「辛気臭いなあ。
堅苦しくて、暗い話はここまでにして、宴会を楽しもうや」
田中大将の提案で、あとは宴会を満喫することになった。
それに天皇陛下暗殺予告に関しては、政府内でも箝口令が敷かれ、犯人が逮捕されるまでは、公式に発表されることもないから、外部への流出はあり得ない。
もちろん、犯人がマスコミに漏らさなければという条件付きではあるが。
だから、ここで話せる内容には限りがあった。
ということで、話は雑談の方へと移行する。
「国防省七不思議って知ってるか?」
田中大将は改めて口を開くなり、そんな話をし始めた。
国防省庁舎のある陸軍市ヶ谷駐屯地/海軍市ヶ谷地区/空軍市ヶ谷基地、軍ごとに呼び方は色々あれど、元々ここには日本皇国陸軍の前身である日本帝国陸軍の軍政機関である陸軍省が所在しており、心霊話とかそういう話題には事欠かない。
「昔、お客さんに聞いた話だと、夜中に聞こえる"歩兵の本領"とかのやつですか?」
"歩兵の本領"とは日本帝国陸軍の軍歌の1つで、"万朶の桜か 襟の色"の歌い出しから始まるその歌は、いまでも日本皇国陸軍歩兵の魂とまで豪語され、歌い継がれている歌である。
ちなみに、日本皇国陸軍の兵科識別は平時であれば旗で行われていて、戦時もしくは演習時は戦闘服の肩章で行われ、断じて襟章で行われているわけではないが、帝国陸軍の伝統として、歩兵科には軍歌の通りの万朶の桜と称される緋色が採用されている。
そして、再編以来使用し続けていた部隊旗を新調する際に、国防省陸軍部の官僚たちが、なにも考えずに単純な赤色に変更したが、前線部隊からは赤は血を連想するので不吉だとの意見が続出し、陸軍参謀総長を始めとする陸軍の上層部の判断で使用中止となり、旧来の緋色に戻った経緯がある。
という感じで日本中にある多種多様な仕事のなかで、軍人ほどジンクスに気を使うものはいないだろう。
軍人ほど危険でまさしく命あっての稼業であるものはない。
死んだら日本皇国軍軍人の場合は靖国に行くだけで、元も子もないのである。
だからこそ、日本各地の駐屯地や基地では、朝のテレビの占いに一喜一憂する姿が見られている。
広がりすぎた話はそのままにして、七不思議に戻ることにする。
「それだ、それ。
ひとーつ、大臣執務室にある歴代国防大臣の肖像。
それの目玉が夜中に動くらしいよ。
ふたーつ、夜中に仕事をしていると、何故か聞こえてくる"歩兵の本領"。
歌声に混じって、腰に着けた銃剣の音や地面を踏み鳴らす軍靴の音も聞こえてくるらしいね。
みーっつ、記念館に響く大空襲の際に亡くなった方の"熱い熱い"という無念の叫び声。
何故か記念館だけに響くらしいんだよ。
よーっつ、なぜか聞こえる銃声と負傷者の呻き声。
部下だった耳のいい兵士が1回だけ接触したんだが、それにによると、99式歩兵銃系統の小銃の銃声だそうだ。
小銃関係の事件と言えば、二・二六事件だけど、このときは制式の歩兵銃は38式歩兵銃だったから、眉唾な話だ」
「いや、終戦直後の反乱によるものかもしれないでしょう」
自分の結論を断言した田中大将の言葉に対する佐竹中尉の考察による反論は的確だった。
あくまで、そんな七不思議が実在するとしたらではあるが。
「いや、まあ確かにそうなんだが、それならば陸軍省では死者か負傷者が出たという報告があって、然るべきだ。
しかし、そんな報告は出ていない。
だから、眉唾な話だと断言できるわけだ。
眉唾な4番目は置いておいて、次が5番目だ。
いつーつ、突然電話に入るノイズ。
しかも、これ単純なノイズじゃなくて、人の呻き声らしいとか、陸軍の部隊間の通信だとか、部署によって諸説あるんだ。
むーっつ、突然張られる軍に対して、決起を呼び掛けるビラ。
そして、その翌日には原隊復帰を命じるビラが同じところに張られるらしい。
しかも、内容が二・二六事件の時の感じらしい。
ななーつ、旗竿の下に佇む旧軍の軍装の兵士。
頭に包帯を巻いていたり、腕を吊っていたり、目撃される度に違うところを怪我しているらしい。
市ヶ谷という場所の都合上、そういう話には事欠かないだろうが、七不思議の候補としてはそれぐらいだろうな。
部署によっては、マイナーチェンジがあるみたいだ」
「七不思議といえば、何故か心霊じゃないバージョンもありますよね。
周辺住民曰く、赤く染まる国防省庁舎やら、奇声の聞こえる病院棟やら、」
「そういえば、三島由紀夫の霊が出るらしいってのも、心霊界隈なんかじゃ有名な話ですよ。
それも、国防省立図書館の第2号棟となっている旧陸軍省庁舎でね。
そこは、今では市ヶ谷記念館として旧陸軍に関連する展示を行っているが、あそこに移設される前には、第1方面軍司令部と方面軍直轄部隊が駐屯していたんだが、1970年のある日、第1方面軍司令官と面会していた三島由紀夫が、司令官執務室にあった日本刀を手に取って、司令官を人質にとり日本皇国軍に決起を呼び掛けるという事件が起こったんだが、呼応する将兵はおらず。
それを見た三島由紀夫が、日本刀で割腹自殺を行ったのが、あの第2号棟だからな。
無念の霊が出てもおかしくないだろうと、巷では話題だな」
田中大将の話に釣られて、前田大将が語り出す。
前田大将の話は、1970年の三島事件の話だ。
発生から鎮圧まで数時間、その間にも動員された一般部隊が完全に包囲するなか、三島は日本皇国軍に決起を呼び掛け続けた。
しかし、昔の陸軍とは違い、日本皇国軍全体に、
その概念とは、現役軍人は政治に参加せず、国防という本義に努めることを美徳とするというもので、さらには現役軍人が公的の場で、政治思想を語ることはタブーである。
たとえ、国民に感謝されなくとも、罵倒や叱責ばかりの勤務期間であっても、現役として国防の最前線にある限り、彼らは国を守り続けるのだ。
「いやはやそんなこともありましたな。
大の大人が自殺をして、社会から同情される。
公人であっても、私人であっても、大の大人がああだと、情けない限りだと思いますよ。
ああいうのが政治を語るのは、片腹痛いと思いますわ」
河野大将はその時、14歳で中学生だった。
多感なその時期に、過激思想に染まった右翼、左翼の団体による犯罪は、河野大将の思想に大きな影響を与えた。
どちらの思想にも、嫌悪感を抱かせたのだ。
だからこそ、政治的にどちらにも偏らない日本皇国軍に志願したのだ。
「ちなみに、それは情報本部が仕掛けた情報工作だったんですわ。
機密指定は切れてるし、ぶっちゃけると、当時いや今もか、軍や公安警察部は協力して、軍内外の極右や極左の思想を持つ人物の監視に努めていましてな。
当然、三島由紀夫もその対象に被っていたんですが、彼の場合よく目立つので早々に事故死することは決まってたんですわ…」
前田大将は、ポツポツと語り始めた。
「この場合の事故死って言うのは、儂ら情報関係者の間で、対象者を秘密裏に暗殺することなんですが、まだまだあの頃には、ソ連共産党系の左翼政党がそれなりの勢力を誇っていて、まだまだ日本皇国軍のクーデターはまことしやかに語られていた時代で、イメージ改善のために、三島由紀夫を利用することにしました。
情報本部の対人工作部と特定工作部の要員が、三島由紀夫や彼が率いていた楯の会に秘密裏に接触して、偽のクーデター計画を練って、実行に移しました。
話の着いていない一般部隊の兵士たちはうんともすんとも言わない。
にっちもさっちもいかなくなった三島由紀夫は、仲間とともに割腹自殺。
あのとき、彼の自殺が行われなければ、情報本部隷下の対テロ特殊作戦部隊が突入して、彼を射殺する手筈になっていました。
こうして、日本皇国軍は国家の忠臣としての立場を得ました。
それで…」
そこで、一旦話を切った前田大将は、手持ちの日本酒を飲み干すと、また話し始めた。