テイルズオブジアビス ~聖なる焔と狂える炎~   作:くろめがね

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第二話 宿命

 

 

 

声が聞こえた気がした。あの時、かすかに、でも確かに。

ローレライの意志よ、響け。そんなことを言っていた。

でも、その声の向こう側に、なにか灼けるような痛みを感じたのは……これは気のせいだったかもしれない。

 

その絶望も、その絶叫も、その苦悩も、その苦痛も、その悲愴も、その悲嘆も、その号哭も、その慟哭も、その憤怒も、その憤慨も、憎悪も、嫌悪も、復讐も、狂気も。

それらを俺はまだ知らない。

 

――知らないのに知っている。それを自分が知らないということを知っている。

 

復讐に燃え。身を焦がし。その末に、その存在の全てを灰塵に帰す覚悟を決めた、その男。

そいつを俺は知っていた。

 

――知っていたのに知らなかった。そいつを知っているということを知らなかった。

 

まるで言葉遊び。自分でさえも理解できない。

それでもそれこそが真実で、だから俺は結局、何も知らないのだ。

そうして、自分が何も知らなかったことを理解し、絶望、絶叫、苦悩、苦痛、悲愴、悲嘆、号哭、慟哭、憤怒、憤慨、憎悪、復讐、狂気、知らずに知っていたそれらを、本当の意味で知るのは。

復讐に燃え、身を焦がし、その存在を灰塵に帰そうとする、知っていたはずのその男のことを思い知るのは。

それがもう少し先のことであると、俺は知らなかった。

そのことを俺は知っていた。

本当に知りたくなかった、けれど知ってしまっていた、どうしようもなく知らないことだった。

 

     ◇◇◇

 

「…………ん……」

 

なにかに頬を撫でられるような感覚を覚え、ルークの意識はゆっくりと浮上した。

 

「ぐっ…………ぅあっ……」

 

 覚醒の直後、そんなうめき声が漏れる。ルークの記憶にある限りで、ダントツに最悪の目覚めだった。

 それは今まで寝ていた場所のせいかもしれないし、あるいはこんなところで寝ることになってしまった原因のせいかもしれない。

 だがきっと、目覚める直前に、夢の中で繰り広げていた自問自答のせいでもあるのだろうなと、ルークは思う。もっとも、自問自答していたことは覚えていても、その内容に関しては全くさっぱり思い出せないのだが。

 

「…………いや、そんなことより」

 

 やはり寝起き。思考が少し鈍化しているらしい。今この状況下で、こんな呑気に構えていて良いはずがないのだ。

 

「一体……何が起こったんだ……?」

 

 誰にともなく呟いて、ルークは横向けに転がっていた自分の上体を起こす。記憶にある限りでは、自分は屋敷の中庭での訓練中に何者かに襲われ、そしてその末に謎のエネルギーの奔流に飲まれたはずだ。果たしてそれがその後どうなったのか。

まるで混乱することなく、これ程に記憶をはっきりとさせている自分は、思っていた以上に結構な人間かもしれないなと、そう思いながらルークは周囲に目を向けて、そして仰天した。

 

「どうなって、やがる」

 

 目に映った風景は、見飽きた己の屋敷など見る影もない、圧倒的なまでの自然の風景だった。

 真っ先に目に映ったのは、一面に咲き誇る白い花。月明かりに照らされて輝くその様は神秘的に過ぎて、いっそ現実ではないのではないかと疑わせる。

 しかしそんな神秘的な空間は、ルークのいる場所から半径100メートル程度の狭い範囲内のものでしかなく、その先へと目を向ければ、おどろおどろしいまでの現実感を叩きつけられる。

 ルークの前方100メートルの先には鬱蒼とした森が広がっており、後方100mには切り立った崖があり、その先には暗い海が見える。

 まさしく闇に支配されている。前後どちらを見ても暗い暗い闇が広がる様を見て、ルークはゾクリと、軽い原初的な恐怖を覚えた。

 

「…………くそっ、……無様だな」

 

 この程度で恐怖を覚えた自分が悔しくて、ルークは吐き捨てる。

 

「しかし、本当に何が起こったんだ?」

 

 謎のエネルギーに飲まれ、そして自分は気を失ったのだろう。まだまだ明るかったはずの空が、今では月の輝く宵闇へと変わっているのも、自分がそれだけの時間、気を失っていたからなのだろうと簡単に推測できる。

 しかし、この場所はなんだ。何がどうなって、自分はこんな場所にいる。

 エネルギーの奔流に飲まれたことと、今自分がこんな何処かも分からないような場所に居ることがどう繋がる。

 考え込むルークだったが、やがて――そういえば――と思い出す。

 

「……超振動……とか言ってたな……」

 

 ルークと襲撃者の少女が謎のエネルギーの中に飲まれたとき、襲撃者の少女は『超振動』と言っていた。

 

「超振動って……第七音素の相互干渉で発生する……分解と再構築の力……だったか?」

 

 随分と曖昧な記憶だが、なんとか掘り起こすことに成功する。昔は勤勉だったが、なにぶんここ数年は完全にやさぐれていたのだ。知識が衰えているのも無理はないのだ。

 しかし超振動か――とルークは考える。

 超振動という現象は、はっきり言って未解明な部分が多い。この世界を構成する第一から第七までの音素の内、第七音素同士が干渉し合うことによって発生する超常現象で、それを人為的に引き起こすことはほぼ不可能とされている…………はずなのだが。

 

「あの時のエネルギーの正体は超振動だったってこと……なのか……?」

 

 確かに超振動と言われて納得出来るくらいに凄まじい力だった。しかしだからといって、研究者がどれほど苦労しても発生させられない超振動を、ただの偶然で発生させてしまってもいいのだろうか。

 

「……しかし超振動か。……とりあえず、あのエネルギーは超振動だったってことにして、その超振動の未解明の部分が、俺をこんな場所まで連れてきたと、そう納得しておくことにするか」

 

 と、そんな結論をつけたところで、ルークは急激に大切なことを思い出した。

 

「…………超……振動」

 

そう。超振動。それは謎の襲撃者の少女から発せられた言葉だ。自分と一緒に超振動(仮定)に飲まれた少女の言葉だ。

――――その少女はどこにいる?

――――自分と一緒にここに来ている可能性はないか?

 

「ま、まさか」

 

 いや。一度周囲を見回したとき、あの少女の姿はなかったはずだ。だから大丈夫なはず。

 ルークは自分にそう言い聞かせながら、立ち上がろうして一旦後ろに手を伸ばす。

 ぐに――と、伸ばした手が、なにか柔らかいものに触れた。

 

「…………は?」

 

 手に触れた『何か』は、どこか温かかった。

 

「……………………あっはっはっは…………………」

 

 恐る恐る振り返る。そういえばさっき周りを見回したとき、自分の真後ろの真下は見なかったよなぁと、そんなことを思っていた。

 

「……………………………………………………」

 

 気を失ったままの少女が、安らかな寝息を立ててそこにいた。

 ルークの手は、そんな彼女の腕に触れていた。

 

「――っ!?」

 

 ルークは慌てて立ち上がり、そして少女から距離を取る。

 今は気を失っているが、この少女はいきなりルークの暮らす屋敷に襲撃をかけてきた女なのだ。警戒するのも当然。

 

「…………この女を置いて、さっさとどこか別の場所に行くか」

 

 ルークの決断は早かった。しかし残念ながらルークにはその選択肢を取ることができないのだった。

 別の場所もなにも、そもそも自分が今どこにいるのかすら分からない。

 当てずっぽうに進むにしても、行き先は先ほど見た暗い森以外ない。

 夜の森の恐ろしさなど、誰に言われるまでもなく知っている。足場は悪く、魔物も凶暴化しているというのに、そんな場所に進んで踏み入るなど愚かに過ぎる。

 そしてなにより――

 

「所持品…………木刀……だけ……だと……」

 

 剣術の訓練中にこんな事になったのだから、それも当然と言える。むしろ木刀を手放さずに持っていたことの方が驚きだ。

 しかし、木刀一本で何ができるというのか。

 七年間屋敷に軟禁されてきた自分が、木刀一本持たされて、こんなサバイバルな状況下に追いやられ、一体何ができるというのだろうか。魔物がでたら木刀で戦えと?腹が減ったら木刀をかじれと?眠くなったら木刀でも抱いて寝るか?進むべき道を見失ったら木刀を倒して進行方向を決めるのか?

 

「……………………」

 

 ルークは森に進もうとしていた足を一歩も動かせず、少女と一定の距離を保ったままドカリと腰を下ろした。

 幸い、何故かわからないが、この花畑に魔物は近寄らないようだ。

 ならばここで夜が明けるのを待つしかないだろう。

 その間に目覚めてしまうであろう少女が、その時どういう行動に出るかは分からない。

 しかしルークは当然、彼女を拘束するためのものなど持っていないのだから、どうしようもない。

 

「…………」

 

 なんとなしに眺めてみた襲撃者の少女は。月明かりに照らされて、幻想的な花に包まれて。

 ルークの目にはとても儚く、少し美しく映った。

 

「……とても公爵家の屋敷を襲撃するような奴には見えないな」

 

 襲撃者ではなく眠り姫なのだと、そう言われた方が納得できるなとルークは考えて、直後そんなロマンチックなことを考えてしまった自分を自嘲する。

 そしてその時。バサリと森が大きく波打った。

 

     ◆◆◆

 

 本来であれば。

 本来であれば、リアが『彼』と出会えるのはまだ先の事のはずだった。どれほど『彼』に会いたいと望んでも、それは許されなかった。

 時期を待て――と、その言葉に従ってきた。従わざるを得なかった。

――だが。

 

「ハッ。ハハッ。こんなチャンスが来るとはなぁ!笑ってやるよ、ヴァンデスデルカぁっ」

 

 リアは鳥型の魔獣の背に乗りながら、叫ぶ。

 

「今なら間に合う!今ならまだ本気でやれる!今だからこそ本気でアイツに教えてやれる!」

 

 焦げ付くほどに押さえ込まれた感情を、一気に開放するかの如く、大声で叫ぶ。

 

「だから…………だからっ…………!!」

 

 リアの乗る鳥型の魔獣は、リアをある場所へと一直線に運んでいた。

 夜の冷たい空気を切り裂いて。ただただ愚直に真っ直ぐに。

 その速度は凄まじく、景色は一瞬にして流れゆく。一般人が乗ろうものなら、すぐさま風圧で吹き飛ばされるであろう。もしくは軍人が乗って、万一その風圧に耐えられたとしても、すぐさま風に体温を奪われて意志を折られるに違いない。

 それでもリアはそれを平然とこなし、なおかつもっと速くと魔獣を急かす。

 もう既に数時間。一時も休むことなく、そうやってここまで来たのだ。

 

「目的地はすぐそこだ。頼むぞ」

 

 人間の言葉など通じるわけもない魔獣に話しかけ、そしてリアは眼前にある『その場所』を睨みつける。

 山に囲まれた小さな渓谷のその一箇所。月明かりを反射する白い花々に覆われた、幻想的なその空間。

 リアは魔獣とともにその場所へと突っ込み、そして地面スレスレの位置まで降下したところで魔獣の背を蹴った。

 

 

 

 それはルークが白い花畑で目を覚ます数時間前。そして、キムラスカ王国首都バチカルのファブレ公爵家において、謎の超エネルギーが観測されてから僅か数瞬後の事だった。

 

「――っ!?」

 

 リアは突如として襲って来た強烈な衝動に歩いていた足を止めた。

 リアはその時。マルクト帝国の軍に誘拐されたという、導師イオンの捜索の任についていた。

 導師イオンがマルクト軍に誘拐された直後、宗教自治区ダアトのローレライ教団本部、その中のオラクル騎士団主席総長ヴァン・グランツ謡将の執務室にて行われた会合で、リアは導師イオンの捜索を命じられたのだ。

 

「…………おい不良品。何をしている」

 

 ――リグレットとともに。

 突如として歩みを止めたリアを見て、あからさまに不機嫌そうな顔をするリグレット。その姿を見て、その場にいたローレライ教団の兵達は思う。なぜこの二人が一緒に行動することになってしまったのかと。

 そもそも。ヴァン謡将の執務室で行われた会合の参加者七人は、一人の例外を除いて、それぞれがオラクル騎士団の一個師団を率いる者達だ。

 オラクル騎士団総出で当たらなければいけないほどの、導師イオン誘拐という事件。それに際して騎士団の幹部である師団長が集まって対策と今後の方針を話し合うのは、効率的というよりはもはや、当然というべき対処である。

 さて。そうして六人の師団長が、それぞれの師団の運用を決定し、互いの連携について話を終えた時、問題となるのが、その場にいるただ一人の例外――つまりリアである。

 このリアという男。恐るべきことにオラクル騎士団に所属しながらオラクル騎士団における肩書きなど、何も持っていない。そもそも入団したばかりの新兵ですら、訓練兵などといった肩書きを与えられるというのに、リアにはそれが何もないのだ。

 それが意味するのは、リアがオラクル騎士団という大組織の中で唯一、例外的に独立した個人であるということだ。同期も、上司も、部下もいない。傍から見ればとんだはぐれものだが、本人に言わせれば、同期は無意味で、上司は無価値、そして自分に部下などつけるのは無情だということだ。

 さて、そんな、あえて言うのであれば「ぼっち」であるリアが、導師イオンの捜索という人探しの任に向かないのは自明の理である。

 人探しの効率的手段が、大人数による虱潰しの物量戦であるのなら、ぼっちであるリアにその方法は不可能。

 聞き込みによる搜索も有効だが、しかしぼっちであるルークに、俗に言うコミュ力などというものは存在しない。

 となれば、今回の導師イオンの捜索はさせないでおこうと、そうなるのが普通なのだが、しかしこのリアという男の特異性がそれを許さない。

 この男を一人ダアトに残すということは、ダアトに巨大な爆弾を残して行くことと同義なのである。そんなことを六人の師団長が認めるわけもない。

 そんなわけで、リアはどこかの師団の中に一時的に組み込まれて導師イオンの捜索に加わることになった。

 組み込まれた先がリグレットの師団だった理由は、六人の師団長による熾烈な争い――じゃんけんの結果である。

 ちなみに、言うまでもないかもしれないが、リアは勝者に贈られる景品ではなく、敗者に押し付けられる罰ゲームだ。

 コメディさながらに一発負けの一人負けを喫したリグレットに、他の面々は温かい眼差しを向けながらリア(罰ゲーム)を押し付けた。

 そうして今、立ち止まるリアと、それをあからさまに不機嫌な顔で睨みつけるリグレットという構図が出来上がったのである。

 

「…………なん……だ…?」

 

 呆然と立ち尽くしたままリアが呟く。

 今、なにか、感じた気がしたのだ。

 一瞬、焼け付くような頭痛を感じたと思ったら、ひどくノイズのはいった声と、若い男女の悲鳴が聞こえた気がしたのだ。

 

「…………今のは……まさか……」

 

 そこまで呟いて、そしてリアの口元が歪む。

 

「おい、何をぶつぶつ言っている」

 

 苛立ちを隠さないリグレットの言葉を聞いて、リアは彼女に笑顔を向けた。

 

「なぁ、リグレット。俺らの大切な鍵に、なんかあったみたいだぜ?」

 

 瞬間、リグレットの表情がこわばった。

そして先ほどとは打って変わった冷静な声で「根拠は」と問いかけた。

 

「根拠なんてないさ。強いて言うのであれば俺がそう直感した。それだけだ」

「…………ふん。世迷言だな」

 

 僅かな逡巡の後、そう言って、リアの言葉を切って捨てようとしたリグレットだったが、しかし直後にリグレットは目を見開くことになった。

 

「なんだ!?」

 

 強烈なまでの、第七音素の波動を感知したのだ。

 自分の背後の、遥かな遠くから、それでもこれほどに強烈に感じられる第七音素。

 これはただ事ではないと理解したリグレット。すぐさま、先のリアの言葉も念頭に入れて行動の指針を考えなければと、リグレットがそう考えたその瞬間だった。

 バサリと、彼女の頭上を黒い影が通り過ぎていった。

 気づけばリアが、偵察用に各師団に与えられている鳥型の魔物の背に乗って、呑気に手を振っていた。

 

「おい、仕方ないから俺がちょっと偵察してきてやるよ」

 

 と、そんな言葉を頭上から聞く。

 

「ふざけるなっ、降りてこいっ」

 

 怒声とともにリグレットは己の武器である拳銃を抜く。そしてそのまま何発もの銃弾を打ち込むが、しかしそれが無駄に終わることを誰よりもリグレット自身が理解していた。

 ――キキキキン――と高く澄んだ音が響く。それはリグレットの打ち込んだ銃弾が一発残らずリアに弾き返された音だ。

 

「おー、怖い怖い。それじゃあな。大人しく待ってろよ」

 

 ニヤニヤと口元を歪ませながら、そう言って、リアは鳥型の魔物の背に乗って飛び立っていく。

 先ほど、リグレットが感知した、第七音素の波動があったその方向へ。

 

「くそっ」

 

 リグレットが悪態をつく 

偵察用の魔物はもう一体残っているのだが、しかしそれで追いかけたからといって、自分ではリアを止められないことを分かっている。

しかし……。

 

「だからといって追わない訳にはいかないだろう」

 

 そう呟いて、リグレットは残っている鳥型の魔物のもとへ歩く。

 このまま放置したら、自分の――あるいは自分の愛する男の悲願が叶わなくなってしなうかもしれない。

 そしてそこで気づく。

 自分が使おうとしていた鳥型の魔物の羽が、鋭く切り裂かれていた。

 

「…………やってくれるっ……」

 

 殺意のこもった怜悧な声が響く。

 

 

 

 そしてこの数時間後、リアは白い花畑へと降り立ち、『彼ら』は宿命の出会いを果たすのだ。

 

     ◇◇◇

 

 森がバサリと波打った。

 ルークはその現象に、さしたる意味を見出さなかったが、しかし熟練の軍人であれば、その異常に気がついたことだろう。今夜は木々が大きく揺れるほどの風など吹いていないのだ。

 だから、ルークがその異常に気づいたのは、森が波打った数瞬後のことだった。

 スタっと、なにか着地音のような音が聞こえた。次いで、ザッザッと、何かがこちらに歩いてくるような音が聞こえてきた。

 魔物が近づいてきたかと体を強ばらせたルークだったが、近づいてきたのが人の形をしているのを確認して安心し、しかし直後にまた体を強ばらせた。

 近づいてきたその「人型」が明らかに尋常ではないのだ。

 

「…………っ…な、何者だっ!?」

 

 ルークはどうにか声を搾り出す。

 しかしその「人型」は何も答えない。

 ザッザッとゆっくりと、しかし着実にルークとの距離を詰めてくる。

 身長は自分と同じくらい。顔はフードに隠れてよく見えないが、はっきりと見えるその口元は、露悪に歪んでいる。

 

「………何者だっ!?」

 

 思わず一歩後ずさりながら、ルークは叫ぶように問いかける。

 そしてそんなルークの問いに答えようという気になったのか、その「人型」はそこで歩みを止めた。

 

「……俺が何者かって?」

 

 人型が声を発する。その声から、ルークはこの人型は男だと判断し、しかしその声が何故だかひどく痛々しく感じられて、恐ろしく肝が冷えるのを感じた。

 

「それは、お前が知っているだろう。なぁ、ルーク・フォン・ファブレ」

 

 淡々としたその声に、ズキリとルークの頭が痛んだ。

 俺はこの謎の男を知らない。なのに俺は「こいつ」を知っている。

 矛盾する思考が頭を圧迫する。

 

「なぁ、ルーク。俺はずっと…………ずっとずっとずっとずっと!…………ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっっっっっっっとっ!!!お前に会える日を待ち焦がれてたんだぜ?」

 

 一言目とは打って変わって、心底嬉しそうにそう語る男にルークは言いようのない嫌悪感を覚えた。

 なぜだか、この男だけは認めてはならないと、頭の奥のほうがガンガンと訴えかけていた。

 

「…………なんなんだよぉっ!?お前はぁっ!!!」

 

 再三、問いかける。

 そんなルークの問いかけに、その人型は薄く笑った。

 

「…………本当は知ってるくせに」

 

 ズキリと。ルークは先程から感じている頭痛がひどくなったのを感じた。

 ――そして。

 

「思い出させてやるよ。お前が知ってる真実を。お前が目を背けてる真実を。俺が思い出させてやるよ」

 

 そして露悪な笑みを浮かべたまま、その人型は言う。

 

「――思い知らせてやるよ」

 

 瞬間、ルークの頭痛がさらにひどくなった。もはや目眩すら感じる程だ。立っているのすら辛い。

 しかしこの男の前では、こいつの前でだけは、絶対に無様を晒したくないと、そんな自分でも理解できない意地がルークを立たせていた。

 その時だった。ルークの背後で、ガサリと物音がした。

 ――最悪だっ。

 ルークは胸中で呻く。

 前方には得体のしれない謎の男がいるのに、今背後で己の住む屋敷を襲撃した少女が目を覚ましたらしい。

 

「…………な…にが……、…………えっ!?」

 

 明らかに混乱の色が伺える声色。それもそうだろう。目を覚ましてみれば得体のしれない土地で、ルークと得体のしれない誰かが向かい合っているのだから。

 しかし流石ファブレ公爵家に単身乗り込んできた女というべきか、すぐに尋常ならざる気配だけは感じ取ったらしく、背後で少女が臨戦態勢をとったのをルークは感じ取った。

 そこでルークは判断に迷う。

 正面の男から目を離したくない。しかし、得体のしれなさで言えば、たった今背後で臨戦態勢をとった少女も同様なのだ。

 このまま正面だけを見ていれば、後ろから刺されるかもしれない。後ろを振り向けば、正面の男が黙ってないだろう。

さて、どうする。

 僅かな逡巡の後、ルークは決断する。

 まずは背後の安全を確認してからだ。正面の人型とは、まだ十分に距離がある。一瞬目を離しても問題ないだろう。

 そう考えて、ルークは僅かに首を動かす。

 それがどれほど甘い考え方であるのか理解せず、どれほど軽率だったのか理解せず、自分が今まで生きてきた世界の狭さを理解できないまま、ルークは首を動かした。

 ――その瞬間だった。

 正面の男の像が、視界の端で僅かにぶれたと思ったら、次の瞬間ルークの目の前で剣を振り上げていた。

 十分に空いていると思った距離は、一瞬にして超えられた。

 後は、振り上げられた剣が自分の身を切り裂くのを待つだけだ。

 まさしく絶体絶命。このままではどうあっても避けられない。

そして、そんな命の瀬戸際にあったからなのだろう。

ルークの頭はその思考速度を大幅に加速させ、ルークの世界は遅延した。

 振り下ろされる剣がやけに遅く見える。遅く見えるのに、自分の体はまるで動こうとしない。

 ――――俺、ここで死ぬのか――――

 そんな考えがルークの頭をよぎる。

 ――――まだやり残したことがある――――

 思考はさらに加速する。

 ――――まだやりたいこともある――――

 世界がどんどん遅くなる。

 ――――まだ死ぬわけには行かないんだ――――

 体に活力がみなぎる。

 ――――だから動けよっ!?まだ諦めるにははやいだろっ!?――――

 シュッと風切り音を立てて、ルークをかすめるようにナイフが飛ぶ。

 ――――まだ生きてるっ。まだ動けるっ。まだ生きられるっ――――

 ナイフを避けようとして、人型の剣筋が僅かにぶれる。

 ――――動け動け動け動け動けっ――――

 ダッと、ルークの足が地を蹴った。

 僅かにぶれた剣筋から逃れるように左側へと転がるように飛び込んだ。

 スローになっていた世界が元に戻り、高鳴る心臓の音を聞きながらルークは受身をとって立ち上がる。

 自分と謎の男の距離は現在3メートルほど。先ほどの男の動きを考えれば、もはや無いと言ってしまってもいいような距離だ。

 だから少しでも距離を取ろうとルークはバックステップを踏む。

 そして男がそれを追おうと足を一歩踏み出そうとしたその時だった。

森に――パンパン――と、乾いた発砲音が響いた。

 

「…………今度はなんだよ…………」

 

 呻くようにルークは呟く。

 先程から理解の及ばないことの連続で、流石にもう頭がどうにかなりそうだった。

 しかし、謎の男もまた、その銃声に忌々しげに舌打ちをしていた。

 男の足元で銃痕から細く煙が上がっていた。

 

「なんだ、リグレット。追って来れないようにしたつもりだったんだけどな」

 

 謎の男がつまらなそうに呟いた。

 その言葉に答えるように、またしても新たな人影がルークの前に現れた。

 鮮やかな金髪を後ろで束ねた、姿勢のいい美しい女性だった。

 そんな女性が上から降ってきて、ルークと謎の男の間のあまり広いとは言えない空間にきれいに着地する。

そして謎の男に向かって銃口を突き付けていた。

 

「はぁ!?……どうやって上から……!?」

 

 思わずそんな声が出てしまったが、しかしそんなルークの疑問に答えてくれる人間はこの場には一人もいなかった。

 

「ふん、貴様は妙な所で甘い。どうせやるなら魔獣を殺しておけばよかったんだ。翼が裂けた程度なら、セブンスフォニマーがいればすぐに回復できる」

 

 新たに現れた――リグレットと呼ばれた人物が謎の男に向けて吐き捨てるようにそう言った。

 怜悧で鋭利で厳格でしかしどこか差別的な声だった。

 

「あーあ。そりゃ、考えが及ばなかったな。しくじった」

 

 そんな、さして残念でもなさそうに呟かれたその言葉にリグレットと呼ばれた女性は軽く鼻を鳴らす。

 そして視線を一瞬、ルークの背後へと向ける。

 

「そこにいるのはティアだな」

 

 知り合いかよ!?とルークは内心で毒づいた。

 もはや、誰が何を目的としているのか分からない。自分がどうすべきか判断がつかなくなってきた。

 

「きょ……教官がなぜここに……」

 

 ルークの背後の少女はどこか呆然としたように答えた。

 その様子を感じ取って、はて?とルークは再度考える。

 背後の少女――ティアと呼ばれていたか――と金髪のリグレットなる女性は、知り合いではあるものの、示し合わせてここに現れた訳ではないらしい。

 というより、そもそも自分と背後のティアなる少女は、超振動などという未知の力のもとにここまでやってきたのだ。

 なればこそ、ここに示し合わせて集合することなど不可能というものだ。

 そして、さらに考えてみれば、このティアなる少女とリグレットなる女性は、今、確かにルークの命を守っているともいえる。

 明らかにルークを殺しにかかっていた謎の男の襲撃にたいして、ティアなる少女は先ほどナイフを投げて援護してくれたように思えるし、リグレットなる女性は今まさに謎の男の行動を封じてくれている。

 ――この二人は敵ではないかもしれない。そんな結論をルークが出したとき、リグレットなる女性がまたしても口を開いた。

 

「今は説明をしている場合ではない。ティア。ファブレ家の長男を連れて、即刻ここから退避しろ」

 

 有無を言わさない、強い迫力があった。

 だからだろう。ルークの背後でティアなる少女が、しばしの沈黙の後で小さく「……はい」と返事をした。

 だがしかし。ルークにとってはこれは問題だ。

 ――え、なんでこのリグレットって人は俺のことを知ってんだ?

 ――え、俺はこのティアって娘と一緒に逃げる感じ?俺の中でこの娘もまだ不審者なんだけど。

 ――え、ていうか夜中に動きたくないからここに留まってたのに、結局動かなきゃなんねーのかよ。いや、まあそりゃここにいるよりはマシだけど。

 そんな思考がルークの頭を埋め尽くしたその時。後ろで少女の走り出す音が聞こえて、あ、と思った時にはルークは少女に手を引かれて走り出していた。

 

「お、おいっ」

 

 そんな間の抜けた叫びを発しながらルークは走る。

 美しい花畑の中にある、ひどく辛い絶望から逃れるように。ルークは走り出していた。

 走りながらルークは思う。

 ――こいつ……敵じゃねぇのか……。

 自分の手を引いて、前を走るその少女。

 ――ティア……か。

 彼女の手は柔らかくひんやりとして、触れた手がどこか心地よかった。

 

 

 

 

     ◆◆◆

 

 

 

 

「さて。どういうつもりだ」

 

 ファブレ家の長男――ルークとティアを見送った後、リグレットは銃を突きつけたまま静かに眼前の男――リアへと問いかけた。

 それに対してリアは薄い笑みを浮かべた。つまらなそうな笑みだった。

 

「ん?それは何に対して言ってる?」

 

 そんなふざけた様な言葉に、しかしリグレットは言葉に詰まった。

 何に対して。強いて言うなら、全てに対してだった。

 リアの今回の行動は、最初から最後まで釈然としない部分が多すぎた。

 突如として裏切りに近い行為を働いて、この場所――タタル渓谷まで来た事。

 殺さなければリグレットに後を追われると、確実に分かっていたくせに、それでも鳥型の魔獣を殺さなかったこと。

 このタイミングで、ルーク・フォン・ファブレに危害を加えようとしたこと。

 その割に、恐らく意図的にルークを殺さないようにしていたこと。

 そして何より、今この瞬間だ。これはリグレットにとっては悔しいことだが、やろうと思えば確実にできるはずなのに、リグレットを振り切ってでもルーク達を追おうなどとはしないこと。

 一体何を考えているのか、リグレットにはさっぱり分からなかった。

 だからリグレットは、なにも言えない。

 しかしそれでも――

 

「なぜ魔獣を殺さなかった」

 

 ――かろうじて口から出たその質問に、リグレット自身辟易してしまった。

 一体なぜ、こんなつまらない質問をしてしまったのかと歯噛みする。

 

「……アリエッタがさ、泣いちゃうだろ?」

 

 一瞬の間をおいて、リアはそう言った。

 嘘だな。とリグレットは思った。

そんな台詞を、そんな面白くなさそうに言えるものか。と、そう思った。

 しかしその言葉は胸の内に秘めることにする。

 きっと、追及しても何も出てこない。何を聞いたとしても、リアは全てはぐらかすつもりだろう。

 リグレットは突き付けていた銃を降ろし、そしてリアに背を向ける。

 

「帰るぞ。貴様の勝手な行動は、後で閣下に報告しておく。今はおとなしく私の指示に従え」

 

 顔を見もせずにリグレットは告げる。

 背後から、「はいよ」とやる気のない声が聞こえた。

 本当に何を考えているのか分からない。

 今だって、リグレットの指示に従わずにルークを追うこともできるはずなのに。

 

「くそ」

 

 自分でもおかしいと思えるほどにイライラしているのが分かる。

 その理由を詳しく考えることもせず、リグレットは吐き捨てた。

 

「不良品が」

 

 その声に背後のリアがわずかに身を揺らした――そんな気配を――感じた様な気がした。

 それを確かめようと、一瞬振り返りそうになる。

 ――しかし。

 

「…………気のせいだ」

 

 誰にも聞こえに程の小さな声でリグレットは呟いて、そして後ろには目も向けずに、空を舞う魔獣を呼び寄せた。

 

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