少女は願う。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。」
あのときを、戻せるならばあの瞬間を。自分を決して許すことができないあのトキを。
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ―」
魔力が体を駆け巡る。痛みが全身を震わせる。少女は思う。ああ、この痛みは、私の裏切りの罰なのだと。頭に浮かぶのは、自分を助け、聖杯戦争へ向かう私を全力止めようとしてくれた二人の顔。遠坂凛と衛宮士郎。そして自分が裏切ったあの・・・。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者―」
蒼い光が自分を照らす。運命を変えたい。叶うはずのない願いだと思っていたあの願いを、あの選択を、あのFateを変えたい。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―!」
白い煌びやかな光が泉のごとく溢れ、命を得た風が吹き踊る。少女はその光と風の中にひとしずくの涙をこぼす。
―これで泣くのは最後だ。
その一滴は風によってさらに細かくされ、霧になり、光がそれを輝く結晶へと変える。それは美しい変化だった。涙をここまで美しく変貌させたのはこの少女が初めてであろう。母が子を産んだ時に流す涙は、これほどまで輝いていただろうか、戦地で自らの腕の中で死に絶えていく仲間を看取る時に流す涙は、これほどまでに激しかったであろうか。言葉では表せない美しさがあった。喜びも悲しみも怒りもすべてを兼ね備えた完璧なる涙。そして少女は目を開け、そして見る。その光と風の先にいる者を。その者は純白の鎧を身に纏い、少女の前にたつ。純白の騎士は、少女の目を見つめ、口を開く。
「問おう。君が私のマスターか」
赤い、赤い、赤い。目に入るすべてが赤に染まっている。火で、血で、紅の世界に私はいる。その世界にいるのは私だけではない。もうひとり、少女が・・・こちらを見ている。彼女は今にも泣き出しそうな目で私を見て、そして、微笑んだ。その瞬間私の耳を何かが支配した。ほかの音は何も入ってこない。それは私の悲鳴だった。自分でも気づかないまま大声で叫んでいた。しかし、この声はあの彼女の耳には届かない。彼女は私に背を向け、歩んでいく。赤の世界の奥のさらに濃い赤の、黒い世界へ。
そこで綾香は目を覚ました。呼吸が大きく乱れている。またあの夢だ。最近、幼い頃のあの光景を夢に見る。綾香は、額の汗をぬぐい、とりあえず呼吸を落ち着かせる。もう乗り越えたと思ったのに、そう簡単に人の記憶は薄れないのだと思う。時計を見ると6時17分。まあちょうどいい時間か。綾香はメガネをかけ、ベッドからでる。
あくびをしながら階段を下りていると、朝のトーストとコーヒーのいい匂いがする。体を伸ばし、目をこすっていると誰かに話しかけられた。
「おはよう、綾香。元気そうね」
「おふぁよう~桜さ・・・」
そこで綾香は気づく。あれ?この声、桜さんじゃない?あれれ?こすっていた目を開け、声のする方を見る。驚きのあまり、メガネがずれ落ちる。
「り、り、り、凛さん!?」
「元気そうね、綾香」
凛さんと呼ばれた女性、遠坂凛は、驚きのあまり腰を抜かしている少女に向かって、微笑みかけた。
「朝、あそこまでだらしないとは情けないわ。もっと遠坂の家にふさわしい振る舞いをしてもらわなくちゃ私も安心できないわ。聞いた話によると、あなた、に家事を任せっきりになっているそうじゃない。桜だって桜の生活があるのよ。最近株関係で忙しいっていうし。そもそも遠坂家はね・・・」
このあと凛による30分ほど説教が続いた。少し落ち着いたところで綾香が凛のマシンガンを止めるべく、話を切り出す。
「と、ところで凛さん。いきなり帰ってくるなんてどうしたの?しばらくはイギリスにいるって言ってたじゃない」
「まあね、事情が変わったのよ。最近冬木市でなにか不穏な動きがあるそうなの」
「不穏な動き?凛さんがくるってことは、魔術絡み?」
遠坂凛はその名を知られた、世界でも実力を認められた魔術師である。もとから天才的な才能があったが、常人ならざる努力によって、さらに研究が高みへと進み、今では魔術協会から封印指定候補として挙げられている魔術師である。そのせいで、イギリスの魔術協会を拠点として活動する羽目になっている。
「ええ、まあ噂でしかないから、まだしっかりとしたことは分かっていないんだけど。その調査もかねて私が派遣されたわけ。ったくやってられないわよ。早く研究をさらにすすめたいのに。でもこういうめんどくさい仕事をこなして行かないと封印指定を受けて一生監禁生活になっちゃうからね、媚売りも大変よ。」
「あらら、お疲れです。ってことはしばらくはこっちにいるんだね」
「そうね、家に帰る機会ができたのはうれしいわ。そういえばちょうど士郎も私と一緒に調査でこっちに戻ってきてるわ。」
「士郎さんが!?」思わず綾香は目を輝かせる。
「あらあら、私とは随分違う反応ね。言っておくけど、私がこっちにいるあいだは毎日魔術修行だからね。」
綾香のテンションが一気に転落する。あの修行が・・・、あのスパルタ地獄修行が・・・。口から魂が出そうなほどの衝撃。アメとムチとはこういうことか、いやムチっていうか、鎖付き鉄球だよ・・・。
「っていうより、綾香。時間」
凛が時計を指差す。
「ほえ?」
綾香はその方を見る。
「まずい!もうこんな時間!学校に遅れちゃう!」
大急ぎで、トーストを口にかっこみ、冷たくなったコーヒーで流し込む。シャワーをこれまでにない速さであび、ドライヤーで軽く乾かしながら歯を磨く。制服に着替え、鏡の前に立ち、笑顔を作る。よし、これならいつ士郎さんにあっても大丈夫。髪はまだ乾いてないけど。
「じゃ、凛さんいってきマース!」
「早めに帰ってきなさいね、帰ったら修行・・・」
凛の言葉を最後まで聞く前に扉をしめた。ここで聞いたら、さっき作った笑顔が壊れてしまう。
小走りで学校まで向かいながら、綾香は少し過去のことを思い出していた。あれから8年か・・・。あのとき自分がしてしまったことは決して忘れることはできない。忘れることができればどんなに楽だろう。しかし記憶というのは残酷で、本当に辛いものは頭に残り続けてしまう。いや、忘れないようにしているのは私自身かもしれない。あれは私の罪だ。決して許されることはない、私自身が許すことができない。
凛さんと士郎さんがいなかったらどうなっていただろう、と綾香は思う。あの二人に出会えたことで、私はこうやって生きているし、日々を楽しむことができる。あの二人には感謝してもしきれない。
8年前、ある魔術師によって大量殺人が行われた。その魔術師の目的は、ある召喚儀式の完成だった。2006年12月25日、仙台の街はクリスマスの風で、幸せのベールに包まれていた。人々は家族と、恋人と、友人と、そのトキを楽しんでいた。そんな中で召喚儀式が行われた。多くの人が犠牲になった。人々は幸福のなか、奈落へと落とされた。いち早く、魔術師の計画に気づいた遠坂凛が仙台へと赴いたが遅すぎた。魔術師が何を召喚しようとしていたのかはわからない。だが、召喚儀式が失敗に終わったことは目に見えてわかった。しかし、それにたいしての犠牲が大きすぎた。杜の都と言われた緑の土地の面影はなく、炎と血に包まれていた。その中心、召喚儀式の場所には一人の少女がいた。凛はその少女を養子にした。その少女こそ、綾香であり、この凄惨な事件の唯一の生き残りである。
「あ、遠坂さんおはよう」
髪をツインテールにした女の子が綾香に声をかけた。彼女は高城結子。綾香の数少ない友達のひとりだ。綾香はギクッとし、制服の乱れを急いで直し振り返った。
「ご、ごきげんよう。高城さん」
「珍しいね。神色泰然で呼び声高い遠坂さんが走って登校だなんて」
「まあ、そういう気分のときもあるのよ。き、今日はそういえば体力測定で50m走があるじゃない。体の確認よ、確認。」
冷や汗をかきながら綾香は答える。家ではだらしなくしているが、実は外ではしっかりと遠坂家に恥じないような行いを心がけている。
「ふ~ん、そうなんだ。そういえば今日50mかー!私も走ったほうがいいかな!?」
「そんなことより遅れちゃうわよ。早く教室に行きましょう。高城さん」
教室につき、席に着くと耳障りな声に綾香はため息をついた。
「今日も元気ね。衛宮くん」
綾香の隣に立って高笑いをしているのは衛宮正嗣。衛宮士郎の養子である。彼は8年前、紛争地で士郎に助けられ、引き取られた。詳しい経緯は、綾香は知らない。そこはお互いにタブーとしているため、聞くことはないが、8年間ともに過ごしてきた幼馴染だ。
「フハハハ。そういうお前は今日も覇気が足りないな。今宵は我が城で祝宴をあげるというのに」
「あーはいはい。また光の魔法とか大天使降臨とかのやつでしょ。まったくいつまで中二病こじらせているのよ」
「我が力を愚弄するのか貴様!くっ、まあいい。祝宴に来るのか来ないのか、それだけを応えよ」
「行くわけ無いでしょ。あんたのバカに付き合うほど私は暇じゃないわ」
「お、俺だってお前のことを誘いたいわけじゃない!誤解するな。愚か者!―うむ、まあ来ないならそれでも良い。そう士郎に伝えるだけだ」
くるりと背を向け、自分の席へ戻ろうとしている正嗣も首根っこをつかむ綾香。
「ちょっとどういうこと!?」
「どうもこうも今日我が城で祝宴が・・・」
「ちゃんと説明しなさい。でないと首絞めるわよ」
「ぐはっ、も、もう絞めてるじゃないか。き、今日は久しぶりに士郎が帰ってきて、凛さんも戻ってきているから、ぐあっ、みんなで祝宴の儀をしようということだが・・・」
綾香は正嗣の首から手を話す。
「そういうことなら先に言いなさいよ。行くに決まってるでしょ!」
「貴様は魔女か・・・」
咳き込みながら涙目になる少年と、憧れの人に会える喜びで目を輝かせてる少女。なんてことはない、いつもの変わらぬ日常だった。
「遠坂さんて、衛宮くんにはきつく当たる、っていうか仲いいよね。もしかしてさあ、衛宮くんと付き合ってるの?」
雑草をいじりながら、高城結子は無垢な質問を投げかけた。今は、体育の授業で50m走の記録を録っている。男子が先に記録をとっていて、女子は近くの原っぱに座りながら、持て余した暇な時間を過ごしている。結子の質問はそんな持て余している女子からしたら、甘いお菓子だ。飛びつかずにはいられない。
「え、やっぱりそうなの!?」
「そんな感じがしてたんだよねー、いつから?」
言葉は伝染し、いつのまにか女子全員が綾香を見ていた。質問に驚いて絶句していた綾香は、急いで弁解する。
「そ、そんなわけないでしょ!衛宮くんとは幼馴染なだけであって、あんな人全然好みじゃないわ!」
なんだ付き合ってないのか~、と残念がる女子達。まったく、とメガネをかけ直す綾香。結子の方を見ると、舌をぺろっと出しながら謝罪のジェスチャーをしている。
「あ、衛宮くん次走るわよ」
誰かの言葉とともに、女子の視線は記録をはかっている男子に移る。
スタート位置についた正嗣は何かブツブツ言っている。大方、また何やら詠唱を言っているのだと綾香は予想する。乾いたピストル音とともに、正嗣は走り出す。となりで走るもう一人に圧倒的な差をつけ、走り終える。
「衛宮くんて、運動神経いいよねー。何か部活入ればいいのに」
「結構顔もいいしさ、あの変な言動がなければねー。でもあれも見方によってはかわいくみえるな」
女子の中で正嗣の話題が持ち上がる。そんな状況に綾香は困惑する。
「正嗣って女子の中で話題に上がったりするの?」
「案外一部の女子からは人気があるそうだよ。運動神経抜群、勉強もそこそこ、顔も良し、頼みごとは断らない、そしてあの荘厳華麗な中2病~」
「まあ最後が一番分かれ目なところなのね」
「そういうこと。だから一部の女子ってわけ」
結子の笑顔に、つられて笑顔になりながら、綾香は正嗣を見る。かっこいい?あいつが?うん、ない。正嗣の姿を見て、確信する。ってか私には士郎さんがいるし。
おーい、次女子の記録はかるぞー、先生の野太い声が聞こえたので、立ち上がる。運動神経だったら私も負けてはいない、静かな闘士を燃やす綾香だった。遠坂家は負けず嫌いなのだ。
放課後、綾香が家に帰ろうと、校門に向かうと正嗣がいた。
「なんであんたがいるのよ」
「む、それは喜びゆえの苦悶の表情だと受け取っておこう。凛さんにも今日のことを伝えなければならないからな。そのあと買い出しだ」
「まあ私一人よりもあなたがいたほうが説得しやすいわね」
綾香は、今日の魔術修行がなくなることに気づき、気分がよくなる。
「わたしもその買い出しいくわ。そういえばさくらさんには連絡いれた?」
「もう招集の連絡は言ってある。仕事の関係で少しは遅くなるそうだが。藤おばさんも遅れるが来れるそうだ」
「藤村先生も?久しぶりにみんな集合ね。じゃあいそいで帰りましょう。凛さんに早く伝えなきゃ。今日修行がなくなるのはとてもラッキーだわ」
「そういえば修行とはなんなのだ?いつも凛さんが帰るたびに言っているが。まさか魔術修行!?」
「そんなわけないでしょ。あんたと一緒にしないでよね」
本当は魔術修行なわけだが、正嗣には秘密にしている。正嗣は普通の、つまりは魔術回路を持っていない人間なのだ。そんな人間に魔術のことは教えてはならない。これはもちろん正嗣が魔術を教えるに信用に値しない人物だから、ということではなく、魔術とは本来他人には教えないものなのだ。人の感情とは別のところに、魔術とは存在する。ではあるのだが、本人はオカルト的魔術の力を信じており、日夜何かしらの努力を繰り返している。正嗣が求めている魔術がこんな近くにあるというのに、気づかない、気づかせてあげられない、というのは残酷なのか―幸福なことなのか、とにかくそんな奇妙な環境に正嗣は生活している。逆に、綾香は類まれな魔術の才能の持ち主である。それもあり、遠坂を継ぐものとして、毎日厳しい修行をしている。本人はそれを誇りに思っているし、自分でもさらに上の領域に到達したいという願望もある。しかし、それらの気持ちも相殺する、凛のスパルタ修行には綾香の心も折れたりする。
「凛さん、ただいま~」
「お帰り、綾香。あら正嗣も一緒なのね」
「お久しぶりです。今日の夜の事なんですが」
中二病真っ盛りの正嗣だが、士郎と凛の前では普通の言動になる。
「話は士郎から聞いたから、大丈夫よ。今報告書を書いてるから書き終わったらそっちに向かうわ。」
綾香はほっと胸をなでおろす。よかった。今日の修行のことは何も触れられてない。
「ということだから綾香、明日は今日やらない分、2倍の修行量ね」
綾香に電撃走る。ちくしょーやっぱそう上手くはいきませんよね!
「じゃあ私身支度するから、衛宮くんは待っててね。」
そういって気を取り直し、綾香は二階に上がる。30分ほどかけて服を選び、ほんのり、うっすらと化粧をする―濃すぎる化粧は高校2年生の女子を悪く見せることを綾香は知っている。一回に降りた時には、1時間がたち、正嗣は3杯目のコーヒーを飲んでいた。
「時間かかりすぎよ綾香。正嗣こんなにまたして。あら、でも随分と気合が入ってる感じね。」
「ごめんなさいです。まあ少しね。どう衛宮くん?」
綾香はひらりと一回転する。その姿を正嗣は数秒みて、顔をそらした。
「まあ、お前にしては頑張ったほうじゃないか」
「む、なによその言い方」
凛は二人のやり取りをみてクスクス笑う。
「あと私のやつも1時間ほどで終わるから買い物にいっておいて。料理は私も手伝うわ」
「はーい。んじゃ行こ。」
綾香はそう言って、正嗣の腕をつかむ。正嗣の顔がいつもより赤みがかかっているような気がした綾香だったが、コーヒーの飲み過ぎかな?と考えた。
買い物袋を両手に抱えて、衛宮家についたのは19時過ぎだった。士郎の姿をみて、綾香が歓喜したのは言うまでもない。料理を士郎、凛、綾香で作っているうちに、次いでさくら、大河も到着し、久しぶりの全員揃っての晩餐となった。
「いや~、まさか藤ねえが教頭になるなんて思いもしなかったよ、あの藤ねえがな~」
「なーに士郎?私がそんな大物になると思いもしなかった口ぶりね。見てなさい、ゆくゆくは校長になり、教育委員会のトップに立ってやるわ」
がははは、と笑いながら缶ビールを口に含む大河。その右手は正嗣の肩にあり、正嗣はオレンジジュースを飲みながら苦笑いを浮かべている。
「藤村先生、学校と家だと随分違いますよね。学校ではもっとクールで知的な感じなのに」
「藤ねえがクール!?」
綾香の言葉に腹をかかえて笑う士郎。
「なんでそんな笑うのよ!怒ったわ!久しぶりに剣で鍛えてあげる!」
士郎に掴みかかる大河。正嗣はやっと酔っ払いの呪縛をときはなれ、席を少し移動させる。
「お疲れ様ね、正嗣」
グラスを片手に凛が話しかけた。
「ひどいですよみんな。藤おばさんの相手を俺に全部任せるなんて」
「ふふ、まあいいじゃない。藤村さんの相手は衛宮家の伝統よ」
綾香と桜が吹き出す。
「まったく二人共他人ごとだと思って。・・・それはそうと士郎、また髪白くなりましたよね?」
なんの気なしの正嗣の質問に、凛と桜は顔を曇らせる。大河と今組み合っている(一方的な攻撃なわけではあるが)士郎はもう髪の半分は白髪へと変わっていた。これは無理な魔術行使による代償である。日頃から凛と桜は士郎に無理な戦いはするなと言っているのだが、士郎の性格的に自分の体を感情に入れない性質なので、紛争地から帰るたび、その容姿は少しずつ変わっている。しかし、これでも10年前に比べれば、随分とましになった方ではあるが。とはいえ、そのような魔術的事情は正嗣は知らない。士郎もあまり深くは教えない。凛が口を開いた。
「士郎はね、また無理をして・・・私たちがいくら言っても・・・髪も半分も白くなって」
顔を伏せる凛。桜が凛を見守る。正嗣、凛の隣にいた綾香も心配そうに凛を見る。
「ブラックジャックかよっっっ!!!!」
そういって顔を上げた凛のそれは、明らかに酔っぱらいのあれだった。
「まずいわ!狂戦士モードよ!」
「さくらさん!それ何ですかぁ!?」
「ああなっては誰にも止められない・・・」
「綾香まで何を!?」
「あんのバカ!いくら私がいっても無茶ばっかしてしまいにはブラックジャックじゃないの!今度帰ってきた時に顔に傷でもこさえた日にはあのバカの赤コートを黒に染めてあげるわ!いや!今すぐにでも!」
立ち上がり、いまだ大河と葛藤中の士郎に飛びかかる凛。お互いの苦労をさっし、顔を見合わせる綾香と桜、おろおろする正嗣。いつも以上に平和な日常だった。みんなで幸福を分かち合い、楽しい時間にゆっくりと浸かっていた。
そのあとどんちゃん騒ぎが続き、正嗣も大河に騙されお酒を飲んでしまい、とんでもない呑んべえブリを発揮し、凛と大河はよくわからない対決を始め、二人の攻撃を食らった士郎は横になって伸びていた。綾香は桜と話をしながら片付けをしていた。
正嗣が言っていたように本当に宴になったと、思いながら、深い眠りについている正嗣に綾香は毛布をかけてあげた。晩餐も終りを迎え、凛、士郎、正嗣、大河が眠ってしまっていた。
「桜さん、私ちょっと縁側で涼んでくるわね、あとお願いしていい?」
「お皿を吹き終えたら終わりだから大丈夫、気にしなくていいわ」
綾香は居間をでて、縁側に座り、スマホの画面を開いた。11:39分、雲に隠れていた月が顔をだし、綾香を照らす。こんなに幸福でいいのかな。綾香は、毎日それぞれ良かったこと、嫌なことはあっても、幸福という基盤の上で生活していることにたまに罪悪感を感じることがある。自分という存在はもっと苦しんで生きるべきじゃないのか?このような生活を送る資格が私にはあるのか?とりわけ、楽しいことがあるたびにそう思う。そしてこんな月が綺麗な夜にはどうも心が弱くなってしまう。綾香の目から、一筋の涙が流れる。それをそっとハンカチで誰かがふいた。綾香がとなりを見ると、桜が立っていた。
「桜さん・・・」
桜は何も言わず、綾香を抱きしめた。桜のぬくもりは心地よく、綾香の心をそっと包み込んだ。
「もう大丈夫よ、さくらさん。ありがとね」
「いいのよ、気にしなくて。夜も遅いからもう寝ましょうね」
うん、といって綾香が立ち上がり、部屋に行こうとすると桜に呼び止められた。
「綾香さん、その手」
綾香が自分の左手を見ると一筋の血が滴っていた。その血は指を伝い、床にポタリ、と落ちた。
「いつ切ったんだろ?さっきの片付けの時に気づかずに傷ついちゃったのかな?」
さくらは困惑した顔で、綾香の左手を見ている。綾香の心配というよりは、もっと大きな何かを心配している、そんな表情で。綾香は、その微妙な違いには気づかない。
「別に心配しなくて大丈夫よ。全然痛くないし。血もけっこう出てるみたいだけど、もう止まった感じだし」
「え、ええ。大丈夫そうね。でも消毒して絆創膏貼りましょう。そこで待っててね」
さくらはそう言って、居間に戻る。綾香はその横顔を見たが、少し青ざめているようだった。今夜の月は青いからな、と綾香は思った。ふとスマホの画面を開いて、時間を見る。0:00。なんとなく特別な気がした。
綾香は月明かりに照らして自分の左手を見る。血は手の甲の上で何か模様を作ろうとしていたように見える。大きなうねりがあり、真っ直ぐな線があり、血は様々な形で舞っていた。綾香はそれをみて不覚にも美しさを感じてしまった。血は月の光を浴び、いつもより、赤々しく、その姿を魅せていた。
―少女の日常が変わる
―小さなうねりは大きなうねりへ
―始まりの鐘がなる
―これはFateなのか、Factなのか
―最後の晩餐は終わり、新たな世界へ
―次なる勝利は誰の手に、次なる敗北は誰の手に
―絶望を作るのは天使なのか、希望を作るのは悪魔なのか
―純粋なる無垢な少女は今、飛び込んだ。それは彼女が望んだ世界?それとも・・・
―聖杯が息吹をあげる。もう誰にも止められない
2週間に一話は出したいです