東方戻界録 〜Return of progeny〜   作:四ツ兵衛

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気をつけろ、蜘蛛男が来るぞ!


手の届かぬ距離

 蜘蛛島平、約300歳。二つ名は『コバルトブルーのお医者さん』。

 腕の良い医者として地底で有名な彼は、今日も地底を駆け回り、怪我の治療をする。

 どこからとも無く現れ、風のように去っていく。その姿がかなりかっこいいため、地底に住む妖怪、特に女性の間ではとんでもない人気を誇っていた。そのため、偶に困ったことが起こる。

 

「イタタ……。転んじゃったわ……」

 

 旧都、中心部にて。

 頭に獣耳の生えた亜人型の妖怪の少女が段差を踏み外し、足首を捻挫してしまった。その直後、

 

「大丈夫か?」

 

 屋根の上から平が現れた。

 平はしゃがみ込み、少女の足首の様子を見る。

 少女の足首は既に腫れ始めており、見るからに痛そうだった。鬼レベルの妖怪なら、この程度の傷くらいすぐに治るのかもしれないが、亜人となるとそこまで強力な自然治癒力は期待できない。

 平は背負っていた鞄の中から木の板と包帯、痛み止めの軟膏を取り出した。平は慣れた手つきで少女の足首に軟膏を塗り、木の板と一緒に包帯で巻いた。

 

「コレでしばらくは痛みが消えると思う。だけど、その足は治るまで動かさないこと。とりあえず、1週間すれば治る」

 

 そう言って、平はどこからともなく取り出した松葉杖を足元に置き、屋根の上に跳躍。すぐにどこかへ消えて行ってしまった。

 後に残された少女は呆然として、

 

「かっこいい……」

 

 感謝も忘れて無意識のうちにそんなことを呟いていた。

 ——今度、お礼を言いに行かなきゃ……。

 そんな少女(正確には治療しに来た平)を見ていた周りの女性たちは、

 

「羨ましいわぁ」

「私も平様に優しく治療してもらいたい!」

「平様の手が直に触れる……ハァハァ」

「フラットイズジャスティス!」

「平様の手が私の敏感なところに……ゴハッ……」

 

 こんな感じで平にベタ惚れだった。——と言っても、あくまで憧れているだけであって、恋愛感情など抱いていない。アイドルに憧れると言ったような感覚だ。

 しかし、ここまで人気だと、さすがに勘違いする者も出てきた。

 

 

「クソォ! 嫁が医者に盗られた!」

「ウチもだ。平って奴らしい」

「俺ん家も嫁が平って奴のことばっかり話しやがんだ」

「僕だって彼女盗られたよ!」

「いったい何が目的なんだ。」

「あんにゃろめ……あんにゃろめ……」

 

 旧都、とある居酒屋にて。

 男たちが集まり、野郎だけの飲み会をしていた。しかし、ただの飲み会ではない。平に嫁や恋人を盗られた(と勘違いしている)者たちの飲み会兼対策会議——『コバルトブルー対策会議』である。

 ちなみに、平に憧れる者たちの集まり——『コバルトブルーファンクラブ』という別の団体も存在する。こちらは男女混合である。そのため、この団体の中にはあっち系♂のお兄さんもいたりする。

 

「あいつの勢いをどうにかできんもんかね……」

「それができたら苦労しない」

「あの人気、俺たちの手の届かないレベルなんだよな……」

「俺もモテたい……。くそっ、リア充め!」

「ハーレムハーレム!」

「お前ら2人はフられても仕方ないな」

「「え゛え⁉︎」」

 

 男たちの内2人が驚く。

 と、

 

「なら、物理的に止めちゃえばいいんじゃない?」

 

 亜人の男がそう言った。

 

「彼がそんなに強そうに見えるかい? あんな人間みたいな体格じゃあ、速さはあっても力自体は弱いんじゃない? 僕たち全員でかかれば楽勝でしょ。それに、彼が負けるところを見れば、女性たちは彼から離れると思うよ。最悪、殺しちゃえば彼自身も消えるんだし」

「その手があったか!」

「そうだ。ぶっ殺しちまえば問題ねぇ! あいつさえ消しちまえばいいんだ!」

「よっしゃあ、殺っちまおうぜ!」

「あいつを消して、俺たちの時代だ!」

 

 ほとんどの者たちが亜人の男の意見に賛同し、気がつけば「殺す」という意見に発展してしまっていた。彼らにとって、その案は名案だった。

 その一方で、

 

「俺は降りるわ……」

「俺も……」

「それはちょっとなぁ……」

 

 会議から離れる者が僅かながらもいた。名案ではなく迷案だと気付いた者たちだ。

 彼らは酒代を席に置き、店を出て行く。それでも、その場には20人近い男たちが残った。

 

「ほんと……恨み、妬みとは恐ろしいもんだねぇ。……ククク……」

 

 男たちが盛り上がる中、亜人の男は1人ほくそ笑んでいた。

 

 

 平はいつものように、屋根の上から旧都を見渡していた。

 人通り(人じゃないけど)の多い道よりは屋根の上の方が動きやすいし、傷病者のところまで移動する時に速く移動できる。緊急時の対応に適した道、平にとってはそれが屋根だった。

 そんな時、

 

「ギァァァァア⁉︎」

 

 男の悲鳴が聞こえた。

 平は、やれやれまた仕事か……と思いながら、屋根の上を走った。

 種別不明の妖怪の男を、様々な種類の妖怪の男たちが取り囲んでいた。種別不明の妖怪の男は足首から先が千切れ、骨と筋肉が露出してグロテスクなオブジェを作り出し、動脈からは血が噴水のように噴き出していた。

 

「な、何をしやがる……。あ、足が……」

「お前もあいつのことが憎いんだろう? だったら、足の1本や2本くらい良いじゃねぇか」

「ふ、ふざけんじゃねぇ! 同胞殺しなんて真っ平御免だ!」

「そうか……。それなら仕方無ぇなぁ?」

「こんなの嘘だ……! やめろ、やめろォォォォオ!」

 

 取り囲んでいた男たちが種別不明を地面に押さえつけ、その内の1人が頭を踏み砕いた。割れた頭蓋骨から灰色の塊が飛び出し、地面に染みを作る。

 そこへ平が到着した。

 

「大丈夫……じゃなさそうだな。貴様ら何をしている?」

 

 いつもの医者の表情から一変、平の目が細くなる

 群がる男たちの足元には全身傷だらけになり、頭蓋骨を潰された男の身体があった。もう助けられない。

 群がる男たちの中から1人、平の方へニヤニヤしながら歩み出た。

 

「お医者様ぁ、やっと登場ですか? 随分と遅かったですなぁ。ヒーローは遅れてやって来るってやつですかい?」

「まずは僕の質問に答えろ……」

 

 下品な笑いをする男たちに、平が凄む。

 しかし、

 

「おお、可愛い可愛い。そんなちっぽけな身体で睨まれても怖くねぇな」

「いいから答えろ。そしたら僕も答えてやる」

「ハッ! 何寝ぼけたこと言ってんだぁ? てめぇの答えなんざ聞く気無ぇんだよ! 死にやがれ!」

 

 男が平に殴りかかった。平は冷静にかわし、男の肘に裏拳を入れる。男の肘がありえない方向に曲がり、その手が男の肩を掴んだ。

 

「ア゛ァァァ⁉︎ お、俺の腕ぇ!」

「交渉決裂ってことだな、OK……」

「ひ、怯むんじゃねぇ! やっちまえ!」

 

 腕を折られた男が他の男たちに声をかけた。男たちは平を取り囲む。その数、17人。

 

「俺らはお前に奪われた。だから、俺らもお前から奪う」

「何のことだ?」

「とぼけるんじゃねぇ! てめぇが俺たちから女を奪ったんだ! 俺たちにはお前から奪う権利がある!」

「よくわからないが……それで命を奪うと?」

「その通りだ!」

 

 言うが早いか、男たちは一斉に平に殴りかかった。平はジャンプして回避。そのまま正面の男の顔面に蹴りを入れる。

 男は後方に吹っ飛び、壁に頭を強く打ち付けて意識を失った。

 

「まずは1人……」

 

 平が呟き、男たちがどよめく。

 平は後方の男に向けて両手から糸を発射。糸が男の両肩に張り付いたことを確認すると、空中に引き寄せた。男の身体が空中に引っ張り上げられる。

 平は糸をくっつけたまま身体を縦回転させて男を振り回し、真下にいた男に向かって叩きつけた。あまりの衝撃に、2人の男は地面に埋まった。

 

「これで3人……」

 

 平は地面に着地すると、左右にいた男たちにバックナックル風のパンチを入れた。

 拳は両方とも男たちの胸部に直撃。強い力で胸骨が圧迫されたことにより、男たちの心臓と肺は一時停止に陥り、身体もろとも意識を吹き飛ばした。

 

「5人目……」

 

 仲間たちの5人目が倒され、男たちはやっと今の状況を把握した。狩る側だったはずの自分が、いつの間にか狩られる側になっていたことに気づいた。

 男たちは距離を取ろうと後ろに下がったが、3人遅れた。その3人の足首に平のスピンローキックが入り、身体が空中に浮かび上がる。

 平は地面を蹴って宙返りすると、そのまま身体を横回転させてオーバーヘッドスピンキックを放った。

 3人の身体が吹っ飛び、地面に転がる。

 

「8人……」

 

 平は地面に着地して呟いた。

 と、

 

「捕まえたぜ!」

 

 1人の男がいつの間にか平のすぐ後ろに迫ってきていた。

 男は平を羽交い締めにする。

 

「お前ら、早くやれ!」

 

 羽交い締めにしている男の声で、平の周りに男たちが集まる。そして、平の横腹や鳩尾、顔面に拳や蹴りを入れ始めた。

 平の身体には傷ができ、裂けた皮膚から透明感のある黄緑色の血液が流れる。しかし、平は呻き声一つ漏らさない。

 男たちは殴りながら、口々に平を罵る。

 

「お前さえ……お前さえいなければ!」

「たかだか300年生きた程度で生意気なんだよ!」

「消えやがれゴミ虫野郎!」

「何が医者だ! お前は俺を救うことなく苦しめた!」

「女誑しのヤリチン野郎が!」

「その見た目が気に食わねえんだよ! 無駄にイケメンにすぎんだよ!」

「こんなふざけたもん着けやがって!」

 

 男の1人が平のゴーグルとマスクを奪い取り、地面に投げつけて踏み潰した。

 平の眉がピクリと動き、

 

「おい、貴様は今何をした……?」

「あ゛あ⁉︎」

「何をしたかと訊いているんだ!」

 

 平は背後の男に頭突きして拘束を解除した。更に、怯んだ背後の男に肘打ちを入れる。肘は男の鳩尾に見事に入り、男の意識を刈り取った。

 正面の男が激昂して平を殴るが、平は顔を少し下げて拳を口で受け、歯で男の皮膚を裂いた。

 傷ついた男は更に怒って平を殴ろうとした。しかし、糸に引っ張られたように、身体が動きを止めてしまう。

 

「ば、バカな⁉︎ 身体が、動かん⁉︎」

「タランチュラは人を毒殺できると言われるが、実際の毒はそこまで強くない。タランチュラに殺されたと言われる場合、そのほとんどの原因は毒よりも噛まれた時に入り込んだ感染症だ。僕の毒にも殺せるほどの力はない。だが、痺れるだろう? 僕の毒は非殺傷性の代わりに即効性の高い麻痺毒なんだよ」

 

 平は簡単そうに言うが、正面の男以外は未だに殴りかかってくる。しかし、平はそれらを見向きもせずに、軽々とかわしている。

 

「クソッ! 何故当たらん⁉︎」

「なんでだろうな?」

 

 平はそう言うと正面の男に糸をくっつけ、自分の周りを回転させた。あっという間にハンマーチェーンの完成だ。

 平は男をハンマー投げのように振り回した。周りの男たちに振り回された男がぶつかり、周りの男たちは倒れていく。

 平は男を引き寄せてホールド。そのまま空中へ跳んだ。

 

「な、何をする気だ⁉︎」

「ん? イヅナ落とし♪」

 

 男の質問に、平は笑顔で答えた。

 地面が離れ、岩の天井が近づく。まるで、ロケットのように真っ直ぐに上へと。届かない大空へと。

 天井に届くかと思われたその刹那、男の世界が逆さになった。天井が下に、地面が上に。垂直落下。

 地面が高速で近づき、男の世界がゆっくりになった。

 

「ラストォ!」

 

ドゴォォオン!

 

 男の世界が激しく揺れ、意識は闇へ落ちた。

 

 

 平の周りには気絶した男たちが17人。かろうじて意識を保っている腕の折れた男が1人。死屍累々の光景。

 平は身を屈め、ゴーグルを拾い上げた。ゴーグルはレンズが割れてしまっていた。おまけに、バンドまで切れてしまっており、もう着けることすらできない。

 平は申し訳ない顔で、

 

「すまない、ヤマメ。お前のプレゼント、壊れちまったよ……」

 

 平がついさっきまで着けていたゴーグルは幻想入り当初に持っていた物ではない。幻想入り当初に持っていた物はとっくの昔に壊れてしまっていたのだ。今使っていた物はヤマメから貰ったゴーグル。大切な人から貰った、平の宝物だった。

 平は悲しみに暮れて、俯いた。そんな時、

 

「ギャハハハハ! ザマァ!」

 

 下品な笑い声が聞こえた。

 平が顔を上げると、そこには亜人の男がいた。

 

「誰だ、お前は?」

「誰だ、お前は? ……それは僕の台詞だぁ!」

 

 亜人の男は叫ぶと、平の腹を蹴り飛ばした。不意の出来事に、平はなすすべなく吹っ飛ぶ。

 男は続ける。

 

「ヤマメちゃんは僕のものだ! ずっと……ずぅっと、僕はヤマメちゃんのことを見てきた! ヤマメちゃんは僕のお嫁さんだ! ヤマメちゃん可愛いよクンカクンカスーハースーハー! ……なのに、君がヤマメちゃんを奪った! 僕のヤマメちゃんを君が奪ったんだ! 君なんかに奪られてヤマメちゃんは悲しんでいる! 僕が! 僕がヤマメちゃんを救って、ヤマメちゃんは僕のところに戻ってくる! 君が死ねば、ヤマメちゃんが戻ってくる!」

 

 あまりにも醜い叫びだった。

 平は立ち上がり、

 

「なるほど、つまり貴様はストーカーというわけか……」

「ストーカーじゃない! 僕とヤマメちゃんは愛し合っているんだ!」

「黙れ。お前の言葉は一方的なものだった。ヤマメが貴様のものだと? ふざけるな! ヤマメはヤマメ自身のものだ! ヤマメが誰の嫁になるか、ヤマメが誰を選んだか。それはヤマメ自身の判断だ。貴様の判断で決まることじゃない。そして、少なくともヤマメは貴様のものではない!」

「うるさいうるさいうるさい! 僕のヤマメを君が奪ったんだ! ヤマメは僕のものなんだ!」

 

 亜人の男は狂ったように叫んだ。

 と、

 

「勝手に決めないでもらいたいねぇ」

 

 屋根の上から声が聞こえた。

 2人が見上げると、そこには黒谷ヤマメ本人がいた。

 ヤマメは地面に降り、

 

「平の言う通り、あたしはあたしのものさ。他の誰のものでもない。でも、あたしを貰ってほしい奴はいるねぇ……」

「そ、そいつは誰だ⁉︎ そいつを消せば、ヤマメちゃんが自由になるんだろ⁉︎ 教えてくれ!」

「教えないよ。あたしはそいつと一緒にいれて幸せなんだ。てか、あんた誰だい?」

 

 ヤマメは平の方を見てウィンクしてから訊いた。

 亜人の男は鼻息を荒くして、

 

「ぼ、僕、ヤマメちゃんのことが大好きなんです! ヤマメちゃんも僕のこと大好きだよね? 付き合ってよ!」

「……なんとなく把握した。とりあえず、あんたには貰われなくないねぇ。初対面だし、気持ち悪いし……。やっぱり、あたしをあげられるのは平だけだね」

「そ、そんなヤマメちゃん……」

 

 亜人の男ががっくりとうなだれる。

 ヤマメは自身の胸が平の腕を挟み込むように身体をくっつけた。平は目を泳がせながら、

 

「ヤマメ、あまりくっつくな。人前でそんなことされると恥ずかしい……」

「いいじゃないか。あたしは外でヤるのも歓迎さ。公開プレイ大歓迎」

「僕からすれば大問題だ」

「つれないねぇ。仕方ないから家の布団で我慢するとしようか……」

「むしろ、それが普通だ」

「なら、今夜も付き合ってくれるかい?」

「……仕方ないなぁ」

「よっしゃ、今夜こそは孕めそうな気がしたんでね」

 

 平とヤマメは亜人の男を差し置いて2人だけの空間を作り出していた。

 その空間が出来上がっていることは亜人の男にもわかり、感じたものはとてつもない疎外感。そして、それは自らの敗北を意味しており、

 

「ふざけるなぁー!」

 

 亜人の男は激昂した。

 

「おかしいおかしいおかしい! こんなの間違っている! なんでヤマメちゃんはそんな男を選んだ⁉︎ ヤマメちゃんとくっつくのは僕だったはずだ! どうしてどうしてどうして⁉︎ こんなのありえない! 僕のヤマメちゃんがどうして僕以外の男なんかと……」

 

 亜人の男は地面に膝をついてブツブツと独り言を言い始める。その言葉をフォローする者は誰もいない。

 醜い叫びで男は人望を失い、ヤマメという好きな人が自分のものにならなくなったことを改めて知った。だからもう……、

 

「こんな世界いらない! 僕の思い通りにならない世界なんておかしいんだ! 僕の思い通りにならない奴なんていらない! 死ね! みんな死んじゃえ! 死ね!」

「なんて奴だ……」

「うひゃあ、これは酷いねぇ……」

「まずは君だ! 僕とくっつかないヤマメちゃんなんていらない!」

 

 亜人の男は懐からナイフを取り出し、ヤマメに襲いかかった。しかし、その行動は平とヤマメの放った蜘蛛糸によって阻まれる。

 平とヤマメは更に蜘蛛糸を放ち、男をがんじがらめにした。

 

「放せ! 僕を解放しろ! この間違った世界を僕が直してやる! 僕の世界に変えてやる!」

「うるさい、黙れ」

「あんた気持ち悪いから嫌いになっちゃったねぇ……」

「ふん、僕のことを好きなってくれなくてもいいさ、このクソビッチ! この糸が解けたら、まず君をこr——」

ブォン!

 

 突然の風切り音。亜人の男の顔面スレスレで平の足が止まった。

 

「黙れよ。気色悪いストーカーが」

「ふ、ふんっ! 黙るもんか! 用があるのはそこのクs——ギャァァァァア!」

 

 平の蜘蛛糸が締まり、亜人の男が悲鳴をあげた。

 糸は男の身体に食い込み、表面の皮膚を切り裂いていた。傷口から流れ出る血が、あっという間に男の身体を赤く染める。

 

「次は無いぞ」

「ぐぅ……」

 

 平の言葉に、命の危険を感じた亜人の男は呻き声を上げて黙り込んだ。

 

「ヤマメは僕の大切な人だ。彼女を侮辱することは絶対に許さない。今からこの糸を解く。そしたら黙って帰れ。2度とその(つら)見せるな」

 

 そう言って、平は亜人の男に絡まっている糸をほどいた。そして、男を放置してヤマメと共に背を向けて歩き出した。

 しかし、

 

「バカが! 僕があの程度で諦めると思ったか? 諦めるわけねーだろマヌケ共! これは序章だ! まずは君だよ、黒谷ヤマメェ! 君を殺して、その後に平を殺す! これから僕の殺戮ショーが始まる! 君たちはその最初の犠牲者だぁ!」

 

 亜人の男はヤマメに飛びかかった。その手に握られている物は毒液の滴る黒いナイフ。

 ナイフがヤマメの頸部に迫る。

 黒い刃がヤマメの首に突き立てられようとした正にその瞬間。男の身体に蜘蛛糸が絡まった。

 

「やはり貴様はどうしようもない大馬鹿者だな!」

 

 平は亜人の男の身体に絡まった蜘蛛糸を引っ張り、男を地面に叩きつけた。

 男は「グェッ」と蛙のような声を漏らす。直後、男の手からナイフが(はた)き落とされた。もう男に武器はない。

 平は男を冷徹な目で見下ろし、その顔の上に足を浮かせた。

 

「貴様を見ているだけで吐き気がする。ゴミ——いや、まるで腐ってスープになった肉の塊を見ているような気分だよ。僕は『黙って帰れ』と忠告したはずだ」

「ふひひひ、そんなことしていいのか? 僕を殺す? 医者なんて聞いて呆れるね。僕を殺して、これから君は同胞殺しを犯した犯罪者として生きていくことになるんだ。もちろん、この旧都のトップも黙っちゃいない。君は旧都を追い出されて住む場所を失い、そこのクソビッチと一緒に路頭に迷えカス野郎」

ズガァン!

 

 平の足が踏み落とされた。亜人の男の頭のすぐ横に。

 男は目を見開き、身体をガタガタと震わせている。

 平はこれ以上無いほどに冷たい目で、

 

「僕が貴様を殺すことに何の問題がある? 貴様は僕たち2人を殺そうとしたんだ。正当防衛だろ。それに、貴様は知らないかもしれないが、僕は地霊殿のペットたちを担当している獣医でもある。これだけ出揃っていれば、地底から追い出されることもないだろう。仮に追い出されたとしても、僕は地上から来た妖怪だ。地上の人里と友好的な関係を持っていたから、例え追い出されても地上で生きていける。……でもまぁ、僕は優しいから、殺すことはしない。殺すことは……ね」

 

 そう言って、平は亜人の男の顔面に拳を振り下ろしギリギリで止めると、頬に優しく拳で触れた。男はギョッとした表情を浮かべる。

 しばらく男に手を触れていた平だったが、スッと手を離す。そして、男に背を向けて歩き出した。

 男が叫ぶ。

 

「ま、待て! 何故とどめを刺さない?」

 

 平は振り返り、

 

「安心しろ。すぐに死にたくなる」

「な、何を言って——ァァァァァァァア⁉︎」

「な? 苦しいだろ?」

「痒い痒い痒い痒い痒い痛い痛い痛い苦しい痒い痒い苦しい痒い痛い苦しい痒いィィィィイ! 何だこれはァァァァア⁉︎」

 

 亜人の男の目は赤く充血し、くしゃみと咳、鼻水が止まらない。全身は赤く発疹し、痛みを伴うほどの痒みが襲う。さらに、体内からも刺すような痛みが襲いかかる。

 

「アレルギー反応だ。アレルギー反応はアレルゲンが体内への侵入者に反応し、抗体と結合することで発生する。どこからどこまでが抗体という区切りになるのか知らないけど、僕はアレルゲンもいじれるみたいだね。君の体内のアレルゲンをいじって酸素に反応するようにした。酸素は僕たち生物が生きていくためにはなくてはならないものだ。僕たちはそれを呼吸することで摂取しているわけだけど……どうかな? 生きていくための物質に苦しめられる気分は?」

「ア゛ァ! ア゛ァァァァァァァア! 苦しい! やめろ! やめてくれぇ!」

 

 亜人の男は叫び、懇願する。しかし、平はもう振り返らなかった。

 苦しむ男をその場に残し、平はヤマメの隣に並んで歩き出した。

 

「さぁ、帰ろうか?」

「仕事はもういいのかい?」

「ああ、嫌なもの見ちゃったからね。今日はもう働く気が失せた」

「そうかい。それじゃあ、今日はいつも以上に楽しませてもらおうかねぇ」

「それよりも飯食いに行こう。もうお昼時だ」

「それもそうだねぇ。じゃあ、勇儀も呼ぼうか」

「それは()してください」

 

 2人のラブラブっぷりは息がつまるほどのリア充空間を作り出す。だから、地底の女性たちは平のことが好きでも、その感情が恋愛感情に発展することがない。わかっているのだ、恋をしても絶対にかなわないことが。

 男たちの暴走はそもそも意味がないものだったのだ。男たちが捨てられた理由は、男たちが平に群がる女性たちを見て平を羨ましく思っていたから。既に相手がいる身でありながら、他の女性に思いを向けてしまったからである。

 その中でも、1人を愛し続けた男はまだ良い方だったのかもしれない。しかし、時に愛は道を踏み外し、間違った方向へと進んでしまう。愛が強ければ強いほど、踏み外した時は間違った方向へと大きく進んでしまう。自身を変えて、周りを壊してしまうほどに大きく。

 

「僕を殺してくれぇー!」

 

 男の叫びが旧都に響いた。




次回から少しの間は旅行回の予定。
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