羅生門   作:日々抹茶


原作:羅生門
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誰しもが思ったことはあるのではないか。
その心の闇は何よりも深く。

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羅生門

椅子に座り頬杖をつき外を眺める男がいた。

ある平日の午後、放課となった学校の一室に一人。

なぜ一人で何もせず椅子に座っているかというと、急に降り出した雨に為すすべもなく止むのを静かに待っていたのである。

その生まれた時から、男は鎖につながれていた。その鎖というものは、その男を縛りつけ、締め付け、なんとも生きにくい世の中を演出していた。男の親は富豪だった。

男は何不自由なく暮らしていた。親の愛情も一心に受け、教育も最新のものを受け、友達も得ていた。

高校生も後半に差し掛かる二年生の秋に、男は深く悩んだ。

成績が悪いわけではなかった。むしろ学年主席を取るほどの実力だった。しかしそれは自身が得たものではなく、見たものは忘れない記憶力、物事を瞬時に理解する理解力の賜物であり。本人が一切の努力をせずに持ったものだったのだ。

親は良い学校を出て弁護士になりなさい。と告げたが、他人を弁護し、正義に満ち溢れるような仕事は、男の性根が許さなかった。むしろ男は悪に肯定的だった。

肯定的、というのは単なる男の感情をそれらしく表現したもので、突き詰めれば、自分の欲に純粋であったり、憎しみに直情的であるというのは単に悪であるが悪いものとは言えないと感じたからである。

その発想は忌むべきものだと、男は理解していた。それでも自分に忠実に生きれるような人間に心から憧れたのだ。だから自身の信念と大衆の倫理の狭間に停滞し、取り留めもなく虚しい気分に陥っていたのである。

つまりこの状況下で男は雨に降り詰められ雨が止むのを待っているのではなく、誰にもいうことの出来ない、このとりとめもない感情に押しつぶされて黄昏ていたのである。

降っても降っても止む気配のない雨は、一層に男の心の闇を抉りだし、幾重にも幾重にも男の思想を循環させていた。

その時、劈く雷の音に男の意識が持っていかれ、強制的に思考停止に陥り、冷静に周りを見渡すことができた。

周りに何もないことを確かめて、そろそろこんな思考をして物思いにふけるのもやめてしまおうと思ったとき、ふと、耳に何かが入り込んでくる。

何処からともなく聞こえてきた音だった。

その音は雷の音やものの落ちた音とは違うメロディーを奏でており、三秒程で歌声だと男は理解した。

そう遠くからは聞こえてはいないことに男は驚いた。しかしそう珍しいことでもない。この雨だ。例え時間がたっていたとしても雨が止むのを待っている人がまだ残っている可能性は0ではなかったからだ。

それはまた、自分のように雨に思いを寄せたものか、あるいはただ雨具を忘れただけの阿呆か。

男はそのことには一切の興味はなかったが、聞こえてきた歌声にすこし興味を感じた。自身がいまさっきまでやっていた愁いとは対照的な美しい声だったからだ。

今の自分には聞くに堪えないが、興味を持ってしまったからには仕方が無い。男はこの声の主を確かめずにはいられなくなったのだ。

未だに歌は続いており、その声を頼りに男は歩いた。すると階段を一つ上がった部屋にその声の主がいた。

その部屋のドアは開きっぱなしで歌声はそのドアから絶えず漏れている。

男はしばらくその声を聞いたが、たまらなくなってその部屋に足を踏み入れた。

そこで男は窓に向かい美しい歌声を放っている黒髪の少女の後姿を見た。

少女もこちらに気がついたのか、歌うのを辞め窓から振り向き、部屋の窓側とドア側の両極端な状態で向かい合う形になった。

「ごめんなさい。うるさかったかしら。」

その歌姫が、笑顔でそう語りかけた。

「いや。むしろ、聞いていてとても感動した。」

男は他にもいろいろと言いたいことはあったが、少女の笑顔にその疑問は意味を無くした。

ただ、本心と、心から疑問に思った念だけが残った。

「楽しいのか…?」

ふと、男は奥底にしまい込んでいたマイナス向きの感情を少しだけ、ほんの少しだけ表面に出した。

しかしそれは男にとっては自身に悪態を付きたくなるほどの醜態が詰まった自分を表に出したという今生の汚点であったとしても、客観的に見れば、前も左も分からない芥川の姫が露がなんなのかと問いた事のように純粋な疑問なのであった。

「そうね、楽しいわ。」

長髪の歌姫は、溶けいるような艶かしい笑顔で答えた。

男はそれを妬んだ。なにより、それが男が求めていたものだったから。

ああ、彼女は私よりも自分のことが分かっている。自分のことを好いている。形のあるものより、このことの方が何物にも変えがたい財産なのだと、男は悟った。

「なぜ。」

もう歌姫を直視することはかなわない。

「なぜそんなにも自身を理解して、寄り添うことができる。」

男にとってはそれが精一杯の反抗だった。

男は変わりたいと思っていても、変わることになによりも恐怖を感じていたのだ。

なぜ、なぜ自分に素直になれるのかと。

昔から金持ちの息子というレッテルを貼られ、常に周囲に気を配り、親に恥じぬように、レッテルに泥をぬらないように生きていた。その鎖を壊すことが、なによりも、なによりも怖かった。

「自分の事なんて理屈ではわからないのじゃないかしら。」

見ることはできない。そのうえに、とりとめもない当たり前の答えが返ってきたのに、男は少し衝撃を覚えた。

「好きなことを好きなだけ出来ないのはなんでだと思う。自分の周りがそれを許さないとは思わないのか。」

本質はそれだ。

自分の変化に周りが離れていくのが怖い。

「あぁ……。」

その少女は何かを察したように、いや何かを察して呟き、そしてこう答えた。

「周りのせいにしちゃいけないわ。それに、急いでも何も得るものはないと思うけど。そうね。貴方は今、そうすることがなにより大切なんじゃないかしら。私もそんな悩みならずっと持っているもの。あら、雨が弱まってるわね。今のうちに私は家に帰るわね。さよなら。」

気が付くと雨は止んでいた。足早に部屋を出た歌姫は、少し離れたところで振り返り、またねと軽く手を振り、階段を駆け下りていった。

男は、心底驚いていた。

歌姫だと思っていた彼女がまだ自分と同じような子供だったことに。

男が、自分を戒めるように感じていた感情も、彼女を妬んでいた気持ちもとうに彼女と共に目の前から消え去っていた。

雨の降る中教室で悩んでいたちっぽけな悩みも彼の中にはもうなかった。

雨は止み雲の隙間からオレンジに輝く夕日が男の心から覗いていた。


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