東京都日野市にある日野駐屯地
ここに駐屯している第1旅団第1特殊武器防護大隊に代表される日本皇国陸軍化学科部隊は、
地下鉄サリン事件など、
「大隊長、
盗聴防止回線に切り替えて、電話に出てほしいとのことです」
歩兵科部隊が忙しなく働いているこの最中にあっても、化学科部隊である第1特殊武器防護大隊には、お呼びのかからない、つまりは関係のない事件であろうと考えていた。
「分かった……
はい、
部下より電話を受けた大隊長は、電話の先から聞こえてくる言葉に、表情を固くする。
「分かりました。
直ちに準備し、出動します」
日野駐屯地に駐屯している第1旅団第1特殊武器防護大隊の大隊長は、椅子から立ち上がると、電話を切った。
その上で、椅子に掛けてあった戦闘服の上を着込み、八角帽を頭に着けた。
「直ちに出動する。
装備を点検、準備せよ」
「大隊長、既に点検は終了しており、直ちに出動できます」
「よろしい。
では、行くぞ」
駐屯地業務隊本部庁舎から飛び出ると、その前に止めてある大隊本部車両の高機動車改造の指揮車に乗る。
その後部から、直ちに指揮を執り始める。
モニターには、皇居周辺の状況が写し出されていた。
「ホット・ゾーンは、皇居の中心から半径35㎞とする。
ウォーム・ゾーンは、さらに外周の2㎞とする。
また必要に応じて、近隣の医療機関に対して、負傷者の受け入れを要請せよ」
そして、大隊長の与えた命令は、それらの対処の定石通りのものであった。
「除染計画だが、変に気張る必要はない。
訓練通りにやれ」
都心外周部をぐるりと回る環状7号線には、警察の機動隊と陸軍歩兵部隊によって、完全に封鎖されていた。
「第1特殊武器防護大隊の島田だ。
旅団司令部よりの出動命令で、皇居に向かっているところだ。
通っていいか?」
身分証を見せた大隊長は、許可を得て環状7号線の内部に進入する。
日野駐屯地から1時間もすれば、集結地点である赤坂御用地に着く。
旅団司令部は赤坂御用地とその周辺にあった。
故に、その周辺は陸軍の車両で混雑していた。
「旅団長」
赤坂御用地の入口には、旅団長が立っていた。
その周辺には、負傷者の収容を行っている
「私から簡単な
我が軍が使用したのは、唐辛子成分の濃縮エキスだ。
それによって、通常の個人防護装備に関して、それを使用したとしても効果が薄いと判断された」
「どういうことですか?」
「唐辛子エキス成分の粒子が細かい上に、使用した唐辛子エキスの濃度が濃度だけに、直接、皮膚に触れただけでもかぶれを引き起こす恐れがあり、呼吸器内に入った場合には、目も当てられんらしい。
そうなると、レベルA相当の化学防護服を持つ特殊武器防護大隊の出動が必要だと判断した」
消防・危機管理用具研究協議会(CFASDM)の定める救助隊用 化学防護服化学防護服は、防護レベルに応じた次の4種類がある。
レベルA化学防護服、 高度の呼吸保護、皮膚及び目の保護を必要とする危険区域(汚染区域)で作業する要員が装着する防護服。
レベルB化学防護服、呼吸保護は概ねレベルA化学防護服と同水準を要求するが、皮膚防護はレベルA化学防護服より低くてよい危険区域(汚染区域)で作業する要員が装着する防護服。
レベルC化学防護服、 皮膚保護は概ねレベルB化学防護服と同水準を要求するが、呼吸保護はレベルB化学防護服より低くてよい準危険区域(除染区域を含む)で作業する要員が装着する防護服。
レベルD化学防護服、呼吸保護は必要としないが、最小限の皮膚保護を必要とする警戒区域で作業する要員が装着する防護服。
軍用の化学防護服といえど民間規格に合わせた製品を採用している。
化学科部隊の装備する化学防護服は、レベルAからC相当であり、通常部隊の将兵が装備する個人防護装備一式が大体、BからDに相当する。
「なるほど、了解しました。
直ちに作業に取りかかります」
唐辛子エキスの粒子が細かいために、風に煽られて未だに空気中に蔓延しているのだ。
渋滞のなかを、赤坂御用地にたどり着いた第1特殊武器防護大隊は、現場の細かな状況を知ることもなく、皇居に向かうことになった。
第1旅団第1特殊武器防護大隊の化学防護車などの車列は、千代田区の皇居に向かって進行していた。
化学防護車、生物防除車、
化学防護戦任務の特性上、消防機関とほぼ同じ装備を持っている。
拠点機能形成車は、消防の持つ同名の車両とほぼ同一仕様であり、ナンバー・プレートやOD色の塗装、サイレンの有無など細部が異なっている。
医療支援車に関しても同じで、基本的には東京消防庁の運用する
これらの装備は限定的な採用であり、部隊使用承認という形で採用されているため、制式採用の装備のように〇〇式という言葉は、付けられていない。
全国にある陸軍系の日本皇国軍病院と、中央病院移動医務隊、衛生大隊、特殊武器防護大隊に配備され、負傷兵の救護に当たっている。
また、通常の出動であっても、内科と外科の軍医が乗務し、適宜、治療を行えるのが特徴だ。
赤坂御用地の中心にある旅団司令部より北側の地区には、野戦病院が設置され、発生した負傷兵への治療に当たっていたり、回収できた友軍兵士の遺体が安置されている。
南側の地区には、関東補給処から派遣された要員によって、物資補給所が置かれ、戦闘を支援していた。
大隊の本部拠点には、その北側のエリアの一部が予定されていたのだが、それを固辞した上で、皇居ギリギリに仮設拠点を設置した。
道路上に停車した拠点機能形成車、医療支援車の胴体部分が開き、各中隊の活動可能になっていく。
現場の準備が進むなかで、今回の事件の現場である皇居の方向をにらんだ大隊長の前に、化学防護服に身を包んだ隊員が整列する。
「配置を指示する。
第1中隊は直ちに突入、負傷していると思われる兵士を収容しろ。
そして、皇居内全域を捜索し、敵味方関係なく生存者がいれば、絶対に連れ帰れ。
第2中隊は、除染の準備を進めておけ。
第3中隊の1個小隊は、トリアージを行うぞ。
以上、かかれ」
「「了解」」
既に医療支援中隊である第三中隊のうち、2個小隊を野戦病院での医療支援に当たらせている。
あとは貸与した化学防護服を着込んだ歩兵2個小隊の援護のもとで、直ちに負傷者の救助に当たるのだ。
大隊長の命令で、皇居内に突入した第1中隊は、直ちに負傷者の捜索を開始した。
「濃度が未だに濃いなあ」
皇居に侵入して数百メートル、レベルAの化学防護服を着込んだ兵士が、空気中の検体の濃度を見て言う。
その周辺では、小銃を持った兵士が周辺を警戒しながら、いつでも射撃できる状態で待機していた。
「負傷者、発見」
突入した第1中隊の面々は、負傷者の惨状を見て、これは殺りすぎだと思うのを通り越して、そう確信していた。
「担架、持ってこい」
第1特殊武器防護大隊の拠点で、第二小隊の呼んだ2トン半救急車は、軽傷のパイロットを治療しながら、一応は巻き込まれた形になる第二小隊の到着を待っていた。
そこまで、無事に届けることを願いながら、第1中隊と歩兵第二中隊の2個小隊は、皇居内を走っていた。
「第1中隊より大隊本部。
送れ」
第1中隊の中隊長が、化学防護服に付属する呼吸器の内側に付けられたマイクから、通信を行う。
『こちら大隊本部。
送れ』
通信を行っている中隊長の横では、第1中隊の隊員が負傷者を収容していた。
それには、敵味方関係なかったのだが、数が膨大すぎた。
「負傷者を発見。
数は味方は51名、敵は数えきれないほどいる。
これより後送するが、我々の所見を報告しておく。
送れ」
「了解、こちらも第3中隊に報告しておく。
詳細をお願いしたい。
送れ」
「了解、今から送ります。
それぞれの負傷者の状況は、唐辛子エキスによるかぶれ、さらには呼吸器に炎症が見られます。
送れ」
『大隊本部、了解。
終わり』
その通信が入ったとき、大隊本部は除染計画を立案していた。
皇居周辺の都市地図、縮尺1/5000レベルの詳細な地図に、グリッド図を書き入れて、除染計画のタイム・スケジュールを決めていく。
日本皇国軍の地理部隊が衛星写真と労働力を総動員して、書き上げたその地図は半年ごとに更新され、古いものは破棄される。
そのデータ自体は、民間の地図に反映されることも多い。
「この計画でいこう」
大隊長は中隊本部の天幕に出向いて、除染を担当する第2中隊の中隊長や幕僚たちと、使用された唐辛子エキスの除染計画を練っていた。
「吸収剤が大量に必要ですね。
必要なのは、大体、6トンぐらいでしょう。
持ち込んだ分だけでは、足りないと思われます」
吸収剤と言うのは、化学防護戦司令部隷下の化学防護戦研究隊が人工的に化学合成した表面に穴の多い物質のことであり、その穴のなかに有害物質を吸着させるものである。
通常は専用の溶液で、泡状にして使用する。
また、それ専用の溶液を含めて、自然の水に溶けないために、水源近くでも使用できる代物だ。
ただ、水中に溶けてしまった分の有害物質には使えないのが難点だ。
「そうだな。
それは、心配しなくていいぞ。
既に手配してある。
もうすぐ、追加分が届くはずだ」
第1特殊武器防護大隊は、保有分の1.1トンをここに持ち込んでいた。
また、陸軍化学防護戦司令部は、第1特殊武器防護大隊の要請を受けて、さらに関東補給処日野特殊装備廠にある備蓄分1.2トン、さらに工場から出荷される分が0.3トン、東京消防庁を含む近隣の消防からかき集めた1.5トン、合計3トンを皇居に向けて、第1ヘリコプター団といった航空部隊を使って送っていた。
また、関西補給処、東北補給処に備蓄されている分を、取り急ぎ全て東京に送らせて、不足分を充足する予定だ。
鉄道にて輸送されているそれは、今後、2日以内に、皇居付近に到着する予定になっている。
「分かりました。
では、順繰りに作業を開始します」
「ああ、よろしく頼む」
「はい、よろしく頼まれました」
大隊長の言葉に、第2中隊長は軽口で返した。
大隊本部の天幕に戻った大隊長は、大隊本部要員からの報告を受けた。
「第1中隊からの報告。
数は味方は51名、敵は数えきれないほどいる。
それぞれの負傷者の状況は、唐辛子エキスによるかぶれ、さらには呼吸器に炎症が見られるとのことであります」
「第3中隊には?」
その報告は、医療支援に当たる第3中隊にこそ、意味のあるものだった。
「既に報告済みです」
その報告を聞いて、大隊長はにっこりと笑い、大きく頷いた。
「負傷者の第1陣が到着しました」
天幕に顔だけ出して、報告したのはここに残る第3中隊の1個小隊の小隊長だった。
「分かった。
私も直ぐに行く」
大隊長は、そう返事をして、天幕の外に出た。
この章は後、数話で終わるはず……多分