テイルズオブジアビス ~聖なる焔と狂える炎~ 作:くろめがね
取りあえずの策として、エンゲーブの宿にしばらく泊まることにしたルークとティア。
しかし、どうしようもない金不足の解消手段を求めて、ティアは宿の外へと情報収集に出ることにした。
なぜ、ルークと一緒に行かないかといえば、ルークはその緋色の長髪があまりにも悪目立ちするからである。
キムラスカ王家に連なるものが緋色の髪を持つというのはあまりにも有名な話である。稀にキムラスカ王家とは関係なく緋色の髪を持つものもいるのだが、彼らは総じて髪を伸ばすことをしない。緋色の長髪は、必ずと言っていいほど厄介ごとの種になるからだ。
そんなわけで、今回も確実に厄介ごとの種になるであろうルークは大人しく宿でお留守番ということになったのである。
さて。一人で情報収集にでたティアだったが、実は彼女は割と世間に疎い。
見るものすべてが目新しく、まるで観光でもしているようにキョロキョロとあたりを見回していた。
エンゲーブは別名、食料の町と呼ばれていて、あたりを見渡せば畑や家畜が目に入る。逆に言えば、畑や家畜以外には何も見るものはなく、実際、観光するものなど何もない。
そんな中、ティアはふらふらと歩きながら、家畜を眺めたり家畜を眺めたり家畜を眺めたりしていた。
要するに家畜しか眺めていない。
かわいい――などと思っているのだが、しかしどの家畜がどのように可愛いかなど、何の役にも立たない情報である。
ルークが隣にいたら、呆れ果てていただろう。
よくこんな女がキムラスカの貴族家に襲撃を仕掛けたものだと感心したかもしれない。
だがまぁ。そんな彼女ではあったが、一応自分の仕事を忘れていたわけではなかったようで、家畜を眺める傍ら、近くにいたエンゲーブの住民の噂話に耳を傾けていた。
――最近の食料泥棒。一体犯人はどんな野郎なんだかな。
――ああ、あれな。犯人分かったらしいぞ?
それを聞いて、ティアは少し表情を輝かせた。
エンゲーブに食料泥棒がいるらしい。そしてその犯人も分かっているらしい。それなら、その泥棒を捕まえればいくらかの謝礼を貰えるかもしれない。
そんな打算的な考えが浮かんだのだが、しかしその考えは直後に裏切られた。
住民たちの噂話は意外な方向へと展開したからだ。
――あれな、どうも北の森にすむチーグルって魔物の仕業だったらしいんだ。
――は?魔物?
――ああ。それもな。どうもチーグルってのは本来人に害をなす魔物じゃないんだっとよ。
――はぁ。じゃ、なんでまた、そんな魔物が食料泥棒なんて。
――いや、そりゃ分らんが。
――まぁ、でも実際俺たちは被害を受けてるんだから、軍に要請すれば退治してくれるんじゃないか?ほら、今ちょうど軍人さんも来てるだろ?
――いや、それがな。チーグルって魔物はローレライ教の聖獣らしくってな。迂闊には手を出せねぇんだって。
――はぁ。なんだそれ。
――いや、だってよ。聖獣なんかに手を出したらユリア様に怒られる。
――まぁ……そうだが……だからってなぁ……。
――まぁ……そうなんだがなぁ……。
と、ここまで聞いて、ティアは軽いため息とともに場所を移動することにした。
泥棒が聖獣だというのなら、もはや捕まえて謝礼金をという話ではない。もっと他にお金を稼ぐ手段を考えたほうが建設的だろう。
それと一つ有意義な情報を手に入れた。
どうも今、エンゲーブに軍人が来ているらしい。これは、ますますルークを宿の外に出すわけにはいかなくなった。
「それにしても、チーグルかぁ……」
ポツリとつぶやく。
チーグルがローレライ教における聖獣だということはティアも知っていた。
実物を見たことはないのだが、何度かその絵を見たことがある。
その絵を思い浮かべてティアは頬を緩ませる。
「かわいいんだろうなぁ」
斜め上の方を見ながら幸せそうな表情を浮かべるティアだが、直後、彼女は別の場所へと視線を向けた。
「あ、あの子……かわいい」
ティアの視線の先にいるのは小さなブウサギ。食用家畜であるブウサギの子供である。
目をキラキラさせながらそちらの方向へと駆け寄るティア。
ルークはともかくとして、彼女はこの先に続く予定のエンゲーブ滞在に全く退屈しなさそうである。
一方その頃、ルークはと言えば。
「…………暇だ」
ぐでーとベッドに伸びて、そんなことを呟いていた。
◆◆◆
リアが裏切りに近い暴走をしたその翌日の明け方。リアとリグレットは無事にオラクル騎士団の野営地へとたどり着いていた。
そして明け方だというのに即座に叩き起こされるオラクル騎士団の兵たち。
リアの予想通り、リグレットは帰還後すぐに行軍を開始することを決めたようだった。
「お前のせいで行程に遅れが生じたからな」
そんな嫌味も忘れない。
あらゆる意味で、流石のリグレットである。
そんな中で、リアはリグレットから先行してエンゲーブまで行って来いと命令された。
これにはリアも相当驚いた。
――え?このタイミングで俺を単独行動させていいの?
そういうことである。
たったの数時間前に、リグレットの意思に反して単独行動をしたリアを、なぜもう今度は許可を出して単独行動させるのか。
だが、その真意は分からなくとも、リアにとってみれば喜ばしいことこの上ない提案だった。
もともと団体行動が苦手なリアである。単独行動を命じられたら、たとえそれがどれほど危険な任務だったとしても喜々としてそちらに向かう。
だからリアは一も二もなくその提案に飛びついて、直前までお世話になっていた偵察用の魔物の背に再度飛び乗った。
そろそろ魔物から、過酷な労働環境へ対するクレームが来てもおかしくない。
「それじゃ、行ってくるなー」
明るい声でそう言って、リアはエンゲーブへと文字通り飛んでいくのだった。
ちなみに、リアに単独行動を許したリグレットの真意だが、単純に厄介払いである。
リアが狙ったルークは、普通に考えてタタル渓谷からケセドニアへと向かったと思われる。そしてリアが飛び乗った魔獣には、リグレット不在の間に合流していたアリエッタという少女によって『絶対にエンゲーブ以外の場所に向かってはならない』と命令を刷り込まれていた。
こうすることでリグレットにとって鬱陶しいことこの上ないリアを、さっさとエンゲーブへと送り込んでしまおうと考えたわけだ。こうすることでケセドニアから距離を取らせることもできるというおまけつきだ。
これならリアも暴走することはあるまいと、リグレットはそうタカをくくったのだった。
さて。意気揚々とエンゲーブへと出発したリアであるが、途中で数時間のお昼寝タイムをとった後、特に何事もなくエンゲーブへと辿りついていた。
ちなみに任務中の昼寝。これは本来厳罰ものだが、そんなことを気にするようなリアではない。
エンゲーブへと到着したリアは、とりあえず何か食べようと、ステップでも踏みそうな勢いで食事処へと足を向ける。
そしてそこでブウサギのソテーを楽しみながら周囲のエンゲーブ住民の話を聞く。するとどうやらエンゲーブに食料泥棒が現れたらしいという情報を手に入れてしまった。
――情報収集しちゃってるけど、働く気はないんだけどなぁ……と、そんなことを考えながらも住民たちの話を聞いていると、どうやら犯人は魔物チーグルであるらしく、そしてチーグルが犯人だと突き止めたのは、緑色の髪をした少年だったらしい。
「は?」
思わず声が出た。
その特徴。まさしく現在オラクル騎士団が血眼になって探している導師イオンの特徴と丸かぶりだ。
「まじかよ……」
――自他ともに認めるほどに、人探しに不適格な人間である自分が、まさか一番最初に導師イオンを見つけちゃうのか?と、そんなことを考えながら、リアはレストランを立つ。
犯人を突き止めたという緑髪の少年の情報を求めてエンゲーブを彷徨ったところ、その少年と思われる男の子が、少し前にフラフラ~と一人でエンゲーブの外に出て行ったのが目撃されていた。
方角的にはエンゲーブの北方向。チーグルの住処があるという北の森の方へと向かったようだった。
ちなみにこれは聞き込みによって得た情報ではない。全てエンゲーブの住民の噂話から得たものだ。
そんな回りくどいことをした理由は単純。リアが他人に話しかけることを躊躇ったからである。というか、面倒くさかったからである。彼は自他ともに認めるコミュ障なのだ。
ついでに言えば、フードを目深にかぶった、見るからに不審な男であるリアのそばに、エンゲーブの住民が近づこうとしなかったというのも、その理由の一因になっているだろう。
さて、そんなこんなで、仕事のやる気はなくとも一応確認のため、だらだらとエンゲーブの北の森、通称チーグルの森へと移動したリアだったが、森に踏み入ってすぐ、彼は呆れとともに小さなため息をつくことになった。
リアの視線の先で、一人の少年が三匹のオオカミ型の魔物に囲まれていた。
「あのバカ……」
舌打ちとともに呟く。
少年は周囲の魔物を警戒しながら、どこかオロオロとしている。
それでもあの少年は、リアの助けを借りずに自力であの状況を打破することができるだろう。そのことをリアは知っている。
だが、あの少年にとって、それを為すための代償は大きい。そのこともまた、リアは知っていた。
「くそったれ……」
吐き捨てるように呟いて、リアは駆け出した。
強く地面を踏みこんで、少年の所まで大きく離れていたはずの距離を三歩で詰める。
拳を握る。踏み込んだ左足が地面をえぐるように踏みしめられる。そしてリアは、勢いと体重の乗った一撃を、魔物の脇腹へと打ち付けた。
――ギャインっ、と一瞬の断末魔を残して、一匹の魔物が呆気なく絶命した。
「え?」と、そんな間の抜けた声が聞こえたが、リアはそれを無視。振りぬいた拳の勢いを体全体を使ってそのまま流し、今度は右足で地面を踏みしめる。そしてくるりと体全体を回転させながら、左足で鋭い蹴りを放つ。この一撃で二匹目の魔物もゴキっとどこかの骨をへし折られて絶命するが、しかしリアはそこでもう一度、振りぬいた左足を地面へと叩きつけた。
フードの奥でギラリと瞳を光らせながら、左足を踏みしめる。そして彼は右手を後ろに引き絞り、掌底の構えをとった。
――烈破衝
掌にため込んだ気とも言えるエネルギーを魔物に打ち付けながら解放する。
魔物は体内から体を破壊されながら、吹き飛ばされた。
「ふう」
苦も無く一瞬で、三匹の魔物を殲滅したリアは、軽く嘆息した。
彼は本来剣士だが、しかし近年魔物を相手に剣を使うことが少なくなっていた。理由は、手入れが面倒だからである。
今回も、剣を使うほどではなかったなと、魔物の弱さに辟易していると、後ろから遠慮気味な声がかけられた。
「あの、ありがとうございます」
その声に、リアは再度嘆息して振り向いた。
魔物に襲われていたその少年は、振り向いたリアの顔を見て。目深にかぶったフードの奥のリアの瞳を覗き込んで。とても嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
「久しぶりですね……リア」
ほんわかとしたその笑顔を向けられて、リアは居心地わるそうに、自分の瞳を覗き込む少年から目をそらした。
「ああ、そうだな……イオン」
その少年こそ。ローレライ教団における最高指導者にして、オラクル騎士団が血眼になって探している人物。
導師イオンその人だった。
さて。捜索対象を見つけたのだから、即刻ローレライ教団における総本山、ダアトへとイオンを連れ帰ろうとしたリアだったが、しかしこれはイオンによる壮絶な抵抗を受けて断念することになった。
どうやらイオンは自分の意思でマルクト軍とともに行動しているらしい。
これについては後で詳しい話を聞いておこうと思いつつ、それならばとリアはせめてこの森からは出ようとイオンを説得してみるが、これもまたイオンによる壮絶な抵抗のもと断念せざるを得なかった。
どうやら、本来無害である筈のチーグルが人間の食べ物に手を出したことがどうしても納得いかないらしい。
そんなわけで、現在リアは、道中出てくる魔物をバッタバッタと吹き飛ばしながら、イオンとともに森の奥へと足を進めていた。
――俺なんでこんなことしてんだろう。
――こりゃリグレットに怒られるな。
そんなことを考えながら歩くリアだったが、その直後、閃いた。
――俺がこんなことしてんのは、リグレットを怒らせるためだ。
そう考えると途端に少し楽しくなってくる。頭に浮かんできたリグレットの怒り顔を鼻で笑い飛ばしながら、リアはイオンへと問いを投げかけた。
「ところでイオン。なんでマルクト軍と行動をともにしてんのか、簡潔に説明してくれ」
言外に、長い話なら聞くつもりはないと言っている、そんなふてぶてしい問いかけに、イオンは楽しそうに笑って答えた。
「戦争回避のためです」
とても簡潔だった。そして語尾に音符のマークでもついていそうな程に弾んだ声だった。
そんなイオンに、リアはため息をつきながら「……そっか」とだけ返した。
そんなリアにイオンはまたしても楽しそうに「はい!」と言う。
リアにとってこの話題は、もともと然程興味がなかったことなため、深く追及することはしないことにした。
代わりに、イオンがなぜこれほどまでに楽しそうなのか考える。
リアとイオンが初めて会ったのはちょうど一年前のことだ。
一年前、導師による世界視察が行われたことがある。その長い視察の旅の中で、ごくわずかな期間だが、リアが護衛としてイオンの傍についていたことがあった。
リアにとってみればイオンは、その時に二言三言会話をしただけの存在なのだが、どういうわけかイオンの方は、その後リアを見かけるたびに嬉しそうに声をかけてくるようになった。
そんなイオンを、実はリアは苦手としている。
疎まれてばかりの自分に、唯一好意を向けてくるイオンが、正直に言ってしまって嫌いですらあった。
しかしそれでも。屈託のない好意を向けてくるイオンを、なぜだかリアは邪険に扱うこともできず、今回もこうして、リアはイオンの要望に従って行動している訳である。
「全く、調子狂うな」
これまた自他ともに認めるマイペースである自分が、ここまで振り回される相手もイオンくらいしかいないだろうと、リアは再度大きなため息をついた。
ため息をついたところで、リアの足が何かを蹴る。
「ん?」
おや、とばかりに足元を見るとそこにはリンゴが転がっていた。
拾い上げて眺めていると、隣から覗き込んできたイオンが「あ」と声を上げた。
「これ、エンゲーブ産のリンゴですね。ほら、ここに刻印があります」
よく見れば、確かにイオンが指さした場所にエンゲーブ産を示す刻印があった。
「こんなもんがこんなところに落ちてるってことは、そろそろチーグルの住処って事だな」
「ええ。あと一息ですね」
そんな会話をしつつ先へ進むと、果たしてリアたちはチーグルの住処を見つけることができた。
「……なんじゃありゃ」
呆然と立ち止まり、リアが呟く。
そんなリアを見て、イオンがまた楽しそうに笑った。
「あれがチーグルの住処みたいですね。さ、リア。早速行きましょう」
「あ、ああ」
イオンに連れられるようにして、リアは歩き出した。
そんな彼らの向かう先にあるのは、樹齢何千年とも思えるほどの、巨大な巨大な一本の大樹であった。
みゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅみゅ―――――――――――!!!!!
「…………うるせぇ」
内部が空洞になっていた大樹へと入り込んだリアとイオンは、無数のチーグルたちによって、謎の歓迎を受けていた。
チーグルは、頭から二房生えた大きな耳のような器官が特徴的で、大きさとしてはリアの足元から脛の半分程度までの高さしかない、かなり小さな生き物だ。
そんな小さな生き物達がリアの足元にわらわらと集まって、右からも左からもみゅうみゅうみゅうみゅう言ってくるが、一体彼らが何をみゅうみゅう言っているのかさっぱり分からない為、リアにとってはただの騒音だった。
――チーグルって嫌いだわ。リアのチーグルに対する第一印象は、そんなところに落ち着いた。
対してイオンはというと、どこか楽しそうに表情をほころばせている。
「かわいいですねー」とリアに同意を求めてきたが、リアにはその感情を理解することができなかったので無視することにした。
そんなことをしながらリアが騒音に耐えていると、奥から萎びた様な印象のチーグルがひょこひょこと歩いてきた。
――あ、あれ長老だわ、絶対。リアがなんとなくそんなことを思っていると、そのチーグルがリアたちの正面で口を開いた。
「よく来てくれた、人間殿よ。わしはこのチーグル族の族長じゃ」
――族長かよ。長老じゃねぇのか。とそんなことを思った直後、あれ?とばかりにリアはその族長チーグルを見つめてしまった。
「こいつ……しゃべった……」
みゅうみゅうとしか鳴けないはずの魔物が人間の言葉をしゃべる。その事実がリアに与えるショックは相当なものだった。
しばし呆然とするリアだったが、隣でくつくつと笑いをこらえているイオンに気づき、はっと我に返る。
――なんかイオンに笑われてる……。その事実がそこはかとなく、悔しかった。
「それはソーサラーリングですね」
一通り笑いを噛み殺した後で、イオンは族長チーグルにそう聞いた。
「いかにも。我らの祖先が、始祖ユリアから賜ったものだ」
そう言った族長チーグルを注意して眺めてみれば、他のチーグルが持っていない不思議なリングを抱えているのが分かった。
恐らくあれがソーサラーリングで、あのリングの能力でチーグルが人語を解すようになるのだろうと、リアはあたりを付けた。
世のなか不思議な道具があるもんだなぁと眺めていると、「――して、」と族長チーグルが話しかけてきた。
「そなたらは一体ここへ何をしにきたのじゃ?」
その問いに、いままでほんわかしていたイオンの表情が引き締まった。
そして言う。
「質問に質問を返すようで申し訳ないのですが、あなたたちはなぜ、森の外の人間の町――エンゲーブの食料を盗んでいるのですか」
その問いに、「ふむ」と黙考する族長チーグル。そしてしばらく後に「ミュウはいるか」と周りのチーグルたちに声をかけた。
そしてリアたちの前にとぼとぼと現れたのは、あからさまに落ち込んでいる、二房の耳のような器官をしょんぼりと垂れ下げた、水色の子供のチーグルだった。
話を聞いてみれば、もとはと言えば先ほど族長に呼ばれて出てきたチーグル――ミュウが不注意でライガという魔物が住処としていた森を焼失させてしまったことが原因であるらしい。
チーグル族には口から火を噴くという変わった特殊能力があるのだが、それが最悪の結果を招いてしまったということだろう。
さてそんな訳で、本来棲み分けされていたチーグルとライガだが、住処を失ったライガはチーグルの森へと移り住んできたのだ。
ライガとは凶暴な肉食の魔物である。そんなライガ達はチーグルの森にて食料を探すわけだが、これが上手くいかなかったらしい。
小食で、なおかつ草食のチーグルが生きていくには十分な森であっても、大食で肉食のライガにとっては不十分な環境だったのだ。
そんなライガ達にとって絶好の獲物となるのが、まさしくチーグルだ。
そもそもライガ達が住処の森を追われたのも、ミュウ――ひいてはチーグル族の責任である。
弱肉強食の世の中にあって、ライガがチーグルに情けをかけるはずもなく、ライガ達はチーグルを食料としようと動き出したのだが、そんな折、チーグル側がライガ側に交渉を持ちかけた。
――あなた達の食料はチーグルが用意するので、どうかチーグルを食料とするのはやめてほしい、と。
チーグルも一族を守るために必死だったのだ。
かくしてライガ側はその条件を飲み、チーグルが十分な食料を持ってくる限りにおいて、ライガはチーグルを襲わないと約束した。
そしてチーグルはライガのための食料調達に奔走し、エンゲーブにて人間の食料を盗み出すにまで至ったというわけだ。
そこまで話を聞き終えて、リアは胸のムカつきを抑えることができなかった。
そしてそんなリアの様子に気づかぬまま、今まで話をしていた族長チーグルが言った。
「導師よ……どうか我らを助けてはくれぬだろうか」
ここがリアの我慢の限界だった。
「…………ふざけんな」
シン――とあたりが静まり返る。
みゅうみゅううるさかったチーグルたちも、今はその口を閉ざしていた。
「悪いのはお前らだ。ライガの住処を燃やしたのもお前らだし、人間の食料を盗んでるのもお前らだ。人間はもとより、ライガだってなんも悪いことしてねぇよ。お前らだけが身勝手に悪事を働いてんじゃねぇか」
チーグルのことなんかどうだって良かったはずなのに、なぜか動き出した口は止まってくれる気配がなかった。
「聖獣なら許されると思ったか?聖獣だから人間が味方してくれると思ったか?もしかして、人間の食料を盗めば誰かが異変に気づいて、俺らみたいにここを訪ねてくると思ってたか?そんでこんな風にライガをどうにかしてくれと頼むつもりでいたのか?」
なぜこれほどまでに怒りがこみ上げるのか。それはきっと、リアが過去にこれと似たような状況に遭遇したからだ。
その際に、身勝手な連中を殺したいほど憎悪した経験があるからだ。
「虫唾が走る。どこまで身勝手なんだ。お前らの悪事のツケをお前らが払わされてるだけなのに。無害なふりして、か弱さ振りかざして、悲劇気取って、人間に頼ろうとしてんじゃねぇよ。一から十まで全部お前らが悪いのに――」
殺したいほど憎かった。ただ、己のために■■■■を犠牲にすることを良しとした彼等が。
それなのに、立場が変わったとたんに我が身だけは守ろうと――そうか、彼等もそうだった。だからこんなに腹が立つ。
「――被害者面して泣きついてくんじゃねぇ、気持ち悪い」
最後は吐き捨てるように言い切った。
自分でも、チーグルに対して言っていたのか、記憶の中にいる彼等に言っていたのか、リアは判別できなくなっていた。
「くそったれ」
無意識のうちに拳を握りしめていた。
掌に爪が食い込む痛みを感じたが、しかし力を緩める気にもなれなかった。
隣でイオンが心配そうに見つめてきているのが分かるが、しかしイオンの事は極力視界から追い出すことにした。
そんなリアに「人間殿よ」と、申し訳なさそうに声がかけられた。
「……いや、すまぬな……気を悪くしたなら謝ろう。申し訳なかった。しかし聞いてくれ。事は人間殿にとっても重大なことなのじゃ」
これだけ言ってなお、そのように言い募ってくる族長チーグルに、リアは視線だけで話を続けろと促した。
それを受けて族長チーグルは話し出す。
「ライガは現在繁殖期に入っていてな。もう間もなく卵が孵化する頃合いじゃ」
その言葉に、イオンが「はっ」と息を飲んだ。
「そうか、導師殿はご存知か。……ライガの子供はな、人間の肉を好んで食らう。じゃから、このままライガを放置したら、我らだけでなくエンゲーブの町まで襲われるぞ?さすがに我らに子供を含めた分までのライガの食料を調達するのは不可能じゃろて」
「確かに……それはまずいですね…………って痛い!?」
族長チーグルの言葉に簡単に納得してしまったイオンに向けてリアはサクッとチョップを振り下ろした。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。騙されてんじゃねぇよ。本当に狡い知恵の回る魔物だな。都合のいいこと言って俺を利用しようとしてんじゃねぇ」
そう言って、リアは怒気に塗れた黒い笑みを浮かべた。
「俺を利用したかったら、お前ら全員、ライガの餌になってこい。もしおまえらが全員ライガの胃袋に収まった後でなら、俺がライガを殺してやるよ」
――腹の中のお前らごとな。
そう締めくくったリアの周囲から、怒涛の勢いでチーグルたちが引いて行った。
ようやく気付いたのだろう。お人よしの導師イオンと一緒にいるリアが、決して善人などではなく、むしろその対極に位置するような人間であることに。
――今更気づくなんて、随分と頭の鈍い魔物だな、とそう思いながらチーグルたちの逃げるさまを睥睨していると、横からチョイチョイと袖を引かれた。
今はあまりイオンの顔を見たくなかったリアが、それを無視していると、あきらめたようにイオンがリアの正面へと回り込んできた。
「……なんだよ」
ぶっきらぼうにそう言ったリアに、イオンは困ったような顔をした。
「リア、あなたがこれ程怒るとは思いませんでしたが……あなたの言い分ももっともです。僕にはどうしても残酷に思えてしまうのですが、でもそれが正しいのかもしれない。でも――」
と、ここまで聞いたところでリアは心の中で嘆息した。
――あーあ。またかよ。また断れねぇ奴だ。そう諦めた。
優しいイオンのことだ。チーグルの話を聞いて、リアの話を聞いて、そのうえでなお、平和的な解決を模索しようとしているのだろう。
その優しさはリアには理解できない。
その優しさで何かが救われる可能性を、リアは信じていない。
イオンの優しさが、リアは嫌いだ。
それなのに――
「――僕はやはりチーグルをこのまま見放すことができません。だからリア。僕をライガの所まで連れて行って貰えませんか?彼らと話ができれば、なにか他の解決策も見つかるかもしれない」
「…………ああ、分ぁーったよ」
――それなのに、イオンの頼みを断れない自分にリアは心の底からうんざりした。
「あと少しでライガさんのお家に着くですの!」
「…………うぜぇ」
「みゅうぅぅ……」
――本当にうぜぇ。
そう、内心で辟易しながら、リアとイオンはライガの巣へと向かっていた。
今、しょんぼりと落ち込んでいる、イライラ発生装置のようなウザすぎる生物を引き連れて。
この生物、もちろんチーグルである。そしてチーグルの中でもこの個体は、ライガの森を燃やしたという張本人――もとい張本チーグルであるミュウである。
先ほどチーグルの住処において、族長チーグルに呼ばれてとぼとぼと出てきた水色の子供チーグルだ。
そのミュウが、このたび族長からソーサラーリングを借り受けて、リアとイオンに同行することとなった。
理由は単純。
「ライガと会話できるものを一人は連れて行かないとなるまいて」という族長チーグルの言葉がそのまま理由だ。要は通訳係である。
で。ソーサラーリングさえあれば別にどのチーグルを連れて行こうとも構わなかったのだが、一連の事件の発端となってしまったこのミュウを通訳係として連れて行くことになったわけだ。
本人――もとい本チーグルのミュウが「ライガさんたちにキチンと謝りたいですの」と言ってきたことも、ミュウ抜擢の一因である。
しかし、それにしてもこんなにウザいしゃべり方をする奴だとは思っていなかったと、リアが再度苛立ちを募らせていると、リアの隣を歩くイオンが「まぁまぁ」と彼を窘めた。
「かわいいじゃありませんか。それにミュウも少しでも役に立とうと頑張っているんですよ」
「いや、こんなのが頑張ったって、別に何もできねぇだろ。道案内と通訳さえしてくれりゃ、それで十分だ」
「むむ!僕だってお役に立てるんですの!たとえばあそこを見るですの!」
そう言ってミュウが手で示した先には、小さな小川があった。
リアなら飛び越えられるし、ミュウもリアが投げればそれでいい。しかし問題はイオンだ。イオンは小川を飛び越えるほどの体力はない。
どちらにしろ小さな小川なのだから、別にそのまま突っ切ってもいいのだが、しかしそうした場合イオンの靴や、今身に着けている丈の長い法衣がずぶ濡れになってしまう。
さてどうしたものかとリアが考えていると、ミュウが得意げに話し始めた。
「あそこの小川に橋をかけてみせるですの!」
「おお~」
胸を張るミュウと、パチパチと手を叩くイオン。
こいつらほんとにユルいな、とそう思いつつ、リアは橋を架けるという考えに感心していた。
――なるほど。それはいい考えだ。
というわけで早速行動に移すことにする。
「あの川の向こう岸にある古木を、僕が倒して橋代わりにするですの!チーグルが火を噴けば、あの古木くらいなら倒せるですの!」
得意満面でそんなことを言っているミュウの隣で、リアがぶつぶつと何事かを呟き始めていた。
――狂乱せし地霊の宴よ――
その呟きを聞いて、イオンが表情をひきつらせた。
「それじゃ、いくですの~!」
そう言ってのんきに息を吸いこみ始めたミュウを見て、イオンは慌てて「ちょ、ま」と言った。つまり意味あることは何も言えていない。
そしてミュウの口元が赤く光ったか光らなかったかというタイミングである。ここでリアが拳を天高く突き上げた。
「ロックブレイク!」
「み゛ゅっ!?!?」
川の両岸から競りあがる土塊。
それに弾き飛ばされ、川の向こう側へと転がっていくミュウ。
そして気づけば、川の両岸から競りあがった土塊がつながって、大きな橋を造っていた。
この世界を構成する力――音素を大気中から取り込んで、その力によって事象改変を為す技術、譜術によるものである。
ミュウは譜術の犠牲になったのだった。
「ミュ、ミュウ!?大丈夫ですか!?」
慌ててイオンが出来立ての橋を渡ってミュウのもとへと駆け寄る。
そんなイオンの後ろをのんびりと追うリア。
攻撃のためではなく、橋を架けるためだけに威力を弱めた譜術だから問題はないだろうと確信していた。
そして、ミュウを腕に抱えるイオンのもとへとたどり着いてみれば、やはりミュウは驚きのために目を回しているだけだった。
「みゅうぅぅ……お役に立てなかったですの……」
目を回しながらそんなことを言うミュウを見て、リアは――ああ、こいつイオンの仲間だな。とそんなことを思った。
しかし、ミュウはライガの住処までの道案内人――もとい道案内チーグルなのだ。こんなところで伸びていて貰うわけにはいかない。
そう考えて、リアはミュウを叩き起こす。
「おら、ミュウ。さっさとライガの住処まで案内しろよ。あと少しなんだろ?」
そう聞いてみると、ミュウは「ふみゅう……」と目を回しながら答えてくれた。
「そこの獣道を進めば、すぐにライガさんのお家につくですの……」
なるほどな。とリアがその獣道の先へと視線を向けた時だった。
--ズンーーと。
「――っ!?」
強力な譜術の余波ともいうべき波動が、その身に叩きつけられた。
「な、な……」
一瞬呆然とする。
自分たちの進もうとした方向から。恐らくはライガの住処がある場所で、こんなところにまで気配を感じさせるほどの強力な譜術が放たれた。
その理由は――
その意味は――
リアは走り出す。
この気配は尋常ではない。
後ろから、イオンの制止が聞こえてきたが、そんなものを気にしている場合ではなかった。
凄まじいスピードで獣道を潜り抜け、森の中にあって一際に鬱屈としたエリアへと踏み込む。
恐らくここがライガの住処だ。
そして進んだ先でリアは見る。
粉々に砕かれた無数の卵。
腹を穿たれ、首を裂かれ、頭を砕かれて絶命している数匹のライガ達。
黒焦げになって絶命している、一際大きなライガの個体。ライガ達の母――ライガクイーン。
そしてそれらを超然として眺める、青い軍服を着た悪魔のような男の背中。
呆然と立ち尽くすリアの気配を感じてか、軍服の男がゆっくりとリアの方へと振り返る。
そしてその男は、リアの良く知る男であった。
「……ジェイド・――カーティスっ!!!」
その声に。その瞳に。その拳に。怨嗟がこもる。
――全く因果なもんだよな。と、どこか冷静な頭の片隅で、リアはそんなことを思っていた。