場所に似つかわしくない喧騒が通りに響き渡る。しかし、そこに住む人々の姿はない。
彼等は、それぞれの立派な自宅の窓から控えめに顔を覗かせているだけであり、通りを慌ただしく走り回るのは専ら青と白の軍服のみである。
職人通りの人々が右へ左へと走り回る姿を見たのであれば何と言うだろうか。お世辞にも日々熱心に職務に邁進しているとは言い難い彼らの姿に皮肉な笑みを浮かべる前に驚愕に驚くだろうか。
何にせよ、貴族街は、退っ引きならぬ事態に陥っていた。
「いたか!?」
「いや、ダメだ!」
「ええい、面倒をかけさせてくれる!」
馬鹿め貴様らの自業自得だ、と胸の内だけで叫びながらも必死で息を殺す。
屋敷を脱出するまでは首尾良くいったものの父ヘルムートの行動もまた素早く、地下水路の入り口を早々に押さえられた。
いや、それだけならまだしも貴族街の出口という出口が防がれ、すっかり包囲網が敷かれてしまった。
隙を見て侵入するべく地下水路に程近い物陰に隠れているが、兵士の数は増えはすれど減る様子はない。……ここに気付かれるのも時間の問題であろう。
――情けない話だ
一体、今さら何を期待していたのだろうか。このようなタイミングでの呼び出しに何ら警戒せずに飛び込むなど愚の骨頂としか言えない。
――…阿呆か俺は!
自分に対する憤りか、胸が強く痛む。知らず知らずのうちに強く拳を握りしめていた。
「探せ……恐らく、この近くにいる筈だ!」
隊長各の兵士の声にハッと身構える。少しずつ少しずつ包囲網が狭まって来ている。
コツコツコツ
一歩、一歩と足音が迫ってくる。
体の芯が冷やされるような緊張が体を震わせる。
コツコツコツ
――ここまでか
諦念が心の隅に生まれたとき。
「なるほど、見つからないと思ったらこんなところに隠れていたか」
よく知った声と共に足音が辿り着いた。
ひたひたと薄暗い通路を進む。
闇のなかから聞こえる、何かが這いずり回る音や走り回る足音が不気味に響く。
「それにしても、バリアハートの地下がこんな風になっていたなんてな」
「ええ、……随分と古そうですね」
時代を感じさせる石造りの壁面は、何処と無く旧校舎を彷彿させる。そういえば、あの旧校舎は、中世の暗黒時代の建築物だと言う話だったが、これも同年代のものなのだろうか。
「……レバーみっけ」
ぴたりと立ち止まったフィーの視線の先を見る。確かに壁の上の足場らしき部分に何かのギミックを作動させるであろうレバーらしきものがあった。しかし、―
「これは…、梯子がきれていますね」
委員長の言葉通り、本来であれば梯子が架かっていたであろう場所には周囲と同じような石壁が広がっていた。
高さは大体4アージュといったところか、何かしらの道具もなしに登るにしては少々厳しい高さだ。
反対側から回り込むか、と提案しようとしたとき、フィーがひょいと前に進み出てきた。
「フィーちゃん?」
「……じゃ、行くね」
フィーは、呟いたかと思うと一気に駆け出した。石造りの壁面を旧校舎の入学オリエンテーリングで見せたような動きで難なく駆け上がり、レバーのもとまで到達する。
「よいしょ」
唖然とする俺と委員長を余所にレバーを引くと、ギギギ、と鎖か歯車かが作動する音と共に遠くで何かが開く音がした。
くるりと宙で一回転すると、よっと、と華麗に着地を決める。
学院でも時折、少女の驚くべく身体能力を目にすることがあったが、横の壁を足場に駆け上がる姿は想像を絶するものがあった。
「す、すごいですねフィーちゃん」
「ぶい」
委員長の驚き混じりの称賛に無表情ながらもどこか誇らしげにピースサインを立てる。前々から感じていたが、驚くべき身のこなしといい、昨日のような魔獣との戦闘の様子といい随分とそういうことに慣れているように感じる。
「リィンさん、どうしたんですか?」
「え?」
どうやら表情に出ていたのか、委員長の声に我に帰る。まぁ、悪い娘じゃ無いし今は考える必要は無いであろう。頭に浮かんだひとつの可能性を保留して無難な答えを返す。
「いや、すごいなと思ってさ」
「ええ、一度でいいからあんな風に動き回りたいですね」
願望をこもった声を横に聞きながらアクロバティックに壁を動き回る委員長を想像する。
右へ左へと壁に飛び跳び移る姿、そして、そのたびに上に下にへと跳び跳ねる…―。
「あー、その、やっぱり、フィーぐらいじゃないと色々と危険じゃないのかな」
二重の意味を込めて遠慮がちに伝える。誰に危険とはあえて伝えない。
「うぅ、やっぱり、かなりの運動神経がないと逆に怪我をしてしまいますよね」
「あ、ああ、多分、軍人でも4アージュは厳しいんじゃないか」
至極素直な答えに至極素直に返す。別に何も嘘は言っていない。
「リィン、男の子だね」
「フィーちゃん?」
ジトリとした目で見つめるフィーと彼女の言葉に疑問を委員長に有らぬ誤解を与えぬように尽力しつつ先へと進んで行った。
「全く、執事の目を欺いたと思ったら囲まれたって何ともまぁ……」
「……五月蝿い、帰宅早々に部屋に閉じ込められたから脱出ルートが確保出来なかったからだ」
プイッと顔を逸らしながら反論するユーシスに歩みを止めることなく小さく肩を竦める。正直な話、仕方がないことではあると思うが彼にとっては中々に恥ずかしかったらしい。
「それにしても木箱の影に隠れているなんて、シンプルだけど結構上手かったな。案外、かくれんぼのセンスがあるんじゃないか?」
「言ってろ阿呆が。少なくとも周囲一体に睡眠誘発アーツを撒き散らす、お前のセンスよりはましだ」
「…うっ、いいだろ、それで助かったんだし」
クルリと手元の戦術オーブメント【Enigma】を回す。一応、あっちで言われた通りにこまめに整備はしていたが、実際に使ったのは試験以来だ。
「それにしても【 Enigma】……従来の戦術オーブメントも持ち歩いているとはな」
「まぁ、非常時に役に立つアーツは圧倒的にコッチの方が優れているからな」
実戦を想定し、操作性や攻撃と回復に焦点を絞った【ARCUS】とは異なり、【Enigma】は癖はあるが多様なクオーツや多彩なアーツが大きな魅力だ。今回、使った風属性アーツ《ローレライ》のように非常に魅力的な特殊な補助アーツも数多くあるが、如何せん、使用者の適性によって使用可能なアーツが大幅に増減する。その点を考えてみれば、規格化された【ARCUS】のシステムに比べれば安定性に欠けるかもしれない。
「けど、まぁ、一長一短って言うところかな……っと、此処か?」
階段を下り、川沿いへと降りる。入り口の鉄扉に記された番号を確認するが、間違いない。
「遊撃士の情報によると、こっからが領邦軍の詰所までの最短ルートらしい」
「……なるほど、しかし、鍵はどうする?」
魔獣の危険性もあるということで基本的に地下水道の通路はどの街でも固く鍵が掛けられている。しかし、ユーシスの懸念とは裏腹に何の抵抗もなくドアは開いた。
「何とこの場所だけは鍵が壊れていたんだよな、これが。まぁ、だから此処から入ろうってのもあるんだけどな」
「……成る程、ならさっさと行くぞ」
そう軽く鼻を鳴らすとユーシスは、先に先にへと暗闇の中へと進んでいき、どんどん小さくなっていった。
その後ろ姿にソウは、小さく苦笑する。頭もキレて優秀ではあるが、やはり、いまひとつツメが甘い。
「そんな都合よく鍵が壊れているほど、俺は
ポツリとひとりごちてユーシスの後を追った。