皇居・正殿竹の間。
そのソファの上で、佐竹中尉はガチガチに緊張していた。
腰のベルトには、情報関係者用に調達されたグロック17がホルスターに納められて装着されていた。
しかし通常、皇居内に武器は持ち込むことはできない。
唯一の例外が、陛下の警衛を担う皇宮警察と近衛連隊であるが、今回は非常事態ということで見逃されている。
その事が佐竹中尉の緊張を増長させていることを、本人以外は誰も知らなかった。
「私みたいなのには、場違いなんだよ」
周りを見渡しながら、独りごちる。
それというのも、朝起きて滅多に着る機会のない第5種制服を来た瞬間に、これじゃない感が佐竹中尉を襲ったのだ。
そして、一生乗ることのないであろう
早朝5時に国防省に出頭した佐竹中尉は、国防省地下情報本部フロアにある武器庫にて、グロック17と予備弾倉を受領した。
ちなみに、そこを守る警衛官は憲兵補佐職員として、軍司法警察権を保持していて、無許可の侵入者であれば、軍人であっても手荒く歓迎するのだ。
国防省儀仗広場に停められた宮内庁からの迎えの車に乗り込み、皇居に入った。
そして、案内された皇居正殿・竹の間にて待機していた。
「これには、セーフティが付いてない。
トリガーを引けば、撃てる。
弾倉は17発入り、7個」
腰のピストルとマガジンポーチを触りながら、情報本部職員からの説明を反芻する。
「
銃器の所持を確認し次第、撃て」
今度は予備弾倉の入ったポーチを確認しながら、統合参謀本部長の命令を反芻する。
「日本皇国軍軍人としての道を歩む君たちは、国民が幸せに笑うときに泥にまみれ、国民が悲しみの涙を流すような危機には血にまみれ、国民にその仕事を責められるときには、涙を呑んで堪え忍ぶことになるでしょう。
本当にご苦労なことだと思います。
そして主権者たる国民の選んだ国家の命令に従い、国内外で活躍されることになると思います。
また、万が一非常事態、いや国家存亡のそのときには自らの命を省みず任務を達成し、国家の存続という形を通じて国民に奉仕せねばならない。
我が国は先の大戦を反省し、2度と非道な侵略の片棒を担がされてはならない」
とは、国防大学校第1期卒業生にときの宰相、吉田茂が語った言葉だ。
そして、国防大学校に入校し、日本皇国軍軍人としての道を歩み始めた学生たちは、まずこのことを頭に叩き込まれる。
矢継ぎ早に言葉を紡ぐことで、佐竹中尉は緊張した頭のなかをスッキリとさせる。
「万が一、国家存亡のそのときには自らの命を省みず任務を達成し、、国家の存続という形を通じて国民に奉仕せねばならない」
その1文節を繰り返す。
年季の入った言葉だが、今でも日本皇国軍軍人の精神の拠り所だ。
「陛下がお見えになります」
侍従長が、先に姿を見せた。
彼の名は鈴木万次郎、宮内庁のトップに近いとの評価を誇るのだ。
閉まっていたドアが開く音がして、天皇陛下が姿を見せた。
大元帥閣下である陛下に対して、佐竹中尉は立ち上がって、敬礼をする。
「そう硬くならなくても、良いですよ。
私があなたに会いたくて、無理を言って呼んでもらったのですからね」
「はっ」
敬礼をやめても、佐竹中尉は直立不動のままだ。
「と言っても無理な話ですね。
申し訳ありません」
そう言うと、天皇陛下は頭を下げた。
「私の空いている時間が今日しかなくて、あなたには無理を言いました。
大変申し訳ない」
「いえ、そのようなことは」
「それなら良いのですが。
どうぞ、楽に座ってください」
そう言われて、佐竹中尉はソファに座る。
「竹島では、ご苦労様でした。
佐竹中尉の見るところでは、今回の状況はどうですか?」
「沿岸警備部隊の精鋭が警備に当たっており、周辺国の海軍では手を出せないでしょう。
ただ、此度の戦い、些か勝ちすぎてしまったような。
そんな気がします」
自分の素直な気持ちを、丁寧な言い回しで伝える。
「勝ちすぎてしまったとは?」
面白いことを聞いたとばかりに、陛下が聞いてくる。
「韓国の海空軍の戦力が壊滅したことで、韓国の中国への依存度は急激に上昇します。
そうなってしまえば、アメリカの技術は中国へと流出してしまう危険性が高まります」
佐竹中尉の言う技術というのは、ハードウェアやソフトウェアだけではない。
それらの連結や運用に関する長年の実績も含むのである。
例えばイージスシステムの初期、ベースライン0から最新鋭のベースライン8、さらにはズムウォルト級に搭載されたイージスⅡシステムまで、40年あまりのその間の数度の改修作業を挟み、蓄積された運用実績がイージスシステムを世界最強の艦隊防空システムに育て上げたのだ。
「しかし、そういう類いのシステムはブラックボックス化されていたはずで、簡単には手が出せないはずですが?」
日本皇国の民意を結集し、召集された国会の決定した法案を、そして国会の選んだ内閣の実行する政策を、天皇が最後に審査するのが、日本皇国憲法下での政治体制である。
これは、戦前の体制と何ら変わらないようにも見える。
しかし、陛下は1人の国民として厳しい目線で、政策を見つめてきた。
過去には、公共事業に関する予算をバッサリと切り捨てるなど、その指摘は容赦がない。
ただ、軍の技術研究本部で開発された新型万能バイオ燃料の利潤で、予算のゆとりを持った日本皇国軍は大規模な装備改編計画を実行している。
その件については、源泉が国民の税金ではないし、また急激な軍備拡張ではなかったので、中止にはしていない。
だからこそ、官僚から説明を受けるために各方面に知識を持っている陛下は、ブラックボックスのことを知っていた。
そして、それが簡単に手を出せる代物ではないことも。
「さあ、切羽詰まれば、迷いなく手を出しますよ。
彼の国は」
実際、切羽詰まってもないのに韓国軍は、F-15Kのシステムや潜水艦のブラックボックスを無断で開けて、米国を激怒させたり、ドイツを呆れさせている。
これがさらに、切羽詰まれば手を出さないわけがない。
「アメリカも韓国を見捨てますかね?」
「それは分かりません。
しかし、可能性はあります。
今も昔もアメリカの世論は、不正義な戦いにおける
しかし、アメリカの正義を確信すると、粘り強く勝つまで戦います。
けれども、ベトナムやイラクにおける軍事作戦は大統領が正義を証明できませんでした。
だからアメリカの世論が、大統領にNOを突きつけました。
ただ、戦争にどのような形であれ、正義は存在し得ません。
そのことは、第二次大戦が証明しています」
第二次大戦では、リメンバー・パールハーバーを掛け声に、中国を侵略している、そしてパールハーバーを騙し討ちで攻撃した日本を攻撃することは正義だと、アメリカの当時のルーズベルト大統領は言った。
しかし、アメリカは他国の領域を蚕食してできた国家である上に、都市における無差別爆撃や原爆投下などの非人道的なレベルで、一般民衆を標的とする攻撃を繰り返した。
これらは、戦時であれ非難されるべき事象である。
「もう1つ言うと、自国の防衛を韓国軍は放棄して、日本に戦力を送りました。
そのことに、
そのことも考慮すると、朝鮮半島に戦火が及べば、在韓米軍は撤退に追い込まれるかもしれません」
長ったらしい佐竹中尉の考えだが、その言葉の1つ1つに、陛下は頷きを見せた。
「外務省の資料には、そんなことは書いてませんでしたね」
1年前の大統領選挙において、ある候補が韓国からの米軍撤退を明言した。
その候補は、当選こそしなかったものの、自国の防衛を放り出して、外国領土に侵攻する韓国に苦言を呈した形になる。
そして、自国の防衛を真剣に考慮しない韓国で、多くの米国兵の命が散ることを国民は容認しないだろう。
在米日本大使館駐在武官部はそう結論付けて、国防省本省にレポートを提出している。
外務省の職員は、その頃ワシントンD.C.のゴルフ場でコンペに精を出していた。
「彼らは在外公館、言ってしまえば海外にある日本領内でしか活動しないですからね。
「CIAですか?」
佐竹中尉の言葉に、陛下は首をかしげた。
「確か、彼らはアメリカ国内で活動することは認められていなかったはずですが?」
「それは憲法上の建前で、
国内でCIAが活動する目的は、防諜業務ではない。
それはFBIの領分だ。
テロ対策、麻薬対策、そのどれでもない。
今、彼らが躍起になっているのが、共産主義の亡霊退治である。
30年前に、共産主義の首魁、ソビエト連邦は崩壊した。
「ソビエトが崩壊する際、かなりの量の政府資産が消失したと云われています。
その大半は、政府関係者が横領したものですが、一部は将来のソビエト復活のために
金額に関しては、諸説あるので割愛するにしてもかなりの大金が、ロシアの裏社会に隠されているとか。
そんな噂話をCIAは全力で追っているようです」
「なるほど。
共産主義の亡霊ですね。
確かに、外務省の能力は低いと見なさざるを得ないようです」
陛下が納得したところで、侍従長が紅茶を持ってくる。
「そして、今回の件ですが。
その前に侍従長、君は皇居に現在も残っている宮内庁職員を連れて、退避しなさい。
日本の未来は、私のような老害ではなく、君たち若い世代が作るものです」
「私も大概、年ですが。
分かりました。
陛下、次にまた五体満足な状態で出会えることを、宮内庁職員一同祈っております」
天皇陛下の有無を言わさない口調に、侍従長は従って、残る職員を連れて皇居から退去する。
それを確認した陛下は、佐竹中尉に言った。
「あなたも若いのに、申し訳ない」
「いえ、あなたを守るのが我々、日本皇国軍軍人の本分です。
あなたには、指一本触れさせません」
第1近衛連隊は既に、皇居外周部に展開を完了していた。
同じ頃に、近隣の駐屯地では、
「美智子は赤坂に避難させました。
事件のことは知りません」
「皇后陛下のいる東宮御所は、近衛連隊が2個、警備に就いてます。
遊撃戦力として、1個近衛連隊が待機しています。
皇后陛下の安全は確実です。
しかし、陛下は危険な状況が続いています。
その辺はどうお考えですか?」
佐竹中尉の質問に、陛下はあっけらかんと答えた。
「私の命は、君たちが守ってくれるのだろう?
頼りにしているし、君たちのことは第一に信頼している」