「浩平には、私を襲った相手を探してもらいたいんだ」
「自分では探さないのか」
「そのつもりだったが、急用が入った。いっとき私は家に缶詰めだ。代わりにあんたに任せたいんだよ」
「前金と、必要経費にいくらか欲しいな。前金は成功報酬の2割でどうだろう」
「割り引きとか利かないのか」
「昨日助けた分を割り増しするって話なら、請け負ってもいい」
「おーけー。今のは聞かなかったことにしてくれ」
魔理沙が魔法の森に帰ると、浩平は慧音を寺子屋まで送っていった。
寺子屋の門の前で、慧音は銀の前髪を指先で弄りながら、訊いた。
「今夜、家で夕食を一緒に食べないか」
視線は彼の喉元に向いて、目を合わせようとしない。靴の爪先で地面を蹴ったり、踵でその跡を均したりして落ち着かなかった。
「あ、もちろんふたりっきりって訳じゃない。妹紅も来るんだが」
「それはちょっと残念だけど、先生さえよければ」
「そうか。用意しておく。だから、早めに帰ってこい」
その後、浩平は貸本屋・鈴奈庵を訪ねた。霧雨魔法店と同じく、ここも古い紙の匂いが満ちている場所だった。ただ、ここは人に解放されている気安さがあり、窓から差し込む光がある。棚から選んだ本を勘定台の看板娘に差し出して、浩平は訊いた。
「ところで、小鈴ちゃん。最近面白い妖魔本は入ってないだろうか」
本居小鈴はそれを受け取り、訳知り顔で微笑んだ。
「ははあ、紅魔館の人から頼まれたんですね」
「相変わらず耳が早いんだね」
「勝手に聞こえてくるんですよ。夏祭りにはまだ早いし、最近面白いことも少ないですから」
小鈴は、営業スマイルを崩さずにそういった。まだ十五に届かない幼い娘だが、仕事ぶりはしっかりして見えた。本を扱う手つきに危なげなところはないし、客に対する物腰も柔らかい。が、その目には仔猫がボールにじゃれつくときのような妖しさがのぞいていた。
「うん。そんなところだ。魔法使いが喜びそうな本が何か入ってないだろうか。そういう物を誰かが持ってるって話だけでも、あれば良いんだが」
「この店にそういうのがあるって、あまりいい触らさないで下さいよ。でも、そうですねぇ、何冊か入ってはいますけど、ううん、けどなぁ」
「本が惜しいなら別に売ってくれなくてもいいんだ。ただ、俺も依頼人に義理を立てなくちゃいけない。何も見つかりませんでしたじゃ、食っていけないんだよ」
「お仕事が大変なのは分かります。それに、探偵さんはお得意様だし、融通は利かせたいけど。でも、やっぱり危ない物ですからねぇ」
「そこを何とか」
「さて、どうしましょう」
小鈴は顔の前で手を合わせて、悩んでいる素振りを見せる。だが、その口元は笑っているし、声も弾んでいた。浩平も、こういうやり取りを楽しんでいた。
しばらく似たような言葉を交わして、小鈴は頷いた。
「分かりました。まだ棚に並べてない新商品、探偵さんにだけお見せしましょう。その代わり、面白い話があったら私にも教えてくださいよ」
彼女は店の奥から、厚みのある本をいくつか抱えてきた。和装本だけでなく横文字でタイトルを書いた革装丁もあったし、そもそも表紙のないメモ束のようなものもあった。
浩平は小鈴に説明を受けながら、それぞれのタイトルをメモに書き取った。どれも探している本とは違っていた。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして、紅魔館の魔法使いさんにも宜しくお伝えください」
今後とも鈴奈庵を御贔屓に。そう頭を下げる小鈴に頷いて店を出た。そのあと、すぐに鈴奈庵の店主にも会ったが、それらしい本は入っていないといった。
浩平は、魔理沙から聞いてメモした名前のうち「本居小鈴」を二重線で消した。
尾行に気付いたのは、鈴奈庵を出てふたつほど角を曲がった時だった。暑さのために人が少なく、通りは静まり返っている。そんな中、足音は後ろからぴったりくっついて来る。藁束をこすりつけるようなザラザラとした音だ。
浩平は、不自然にならない程度に入り組んだ小道を選んで通った。足音は相変わらずついて来ている。できるだけ気にしないようにした。背筋を伸ばし、歩幅を開かずゆったり歩いた。
彼は別の本屋に入り、鈴奈庵でしたのとほとんど同じ質問をした。答えも似ていた。うちではそういうのは扱ってないねぇ、一番ありそうなのは鈴奈庵さんだけど(あ、これは内緒にしといてくださいよ、秘密ってことになってるんで、とこっそり耳打ちする)それはともかく、あそこにないんじゃ諦めた方が利口ですよ。
ほぼ同じことを、あと2、3軒で繰り返した。
5軒目が空振りに終わった後、そよ風が細かい砂塵を巻き上げはじめた。足音と一緒に、妙な臭いが鼻についた。長いこと洗っていない犬猫が発するような臭い。獣臭とでもいえばいいのか。その臭いは気になりだすと無視するのは難しかった。
浩平はもう一度、表通りから小道に入り、裏通りに出た。やがて、足音が大きく聞こえるようになり、獣臭も強くなった。肩と背骨の間の筋肉が強張るのを感じた。まるで、亀が手足を引っ込めるような反応だった。
着物の袖から鉛玉を巻いて縛った手ぬぐいを取り出し、右手の指に巻きつけて、鉛玉を握り込んだ。一種の護身用のハンマーであり、その気になれば手ぬぐいに引っ掛けるようにして鉛玉を投げるスリングとしても使える。
獣の匂いと足音が近づいてくる。浩平は建物の角を曲がると壁に寄りかかり、相手が現れるのを待った。握った手ぬぐいと鉛玉は腕ごと着物の袖に隠した。音と臭いに注意を集中する。ザラ、ザラ、と足音が耳障りなほど大きくなり、獣臭はカラスが群がる生ゴミほどに強烈になった。
浩平の肌の上を、チリチリと静電気のような痺れが走った。額と背中に冷や汗が浮き、口の中が乾いていく。手の中の鉛玉がひどく軽い。それでも、痛いほど強く握り込んだ。
尾行者は、あっさり角を曲がって姿を現した。金髪に金の瞳、中肉中背の青年だった。ずた袋を服にしたようなものを身に着けている。一見ただのの浮浪者だが、金色の瞳を持つ人間なんて、ざらにいるものではない。
青年はこっちを見て少し意外そうな顔をすると、すぐに黄ばんだ歯を剥き出しにした。
「どうした、おっさん。もう俺を無視するのは止めたのか」
「そうだ。ところで、君は俺のファンか何かか。あいにく、ファンクラブは可愛い女の子限定なんだが」
「ちげぇよ、ばぁか」
青年はこちらの軽口を意に介した風もなく近寄ってくる。
浩平も、握り込んだ鉛玉を手放して、手ぬぐいを振り子のように吊って見せつけた。
青年は立ち止まって、鼻を鳴らした。
「そんな玩具は捨てちまいな。話し合いにもなりゃしない」
「君に話をするつもりがあるとは思わなかったな」
「いや、話ならあるぞ。手前でご破算にしたいっていうなら別だが、あんただってそんな気は毛頭ないだろう」
「まあね。それにしても、この距離はいいな。これなら君の臭い息を嗅がずに済む。今回は見逃すが、人に会うならせめて身だしなみぐらいは整えておくといい」
一足の間合いより少しだけ離れた距離、手は届かないが声は届いた。
青年は憮然とした顔で腕を組み、左足に体重を預けた。
「調子に乗るな。まあ、いいだろう。ここで話をしようじゃないか」
「君は妖怪だな。俺みたいな、しがない下請業者に何の用があるんだ」
「持って回った言い方は嫌いなんだ。お前、妖魔本を探してるんだってな。しかも、紅魔館の魔女のために」
「だとしたら」
「即刻やめな。目障りだ」
青年はそれ以上は何もいわなかった。
「分からんな。俺が本を探すのは、依頼されたからだ。君の邪魔をしているわけじゃない」
「そっちがそのつもりでも、こっちにはそうじゃないんだよ。理由を話す義理はない。とにかく、お前はこっちのいうことを聞けばいいんだ」
「断るといったら」
青年は、ちらりとこちらの手元を見た。手ぬぐいの中の鉛玉が所在なさげに揺れている。
「そんなちんけな鉛玉より、もっと良いものをくれてやろう。その頑固な頭蓋骨なら、手頃な武器になるんじゃないか」
「妖怪が人間の里の中で暴れたら、只では済まないんじゃないのか」
「妖怪の賢者のことか。あまり当てにしすぎるのはおすすめしないぞ」
「いや、博麗の巫女のことだ。君が彼女をどう思っているかは知らないがね」
「博麗の巫女か」
青年は暗い口調で呟くと、くくっと笑いをこらえた。
「それこそ、当てにしすぎるなよ。これは俺とお前の話。他人の入る余地はないさ。忘れんなよ、俺がいったことを」
青年は腕組みを解くと、身構えた様子も見せずに浩平の隣を通り過ぎた。そのまま振り返ることもなく、すぐそこの角を曲がって消えてしまった。
長い石段を上り、浩平は博麗神社にたどり着いた。境内は掃き清められ、静謐さを醸し出している。参道には人っ子ひとり見当たらない。社殿を守っているはずの狛犬もない。拝殿で賽銭を入れてお参りし、社務所を覗いた。そこは神社関係者の住居スペースと一体になっている。浩平が知る限り、ここに住んでいるのはひとりだけだった。
「ごめんください」
声をかけると、しばらくして一風変わった巫女服をまとった少女が出てきた。その服は袖を切り離した構造になっていて、そのため脇が露出しているし、袴の代わりにスカートを着用している。それでも、博麗霊夢は一目で巫女と分かる浮世離れした雰囲気をまとっていた。
霊夢は手の甲で目元を軽く擦り、欠伸をかみ殺した。
「誰。参拝客かしら」
「お久しぶりです、霊夢さん。覚えていないかもしれませんが、上白沢先生のご紹介で一度だけお会いしたことがあります。木口浩平というものです」
「申し訳ないけど、覚えてないわね」
「では、はじめましてということで。前もそんなに長く話したわけではないですし」
「その木口さんがどういったご用で、これでも忙しいので手短にしてほしいんだけど」
霊夢は気だるげにそういった。
浩平は、自分の仕事について一通り説明し、里で出会った妖怪の青年について話した。
話が終わると、霊夢が訊いた。
「紅魔館由来の妖魔本ね。で、その妖怪はその本が狙いなわけか」
「そうだと断定はしてませんが、おそらく」
「ふーん」
霊夢は関心をそそられなかったようだ。
「そんなの、パチュリーか咲夜に押し付ければいいじゃない」
「それでも良いのかもしれませんが、霊夢さんの体面もありますしね」
「私は関係ないでしょ」
浩平は、妖怪の青年が「博麗の巫女をあまり当てにしすぎるな」といっていたことを、少々誇張して伝えた。それでもあまり興味はなさそうだったが、目の色に剣呑な気配が増したのは伝わってきた。
「それで、あなたは私をわざわざイラつかせるために、ここに来たわけ」
「いえ、ただ単に現状をお伝えしただけです。どこの妖怪かは知りませんが、博麗の巫女の威光は届かず、あまつさえ人間の里で住人に脅しをかけるようなことまでしている。妖怪退治が生業の霊夢さんにとっては、愉快な話じゃないでしょう」
「ついでに、あなたの仕事に私を利用したいってことでしょう。その妖怪を捕まえて、探してる本の在り処を吐かせたいんじゃない」
浩平は笑みの形に口元を歪めた。
「それなら、わざわざあなたに進言しにこんなところまで来やしませんよ。もともと魔理沙の問題なんだから、彼女にお願いします。少なくとも、彼女の方がもう少し素直に力を貸してくれるでしょう」
「場合によっては、私だって素直よ。誠意のある相手の頼みなら、多少無茶でも聞いてあげたくなるわ。ちなみに素敵なお賽銭箱はあっちよ」
「知ってますよ。先ほどお参りしてきました。立派な拝殿ですね」
「それを先にいいなさい」
霊夢は眠そうな顔が一転して、何処からともなく取り出したお札を人差し指と中指に挟み込み、胸元に構えた。
「信じる者は救われるわよ。まあ、この博麗霊夢に任せておきなさい。どこの馬鹿か知らないけど、私を虚仮にして只で済ませたりしないから」
霊夢は人間の里の方へ飛んでいった。
それを見届けて、浩平は鳥居の外に出た。石段に腰かけると、袖から煙草とライターを取り出し、煙草に火をつけた。ひと呼吸分だけ深く吸って、ゆっくり吐く。煙草の先の赤い火と白い煙が羽衣がたなびく様に天に昇っていくのをぼんやりと見つめる。指が熱くなって来ると石段に擦りつけて火を消した。浩平は立ち上がり、石段を降り始めた。
次に向かったのは香霖堂だった。
香霖堂は魔法の森の近くにある。霧雨魔法店にガラクタが溢れたような外観の建物が、背景の森に溶け込むようにぽつんと立っている。全体的に傾いていて、太い楡の支柱が両脇から支えている。錆の浮いた日本の道路交通標識や一昔前全国チェーンのドラッグストアの前に置かれていた人形が転がっていて、昔の同僚に出会ったときのような懐かしさを感じた。
店主の森近霖之助は大学生ぐらいの若者だ。ただし、芯から真っ白な髪と眼鏡の下の金の目を見れば、見た目相応の人間でないことは容易に分かる。
「君はこの間の。先日は魔理沙が世話になったね」
「こんにちは。礼には及びませんよ。結局あなたに全部押し付けてしまったみたいなものですからね」
「いや、君は君にできるだけのことをあの子にしてくれた。それは変わらないさ。それはそうと、今日も買い物かい。魔理沙の家に行く前も、ここでいろいろ買ってくれたが」
「ええ、まあ」
使い捨てのマスクとライターのオイル、懐中電灯に使う電池、掌サイズの単眼鏡を言い値で買った。財布から重さが感じられなくなる。それを懐に戻しながら訊ねた。
「店主は、こういうものをどこで手に入れてくるんです」
「ほとんどは無縁塚なんかで拾ってくるんだ。もしそれが狙いなら行かない方が身のためだろう。亡霊に取りつかれたいなら、オススメするけど」
「怖い怖い。君子危うきになんとやらだ。そういう冒険は店主に任せて、俺はここで大人しく買い物をしてる方が良さそうだ」
霖之助はじっと浩平を見ていた。
「君は、このあと何か予定があるのかい」
ないと答えると、それならとお茶と茶菓子を出してきた。
「ちょっと無駄話に付き合ってくれ。君の仕事の話なんか、興味があるんだが」
「面白くもないものですよ。人の泥を掻き出す作業だ。人を嗅ぎ回り、ことによると人を裏切る仕事です。人に裏切られることもある」
「君さえかまわなければ、聞いてみたいな」
「貴方の話も聞けるなら」
「よし。それで手を打とうか。となると、お茶よりこっちだね」
霖之助は本棚の陰から一升瓶を持ち出してきた。
「つまみは、僕たちの話だけで十分だろう。それで腹がふくれてしまうさ」
ふたりは面白くもない話をした。浩平が話し始めると、彼が酒を一杯注いでくれた。逆に、彼が話を始めると、浩平がお酌をした。話のための酒ではなく、酒を飲むための話だった。いかにも幻想郷らしい。だから、話の内容なんてお互いすぐに忘れてしまった。ただ、よく笑っていたような気がするだけだった。
霖之助は、アブラゼミの遠い鳴き声に耳を傾けて苦笑した。
「いつだったか、セミの鳴き声が堪えられないほど大きくなったことがあったんだよ」
「この辺りにセミなんているのか」
このときには、浩平も霖乃助に遠慮をしなくなっていた。
「すぐそこに森があるじゃないか。あのときは僕も人間の里に逃げ出したし、魔理沙も家から逃げ出したっけ。結局ここからも追い出してしまったが」
「割と冷たいじゃないか。あんた達は親子みたいに仲が良いんだとばかり思っていたよ」
霖之助がそれに何と答えようとしたのか、浩平は分からなかった。来客があったからだ。扉が開いて鈴の音が店内に響くと、ふたりは顔を上げた。
羽の生えた少女がこちらに歩いてくる。前髪だけ紫で白髪、手には大きな本を一冊抱えている。酒で気が大きくなっていて、あまり警戒はしなかった。
「店主、この間の本の続き、ここに置いてあるかしら」
「今日は開店休業だよ」霖之助がお猪口を差し上げる。
「別に私は店主が酔っ払いでも、売るもの売ってくれればいいよ。ほらこの本、最近拾ったんだけど、これと交換で譲ってくれないかな」
「見せてみなさい」
霖之助が本を受け取り、鑑定を始める。見知らぬ出版社が発行した古い鳥類魚類図鑑だった。保存状態はよくない。茶色い皮表紙は歪み、頁はところどころ紙魚が浮いている。少女が眉間にしわを寄せて緊張した様子で結果を待っていた。霖之助が本をためつすがめつしている。
「ねえ、どうなのよ」
「これとあの本を交換するのは難しいな」
「なんでよ。古い本なんでしょう。価値があるんじゃ」
「確かに古いが、それ以上にボロい。商品価値はないな」
少女がうなだれていると、浩平は彼女にお猪口を差し出した。
「残念だったね。どうだい、一杯。酒でも飲んで気晴らしでも」
「いりません。というか、あなた誰よ」
自己紹介すると、少女は胡散臭そうに浩平を見た。
「真昼間から酒飲んでるなんて、良い大人のすることじゃないんじゃない」
「返す言葉もない」
「だいたい、人間がこんなとこほっつき歩いて危ないじゃないの。大人しく里に引っ込んでなさい」
「そうもいかない理由があるんだ」
浩平は妖魔本を探していることを話した。里の噂に疎いふたりは首を傾げたが、深くは突っ込まなかった。
「この店に妖魔本はあまりないな。幻想の品より、外の世界から入ってきた物を多く置くようにしているから」
「私も持ってないわね。何、あなたが読むの」と少女が訊く。
「いや、ある魔女に頼まれたんだ。まあ、仕事の一環かな」
「持ってないわ。一回ぐらい読んでみたくはあるけどね」
「そうか。霖之助さん、この店にある本とやら、見せてもらってもいいかい」
「見せる分には構わないけど、君に売るのは難しいね」
「どういう本なのか、タイトルだけでも教えてもらえればいいよ」
「それなら、わざわざ見せるまでもない」
霖之助は、商品目録を取り出して、妖魔本のタイトルを教えてくれた。
浩平はそれをいちいちメモに取っていく。
その横で、妖怪少女が興味深そうに聞き耳を立てていた。二時間もすると、欠伸をかみ殺した少女が席を立った。彼女はあの後も、男ふたりのくだらない長話を聞き続けていた。浩平も酒を勧めたが、頑として受け付けなかった。
「そろそろ帰るわ。探偵さんもあまり遅くならないうちにね」
名前を知らぬ少女が行ってしまうと、霖之助がいった。
「少しは仕事の役に立ったかな。君がここに来た目的は、さっきの娘だったんだろう。妖魔本うんぬんは建前で」
「そんなところだけど、どうして」
「君にまだお礼をしていなかったからね。魔理沙とは昔馴染みで、他人というわけじゃない」
浩平は、魔理沙からの依頼で彼女を襲った犯人を捜していることを話した。
「それで、見つかりそうかな」
「今はまだ、さっぱり。今まで会ってきた相手は空振りだったように思える。けど、あの本を持ち出した犯人が魔理沙を襲ったのなら、この線で見つかるだろう。きっとね」
「健闘を祈ってるよ。もし力になれることがあれば、遠慮なく訪ねるといい」
「それはサービスかな」
「勿論、これしだいさ」
霖之助は親指と人差し指で輪を作って、口元をゆがめた。どこかの魔法使いと似た笑みだった。
マーガトロイド邸を見つけるのは簡単だった。霧雨魔法店に立ち寄り、缶詰になっている魔理沙の作業を邪魔した後、アリス・マーガトロイドの家はどこか訪ねたからだ。
濃い湿気と胞子を使い捨てマスクで乗り切って、半刻もせずに辿り着いた。こじんまりした一軒家で、頑丈なレンガ造りに白漆喰を塗りこんである。建材にカビひとつ見当たらない。こんな悪環境にある割りに普通の建物だった。煙突から煙は立っていない。森は相変わらず薄暗いが、カーテンを引いたはめ込み式の窓から明かりも漏れてこない。人の気配は感じられなかった。
浩平はアリスを訪ねた言い訳を脳裏で反駁しながら、玄関をノックした。しばらく間が空き、扉の奥から「ちょっと待ってちょうだい」と声がかかる。鍵が開いて、中から金髪碧眼の少女が現れた。鼻梁がとおり、瞳はレンズのようで、唇は職人が気合を入れて朱を入れたようにほっそりしている。まるで人形のようだ。扉を開けた手は細く白いが、病的ではない。青のノースリーブにケープを羽織り、分厚い本を一冊小脇に抱えている。タイトルは見えなかった。
「どちら様、急用じゃなければまたの機会にしてほしいんだけれど」
浩平は妖魔本を探している探偵だと話す。
「一度は魔理沙が持っていたらしいんだが、今は行方が分からないんだ。君は知らないか」
「あなた、お酒を飲んでるわね。いえ、知らないわ。だいたい、それはどういう種類の魔導書なの」
彼女の表情に変化はない。思慮と礼儀と警戒心で微笑が固まっている。
浩平は、少しだけ情報を撒いた。
「内容に関しては知らないが、名前は『鏡の悪魔の書』というらしい」
「知らないわ。聞いたこともないわね」
アリスは微笑んだ。少なくとも、微笑みらしい表情を作ろうとはしていた。浩平には、見慣れた欺瞞の顔そのものだった。
「それならいいんだ。一応、その手の本を持ってそうな人物には全部あたることになっているんだよ。おかげでこんなところまで来ることになってしまった」
「ご愁傷様。だけど、そういう本にはあまり近づかない方がいいわ。いくらお仕事でも。ああ、そうだ。私、よく人形劇をするために人間の里に立ち寄るの。もしそれらしい物を見つけたら、お教えするわ」
浩平は事務所を教えると、そそくさと別れの挨拶をして立ち去った。
その後、適当に木の切り株を見つけて腰を落ち着けた。マーガトロイド邸の窓からは見えにくいが、こちらからは玄関先がよく見えた。
しばらく待つと、青い人影がマーガトロイド邸から出ていった。戻ってくる気配はない。
浩平はマーガトロイド邸へと戻った。今度はノックをしても誰も出てこない。ドアノブを回すが、鍵がかかっている。古典的なピンタンブラー錠で、手並みはお粗末だったがピックとテンションで問題なく開いた。
人形の多い部屋だった。同じ形、同じ意匠の人形が無数に、小物棚や窓際、テーブルや箪笥の上に座り、侵入者をじっと見つめている。浩平は酔いも覚めるような思いだった。同じ魔女でも魔理沙の研究室風の間取りや、パチュリーが司る紅魔館の大図書館より不気味さが勝っていた。
本棚は部屋の隅にひとつしかなく、ごく簡素で整理されていた。『鏡の悪魔の書』は見当たらない。テーブルの引き出しや戸棚、ベッドの下など、隠せる場所は虱潰しにしたが出てこなかった。半刻ほど掛けて家捜ししたが見つからない。
浩平は鍵を掛け直さずにマーガトロイド邸を出た。彼自身、顔に皺が寄っているのが感じられた。
浩平は日暮れ前に里へ戻ってきた。通りのあちこちから焼き鳥の香ばしい匂いや、野菜を煮込んだ出汁の匂いが鼻をくすぐってくる。夕食前の人々が、食事処や屋台に群がっている。
そんな中に、見慣れた背中を見つけた。酒屋の暖簾の奥に、袴のような赤いズボンをサスペンダーで釣った人物がいる。ズボンには護符が無数に貼り付けられていた。浩平が暖簾をくぐって声をかけると、酒瓶を選んでいた白い髪の少女が振り返った。藤原妹紅だった。
「探偵か。もう酒が入ってるのか、少し早いんじゃないか」
「これもお仕事さ。ところで、俺も君と同じで先生から夕食に招待されたんだ。だから、行き先は同じだ」
「おっと。もしかして、私はお邪魔かな」
「まさか。両手に花は男冥利に尽きるってものだろう。邪魔なんてとんでもない」
妹紅と一緒に慧音への土産にする酒を選んで、店を出た。
「お前がいつもそうだから、慧音が苦労するんだろう。もう少しあの子に対して、真剣になってあげたらどうなんだい」
「俺は先生に対して、いつだって真剣そのものなんだけどなぁ」
「他の女に対して、不真面目すぎるんだよ。ちょっと良い女がいれば、すぐ口説きにかかる癖を、なんとかしろというんだ」
「客商売なんだ。リップサービスのひとつぐらいしなきゃいけないさ」
「嫌々やってるようには見えないんだが」
「勿論、楽しんでるさ。怒った顔も結構かわいいぞ、藤原さん」
一瞬、妹紅から何かが焦げるような臭いがしたが、寺子屋に着くと消えてしまった。
「一緒に来たか。準備は出来てる。さ、上がった上がった」
慧音に押されるようにして、浩平は玄関を上がる。
背後から妹紅の苦笑が聞こえてきた。
居間は、屋敷の大きさに比して四畳半と小さな空間だった。そこで、三人は鍋を囲んだ。
「この三人だと、いつも鍋だな」と浩平。
「ああ、冬だろうが夏だろうが、いつも鍋だよ」
慧音は目の前で微笑んだ。
妹紅はふたりの間で、口の端に笑みを浮かべた。
浩平も慣れた茶碗と箸の感触に表情から緊張が消えた。
三人で輪になって鍋を突いていると、自然に話はその日あったことに向かった。
「それで、どうだった。魔理沙の依頼の方は」
「へぇ、紅魔館の魔女の次は、森の魔法使いか。手が早いことで」妹紅が茶々を入れる。
「俺は手だけじゃない。足も結構速いぞ。今日一日随分歩き回ったんだ」
浩平はこれまでの経緯をまとめた。魔理沙を襲った犯人を捜すために、霧雨魔法店から紛失した魔導書を探し始めたこと。その魔導書に興味を持ちそうな人物を虱潰しに当たったこと。その過程で妖怪の青年に里の中で手を引くように脅され、博麗霊夢に報告したこと。浩平は、結びにこういった。
「アリス・マーガトロイドは臭い。彼女が持っていた本の内容を確認できなかったこともそうだが、こっちがわざわざ『妖魔本』を探しているとぼかしてるのに、ご丁寧にどんな『魔導書』を探してるんだと訊いてきた。それに、その魔導書の名前を出したとき、妙な顔をしたことも」
「別に、大したことじゃないような気もするが」と慧音。
「彼女はいつも自分の魔導書を持ち歩いている。タイトルが見れなかった本とは、それのことだろう。いい直しにしたってそうだ。魔導書だって妖魔本のひとつだし、魔女に持っているか訊くのだから魔導書のことだろうと、悟ったのかもしれない」
「勿論、どれも証拠とはいえない些細な違和感です。けど、取っ掛かりにはなる。明日、また森に行ってみるつもりです」
「またか。唯でさえ遠い場所なのに、どうして君は」
「仕事熱心なのも結構だが、ちょっとは傍にいる人間に気を使ってやるぐらいの、甲斐性を見せたらどうよ。そっちの方が、女は嬉しいと思うけどね」
そういった妹紅は煮卵を取ろうとして、箸が滑って上手くいかなかった。結局突き刺して器に移していた。
「あいにく、気を使えるほど軍資金がなくてな。まさに甲斐性がないのさ」
「威張っていうことかよ」
「だったら、藤原さん。俺の代わりに君が調べるか。バイト代は弾むぞ、魔理沙が」
「やめとくよ。そういうのは柄じゃない」
「だろうな」
「けど私は、里に出入りしている妖怪の方が気になる。あの巫女だけじゃ不安だし、明日から私も里の中を見回ってみるよ」
「ありがたいけど、無理はするなよ。あいつがどんな妖怪か、よく分かってないんだから」
「ふん。私を誰だと思ってるんだ」
「健康オタクの焼き鳥屋だろ」
夕食後、三人は妹紅の土産で晩酌をして解散した。
妹紅は一足先に屋敷を出てしまった。浩平がひと息ついて帰り支度をすると、慧音が見送りに玄関まで出てきた。彼女は酒気混じりの赤い頬と、潤んだ瞳で彼を見つめていた。浩平は「じゃあまた」といいそうになり、口をつぐんで麦わら帽子を深く頭に押し込んだ。
「行って来ます」
「うん。行ってらっしゃい」
慧音の声は、いつもより明るく聞こえた。
色んなキャラが一気に出てきた今回は前回の倍以上の文字数。調査パートが必要だったとはいえ、中だるみしてないか心配になります。
次回も不定期更新です。