん、ジークフリートは僕が美味しく頂きました。いやー、中々の強敵だったよ」

 

 ドニは私とヴォバンが戦っている間に儀式を行い、招来されたまつろわぬ神を殺したのだろう。つまり、私とヴォバンはまんまとドニに漁夫の利を得られたわけだ。

 

 『貴様……巫女達はどうした?』

 

 「さあ、僕は知らないな。ああ、3分の1ぐらいは無事だったような気もしたけど、正気を失っていた子も結構いたかな?」

 

 どうでもいいことのように語るドニに沸々怒りが湧いてくる。貴様の所業でどれだけの犠牲がでたと思っているのか!

 

 『そうか、なら死ね!』

 

 「うんうん、そうこなくちゃね!」

 

 向かい来る私を嬉しげに剣で迎えうとうとするドニ。だが、それは両者の中間に落とされた雷で中断を余儀なくされた。振り返る私とドニの目に、憤怒にその身を震わせるヴォバンがいた。

 

 「私をここまで虚仮にしてくれたのは、貴様らが初めてだ!貴様らここから生きて帰れると思うなよ!」

 

 これまでの比ではない勢いで激昂するヴォバン。嵐はますます酷くなり、彼の激情の凄まじさを物語っているようであった。

 

 「そうこなくちゃ!同族二人が相手なんて、胸が躍るよ」

 

 そう言って、嬉しそうに笑うドニの神経が私には理解できなかった。私を対象に含めているのは遺憾だが、むしろ、ヴォバンの方に私は同意できた。私もまた怒りに支配されていたからだ。

 まあ、とりあえずこいつは殺そう!

 

 それからのことはよく覚えていない。激情に任せて、私達は三つ巴で戦い続け、周囲に破壊の嵐を撒き散らしたのは確かだ。そして、半死半生ながらもどうにか美雪の待つホテルへと戻ることができたことも……。

 

 満身創痍の私を出迎えてくれた美雪の泣き顔だけが、私の脳裏に深く刻まれている。

 

 

 

 

 後に『魔王の狂宴』とも呼ばれることになるオーストリアで起きた大規模な破壊事件。この事件では三人もの魔王が一所に集まり相争った事件として有名である。中でも特に名を上げたのは、ヴォバン侯爵からまんま獲物を掠めとった『剣の王』サルバトーレ・ドニであった。そして、名も人種も知れぬ狼の権能を持つ六人目のカンピオーネが公的に確認された事件としても、有名である。

 正体不明の六人目が公にその存在を確認され、魔術・呪術に関わる者達はその正体を暴こうと躍起になることになるのであった。

 

 

 




本作は実験作で色々試行錯誤しております。何か違和感等なんでも構いませんので、気づいたことがあれば、遠慮なくご指摘下さい。特に美雪さんがうまく書けているかどうか、心配でなりません。

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