Chapter5“騒がしい時の流れ”
バイト初日。
スタッフルームには更衣室がある。
そこは男女一緒で女子の下着が散乱している。
よく見ると、それはとても若い子の感じがしない。
―まさかのおばさんの下着…。
バイト初日から、テンションが下がるとは思いもよらなかった。
「汐凪君着替えた?」
面接を受けた女性スタッフの溝口(みぞぐち)スタッフが呼んできた。
「あっ!もう少しです!」
早く着替えなくては!
そう、KFCでは平社員のことを名字のあとに“スタッフ”って付けると、スタッフルームに入った時に聞いた。
これからは溝口スタッフと呼ぶらしい。
着替え終わると、いきなりの重労働が待っていた。
壁一面に広がる扉がいっぱいついたドデカイ冷蔵庫から、1つ5kgくらいある大きな紙袋を3つ。
そして、小さいピンク色の粉が入った小さな袋を2つ台車に載せた。
意外と筋力は必要みたい。
この4階の貸しビルから、駅前KFC店に台車を押していく。
到着して、スタッフ専用の“勝手口”から入る。
そこは外の温度よりちょっと蒸している感じで、暑い。
奥には大きな揚げ物台みたいなのが、3つ並ぶ。
さらに奥にはデスクと冷凍庫らしきものがある。
そことは別世界な注文を受けるカウンターが見える。
少し戸惑いながらも、ワクワクしている自分。
スタッフやパートにあいさつしようと近付くと、溝口スタッフが呼び止めた。
「まず、あいさつの前に準備しましょう。まず、台車の荷物を冷蔵庫に入れて。」
「はい」
指示された通り、持ってきた台車の荷物を冷蔵庫に閉まった。
「はい、じゃあ次は手の消毒をしましょう」
カウンターと揚げ物台の間にある洗面台を溝口スタッフは指差した。
「お手本を見せるわ」
ハンドソープらしきモノを2プッシュ。
「指の間をキレイにヒジまでよくハンドソープで洗って、ペーパータオルでキレイに拭く」
それをオレは見よう見マネで手を洗う。
「じゃあその手をワタシがチェックするわ。手を開いて手のひら、手の甲。最後にグルっと、体を回って。はい、チェックOK!」
「溝口スタッフ!ヘッドカバー忘れているよ!」
慣れた手つきで粉とチキンを混ぜ合わせながら、指摘する声がオレの後ろから聞こえてきた。
「そっか、ごめん汐凪君。洗面台の上にある箱から1枚取って、それを被って」
言われるがまま、箱に手を伸ばす。
それを取って見ると、一見白いタンポポの綿毛のような布の帽子だった。
―イメージとしては、給食当番の時に被る帽子かな?
「これは使い捨てで、中の作業をする人の髪の毛が食品に入らないようにするものなの」
「なるほど!」
「はい、これでよし!さてと、中で作業する人だけ紹介するわ。接客の人は自分で紹介してね!」
と言われても、そんな気楽に声はかけられないんだけど。
「じゃあ、まず。自己紹介して」
「は、はじめまして。汐凪裕司です!」
やっぱ、最初は噛んでしまう。
「じゃあ、ここからはワタシが紹介するわ。ここのバイト歴が長い桑島(くわしま)君」
「おう!よろしく」
すごく恰幅のイイまさにおやっさんみたいだ。
「もうひとりが野村(のむら)君」
「よろしくね」
この優しげな表情、ほんわかとする口調…。
あれ?なんかどこかで見たことある!
そう思って、じっと見て気付いた!
「野村先輩ですよね?あの浄心高校の“仏”の生徒会長!オレ!同じ浄心の汐凪裕司です!」
そうだ、この顔は朝礼の時に見かける野村先輩だ!
「よしてよ、ここでは野村君で通っているんだから」
とテレながら、小さな声でオレの耳元に囁いた。
“仏”の生徒会長。
―それは常にニコニコ顔ですごく優しいイメージだが、よからぬウワサも耳にする。
でも、なんで生徒会長がバイトなんかしているんだろう?
担任の宮間先生がアッサリとバイトを承認したのも頷ける。
「なんだ、野村君は同じ学校の先輩なんだ。じゃあ、野村君が汐凪君の教育係ね」
「はいはい、わかりました。では、溝口スタッフ例の件なんですが、これでチャラにしてもらえませんか?」
「えっ!な、何のコトかな?」
「とぼけてもムダですよ。みんなに言ってもいいんですか?」
「あ、あれはあなたの弱みなハズなのに…ハッ!まさか!」
「察しがいいようで、フフ…」
「仕方がないわ、これでチャラね。これ以上の要求はのまないわよ!」
「さすが、溝口スタッフ♪将来いいお嫁さんになりますよ♪」
「そ、そんないいお嫁さんだなんて♪」
一見、堅そうな溝口スタッフがデレた…。
2人の間で何があったかはわからないけど、相当野村先輩は溝口スタッフを手玉にとっているように見える。
「おっと、今のやりとりは学校ではナイショね♪」
「は、はい!」
と言ったものの、野村先輩はなかなかおもしろそうだ。
「さて、今から色々教えるからね。よく聞いてて」
調理の一連の流れを教えてもらった。
そして実践。
何事もそうだけど、夢中になってやると時間が経つのも一瞬だ。
あと1時間でバイトも終わる。
「うん。スジがいいね!教え甲斐があるよ♪」
「あ、ありがとうございます!」
そう、一息ついてしゃべっていると…。
「マサ!さっき聞いたよぉ~!アンタ生徒会長なんだって!なんで、今まで隠してたの?」
接客で忙しかったであろうレジの女の子が声をかけてきた。
「隠すも何も別に教える必要はないし。それに生徒会長ですと言って、なんか態度変わるのも気持ち悪いし…」
「まぁ、そうね。変わるワケないけど」
マサっていうのは…?
あぁ、野村先輩の名前の将之(まさゆき)から取って“マサ”なんだ。
それにしても…キレイな女の子。
一見、チャラチャラしてる感じがするけど、見たままの性格なのかな?
とりあえず、あいさつしようっと。
「今日から働いている汐凪です。よろしくお願いします」
「敬語とかいいよ、別に。ワタシは神楽吏沙(かぐら りさ)よっろしくぅ!ねぇ、下の名前は?」
「えっ?裕司ですけど」
「だから、敬語はいいって。じゃあ、これからは“ユウ”って呼ぶね」
なんだ、野村先輩と親しいから、“マサ”って呼んでいたワケじゃないんだ。
この子のキャラなんだな。
「桑島君、さっき溝口スタッフが呼んでいたよ」
「おう、わかった」
桑島さんは“桑島君”なんだ。
何が基準なんだろう?
「リサ、話をしたいのもわかるけど、それはあとにして」
野村先輩が一声かけて。
「なんだよぉ。もうちょっといいじゃん!ねぇユウ♪」
「えっ!う、うん」
早速、呼び捨てにされた。
ちょっとドキドキしてしどろもどろになっていたら、横から野村先輩が念を押す。
「ほら、お客さん来てるよ。早く行った、行った」
「は~い。じゃあ、バイト終わりにまたね!」
そして、神楽さんは持ち場へと戻って行った。
野村先輩は気を取り直して。
「さてと、基本はできていたからこの調子でね♪」
「はい!」
ちょっと気になったから、野村先輩に聞いてみよう。
「野村先輩って、神楽さんとはバイト長いんですか?」
「うん、付き合ってもう2年くらいかな?」
「へっ?」
いや、それは聞いてないんだけど…ちょっとショックだな…。
「なに真に受けてるの?ジョーダンだよ」
「あっ、あぁ…ジョーダンでしたかハハ…」
一瞬、ジョーダンに聞こえなかったよ。
「まあでも、一緒にバイトして2年は経つかな?」
2年だけが、ホントなんだ…よかったぁ。
「じゃあ、後片付けといきますか!」
野村先輩と清掃作業をはじめる。
蛇口から繋いだホースで床を洗い流す。
今日使った油を揚げ物台の下から抜いて、ショートニングという固形油を上から入れて明日の準備完了。
使った油は一斗缶のフタをして、冷蔵庫に入れて冷やし翌日に捨てる。
アツアツの油を入れた直後の一斗缶が、また熱い!
上の方を素手で持つなんて、グツグツいっている溶岩の上に自分の両手がさらされているような感じ。
前日に冷やした缶を外のゴミ収集箱に入れて完了。
気付けば、夜間のバイトのほとんどは高校や大学や専門学校生と学生が多かった。
他には主婦がメインで面接を受けた時の恐怖は一蹴された。
それにみんないい人達ばかり。
はじめてのバイトが終わって、貸しビルにみんなで歩いて行く。
更衣室は女子が先で、1人や2人で入って着替える。
おばさん達は着替え終わると、そそくさと帰って行く。
自分が着替え終わったら、学生達やスタッフはひとつのデスクにイスを並べて雑談していた。
「ユウもこっちきなよ♪」
神楽に誘われて、そこにオレも混ざった。
ちょうど、自分も観ている月9ドラマ。
『夢の中へ堕ちる世界』の話で盛り上がっていた。
「そうそう。そこで兄貴ってことが、分かったんだよね」
そう野村先輩が言うと、その話に食らいつくスタッフ&バイト。
みんなにとって、野村先輩はムードメーカーなんだな。
オレもその中の1人。
学校だけでなく、そんな一面を見せる生徒会長はオレの憧れになっていた。
話は逸れて、個々に話はじめる。
「ユウも浄心なんでしょ?特に部活が活気あるって、聞いているけど」
「オレはやってないけどね」
「そうなんだ。ワタシはテニス部で全然やる気のない部だから…浄心に通っているってだけでも、うらやましいな」
「G・Wすら春合宿と言って、友達はみんな合宿行っちゃったんだ。それでここのバイトを受けたんだ」
「そっか!まぁ、寂しかったんだね」
そこまで読まなくてもいいじゃないか…。
「これから仲良くしていこうね♪」
「うん、ありがと」
第一印象と神楽の印象がだいぶ変わった。
ちょっとノリがよくて人の気持ちが読める女の子。
こんな子が彼女だったら、どんなに幸せだろうか…。
そしていつの間にか、24時を回っていた。
「じゃあ、帰ろうか」
野村先輩の掛け声で、みんなは一緒に貸しビルをあとにした。
みんな近所だからこんな時間でも大丈夫なんだろうけど、女の子は大丈夫なのかな?
「神楽!」
「リサでいいって」
「ああ、ごめん。リサ、あ、あの…」
「なぁに?」
「こんな夜遅くに帰って、親は心配しないの?」
「うん!だって1人暮らしだし。それにこうやってみんなと居るのが、一番居心地がいいんだ!」
そっか、それなら安心…なワケない!
「夜道…大丈夫?」
「うん。マサと方向一緒だから」
ズキン…あれなんだろ、今なんか胸が痛くなった。
「リサ、行こう!」
と野村先輩が神楽を呼ぶ。
「うん!じゃあ、ユウまたね!」
「うん…気を付けてね」
そう明るくふたりを見送るけど、このモヤモヤした感じ…なんだろう…。
この時ほど気持ち良く、それでいてしんみりした夜風はなかった。