或いはこんな織斑一夏 IF Blade for Mysterious Lady (更新凍結中) 作:鱧ノ丈
手間が省けたと言えばそうなのですが、全く手を入れる箇所が無いというのもまた微妙な気分にですね。なまじ手を加えないだけにこれでいいのかと思ってしまったり。
「なぁ一夏」
「なんだ」
IS学園入学から二日目。寮の食堂にて一夏は朝食を摂っていた。半円状のテーブルと椅子があるボックス席に座り、朝食の和食セットを食べる一夏の対面に座る形で箒がいる。
時は遡り前日の夕刻、神無との会話を終えた一夏は学生寮の自分に割り当てられた部屋へと向かった。部屋番号は1025室。
真耶より事前に女子と二人部屋ということは聞いていたために、寮に戻るまでの時間がかかったのは心を整理するという意味では僥倖だったと言える。
はたして誰が同室になるかは分からないが、学園側が新たに部屋を都合してくれるまでは一つ屋根の下の縁となるわけである以上、それなりに良好な関係を築けたら良いとも思っていた。
そうして部屋へとたどりついた一夏がノックと共に与えられた鍵で扉を開けて入った室内で見た先客、それは風呂上がりのためか湿った髪にタオルを当てていた浴衣姿の箒だったのだ。
その瞬間、存外冷静でいられたとは後々の一夏の言である。
先にも述べた通り、同室の相手が女子であるということは当に承知していたために女子がいることは別段どうでもよかったのだ。
実際問題、仮に一夏の同室者が他の誰であったとしても一夏の反応は変わりはしなかっただろう。強いて異なる例を挙げるとすればまずはセシリア。
件の騒動の際、一応落ち着いた対応を取った一夏であるが、それでも一連のやり取りで彼女に少なからず良くない感情をもっていることもまた確かであった。故に露骨とまでは言わずとも、やや困ったような反応をしていただろう。
そしてもう一人が更識楯無。つまりは神無である。想定していなために一夏本人は気付いていないが、仮にそうなっていた場合、彼はすくなからずうろたえていたことは確かである。年相応の少年のように。
では結果である箒の場合はと言えばどうなるのか。別段特に何も無いが答えだ。敢えて言うのであれば、「あぁ、箒なんだ」とごく自然に受け入れるくらいだろう。少なくとも一夏にとっては同室の相手などその程度で片付く瑣末事であった。
対して狼狽したのが現在一夏の対面に座る箒である。何かが気にかかるような、やや落ち着きの欠けたような素振りは前日から続いていたことだった。
一夏自身、箒の様子が落ち着いていないことは当に気付いていたのだが、原因に心当たりがまるで無いために敢えて指摘はしないでいた。流石にずっとそのままであれば多少なりとも気にはなるが、意図的にそうならないように意識をすればいい。
一応、部屋に備え付けのシャワーの使用時間や着替える際の注意など、一通り互いに確認しておくべきことはした。荷物にしても着替えや携帯電話の充電器、ノートや教科書の類はともかくとして、荷物に素知らぬ顔で入れておいた愛刀に小刀や針などの仕込み武器はなるべく目に付かないスペースに手早くしまった。修業に使う持ちこめるような荷物も隅にやっておいた。
考えれば考えるほどに寮生活において、潰しておくべきチェック箇所は潰した。抜かりは一切無いはずである。だというのに、なぜ目の前の幼馴染は落ちつこうとしないのだろうか。
少し思い返してみれば、一夏が知る昔の箒はもっと強気だったはずである。確かに同年代の女子に比べれば性格的にも固く、剣道のために常に竹刀を持ち歩いていたり言葉づかいもどちらかと言えば男のソレに近かったことから、他の同級生との諍いも多かった。
だが同時にそれは、言うなれば気の強さの現れであり今目の前の様子とはまるで違う。そのことに一夏も少なからず戸惑いを感じていないわけではないのだが、今はその疑問を意識の片隅に押し込んで箒の問いかけに答えることにする。
「その、だな。お前は気にならないのか?」
「何を?」
「決まっているだろう。周りを見てみろ」
静かに椀に盛られた白米を食べながら不意に箒から掛けられた言葉。一体何かと思えば、周囲が気にならないのかという問い。箒が言葉で示そうとしていること。それは食堂のあちこちから一夏と、そしてその対面に座る箒に集中する無数の視線だった。
はっきり言ってしまえば、そんなことには当に気付いていた。積んできた修練は伊達や酔狂でも無く、常人よりはよっぽどそういった感覚に鋭い。
敢えて口には出さないが、箒は視線を感じているだけだが一夏は更に一歩踏み込んで、その視線の強さの度合いの揺れや、より細分化しての視線の一つ一つを察知することもできる。
伊達に「訓練だ」の一言だけで師に夜の森に放り込まれて、四方からの攻撃の対処を叩きこまれたわけではない。
「別に、気にすることじゃあないだろ。というか、元々こうなることは覚悟してたし」
あ~味噌汁んめ~と思いながら一夏は答える。実際その通りであり、そもそも前日からして視線には散々に晒されてきたのだ。
良く思う思わないは別として、もはや気にしても仕方ないという心境に至るには十分である。だというのに箒が視線を気にするのは、やはり一夏の半ば巻き添えになる形ではあるが、今この時に初めて大量の視線に晒されたからか。
「第一さ箒。お前、剣道で全国優勝したんだろうが。全国クラスになれば試合とかで観客の視線も凄いと思うんだけど?」
そうは言ったものの、引き合いに出した大会の試合などで向けられる視線と今この場の視線では質がだいぶ違うだろうとも思った。
物理的な距離というものの差もあるだろうが、やはり視線に込められる意思が大きく違うことは間違いない。
剣道の試合というある種の緊張の場で向けられる視線と、この場のさながら動物園の珍獣に興味を示すような視線。どちらが感じてマシかと問われれば、前者に決まっている。
「いや、その……」
逆に問いを掛けた一夏の言葉に箒が言葉に詰まらせ、目を小さく伏せる。
「どうした?」
「あ、いや……何でも無い。急いで食べよう。時間も少ない」
その変化に気付かないほど一夏も愚鈍では無い。いや、表情の変化はあからさまでありそれを気にするというのは極々自然な反応と言えるだろう。
それは一夏もまた同じであり、剣道優勝のことを話に出した途端に表情を曇らせた箒の様子に眉をひそめながらも尋ねる。
一夏の問いかけに気付いたように箒は伏せていた顔を上げると、真正面の一夏と視線を合わせ、そして気にするなという風で再び朝食を食べだす。
黙々と、一夏と視線を合わせることを避けるように朝食を食べる箒の姿を一夏は静かに見つめていた。その眼が僅かに細められ、まるで見透かそうとしているような鋭い色が宿っていたのに気付く者は誰一人としていなかった。
(ふ~ん……)
僅かに視線を合わせた数秒。その数秒で一夏が行ったのは箒の目を見据えることだった。
師より授かった秘伝の一つ。師は技法というよりも極意に近いものだと言っていた。心を静かに落ち着かせて相手の眼を見る。そしてそこに浮かぶ相手の思いを、考えを読み取る。
本来であれば数瞬の駆け引きが勝敗を決する武技の競い合いでこそ使われる手法だが、こういった用途に使えないこともない。
そして読み取った直前の箒が浮かべていた感情。それは後悔だった。それに対して一夏が思ったのは疑問だった。
剣道の全国優勝。その言葉がキーになったのは確実。だからこそ解せない。全国大会での優勝。普通ならば誇って然るべきだろう。
誇張でも何でもなく称賛されるべき功績だ。少なくとも、言われて悪い気にはならないはずである。だが箒はそのことを言われても喜ぶどころか悔いるような表情を浮かべた。それがどうにも分からなかった。
気になると言えばなるのではあるが、目の前で黙々と朝食を食べる箒の姿を見るに、問い質した所で明瞭な答えが返ってくるとは思えない。
そう思った所で食堂に一年寮の寮監督を務める千冬が姿を現れ、厳しい叱咤と共に迅速な行動を指示する。
時間に遅れた場合の罰則というグラウンド10周は別に何とも思わないが、面倒を起こすわけにもいかないので一夏も手早く朝食を平らげにかかった。
二日目の授業、どちらかと言えばつつがなく終わったというのが一夏の見立てであった。
相変わらず見物人は多いものの、全体的な様子としてはある程度落ち着きを見せている。一夏に興味を示しているのは事実ではあるが、同時に学園での授業に大いに集中しているのもまた事実。
噂だ珍事だの類に興味を大いに示すのはもはや当然としても、それにばかりかまけず自身が為すべきこと、つまりは勉学もきっちりと割り切りを付けて行っているあたりはさすがは天下に名高いIS学園だと思う。
半ば成り行きで入学することになった自分とは異なり、確固たる意志と目標を持って入学したのだからある意味では当然とも言えるが、このあたりは悪いものとは思わない。
周りが頑張っているのだから自分もという気になり、程良い緊張を感じることができる。尤も、それでも珍獣扱いで見物は勘弁してほしいというのもまた本音ではあるが。
決闘までの時間は刻一刻と過ぎていく。
叶うならばISの練習をしたいが、放課後の補講を受け持ってくれた真耶の言による所では、現在機体を使っての訓練の予約は上級生が占めているらしい。
未だ一年が基礎の基礎段階にあり、実機を使っての練習を行わないこの時期になるべく多く実機訓練の時間を確保しておこうという目論見であり、それについて学園側も認めている形になっているかららしい。
専用機があれば話は別ではあるが、千冬いわく納入までに今しばらく時間がかかるとのこと。
さてどうしたものかと思ったものだが、そこまで深く考えることでもないと気付く。必要と思うことをすればいいだけのことだ。
箒から剣道場に来てほしいとの言葉を受けたのはそんな風に考えた学園生活三日目の放課後。寮に戻って屋上で砂鉄袋でも叩こうと思った時のことだった。
指定された時間に学園の剣道場にやってきた一夏。
出迎えてくれた剣道部の部長を名乗る上級生に一体何事かと尋ねてみれば、彼女もよく事情を知らず、ただ箒が一夏を呼んだということしか知らないとのこと。
それを受けて一夏は、なんとなくではあるがその後の展開を予測しつつも道場に入る。そして見つけた。道場の中央で胴着と防具をつけて竹刀を持つ箒の姿を。
「あぁ、やっぱな」
周囲には聞こえないような声で呟く。突然の呼びだし、胴着と防具を着用しての竹刀の携帯。それらがパズルのピースのように思考の内で繋がった。
「来たか、一夏。いきなり呼びだしてすまない。用件は、分かるな?」
「まぁ、ね」
箒の言葉に一夏は小さく頷く。姿恰好、雰囲気を見れば一目で分かるというものだ。言葉にするまでもない。篠ノ之箒は織斑一夏に立ち合いを求めているということだ。
「しかし、いきなりなんでまた?そのくらいは聞いてもいいだろ?」
「別に特別な理由は無い。ただ、お前の腕が気になっただけだ」
「ふ~ん」
本当に何でもない理由だなと思いつつ一夏は周囲を見る。相も変わらず自身のネームバリューが効いているのか、二人を囲むように剣道部の部員やそれ以外の野次馬などがズラリと並んでいる。
剣道部員の方は一夏だけでなく、全中優勝の箒の腕前も気になるといった風情だろうか。とはいえ、そのあたりは一夏には特に気にするようなことでもない。
道場の一角にある竹刀置き場に向かい、立てかけられた竹刀の中から丁度良いものを見繕う。そして手頃な一振りを選ぶと、それを片手に持って道場の中央に向かって箒の前に立つ。
「よし。じゃあ、始めようか」
その言葉に周囲が驚きのざわめきを上げる。それはギャラリーだけでなく、一夏の前に立つ箒もまた同様であり、面具の向こうの瞳を大きく見開いている。
「何を馬鹿なことを言っている。防具をつけろ! 怪我をするぞ!」
だがその言葉に一夏は無言で首を振る。なるほど、箒の言うことも尤もだ。
竹刀も使い方によっては立派な凶器になりうる。ましてや箒は中学いえど全国大会の優勝者。素人とは異なり適切な振るい方を、つまりは的確に相手にダメージを与える方法を心得ている。
補足をすれば、箒の剣筋の鋭さは既に同年代の中では相当に高い。このIS学園剣道部の生徒と比べても、箒は入学したての一年の身でありながら既に部の即戦力たりうる実力を持っている。防具を着用せずにそんな一撃を受ければ怪我は免れない。ましてや面に、頭部に当たろうものなら一大事にもなりうる。
箒だけではない。周囲の剣道部の面々も一夏に防具の着用を勧める。別段、男だ女だは関係ない。前述した通り、全中優勝の腕前は軽々しいものではなく、純粋に安全面での配慮ゆえだ。
そのあたりは一夏も重々に承知している。そもそも、それ以上に危険を伴うことをやってきたのだ。今更言われるまでもない。だが、それを承知した上で一夏は言った。
「要らんよ。必要もない」
不要と答えた。そして一夏は竹刀を右手のみで構える。その姿に箒は、剣道部の面々は、成り行きを見守っていたギャラリーは理解する。一夏が構えを取ったことを。いつでも試合を始められる、その意思を示したことを。
「本気なのか……?」
慎重に、本当に良いのかと箒が尋ねる。だが、その声には僅かに険が含まれている。一切の防具を付けず、あまつさえ構えは片手のみ。それを侮りと取ったからか。
だが、そんなものどこ吹く風というように一夏は頷く。しかし表情は真剣そのもの。ふざけも何も、一切存在していないことが分かる。
「……分かった」
もはや言葉は不要と言うように竹刀を構える箒に、見守っていた部員の誰かが諌めるように箒の名を呼ぶ。そして今度は箒がその声を切り捨てた。
「止めても無駄だ。こいつは防具無しの片手でやると言っている。なら是非も無い。こいつも男だ。自分で言った言葉くらいは全うするだろう。一夏、有効打はルールに従って面、胴、籠手、突きのみだ。構わないな」
確認する箒に一夏は頷く。それを了承し準備を整えた箒はギャラリーに始めの掛け声を求める。あまりに異様としか言えない展開に部員は顔を見合わせて戸惑うが、やがて一人の部員が一歩進み出て右手を目に出す。そして――
「始めっ!!」
その声と共に差し出した右手を振りあげて試合が始まった。
「いやあぁぁぁぁぁぁっっ!!」
先手を打ったのは箒。竹刀を上段に振りかぶり、気合いの掛け声と共に一夏へ向けて踏み込む。
未だ15の少女の身なれど、その動きはさすが全国大会優勝者と言うべきか。動きの開始に際してのラグの少なさ、動きそのものの鋭さや一足で大きく距離を詰める勢いや速さは、見守っていた部員の多くが思わず感嘆の声を上げる程。
対する一夏は一歩として動こうとしない。ただ、右手で竹刀を構えたまま不動の姿勢を取る。
間合いに一夏を捉えた箒が竹刀を振りかぶる。鋭さと速さを伴った一撃が一夏の頭頂部目掛けて襲いかかる。一体一夏はどのような行動を取るのか、直撃すれば無事で済まないことは必至。ギャラリーが、部員が、箒本人も固唾を飲む。
そして道場に響いたのは竹刀同士が打ち合う乾いた音だった。
「ふんっ……!!」
一夏が行ったことはごく単純。右手に持った竹刀で、片手のまま箒の一撃を受け止めることだった。
激突は竹刀の中ほどであったが、素早く一夏が竹刀を滑らせて交差点を鍔近くにすることで鍔迫り合いの形になる。
その光景に誰もが驚きに目を見開く。上段から両腕で振り下ろされる竹刀。それを片手だけで受け止めたことに。部員は当然として、剣道にさほど詳しくない他のギャラリーも同じだ。
とは言え、片手と両手ではどちらの力が上かなど、考えるまでも無い。幼稚園の子供でも分かるごく自然な道理だ。
このような時勢ではあるが、やはり筋力などは原則的に男の方が優位に立ちやすいということは生物学的な観点でもごく当たり前のこととして知られている。長袖長ズボンの制服ゆえに全貌は分からないが、制服の上から見るに一夏はよく鍛えている体つきをしていることが分かる。
だがそれでも、中学全国優勝者の両腕からの一撃を片手のみで受け止めるなど、普通はあり得ない。驚愕、あるいは戦慄が観衆の表情を彩る。
それは箒も同様であり、涼しい顔で自身の一撃を受け止める一夏に驚愕、畏怖、戦慄が入り混じった表情を浮かべる。
とは言え、一夏も何も腕力だけで受け止めているわけではない。片足を僅かに後方に下げ、下げた足に力をやや多めに込めることで体全体をつっかえ棒のように固定。さらに右腕もやや大きめに曲げ、上体と右腕がなるべく近づくようにして腕だけで力を受け止めないようにする。
一見すれば片手のみ、その実は体全体で受け止めていると言った方が正しい。
数秒の拮抗。今度は一夏が仕掛ける。道場の床を踏み締める両の足に力を込める。無駄なロスが起きないように床を踏み、その反発力を体を通して一気に持ち上げる。
足先から走らせた力で体を前面に押し出すと同時に、その勢いをスターターとして右腕も大きく前に押し出す。コンマ数秒の速さで行われたソレは、受けた側である箒にとっては不意に大きな力が叩きつけられたという錯覚を引き起こす。
同時に、両腕で押し込もうとしていた箒の竹刀が大きく弾かれ、箒自身もまたたたらを踏んで後ろへと下がる。
「くっ……」
隙を見せまいとすぐさま崩れた体勢を立て直し、竹刀も構えなおす箒。だが、一夏は動かなかった。間違いなく箒が大きな隙を晒していたにも関わらず、あえてそれを諦観したのだ。
そして、その顔にはどこか納得し満足するような表情があった。
「いい一撃じゃないか、箒」
不意に穏やかな声で讃えるように一夏う言った。箒もまさかいきなりそのようなことを言われるとは思っていなかったのか、一瞬呆けるような顔になる。だが、それに構うことなく一夏は言葉を続ける。
「いやぁ、本当に強くなってたな。六年ってやっぱ大きいよな、うん。何とかなったけど、正直片手で大丈夫かって不安になったよ」
ウンウンと一人で納得するように頷く一夏。一人で話を進めるその姿に箒も、観衆も何も言わない。
「ホントさ、ちょっと驚いたし、まぁ嬉しくもあったかな。一太刀、たったそれだけだけど打ち合って感じたよ。箒、お前の六年ってやつを」
そしてふと、一夏が口の端を吊り上げる。浮かべるのは笑み。だがそれが友好的かと問われれば、おそらくは否。どこか勝ち誇るようなその笑みは言外に告げている。称賛はすれど己が上だと。上に立つ余裕、全中優勝者相手に一夏が浮かべたのはそんな笑みだった。
「じゃあ今度は俺の六年、見せてやるとしよう」
空気が変わった。そう感じたのはどれだけの人間か。対面している箒、そして見守る剣道部の面々の極一部くらいだ。それを除けば一夏の纏う空気の僅かな変化に気付いた者は居なかった。
そして、もっともその変化を顕著に感じているのは他ならない一夏と直接向き合う箒だろう。竹刀を握る手の内に汗が浮かぶ。面越しに一夏の目が自身を見つめているのが分かる。
子供の頃から想い続けてきた幼馴染に見つめられる。そのことに本来なら胸が高鳴るべきなのだろう。だが、それとは別の意味で今、箒の心臓は大きく鼓動を打っていた。何もかもを見透かされている。箒が抱いたのはそんな感覚だった。
「来い、箒」
浮かべていた笑みを引っこめ、静かな眼差しで一夏が言う。その声に箒は言い知れない圧迫を感じた。
初日、再会した時に一夏は変わったと思った。六年もあれば当然とは思ったが、箒は見込みが甘かったことをしる。まだ自分は、一夏の変化を少ししか見ていなかった。
喉を鳴らして唾を飲む。緊張からか。呑み込んだ唾は粘性が強いものだった。それでも箒は竹刀を構える。威圧を感じながらも、一夏が向かって来いと言っている。答えないわけにはいかなかった。
ゆっくりと竹刀を上段に構える。そして――
「やぁあああああああああああ!!!」
先ほど以上に裂帛の気合を込めて一夏へと向かって行った。
勝敗が決し、一夏が去った後の道場で箒は茫然としていた。周囲の部員や観衆が心配そうに箒を見ている。
完敗、そう言わざるをえないほどに完膚なきまでに封殺された。中学剣道女子全国優勝という経歴は紛れもない本物だ。思う所はあれど、そのことから来る自身の実力への自負はあった。慢心するわけではないが、並みの相手には負けないという自信はもっていた。だが、それは一夏相手に木っ端微塵に打ち砕かれた。
あの一撃目以降、箒の攻撃は一夏にかすりもしなかった。確かに当たると思った。なのに、まるですり抜けるかのように箒の攻撃の悉くが交わされる。まるで幻を相手にしているかのような錯覚すら覚える。
そうしてかわされていく内に、気が付けば喉元に一夏の竹刀が突きつけられていた。別に一本を取られたわけではない。だが、その突き付けられた一夏の竹刀の切っ先を見て、箒は自身の敗北を悟らされた。
そのまま、糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた箒を静かに見つめながら一夏は言った。
「箒、ひとまずは見事と言っておこう。あぁ、ガキの頃とくらべものにならない実力、お前の成長は確かに見届けた。誇れよ、並みの相手なら負けることは無いだろうさ」
でも――と、どこか憂いに近いものを含んだ表情で続けて言った。
「残酷なことを言えば、その程度じゃ俺には勝てんよ。俺は並みとは違う。持って生まれた物、積み重ねてきたもの、何もかもが違う。俺を、有象無象と比べるな」
それだけ言って一夏は竹刀を元の場所に戻すと道場から立ち去った。部屋、先に戻っているからという言葉だけを残して。道場の入り口に固まっていた観衆も、無言で歩き去る一夏に自然と道を開けていた。その姿はさながら海を割るモーゼのようにであり、実力だけでない何か他者と隔絶するような空気を纏うものだった。
その背を見つめながら箒は感じた。六年の間に生まれた、一夏との決定的な隔絶を。そして――悔しさに拳を強く握りしめた。
道場から去った一夏が向かったのは校舎の玄関だった。渡り廊下を使って校舎から直接剣道場に赴いたため、寮に戻るには一度玄関で靴に履き替える必要があるのだ。
校舎の廊下を一夏は両手をポケットに入れながら歩く。手甲が引っ掛かってしまうため、親指だけをポケットの縁に引っ掻けて外に出す形にしている。
廊下には人の気配が少ないためかシンと静まり返っており、歩く一夏の上履きの踵と廊下の床がぶつかる音だけが響く。一定のリズムで廊下に響く音を楽しみながら、一夏は校舎の玄関にたどり着く。後は靴に履き替えて寮に行くだけだ。
既に一夏の思考は寮に戻ってからの座学の予復習や刀の素振りや砂鉄袋叩き、型稽古などの勉強や修練の計画の構築に入っている。靴を履き替えるといった動作はもはや体に染み付いているため無意識でできる。それ故か、一夏の思考は誰かに話し掛けられても容易には気付かないくらいの集中状態にあった。
だが、その集中も常と異なる事があれば否応なしに途切れる。それは今まさにこの時と言えた。気付いたのは靴を取ろうとした時だった。目を向けることなく靴を取ろうとして、手に異なる感覚があったのだ。
気付いた一夏は下に向けていた視線を上げて下駄箱を見る。カサリとした感覚、直接見てその存在を確認した。靴の上に置かれた長方形の紙、真っ白な封筒がそこにはあった。
「あん? 何これ?」
封筒の端を人差し指と親指で摘まみ、顔の前に持ち上げる。目の前で両面を回して全体を確認する。白い無地の封筒。封は丁寧だが表面に文字は一つもない。差出人はこの時点では不明。
下駄箱に手紙。このワードから連想するとすれば、極めて古典的なラブレターの渡し方というものだろう。だとすれば意外にも程があるというものだが、本当にこれがそういうものかと考えれば疑問もある。
疑問と言ってもそこまで深く考えるような事ではなく、実に単純な話であるのだが、一重に装飾のシンプルさだ。異性の心理などあまり詳しくはないが、そういった手合いの想いを伝える手紙としては簡素にすぎるという印象を抱く。
何の文字も書かれていない無地の封筒となると、むしろ口頭では伝えられない、或いは伝える機会を逸した伝言などを伝えるための、単なるメッセージカードと考えた方が自然に思える。
軽く周囲を見回して人が居ないことを確認する。とは言ったものの、わざわざ目で見るまでも無く気配で周囲に人が居るかどうかは確認できる。一応念のためというやつである。
周囲の確認を終えると一夏は封に手をかける。封と言っても封筒の口をただ折って閉じただけであり、糊やテープで封がされたというわけではないので、至極簡単に中身を取り出すことができる。
指で軽く弾いて封を開け中身を取り出す。出てきたのは二つに折り畳まれた紙片だった。メモ用紙を一枚、用件を書いてそのまま二つに折って中に入れたという趣だ。紙の縁部分に水色のラインという、シンプルながらも悪くない装飾が印刷されているのは、送り主だろうメモ用紙の持ち主が女子だからだろうか。
メモを取り出すと一夏は折られていたそれを開く。数秒だけその中身を見ると再びメモを折り、取りだすまでの流れを逆再生するかのようにメモを封筒に戻し、今度はその封筒を鞄に仕舞う。そして改めて靴を履くと、一夏はそのまま寮へと向かって行った。
数時間後、午後八時。一夏は寮以外の場所にその身を置いていた。
場所は学園内訓練用ISアリーナ。通常であれば授業のIS実習、学園行事などでの試合、あるいは放課後の生徒のIS自主練習などで使用される場所のため、このような時刻には使用がされずに施錠が施されているはずの施設である。
八時となる少し前、夕食を終えた一夏は静かに寮から出ていた。同室の箒は昼間の一件で思う所あるのか、一夏にやや余所余所しい状態となっており、逆に一夏の行動についてさほど気に留めない状態であったので部屋から抜け出すのは容易かった。
そうして多少の荷物を持って寮を出てやってきたのがこのISアリーナだ。
アリーナにやってきた一夏は先客の存在を知る。理由は一目瞭然だ。ガラスの自動ドアの向こうのアリーナエントランスホールを始めとして、一部の屋内に明かりが点いていることが外からもある程度視認できるからだ。
とりあえずはとエントランスに入った一夏はそこで立ち止まるとズボンのポケットに手を突っ込む。そして取りだしたのは一枚の小さな紙。それは放課後、一夏の下駄箱に入っていた封筒の中身のメモ用紙だった。
メモを取りだした一夏はエントランスの照明に照らされたその内容を再び見る。
『今夜八時、学園島外縁部第四ISアリーナ待機ピット一番にて待つ』
それがメモに書かれていた文面であった。これ以外にも、要持参とされる物が数点、文の脇に添える形で書かれている。
ボールペン、否、線の細さやインクの滲み方からして恐らくは万年筆で書かれたと思しきその字は、端的に言えば手本のように綺麗な字であった。
書いた者の品格や教養といった内面の良さを表すかのような綺麗な字は見ていて悪い気分にはならない。例えその内容が唐突かつ意図を読み切れないものであっても、その呼びかけに応じようという気になるくらいには。
アリーナエントランスの壁には大きな案内表示板がある。ISアリーナはそこで使用されるISという存在の特性上、一つ一つが巨大施設とよんで差し支えない作りになっており、このような案内表示は半ば必須と言えるのだ。
案内板から、一夏はメモに記された一番のピットを探す。 事前に生徒全員に配布されている学園の施設案内に依るところでは、試合を控えた操縦者が準備をするために更衣室と直結したピットが4つ、楕円形となっているアリーナの長軸両端を対称として両サイドに二つずつ設置されている。
このピットは単純に試合前にISを装着するだけでなく、直前の細かい調整もできるように機体整備用の設備も少しながら備えられているらしい。
IS学習こそが真価と呼べるこの学園においても重要な施設の一つであるため、このあたりの設備はそれなり以上に整っているのだ。
手紙で指定されたのはその4つのピットの内の一番を振り分けられた場所。案内に従って一夏はその場所までの廊下を歩く。外周全体の総距離はキロメートルの単位に達するため、その外周に沿うようにして作られている廊下も必然的にそれなり以上の距離があるが、幸いにして一番ピットは入り口から最も近い位置にあるピットであるため、それほど長い距離を歩くことはない。
しばし歩いた後、一夏はピットに繋がる第一更衣室の前にやって来ていた。ピットの入り口はもう一つ、第一ピットと最寄りの第二ピットの中間にある試合時などに教員が監督を行う管制室に近い廊下と直接繋がるものがあるのだが、そちらを使うと余計な距離を歩くことになるため、更衣室を突っ切った方が早いのだ。
手を掛けたドアを開け放つと同時に、暗闇に包まれていた更衣室が天井に設置された赤外線センサーによる自動照明によって明るく照らされる。
室内にはズラリと木製のロッカーが立ち並び、ロッカー同士の間には長椅子が規則正しく並んでいる。更衣室は試合を待つ者の控え室としての側面もあるので、照明も暖色系の柔らかな色になっており、木製のロッカーなども相まって全体的に落ち着いた雰囲気を持っている。
だが、そんなことお構い無しと言うように部屋の空気とは対照的な硬質の空気を纏って一夏は部屋を闊歩する。室内にあるものには一切目をくれずにピットに繋がる扉までの最短経路を一直線に突き進む。そして、到着はあっという間だった。
入った直後の落ち着いた雰囲気には不釣り合いな鉄の自動ドア。敢えて室内全体の調和を考慮せずに鉄の塊が放つ物々しさを全面に出した扉としているのは、これから戦いに赴く者の心を引き締めさせるためか。
勿論、この構造を考えた者の意思など一夏は知らない。知る必要も無い。扉の前に立ち、その上に付けられたセンサーが一夏の存在を感知してプログラムに従い扉を開く。
ピットと更衣室を隔てる壁の中を通る僅か数メートルの通路の先にまた扉。先ほどと同じように扉の前に立ち、そして扉が開く。
直後、春先の未だ肌寒さを残す夜の外気が一夏の総身を包んだ。だが、冬の雪に覆われた山中での幾度となく行った修業の経験ゆえに、その気温はさほど苦にならない。
むしろ周囲を海に囲まれている場所ゆえに、鼻腔をくすぐる潮の香りがアリーナへとISが飛び立つための拓けた出口から見える夜空と相俟って風情すら感じる。
『グッドイブニング。良い夜ね、一夏』
一夏がピットに足を踏み入れた直後、天井あたりにでも設置されているのだろうスピーカーから声が響く。誰の声かなど、最初の一言の瞬間から分かった。
更識楯無、本名更識神無。この学園の生徒会長、つまりは生徒最強。薄々予感はしていた。だが、これではっきりとした。一夏をこの場に呼びだしたのは他ならない彼女だ。
「あぁ、確かに良い夜だぜ、神無。ましてや、お前の声を聞けば尚更にな」
軽い口調の神無に合わせてか、一夏もまた軽快な口調で返す。スピーカーを介して声を伝えているということは、マイクなどで離れた場所にいることが伺える。
この場の自分の声が届くかは分からなかったが、言うだけ言ってみた。そして、それは無駄な行動では無かったらしい。
『クスッ。中々上手ね』
小さく笑いを零したのがマイク越しに伝わる神無の様子に一夏も声に出さず、口元を動かして笑みを作る。だが、すぐにその笑みを仕舞いこみ表情を固いものにする。
確かに彼女からの呼び出しというものは悪くないが、その内容はまた別だ。わざわざこのような時刻にこのような場所に呼び出す。軽々しい内容ではないということは想像に難くない。
「でだ、俺を呼びだした用件はなんだ? まさか、話すためだけってわけじゃあないだろ?」
『えぇ、もちろん』
一夏の声色の変化を感じ取ったか、神無もまた声のトーンを落とし、真面目な色を帯びた声音で返す。そのまま、凛と澄んだ声で彼女は続ける。
『ピットの奥を見てみなさいな』
その声に従って一夏は首を右に回して言われた場所を見る。そこで気付いた。ピットの最奥に薄く点いた明かりと、それに照らされながら鎮座する鎧のような物体を。
「こいつぁ……IS。確か『打鉄』だったか」
『ご名答』
鎮座するISの名前を素早く言い当てた一夏に、神無の声に僅かに満足そうな色が宿った。
『悪いけど、時間が惜しいから手短に言うわ。それを装備してアリーナに出てきて。装備の仕方は分かるわよね? 腕部と脚部の装甲に手足を入れて、体を背部装甲に預ける。後は機体がやってくれるわ』
その言葉は予想外だった。いかに彼女の言葉いえどあっさりとハイそうですかとは頷けず、どういうことかを尋ねようと思うくらいには。
「待った、良いのかよ? 確かこいつ動かすのも結構面倒なんじゃ無かったのか?」
専用機を持つ者を除く学園の生徒のほぼ全ては実機訓練を学園の訓練機を使用して行う。だが、この訓練機の使用にはひどく煩雑な手順を踏む必要があるのだ。
補講の際に真耶が教えてくれたことでもある。一夏が指定された問題を解いている間に彼女が見本として職員室から持って来てくれた申請書類一式。その枚数や記入事項の多さに思わず眩暈を感じたのは一夏だけの秘密である。
同時にその管理の厳重さはISがスポーツとして使用されながらも、れっきとした強力な兵器の証左に他ならない。否、真耶の言による所によればそれでも訓練機としての使用を円滑にするために、本来ならば更に厳重に管理すべきを特例的に申請と稼働を行いやすくしているらしい。ISとはそれだけの存在なのだ。
そしてその管理の厳重さは、このような夜更けに教師の監督も無い状態で使用を許されるはずが無いことも示す。
その疑問を『結構面倒』の一言に集約させた問いとして放った一夏に、神無は少しの間を置いて答えた。
『まぁ、ちょ~っと色々ね』
それを聞いて一夏は黙って打鉄に歩み寄る。とりあえずは問題は無いらしい。ならば、是非も無い。言われた通り、打鉄に歩み寄った一夏はその装着を開始する。
機体本体に適当に手を掛けて軽やかに登ると、その装甲に手足を通し背を預ける。同時に機体が乗り手の認識と稼働を開始する。スターティングには数秒も掛らなかった。
目の前の空間投射式モニターに幾つものウィンドウが表示され、機体状態をセットアップしていく。
一連の切欠となった試験会場、真耶にパイルドライバーをかました二回目。その時と同じように情報が自然と脳に流れ込んでいく。そして目の前に『起動完了』の文字が表示されると同時に、一夏は体に残る二度の起動の残留感覚を頼りにして機体を走らせ、そしてアリーナの宙に躍り出た。
「はぁい。一日ぶりね」
宙へと躍り出て静止した一夏の前に一つの影が降りてきた。
誰かなど言うまでもない。神無である。その身には一夏同様にISが装着されている。宙という場所に佇むのだから当然であるが、その拵えは一夏が纏う打鉄とは大きく異なる。
日本国純製である打鉄が日本という国の歴史と国民性によってか、鎧武者を象ったような防御に重きを置いた装甲というものが顕著な機体であるのに対し、神無が纏うISは真逆。
一目見て装甲の少なさが目立つ。腰部の装甲も打鉄が脚部全体をスカートのように覆うのに対し、神無の機体は精々が大腿部上半分を覆う程度。
腕部や脚部のアーマーを除けば、胴体部分などの装甲も少ないように見え、一見すれば守勢において難を抱えているように見える。
違う。自身の勘が直感的にそう告げているのを感じた。
確かに見た目は心許ない。だが、それのみで判断するのは愚行の極みと言える空気を感じる。そして目を凝らして気付いた。 宙に佇む神無の周囲。そこに薄くさざめく波を。
「それ、神無の専用機か?」
気付いたことにはあえて触れずにそれだけを問う。
記憶に間違いがなければ学園の訓練機はこの打鉄と、先日真耶が使用したラファールのみ。目の前の機体はそのどちらとも明らかに異なる。
「そう。ロシア第三世代機、開発コードは『
「そうか」
何故ロシア開発とおぼしき機体を正真正銘日本人の彼女が所持しているのか。気にはなりはしたが深く追求することは止める。何となくだが、聞いても仕方がないような気がしたのだ。 もう一つ、気になったと言えば第三世代という言葉。ちょうど授業と補講で習ったばかりのことを思い出す。
第三世代。現在先進各国が開発を進めている次期主力を見越した最新鋭機。特筆すべきその特徴は、乗り手の意思と密接に関係した稼働と、レーザーなどに代表される、ライフルやミサイルなどの従来兵器の延長にあったIS武装の新分野。IS自体もそうだが、かつては創作の中でのみ活躍した兵器の数々が現実のものとなること。
未だ稼働試験段階の国が多いらしいが、次代のISによる国家武装戦略の要とも言える存在だ。
一夏が知る知識はこの程度。授業でやる程度の浅いものでしかない。更に深く知ろうと思うなら、より多くの知識の会得が必要となるだろう。だが、関係無い。要は注意すべき面妖な兵器。その認識があれば十分だ。
「で、いきなりこんな所にISもセットで呼びつけるなんて、どうしたんだよ」
思考を切り替えて目の前の状況への理解を最優先とする。至極当たり前と言える一夏の問いに神無は微笑を浮かべながら答える。
「うん、ちょっとね。昨日も言ったけど私は
あなたの試合騒ぎのこともそうだし、実機での訓練が現状では不可能なことも。そ、こ、で。その~ね? 昔馴染みのよしみでちょっとお手伝いしちゃおっかな~って思ったのよ」
その言葉で一夏はおおよそを把握した。簡潔に纏めるのであれば、セシリアとの試合まで数日しかない一夏を神無が鍛えるということ。
言葉で表せばその程度で片付くが、実際にはそう簡単なことではないことくらい、一夏にも想像がつく。時間外の学園施設の使用、学園の訓練機の使用許可、その他諸々。そこに絡むだろう面倒たるや推して知るべし。
「大丈夫だったのかよ?」
どこか案ずるような声で尋ねる。この学園の生徒会長という役職がどのような職務をこなすかは知らないが、この学園という存在を考えればそう安い仕事ではないだろう。
それだけではない。生徒会長は学園最強。この決まり文句もある以上、職に就き続けるために自身の鍛錬も欠かせないし、さらに学園から離れれば今度は彼女には『更識』という大層な組織の当主としての仕事もある。
平時でさえ軽くない負担がありそうなものなのに、そこへ更にコレ。神無にとって一夏がそうであるように、彼にとってもまた彼女は昔馴染みだ。それなりに気遣いもする。
だが、当の神無はと言えば涼しい顔で手をヒラヒラと振る。
「ん~、まぁちょっと面倒だったけど、そこまででも無いわよ? 正攻法で先生に申請しても無理だもの。だから、ちょっと裏技を使ったわ」
悪戯を成功させたようなウィンクと共に言う神無に一夏は黙って頷く。裏技というのも気になるが、結果として上手くいったならいいと手早く割り切った。
神無が言う裏技。それはある意味彼女だからこそできることであった。彼女の言う通り学園の通常の教員、つまりは千冬や真耶に代表される日頃の生徒達の監督をする者に申請をしても簡単には通らないのは自明の理。
ならばと神無は、普通では無い教師を頼ったのだ。その人物は轡木重蔵。この学園の学園長である轡木美代子の夫であり、用務員として働きつつ『学園の良心』と生徒教師双方より親しまれ信頼される好々爺――という表の顔を持ち、同時に妻に代わり学園の実務の最高責任者であるという本当の学園長という裏の顔も持つ人物である。
生徒会長、更識十七代目当主、それらの肩書きの影響も少なからずあるが、個人的に彼と親交を持つ神無は今回の件に関して彼に直接申請をしたのだ。平たく言えば、お上への直訴である。
そして、その結果がどうなったかはこの状況が示している。
「さて、準備はいいかしら? さっきも言ったけど、時間も限られているわ。これから試合まで毎日、この夜八時から二時間。IS学園生徒会長更識楯無があなたを鍛えるわ。それなりにハードよ?」
「望むところだ」
神無の言葉に一夏は軽く鼻を鳴らして答える。ハードな訓練など、一夏にとっては今更でしかない。
雪が降り積もる冬の山で迷いかけ、危うく命が危険に陥るところだったなどということも一度や二度ではない以上、体力的精神的の双方でキツイ程度はどうということはない。
「最初は動き方から始めるわ。基本からちょっとした応用までを一気に詰め込んで、途中から展開した武装を持ちながらの練習もするから。派手に行くわよ?」
応と頷き、これから行われるだろう訓練に軽く身構える一夏。だが、不意にその顔に穏やかな微笑が浮かんだ。
「懐かしいな。あの時も、二人でこうして夜中に練習をしたっけ」
「……そうね」
その言葉に神無も思いだしたのは、かつて共に宗一郎の下で修業をしていた時の記憶の一幕。その懐かしさに彼女もまた、昔を思い出す遠くを見るような眼差しになる。そしてそれは一夏もまた同じ。
だが、ものの数秒で二人は眼差しを鋭く引き締め直す。そして、特訓の開始のために神無が先導して共に一度地に降り立つ。
「じゃあ、始めましょう」
「あぁ」
その簡素な言葉のやり取りが始まりとなった。そして神無は最初に告げる。今この瞬間、ようやくIS学園の生徒の本分を、IS操縦者の第一歩を踏み出した少年への激励を。
「一夏。IS学園へ、IS操縦者の世界へ、現代の
その言葉に少年は、ただ凄絶な笑みで以って答えた。そして、世界最初の男性IS操縦者の真なる産声のように、その身に纏われた打鉄のスラスターが唸りを夜の空に響かせた。
話の進み具合という点で見ればまるで進歩の無い今回の話です。次回も白式が手に入るだけの話ですから、その次のセシリア戦でやっとまともに話が進む形になるのでしょうか。
セシリア戦に関してはちょっと色々と手を加えたいですね。具体的には本編の方で考えている白式の変更案を一部こっちに流用してみたり。ですので、セシリア戦までいくのは本編をもうちょっと、具体的には二巻終了か早ければ対ラウラ戦が終わるあたりを目安にしようと思ってます。