果たして登場キャラクターに「ハイヤァーっ!!」を言わせるのは何時になるのか……少しずつガンバリマス。
トールズ士官学院長室。
学舎の変化はあれど、この部屋で何代もの学院長が獅子心皇帝の御代より続くこの学院の伝統と歴史を受け継ぎ、多くの若者たちが成長し世の礎として羽ばたいていくのを見守り続けた。
部屋のあちこちに見受けられるトロフィーや賞状がこの由緒ある学院の二百二十年にも及ぶ軌跡を物語っている。
「……なるほど、大方の事情は把握した」
学院の校章である有角の獅子を象ったタスペトリーを背後に部屋の主が小さく息を吐く。
けして小さくはない執務机の大きさを感じさせない巨躯は、大樹の如く老いてなおも衰えを感じさせない。
「それで、ソウ・エンペスト君。何か、言いたいことはあるかね?」
「……いいえ、特にありません」
ヴァンダイク学院長の問いに一瞬の間の後、ソウが答える。
しかし、その答えに学院長は釈然としない様子で、ふむ、とその見るものに貫禄を感じさせる白髭を撫でながら再び口を開いた。
「では、言い方を変えよう。君がパトリック・ハイアームズ君に『少々手荒な真似』をした理由を教えてもらえんかの」
核心に切り込んできた学院長の言葉にソウの瞳がほんの僅かな揺らぎを見せる。
その揺らぎに気付かない振りをしながら学院長は問い詰めるような様子を見せることなく静かに少年を見る。
「……理由を挙げるとするならば、彼の言動があまりにも度を過ぎていた。…そして、尚且つ不愉快だったって所ですかね」
少年の言葉になるほどの、と頷きながら揺らぎを押さえて内面を隠し続ける少年に内心で舌を巻く。
至って自然な口調からは、隠し事をしているようには感じない。
現役の頃に少なからず密偵の取り調べに立ち会った経験はあるが、恐らくは本職の者達と比べてもその技能は遜色は無いであろう。
「なるほど、確かに彼の言動も誉められたものではなかったようじゃ。しかし、君の手段も少々やり過ぎたと感じるがの」
「えぇ、…本当に馬鹿なことをしました」
申し訳ありません、と深々と頭を下げる少年をヴァンダイク学院長は暫く見つめる。
数年間この学院の学院長をやっているなかで生徒が謝罪に来るような出来事も少なからずあった。
目の前の少年も表面だけ見れば過去の彼らの様子と変わりはない。
(やはり、仮面を被る……か)
頑なに自分を心の奥に閉じ込める姿に胸を締め付けるような痛みが去来する。
彼が普通の少年とは異なる道を歩んできたことは、少ないながらも知っていたが、何故にこれ程までに自分を殺すのか。
少年を見つめながら学院長は何かを逡巡するようにしていたが、ややあって口を開いた。
「……知識や経験の面では君は同年代の生徒達と比べて随分と完成されておる。もちろん、それにはトールズに来るまでの君自身の経験が礎となっているのであろう。…じゃが…」
学院長は、一旦言葉を切ると仮面の下まで見透すようにじっと少年の瞳を見る。そして、再び口を開いた。
「ワシには君自身の姿が、完成された姿が、随分と危うい橋の上に立っているように見えるのじゃよ。まるで、一番大事な柱が欠けた不安定な状態にも拘わらず顔色ひとつ変えない、ちぐはぐな姿にの」
その瞬間、フッと老人の全身に寒気が走る。
常人ならばたちまち地に伏すような凍り付くような感覚であるが、幾重もの嵐を耐え抜いた大木の如き体躯は微動だにしない。
室内のガラスが突然の温度変化に耐えられずに悲鳴を上げる。しかし、学院長はまるで、寒さなど感じぬように言葉を続ける。
「君がハイアームズ君の態度に冷静さが損なわれる程の強い嫌悪感を抱いた原因が何にあるのかはワシにはわからんし知られることを望まんじゃろ。しかし、例え如何に優れた者でも所詮は一人じゃ、両手で抱えられる荷物などたかが知れとる」
静かに諭すような言葉と共に部屋中に拡がりつつあった氷の侵食が徐々に収まっていく。
「……俺は、…ソウ・エンペストは、この生き方しかできません」
静かに、そして、どこか悲しげに目を逸らす少年に老人の胸に大人として教育者として貫かれるような痛みが走る。
「……そうか」
「……申し訳ありません」
失礼します。と一礼すると少年は扉の向こうへと消えていった。
学院長は、暫くの間少年の消え去った扉をじっと見つめていたが、やがて、ため息と共に天を仰いだ。
悲しみか。諦めか。
氷の仮面の下から僅かに覗いた少年自身の言葉に込められた言い様のない感情、一体何があって彼のような少年があれほどまでに心を凍り付かせてしまったのか。
「……一筋の陽光でも良い。《女神》よ彼の心に温もりをがあらんことを」
ひび割れたガラスの向こうに広がる空に向かって老人は祈る。
彼らが少年の心の光になって道を照らす存在になることを込めて。
胃のなかを掻き回されるような不快感が襲う。
猛烈な吐き気を堪えながら用具倉庫の影で蹲る。
未だに授業中であり、グラウンドを使用するクラスもなかったのが幸いだった。
ゆっくりと体の内部に行き渡らせるように息を吸い込む。
少しだけ吐き気が胸の奥へと帰っていく。
胸に溜め込んだ息を吐き出すと用具倉庫に背中を預けて目を閉じる。
霧がかかったように曖昧な学院長室を出てからの記憶を思い出そうとするが、すぐに止める。
どうせすぐに気持ち悪くなるのがオチだ。
(……ちくしょう)
本当に情けない。
パトリックに不用意にチカラを使ったのも、学院長の言葉に不覚にも動揺を見せてしまったのも。
バリアハートでもあんな馬鹿は見たことがあったのに。
適当にいなしとけば良かったのに。
「……クラスメイトに情が出たか?」
そう口にしながらもあり得ないと切り捨てる。
確かに
だが、言ってしまえばそこまでの関係性だ。
《翼》として、
事実、途中までは止めはしてもチカラを使う気は露程もなかった。
僅かに酸味の混じった唾を吐き出して立ち上がる。
別のクラスの奴や見回りの教師に見つかっても面倒だ。
「ったく、クラスに帰っても何て説明したら良いもんかね」
あれを見られて何も感じなかったなんてことは十中八九無いだろう。
今思えば何人かは随分と鋭い目を向けていたような気がする。
(まぁ、当然といえば当然か)
自業自得、自分で蒔いた種だ。
正直、気が重い。しかし、どのみち自分が何とかせねばならない話だ。
ほっといても情況は悪くなるだけで何もない。
重い足を引きずりながら教室に向かおうとしたとき。
「……っ!?、これは」
フワリと吹き抜けた風…いや正しく言うならばその風が運んできた『香り』に目を見張る。
鼻の奥に感じる春の象徴たるライノの香りが、それが幻でも勘違いでも無いことを物語る。
そして
『どうした
季節外れの春の香りと共に、この地にはいないはずの懐かしい声が耳を打った。