東方ハードボイルド   作:rudorufu00

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3.鏡の悪魔

 

 

 

 日が昇り切るのを待たずに、浩平は魔法の森に向かった。平坦な道だったが、丈の低い草を踏みつけて進むと、葉の色素が朝露に滲んで靴の裏を汚した。早朝の冷たい空気が二日酔いの胸に満ち、痛む頭を芯から冷やしていった。

 歩き続けると体は温まり、半刻もすれば目が覚めた。浮かぶ雲は濁った黒から澄んだ白に変わっていた。視界が開けると、彼の目は青空の中で対峙するふたつの影を捉えた。

 浩平は立ち止まり、単眼鏡を取り出して影を一つひとつ覗き込んだ。一方は、ずた袋を被った様な姿をした金髪の青年だった。彼はもう一方の影に対して、黄色い歯を剥き出し、腕を組んでいる。昨日、里で出会った妖怪だった。

 青年の視線の先には、赤い長髪に黒いベストを着た女性がいた。背中から広がる蝙蝠の様な黒い羽を見て、紅魔館で見た司書だと思い至った。耳元にも背中のものをコンパクトにした羽があり、威嚇するように鋭く広がっている。

 ふたりは何か話をしているが、距離があり声は聞き取れない。司書の女性は顔を青ざめて、不愉快そうに表情を歪めている。口の動きが激しく、何を言っているのかも読み取れなかった。

 青年はそんな女性の様子に、小馬鹿にしたような笑みが深くなるばかりだ。狩人が獲物をどうやってなぶりものにしようかと考えているような、陶然とした顔だった。

 二人の間で緊張感が増していく。

 浩平は、二人の注意を引かないよう慎重な足取りで近づいていった。袖からは手ぬぐいと鉛玉を取り出し、いつでも投げ込めるようにした。

 先に動いたのは赤い髪の司書だった。

 彼女の目の前に白い光の魔方陣が浮かび上がると、そこから無数の青い光の玉が青年へと襲い掛かった。

 青年は臆せず、青い弾幕に突っ込んでいく。

 両手を広げると、指先から猛禽のように太く曲がった爪が見える。

 爪を横なぎに振るうと、離れた距離にあったはずの光の玉がひとつ、真っぷたつになった。

 その隙間に、青年の体が突進した。

 司書が慌てて身を翻し、突進を回避する。

 お返しとばかりに彼女から吐き出されたナイフのような鋭い光が青年を取り囲み、包囲攻撃を行った。

 青年が飛んでいたあたりの空間を光が満たす。

 眩しさに、浩平は目を細めた。

 見ると、光に亀裂が走っていた。

 亀裂から高圧の熱湯でも噴き出したかのように女性の体が弾き飛ばされ、錐揉みしながら落下していく。

 青空に悲鳴が響いた。

 亀裂から噴き出した何かは、それだけでは飽き足らなかったのか、延長線上にあった白い綿のような雲を粉々に粉砕してしまった。

 司書は空中で体勢を立て直した。

 だが、亀裂から飛び出してきた青年の追撃は早かった。

 彼女が目を向けたときには、青年は腕を振りかぶって凶刃を振り下ろそうというところだった。

 司書が両腕で頭をかばった。

 青年が振りかぶった爪を上段から振り下ろす。

 浩平が手ぬぐいから放った鉛玉が、青年の左のこめかみに炸裂したのはちょうどそのときだった。

 衝撃に青年の頭がぶれて、右に上体が傾いた。

 爪のひと薙ぎは空を切り、司書の女性とすれ違うようにしてそのまま地面に降り立ち、膝をついた。

 浩平は歩み寄りながら、手ぬぐいに替えの鉛玉を包み直した。その頃には、三人の距離は10メートルほどまでに縮まっていた。空にいる司書が、地面にいるふたりを見下ろしていた。

 頭を抑えてうずくまっていた青年が、肩越しに浩平を睨み付ける。左の頬を血が一筋、顎先まで垂れていく。

「てめぇ」とその口が動くのを浩平は見た。歯垢の浮いた黄色い歯は、昨日里で出会った時より犬歯が異常に突き出た形をしていた。

「人に会うときは、身だしなみを整えろと忠告しただろう。特に、女性に会うときはな。でないと、痛い目にあう」

「粋がってんじゃねぇぞ、人間」

 青年はめまいを追い出すように頭をひと振りして、立ち上がる。足元の雑草に赤い雫が一滴落ち、葉の上に丸い玉が出来上がった。雫が落ちるか落ちないかというタイミングで、地震のように地面が揺れ、青年が飛びかかってきた。

 常軌を逸した速さに、浩平は身を投げ出して避ける間もなかった。

 だがその突進は、空から降り注いだ光の爆弾に阻まれた。彼の進行方向に、集中した弾幕が直撃し、彼の体は土や雑草と一緒に宙へ放り投げられた。爆発の激しさに、浩平自身も吹き飛ばされそうになるが、何とか踏み留まった。

 宙を泳いだ青年の体が地面に落下する。今度は受身を取ることも出来なかった。交通事故にあった野良犬のように、手足を投げ出して気を失っていた。

「聞こえちゃいないかもしれませんが、具体的にはこれぐらい痛い目にあうんです」

 浩平の傍に降り立った司書が、そういってスカートをぱんぱんと叩き、埃を払った。青年の様子を伺っていた彼女が、振り向いて深々とお辞儀した。

「ごきげんよう、木口様。この度はお助けいただいたこと、深く感謝いたします」

「それはこっちのことですよ。ええっと」

「小悪魔、とお呼び下さい。そう呼ばれておりますので」

 呼び名とは裏腹に、人見知りしない子供のように無垢な笑顔だった。

 

 

 

 目の前の彼女に失礼して、浩平は煙草を咥えた。ライターを出そうとすると、小悪魔は人差し指に火を灯して煙草の先にそっと分けた。浩平は胸を満たすように煙を吸って吐き出した。

「ありがとう」

「いえいえ、それはそうと、木口様は何故このようなところに。ここは人間の里から随分離れてますよ」

「仕事で魔法の森に行かなきゃならないんですよ。そういう貴女は」

「私は、パチュリー様の言いつけで例の魔導書を探してるんです。放っておくにはちょっと危険な代物ですから」

「あの妖怪は」

「彼とはちょっとした因縁がありまして、何かと私たちに突っかかってくるんです。例の魔導書には関係ありません」

「ではもうひとつ。例の魔導書とはどういうものなんです。危険な代物と聞きましたが」

 小悪魔は、訝しげな目で浩平を見た。

「もしかして、あの魔導書を探しているんですか」

「魔導書というより、魔導書を持っている人物を探してるんです。ご存知ですか」

「誰が持っているかは知りません。けど、どういった事情にしろ、止めておいた方がいいとご忠告いたします。決して悪い意味に取らないで頂きたいんですが」

「わきまえているつもりですが、宜しければ教えていただきたいんです、小悪魔さん」

 小悪魔はしばらく口を閉じて、浩平を見つめた。

「貴方にはついさっき助けられたばかりですし、お礼ということでお話しましょう。聞いてもらえば、考え直していただけるかもしれませんし。あの魔導書の名前はご存知ですね。『鏡の悪魔の書』はその名の通り鏡の悪魔を呼び出すための魔導書です。この悪魔がどういう存在か、木口様はご存知でしょうか」

「あいにく魔法は専門外で。宜しければ初心者に分かるように説明してもらえますか」

 小悪魔は言葉を選ぶために、またしばらく口を閉じた。

「悪魔とは、基本的に人間を誘惑する存在です。そのために、悪魔はいろいろな方法を使います。代表的な欲に色欲がありますね。サキュバスやインキュバスのように、人間の男女を文字通り誘惑してベッドの中で良い思いを味あわせる。その代わり、彼らは人間から精を頂くんです。下手をすると生きる力を全部奪われて、そのまま死んでしまうこともありますが、それは人間の欲が深いだけ、悪魔がそれに応えるからなのです。意外に思うかも知れませんが、模範的な悪魔というのは模範的なビジネスマンでもあるんです。ギブ・アンド・テイクを良しとし、その取り引きがウィン=ウィンなら悪魔にとっても最上の結果となります。ここまでは、ご理解いただけましたでしょうか」

「悪魔は人間の欲望を叶えてくれる代わりに、見返りを求める。お互いに満足なら最高ってことですか」

「模範的な悪魔は、です。人間にもいるでしょう、模範的なのと、そうでないのが。優等生と不良、善良な市民と犯罪者みたいに。悪魔にも、模範的なのと、そうでないのがいるんです」

「模範的な悪魔は人間と取引をして、それを守る。なら、模範的でない悪魔は」

「自分の欲しいものを手に入れるためになら、どんな手だって使います。私と貴方が探している『鏡の悪魔の書』とは、そんな悪魔を呼び出すための本なのです。あの悪魔の望みは“写し身”です。淫魔が人間の精で力を得るように、出会った存在の姿を写し取って、自分のものにすることが鏡の悪魔の力になるんですよ。写し取った姿が多いほど、その力は大きくなります。その上、自分の姿を増やすためなら、どんな手だって使う。そう、魔理沙さんから逃れて新しい姿を手に入れるために、彼女を襲ったように」

「ということは、鏡の悪魔は今、少なくとも魔理沙の姿は写し取っているわけですか」

「そうなります。けど、それだけじゃあないんです。あの悪魔は姿を写し取る過程で、しばらくの間、相手の体の中に入り込むんです。そして一時的にその体の自由を奪ってしまう。その間、本人は自分が何をしているのか、理解していません。悪魔の意のままになってしまう。そして、完全に姿を写し取られた場合、本人と悪魔を見分ける術はありません」

「完全に写し取られると、どうなるんです」

「元々、その姿を持っていた人は、消滅します。跡形もなく、その魂ごと肉体を鏡の悪魔に喰われてしまうからです。その後、悪魔は何食わぬ顔で本人になりすましてしまう」

 浩平は煙草を落として、踏みつけて消した。その後、自分がやったことを見て眉を潜め、吸殻を拾って、袖口に放り込んだ。

「じゃあ、もしかしたら魔理沙は」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれません。彼女は曲がりなりにも魔女ですから、魂に相当の力を持っているはずです。下級の悪魔程度の誘惑なら退けられるかもしれない。確証はありませんけどね。それに、完全じゃないにしろ、外見ぐらいは写し取られたはずです。あの悪魔は、出会ったことのある相手なら、体の中に入らなくても無条件で同じ姿になれるんです。これはどんなに高位の魔女や魔法使いでも、例外じゃありません」

「厄介なことだ。普通の人間には危険極まりないというのは、誇張じゃなかったわけだ」

「鏡の悪魔は他の悪魔の姿は写し取れません。だから、パチュリー様は私を選んだのでしょう。それに、あの悪魔の最大の欠点でもあるのですが、例の魔導書から一定以上離れることができないんです。だから、移動するには本と一緒にいる必要があるんですよ。魔導書を探せば、必然的に鏡の悪魔を捉えることができます。あの悪魔にとって最も効率的に写し身を行う方法は、次々に魔導書の持ち主を替えることなんです」

「最初は魔理沙だった。その次が誰なのか、早く突き止める必要がある」

「本当なら、木口様が魔法の森に向かったあの日に、全部終わるはずだったんですが、あの白黒が不用意に封印を解いてしまったために、失敗してしまいました。なかなか上手くいかないものだとパチュリー様も嘆いていましたよ」

「俺の報酬が半額になった理由は、理解できましたよ」と、浩平は微笑んだ。

「あの、やっぱり止めるつもり、ないんですよね。私は出来れば貴方には、こういう無理をして欲しくはないんですが」

 浩平は小悪魔の不安そうな顔が慧音の顔と重なって見えて、自嘲するように笑った。

「俺が探している奴の正体も判りました。調査は前進している。止める理由はありませんよ」

 ふたりは、お互いに情報を交換することを約束して、その場で別れた。

 

 

 

 アリス・マーガトロイドは留守だった。ピッキングツールで扉を開けようとしたが、今度は上手くいかなかった。鍵自体は簡単に開いたが、扉が岩のようにびくともしなかった。つっかえ棒が掛かっているわけではなく、得体の知れない方法という意味で、魔法の力が働いているようだった。この日の魔法の森は濃い霧がかっていて、張り込みをするには向かなかった。

「それで、またしても私んちに来たのか。あれか、お前さん結構ここが好きなんだろう。何だったら、店員として雇ってやろうか。給料は出ないけど」

「確かにここは嫌いじゃないけど、遠慮するよ。この家の雰囲気が好きなんだ。古い紙の匂いも、家の造りも良い。何より、君みたいな元気で愛らしい娘がいて退屈しない。それが一番だな」

「作業の邪魔しないなら、好きにしな」

 霧雨魔理沙は鼻で笑って、大きな実験用の机がある部屋に引き籠ってしまった。

 霧雨魔法店は、立地と日当たりの悪さを別にすれば避暑地には持って来いの環境だった。里では茹だる様な暑さも魔法の森の陰と湿度が和らげてくれる。

 浩平は言われたとおり好きにした。窓際に座り、森の様子を仔細に観察して時を過ごした。どんな日本の森もそうであるように、新緑、黄緑、黄、焦げ茶や灰色など、様々な色の葉が彩っている。葉の形ひとつひとつを観察しているだけで、一刻が過ぎていた。

 浩平はマスクを着け直して、マーガトロイド邸の様子を見に森を歩いた。相変わらず留守だった。扉も岩戸そのものだった。建物の周りをぐるりと回って、長居せずに霧雨魔法店に帰った。

 戻ってきた彼は、葉っぱではなく店の中の小物を一つひとつ手にとって見て回った。やがてまた一刻が過ぎ、マーガトロイド邸を見に行く。また留守で、すぐに帰ってきた。

 退屈な時間を繰り返していると、一息入れに魔理沙が出てきた。

「休憩か」

「いや、というかもう夜だぞ。夕飯だ、夕飯」

 夜の森は昼とはまた様相が違い、魔理沙も出歩かないほうが良いと浩平を止めた。

「良くないモノが、うろついてることもあるからな」

 魔理沙は作業部屋に戻って眠り、浩平は居間に毛布を借りて眠った。

 翌日、魔理沙のすすめで彼は一度森を出ることにした。

「あんたは唯の人間なんだ、そんなちんけなマスクで長く森の中にいるのは良くないよ。アリスのことは、私が様子を見ておくから、あんたは別の場所を調べてくれ。もし、私を襲ったのがあんたのいう様な悪魔なら、もっと人の多いところを狙うだろう。里の方が足取りを掴めるかも知れない」

 その足の形が、アリス・マーガトロイドのものかもしれないとは、彼女はいわなかった。浩平もあえて口にはしなかった。

 魔理沙は、森の外まで浩平を見送りに来てくれた。

 そのとき、風切音が耳に響いた。ふたりが空を見ると、香霖堂で出会った妖怪の少女が猛スピードで突っ込んでくる。彼女は航空機が滑走路に降り立つように地面に足を着き、勢いのまま魔理沙の肩に抱きついた。必死にここまで飛んできたのだろう。顔は真っ白になり、息も途切れ途切れになっている。

「お願い、助けて!」

「おいおい、一体、どうしたんだ。ちょっと落ち着けって」

 魔理沙が目を白黒させる。

 妖怪の少女は震える手で魔理沙の服を掴み、裏返る寸前の金切り声で怒鳴っていた。

「て、店主、香霖堂の、森近さん、彼を助けて!」

 

 




書きためていた分が無くなった。
これからは本当に不定期更新です。
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