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午前中の講義がそろそろ終わりを迎えようとする頃、私は寝不足により重くなった瞼を素直に閉じる。
私の前列に座っている友人達が昨夜に開かれたらしい合コンの話で盛り上がっているな……。
そういえば誘いのLINEが来ていたっけ。
男よりもゲームに夢中になってる私とは一体……。
周囲の音が次第に消えていき、とうとう私は意識を手放した。
皆んな?皆んなって誰だよ、俺の周りに”皆んな”なんて居ねーよ
俺、おまえに何回振られんの?
俺は……、本物が欲しい
………。
心の弱い所を包み込んで優しく見守ってくれているような、そんな彼の暖かさに、ずっとずっと浸っていた頃の私。
そんな私が暗闇の中に1人取り残されていた。
繰り返し聞こえてくるのは彼の声。
手を伸ばしても助けてくれないくせに、脚を止めそうになるとそっと頭を撫でてくれる。
辛辣な言葉ばかりを吐くくせ、誰よりも優しい態度で道を示してくれた。
そんな彼が。
私の前から消えていく。
…ま、待ってください!
行かないで……。
………
……
…
.
.
「…っ!?」
嫌な汗と無力感が身体の底から湧き上がり、悪寒と共に目覚めた私は周りを見渡した。
誰も居ない……。
講義、居眠りしている内に終わってたんだ。
「……はぁ」
溜め込んだ悪寒を吐き切るように、出来るだけ溜息を深く吐いた。
すると、腕と机の間に挟まれたメモ用紙がヒラリと足元に落ちていく。
”出席表出しておいたからね!
今度奢れよー! ”
……ありがとさん。
やっぱ持つべき物は友人だわ。
私は手帳を取り出しスケジュールを確認すると、午後からの講義は無く、重ねてバイトのシフトも組まれていない。
「……許して、くれるかな」
ごめんなさい。
って言えば、きっと彼は
は?何が?
なんて言うに決まってる。
「……ごめんなさい。私はあなたから逃げました。あなたの居ない世界から目を背けました。……ずっと助けてくれていたのに、私はあなたを……」
ふと、頭に浮かぶ彼の影。
ぴょんと跳ねたアホ毛と中肉中背の後ろ姿。
職質を受けても不思議じゃない瞳。
そして、華麗に舞う剣さばき……。
ん?
違う違う!
あの人は先輩と違う!
……違うのに。
どうして私は、今夜も彼が現れるのかと期待しているんだろう…。
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午後の太陽が病室の窓から差し込むと、鏡に反射した光が俺の胸元を明るく照らしていた。
う、撃たれる…!?
……なんてアホみたいなことを考えながら、俺は痩せこけた上半身をせっせと動かし白のワイシャツに腕を通す。
筋肉はだいぶ戻ってきたと思ったが、どうやら脂肪だけはまだまだ足りていないらしい。
ズボンなんかベルトをキツくしないと落ちてしまう。
「……これを着るのも久しぶりだな」
高校生活を彩った一張羅は、2年の月日が流れた俺の身体には少しばかり大きい。
それでも、病衣で外に行くよりは目立たないだろう。
もそもそと、病室のベッドに本を突っ込み膨らみを持たせる。
「……昔のアニメのようだ」
影武者にしては随分と雑だが、何もしないよりはましだ……、と思う。
さて、ここからが俺の真骨頂。
ステルスヒッキーの見せ場と言うものだ。
SAO生存者に…、特に俺のような異端者には外出の許可が与えらていない。
それでも俺には外に出なくてはならない理由がある。
日頃から庭の散歩に興じていたのはこの日のためだ。
午後からのリハビリメニューと献身が無いことを再度確認し、俺は3階にある病室の窓を開けて下を見る……。
「……怖」
……とりあえず、ここが仮想世界ではないと言うことだけは理解しておこう。
飛び降りて骨折でもしようものなら自殺を図った精神疾患者と認識されてもおかしくない。
結城が寝ている病院はつきとめた。
そこに行くまでのルートも完璧である。
ナースセンターを通らずに外に出る庭の抜け道も見つけた。
だがーーーー
……部屋から出る算段をぬかったか…。
「……俺ってやつは…」
頭を抱えてみるも良い手段は思いつかない。
ふと窓の外を見上げれば、青い空が俺を嘲笑う。
一か八か、飛んでみるのも悪くない……。
と、試行錯誤に苦しんでいると、俺は病室の扉の向こうに人の気配を察知した。
こっちに、来る……?
やべっ!俺制服じゃん!
ごそごそと急いで布団の中に隠れ、身を潜めると、どうやらその気配は俺への来訪者らしく、スライド扉を静かに開ける。
「……っ」
「……」
九死に一生を願い、俺は昼寝を装うために規則的な寝息を立ててみた。
「……すぅ…。むにゃむにゃ」
「……あなた、それは何のつもりなのかしら」
「……zzz」
「狸寝入りはよしなさい」
……気配の人物が俺の布団に手を掛ける。
やばい、バレる。
ばさっ!!
「……ん、んんー。ふわぁ〜、す、睡魔には勝てま……、って、おまえ…」
「……おはよう。比企谷くん」
「……雪ノ下」
黒髪がさらりと、まるであの頃と変わらぬすました笑顔がそこに佇む。
以前から痩せていたためか、さほど痩せこけた印象を抱かせないそいつは、布団から露わになった俺の姿をまじまじと見つめた。
「……久しぶりね。現実世界では2年と2ヶ月振りかしら」
「……まぁ、そんなもんか。元気そうだな」
「あなたこそ……。随分と懐かしい格好をしているようだけど、どこかへ出掛ける予定なのかしら?」
再開を懐かしむこともなく、彼女は俺を冷たく睨みつける。
激おこじゃねーか……。
「私も由比ヶ浜さんも、ようやく歩行機なしで歩けるようになったと言うのに……」
カーテンが舞う窓に目を向けた雪ノ下は静かに溜息を吐きながら、俺のベッドの横に置かれた丸椅子にゆるりと腰を下ろす。
「……行かなくちゃならん。俺のためにも、あいつのためにも」
「……」
「おまえらのためにも…」
「……はぁ」
昔と変わらぬように、彼女は髪を耳元にかき上げた。
似合っていない病衣が少し笑える。
色白な肌がきめ細やかに、どこか神秘的な感動さえも与えてくれた。
「結城さんのために…、私達のために……。本当にそう思うなら……。しっかり帰ってきてちょうだい」
「……」
「あなたの居ない世界なんて退屈だもの。……また、あの部室に…。彼女を迎えにいったら戻ってくるのよ?」
その言葉は鮮やかに切なく。
色とりどりの紅茶カップを並べた机よりも美しく色彩を放った。
甘い香りに包まれた部室に、俺はいつか……。
「……あぁ、必ず。それじゃぁ行ってくるわ」
「ええ。行ってらっしゃい」
そして俺は窓の縁に脚を掛ける。
……。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……早く行きなさいよ」
「…待て。この高さは心の準備が必要だ」
「……」
ぐいぐいと。
「あ!ちょ、押すな!やめ、押さないで!」