今回はかの有名な大衆小説の主人公の登場です。
「フンッ、やっと大人しくなったか」
薄暗い地下道を二人の人影が進む。
先程まで煩いことこの上なかった小僧もようやく大人しくなったので、部下に監視を任せてようやくジメジメした地下牢と別れを告げることができた。
やはり、仕事とは言えど、此処の汚らわしい空気には吐き気を覚える。それだけに去るときの気持ちと言えば得にも言われぬものがある。
「さて、息子が捕らえられたとあればレーグニッツ知事も大人しくなるだろうな」
「……ええ、はい」
何時もと違い、何処と無く歯切れの悪い部下に眉をひそめる。
「どうした?何か気がかりでもあるのか?」
「いえ、……ただ、ルーファス様の話はよろしかったのでしょうか?」
「なんだ、そんなことか」
指揮官は小さく鼻を鳴らす。
マキアス・レーグニッツを逮捕したときに学生のひとりが生意気にも反論してきたアレだ。
『そちらは、ルーファス様の許可を頂いているのですか?』
「ルーファス様は、今頃ヘイムダルだ。それに万が一の事があれども此度の件は公爵様の命令だ。何、いざお帰りなされたらルーファス様も許可をするだろう」
返事を先取りして伝えただけだ、と笑う指揮官に安心したのか不安げに問い掛けた兵士の顔にも安堵の色が拡がった。
彼らは後にこの判断を死ぬほど後悔することになることをまだ知る由もなかった。
「……まさか、強攻手段を採ってくるとはな」
ため息混じりに口にするソウの言葉に心底同意する。
結局、マキアスは、俺達の証言にもかかわらず、オーロックス砦侵入の容疑者として連行されていった。
宿泊先のホテルにも領邦軍の捜査が及んでいたので、今後の活動を話し合うべく職人通りの一角にある喫茶店へ場所を移った。
「嵌められたっぽいね」
「ああ、 今朝ユーシスが呼び出されたのも全てこの為だったんだろうな」
フィーの言葉に今朝の情景を思い出しながら呟く。
昨日のこともあり戸惑いながらも突然の呼び出しに会いに向かったユーシスの心情を思うと何ともいえない苦い思いがわき上がる。
「でも、まさか、ルーファスさんまで関わっているなんて」
「いや、領邦軍のアレは嘘だよ」
三人の視線が一斉にソウの方へと向く。
「今、マキアスをでっち上げで捕らえるメリットなんてたかが知れているだろ?……いや、逆に下手に冤罪がバレたときのデメリットを考えると完全に悪手だ」
あの人がそんな下手を打つことなんて億に一つもない、と断言する。いつになく真に迫った様子に一瞬、何処と無く違和感を感じるが、時間が無いこともあり目の前の問題へと意識を戻す。
「ルーファスさんが味方なら帝都から帰ってくるまでに何らかの動きをするんじゃないか?」
「そうですね、それこそ万が一を考えてオーロックス砦へ身柄を移すこともあり得ます」
「それは、……不味いな」
仮に委員長の言葉通りに移送が実行されたら、救助できる可能性は著しく低くなる。
頭のなかで焦燥感が渦巻く。何とかしなければならないのに何もできない。
テーブルの空気が重くなりそうになったときソウがひとつの
「移送前に実力行使で救出すれば良いだろ?」
冗談……何かではなく、さも当然の手段のように出された意見に戸惑いを覚える。
「……本気?」
「ああ、もちろん正面から突入なんてしないぜ。ただ街の所々に地下水道の入り口らしき所があったからな、そこから領邦軍の詰所に脱出口として繋がっている所がある可能性は十分にある」
なるほど、確かに一理ある。一旦、秘密裏にマキアスの身の安全を確保した上でルーファスさんへ連絡を入れて助力を願うことも出来る。
一瞬、希望が射したが、すぐさま別の懸念に覆われる。
「………でも入り口の特定……いや、それ以上に内部の経路がわからないんじゃ難しいんじゃないか?」
「ええ、二手に分かれたとしてもしらみ潰しに探すには時間がないと思います」
帝都ヘイムダルには遠く及ばないながらも翡翠の都の地下を巡る水路も十分に多い。土地勘もなく地図も無いなかでは、目的地に辿り着くことすら怪しいだろう。
しかし、目の前の同級生は、意外にも落胆するどころか口の端をニヤリと吊り上げた。
「確かに俺達だけの力じゃ無理だろうな。……だったら、本職の力を借りればいいさ」
端の方の席でひっそりと座っていた白コートの客の方へと顔を向ける。大きく広げられた新聞紙に隠された顔は窺えないが、顔を向けられた瞬間に大きく肩が跳ねたような気がした。
「いやぁ、まさか、あなたがいるなんて本当に幸運でしたよトビーさん」
にこやかなソウの顔とは反対にトビーと呼ばれた白コートの男はげんなりした表情でため息を溢した。
「ったく、やっぱり気付いていやがったか」
「当たり前じゃないですか。それにしても、場所が場所ですからサラ教官なら万が一に備えて保健をかけているとは思ってましたけど、中々良いチョイスですね」
「良いチョイスも何も……今は、帝国は殆ど俺一人で回しているから当然だろうが」
「トビーさんが?へぇ、それは初耳でした」
驚く少年を見て逆に意外な印象を受ける。彼なら既に知っていると思っていたが、すぐさま理由が思い当たり小さく苦笑する。
「……まぁ、お前は
「いやぁ、アリオスさんは何だかんだでそうでもありませんでしたし、スコットさんも根が気さくな方なので大丈夫でしたよ。……まぁ、他の面子は御想像に任せます」
「まぁ、聞いた話によればリンもエオリアも直接関係ないからそのうち何とかなるだろうさ。……ヴェンツェルは、まぁ……難しいだろうな」
「はぁ、別に恨もうが憎もうが結構ですよ。ちゃんと俺達は警告したってのに面倒くさいなぁ」
げんなりした表情を浮かべるソウに一瞬、ほんの一瞬だけ険しい表情が覗いたが、誰かが気づく間もなく瞬く間に引っ込めた。
「えっと、……ソウ?」
「っと、悪い、悪い」
すっかりと蚊帳の外になっていた同級生からの声を受けて小さく謝る。目の前の男が何者であるかは恐らく検討がついていると思うが、一応は紹介しておくのが筋というものだろう。
「あー、既に察しがついていると思うけど、この人は、帝国じゃあ数少ない
「初めまして、遊撃士のトヴァル・ランドナーだ!同級生が捕まったって聞いたが、人助けといえばプロだから任せてくれ!!」
「え、ええ」
ソウの紹介を遮るように放たれた怒涛の自己紹介に学生三人が軽く引く。
「引かれているぞ、遊撃士さん」
「誰のせいだ!誰の!」
少年の笑い混じりのからかい声に大の大人の叫び声が響いた。
豪奢な廊下を一人の老執事が歩く。
主の命とはいえ、折角戻ってきた少年を軟禁するのに罪悪感が無いわけはなかった。いや、むしろ人間的にいえば寧ろできた人間であるこの老人の胸には今朝からその痛みに苛まれていた。
「……ユーシス様、昼食を持って参りました」
期待していた訳ではないが、実際に声の無い返事を受けると胸に刺さるものがある。
一見すると無愛想だが彼が誰よりも屋敷で働くもの達を気にかけているのは周知の事実だ。
──こんなときにルーファス様がいれば
この部屋の主が誰よりも尊敬する聡明な次期当主であれば、父親を思い止まらせ、弟の思いを理解することが出来たであろう。
老執事は軽く溜め息をつくと、失礼します、と一声かけて部屋の扉を開けた。
中には部屋の主の姿はなかった。
無造作に開かれている窓から執事がひとつの可能性に辿り着くまで時間はかからなかった。
「……まさか!?」
窓から地上まではけして低くはない……が、窓の下には少年の姿は見当たらない。
大怪我を負わなかったことの安堵する一方で主の命令を思い出して顔を青くする。
「急ぎ報せなくては!!」
老執事は、早足に部屋を出てていった。
「ふん、思いの外に何とかなったか」
扉の鍵もかけぬまま、出ていった執事は、誰もいない筈の部屋のクローゼットが開いたことを知る由はなかった。